( 180462 )  2024/06/14 00:46:10  
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「それ自体が目的化しちゃってる」ホリエモン “ご飯茶碗の配膳位置”めぐるマナー論争に苦言「こんなこと指摘しなくてもいい」

女性自身 6/13(木) 18:40 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/4df93bdc986563e3a8239e58eb79e5fd806d82a6

 

( 180463 )  2024/06/14 00:46:10  
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2024年6月12日、堀江貴文氏がYouTubeでSNSで話題の「マナー問題」に言及しました。

具体的には、女性が配膳位置を指摘した話に触れ、自身の意見を示しました。

堀江氏はマナーに対して厳しい立場を示しており、それが不快感を抱く原因になっていると述べました。

また、食事や新幹線でのマナーにも言及し、マナーの目的や意味について考えるべきだと述べました。

コメント欄には賛否両論があり、一部は過剰なマナー指摘を憂う声もある一方、「指摘し合う関係も大切」との声もありました。

(要約)

( 180465 )  2024/06/14 00:46:10  
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6月12日、実業家の堀江貴文氏(51)がYouTubeを更新。SNS上で物議をかもしている“マナー問題”について言及した。 

 

堀江氏が取り上げたのは、とある女性がご飯の配膳位置を夫に対し指摘したところ、「そんなことよりもっと必要な教養がある」と言い返されてしまったという話を掲示板に綴った投稿。茶碗を置く位置をどこまで気にするかは人によって異なるようで、この女性の悩みには賛否の声が寄せられていた。 

 

堀江氏はこのマナーについては「細かい」と思う立場のようで、6月12日、Xにて《そもそも、こんなこと指摘しなくてもいい気がするんだけど。。細か!こんな嫁と結婚したくないわ》と投稿していた。 

 

動画冒頭、マナー指摘について「もう本当最近さ、テレビとか動画とかでも、マナー講師みたいなわけわかんねえやつがいるわけよ。でそいつが、例えば俺とかの動画とかにまで指摘をしやがって、マジでウザいんだけどお前らこのマナー厨がみたいな感じなんですが」と苦言。 

 

続けて、食事だけでなく「新幹線で席を倒す時に一声かける」という暗黙のマナーについても”迷惑している”と言及。 

 

「俺はもう寝てるのに前のやつが突然倒していいですかと言ってきて、そしたらホリエモンじゃないですかとか。もうまじうぜえよバカっていう風な。とにかくマナー、マナーって言いすぎると、みんなマナー守らないと怒られるじゃないかと」 

 

そして「要はみんな怖いのは怒られることであってですね、マナーを守るとか、そのマナーが何のためにやるのかとか、そういったところわかってないじゃないですか、はっきり言って」と断言。咀嚼音などが不快に感じるのは理解ができるが、茶碗の位置は大きな問題ではないとし、「それ、いちいち家庭で左とか右とか言うなよマジでっていう風に僕も思います」と苦言を呈した。 

 

この一件で、過去に交際していた女性にカトラリーの使う順番について指摘されたことを思い出したという堀江氏。その指摘が幼少期に左利きから右利きに矯正された自身の過去を彷彿とさせたそうで、「なんか本当、時と場合によるっていうか、いきなりそういう風に頭ごなしに言われるとイラっとしますよね。 なんかお前はお母さんかみたいな感じで」と思いを吐露。 

 

そして、現代のマナーに対し「マナーって何のためにあんのみたいなこと。なんか マナーがその全てになっちゃうみたいな」と行きすぎた部分があると指摘。 

 

最終的に「なんかよく意味がわからないマナーを守ることが、それ自体が目的化しちゃってるっていうところが僕はあるんじゃないかなと思ってて」と語った。 

 

この堀江氏の体験談も交えた苦言に、コメント欄では賛否の声が。堀江氏と同じように行き過ぎたマナーを憂う意見もあれば、「指摘しあえる関係も大切」との声もあった。 

 

《他人を不快にさせないためのマナーなのに、マナーの指摘で他人を不快にさせてるのは本末転倒》 

《マナーは目的ではなく手段ですからね。他人に迷惑をかけない事が目的な筈ですから》 

《言いたいことはわかりけど、最低限レベルが人それぞれだから難しいよね。茶碗の位置はそこまでこだわらなくてもね》 

《1番に感謝 楽しく美味しく食べましょう》 

《ホリエモンの言うことも確かにそうなんだけど、互いに指摘しあって素直に正すことのできる社会も良いですよね!》 

 

 

( 180464 )  2024/06/14 00:46:10  
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(まとめ) 

・食事のマナーに関する記事や意見には、細かい作法や配膳位置についての議論が多かった。

 

・女性と男性の性格や考え方の違い、職場におけるバランスの重要性についての意見も見られた。

 

・箸の持ち方や食事の順番など、日本独自の食文化やマナーを重視する声もあり、一方でマナーに固執しすぎない考え方もある。

 

・異なる地域や文化でのマナーの違いや、マナーを指摘する際の言い方やタイミングについての意見も幅広く寄せられていた。

 

・結婚や教育を通じて、家庭内や日常生活でのマナーを学ぶ重要性についても指摘されていた。

 

・一部の意見では、マナーの起源や意義と現代社会や個々人の状況との関連性についても考察がなされていた。

( 180466 )  2024/06/14 00:46:10  
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・本格インド料理の店に行って料理が出てきて食べようと思ったら 

箸やフォークがなかった 

本格的な料理店だからやっぱり本場の作法で手で食べるんだと思い 

手づかみで食べていると店員が慌ててフォークを持ってきた 

 

という話を思い出した 

 

 

・女性ならではの性格だと思います。仕事上でも並び順とか手順とか非常に細かいところにこだわりますね。男性は、合理性にこだわります。 

そして、あまり細かいことにこだわりすぎて生産性を失うことを嫌がります。 

ただし、双方一長一短ありますのでどちらがどうと言うことはないと思います。 

ただし、職場に女性の割合が多いと生産性が伸びません。男性が多いと正確さにかけてきます。やはりバランスが重要だと思います。 

 

 

・目玉焼きの黄身 いつつぶす?って漫画で配膳位置の理由や歴史背景を知っているが食べづらいからあえて変えてるってのを見て納得してしまった 

右利きだと味噌汁を取る時にクロスになるのが手間だから、茶碗を持つ方の手の側にご飯と味噌汁を置いて箸を持つ方におかずを置くのが効率的ってなってて理に適ってるなと思った 

 

 

・確かに 

汁飯は左にある方が取りやすいのですが 

それは、右手に箸を持ったまま取るから 

だと気がつきました。 

 

作法としては、箸はお膳に置いたまま 

右手で汁椀を取り上げ 

左手に渡し 

右手で箸の真ん中を取り上げ 

左手の指先であしらって箸を使う形に持ち変える。 

これが正式なようです。 

 

しかし、こんな面倒くさい手順は 

日常の食事ではやりません。 

だから、日常の食事では 

飯碗、汁椀の位置は、どこでも良いかと。 

 

しかし、キチンとした席では 

作法を抑えた配置や手順が 

できるようにしておくのが 

教養かもしれませんね。 

 

 

・マナーは賛否両論あるよね。 

って言うのは嘘で、あらゆる事は「我慢する」か「守らない」かどちらかだよ。法で定められたルールと違って、マナーは究極「自分にメリットがある」からやってるにすぎない。それをやった方が効率がいいとか、やった方が楽しめるって形を、他の人もやってくれたら最高!ってのがマナー。 

で、人は全員違うから、そのマナーの線引きは無制限になる。それを一定の線引きをして、それに合わせて自分の溜飲を下げたり、そのくらい当然って思ったりする。 

例えば新幹線の座席をリクライニングする線引きだと、 

気にしない 

後ろの人に配慮する 

見てる人にも配慮する 

声をかける 

相手の許可をもらう 

倒したくても倒さない 

とか、もっとこまかく、もっと多方向に選択肢が増える中、なんか最近は「声をかける」がしゅりゅうになってるだけ。本来は「後ろの人に配慮する」レベルでいいと思うけどね。我慢できずに強いる人も出てくる 

 

 

・日本人って周りに気を使えと言われる文化があり、マナーとかハラスメントとか過敏や過剰になったりする傾向があるのかなぁ。 

 

マナーって作法とも言うけど、実は心遣いだと思うので、特に形は関係ないのではと思う。 

 

配膳なんかでは地方によって形が違ったりするという話も聞いたことがあり(大阪では汁物をご飯の奥に置くとか)、何がマナーか分からないところもあるのではとも思う。 

 

 

・私は味噌汁の位置について、友人の奥さんに指摘されたことがありますw 

関西だと味噌汁は左奥(ご飯の奥)に置く事があります。私自身、右に置くと物をとるときにひっかけそうになるので嫌なんです。 

友人の奥さんは関東出身の方だったので、文化の違いかなとその場は従いましたが、正直なところ今思い出してもわざわざ指摘してきて細かい人だったなあと思います。 

 

 

・時代が時代なので、細かな作法などはそれを日常的に必要とする人であったり、冠婚葬祭で煩い親族がいる事が分かっている時などに一時的に覚えたりすれば良いのでは。 

 

人によって「細かな」という点のボーダーは異なるかもしれないが、配膳位置や食器の利用順などは、明らかに「細かい」作法では。 

必要ならば、義務教育段階で指導があっても良いはず。 

 

そもそも、それを指導するにあたって場の空気を乱して相手に不快感を与えている時点で、何の為のマナーなのか分からない。 

 

 

・前回のスマホを持たせたくない親に対して、「大した事ない親」みたいな発言は許してませんが、これに感しては賛同する部分がありますね。 

配膳の位置はお茶碗を持ちやすいとか、汁物をすすり易いとかいう「気遣い」や取り易いという「合理性」なのですね。いや、私は合理的という言葉が好きなので、配膳の位置はなる程なと思ったんですが、なるべくならしてあげた方が良いだけで、それを細かく指摘するべきではないなと。何故なら、ケチを付けるなら作ってくれた人への感謝が足りない。 

つまり『合理性と思いやりで配膳の位置は決められた通りにした方が良いが、違ってても気にせずに感謝しましょう』ですね。 

配膳は決められた位置があるんだ!とキレる人は、ご飯を食べる資格はない。作る側、食べる側のささやかな思いやりと感謝であり、作法はそれが基本だったはず。この記事とホリエモンさんに関しては形骸化した慣習の愚を突いた、良い突っ込みと思う 

 

 

・確かに「席倒してもいいですか?」がマナーになりつつあって、それを言わないとマナー違反だって責められる傾向になってしまってる。 

もっと前だとエスカレーターで、立つ時は左側に寄るってのもマナーになってる(最近はそれをやめましょうって傾向になり始めてはいるけど) 

 

何でもかんでも、勝手にマナーにする傾向はやめたほうがいいと思う。 

 

 

 

・同じ日本でも、地域によって食文化は異なりますし、配膳位置も違う傾向があるのではないでしょうか。 

北部九州の実家では、ごはんは左手前ですが、たとえば味噌汁は右手前でなく、左の奥におきます。 

まあ、別に違っても、注意されるなんてことは長い人生で一度もないです。なんとなく周りの皆もそれに慣れてるから、くらいの認識でした。 

 

 

・私も左利きを矯正された人間なのでマナーや常識みたいのを頭ごなしに強制されるのは不快ですね 

おかげで左右が瞬間的には分からない左右盲になった 

これは幼少期に利き手を変えられた人に起こりやすい症状らしいです 

マナーや常識にはこういう弊害もあることも知られてほしいです 

 

 

・「手段が目的になってしまって、所期の目的を見失う」というのはそこここで見かける、社会を悪くする悪循環だと思う。 

 

「楽しく食事を摂って心身ともに健やかになりましょう」という目的に対し「そのために周囲にとって不快でない食べ方をするべきですね」という手段があるはずなのに「不快でない食べ方をする」ことが目的になって、自分が緊張して食事したり、食事のとり方で喧嘩したりしては意味がない。 

 

 

・マナーとは違うと思いますが、良くご飯茶碗とお吸い物を左右違って置くと、「それ亡くなった人だから」と言う人がいますが、違います。 

亡くなった人も、ご飯茶碗は左です。 

では仏壇ではなぜ反対に置くかといえば、仏壇側に亡くなったご先祖様がいて、ご先祖様から見たらご飯茶碗が左になるように置いているだけです。 

 

なので左右違って置いた時の正しい指摘は、「それ向かい側にいる人に向けて置いてる事になるから」です。 

縁起が悪いなんて事は絶対にない。 

 

 

・ルールやマナーは色々変化しますよね。 

1番変わったのが、タバコじゃないかな。 

ほんの20年前なら、食事後にタバコは普通で、灰皿があった。 

いま食後にテーブルで吸えば、重大なルール違反でマナー違反。 

寿司は手で食べるの?箸使うの? 

日本料理は箸だけど、蟹なら手を使える? 

何でも例外も用意してあるんだし、相手が気分悪くしなければいいのじや無いかな。 

蕎麦は音立てていい、と言ってズルズル食べる訳知り男がいたけど、音が不快でしたわ。 

 

 

・言い方の問題もあると思います。 

 

確かにマナーを守ってキレイに食事できるのなら、それに越したことはありませんが、ちゃんと理由をもって「〇〇した方が良いですよ」くらいのニュアンスで教えてくれるのならともかく、マナー違反を咎めるように注意されたら、それはイラっとすると思う。 

 

ただ配膳位置の指摘に関して「そんなことよりもっと必要な教養がある」と返す旦那も相手へ寄り添う気持ちがなくて、それも違う気がします。 

 

 

・日本で生まれ育っても知らないことはまだまだ沢山ありますし、誰かに何かを指摘されたら教えてもらえたと大抵はお相手に感謝します。 

指摘される度に嫌な顔して悪態ついてたら、そのうち誰からも何も言ってもらえなくなり、結局は自分が恥をかいたりして損をするような気がします。 

人を見ていても、頑固より柔軟な方を見習いたいと思うことが多いです。 

 

 

・マナー違反が不快かどうかは、受け手によって変わるだろう。 

例えば堀江氏は咀嚼音は不快とコメントしているが、それも受け手によっては気にならない、むしろ細かいこと言うなと指摘する人もいるかもしれない。 

内容によって誰がどう受け取るか分からないから、やはりマナーが必要なんじゃないかな。 

 

 

・この人が言ってる事が正解でもないし日本の民意でもないはず。女性自身はどう思って取り上げてるんだろう。 

 

マナーを知っている事と指摘をする事は別の話。指摘の仕方も人それぞれ、様々でしょうね。場面、相手にもよるでしょうし。 

 

私は日本人なので、この手のマナーは知っておきたいですね。 

 

 

・こういう風に 

自分の正否でいう人がいるから 

言われることを怖れて許可を取るために一言声をかけるんでしょ? 

 

それが 

過去の出来事なのか? 

今すぐに言うのか? 

その違いですよ 

 

基本的に、この方は 

自分がやりたい・やりたくない 

とかの気分や感情がメインですから 

『俺はこうだ』 

と言う事でも、他の人にやられたら不愉快に感じそうですしね 

 

ただ 

配膳のマナーについては 

その店によってもメイン料理扱いの料理が変化するので『?』となることはありますけどね 

それに昔の膳を使ってた時代と、現代のテーブル高さでの食事では、器を持つ必要が無い場合も多い 

和食のナマーとかって膳の時代に作られた物ですし、庶民に浸透してるような物でもないでしょ 

寿司とかも安い店でも『最初はこれ』とか語る人なんて引いちゃいますし 

安いワインでも語る人とか面倒でしかない 

 

 

 

・ご飯茶碗等の配置については、昔、学校給食なんかでも習った記憶がありますが、決してマナーとして教えられた訳ではないと認識しています。 

大勢を占める右利きの人達にとって持ち易さや食べ易さを考慮した配置なのだと思います。 

 

なので、教えられた通りに配置しなくてもマナー違反とはならないと思いますが、もし全く無頓着な配置でしかもいつも決まった配置でなくても気にせず食べられる人が居たらちょっと引いてしまうかも知れません。 

 

その人の性格が見えてしまいますもんね。 

 

 

・マナーは所詮マナーであってルール化していいものじゃないと思う。そこの区別をつけないといけない。強迫観念からきているのかマナーは絶対に守らないといけないみたいな風潮は息苦しいだけだと思う。なかなかそのへんを曖昧に考えられず白黒つけたほうがシンプルで納得できるんだろうけどマナーってそういうものじゃないからね。 

 

 

・夫婦の会話ってことは、家の中なのかな? 

だったら別にいいのではないかなと思う。 

外の公の場で指摘すると恥をかかせることにもなりかねないから、それこそ相手に不快感を与えかねない。 

そういう時は家に帰ってから二人の時に、「あそこはこうするのがマナー」って教えるべきだろう。 

 

 

・茶碗の配置は最近できた現代のマナーとは違うからなあ。 

茶道の懐石料理、料亭等の本膳料理・会席料理どれも茶碗は左、汁椀は右に配膳するのが古来よりの作法(関東関西問わず)。 

人と食事をしたり人に食事を供する人は知っているべき教養。 

マナー講師の編み出した現代珍マナーとは別物です。 

外国人に和食のテーブルマナーを教えてほしいと言われたら答えられるくらいの教養は身につけたい。 

 

 

・マナー講師とか色々TVにも出て来ますが堀江さんとほぼ同意見ですね。例えば食事に関してだと、箸の持ち方は正解が有るので(綺麗かどうかではなく豆が掴めると言う事ですが)理解出来ますが、茶碗は右とか左とかおかずはとか、どっちでもいいですよ。これがお店で仕事でやっていて揃っている方が配膳をした時に綺麗に見えるからと言うなら分かりますが、それだって配膳された後に食べやすいように並べ替えればいい話。例えば魚の食べ方にしてもマナーが、と言う人もいますがほとんどの人の親だって説明出来ないでしょう。明治、大正、昭和、平成、令和ときていますが一体いつ頃マナーとして成立したんでしょうか?それにきちんと合理性の有るものやなるほどと思えるものなら必死で暗記しなければ覚えられないような「マナー」と言うものにはならないと思います。結婚式やお葬式の時に覚えても忘れていませんか? 

 

 

・マナーはあまり細かいと面倒臭いと思う。 

 

でも、確実に指摘されるなと思うマナーは守っておいた方が、余計な面倒を回避できるなと思う。 

 

それでも「このくらいのマナーは常識」という線引きが人によって違うので、そこもまためんどくさいところ。 

 

今回の投稿で、xで食事をアップする場合、配膳位置を守らないと、マナー警察が来るぞということははっきりした。 

 

 

・そもそもが昔の決め事が今の時代に合ってるとは限らない 

例えば左手前にご飯、右手前に味噌汁、奥におかずがマナーとされるが、どう考えても今の時代は裕福になり、おかずがメインとなってるのに、味噌汁が邪魔になって仕方ない。 

関西ではそのマナーより利便性を優先しているみたいだが。 

 

 

・配膳と言うか、目から鱗落ちたのが関西の方の味噌汁の位置 

関東は、左にご飯、右に味噌汁のスタイルが関西ではご飯の後ろに味噌汁で右側の味噌汁の位置におかず 

なるほど、と思った 

確か、ケンミンショーで見たのかな 

理に適っている 

 

 

・昔は正座して御膳やちゃぶ台で食べていたからね。だからご飯は左、味噌汁は手前右。 

テーブルで食べるときはどうしても茶碗を持ち上げようとするときに左腕の肘が曲がり、左にあるご飯茶碗が邪魔に感じます。それに対して御膳だと汁椀を取るときは腕を左に折らずに左手前から取れるから左に置いてあるご飯茶碗が邪魔に感じません。 

また茶碗と椀の向こう側におかず。御膳だと上から取るから手前の茶碗と椀が邪魔にならないからで、向付の小鉢なんて湯呑みぐらい深いものもありました。 

マナーにはそれなりに理由があります。なので頭ごなしに細かすぎるとか、好きに食べさせろとか言わず、またマナーを気にする人も食べる状況や時代に合わせて臨機応変に考えたほうがいいと思います。 

 

 

・こういうのって頭ごなしに指摘するからお互い不快になるのであって。 

「私はこうするほうが便利だと思うんだけどどう?」 

みたいなうお伺いを立てるような疑問形にすれば 

角が立たないんじゃないかな?とか思う。 

結局、マナーって、相手に不快感を与えないのが本来だと思うし。 

それに、相手にも思うところや何かしら理由があるのかもしれないから 

頭ごなしに「これがマナーだから!」って押しつけるんじゃなく 

私はこう思うんだけどどうかな?って歩み寄りが大事だと思う。 

 

 

 

・ご飯と汁物を手前に置くべきとされていますが、 

個人的にカニ、魚の干物や煮付など食べにくいものは手前でも良いんじゃないのと思います。後は汁がポタポタ落ちやすいおかずも。 

正しい箸の持ち方をしていれば食べにくい物など無い!などと主張される方もいますけど。 

 

 

・何年か前、日本食が素晴らしい文化と認められたのです。 

これは日本食を食べる日本人の誇りとして自慢したいと思う。 

食に限らないと思うが、時間をかけて出来上がった食文化には配膳の意味もあると思うのです。 

作り上げた文化を大切にして継続するのも悪くないでしょう。 

 

知らないから得をすることはないかもしれない。 

でも、知っているから損をするとは言えないと考えます。 

 

 

・咀嚼音は私は気にならないけど、箸の使い方がおかしい人は気になる。別に迷惑じゃないからいちいち言わないけどね。 

人によって「気に障る」ものが違うからお互い不快な思いしないようにマナーという公倍数的な線引ができたと思う。公倍数だから誰かが「これは嫌だ」と言い出したらどんどんハードルは上がっていってしまうわけだが。 

 

夫婦や親子間ならそれくらいはお互いが気になる程度のことは指摘し合うべきだと思う。外で恥をかかないためにね。 

 

 

・「知らない」と「知ってる」じゃ、やはり違うと思いますよ。フォーク、ナイフの時は皆さん、結構気にしてるんじゃないですか? 

教育で教えるのも何か違う気がします。という私もそいうい機会ごとに確認しています。和食の方が細かい「作法」がありますよね。 

たまにはかしこまって食べるのもいいかもしてません。それじゃ美味しくないというのも分かります。 

 

 

・夫は食器の位置を気にしないけど、 

私は気になる。 

 

それこそ「育ち」というか、 

子どもが大人になったとき、 

どんな場所に行っても、どんな人達と付き合っても、 

恥をかかないように育ててあげたい。 

 

旅館やホテルでバイトするってだけでも、 

食器の位置を知ってるかどうかでスタートラインが異なるし、 

会社勤めとかで会食するときにも失礼がない所作が身についてるかどうかで相手に与える印象は変わるし。 

 

まあ子どもはまだ小さいし、 

家ではそんなに品数出さないので、 

大戸屋のお膳で教えてる段階ですが笑 

 

 

・自分は知っているマナーはなるべく守るようにしている。 

 

でも食事のマナーは仲が良くてもなかなか指摘はできないかな… 

「お育ちがお悪いんですね」と言ってるみたいでさすがに言えない。 

でも心の中ではやっぱり品がないなと少なからず思ってしまう時はある。 

 

クチャラーだったら多分仲良くなれないと思うくらい、私の中で許せないマナーかも。 

 

 

例えばタバコのポイ捨ては「ダメだよ」って言えるかも。友達なら。もしくは私が拾う。 

タバコは大人になってから始めるものだから指摘できるのかも。 

でも食事のマナーの悪さは、本当にどんな家に育ったか透けて見えちゃうから言えないな… 

家族を悪く言うみたいで言えない。 

 

 

そうそう、国が違えばマナーも変わる。 

外国慣れしているお友達が指摘してくれた時は有り難かった!! 

同じ事をその後彼氏と旅行に行った時に教えたら一気に不機嫌に。偉そうにするな!って。すぐ別れたわ。 

 

 

・堀江氏が、茶碗の配置云々で記事にあるような発言をしたなら、単なる過剰反応というか、ピント外れのような。 

堀江氏は結婚したことないから、これを世間一般のテーマに当てはめて考えているのでしょうが、根本的に違います。 

単なる、夫婦間のすれ違いにすぎません。 

正解はないので、よく話し合って仲よくすれば?くらいのもんです。 

 

違う家庭で育ってる者が生活を共にするのだから、こんなケースは吐いて捨てるほどありますって。 

珍しい話でもなんでもないし、どちらが正しいとか軍配を上げる必要もない。 

 

話し合い、理解し、歩み寄る、時には妥協する、我慢する。 

異文化交流って、そういうもんだと思います。 

 

 

・食事のマナーでいうと、自分も子供の頃おかずとご飯を順番に食べる、いわゆる「三角食べ」をするよう親に注意された記憶があるが、よくよく考えたら科学的根拠もなく、今思えば本当にどうでもいいものだったな。要は昔から言われている風習になんとなく疑問を持たずに従っていただけで、守らなかったからといって実害があるものでもない。マナーなど大抵は単なる形式的な作法であって、堀江氏の言うと通り、それ自体が目的ではない。もちろん人を不快にさせないためのマナーは必要かもしれないが、周りに影響を与えないのであれば、他人がとやかく言うことでもないだろう。 

 

 

・一流のレストランでも『細かい事どうでもいいウザイ』って言うんですかね料理の順番が違ったりしたらホリエモンさんは。もちろん『レストランとは違うだろ家庭内でまでうるさくされたく無い』という事でしょうが、何が細かい事かなんて人にやって違ったりしますからね。私は私的されたら素直に受け入れますけど。 

 

 

・ご飯茶碗の位置なんて地方によって違う。関東は左手前だ。マナーを作っていた人たちは理由があるのだろうが食べやすければ、どこに置いたっていいと思う。箸の上げ下ろしも細かいマナーをうるさく言う人がいるがあまりに細かく言われると却って食べる気がしない。要は会食する時楽しければ、よほど気になること以外は言わない方が良い。マナーを守るための会食ではない。 

 

 

 

・日本の食卓で飯茶碗は左、汁椀は右というのはマナーではなくて常識や作法の範疇ではないか。 

逆に置いたらそれは陰膳になり、居ない人、亡くなった人のための設えだということを伝え残していきたいと思う。 

 

 

・法律でさえ間違っていれば廃止や改正される場合もある。 

昔の何処かの誰かが決めたマナーや慣習、特に不便・不合理なものを有難がって従うか、改善するか、何れにしても他人に押し付けず個人で判断すれば良い。 

 

 

・ご飯茶碗が左、汁椀が右って教わった。 

でも、日本人は、汁椀を持上げて飲むでしょ。 

それを考えたら、汁椀は左奥の方が食べやすいんだよね。 

右に汁椀を置くと、持ち上げるときにご飯茶碗が邪魔だと思う。 

なので、置き換えてます。 

 

実は私の家族は、左利き率が5割なので。 

昔は矯正されてましたが、今はしないケースが多いらしく、とても良いことだと思う。 

私は、実は左利きでは?説が子供の頃からあったけど右利きです。 

 

教わった配置は、右利きを基準にしているはずだから、ある意味古いと思います。 

箸で人を指さないとか、そういうのはマナーでしょうね。先が汁やご飯や唾液で汚れた箸で、こっちを指されると不愉快ですもん。 

 

まあでも、家で食べるときは、適当です。 

そもそも、ゆる糖質制限を継続してるから、ご飯茶碗がないもんね。 

外で出されたら、米粒1つ残さず食べるけど。 

だから太るんでしょうね。笑。 

 

 

・ホリエモンが言ってることすら理解出来ないような人たちが、こういった下らないことでギャーギャー言ってるんだろう。 

飯を食う時に最初にご飯をかき込む人なんていないだろう。通常、まずは味噌汁で喉を潤してからご飯の順。 

そしたら食べる側本位で考えればまずは左が味噌汁(利き手が左なら逆)が理にかなってる。 

逆にご飯を毎回食べる時にクロスしておくのが面倒(テーブルならそうでもない。これはお膳を想定してるんだろう)ならご飯が左が便利。どちらを思いやるかという話。 

 

なぜご飯が左なのか気になって調べてみたら、天子が南面した時に左側が太陽の登る方角なので尊いから左優位(左大臣が偉いとか言うのもここからなんだろう)。だから貴重なご飯も左に置くんだそうだ。 

くだらない。 

まさにこれがホリエモンが言わんとするところじゃないのか? 

 

 

・歴史を経て定着した形には一定の意味があると考えます。 

ごはん茶碗は手前左、汁物は手前右。 

これは私もお袋から幼少期に教わりました。 

それ自体が目的化などしてはいないと思います。 

育ちが良い、という言葉があります。 

本当に育ちが良い人がいるとするならば、伝統的な形の意味を知り、心からそれを実践できる人ということになろうかと思います。 

話はそれますが、日本の象徴であられる天皇陛下は、ある意味育ちが良い人の頂点である、と言ったら失敬に当たるでしょうか? 

神道の最高位の祭司であられる天皇陛下は、日々古の時代から続く形を理解されたうえで実践されております。 

その行いにも、世界中からあれだけの敬意が向けられることからも、ホリエモン氏は学んだほうが良いと思いますよ。 

 

 

・ごはん茶碗をどちらに置くかは利き手によっても違う。其れよりも新規職員の合宿で、食器を準備させたら、右端に箸を縦に並べたやつがいた。洋食じゃない。こういうのは注意したほうがいい。今後のためになる。 

 

 

・それこそ場を弁えるって事も必要だと思う 

それなりの格を重んじる場では 

それなりのマナーや作法も必要だろうが 

一般家庭であったり 

普通の食事会程度であれば 

リラックスした空間、和やかな雰囲気 

そういうことのほうが大事だと思うから 

配膳位置だとか細かい事は抜きのほうが 

いいんじゃないかなと思うし 

普段からそんな感じならば 

家で食べたり、作ったりするのが 

嫌になってくると思う 

 

 

・茶人、千利休が遺した裏千家の奥義がある。 

今では誰しも目に触れることができる、 

『茶の湯一枚起請文』 

である。 

それは、当時、あらゆる作法を会得した者だけに渡された茶の湯の真髄である秘伝書である。 

 

『茶の湯とは、ただ、茶を立てて飲むこと』 

 

『それ以外の作法や習わしを説く者が出たなら、それは全て邪義』 

 

マナーたるや、実に難しいものである。。。 

 

 

・言い方とそのタイミングもありますよね。 

相手を不快にさせてまで、今わざわざ指摘しなければならないものなのか。その指摘によって相手との今後の関係性にどんな影響があるのかわからないのであれば、その人も人間関係のマナーを守れていないわけで。 

 

 

・正直配膳位置よりもクチャクチャ音立てて咀嚼するやつの方がマナーとして気になる。 

職場の若い新人がそれでさらに犬食いみたいに食器を持たずに大きく前屈みになって食べているんだけど、顧客との食事もある職種故にどう言うべきか悩む。 

 

 

 

・茶碗の位置はマナーより合理的な試行錯誤の結果だと思う。 

右利きが多い中では、左手前に置くのが最適。 

日本料理は右手前に汁物を置くが、関西では左奥。関西式は本当に合理的。 

 

あと、ものが乱雑になるより一定のルールで置くと美しく見える。 

美しさは心の表れでもあり、合理的でなくても形を整えること自体が生活を豊かにする。 

生活美というやつでしょうか。 

 

私は母親から徹底的に訓練されたので、食卓に並べる時は非常に気を遣っている。 

 

ホリエモンはそういう観点がないと思う。 

 

 

・新幹線はとても思う。 

知らない人に話しかけるのはお互い嫌でしょうし 

 

・ゆっくりと下げる 

・完全に下げるのは流石に悪いから半分くらい 

・下げてくる可能性があると思って荷物を置く 

 

このくらいにしておけば言わなくていいと思っている 

 

私はいつも指定席にしているので 

後ろがいない席にして 

いない間に自分の好きな状態にしています 

話しかけたくないから 

 

 

・俺としては、単なるトリビアとして受け取って貰っていい。 

 

覚えておいて欲しいが、知った上でマナーを無視するなら相手の選択だ。 

 

そういう感じだから個人的には、指摘に反発するコト自体が拙い態度だと思うが、アレコレ議論することは時に楽しいコトだと思うし、不満をぶちまけるのも心の健康のためにたまにはいいだろう。まあ、どんなテンションなのかは本当には分からないしね。ネタというか、盛り上げようとしてるだけの可能性もあるし。 

 

 

・私も同意見です。 

何かマナーを知ってる人が知らない人を見下すのは、それこそマナー違反。 

心理は分かります。要するに、マナー通りにできている自分の満足感。出来る自分という安心感。 

要するに、自分の事も、人の事も、そういう事でしか評価できないタイプという事です。つまらない。 

もちろん、最低限のマナーは必要ですよ。 

 

 

・あまりにもしょうもないと思う。自分の感性で食べてたらいいし、よっぽどの場でない限りイチイチ言う必要もない。 

テレビで過剰にマナーをクイズみたいに、またスパルタ指導してるから何か変な、存在しないマナーを信じてしまってる気がします。 

まさかここまで配膳マナーの話がまだ続いてることに驚きで、どれだけ、まぁ、ごく一握りと思うんですが、小人というのかね、言わなくていいことを指摘する器量の狭い薄っぺらな人間が多いことかですわ。 

もうやめようよw それに尽きる。座席倒す話ももうなし。断らなくていい。倒すのはその席の権利。そして配膳マナーもイチイチ言わなくていいよ。おのおの食べやすい配置はあるのだから、普段日常の場まで取り上げて言うのは金輪際なし、をマナーwにして欲しいです。 

 

 

・お葬式とか法事とか結婚式とかで、異なる地方の違う文化を持った幅広い年齢の大勢が集まる時には、マナーはその場を和を乱さないために役に立つかなと思うけど 

 

家庭での食卓とか、友人知人同士での会食で、わざわざ細かい事を口に出してまで指摘する事はないですよ。 

 

Yahooニュースでほぼ毎日発信している、えらせんさんも書いてますけど 

「聞かれてもないのに自分の考えを言ってはいけない」 

「求められてないアドバイスをしてはいけない」 

「相手がどう思うか考えず、自分がを思った事を全部口にしてはいけない」 

「余計なひとことで関係はすぐ消える」 

です。 

 

 

・配膳位置ってマナーなの? どっちかっていうと文化だと思う。なので日本文化を重んじる場では古来の位置でだせばいいし、日常の食事では自分たちのやりやすい位置でいいんじゃないの。このご夫婦だって話し合って決めればいいだけ。 

 

 

・マナー知ってなくて損するのはその人だと思います。配膳もそうだけど、箸の持ち方、仕草、作法などは知ってて損することはないと思います。むしろ知ってて得することもあると思います。だから家族の場合指摘しても良いと思います。 

 

 

・マナーってテレビのネタに丁度いいのかもね。細かいマナーをクイズにすればワイドショーのコーナーにできるし、安直な企画にもってこい。 

 

それでマナー講師がやたら出るようになって、ますます細かいマナーが生まれるというスパイラル 

 

 

・カトラリーを使う順番に関しては大事でしょ。各料理に適したカトラリーをおいてくれているわけで、違うものを使ったら料理の味を損いかねない。違うカトラリーを使っておいて、本来の味を楽しんでもらえず、料理に不満を持たれては作った側としてはたまらない。 

 

 

 

・マナーとか家庭内で必要ない。必要な時には事前にと思うけどイギリス国王に招待されて、ナイフフォークの作法間違えても問題にされないと思う、招待されたのだからその人が無礼と思わないように振る舞えば良いと思う 

 

 

・配膳の位置は別にマナーではない 

左手でお茶碗持つんだから左側に置いた方が合理的ってだけ 

それが合理的だから一般化してるだけに過ぎない 

神が宿るとか左が上席だとか言うのもいるけどそんな事はどうでもいい 

 

だから左利きの人が右に茶碗置いたっていい 

それで不快に思う人などいない 

これを「指摘しなくていい」は確かにその通りだが 

 

マナーなんてのは「相手に不快感を与えないための行動の最大公約数」でしかない 

万人が不快に思わないなんてあり得ないんだから、最大公約数を守ってればそれでいい 

不快感を与えないために努力してるんだから、それが目的なのは当たり前 

 

あんたがその最大公約数に当てはまらなかったからといって、最大公約数自体を否定する根拠にはならないし、他人の努力をバカにする資格も無い 

 

そうやって自分勝手な主張ばかりしてルールすら守らないから実刑受けるんだろ 

 

 

・家で茶碗の位置が違うだとか、、、信じられない。 

言いあえる仲?それを指摘するってことはむしろそんな仲じゃない。最近一緒に住み始めましたっていう夫婦でしょ。 

言い返されるってことは指摘の仕方がよくなかったってことだし。 

お互いマウント取り合ってるような、恋人に毛が生えた程度の夫婦だよね、間違いなく。 

 

普通に考えられる人なら、マナーが必要になりそうなときは、ちゃんとマナーを見たり聞いたりしてからやる。だから別に指摘される必要ないです。 

夫婦生活で、何を窮屈にしようとしてるんだか。。。 

 

 

・他人を不快にさせないのがマナーと言うが、要は自分だったら不快に思うというところが問題で自分がもっと寛容になれば不快に思わずそこにマナーは必要なくなるはず。 

何かの記事で見たが日本人は他国に比べて寛容さに欠ける人が多いという。 

自分が寛容になればマナー論争はなくなるだろう。 

 

 

・そもそもマナーの指摘なんてのは、ごくごく近しい関係でないとしないもの。その距離感にない人にする時点で、その指摘が既にマナー違反。近しくなくて言って良いのはその日の責任者のみでしょ。 

マナー、行儀や作法ってのはコミュニティごとに違う。 

昔はこのコミュニティってのが階級だった。 

そういう意味では、新幹線ならグリーン車のマナーを普通車の自由席に求めるのはマナー違反だし(気になるならテメー上のランクの場所に行け)、飲食店なら一流レストランのマナーをファミレスで求めたらマナー違反(それならお前が一流店に行け)なわけです。 

マナーに関する云々は、階級制度が有った頃の方が住み分けできたんですよね。 

今はごちゃ混ぜだから、どれが正解か揉めるけど、要はTPO。 

自分の行く場と、自分が育ってきたランクを考えて、ランク違いの所に行くときには周りに合せないとダメ。 

 

 

・マナーとは「その方が、相手がいい感じで受け止めてくれるよね」というもので、ルールでもなければ常識でもない。 

それを、「正解」という言葉と紐付けている人が多いことが、根本的に世の中を生きづらくさせてるんだと思う。 

 

 

・配置の根拠を知った上で、普段は合理的かつ理にかなった配置で良いんではないの? 

日本の昔からの習わしは、宗教や陰陽師などの現代の日本人全てに合ったものでもなく、また村八分、生贄や差別が非常に多いし。 

ご飯と味噌汁と漬物しかなかった時代のマナーを押し付けられても。 

 

 

・マナーは地域や国で違うので、 

小学校か中学校の時点で基本的な事を教えるとかした方がいいのではないでしょうか? 

もちろん、マナーが全てではなく気遣いや思いやりの精神とかも必要性だと思います。 

 

 

・ホリエモンが論じてるのはマナーでは無く自分ルール。 

マナーてのは多分に他者への思いやり(人を不快にさせない)を含んでいるので、ホリエモンに解るはずもないもの。 

自分の事しか考えない人間だからこそ、人の家庭に対して、こんな嫁と結婚したくないなどと人目に触れるSNSで平気でのたまう。名誉毀損で訴えられればいい。 

 

 

・配膳の仕方は、マナーっていうより文化というかルールに近いんじゃないかな。 

堀江流なら、畳の縁は踏んでも良いし茶碗は持たずに食べても良いし箸でおかずぶっ刺しても良いし、なんなら上座も下座も関係なく座ったって、別に誰も直接なにか被害があるわけじゃないしね、外国行けば通じないしね、 

でもやっぱり、それは教養を疑うなあ。 

 

 

 

・母がお嫁に来たとき日常でもまだお膳で食事が供されていたそうです 

母もお膳の配膳で食事を出してくれていたので今でも自然と考えなくても配膳位置に置くようになりました 

別に難しいことでも喧嘩になるようなことでもないと思いますけどなんでこんなことになってるの? 

 

 

・個人的にはどうでも良い派かな。作法、マナーと言われるけど、音など周りに不快にさせるものに比べると押し付けがましい気はする。 

元は意味・目的があったんだろうけど、今は過程が目的になってない? 

左利きの場合はどうするんだろう? 

左右逆? 

そもそも左利き自体が作法に反するみたいな着地にならない? 

少なくとも知らないと恥をかく様な場では、自分で並べることは無い気がするんだよな 

 

 

・家の中とか友達など内輪で言い合ってるのは構わないけど、何でもかんでも投稿するなって話。 

店での負の体験を投稿するなど、その最たるものだ。 

百歩譲って苦情ならまだしも、店員のちょっとした間違いを当人には伝えずに写真を撮って投稿。 

本当に世の中がおかしくなってる。 

 

 

・配膳の位置が決まっているのは、全盲弱視の方にもどこに何が配置されるのかわかる事で、障害がある方も安全に気をつけて自分で食事を摂ることが出来るので、意味ない事では無い。 

 

 

・ご飯茶碗は左手前に決まっているのは共通の認識だと思っています。 

ただお味噌汁は関東と関西では違うそうですよ。個人的には楽しく食べられればあまりうるさい事言いたくないかな 

 

 

・どっかの銀行だかのマナーで、ハンコ押す時に少し斜めに押して隣の印に頭を下げる形にするって聞いた。 

 

馬と鹿じゃないかと思いました。 

(こんな事やってるから日本の生産性が上がらないんだとも思った) 

 

マスコミにも原因があって、おかしな自称マナー講師の発言をテレビ的に面白おかしく取り上げてしまうのがいけない。 

 

 

・マナー論争っていうか、もう顔を合わせない赤の他人じゃなくてこれからもずっと一緒に暮らさないといけない夫婦の話でしょ? 

こういう地味なのが結構効いてくるからどうでもいいわって安易に流さないほうがいいと思うけどね。 

直さないならこれからも奥さんはずっと気持ち悪い思いをしながら一緒に食事を取らないといけないし、旦那さんも「俺はこっちの方が食べやすいんだよ」ではなく「もっと必要な教養がー」とかよくわからないことを言ってる辺り知識としてそもそも知らないんじゃないかとも思えるし、家の中ならともかく外で取引先なんかとの会食でそれをやると評価が下がる可能性もある。 

まあ旦那さんが左利きならまた話も変わってくるんだけど。 

同棲してみるとなんか違うわってよく聞くけどこれもその一例だと思うから、どっちもどっちだけどお互い不満を言い合うんじゃなくて妥協できるラインは探り合うべきだと思うわ。 

 

 

・正式な場でもないなら、なんだっていいんじゃないだろうか。 

気に食わなければ自分で好きな配置にすればいいし。 

おもてなしする時とか、公の場ではできるだけ作法を守ってするけどね。 

 

 

・マナーとは行為や結果にあらず、概念を所作に落としたものと理解してます。 

TPOに応じ相互に益ある所作としたり、対人の部分が大きい。 

ホリエモンの言い分を語るならマナーを語るなら○○のためだと説明しろとまでの要求した意見を発信すべき。 

少なくとも「代案無くして批判なし」というマナーから逸脱してる。こいつの言い分きかなさ故ナベツネみたいな人物になってきたな。 

ナベツネは選手ごときがという言葉残したけど似たようなもんじゃないか 

 

 

・マナーも大切だとは思うけど寛げない自宅とか嫌だと思うのはあると思う。 

新幹線の座席もマナーなんだろうけど寝てる相手に対しての気遣いガン無視するのはどうなんだろう 

なかにはルールを無視してマナー棒で叩いてくるような人も居る 

 

 

 

・指の神経の問題で箸の正しい使い方が出来ないことを説明するのにうんざりしているし、それを見て見下してるやつもいると思うと箸の正しい持ち方なんてマナー存在しなければどれほど良かったのにと思う。正しい茶碗の場所なんて概念存在しなければマナー違反なんてこともなくこんなことも起きないのに 

 

 

・人に迷惑を掛けない、人を不快にさせない、これが出来ていれば細かいマナーなんてどうでも良いと思いますけどね。 

細かいマナーっていうのは伝統芸みたいに誰かが受け継いでいけば良いんですよ。 

 

 

・新入社員のとき、マナー講習で挨拶の仕方を教えてもらいました。 

笑顔の作り方とか、お辞儀の角度とか、声の抑揚とか色々。 

ただ、挨拶のときマナー講師の目が全然笑っていなくて、逆にこんな慇懃無礼な挨拶は気持ち悪いなって思ったのを思い出しました。 

 

 

・堀江が新幹線でテーブルを出して飯食ってたり、パソコンで仕事してて、前のヤツが急にマックスに速く倒しても、ほんまに怒らんのかな? 

すいませんって言うて倒されたら、そんなに腹が立たないでしょ。それがマナーとちゃうの? 

声かけされるとき、おい、堀江!って若僧に言われても怒らんのかな? 

堀江さん、いつも拝見させていただいてますってコソっと言うのが、マナーとちゃうの? 

マナーって大事やと思うけどね 

 

 

・ご飯が左なのはマナーというより礼儀作法かな 

家で勝手に食べる分にはどうでもいいが、お店や写真でご飯が右にあると違和感がある 

そういう決まり事はちゃんとしてほしい 

 

 

・『マナーを他人に強要する人』って『価値観を他人に押し付ける人』と本質的には同じですよね。 

 

『皆がマナーを守れば、皆気持ち良いのだから守った方が良い』みたいな切り口で反論する人がいるみたいですけど、根本的な部分から勘違いしてるとしか言いようがないですね。 

『皆が同じ価値観(マナーを含めて)を共有できれば気持ち良い』のは間違いないですけど、その基準は人によってバラバラなのですから、それを皆で共有するのは現実的ではないんですよ。そして、それで(共有できなくて)良いんです。(少なくとも今の社会では) 

『人によって価値観が違う』『違って良い』という根本的な事すら理解できてない人がまだまだいるって現実が悲しいですね。 

 

 

・大体こういうのって指摘するのは女、男は気がついてもわざわざ言わないよね。 

ウチもそうでマナーとか以外にも電気を消してないとか色々指摘したがるのは妻。 

自分もちょいちょいそういう事には気が付くけど何10回かに1回忘れるだけだしいちいち指摘しなくても良いかなって感じで黙って消しておく。 

別に悪意があってやってる訳じゃないしね。 

 

 

・>要はみんな怖いのは怒られることであってですね、 

 

スマホを手にしてヤフコメをしだしてから、他人の目がより気になるようになった気がします。 

 

マナーはより自分をよく見せる一つの手段だと思ってますが、他人に怒鳴られたくないという思いはすごくあります。 

 

 

・まーなー。ただ、マナーなんて合理性のないモノの方が多いんじゃない? 

 

建屋の中で上着や帽子を脱ぐとか、 

ビールを注ぐ時のラベルの向きや両手か、 

名刺交換の手の位置、 

神前の二礼二拍手一礼、 

敷居を踏まない、 

事務机での飲食、 

下座上座、 

お店のドレスコード、 

 

合理性があるかないかで言えば大抵の場合でないだろう。 

でも、そもそも生きてること自体が合理性なんてないじゃん。 

合理性なんて理由になんないよ。 

 

要は文化なんだ。それを肯定する人も否定する人もいて、そう言う、見方捉え方が世の中あるって知っておくことは、社会生活上の合理性があると思うけどね。 

 

 

・食べられればなんでもいいです。 

 

飲食店で定食を注文すると、 

味噌汁はこぼさないにしたいので、腕が当たらない別の場所に移してから食べ始めますが、その程度です。 

 

堀江さんのコメントを読むのは好きです。 

苦言と書いてあるけど、まともな事を言ってると思うので。 

 

 

 

 
 

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