( 181005 ) 2024/06/15 16:54:51 0 00 最近、日本を訪れる外国人観光客たちがハメを外し過ぎていないか(写真はイメージです) Photo:PIXTA
● 富士山周辺、京都、全国津々浦々…… 迷惑外国人が増えすぎていないか?
外国人観光客の迷惑トラブルが毎日のように報じられている。
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富士山周辺では、ローソン越しの富士山が撮影できるスポットに観光客が殺到して危険だということで、苦肉の策で道路に黒い目隠し幕が設置された。京都では舞妓が「パパラッチ被害」に遭ったほか、八坂神社では参拝した外国人観光客が、鈴を乱暴に振り回して注意した人と口論になったという。
もちろん、こういうトラブルはかつて日本人観光客も欧州やハワイで山ほどやってきた。現地メディアから「バーバリアン」(野蛮人)などと問題視されたこともあるので「お互いさま」という側面もあるのだが、ここまで外国人観光客がハメを外すのは、別の要素もある。
それは「日本人をナメている」ということだ。
外国人観光客はガイドブッグやネット・SNSで、ある程度日本文化の予備知識を入れてくるのだが、その中で「おもてなし」という言葉とともに日本人は「チップをもらうわけでもないのに、とにかくゲストをもてなすのが大好きなサービス精神の塊のような人たち」とかなり盛った説明をしていることも多い。
つまり、外国人観光客がやりたい放題やっているのは、「日本人っておもてなしの精神があって、外国人観光客が好きで好きでたまらないから、ちょっとくらいハメを外しても怒らないでしょ?」とタカをくくっているところもあるのだ。
それがよくわかるのが、6月10日のニューヨークタイムズ「Japan Likes Tourists, Just Not This Many(日本は観光客が好き。これほど多すぎなければ)」という特集記事だ。
https://www.nytimes.com/2024/06/07/world/asia/japan-mount-fuji-kyoto-tourism.html
タイトルからして、「日本人=外国人観光客に優しい国」というイメージを読者に与えていることは言うまでもないが、さらに注目すべきは記事中では日本のことを「本来は心からゲストを気遣い“おもてなし”の精神を誇りにしている国」と説明していることだ。
ここまで言われたら、日本旅行を検討している外国人たちは思うだろう。「そっか、日本って国には、外国人ゲストのワガママを最大限許してくれる執事のような人たちがたくさんいるんだな」と。
つまり、今日本全国の観光地で問題になっている「観光公害」というのは、世界に対して「お・も・て・な・し」などと言って、日本のホスピタリティの高さを過度にアピールしてしまったことも原因なのだ。
そう聞くと、「アピールも何も“おもてなし”は日本の文化なのだから、しょうがないだろ」と不愉快になられる方も多いだろうが、実はその認識は間違っている。
● 日本にはもともと 「おもてなし」の伝統などなかった
日本は伝統的に「おもてなしの精神」を誇りにしているような国ではない。少なくとも、観光業や接客業で「おもてなし」が唱えられたのはせいぜいこの30年程度の話だ。バブル崩壊以降、いわゆる「失われた30年」に突入して、国内観光業が大きく衰退したとき、起死回生のマーケティングとして打ち出したのが「おもてなし」である。
事実として、これまで日本の歴史の中で「おもてなし精神」などというものが語られたことはない。よく「おもてなしは古くは源氏物語にも掲載されている」なんてことが言われるが、それは単に「自宅に客が来たときにもてなす」ということを意味している。だから、近代になると「おもてなし料理」という言葉が生まれた。
それが「外国人を迎える」というニュアンスで使われるようになったのは戦後の「外交の場」である。と言っても、別に日本人の精神性を示すようなものではなく、単なる外交辞令だ。わかりやすいのは、旧ソ連のゴルバチョフ書記長が来日したときのこんなスピーチだ。
「私の妻と私個人から天皇、皇后両陛下、日本政府、日本国民の温かいおもてなしと歓迎に心からお礼を申し上げます。(中略)やはり温かいおもてなしで有名な自国民を代表して、陛下のご都合のよい時機に私たちの国をご訪問頂くよう天皇、皇后両陛下をご招待申し上げます」(読売新聞1991年4月17日)
ゴルバチョフ氏が「ソ連国民のおもてなし」を誇らしげに語っているように、ゲストを気遣ってもてなす文化は世界中のどこにでもある。海外でバックパッカーなどをやった人などはわかるだろうが、欧米社会でも外国人の旅行者を温かくもてなすような文化はある。
筆者も若いときに中東を貧乏旅行したが、色々な国で自宅に招待されて泊めてもらった経験がある。つまり、「おもてなし」というのは日本だけの専売特許ではないし、ましてや日本の観光業や接客業の強みとしてアピールされるようなものではなかったのである。
もちろん、高級ホテルや高級レストランでは「王族をおもてなしするような高品質なサービスを提供します」といった感じで、外交辞令で使われる「おもてなし」を宣伝文句に流用することも、なくはなかった。しかし、今のように「おもてなしは日本の文化」というような盛った話を、世界にふれまわることはなかった。
それが大きく変わるのが、バブル崩壊後だ。
1990年代後半から観光業や自治体などが急に「おもてなしの心」を唱え始めるようになる。わかりやすいのは、1998年4月に静岡県熱海市が『おもてなしマニュアル~芸妓・ホステス編』を2000部作成して、芸者置き屋に配布したことだ。
2000年10月には京都商工会議所が中心になって、77の関連団体と設立した「観光サービス向上対策連絡会議」が、同じく接客のノウハウをまとめた『京のおもてなしハンドブック』を作成した。
この頃になると、「おもてなし」は観光業界のバズワードになる。たとえば、2001年6月、静岡県下田市が観光業者を対象にした接客研修「下田市観光おもてなしプログラム」を実施している。
ここまで言えばもうおわかりだろう。今、日本中の観光地で叫ばれている「おもてなしの心」や、IOC総会での東京オリンピック誘致で、滝川クリステルさんがプレゼンした「お・も・て・な・し」というのも、すべてはバブル崩壊後、1990年代後半に誕生した、かなり新しい概念なのだ。
● 「おもてなし」が唱えられたのは せいぜいバブル崩壊後のこと
さて、そこで不思議なのは、なぜこの時機にそれまでは誰も唱えていなかった「おもてなし」が急に叫ばれるようになったのかということだが、実はそれには「国内観光業の低迷」が関係している。
平成24年度の『観光白書』の中に、バブル崩壊後、経済の冷え込みで観光業が厳しい状況に陥ったことが、データで語られているので引用しよう。
《国内宿泊観光旅行1回当たりの国内宿泊観光旅行の平均費用額を見ると、平均費用額が最も高かったのはバブル期であり、20代の1回当たりの旅行の平均費用額は1986年には約4.5万円であったが、バブル崩壊後の1998年には約3.3万円にまで落ち込んだ》
《若者が国内宿泊観光旅行に行かなくなっている傾向は、国内宿泊観光旅行の平均回数の減少からも見て取れる。全年齢平均では1994年から2010年にかけて1.43回から0.93回に減少しているのに対し、20代は1.86回から0.89回と大幅に減少している。このように若者の国内宿泊観光旅行回数が1990年代半ばから2000年代に急激に減少した背景としては、1990年半ば頃に活発になったスポーツを目的とする旅行、特にスキー旅行が、その後落ち込んだ影響等があると考えられる》
このような背景を知れば、「おもてなし精神」とやらの正体が見えてきたのではないか。バブル崩壊で日本の国内観光は大打撃を受けた。若者がかつてのように泊まり込みでスキーや海水浴などに行かなくなり、海外旅行にも流れてしまっていたからだ。
閑古鳥が鳴くような観光地も出てきた中で、起死回生のマーケティングとして唱えられたのが「おもてなし」だ。観光や接客に関わる人たちが、ホスピタリティが高く、サービス精神があるということをアピールして、離れてしまった日本人観光客を呼び戻そうとしたのである。
● 単なる根性アピールが 世界に発信されてしまった悲劇
ちなみに、これは日本社会の「あるある」でもある。苦しくなってくると具体的な問題解決を提示するわけでもなく、「ふわっ」とした精神論を唱えて「スポ根マンガ」のように気合いで乗り切ろうとしがちである。「絆」とか「1億総活躍」などはその典型だ。
つまり、「おもてなし精神」というのはもともと、観光業に携わる日本人が、同じ日本人の観光客へ向けて「我々は死ぬ気でサービスします」と「根性アピール」をしたようなものなのだ。
そんな「おもてなしマーケティング」は観光業者にもてはやされた。「おもてなし精神」というあくまで心の問題なので、特殊技能が必要なわけでもないし設備投資もいらない。単刀直入に言ってしまうと、日本人の「情」に訴えた集客方法なのである。
そういうドメスティックな観光戦略が、東京オリンピック誘致やインバウンド推進もあって世界に発信されてしまったということが、今回の悲劇の始まりだ。
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