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私は生きることを諦めた―― “安楽死”を選択した男性、耐え難い激痛の日々 声をあげて泣く妹へ「強く生きて」

TBS NEWS DIG Powered by JNN 6/15(土) 18:03 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/6aa9781271af5e5121a2c83cb4ace01425184e22

 

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記事では、スイスで安楽死を選んだ2人の男性、プライシック医師とジュリアン・クレイさんに焦点を当てている。

プライシック医師は安楽死団体「ライフサークル」に所属し、ジュリアンさんは車の事故で四肢麻痺になり、苦痛に耐えかねて安楽死を選んだ。

クレイさんの死後、彼に影響を受けた人々の様子が取材されており、クレイさんが遺したメッセージや想いに触れられる内容だ。

(要約)

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プライシック医師とクレイさん 

 

スイスのある施設のベッドに横たわったその男性は、40年にわたる生涯を自ら閉じ、旅立とうとしていた。枕元のスマートフォンからは、自身が最期に選んだ曲「ラ・リベルテ(自由を)」が流れている。医師は点滴に致死薬を投入し、その準備を終えた。 

 

【映像】「安楽死」を考える 「生きるのを諦めた」男性の選択、スイスで最期を迎えた日本人、「生を選ぶ社会に」難病患者の訴え【報道特集】 

 

医師:「この病院に来た理由は何ですか」 

男性:「安楽死するためです」 

医師:「点滴を開けたら、何が起こるか理解していますか」 

男性:「静かに眠りに入り、数分後に心臓が止まります」 

医師:「そうです。あなたの心臓は止まって死にます」 

男性:「はい」 

 

四肢麻痺の男性は、鼻で点滴のストッパーを開けた。致死薬が体内に徐々に投入されていく。やがて、彼は永遠の眠りについた。つい先ほどまで、私に笑顔を見せて話してくれた男性が、わずか数分後に眠るようにして亡くなってしまう現実。目の前で展開された「死」を、私は現実として実感することができなかった。(TBSテレビ 西村匡史) 

 

ジュリアン・クレイさん 

 

「ボンジュール。ジュリアンです。初めまして、よろしく」。2022年6月、フランス南部ペルピニャンの病院に入院していたジュリアン・クレイさんは、初めて訪ねた私を笑顔で迎え入れてくれた。 

 

市役所の職員として森林を管理する仕事をしていたクレイさんは、32歳の時に交通事故で脊髄を損傷し、首から下の自由を失った。慢性的な痛みに悩まされ、軽減するための手術を複数回受けたが、効果はない。膀胱を除去した手術後はさらなる痛みに襲われた。 

 

「刺すような、燃えるような、電気ショックを受けているような痛みです。2,3日間続けて眠れずに一晩中、泣くこともあり、気が狂いそうになります」 

 

同居する両親に何度も「殺してくれ」と頼んできたという。 

 

「医者は痛みをとると約束したのに、できませんでした。私は生きることを諦めたのです」 

 

ジュリアン・クレイさん 

 

2022年7月、クレイさんは共にリハビリを続けてきた仲間たちに付き添われて、車でスイスに向かっていた。フランスでは安楽死が認められていないため、海外からの希望者も受け入れているスイスの団体を探し続けた。そして、2か月前にスイスのある団体がクレイさんの受け入れを決めたのだ。 

 

ペルピニャンを発って11時間後、一行はスイスのバーゼルに到着した。 

 

一夜明けてクレイさんの体調が急変した。長時間での移動に伴う疲労から高熱が出て、吐き気を催し、息も絶え絶えになっていく。呼吸不全が起きたため、看護師が腹部を突き上げ、気道を拡げる応急処置を行った。苦痛で顔を歪めたその表情は、痛みを背負いながら生きてきた9年の歳月の重さを私に感じさせた。 

 

 

プライシック医師とクレイさん 

 

翌日、体調を少し持ち直したクレイさんのもとに、安楽死団体「ライフサークル」の代表、エリカ・プライシック医師がやってきた。ライフサークルは、2011年に設立されたスイスの団体の1つで、海外からの希望者も受け入れている(現在は新規会員の受け入れを終了)。ここに会員登録しているクレイさんは、医師による審査の結果、許可が下りれば安楽死することができる。 

 

ライフサークルが定めている安楽死の要件は「耐え難い苦痛」、「回復の見込みがない」、「治療の代替手段がない」、「明確な意思表示」の4つだ。「耐え難い苦痛」は肉体的な痛みである必要はなく、精神的な痛みも含まれる。プライシック医師は、クレイさんとの対面での審査や別の医師の意見も踏まえて、4つの要件を満たしていると判断し、安楽死を許可した。 

 

「本当は安楽死よりも治してあげたいのだけど、治療の方法がありません」 

 

そう話すプライシック医師に対し、クレイさんはこう答えた。 

 

「私を死なせてくれるのが治療なのです」 

 

ジュリアン・クレイさん 

 

安楽死の選択に迷いはないが、クレイさんは9年間、献身的に介護してくれた両親を残して旅立つことだけが心残りだった。父は高齢で末期がん、母は父の看病があるため、スイスまで来ることができない。2人は「フランスに安楽死法があれば、息子を看取ることができたのに」と悔やんでいたという。 

 

クレイさんの胸には、両親と、4人兄妹の中でも最も可愛がっていた末妹の名前がタトゥーとして彫られている。その名前の下には「どんなに感謝しても感謝しきれない」というメッセージが入っていた。「一緒に旅立ちたいという思いから、タトゥーを入れました」 

 

末妹のブランディーヌさんは、兄の反対を押し切り、家族の中で唯一人スイスまでやってきた。当初は兄の決断を「自分たちを捨てて旅立つ」と感じ、受け入れることができなかったが、次第に「利己的なのは自分であり、兄の決断を尊重しなければならない」と考えるようになったという。 

 

ブランディーヌさんは平静を保とうと努めていたが、安楽死の許可が下りると堪えきれずに、椅子から立ち上がった。兄の方に向かっていき、抱きしめ、その胸に顔をうずめて声を上げて泣いた。 

 

 

ジュリアン・クレイさん 

 

安楽死当日の朝を迎えた。前日は雹が降るほどの荒れた天気だったが、この日は嘘のように空が晴れ渡っていた。 

 

誓約書への署名を終え、安楽死の準備が整う。ベッドに横たわったクレイさんは、共にリハビリをして励まし合ってきた仲間たち一人一人に対して、最後の別れの言葉を告げた。 

 

フランスに残してきた両親とは、スマートフォンで最後のテレビ電話をつないだ。重い病気と高齢のために、スイスで息子を看取ることができなかった両親の無念さを、クレイさんは十分にわかっていた 

 

クレイさん:「もしもし。今、準備しているところ」 

父:「そうか」 

クレイさん:「さよならだね」 

父:「うん」 

 

最後の別れを前に、父は言葉を返すことが精一杯のようだった。 

 

クレイさん:「二人を本当に愛している」 

父:「うん。俺たちもだ」 

クレイさん:「さよなら」 

父:「さよなら」 

クレイさん:「本当に愛している」 

母:「私たちもよ」 

 

クレイさんは投げキッスを送り、両親に別れを告げた。 

 

ストッパーを開けるクレイさん 

 

致死薬が点滴に投入された。スイスでは医師が患者に薬物を投与して、死に至らせる行為は禁止されているため、処方された致死薬を、患者本人が体内に取り込む必要がある。四肢麻痺のクレイさんは点滴のストッパーを自身の鼻で開けて安楽死することになる。 

 

妹との別れの時が近づいていた。「大好きだよ。気をつけるんだよ」と、妹の行く末を心配する兄の涙が頬を伝う。クレイさんは妹にトラウマを残さないため、最後の瞬間だけは立ち合わないよう伝えていた。「愛しい妹よ。そろそろ逝かなければ。音楽を聴けるように準備してくれ。音楽を聴きながら死ねるように」 

 

ブランディーヌさんがスマートフォンで音楽をかけて枕元に置く。流れたのは「ラ・リベルテ(自由を)」。クレイさんが苦しい闘病中に何度も聞いていた曲だ。兄妹は別れのキスを交わし、ブランディーヌさんは、振り返ることなく部屋を立ち去った。 

 

ライフサークルのスタッフが、警察に提出するためのビデオを撮影する。プライシック医師によるクレイさんへの最後の質問が行われた。 

 

プライシック医師:「あなたの名前は」 

クレイさん:「ジュリアン・クレイ」 

プライシック医師:「この病院に来た理由は何ですか」 

クレイさん:「安楽死するためです」 

プライシック医師:「それがあなたの最後の願いならば、点滴のストッパーを開けてもいいですよ」 

 

クレイさんはそっと目を閉じ、「ラ・リベルテ」を噛みしめるようにして口ずさむ。そして、鼻でストッパーを開けた。致死薬が体内に投入されていく。2分後、「眠くなってきた」と呟き、小さないびきをかいた後、息を引き取った。 

 

 

マリンさん 

 

安楽死を遂げてから1年。クレイさんの死は、スイスで看取った人たちに何を残したのか。2023年7月、私は再びフランスを訪ねた。 

 

全身の筋肉が徐々に衰えていくALS患者のマリンさんは、闘病中のクレイさんと安楽死について、夜を徹して何度も語り合った。 

 

最後の別れの際、クレイさんは「あきらめるな、生き続けろ、強くあれ。ここで人生が終わるわけではないのだから」という言葉を残してくれたという。マリンさんは「彼のアドバイスを聞き、私は最善を尽くして生きようと思っています」と話す。 

 

キリアンさん 

 

事故で腰から下の自由を失い、生きることに絶望していたキリアンさん。クレイさんは「絵が上手なお前の才能を活かせ」と、タトゥー彫り師になる道を勧めてくれた。兄貴分のクレイさんに贈ってもらった道具を大切そうに手に取り、私に見せてくれた。 

 

「私が彫り師になって生きがいを持てるように、彼は自分の身体まで実験台として提供してくれました。『頭から足の先、全ての皮膚をお前のために使ってくれ』と。彼が亡くなった時に、自分はもっと頑張って生きなければと勇気づけられた気がします」 

 

ブランディーヌさん 

 

クレイさんの末妹、ブランディーヌさんの自宅には、兄の写真立てが置かれ、花が添えられていた。私が訪ねたこの日の前日は、クレイさんが亡くなってからちょうど1年だった。 

 

「兄の安楽死を受け入れることは難しいことでしたが、彼に残された唯一の選択肢だったと、1年経ってやっと思えるようになりました。そう思えるようになってから、四肢麻痺だった兄が元気に歩いている夢を見ることができたのです。私の心が少し落ち着きました。兄は私が強く生きて、幸せになることを、心から願っていました。幸せな人生を謳歌できるよう、私を見守ってほしい。私は兄と二人分、生きていくからです」 

 

クレイさんと西村記者(右端) 

 

「自分のような1人の人間の死でも、日本人に安楽死を考えてもらえるきっかけになるのは嬉しいんだ。命が活かされることになるのだから。あんたに会えてよかった。しっかり伝えてくれよ」 

 

最後の晩餐で、私に託してくれたクレイさんの思い。その時の彼の温かな眼差しは、今も私の心を捉えて離さないでいる。 

 

私がクレイさんと共に過ごしたのはわずか5日間にすぎない。だが、フランスからスイスまでの車中を含め、非常に濃密な時間だった。彼は自身が生きた40年の命を精一杯、伝えようとしていたし、私もその命の輝きを一瞬たりとも逃すまい、と目を凝らし、耳を傾けた。いつしか、5歳年下の彼に対して、友情のような気持ちすら芽生えていたことを覚えている。「明日が彼との永遠の別れになるのか」。胸が張り裂ける思いをしながら、二人でピザを食べたことを思い出す。 

 

クレイさんは幼い頃から、家の外を駆け回って遊ぶ元気な子どもだった。近所の家の郵便物を一か月間、全て抜き取って隠したり、カエルをテープに巻き付けて太陽にかざして眉間に皴が寄るかを実験したりするなど、いたずら好きの面もあり、その度に両親からこっぴどく叱られたという。森林を管理する仕事を選んだのも、山中を駆け巡って猟をできるのが楽しかったからだ。そんな彼が交通事故で四肢麻痺になり、自由を制限される生活を余儀なくされた苦しさは察するに余りある。 

 

事故後は、なんとか生きる道を模索して懸命に努力してきた。立ちはだかったのは「痛み」という壁である。夜、眠ることができないのは、彼にとって「逃げる場がない」ことを意味した。 

 

誤解なきように記しておきたいが、彼は「生きる」ことの尊さを信じていた。安易に安楽死を賛美することには加担しなくない、という思いが強くあった。その一方で、安楽死を選択せざるを得ないほどの痛みや苦しみを抱えた人がいるのに、自分事として捉えずに見て見ぬふりして法制化やそれに至る議論さえしない国や社会に憤りを感じていた。 

 

「自分は痛みから安楽死を選択せざるを得なかったけど、お前たちには頑張って生きる道を模索してほしい」。それが愛する妹や友人へ残した最後のメッセージだった。 

 

* * * * * 

 

西村匡史 

TBSテレビ「報道特集」記者。2003年入社以来「いのち」をテーマに追い続ける。社会部、NEWS23を経てロンドン特派員として安楽死を取材。著書に「悲しみを抱きしめて 御巣鷹・日航機墜落事故の30年」(講談社)、映画監督として「"死刑囚"に会い続ける男」、「さっちゃん最後のメッセージ 地下鉄サリン被害者家族の25年」を制作。TBS NEWS DIGの特集記事「安楽死を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者」で、LINEジャーナリズム賞(24年2月~4月期)を受賞 

 

※この記事は、TBS テレビと Yahoo!ニュースによる共同連携企画です 

 

 

( 181059 )  2024/06/15 23:55:34  
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(まとめ) 

多くのコメントからは、激痛や苦しさに耐えながら生きることの辛さや安楽死の必要性についての共感や理解が感じられます。

個人の尊厳や意思を尊重し、患者や家族が最期を迎える際に選択肢があることの重要性が強調されています。

安楽死を合法化して、患者や家族が人道的かつ尊厳な最期を迎えられるような社会づくりが求められています。

また、日本でも安楽死に関する議論が進むことや施行する制度が整備されることが望まれています。

自己決定権や尊厳を尊重し、人々が望む最期を迎えることができる社会を実現するために、安楽死に対する理解と議論が求められているようです。

( 181061 )  2024/06/15 23:55:34  
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・家族を癌で亡くしたけど、末期は緩和ケア病棟でずっとモルヒネの点滴で眠らされていた。 

たまに目を覚ますと苦しそうに「痛い」「辛い」「死なせて」しか言わない。 

で、またモルヒネが追加される。 

 

医師は日本で出来る最大限のことをしてくれたと思うけど、何のための治療なのか…?分からなかった。 

亡くなったときも悲しみより「やっと楽になれて良かった…」とホッとした気持ちの方が強かった。 

 

もし日本に安楽死の制度があったら選択したかもしれない。 

本人の最期の意志を尊重できる選択肢が日本にもあったら…と思う。 

 

 

・医療的に回復する見込みがなく、ただ痛みや苦痛に耐えるだけの人生は肉体的、精神的に計り知れないストレスですね。そこから、解放されたいって思うのは人の心理として自然なのかなって思います。もし、私もその立場ならば、安楽死を選択するだろうからね。周囲の理解も必要ですが、何よりも本人が納得した上で人生の幕を下ろせるかが一番重要ですからね。安楽死という選択肢もある事を多くの方に認識してもらい、そうした議論が進む事を願います。 

 

 

・この人の場合、40年間と言う長い月日を一生懸命生きてきたって事は、とてもすごい事だと思います。何も耐えずに少しも我慢できなくて、亡くなったわけではないと言う事。 

こうやって、死を迎えた人をみて間違えてほしくないのは、簡単に命を立つのはよく考えてからにしてもらいたいです。 

もしかしたら、生まれ変わりなどなくこれが自分が生きているもっとも輝かしい人生なのかもしれないという事を、考えてほしいと思います。 

 

 

・自分も信号停車中に追突事故に遭い脳に損傷を負った者です。一日中身体に痛みや違和感があり特に夜になると2〜3分しか眠れずウロウロと部屋の中を徘徊し2〜3時間後位にまた2〜3分寝れてまたすぐ眠れず目が覚めてその繰り返しで20日間位に苦しみました。その後に薬を変えて効果があります眠れる様になりましたが受け入れてくれる病院自体がほぼ無くてもう死んだ方が楽に成れると本気で考えた位です。何十年も闘ってきたこの方は凄く強い方だと尊敬すら思います。最後は苦痛を取り除く方法が死という事しか無く仕方の無い選択だと思います。自分が事故に遭いこの様な経験が無ければ何故死を選ぶ?残される者の事すら考えず自分が楽になる事だけ考えている情け無い我儘な奴だな!と思っていたでしょう。この方のご冥福並びにご家族の穏やかで平穏な日々をお祈りいたします。 

 

 

・今まで安楽死に賛成だった。自分がそうなったら選ぶから。先日安楽死のドキュメントを見ていたらほんとに正しいのかわからなくなった。ただ今回この記事を読んでやっぱり賛成と感じた。正解はないのだと思う。ただ本人が悩んで苦しんで決めたことは出来るだけ尊重して欲しいと思いました 

 

 

・祖母は足を悪くし入院してから寝たきり状態となりました。 

高齢でも頭はクリアな人でしたが、歩けなくなると一気に痴呆が進み、食事すら自分で取れなくなりました。そうなると胃瘻〔いろう〕といって鼻から管を胃まで通して液体状の食事を入れます。 

 

胃瘻まで症状が進むと呼びかけても反応は無く、植物状態に近かったのを思い出します。ただ、もちろん生きているので排泄もしますし汗もかきます。自宅での介護なので24時間介護でした。 

昼間はヘルパーさんに来てもらい介護を手伝ってもらいますが、夜や週末は家族が介護する訳です。 

補助は出るものの、ヘルパーさんの費用や1.2ヶ月に一回程度寝たきり用のお風呂を介護業者さんに頼んでいた費用は家族負担です。 

 

私は大学生でしたが、家族が負う負担も想像を絶する状態で、祖母が亡くなったとき悲しみより安心したような心境でした。安楽死の議論は必ず必要になると思います。 

 

 

・麻痺して動かなくとも、痛みがなければ死のうとは思わなかっただろう。 

劇痛に苛まれるのに、生きろとは酷過ぎる。 

家族が末期がんで、腹水もたまり、副作用で痛みにのたうち回ってなくなった。 

 

いつ果てるとも痛みに苛まれながら、生きるなんて地獄だ、私も安楽死を選択すると思う。 

 

 

・治る見込みがあるのなら、治療はアリだと思う。 

でも完治しないコト、激しい苦痛を感じるコト、精神的にも辛いなら解放されることを望むのは悪いことではないと思う。 

麻痺して動けないのは日常を普通に生活してた健常者にとっては本当に辛いものだと思う。 

入院して絶対安静になって自由が奪われたことがあるから僕は安楽死には賛成です。 

日本にも導入してほしい制度だと思う。 

 

 

・スイスに行けば簡単に安楽死を選択できるとイメージされがちだが、きちんと「条件」があることを知れた。 

自ら命を終わらせることができず、いつまでその激痛が続くかもわからない方にとって、安楽死という選択はひとつの希望であるのではないか。 

安易に命を終わらせる訳ではないのだから、「安楽死」は日本でも選択肢として認められたらいいのにと思う。 

 

 

・反対する人がいるのは当然だけど、妹さんの「私たちのエゴかもしれない」という一言に尽きると感じる。本人の苦痛は本人にしかわからない。本人が覚悟を持って望むのであれば、その選択は認められるべき事だと思う。 

私は、自分で決断出来る状況ならば安楽死を望むだろうし…自分では決断できないのであれば延命治療全てを拒否する事を元気なうちに家族に伝えておこうと思う。実際子どもたちには伝えてある。 

家族が私のことで大変な思いをしてほしくはないという思いと同時に自分の最後は自分で決めたい。その願いが叶う社会であって欲しい。 

 

 

 

・私は癌ステージ4患者です。既に耐え難い痛みがあり放射線治療で今は落ち着きました。でもこれはあくまでもとりあえず治療で暫くするとまた痛みがでてくるらしいです。私はもう二度とあの痛みを味わいたくないです。そしてまたいつあの痛みが出てくるのかという恐怖に怯える日々をすごすのも辛いです。なので、今のうちに緩和ケアの方へ手続きを進めています。緩和ケアに入った所でどうなるのか本当に痛みで地獄の苦しみから解放されて死ねるのかは分かりません。そんな恐怖に怯えながら過ごさなければならないと考えると今のうちに自死という言葉が浮かんできます。でも本当は自死はしたくない。でも痛みに苦しみながら外観も顔つきも変わりながら死んでいきたくもないのです。今まで苦しんだ分最後位は暖かいベットで家族に見守られながら安らかに眠りにつきたいのです。 

安楽死が選択出来たら気持ち的にも救われる人は沢山いると思います。 

 

 

・素晴らしい記事だった。胸に刺さった。 

 

私事だが今年4月から望まない出向で、馴れない仕事を長時間拘束される日々が続き、正直な気持ち「死ねたら楽だ」と思う時もあった。愛する家族がいるから、なんとか精神的に持ち堪えている。 

 

この記事を読んで気持ちが軽くなった気がする。 

生と死は正反対ではないのだと思った。 

生きているからこそ、みな少しづつ死に向かって歩いている。そして、例え死を迎えたとしても、その間を精一杯生きたのなら、きっと誰かの心の中で生き続けることができる。 

 

今を誠意一杯生きていきたくなった。 

 

 

・時々起こる発作で「意識がなくなれば楽なのに」 

「いい加減この苦しさから逃れたい」と強く思いながら過ごしています。 

病院へ通って治療しても発作がなくなることはないので、生きるのがしんどいです。 

 

今後この発作が更に酷くなった時に、 

生きるのを頑張れる自信がありません。 

その時に安楽死の制度があれば、 

「いざとなれば楽になれる」と希望になり、 

最後の最後まで頑張れるかもしれません。 

 

絶望的な痛み苦しみの中で「寿命まで生きたい」と思える人がどれだけいるか分かりませんが、 

耐え難い苦しみを伴う病気には生死の選択が出来てほしいです。 

 

 

・家の妻は脳内出血で発見が遅く今も施設でお世話になってます。 

倒れてから3年は過ぎましたが胃瘻や気管切開は取れ回復傾向ですが右側の手足は麻痺で動かず記憶も少し失われている感じです。 

本人のモチベーションが上がらずこんなになって何にも出来ないと泣く事も有ります。 

今はモチベーションを保つ為家族皆んなで元気付けてます。 

 

本人も大変ですが家族も色々な面で大変だったと思います。 

強く生きて!この一言に沢山の思いが詰まっているんだと思います。 

ご冥福をお祈りします。 

 

 

・安楽死を認めないということは、終わりのない痛み苦しみの地獄を味わいなさい、と拷問のような日々を押し付けることだと思います 

 

安楽死を認めれば、不用意に自殺して事後の処理で周りにも迷惑をかけることは減るでしょう 

また、安楽死の相談をしている中で、苦しみから抜け出す他の方法が見つかる人も出てくるかもしれない 

自分の終わり方について、周りの人と共有できるというのは大きなメリットです 

 

 

・人生はその人のものであるべきで、どのように生きてどのように最後を閉じるのかはその人だけが決めるべき事だと思う 

 

日本には年間2万人の自殺者がいる。その数に含まれない死にきれなかったが障害を負ってより苦しい人生を歩むことになった人や自殺に至るまでに想像を絶する苦しさを感じた人もいるはずで 

 

最も苦痛を感じずに死ねる方法があるならばそれを可能にする事が高度な倫理観上の答えだと思う 

 

 

・死にたいと心の底から思ったり、実際に死のうとしたことがある人ならわかるかも知れない。死ぬことは時にこわいことではなく、それ以上に辛い何かを背負った人生を終わらせて楽になるためのものだったりもすること。そういうケースもあるのだと思う。命は大事でたったひとつしかなく、変わりなんてなく、自分だけではなく誰かにとっても大事なもの。それを知っていても堪えきれない痛みが存在してしまうなら、安楽死というものに慎重に向き合って考えていくのは良いことだと思います。その家族の立場に自分が置かれてみれば、それもまたもちろん耐え難い辛さがあるけれど、どうかひとりひとりの痛みが尊重されて欲しいです。 

安楽死が時に救いになるなら、それを認めてくれる場所が身近ではなくてもどこかにあって欲しいと願います。 

 

 

・私も脊損(正確には脊髄炎)で身体障害者手帳体幹1級下肢1級を所持しており所謂下半身不随です。 

 

記事の中にあったクレイさんの「刺すような、燃えるような、電気ショックを受けているような痛み」は私も全く同じです。 

 

神経障害性疼痛薬のプレガバリン及びミロガバリンは残念ながら何の効果も無く、痛みに耐えるだけの日々です。 

二年に及んだ入院生活中は幾度となく心が折れそうになりつつ、リエゾン療法を受け、看護師に動かない足をさすってもらい立ち直ってきました。 

 

この先いつまで続くかもわからない絶望の日々ですが、私は生きることを諦めません。 

尽力してくださった医師、看護師、理学療法士、重度訪問介護、何より片親で私を育ててくれた母の為にも最期まで精一杯生き抜いて天寿を全うします。 

 

コメントの中に同じ様に苦しんでいる方々が散見されました。 

共に頑張りましょう。 

貴方を大切に想ってくれている方々のために。 

 

 

・現代の医療であれば、かなりの確率で治癒可能か、不可能か、不可能であれば余命はどのぐらいかを予測できます。 

日本では助からないと分かって延命治療を拒否したとしても、苦痛と恐怖の中で絶命するまで、せいぜい緩和治療を受けるぐらいです。 

日本も早く安楽死を合法化して、本人の意思に基づいて適切な処置を行って貰いたいです。 

尊厳死と言う言葉がありますが、死ぬと言う最も厳粛な時間を、苦痛や恐怖なく安らかに迎えられる尊厳を守る事こそ大切なモノだと思います。 

 

 

・医療従事者です。以前がん末期日本人女性の安楽死の記事を読みました。 

幼い子どももいる中での決断でした。 

ご本人にしか分からない決断までの葛藤を思うとご本人の意志を尊重すべきと思いましたが、改めて今回の記事やコメントを読んでなんとも言えない気持ちになりました。 

人にとって一番辛いのは「痛み」と言われています。 

体の痛みがあるとないとでは、その人らしく生きられるQOLがものすごく変わると言われています。がんによる痛み、脊椎損傷などの神経の痛みなど痛みのコントロールがもっと上手に図られるようになれば安楽死という選択をしなくても良くなるのではないか…と考えさせられました。 

 

 

 

・日本はアメリカやドイツなど欧米でも法制定されてない国も少なくない「生存権」が法規定されているので、何が何でも国が生かさなければいけなくなっていますね 

満足に生きる権利を国が与えなければいけないのだから社会保障費は膨れ上がって当然だし、死にたい人も死ぬ権利など与えられない安楽死など絶対に認められない 

法改正だなんだと言いますが、こういうもっと根深い部分も法改正で触れてほしいです 

 

 

・患者の家族も初めのうちは甲斐甲斐しく面倒を見てくれたり面会に来てくれたりするが、だんだんと介護や金銭面、時間的負担などで苦痛に変わってくるのが多い。自分が家族の生活の支障にもなって、それを感じてしまう患者本人も辛いでしょう。そして自分が亡くなった後にも負債として生きていく家族に残ってしまうのも耐えがたいものです。 

お互いに家族と思っていられる内にも必要だとは思う。金銭的にも裕福な部類の一部の方が道徳を持ち出し綺麗事を言いますが、患者本人の尊厳を守ってあげてほしい。 

 

 

・絶え間ない痛みに苦しみ、死を選ばざるを得ない人達がいる反面、老人ホームには何もすることが無いから死にたいと望む人が多いと言う。 

実母を認知症クリニックに連れて行って医師に話を聞くと、七夕の老人ホームの短冊の8割は「早く死にたい」と書いてあるらしい。かく言う実母も二言目には「眠るように早く死にたい」 別にどこも体は悪くないのに、だ。 

 

「どう死ぬか」を突き詰めれば「どう生きるか」にたどり着く。まさに黒澤明の「生きる」だ。 

老人ホームの8割にはなりたくない。 

 

 

・私も四肢が完全にマヒして、予後がどうなるかわからない時、呼吸器もついていたのでその苦しさも言えず、どうやって自分で命を絶とうか本気で考えました。 

 

この方の気持ちはわかるととても言えないが、本当に長い間闘病生活を強いられ、苦痛に耐えきれない状態ならば、延命処置で生かされている意味がどうしても受け入れがたいのだと思います。 

 

なんともやりきれない気になります。 

 

 

・私の母親も昨年スイスで安楽死しました。今回の記事内容と全く同じ理由からでした。初めは私は反対でしたが妹と母が早くから万が一に備えてスイスの団体の会員になってたことは後で知りました。母が自分の強い意志で決断したのと安楽死の諸条件もクリアしていたので最後は認めざるを得ませんでした。毎日耐え難い痛みに苦しむ母親を見て、何とか治療方法はないものか?と奔走しましたが地方に住んでいて病院の選択肢も限られていた中、お医者さんがどこまで真剣に母親の状況を把握してくれていたのか?今でも疑問は残ったままです。その中で母親が安楽死を選択したのは間違っていなかったと思っています。母親と同じような苦しみを持っておられる方が一人でも救われるように日本ではまだまだタブー視されている安楽死の問題が議論されて前進する事を願って止みません。 

 

 

・安楽死は必要。これは激痛や、治らない病と共存しながらの生活を強いられた経験のある人には分かると思う。そういう人にとって死は解放であり、祝福ですらあると思う。 

もちろん、それらを抱えながら生きることを望む人もいる。 

ただ、色々とライフステージや考え方は変わっていくので… 選択肢はあったほうがいい。 

 

 

・看護師です。読みながら泣いてしまいました。私はどうしてもケアする側なので生かそうとする。けれど、痛くて辛いと泣いている方やうなされている方を見ると無力な自分が嫌になる。 

私は安楽死制度には賛成派です。痛みから解放されたい、医療に頼って長生きさせられたくない人は居るはず。私も同じ立場ならそうする。自分の最期は自分で決めたいですもんね。 

 

 

・クレイさん…大変な状況の中、取材に応えてくれて「メルシー!」と言いたいです。 

安楽死は、どうにもならない人にとって「最後の希望(選択肢)」。 

その事が本当に本当によく分かりました。 

クレイさんは事故後9年も苦しみに耐え、ご自身の体をタトゥーの練習に使わせたり、難病患者を励ましたり、凄く献身的ですよね。 

こういう人が安易に死を選ぶはずありません。 

想像を絶する痛みや苦しみの末、安楽死を選んだなら、それが最善だと思います。 

クレイさんが天国で素晴らしい家に住み、毎日幸せに暮らし、地上をあたたかく見守ってくれていると信じています。 

メルシー、本当にありがとう。 

 

 

・死より辛い地獄のような苦痛は絶対にある。誰もが日常の事故や思わぬ病気でそういう状態に陥る可能性を持っている。死をも上回って終わりも見えないような苦しみを味わっている人に「もっと長くそれに耐えろ」と要求するようなことは非人道的だと思う。 

安楽死が許可されたら「本当にどうしようもなかったのか」「本人の意思が歪められていたのではないか」というケースは出て来ると思う。それでも、安楽死は選択肢としてこの世にあってほしいと思う。 

 

 

・安楽死以外の選択だと自死しかなくなる。 

こう言う極限の状態の方には安らかにあの世にいけるような選択があったらいいのにと切に願う。 自死だと悪い事を選んでるようだし、家族からも止められる。認められてる「安楽死」を選択したとすれば、家族もそれなりに心の準備ができる。 

悲しい事に変わりはないが、自死は、辛い・暗い・悲しい。しか残らない。前向きな死があってもいいと思う。 

 

 

 

・自分も難病の為肝臓がもう死んでおり、毎週の様に腹水を抜く日々です。 

腹水の影響でお腹の中に沢山の穴が開いてしまい、鼠径ヘルニア(脱腸)でかなりの痛みを伴い動くに動けない状態です。 

辛過ぎて毎日死ぬ事だけを考えています。 

安楽死が認められない日本では、安らぎを得るには自殺する以外無いのが現状ですから、是非日本にも安楽死を選択出来る、本当に生きるのが辛い人達を救う制度を切に希望します。 

 

 

・私も腹膜のガンで耐え難い痛みと戦った事があるのでどういう状況だったか理解できる気がする。 

治る見込みがあれば耐えたり頑張ったりできるけど、このままもっと酷い状態になってそれに抗う術無く最期を迎えるしかない恐怖は当事者しかわからないと思う。 

そういう恐怖にはこういう形の救済しかできないし、当事者にとってはそれが救いだということをもっと真剣に論議してほしいと思う。 

私が末期を迎える前に日本でも安楽死が法整備されたら嬉しいと思う。 

 

 

・ホスピスで緩和医療に携わっています。約10年で何人もの方の看取りを経験してきました。 

 

常に鎮静の是非について様々な職種を交えてカンファレンスを行い、苦しくない最期に向かって全力で取り組んでいます。 

 

鎮静を行うことが出来ても、安楽死を行うことは出来ません。またホスピスや緩和ケア病棟と違い、一般病院では患者さんとその家族にとって本当に良い鎮静が行われていない場合もあるかと思います。 

 

高齢社会の今、「死ぬ権利」があってもいいのではないでしょうか。(もちろん簡単に選択出来るものではありませんが) 

 

いつか日本にも穏やかな死を選択できる未来が訪れることを切に願います。 

 

 

・この方の判断を責めることは誰にもできないと思う。 

自然界では脚が折れただけで死につながる。 

人間社会でそんなに簡単に死にはしなくなったが、それでも身体がほぼ動かないのに無理して生きるか生を諦めるかは本人が判断しても良いはず。 

生は尊いものだけど同じくらい死は誰にでもあるもの。 

お疲れ様でした。安らかにお眠りください。 

 

 

・私はどちらかと言うと緩和ケアの状態になった段階で、安楽死を提案して欲しいかなーという考え方です。 

 

ちょっと、「生きることを諦めた」とは違う気がするなー。動物とか生物としてではなく、人として判断ができるうちに、人として死にたいかなぁと。 

 

「生」の概念が難しいよね。周囲は生きていて欲しいと思うんだろうけど、痛みや苦しみは本人にしか分からんし。 

 

自殺という概念とは一線を画したうえで、本人の選択を尊重が良いだろうし、行政的にも本人が希望できる選択肢は拡げて貰えた方が良い気がしますね。 

 

 

・最終の判断として安楽死の道があることは重要と考えます。 

本人の意志とご家族、医者の同意で進むべき道と思います。 

オレも親族の延命を希望し結果苦しませてしまった過去があり、今でもトラウマになってます。 

 

正しい医師の判断のもと安楽死は決して間違った事ではなく、最期を暖かく看取ってあげることの重要性を痛感しました。 

 

日本でももっとこの議論が活発になされて欲しい。 

 

 

・日本で実現できるかは、個人を尊重できるかに限る。 

家族の介護が大変だから、医療費削減だから、難病ならみんな選ぶから、そんな理由で賛成しているわけではないなら、実現可能。 

あとは、きっと賛成の人が多い日本だから、施したい医療者もいるでしょう、法的に安楽死を施す医療者をどう守るか、本人の意志によらない誘導殺人の見分け方と罰し方について決めること、実際の運営機関を設けることですね。 

どうぞ実現してほしいと強く願う方が動いてください。 

 

 

・この方のドキュメンタリーを観たことがあります。 

タバコを吸いたくても自分では吸えないからお母さんのように慕う看護師さんに咥えさせてもらっていました。 

スイスに到着しても体調を崩されてとても辛そうで。 

 

私は尊厳死には賛成です。 

でも現状、本人が英語が話せてメールなどでやり取りが出来ないと難しいと別の密着映像で拝見しました。 

 

日本でもまずは議論してほしいと思いますけどね。 

 

 

・海外の医療ドラマで、治療しようの無い脳腫瘍にかかった若い女性が、自分のままで死にたい、と安楽死を選択する話がありました。大好きな音楽をかけて、好きなワインを飲んで、薬剤を点滴して眠るように亡くなっていく姿がとても印象的でした。安楽死に反対していた母親も最後の瞬間に立ち会って手を握っていました。そのドラマをみて、自分だったらどうするだろうと考えさせられました。自分が誰かも分からなくなって、家族に迷惑をかけて痛みも絶え間なくて、、そんな状況で力尽きるまで生きなければならなかったら、生きていたいと思えるかどうか。 

 

 

・とても考えさせられる内容で泣けました。体が麻痺して動かないだけでも辛いのに、耐え難い激痛にも悩まされるなんて地獄としか言いようがないです。これが自分だったら‥と考えると恐怖です。2年前に腹膜炎になって手術をしましたが、本当に痛くてあれがずっと続いたら死にたくなったと思います。末期癌の痛みも辛いと聞きますが、現代の痛み止めでも効かない痛みがある事が恐ろしいです。個人的に、日本も安楽死を認めてくれると何かあった時に安心感がありますけど、今の日本では希望者続出かもしれませんね‥ 

 

 

 

・ものすごく考えさせられるニュースだった。 

同じような状態で苦しんでる人は世界中どこでも、日本でもかなりいると思う。 

記事の中で彼が言っていたように、生きられる道があるならそれを模索し、頑張って生きるべきだと思うけど…本当の本当に最後の手段として楽になる方法は整備されて良いと思う。この団体のようにきっちり制限をつければできないことではないはず。安易に死を選べるようにというわけではない。尊い人生の最期が苦しみや痛みに溢れたものとならないように道を作ってほしい。 

 

 

・私は難病を2つ持っています。治療薬のせいで骨はぼろぼろです。40代で10ヶ所以上骨折しました。想像を絶する痛みです。寝てても起きてても身の置き所がないのです。死にたくなりました。痛みは人を狂わせます。 

また、私のような難病の患者には期限がありません。死ぬまで病気と付き合っていくのです。治らない病気のために毎日大量の薬を飲みます。虚しいです。 

安楽死が認められれば、将来いざという時に選択できるというだけでも心がラクになります。つらさは本人にしかわからないのです。 

 

 

・最後は老衰が良いという人も多い。 

しかし、老衰と言っても実際は呼吸ができなくなったり、痛みや痒みがあり、最後には苦しみが待っていることを目の当たりにした。 

自分もいずれあの苦しみを味わうのだと。 

 

身体的または精神的な生き地獄、というものが現実にはある。 

それならば、そこから逃れられる「死ぬ権利」というものも当然に認められて然るべきだと思う。 

国会で審議されることすらないのは、実際に 

生き地獄を味わっている本人が、表に出てきていないだけ(声を上げられないため)であり、実際に議員達がこれを味わったなら、早急に安楽死法案を出すのではないかと思う。 

 

 

・仕事上看取りの場に立ち会う機会が多いのですが口から食べられなくなる、その時点でそれ以上の治療は自分は望まないかな(食いしん坊だけど)食事が抜け、水分が徐々に抜け枯れていく…本人も看取る方も辛いけどそれが自然な気がします。 痛みや苦しさの強い場合は耐えられない時の逃げ道があると良いですね 

 

 

・「生きる」とはどういうことなのかを深く考えさせられ、読み終わったときに涙が出てしまった。 

身近にそういう経験がないと、安易に「生きることを諦めたりしてはいけない」だとか「まだできることはあるはずだ」とか言ってしまうだろう。 

それこそが本人にとって苦痛以外の何物でもなく、ただ本人を追い詰めているだけだとしても、自ら命を絶つことは良くないと刷り込まれているから。 

でも、本当に耐え難い痛みが続いて「ただ息をしているだけ」という状態が本当に幸せなのか? 

非常に心に迫るものがある良い記事だったと思う。 

 

 

・母を膵癌で亡くしました。食事が取れず、どんどん体力が落ちる中でもモルヒネで痛みはコントロールできていました。しかし、意識が保てなくなり緩和ケア病棟に入院ると、モルヒネにの注入は自分でのタイミングではなく、医師もしくは看護師になります。安楽死にならないためには看護師2名か医師が痛みを感じていることを確認できないとモルヒネを追加できないそう。1時間おきくらいに、意識が保てないにも関わらず激痛でもがく状態を確認してようやく薬が追加される、、意識がほぼない中痛みを全く感じないようにすれば数分、数時間単位で寿命は短くなったのでしょうが、それが「安楽死」になってしまうかもしれないと言う理由でモルヒネの追加を躊躇する「緩和ケア」の実態に疑問を抱きました。 

 

 

・膠芽腫に罹った50歳の夫を一年半の介護を経て看取ったばかりです。徐々に出来ることを失い生きる希望を失っていった夫に望んだことは少しでも長生きすることよりなるべく最後まで彼らしく苦しまずに逝ってくれる事でした。安楽死の選択肢がもっと身近にあったなら彼は選択してただろうと思います。実際一度は本人自身がもう終わりにしたい、先に何の希望もないからと言ったこともあります。夫には痛みの症状がなかっただけましでしたが、苦しんでいる姿を見るのは家族にとっても辛い事です。難しい問題であるのは理解していますが、それでも選択肢があるならば私は安楽死、尊厳死がある社会であればいいなと思います。 

 

 

・子供の時から本当の祖母のように接してくれた仲の良いおばさんがいた。 

 

そのおばさんが痴呆症となりガンを患い死が近い事を聞きお見舞いに行った時におばさんが「辛い、死にたい、殺してくれ」と言われた時はゴマかすような返答しかできなかった。 

 

痴呆で日常生活もままならないほどに進行していたのにあんな言葉が出てくるなんてどれほど精神的にも肉体的にも辛かったのかと今も思ってしまう。 

 

お見舞いに行った数日後に亡くなった時、悲しい気持ちと共に痛みや辛さから解放されて良かったんじゃないかなと思えた。 

 

今回の方の様に前向きな死もあると思います。 

 

 

・私には交通事故の後遺症がある。主に左半身の痺れ・痛み・感覚異常・血行異常に起因すると思われる症状などなど。痛みは骨折よりも強く、事故後に左半身に負った強い痛みはそのまま残って消えなかったりする。 

薬の服用、各種塗布、週1回の神経ブロック注射と痛み止めの点滴と痛み止め注射、それでも耐えられない時には処方箋薬や市販薬をODして誤魔化している。 

腕や足がいきなり動かなくなったり硬直したりといろんな症状が出てくれる。時にはいきなり倒れて立てなくなる、日和見で兆候もなく出てくるからとても困る。 

 

でも障害者ではないらしい、お役所の言うことにゃ。 

でも障害者になるらしい、健常者の言うことにゃ。 

 

痛みが酷すぎて身体も起こせず布団の中で小も大も漏らして少しマシになるまで数日そのままで過ごし、死にたいと思わないことが難しい。 

でも結局人は自分の痛みしか分からないから、どうにもならない。 

 

 

・安楽死問題はこれからも多種多様に論議されるべきことだと思います。 

医学の発展に伴い死ぬことができなくなっている、そう言ってしまうと批判を受けるのは承知しておりますが、クレイさんのように苦痛を耐え忍びながら生きることが果たしてご本人にとって、そしてご家族にとってどうなのか。 

難しい問題です。 

クレイさんと同じように交通事故などで救命された方が、どうしてあの時に殺してくれなかったのかとおっしゃるような後遺症に苦しめられる現実もあることも多いと聞きます。 

しかし、救命され、後遺症があっても生きていることを喜ばしく感じている方も多々いらっしゃるでしょう。 

一つの正解しかない、ということではない問題です。 

少子高齢化社会になっている日本でも、様々な意見をぶつけ議論されるべき問題だと思いました。 

 

 

 

・安楽死を認めて欲しい。身内を癌の闘病生活で亡くしましたが、本人も痛みと戦って苦しそうでした。毎日お見舞いに行きましたが、どうする事も出来ない自分も苦しくなり精神が不安定になりました。看取る側も長ければ長い程、精神が病んできます。これから先、自分が助からない命となり、苦しみながら死を待つのなら、自分の決めた日に苦しまずに命を終わらしたいです。 

 

 

・母を大腸がんで亡くしました。辛い抗がん剤に耐え、半年の余命宣告を乗り越え、それから4年生きました。痛みと苦しみに耐え、亡くなる2ヶ月前くらいからは、もう死にたい、楽になりたい、と言っている母を前に何もできず、無力さを痛感しました。終わることのない苦しみと痛みに何故耐えないといけないのでしょう。 

亡くなる直前まで苦しそうな顔をしており、息を引き取る前の数時間だけは追加のモルヒネで眠るように静かでしたが、安楽死の選択があるならば、もっと早く、苦しむ前に、その選択ができたらよかったのに…と今でも思います。 

簡単ではないことはわかりますが、安楽死の選択ができる日がいつの日かくるといいなと思います。 

 

 

・いいと思う。痛みや苦しみに耐えながら生きる地獄なんて死んだ方が絶対楽ですから。耐え難い苦痛があるのなら、誰もがそう思う。自分の意思で死ぬことを選択できるなら、もう少し家族のために生きて頑張ってみようかな!とか、逆に思うかもしれないし、それで本当にダメなら死のう。いい意味で逃げ道がある状況は心の救いにもなりますよね。死ぬことは悲しいけど、本人の意思を最大限に尊重できるこの制度は素晴らしいことです。 

 

 

・母を先月癌で亡くしました。 

子宮体癌からの肺転移、65歳でした。 

片肺が真っ白になり、進行も早く、1ヶ月後には亡くなりました。 

家族と話せるうちはと、モルヒネ、鎮静剤 を使うのをギリギリまで拒み、亡くなる前日まで我慢した人です。生前、母は私に死ぬときは苦しみたくない、意識がなくなったら私に委ねると言っていました。 

もうこうなった以上無理だけど、出来るなら朝起きたら死んでたが幸せだよねと。 

私は母がなぜこんなに苦しみながら死ななくてはいけないのかと考えました。 

その姿は一生忘れられないし、頑張ったねと抱きしめたけれど 

どうか、最期は苦しまないでほしかった。 

 

 

・治療法もなく薬漬けの日々や生きていても苦しい、痛い、動けないなど、何のために生きてるのか、治療法もないのに何故生き続けなければならないのか…。 

そう思う人は大勢いると思います。 

最期は自分で決めたい。 

自死ではなく、安楽死という尊厳死を迎えたい。 

必要な選択肢だと思います。 

また、できるだけ死の負担を医師や看護師さん、家族に負わせるのではなく自身で投薬する事も大切だと思います。 

目が動く方は視線入力などで自ら最期の時を。 

 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

 

・私は14年前に仕事で屋根の雪下ろしの時にハシゴがはずれてお尻から固い地面に落ちました。 

そこから尾てい骨周辺がじんじん酷く痛みましたが、田舎なので最初の病院のレベルが低く打撲と診断されました。 

お尻の坐骨神経痛がひどくおさまらないので、少し大きな病院に行くと尾てい骨骨折、下の腰椎がつぶれたと診断されました。 

その時は1年くらいで痛みがなくなり完治したと思っていました。 

しかし数年前から腰、足の指先に痺れや痛みが出てきました。 

最近はぶつかったお尻の所がバットで殴られたようなジンジンとした痛みや、両足の指先が痺れて日常生活に大きく支障が出ています。 

落ちた衝撃で少し脊髄か座骨神経が損傷したのだと思います。 

最近は首も痛く手が痺れます。 

背骨を傷めると毎日不快な痛みとしびれだけに支配されて、また私は部分損傷だと思うので一見普通に見えるらしく、周りにも理解されず精神的に追い詰められています。 

 

 

・泣けてくる 

痛みは、自分しか分からない 

彼の痛みとは、比べものにならないけど 

2ヶ月ほど、坐骨神経痛で歩けず 

痛みで背骨が反対側に逃げて、身体は曲がるし、お尻の中を、ナイフでぐりぐり掻き回される様な痛みで眠れず、腰から下を切って欲しいと思った。医者はもう少し我慢しろと、もう少ししたら、痛みが無くなるって言ってたけど 

もう限界だと手術してもらった 

彼の耐え難い痛みは、生きてる限り続く 

痛みから解放されて、本当に良かったと思う 

 

 

・いい意味でも悪い意味でも医療が進歩した結果と思います。 

人間なら誰しも、長生きしたい、してほしいと思うものですが、死にたいという方を目の当たりにして本当に考えさせられます。 

 

死にたいと願う者に対して、家族や医療従事者が長生きさせようと、延命させることは、引き換えに苦痛を味わせ続けることになってしまうんだと改めて感じました。 

 

 

・専門医のいるホスピスでちゃんと緩和ケアが受けられたら違うのかもしれないが、モルヒネの処方量等にも経験と勘が必要だろうし。 

医療へのアクセスの格差は非常に大きいので、環境次第だとつくづく思う。 

地方に住んでいても、紹介状をもって、東京の癌研まで治療を受けに行く人もいるくらいだし。 

当事者になってみないと確かなことは言えないが、超多忙の名医に診てもらえるのは、相当運の強い人だと思う。 

 

 

・自分も治る見込みのない病で苦しく痛みがある中で死を待つだけの日々を過ごさなきゃならないなら 

安楽死を選びたいと思います 

家族に苦しむ姿を見せたくないし、家族もそんな姿を見ているのは辛いと思います 

うちの曾祖父母、祖父母、両親は倒れてすぐに逝ったので苦しむことなく本人も逝ったの気づいてないんじゃないか?って思うくらい呆気なく逝きました 

誰も臨終に立ち会えなかったのが残された者の悔いとなってますが 

苦しみなく逝かせてあげれたのは唯一の心の支えとなってます 

伯父や伯母は癌で苦しみ亡くなった時に従兄姉が『ホッとした』とつぶやいたのが衝撃でした 

それだけ日々壮絶な闘病生活だったようです 

患者や家族が求めるなら日本でも安楽死認めてほしいです 

生き地獄の中で生かされるのは辛すぎる 

棺の中の伯母に向かって『やっと楽になれたね』ってつぶやいた従姉の涙が忘れられません 

 

 

 

・賛成派です。いつ来るか分からない死への恐怖や苦痛の日々に苦しむより、私は身の回りの整理をして周りへの感謝を伝え生きた事に納得した気持ちで旅立ちたいからです。 

色々な意見があると思いますがら最後は苦しまずに終える事が出来ると分かっているだけで、どれだけの人達を苦痛や恐怖から助ける事が出来るか分かって欲しいです。生きる事を強要する人は、まだ自分が死ぬ恐怖をしらないからです。自分が病気で苦しんで死ぬと分かった人にとって安らかな納得した最後の選択肢は光だと思います。モルヒネで訳がわからなく半分眠った状態をつくる緩和治療では、最後に家族に笑ってありがとう、またね。とは言えません。 

最後の笑顔は、残された家族のケアにもなります。私は、最後に笑顔で家族に感謝をして永眠したいです。 

 

 

・欧米では死自体も本人が選ぶ権利があるという考えがある。 

私は、今の所どんな姿になっても与えられた人生を最期までまっとうしたいと思ってるけど、死を選ぶ人を批判も否定もしたくはない。 

当然ながら簡単に選んだものでは無いと思うから。 

きっとその人にとってその死は最高の安らぎを得ることにつながるんだと思う。 

ただ、今の制度の中では海外で安楽死で亡くなったら遺骨も持ち帰れないと聞く。日本人の倫理観的に残された家族がそれに耐えられるか、受け入れられるかが難しいところかなと思う。だからこそ日本にも法整備を検討する必要もあるのかなと。 

 

あと、思春期における子供たちの病気以外の自殺願望や、死にたいと思う事に関しては、絶対にノーと言いたい。 

どんなに安らかに死にたいと思っても、まだまだ知らない世界があるし、やり直しがきくものだから。 

自分で死を選ぶことをかっこいいなんて間違っても思わないで欲しいと思う。 

 

 

・体の首から下が動かせないのに、痛みだけ感じられるってのも地獄だな。普通なら痛いところを擦ったりして看護している人に伝えられるのに、それさえも叶わないんだから安楽死を選ぶオプションあってもおかしくない。 

それに最後のコック開放は自分でやっているんだから、その勇気と決断は称賛されるべきであると信じる。見方によってはキリスト教で禁じられている「自殺だ」と非難するのもいるだろうが、この人は最後の言葉をご両親や妹さんとしっかり交わしている事から尊厳と誇りを持った自決行為と判断する。 

 

 

・私の母親は癌で亡くなったのですが亡くなる前は徐々に体の自由が効かなくなりました。自身で歩けなくなりそのうち体も思うように動かせなくなって寝たきりになりました。その際母親は「もう自分で自分の体を思うように動かせないから長生きなんてしたくない」と言いました。母親の子供としては物凄く寂しい発言で、涙が止まらなかった事を思い出します。ただ、家族としては長生きしてほしいと思っていても本人が安楽死を望めるなら日本でも制度として認めてほしいと今になって思います。 

 

 

・このドキュメンタリーを最近見たところでした。クレイさんの最期から感じたことは、個人的に安楽死には賛成です。でも日本で行われることは難しいんじゃないかとも同時に思いました。国民性もあり、もし日本で認められてしまうと中には望んでないのに安楽死する人がでてくるやも、と思ったからです。 

 

動画ではクレイさんともう1人日本人の女性もこちらで安楽死されてましたが、どちらもそれを強く望み、また死に間際とても幸せそうだったのが印象的でした。 

(クレイさんの場合は妹さんとかなり仲良しだったので、本人より残される家族の方が辛いですよね) 

 

なかなか難しい問題です。 

ただ自分に、肉体的精神的に耐え難い苦痛が続き、また改善の見込みがない、となった場合は、同様に安楽死を望むだろうとも思い、決して人ごとではないなと考えさせられました。 

 

 

・自分も、家族を辛い病気で失った事があります。 

最期は、モルヒネのシールを貼って、苦しさを緩和し、 

ひたすら緩和ケアをし、意識が朦朧とし、時には意識がほぼ無いものの、 

生きてはいるという悲しすぎる状態で、 

家族としては涙も枯れて、感情すらマヒしてしまうような状況でした。 

 

日本でも安楽死は必要だと確信しています。 

安楽死、または尊厳死は必要です。どうか取り入れて欲しい。 

 

 

・安楽死と自殺の違いについて考えてみたが、なかなか難しい。自分の中で両者を明確に区別できない。また、死も生の一部であると考えれば、自由に生きる権利があるのと同様に自らの最期を選ぶ権利もある気がする。やはり明確に、完全に、誰もが納得する答えは出ないと思う。そうであるならば、迷いながらではあるけど、長い苦痛の中で、それを選ぶことが本人にとって最善であるというなら、安楽死も一つの救済なのではないか。 

 

 

・大変恥ずかしい話ですが、高齢初産でお産をした時、 

陣痛が足かけ4日ありました。 

痛みに耐えかね、病院の屋上から飛び降りようかと毎日 

思いましたが、陣痛の痛みで自殺した女性は、 

有史以来私だけではないかと踏みとどまりました。 

 

子の誕生と言う明るい未来が待っていても、痛みは辛いモノでした。 

痛みの先に死しかないのであれば、安楽死もありと思います。 

だから安楽死を望んだ人を責める気にはなりません。 

 

 

・だいぶ前にテレビで見ました。 

日本からも安楽死を希望された女性が最期を迎えられてましたね。 

耐え難い苦痛は本人にしかわからないし簡単に頑張れとは言えない。 

別の方が実際にその時が来て安楽死をやめる選択もされていましたがそれもまた選択。 

安楽死でしか苦痛を取り除けない人生なら安楽死も生き方の1つと尊重する。 

 

 

・当事者にとっては生きることで苦しみが続き辛い日々。治るあてもなく、毎日毎日痛みや苦しみを耐えなければならない。個人的な見解となりますが、安楽死も当事者にとって選択の一つだと思います。生まれた限り生きることが当たり前のこと、宿命だと思っていました。しかし、父親が倒れ20年寝たきりとなり痛みに耐えて自由を失う姿を見ていて、子供として勇気付けてはいたが、本人にとってはただ苦しみ辛い日々だったと言われたことがある。簡単に決めてはいけないが、本人が治る見込みのない治療や痛み辛い日々に耐えて薬で幻覚をみて暴れたり、恐怖に慄くならば、安楽死も人生の選択の一つかもしれないと気付かされました。誰もが幸せに自由に生きられる訳ではない現実がそこにあります。 

 

 

 

・自分の最期はどうなるのか想像つきませんが、誰かが倒れたら即救急車を呼ぶ。そして治療が施される。リハビリの末日常生活を送ることができる方もいらっしゃるでしょう。でも後遺症が残り寝たきりになってしまう方もいらっしゃる。積極的治療は望まないという意思表示カードを携帯できるような制度を作ってほしいです。少しは高齢者の医療費負担も減るのではないかと思うのですが。 

 

 

・死は悲しい事で、死を忌み嫌うのは、地球に残る地球人側の感情だ。 

地球人としての肉体を脱いで、地球を卒業し、天国のような高波動な世界に戻ったスピリット側の感情は心地良さに満たされている。 

これからの時代は、地球に残る地球人側の感情よりも、地球を卒業したスピリット側の視点を重視する死生観にアップデートする必要があると思う。 

日本でも、特定の条件を満たした段階で、安楽死を選択できる権利を早急に確立すべきだ。 

 

 

・数年前、母親を癌で亡くしました。 

父親も既に亡くなっており、これで子供の頃から自分を見守ってくれた人が居なくなってしまったと、何とも言えない寂しさを痛感しました。 

それと共に、家族が患者の延命のために良かれとやることが、時には患者の為にはならないのではということも後に思うようになりました。 

結局は家族の自己満足ではなかったのではないかと。 

何が正解だったのか、今だにわかりません。 

これからもずっと答えがわからないのかもしれません。 

 

 

・交通事故で頸髄損傷になり四肢麻痺です。事故の日から7年経ちましたが24時間365日痛いです。 

 

彼のいう刺すような激しい神経の痛み。 

シャワーの水流も痛い 

 

全身に唐辛子を塗りたくられ 

そのまま電気風呂に突っ込まれたビリビリした電撃痛 

息もたえだえになります。 

 

幸い私は眠れているほうなのでまだましですが将来は安楽死をしたいです。 

 

 

・賛否両論があり、難しい問題の一つだと思うけれど私も〝治療として選択肢の一つ〟として安楽死というものがあっても良いと思う。苦痛や限界は千差万別人それぞれ違うものだと思うし、条件を満たしていて本当に安楽死を望んでいるなら必要な治療だと思う。 

 

耐え難い苦痛や認知症は人を別人に変えてしまいます。私がその立場になったらやはり安楽死があれば選択する。自分が自分であるうちに終活をして終わりたい。本人が望まない延命治療は本当に必要なのか?回復の見込みはなく、衰えていき出来ない事が増えて心身の苦痛も日々増していくのに延命治療は苦痛を長引かせるだけだと思うし、長く生かされればその分お金や介護、施設等かなりの大金も必要になります。それは周りの人も精神的にも金銭的にも負担をかけることになり壊して、狂わせてしまうと思う。 

絶対安楽死をしなければいけないとかでは無く、〝選択肢の一つ〟として用意して欲しい。 

 

 

・耐え難い痛みの中に見えない希望を見出すのは精神的にも辛かった事と思います 

他人の頑張れは痛みの軽減にはならない 

痛みから解放されることが死なのであれば、それは当人にとっての切なる希望であり、安楽死という最期の選択肢はありです 

日本でも導入を積極的に検討する必要があるのではないでしょうか 

 

 

・ジュリアンさん、日本のメディアに出演してくださりありがとうございました。記事を最後まで読ませていただきましたが、涙で視界がにじみました。ジュリアンさんが今はこころ安らかにおられることをお祈りしております。 

安楽死は日本でも出来るようになってほしいと私自身思っていますが、何がダメなのか。耐え難い痛みや辛さと闘っている人にこれ以上どう頑張れと?と言う方のためにも、将来の自分のためにも安楽死制度が日本でも選べるようになってほしいです。 

日々、生活が苦しく、生きて行くのが辛い。なのに、日本では生きる権利はあるけれど、死ぬ権利はない。目を逸らすのではなく、もっときちんと話し合いをしたいし、国会でもとりあげてほしいです。 

 

 

・3日前に母が膵臓ガンで息を引き取りました。 

 

痛みに耐えられなくなって最後の1ヶ月は入院しました。 

最後は朧げな意識で『早く楽になりたい』とこぼしていました。 

 

母の居る終末病棟の一室で周りの様子を伺っていると、『消える見込みのない苦痛から永遠に解放される』という選択肢が禁じられている日本の医療はなにをしているのかと強く感じます。 

 

膵臓ガンなのできっちり半年で力尽きましたが、正直に言いますと、不治の病で長く苦しむより余程良かったのではないかと思う。 

 

 

・親友が癌で亡くなった。まだ38だった。 

がん性疼痛で毎日「痛い痛い死にたい」と言っていた。モルヒネが効かなくなっても痩せ細り痛がっていた。ほんと殺してあげたかった。痛がったあとは1週間ほどで亡くなった。日本はなぜ安楽死を認めないのか。どれだけ痛い辛い思いをしながら死んで行けというのか。今一度医学会に考えて欲しい。多分安楽死があれば笑いながら最後はお別れできたはずだ。大切な人みんなに見守られながら。 

 

 

・私は34歳で関節リウマチと診断されました。 

まだ接客の仕事や育児に耐えられていますが、全身の関節が痛む・痛くて動けなくなるという話を聞きます。 

日常生活をまともに送れなくなってしまったら、安楽死したいと思いました。ひとりっ子の2歳の子供も今後私の介護でヤングケアラーしたくないし、夫も私の介護に人生を使ってほしくないと思っています。ただ、この考えはは独りよがりです。家族の気持ちはわかりません。 

自ら死を選ぶという事が「権利」として確立していない今の日本では今後も安楽死が認められる事はないと思いますが、終わらない苦痛に希望の光が差し込む日が来ると良いなと思います。 

 

 

 

・精神疾患などで正常な判断ができない状況の場合を除いては、安楽寺尊厳死を、選べて欲しいと強く思います。 

母がガンのステージ4で延命治療しない決断、緩和ケアをうけることにしています。 

 

ホスピスは終わりまでより良く生きるところ。 

治療や延命はしない、心と身体を安らかにするよう努めるが、全部の痛みを和らげることが出来るわけではない、命を断つ手伝いはしません、と説明を受けたときに言われました。 

終わらせてほしいとすがる患者さんも多いそうです。 

 

母は体調優れず、毎夜不安で寝付けない、ガン以外も(足腰)悪く毎日痛み、それでも心臓は止まらない。苦痛が少ないよういつでも逝く気でいる、ただ終わりを待っている。 

終わるまで世話になるけどごめんねと娘の私に言う。 

入院したので荷物整理しに家に行ったら父の仏壇の前に「早く迎えにきて」と走り書きが。 

泣きました。 

母が終わりたい気持ち、尊重してやりたい。 

 

 

・いわゆる安楽死、の方を尊厳死、と呼んでもよい気がします。安楽死、はただ楽になるために死ぬ、というように聞こえてしまう。 

尊厳、といいながら、緩和ケアもままならず、痛みに耐えながら、意識を飛ばしながら生きながらえ、死を待つ…はたしてそれは尊厳といえるのか。人としての尊厳を守るために死を選んだわけですから、安楽死を尊厳死としても良いのではないでしょうか。日本でも安楽死を選べるようになれば良いのに、と思います。 

意識があるまま痛みに耐え、不自由に耐え、モルヒネで意識を飛ばしても尊厳死をむかえねばならないとしたら、本当に辛い。 

 

 

・認める方向で話を進めて欲しい。これだけ頑張ってさらに何を頑張らせるのか。本人にしか分からない壮絶な痛みと戦いただただ痛みに耐え痛み止めで延命をする、自分だったら耐えられないし嫌です。ちゃんとお別れをみんなにして頑張った自分を誇らしく旅立つのは悪い事なのか。もうだれも何もしてあげられない状態でよく本当に痛みに耐え抜いた方どうか最後は安らかにって思います。 

 

 

・すごく考えさせられる内容でした。 

この2年の間に両親を見送りました。母は最後まではやく死にたいと言い、父は最後までもう少し生きたいと言って亡くなりました。今『命の初夜』を読んでいて地獄のような病苦の中、必死にに命を守り続けているとの描写もあり、この問題には答えがないのだと思います。 

ただ安楽死の制度があれば少し気が楽になるというか、希望を見出すことで少し楽に生きれるということはあるのではないかなと思います。 

 

 

・医療技術が進歩して、長く生きる事が出来る様になって来ているけど、認知症等を完治出来る医薬品は、まだ開発されていない。 

前々から考えている事なのですが、認知症とか他の難病に罹患して家族に迷惑を掛けて生き永らえるなら、安楽死を選択して家族に迷惑を掛けずに死んでいきたいのが、私の希望です。 

この事を家族に言ったら、大反対されましが… 

 

ですが、介護に疲弊して身内を殺めてしまった様なニュースを見ると、老後に対して不安にもなるし、今後ますます加速していく高齢化社会に対しても安楽死の是非を国が真摯に検討して承認して欲しいと、強く願っています。 

 

 

・とてつもない痛みに対して睡眠が取れないのは本当にきつい。 

20歳頃の学生の時に柔道でぎっくり腰をした時のあの痛みと、その痛みから2〜3時間しか眠れなかったので、1週間位本当にきつかった 

 

睡眠の間は意識がないから痛みもないが、睡眠不足の上に痛みがあると心休まる時がなく地獄のようだった 

 

トイレのために立ち上がるのもとてつもない気力で立ち上がらないといけなかったので、太ももの筋肉に痛みを感じる不自然な力をかけて起きた 

 

この方が凄まじい痛みと睡眠不足の上に不随で逃れようのない地獄の痛みに苦しんでいたと書かれているのを見て、地獄だなあと 

 

僕も同じ立場なら死を選ぶと思うが、そうならない事を祈るしかない 

 

医学が発展してこういう立場の方が1人でも救われるようになってほしい 

 

ただ子供の頃の話を見て、子供だから悪意はないにしても、生き物を虐待?していた因果が巡ったのかもなあとも思った 

 

 

・このドキュメンタリーはYouTubeにあるけど、彼が亡くなる時に医師が頭を撫でながら、本当に安らかに亡くなっていった。 

 

あれを見ると、安楽死が認められていない日本だが、患者の尊厳を守るための最後の逃避くらいは、選択させてあげても良いと思う。 

 

スイスのようにある一定の基準を設けて、本当に必要な方が安楽死を受けられる制度が、今後検討されたら良いと思う。 

 

 

・安楽死を選択肢にする事のできる制度を、日本でも正式に考えるべきと私は思います。 

 

日本の医療制度では、いかに延命させるべきかの考えが強いです。それは明らかに残念な話ですが、儲かるからです。 

 

その点から考えなければならない程、今の医療制度は闇が深い。同時に政治との癒着も真剣に考えなければいけない問題のはずです。 

 

コロナのワクチンを含め、ありとあらゆる機構と問題が、今の日本には山積してしまっています。 

 

本人の意志を、尊厳を守れる社会になってほしいと願います。 

 

 

・先日義母を看取りました。突然意識レベルが下がり、施設から緊急搬送で入院。そこで言われたのは、肺がんからの肺水腫。原発癌は他にあり、肺に転移したと思われると。高齢なので、検査や手術は出来ない。緩和ケアへの転院を勧められた。移転先を探している途中で、改善の余地はないので、看取りケアにするように言われ、そこからは点滴などもしなくなった。点滴をしても肺に水が溜まるだけで、それは溺れているのと同じで苦しむだけとの事だった。声をかけると目を開けるけど、それ以外の反応は無かった。本人はどうしたかったんだろう、緩和ケアで少しでも長く生きたかっただろうか? 

答えを見つけられないままです 

 

 

・本人に意思があって人格がある内に、尊厳を守るため死にたいというならその希望を叶えてあげたいと思う 

 

それが合法にできたら立派に医療の進歩だと思う 

 

筋肉が固まる病気や障害、脳卒中関連で麻痺が起きた身体の疼痛と言ったら凄まじい 

 

火傷にも似た、太いゴムチューブでギリギリと縛られてるような強烈な苦痛 

痛みが死ぬまで消えない場合がある 

 

数十年生きてきて、残りの10年20年が苦痛だけになると判明したなら、安らかにいかせてあげたい。 

 

 

 

 
 

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