( 181320 )  2024/06/16 16:36:56  
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上からSuica、ICOCA、くまモンのICカード Photo by Wataya Miyatake 

 

 SuicaやICOCAなど、JR各社が発行する全国相互利用の交通系ICカードの発行枚数は2億枚を超え、定着した感がある。しかし、熊本県の鉄道・バス会社5社は、あえて「早ければ2024年内に交通系ICから撤退」を表明した。実は今後、熊本に続く“交通系IC離脱”が、各地でドミノのように起こりかねない状況だ。地方を取材すると、背景には複雑な事情が絡み合っていることが明らかになった。(乗り物ライター 宮武和多哉) 

 

【画像を見る】熊本県内での交通系IC非対応化後の見通し、地方でキャッシュレス導入負担はどうすればいいのか 

 

● 熊本の鉄道・バス5社 「Suica・ICOCAやめます」の衝撃 

 

 鉄道やバスで一番使われているキャッシュレス支払い手段といえば、JR東日本が発行するSuicaをはじめとした、いわゆる交通系ICカードであることは間違いないだろう。JR各社(ほかICOCAなど)や関東大手私鉄(PASMO)など、10カードの発行枚数は2億枚を突破。この1枚で、切符を買わずにスイスイと、全国の交通機関に乗車できる。 

 

 しかし5月末、熊本県の鉄道とバス5社(九州産交バス、産交バス、熊本電鉄、熊本バス、熊本都市バス)が、早ければ年内にも交通系ICへの対応を取りやめると表明した。この5社に限っては、25年春以降にSuica、ICOCAなどが一斉に使えなくなる見通しだ。 

 

 熊本の鉄道・バス5社の支払い手段は現状、16年3月に対応開始した交通系IC以外に、地域限定型IC「くまモンのICカード」(15年にサービス開始)か、現金支払いかの三択。23年度の利用構成比で見ると、交通系ICが24%、くまモンのICカードが51%、現金は25%となっている。 

 

 中でも交通系ICは、国内外の観光客や、県内に工場を持つ世界的半導体メーカーTSMCへの出張で訪れる人々など、地域外からの来訪者によく使われるという。25年春以降に非対応となった後も、くまモンのICカードを読み取るために、別の端末は設置される見通し。「端末があるのに、何でSuica使えないの?」といった声が、かなり上がることが予想される。 それでも、「交通系IC全撤退」の決断が下されたのは、なぜか。現地取材をすると、背景には複雑な事情が絡み合っていることが明らかになった。 

 

 

● 意外としがらみの多い「交通系IC」 対応・非対応で経費が倍違う! 

 

 Suicaなどの交通系ICカードを鉄道・バスの運賃支払いに使うためには、カードと読み取り端末が、「日本鉄道サイバネティクス協議会」に準拠した、通称「サイバネ規格」に対応することが前提となる。かつ、JR東日本の系列会社からのカードリーダー購入や、規格の維持に必要な会費の支払いなど、高コストになってしまう要素がいくつもある。 

 

 今回、熊本県の鉄道・バス5社が交通系ICから撤退する最大の理由は、機器更新のタイミングだ。現在使用している交通系IC対応端末が更新の時期を迎えており、そのまま維持した場合は12.1億円かかるが、新しい機器(レシップ社製)に入れ替えた場合は6.7億円に抑えられるという。 

 

 かつ、国土交通省のキャッシュレス推進のスキームが「導入には補助を出すが、維持には出さない」という方針。交通系ICを維持すると、更新・運用ともに高コスト+補助が望めない一方、非対応化すれば低コスト+新たに国などから補助が見込めるということだ。 繰り返すが、交通系ICはしがらみが多く、維持するためのコストが高すぎる。費用負担の壁を越えられず、熊本県の鉄道・バス5社は交通系ICから撤退していくのだ。 

 

 なお、交通系ICへの対応には具体的にどれくらいかかるのか、情報の詳細は公開されていない。が、沖縄県でICカードの導入が検討された際、以下のような見積もりが出ている。 

 

 「独自規格なら導入は27億円・運営費は年間5000万円。交通系IC対応の場合、導入費用は2倍、年間経費4倍」(2014年・那覇市議会資料より) 

 

 対応する・しないで圧倒的なコストの違いがあり、その後、(サイバネ規格に対応しない)独自規格として15年にOKICA(沖縄県)のサービス開始につながった。 

 

● SuicaのFelica規格はガラパゴス? 世界で「タッチ決済」導入の波 

 

 さらに、クレジットカードを端末にかざすだけの「タッチ決済」と、現行の交通系ICの将来性も絡んでくる。タッチ決済はすでに英ロンドンやシンガポールなど海外で広く普及しており、熊本県でも、空港方面へのシャトルバスが先行してタッチ決済に対応している。中国や台湾ではおなじみの銀聯カードで、さっと決済を済ませる人も多い。 

 

 一方で交通系ICは、準拠する「Felica規格」(ソニーが開発)が、タッチ決済などに広く使われる「NFC規格」に海外展開で遅れを取り、もはや日本独自の規格となりつつある。かつ、世界的な半導体不足からSuica新規販売の停止が続くなど、商品の供給にも苦しんでいる。要するに、今後もユーザーの増加が見込めるタッチ決済と比べると、交通系ICの成長性はいまひとつだ。 

 

 こうした諸事情から熊本県の鉄道・バス5社は、乗客の24%が利用する交通系ICへの対応を、打ち切らざるを得なくなってしまったのである。 

 

 しかし、タッチ決済を行うクレジットカードは、子供や高齢者が簡単に持てるものではない。熊本県では、機器更新後の支払い方法は、くまモンのICカード、タッチ決済に加えて、QRコード支払い(「my route」などアプリの活用)も想定しているという。 

 

 

● キャッシュレスにしても乗客は増えない... 「Suica撤退ドミノ」を避けるには? 

 

 熊本県に限らず、地方の鉄道・バス会社は軒並み、交通系ICへの対応に苦慮している。地方の鉄道・バスの経営は厳しく、先述した通り、導入への補助金はあっても会社負担は残る。何より、キャッシュレスに対応したからといって乗客が爆発的に増えるわけでもない。 

 

 交通系ICに対応した地域発のカードとしては、りゅーと(新潟県)、CI-CA(奈良県)、SAPICA(北海道)、icsca(宮城県)などがある。各地での交通系IC利用の比率を見ると、「約20%」(兵庫県・NicoPa)「非公表だが、数値は極めて低い」(静岡県・LuLuca)などさまざまだ(いずれも熊本県のヒアリング資料より)。利便性のために対応したからといって、多くの利用者に使われる訳ではないようだ。 

 

 また、各地とも熊本と同じ機器の老朽化・更新コスト問題に直面している。「PASPY」(広島県)のように、190万枚も発行されたにもかかわらず、機材の老朽化を理由にサービスを終了する例もある。 

 

 各地のカードは交通系ICへの対応から10年程度経過していて、熊本や広島に続く“交通系IC離脱”が、ドミノのように起こりかねない状況だ。大西一史・熊本市長は、「(熊本と)同様の事情で交通系ICの維持を断念する自治体が出てくるのではないか。国としても考える時期が来ている」と、今後を憂慮するコメントを残している。 

 

 国策で始めた交通のキャッシュレス化を10年程度で見殺しにするようでは、国交省の施策を誰も信用しなくなってしまう。一定以上の利用実態があれば機器更新に補助を出すなり、タッチ決済やQRコードへのキャッシュレス手段の早期移行を支援するなど、国は具体的な手助けを行う時が来ているのではないか。 

 

 繰り返しになるが、地方ではキャッシュレスに対応したからといって乗客が爆発的に増えるわけでもない。キャッシュレス導入時の難点であった費用負担問題に、否が応でも向き合う時期が来ている。 

 

宮武和多哉 

 

 

 
 

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