( 181427 )  2024/06/17 00:51:07  
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ひろゆき氏「差別をなくそう」が持つ矛盾点を指摘 「正義感」がはらむ危険性

よろず~ニュース 6/16(日) 21:56 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/a38369a4d96a23e22a47c75210ebb3485718777c

 

( 181428 )  2024/06/17 00:51:07  
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実業家のひろゆき氏が、自身のSNSで差別がなくならない理由を分析しました。

彼は、人権に関する問題を利用して飯を食う人や、差別がなくなると困る人がいるため、必死で差別を作り出すと指摘しました。

同時に、無知で正義感の強い一般人が純粋な思いから参加することに危険性があるとも述べました。

(要約)

( 181430 )  2024/06/17 00:51:07  
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ひろゆき氏 

 

 実業家のひろゆき氏が16日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、“差別がなくならない”理由について分析した。 

 

【写真】いい笑顔 子どもを抱くひろゆき氏と乙武洋匡氏 

 

 一般のXの、人権についての関係者が圧力をかけることがあり「人文学者様の『人権にたいする炎上をなくすために僕たちを雇うべきでは?』には警戒心しかない。」という投稿を引用。「『差別をなくそう』と表向き言ってる人が差別をネタにして飯を食ってたりする。差別が無くなると飯の種が無くなるので、必死で差別を作り上げて、些細な問題を大問題として取り上げる。」とコメントし、差別がなくなると「差別をなくそう」と言っていた人が困るという矛盾を指摘した。 

さらに「無知で正義感の強い一般人も正義の側に立つ気持ち良さで参加する。綺麗事を言いながら涙流しちゃう人とかね。」とドライに説明。純粋な思いがはらんでいる危険性にも言及した。 

 

(よろず~ニュース編集部) 

 

よろず~ニュース 

 

 

( 181429 )  2024/06/17 00:51:07  
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(まとめ) 

「差別」と「区別」の違いや、差別を無くそうとする運動が自己利益や利権に結びつく側面などについて、様々な意見がありました。

一部の声では差別を無くすことの難しさや必要性が指摘されており、また、正義感や人権活動によって利益を得る側面も論じられています。

さまざまな視点がある中で、差別や正義に関する複雑な問題に対して、議論や検証が求められていることが示唆されています。

( 181431 )  2024/06/17 00:51:07  
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・一度、「差別」と「区別」の違いを定義する必要があると思う。 

 

「差別」という言葉を自分の都合の良いように使っている事例が多々ある。 

 

辞書的な意味では「他よりも悪い扱いをする事」のようなニュアンスで説明される事が多い。 

 

しかし、例えば選抜テストなどで、成績が悪い人を成績が良い人より悪く扱うのは当然なわけで、機会が平等であれば結果が不平等でも「差別」とは言わないようにする必要があると思う。 

 

他にも色んなケースは考えられるけど、一言で言うと、合理的理由がある場合は「差別」ではなく正当な「区別」だと定義した方が良いと思う。 

 

 

・問題なのは「これは差別では」という問題提起が、必ず聞き届けられなければならない錦の御旗みたいに扱われてることのほうで、今まで差別と思われてなかったことに対して「差別ではないか?」と問題提起すること自体は大事だと思います。 

部下から上司に対するパワハラとか、父子家庭が実は差別されてる問題とか、決して糾弾ではなく、問題提起があって議論されることが大事だと思います。 

 

 

・多くの日本人は「差別」と「区別」は違う、「区別」はよくて、「差別」は悪いというわけのわからないことを真顔で口にする。この稚拙で摩訶不思議な論理を世界中の子どもたちが笑っている。水平的に分類するのが「区別」で、垂直的に分類するのが「差別」。「区別」と「差別」に、いいも悪いもない。一体英語でどう使い分けるのか。恣意的な分類により、排除したり、不利益を与えることが問題であり、「区別」、「差別」は何の関係もない。「区別」だからといって恣意的に排除してもいいということには決してならない。また、表現においても「差別」はだめだが、「差別化」は認められている。こんなややこしい言語が世界に通用するはずがない。また、この国の「おもてなし」は水平ではなく、垂直分類の「差別」に当てはまるが、この場合、「差別」だから悪いということではなく、対等であるべき主客関係において、相手の属性により恣意的に利益不利益の分断を 

 

 

・差別差別と声高に叫んでいる人こそ差別しているように感じるところがあるよね 

敵対心を煽ったり分断化を煽ったりして差別を加速しているのは概してそういう人たちではなかろうか 

 

声高に叫ばなくても傷ついている人たちがいることを伝えたり、そういう人を助ける行動に出たりはできるだろう 

 

そっとしておいてほしい人たちも声高な人たちによって矢面に立つことになったりとか 

 

一般的に差別されているとみられない人たちが、本人としては差別されていると感じていることもあるのかもしれないって想像だけはしておいてほしいな・・・ 

 

 

・そもそもですが『差別をなくそう』という人達は、日常的にそれに同調しない人達を攻撃しているじゃないですか。 

その「攻撃」自体が『差別』にあたると思いますけど・・。 

(「攻撃する」=「敵とみなしている」という事ですから敵・味方を明確に『分けている』=『差別している』という論理です) 

 

もし真に『差別をなくそう』、また「(差別を)なくさないといけない」と考え、同調者を増やそうと考えるのであれば、採るべき手法は「攻撃」ではなく「説得」であるべきと考えますが・・。 

 

 

・今日放送されたTBS日曜劇場「アンチヒーロー」でも「人は人を裁くことが快感」というセリフがありました。このセリフは、ひろゆき氏が指摘する「正義の側に立つ気持ちよさ」と通じる部分があるかと思います。 

 

かくいう私も偉そうなことを言えるような立場ではありません。 

ヤフコメや他の場所で、正義で人を攻撃することに快感を覚えてしまっています。 

これは動物的な本能なのか、それとも知能を得た人間特有のものなのか、分かりません。 

 

もちろん差別を容認するつもりはありませんが、人間に正義感というものが備わっている以上、差別がなくならないのはどうしようもないことなのかもしれません。 

 

 

・障害者のことに関しても、最近、大学が障害者の学生を受け入れる割合が減っている(データの取り方によって違いがあるかも知らんが)と言う記事を見たが、障害者との共生を訴える人文学者がいる組織ですら満足に出来とらん時点で、示しがついとらんやろうね。近頃の大学や学者が舐めなれる一つの要因やと思う。また、普段の報道番組や情報番組で、コメンテーターの「差別をやめましょう」とか「多様性を実現しましょう」のコメントに安易に共感しとる視聴者は、当事者がテレビ出演した場合、ちゃんと視るのか?或いは、突然、「家でこの人の面倒を見てやってください」と言われた時に引き受けることが出来るかどうか、よく考えてから共感なり同情なりすべきやろうね。そもそも、多様性やら非差別を訴えるテレビ局が障害者の方々を積極的にテレビ出演させとらん時点でアウトやろう。 

 

 

・世の中には、いや、特にヤフコメの中には、正義を盾に人を殴ることを楽しんでいる人が多いですからね 

人種差別も、魔女裁判も、当時の正義を権力側が乱用した結果です 

プーチンの侵攻だって、イスラエルの空爆だって、アメリカの原爆投下だって、彼らはそれを正義だと主張している 

つまり、「正義」ほど危険なものはないんです 

 

しかし一方で、正義がなほざりにされ、正義を尊重しなくなったら、人の世には修羅しか残らなくなるでしょう 

 

正義の旗印を、常に客観的に、懐疑的に観測していくしかないんです 

そして、正義の旗印が誰かを不当に貶めていないか、皆が冷静に確認していかないといけない 

正義は相対的なものであり、確実な正義などない 

だから「それはおかしいのでは?」という疑問を口に出せる状況をきちんと残さないといけないのだと思っています 

疑問を封じるような正義、疑惑を封じ込めるような正義には、私は追従したくありません 

 

 

・一見「あっ、言われてみればそうだ」と思う論理展開 

三段論法にちかい 

 

警察と犯罪者にも該当する 

 

視点として、差別を受けた人や犯罪にあった人の観点が欠落している 

 

机上だけで、現実に触れない人は、対立軸のみで語ってしまう 

 

差別と戦っている人の多くは、「差別をなくそう」ではなく「差別をなくして、困っている人を助けたい」のであって、正義感より人間としての義務感に近いのでは(ひろゆきが言っているような人も少なからずいるとは思うが大勢ではない) 

 

あと、差別も犯罪も基本的には人間がいる限り無くならない、それがないのはパラレルワールドに近い 

 

正義感は危ないというのは同意するが、この「正義感」よりもっと危ない正義感があると思うのだが 

よくアメリカがやるやつですわ 

そして数年後失敗がわかって反省するのは良いのだが、関係ない人々がどれだけ死んでるの 

宗教や民族、国威がからむ案件が一番厄介 

 

 

・〉差別がなくなると「差別をなくそう」と言っていた人が困るという矛盾 

 

まず基本的に差別は無くなりません。 

有史以来差別は存在し続けているのに、生きている間になくなるとは思わない。 

というか最近は差別が細分化されているのでむしろ増えている。 

 

であれば、よそから差別だと攻撃されるのを防ぐのに雇うって選択肢はなくはない。 

 

警察や消防などと同じです。 

どれだけ気をつけても防災しても、事件や災害は無くならない。 

 

まぁ雇って本当に防げるのかって問題はあるけれど。 

 

 

 

・リアリティは置いといて、まるっきり立場逆転したらどうなるかって考えたら中々に恐ろしいよね。 

映画化したら面白いかも。 

疑似体験に近いことできるかも。 

障害があって、精神状態コントロールできなかったり何言ってんだかわからなかったりするような人もいて、その人たちの下で働き暮らす。 

アジアだったり同和だったりアイヌだったりLGBTだったりの人に蔑まれる。 

賃金も暮らしぶりも行動範囲も大きな格差がある。 

もしそんな世界になったら、不服を申し立てたり闘ったりするかな? 

自分だったら屈して受け入れて静かに暮らしていきたいと思うかも知れない。 

障害者だったりアジアだったり同和だったり・・・の人は望んでるならそうすりゃいいじゃん、と言う。 

それでいいならいいけど、そういうエンディングのシナリオってどうよ。 

 

 

・この人自体はあんまり好きじゃないけど、何が絶対的に正しい、とは言わない所は好き。 

物事を誤解しないで理解するように考えてる人だと思う。 

自分で考えて、分かり易く発信する能力がすごく高い。 

 

 

・ひろゆき氏の理屈は、光があるから、影ができる。光がなければ、影はできない。ひろゆきさんは、普通の人が考えないようなことを考える人だと感心します。タワーマンションの件もこの人から知りました。 

 

光が強くなれば影も濃くなるような、例えでしょうか?。 

 

 

・ひろゆきの場合、論理的に議論をあまりしない日本人に対して、あえて反論したくなるような逆張りのコメントで煽って議論をさせるように問題提起するのはいいやり方だと思う。 

腹が立つにせよ論理的に考える練習になる。 

ただ、なんかイマイチキレがないんだよな。 

特に倫理的なテーマに関してはマンガというか幼稚なイメージがある。 

差別をなくそうって大人は実は悪の組織で信用出来ない的な、いやいや普通に本気で差別なくしたいって思ってやってる人もいるだろ。 

 

 

・そういや「正義」とか「邪悪」とか、歳とるにつれ使わなくなりましたね。「差別」はたまに使うか。 

 

同和団体、環境保護団体、SDGs、人権保護団体、LGBTQ、自然エネルギー財団、経団連、同友会、あらゆる宗教団体、各報道機関、全て遠巻きに観察するようになりましたね。そのポジションに立っちゃうと、冷静に主張を判断できない。需要と供給、主張の思惑考えると、色々と身構えるようにならぁね。 

 

特亜4国の主張はもちろん、米やEUの言い分にもエゴや思惑が多分に混じってるなぁ…と冷静に物事を見るようになりましたね。人権思想や文化についても、いいとこは取り込めばいいと思うが、日本に合わないものまで押し付けられるのはまっぴらゴメンだ。 

 

かといってひろゆき氏のような立場にも立つのはどうかなと。斜に構えすぎというか、この方決めつけちゃうのよね。そういう考え方もあるとは思うけど。 

 

自分も歳を取ったな。 

 

 

・かつての差別を解消するための団体とかも歴史的役割をほぼ終えているのにいまだその人たちの飯の種として残っているよね。 

思うんだけど人間って差別を作り出すことによって自分の存在意義を見出そうとするところはあるんだよね。 

今の時代で言うと、陰キャ陽キャとか、フォロワー数でマウントとるとか、こういうのって人間の本質なのでなくならない。 

基本的には自分に自信とかプライドがない人がマウントとか差別するイメージだよ。 

プライドがある人はそんな愚かなことをするのはカッコ悪いと気付くから。 

 

 

・歯医者で、小学生が一度は考える小理屈。大人になって、まだこの程度のこと言っているのか。 

歯医者も虫歯がなくなったら困るかっていうと、色々工夫して真の新たな需要が生まれ、人々は更に幸福になっている。差別も同じ。際限なく幸福を目指すのに、遠慮は要らない。 

小理屈言って儲けていることの自己矛盾に気づかないほうが、心配。 

 

 

・人文学者さん達は差別が無くなったとしても困らないと感じます。それだけしか仕事してない何て事ない。それに時代の流れで無くなった職業なんて山程有る。そもそも、何を目的や目標にして、その職業を選んだのか? 

 

それ等を踏まえ調査した上で記事にあるようなコメントしているのだろうか? 

不思議になる。 

 

 

・差別がなくなすなんて、人間や生物を否定するようなもの。生きる手段の一つ。 

ただ、気持ちの中にそれがあっても、臨機応変に相手を尊重するとか、攻撃を控えるとかできるのが、人間とそれ以外の違い。 

だから、正義を振りかざして攻撃する奴らは、動物みたいなものではないか? 

そんな奴らにSNSを使えるようにした人間は、不幸を拡散してしまってる。 

 

 

・誰も自分が「差別をしている」という自覚なんて持っていないわけで、「差別を無くそう」という声を自分ごととして素直に受け止める人なんて世の中に1人もいない気がする。 

 

 

 

・正義感というのは中毒性のある毒だしね。 

毒をもって毒を制すという諺としての意味はあるが、毒は毒。 

 

差別を無くすとはそもそも差別そのものを知らないでいる事だしね。 

 

 

・結局は人の見ている所だけルールを守って、 

人の見ていない所では悪口を言ったり、 

嫌がらせをしているからでしょう。 

要するに名ばかりコンプライアンスなわけです。 

人の見ていない所でも守ってこその 

コンプライアンスだと思いますよ。 

 

 

・差別はなくならない。 

人間は差別する生き物だし、価値観も時代によって変わっていくから、差別はなくせるものではない。 

 

先週もMrs.GREEN APPLEの新曲『コロンブス』で騒動があったばかり。私も猿(類人猿)に教える描写は、NGだとは思うが、さすがに叩き過ぎではないかと思う。異世界物でよくある現代倫理観無双そのものなんだよね。 

 

いまコロンブスを叩いている人たちは、500年後の人類(存在していれば、だが)から、そのときの倫理観でぶっ叩かれことは、たぶん想像できていないんだよな・・・ 

 

 

・> 無知で正義感の強い一般人も正義の側に立つ気持ち良さで参加する。 

 

この見解には、西村博之の認知バイアスが影響しているな。 

 

「人権にたいする炎上」とは別の話で、「差別」"discrimination"によって不利益を被る人は確かに存在している。アメリカの公民権法も、空疎な「正義」を奉ずる人たちが余計なお世話で作ったものなどではなく、人種差別による不利益から実際に当事者を守るためのもの。 

 

日本が批准する人権条約の内、人種差別撤廃条約、女子差別撤廃条約、障害者権利条約の3つには私人間の差別禁止条文が含まれ、これらもアメリカ公民権法と同様の立法趣旨を持ったものと考えられる。 

 

ただし、これらの条約上の禁止されるべき「差別」は、日本国の社会通念上の責められるべき「差別」とは必ずしも一致しない。そのせいか、これらの条約を根拠に差別を行った者に賠償請求をしても、裁判官は請求を棄却する。 

 

 

・人類で最も恐ろしい言葉がある。 

 

それは「正義」と言う言葉だ。 

 

近代史においても「ヒトラーの正義」で、ユダヤ人の妊婦・幼児・老弱男女かまわず600万人以上殺戮した。 

 

ロシアのスターリンは「共産主義の正義」で3000万人を殺した。 

 

同じく共産党中国の毛沢東は「毛沢東共産主義の正義」でやはり3000万にを殺した。 

 

又、同じ「毛沢東共産主義の正義」を標榜したポルポト派は、医師や教師などの知識階級の国民や一般国民を600万人以上撲殺している。 

 

そして今現在もロシアのプーチンが「大ロシアの正義」を掲げて、ウクライナを侵略しウクライナ人数十万人のが薬殺を、平然と行っている。 

 

かように「正義」という言葉ほど恐ろしい物は無いのだ。 

 

 

・確かに… 

 

差別やハラスメントを「無くそう」と 

言ってる人達が新たな差別や◯◯ハラと言って 

騒いでいる感は実感する 

 

でも動画に無駄だとも思わないし 

危険性や疑問を理由に言ってる事までは 

否定したくない 

 

ひろゆきは「どうしたら良いのか?」は 

あまり発信しないのかしら? 

 

個人的には「ターゲット」を絞り 

再任はありますが期間を定めて活動すれば 

ひろゆきの言ってる事に対して 

それなりに反論出来るのかしら? 

 

クーデターや反乱もそうよね 

特に「いつまで」は大事かも知れない。 

 

 

・>差別がなくなると「差別をなくそう」と言っていた人が困るという矛盾を指摘 

 

差別されているという地域の住所をさらしていた方がおりまして、被差別側の活動家どころかマスコミ総出でフルボッコしてました。 

 

が、(賛否は別として)その方の考えとしては、◯和教育が始まってからむしろ"差別への意識"が芽生えたとか。 

 

"差別"ともまた少し違って、それまで一緒に遊んでいた友達間で気を遣い始めるようになってギクシャクし出したそう。 

ちなみにその方は被差別側の地域の方で、困惑しかなかったそうです。 

 

っていう話はほとんど紹介されず、ただの差別主義者みたいに扱われて叩かれてましたね。 

 

 

・差別はなくならないよ。一定期間抑えてもいつか爆発する。ある人種、職種、地域、などなどから不快な思いをしたならその思い/傷は長期間消えない。自然の性というか人間として当たり前だと思うが。 

 

 

・差別は無くすものじゃなくて向き合うもの。 どんな人とも仲良く出来ると思ったら大間違いだし、世の中には仲良くしてはいけない人もいる。 

 

 

・「差別と闘う」人・団体・運動に対する十把一絡げな決めつけはよくないです。 

当事者以外は「はぁ?」と叫んじゃうことでも当人(達)にとっては深刻だったりよくよく考えたら当たり前の指摘だったりします。 

 

 

 

・差別を無くそうというと頭の良い人々は差別と区別は違うと言い出すだろうし…ならば多様性を認めて偏見を無くして行こうというほうがいいのでは… 

 

 

・逆張りが過ぎるな。 

30年前は普通に就活で学歴フィルターが堂々とあって、大手だと最終選考で住んでるあたりに聞き込みにきたり探偵も使ってたよ。 

 

フィルターで外される自分が悪くて、分相応に安く人に使われるのが当たり前と思って受け入れて我慢した方が良いという事なんかな?自民党みたいな考えだな。 

 

 

・これは近視眼的というやつ。ひろゆきらしい。 

 

例えばの話。差別や人権問題で食ってる弁護士よりも、過払金請求で稼いでる弁護士の方がいい服着て、いいもの食ってるよ。 

 

貧困ビジネスと揶揄される子ども食堂も、儲かるなら大企業が皆こぞってやってるはず。公金が少しでも入ると「利権がー」とめくじら立てて騒ぐ人はアタマがおかしい。 

 

人権ビジネスが利権化してカネが稼げると思うなら、ひろゆきはとっくに参入してるはず。してないよね。そういうこと。 

 

 

・正論に対して意見を言えないから、そういう輩が跋扈する。例えば北方領土も返還されたら困るから、解決をしようとはしないのも同じ。解決したら予算をつけてもらえなくなるし、ポストが減るからね。 

 

 

・どこかの記事で、障害について理解してたら同一に扱えるわけがないみたいな 

コメントしたら、実に7割もの人が「うーん」を選択したんですよね。 

ゾッとしますね。現代日本は雰囲気で可否を決める人が7割。 

 

 

・"差別"と言ってもそれぞれに背景があるのに一言にし過ぎなんだよね。 

そこの線引きが出来ない人ほど"無知"とか"世界のトレンド"とか言ってマウントを取ろうとする。 

それこそ相手に対して無理解のまま多数決で自分の正義を押し付けようとしてる行為じゃないかなと思う。 

自分の不満を社会の不満だとすり替え、大義名分を得たと勘違いして攻撃してる人は多いよね。 

 

 

・>「『差別をなくそう』と表向き言ってる人が差別をネタにして飯を食ってたりする。差別が無くなると飯の種が無くなるので、必死で差別を作り上げて、些細な問題を大問題として取り上げる。」 

 

タブー中のタブーに切り込んできたな。 

これをAbemaで取り上げたら関心するけどな。 

界隈の住人が発狂しそうだけど。 

 

 

・かっては差別を受けていた人たちはみんなが平等になったら自分らの活動の場が無くなっちゃって困るからね。 

今では差別を受けるどころか優遇されているのに差別を受けていることを主張するのに頑張って?いる。 

 

 

・そりゃ意識の高いインテリを小馬鹿にして、バカな大衆の留飲を下げることで金を稼いでいる人文系芸人にとっては困るでしょうなあ。しかし位置エネルギーは存在しないだの、偏差値50以下は全体の50%だの余計なことは言わないほうがいいですよ。 

 少子化対策は止めろと主張してもらえませんかね?社会正義などどうでもいいんでしょ。 

 

 

・>正義の側に立つ気持ち良さで参加する。 

 

これあるよね。今だって私は「差別を無くそうと言ってる奴が一番差別している」などと言って、正義を振りかざして楽しんでいるからなぁ… 

 

まぁ、こんな事やってる暇があったら勉強するか仕事でもやってたほうが有意義なのは分かってるんだけどな… 

 

 

 

・結局自分らの思い通りにするための大義名分なのよ。 

ネットによって情報が多くの人間に拡散できるようになった現在、環境や平等、平和などから小さなイエスを繰り返し促させて誘導するのがそういう人たちの手口な訳だ。 

 

 

・だな。 

たとえば今、触らないチカン…つまり見られている事で不快に感じる男性に対して何とかして「視線によるチカン行為」を創作して圧迫を与えることが考え出されているし…… 

 

 

・人類が滅亡するまで、差別やハラスメントは無くならないって。 

法整備して、なんとかするしかないと思うよ。 

残念ながら、国会は悲惨な状況で、爺様達は、自分達の都合しか考えてないがね。 

 

 

・善意の環境保護活動でやる無償の回収活動が、資源の有効活用を事業にしているリサイクル業者を廃業に追い込んで、結局成り立たなくなるのと同じ図式よな 

 

 

・差別をなくそう、とういう行いをする時点で 

差別が生まれてる気がする 

 

LGBTもだけど、気にしてなかった事を 

無理やり意識させられたせいで 

面倒な世の中になったな、と感じた 

 

 

・差別やいじめをなくすのは難しいけど、なくそうと努力することは必要。 

西村博之のような、何らかの行動をしたり運動をする人の揚げ足をとる男が最もみっともない。 

子どもに教えていったほうがいい。西村みたいな斜に構えたオッサンにだけはなるなと。 

 

 

・学校で差別はやめようとか無くそうとか教えるけど、一緒に逆差別という言葉も教えてほしい。 

 

 

・同じ事象を否定的には「差別」といい。肯定的には「区別」という。 

曖昧な言葉は使い勝手が良いですね。 

 

 

・ある人にとって都合のいい差別が区別と呼ばれる。区別が肯定される限り差別はなくならない。 

 

 

・医者も病気が無くなったら困るし、警察も犯罪が無くなったら困る、武器屋も戦争が無くなったら困るし政治家も住みよい国になったら困ります。 

 

 

 

・この人の矛盾点は論理的なんだけど責任感は欠如してるところね 

社会に参加する人は責任感が無いと相手にされない 

 

 

・綺麗事で世の中回ってるのなら、それを 

無くせないってのもそうなんでしょう。 

 

他人を論破したところで、何も解決しない。 

 

 

・どの世界にもマッチポンプは存在すると思います。ただそれだけのことかと。 

・・・「正義感」がはらむ危険性・・・ 

このタイトルも同じに見えてしまいますね。 

 

 

・そもそも正義て何? 

それ自体実は曖昧な物、時代、場所、見方が変われば基準や価値が変わる物なんだよね 

 

 

・まあ、「○○を無くす」のではなく「○○を無くす方向へ進んでいる」が目標っぽい人はいますが。実際に無くなっちゃうと喪失感感じて何この人になる。 

 

 

・某特撮ヒーローも言ってましたが、正義を振りかざす人間はホントどこまでも残酷になれますね。 

 

 

・結局は無くなる事はないんですよね。 

犯罪も何もかも。平和は幻想なのでしょう。 

 

 

・なんだろう 

どう育てばこんなひねくれた発想が出てくるんだろう 

そして自身の解決策は示さないんだよな 

 

 

・差別をなくそう、それが差別だからじゃないかな。 

どこに線引をするかで変わる。 

 

 

・文化・芸術・人権・平和・自由・etc、誰もこれに異を唱えられない 

そこに利権は必ずある 

 

 

 

・天皇とか王とか残してる大矛盾。 

本当に差別を無くす木かあるならこんな制度真っ先に廃止するよな。 

 

 

・多様性を認めようと言って反対意見の人を猛烈に攻撃しているどっかの政党思い出した。 

 

 

・この人、リベラリズムが嫌いだよね(笑)。勝ち抜け主義というか。負けた人間は仕方ないという発想。 

 

 

・差別をなくすことはできなくても 

優遇をなくすことはできるんじゃないか。 

 

 

・卵が先か鶏が先か見たいな問題。 

形は変わっていく。 

 

 

・>差別がなくなると「差別をなくそう」と言っていた人が困る 

 

困りはせんだろう 

もし差別がなくなったとして、その時は別の飯のタネで騒ぎだすさ 

 

 

・マナー講師と同じで飯のタネであるマナーを無限に作り出す流れになるでしょうしね。 

 

 

・いいこと言ってても、自分は賠償金踏み倒して被害者の人権を踏みにじってるじゃん。 

 

 

・この方は2ちゃんねるの管理人時代に解同にお呼ばれされたことがあるんじゃないのかな 

 

 

・まるでいつも自民党に文句言ってるのに、 

自民政権じゃ無くなったら困るあの党の様ですね。 

 

 

 

・おまいう、って言葉しか出てこんけどなぁ。 

 

正論を言う人をネタに飯食う人。 

 

 

・つまりSDGsも永久に達成されませんね。 

 

 

・優遇すればするほど差別が広がっていく。 

 

 

・差別を無くすにはBやZの人権利権団体を 

無くす以外ありません。 

 

 

・なるほどひろゆきがネットにコメントを出す理由ですね! 

 

 

・無くなるわけがない 

 

 

・後ろめたいことがあるんですかね? 

知らんけど。 

 

 

・これって、ご自身の気持ちを吐露したものですか? 

 

 

・戯言にしか聞こえない 

 

 

・そのとおり。 

 

 

 

・それこそ、あなたが都知事選出ればいいじゃん! 

論破王さん 

 

 

・まず差別と区別がある。それはここでは良いとして。 

差別とは精神的な疾患を患っていない一般健常者から見ると 

簡単に言うと「仲間外れ」というマーキングをつける(障害者は置いておいて)。 

肌が白黒、髪が黒、金、白、直毛、巻き毛等ある地域ではどれもがスタンダードである。だが初めて見たり珍しい地域では奇異として見てしまうのはどうしようもない事。それを責めても意味はない。 

問題なのは立場や利益が絡んで、どうしても自分(達)を有利な状況に置いておきたいや目をそらせたいという事。この世はユートピアではなく競争社会なのだ。一方貧乏人という蔑視はあるが金持ちという蔑視は余りない。 

今世界で出ている話題にアメリカはなぜこんなにも人種差別にヒステリーなのかという事。世界の富のかなりをほんの10人前後が握っている、そんなの普通であれば紛争が起きる。それを逸らすために人種差別が利用されているのではと。怖い話である。 

 

 

・差別なんてなくなればいいとは思います。 

しかし、古今東西、差別がなくなった試しはないです。 

元も子もないけど、差別をいなして生きていくしかないんだと思います。 

ところで、このひろゆきも、自分と意見の異なる人を頭が悪いだとか平気で言ってしまう差別主義者であることは明らかです。 

こいつを真似て、差別が差別を生んでいるようにも思えます。 

なぜ藪から棒にこんなことを、Xで言い出すのか知らんけどね。 

まあ、賠償金を支払わずにフランスに逃げるなんて、心底軽蔑しますけどね。 

 

 

・犯罪を無くそうとして日々業務に邁進している警察官を「犯罪をネタに飯を食ってる」とは思わないし、病気の治療のために頑張ってる医者を「病気で飯食ってる」とも思わない。 

同様に差別をなくそうとしている人が、差別をネタにして飯を食ってるとも思わないし、「差別を作り上げて、些細な問題を大問題として取り上げてる」のはヒドい認知の歪みだと思う。 

 

 

・差別は差別を問題視する人が作りあげるものだと?じゃあ、差別があっても「今のは差別じゃ無い」「被害妄想だ」と自分に言い聞かせていくのですか。 

差別をなくそうとする声に対し「必死で差別を作り上げて、些細な問題を大問題として取り上げるビジネスだ」「気持ち良いから正義の側に立つだけ」と矮小化する行為こそ危険だと思いますが。 

ヤフコメでもこのような意見は多いけれど、いざアジア人差別などがあると批判する側にまわる矛盾。 

 

 

・ひろゆきの言ってることよりもっとシンプルな話だよ 

 

テレビとかで差別をなくそうとか言ってる連中が、じゃあ西川口や新大久保みたいなとこに住んでるのか。当然誰も住まず、ましてマンションなんて買わない。他にも欧米のブランド品や高級車ばかり買って喜んでんだから。 

 

これは差別以外何者でもないんだよね 

世間知らずで箱入りのお坊ちゃんお嬢ちゃんが、かっこいいこと言って自分が正義と信じて疑わないだけなのよね。 

 

 

・差別とは少し違うけど、ゴシップ誌の語る正義とかまさにそんな感じだよね。ゴシップ誌の前提がダニやハイエナのように芸能スキャンダルを貪り食うことによって存在するものであるのに、なぜか芸能人を叩いて正義の味方ヅラ。例えば弁護士の正義とかも金が発生するという時点で純粋なものではなくて営利行為なのだけど、そういうのとは次元が違うというか。どう考えても利益優先なのにどのツラ下げて正義を語れるのか… 

 

 

・LGBTQの虹色のトレードマークのせいで、虹色にたいして違和感を感じる人が増えました。 

もしノーマルの方が虹色の服を着たら、その方は周囲からLGBTQに見られるでしょう。 

これは、差別をなくそう運動のせいで周囲に影響が出る一例です。 

 

 

・人権派と差別の相似関係は、医師と健康、弁護士とトラブル・争議などなどあり、今の世に人権派は必要だが裾野が広すぎるのが問題 

 

例えばLGBTQへの理解を示すことが意識高い、カッコいいという風潮になると、「トランスジェンダー女性は生物学的区別を問わず性自認のみで女風呂・トイレを使わせるべき」など 

自称意識高い系が自己顕示欲から人権の意味も分からず声を上げるのが迷惑 

 

 

・んー…まぁ、差別って声高に言うのは一種のマウント行為だと思います。 

 

例えばお子様ランチって、子供しかダメだから差別だ!なんて普通は言わないわけですが。 

これを真顔で差別だ!って言う人が出てくると急造マイノリティ正義の出来上がり。 

ぽっと簡単に正義マウント発生しちゃうんですよね。 

 

当たり前、常識、そういうボーダーのあるところに知った顔で切り込むのが差別と言う言葉。 

 

で、大概において、これは差別だ!と声高に主張する人が一番差別している人です。 

なぜなら、他の多くの人は差別と思っていないルールを差別扱いするからです。 

 

派遣社員/正社員で待遇が違うことを差別という記事なんかは、そのあたりが分かりやすくあらわれます。 

 

 

 

 
 

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