( 181492 ) 2024/06/17 02:05:36 2 00 「驚くほど洗練された高速爆撃機」海外も絶賛した旧海軍機とは 生みの親は戦後に鉄道へ乗りものニュース 6/16(日) 18:12 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/920f3bc32e4247a9903288bec7267ffcd57bdac9 |
( 181495 ) 2024/06/17 02:05:36 0 00 旧日本海軍の陸上爆撃機「銀河」(画像:Public domain、via Flicker)。
「銀河」は旧日本海軍が開発した唯一の陸上爆撃機です。それまで空母に搭載する艦上爆撃機や、陸上から運用し、爆撃や魚雷攻撃(雷撃)ができる陸上攻撃機は存在しましたが、陸上から運用する前提で、急降下爆撃や水平爆撃を行える航空機は存在しなかったのです。
【貴重なカラー写真】陸上爆撃機「銀河」
もっとも「銀河」は魚雷も搭載できたため、陸上攻撃機ができることは全てできた万能機でした。「銀河」に類似する航空機は終戦まで登場しませんでした。
なお「銀河」は開発経緯も一風変わっていました。旧日本海軍では、作戦・指揮を統括する軍令部が性能標準に基づいて、海軍省に必要な航空機を要求して開発していましたが、後に「銀河」となる十五試陸上爆撃機は、性能標準には存在しない機種でした。
横紙破りが許されたのは、その性能標準を作る側である海軍航空技術廠(空技廠)による実験機が始まりだったからです。そもそも「銀河」自体が実戦用の爆撃機開発計画ではなく、航続距離の世界記録を狙う実験機「Y20」として計画されたものでした。
1940(昭和15)年に、実戦部隊の航空参謀から「航続距離3000海里(約5500km)の大航続力で、1トン爆弾を急降下爆撃できる高速爆撃機が登場すれば、航空戦力が画期的に向上する」という要望が出され、Y20が「銀河」の研究にシフトしました。
当時、欧州で始まっていた第二次世界大戦では、「戦闘機より速い爆撃機」として開発されたドイツ軍の双発爆撃機「Ju88」が急降下爆撃もこなしており、双発爆撃機への期待度が高まっていたのです。
旧日本海軍の一式陸上攻撃機(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。
「銀河」の目指した航続力5500kmとは、一式陸上攻撃機一一型の偵察状態である5882kmに近く、急降下爆撃機としてはとてつもない数字でした。大航続力で有名な零戦二一型でも3350kmです。そのような爆撃機が実現したら戦闘機は護衛できませんので、零戦並みの高速性能で身を守ることとされました。旧軍の常として要求は膨らみ、「銀河」は魚雷も搭載可能で大型空母からも発艦できる航空機とされたのです。
高性能を実現すべく、通常は行わない試作中のエンジンである中島飛行機NK9B(後の「誉」)を搭載。さらに重量を軽減するため、搭乗員を3名にまで減らしました。ちなみに、同じく双発の一式陸上攻撃機の搭乗員は7名です。胴体幅はわずか1.2m(一式陸攻は2m)で、これは単座戦闘機である零戦と同じ細さでした。
飛行中にパイロット交代はできない構造なので、疲労軽減のために自動操縦装置やリクライニング機能付き操縦席が装備され、熟練搭乗員の乗務が前提でした。
この時期の日本機としては、防弾装備も配慮されていました。座席背後には厚さ7mmの防弾鋼板、エンジンには消火装置、9個ある燃料タンクのうち2~5番の常備タンクは全て防弾で(非防弾タンクは進撃時に燃料を使い切る前提)、厚さ32mmの独立気泡スポンジゴムで守られていました。
1942(昭和17)年6月に完成した試作機は、最高速度566.7km/h(要求は511.2km/h)、航続距離5371km(同5556km)、急降下制限速度703.8km/h(同648.2km/h)と、要求性能をおおむね上回る高性能を発揮します。それまでの一式陸攻一一型の最高速度453.7km/hから飛躍した性能でした。ただし防御火力だけは20mm旋回機銃2挺と少なく、一式陸攻一一型の7.7mm旋回機銃4挺、20mm旋回機銃1挺より劣っていました。
このような高性能を示した「銀河」ですが、空技廠の設計では量産できないとして、中島飛行機が設計を変更するなどした結果、中島製の試作機が完成したのは1年2か月後の1943(昭和18)年8月。量産は同年11月からとなりました。
「銀河」は特攻作戦にも投入された。写真は1944年12月、フィリピンのスールー海峡でアメリカ軍の護衛空母へ突入を試みるも撃墜された「銀河」(画像:アメリカ海軍)。
部隊配備は1943年8月から行われたものの、1944(昭和19)年6月のマリアナ沖開戦時でも数がそろわず、6月15日に出撃した10機のうち8機は未帰還。18日は8機中7機が未帰還と、大きな損害を出しつつも、戦果はあげられませんでした。
「銀河一一型」として制式採用された1944年10月の台湾沖航空戦では大損害を被りつつも、1機がアメリカ軍の軽巡洋艦「ヒューストン」に雷撃を成功させ、大破に追い込みます。
しかし部隊は壊滅し、直後のレイテ沖海戦当初、フィリピンに展開していた「銀河」はわずか2機だけでした。レイテでは「銀河」は特攻に用いられ、駆逐艦「アンメン」「クラクストン」を体当たりで損傷させ、貨物船を撃沈しています。通常攻撃(爆撃)では駆逐艦「キレン」を撃破しています。
1945(昭和20)年3月の航空戦でも、「銀河」は体当たりで空母「ランドルフ」を大破、「イントレピット」を小破させたほか、空母「フランクリン」を急降下爆撃で大破させています。
続く沖縄戦で「銀河」は、大型駆逐艦「ドレクスラー」を撃沈、輸送船1隻を大破、軽敷設艦1隻、戦車揚陸艦1隻、貨物船1隻を小破といった戦果をあげています。しかし消耗も大きく、約1100機生産されたうち、終戦時の残存機は182機でした。
また、高速性能や搭載量を活かして、下向きに20mm機銃を搭載した改造機や、上向きに20mm機銃を搭載した夜間戦闘機型(後の試製「極光」)なども製作されましたが、成功は収めていません。
期待されたほどの戦果をあげられなかったことから「国破れて銀河あり」と揶揄もされた「銀河」ですが、終戦後にイギリス航空誌で「350マイル(563km/h)出る、驚くほど洗練された高速爆撃機」として高く評価されています。設計統括主務者であった三木忠直海軍少佐は、戦後に技術を平和利用に供したいとして鉄道車両技術者に転身し、小田急電鉄の特急ロマンスカー3000形「SE」や0系新幹線など、鉄道史に輝く名車開発に関わりました。
安藤昌季(乗りものライター)
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( 181494 ) 2024/06/17 02:05:36 1 00 航空自衛隊築城基地には戦争遺構である稲童1号掩体壕があり、この掩体壕はかつて銀河が格納されていたという話が残されています。
銀河は国破れて銀河ありと呼ばれるほどの整備性の悪い機体であり、量産が難しい設計であったと言われています。
日本の航空機開発や戦闘機の性能に関する議論や比較、設計者の苦悩や後日の活躍の様子など、さまざまな視点から銀河についての意見や評価が寄せられています。 | ( 181496 ) 2024/06/17 02:05:36 0 00 ・航空自衛隊築城基地(旧海軍築城飛行場)の外縁に稲童1号掩体壕があります。 コンクリート製の大き目の掩体壕で、明らかに戦闘機用ではないサイズです。 それはこの銀河を格納するために作られたものです。 ここから特攻隊となった銀河が飛び立ち、散っていきました。
現在はきれいに整備されていて戦争遺構として見学できます。 私が子供の頃はほったらかしにされていて、壕の中には近隣の農家の耕運機等の農機具が入っていました。
・名称はエレガントですが、設計はかなり無理を重ねており現実稼働ではかなり問題の多い機体だったと伝えられています 総じて第二次世界大戦中の日本の軍用機は設計上の余裕が極端に少なく各計器類や細かい操作系の精度が悪く、故障率が高かったので、いざという時に爆弾投下しなかったり機関砲が動かなかったり、燃料やオイルがよく漏れたりして ベテランパイロットが肝心要の戦闘シーンであたら生命を落とすケースが少なくありませんでした
加藤隼戦闘隊で有名な加藤隊長ももう少し隼の防弾設備が充実していればあのタイミングで戦死しなかったし、加藤隊で鍛えられた歴戦の勇士も様々な場面で戦闘機の整備不良などで肝心要の場面でロケット弾が発射しなかったり、落下傘が開かなかったりして大怪我したり戦死したりしています カタログスペックは高くてもその通りに動かなかったり何かと信頼性が低かったりして多くの優秀な人材を失ってしまったのです。
・銀河は高性能機と言われているが、例えばアメリカはより高速重武装のダグラスA26を就役させており、イギリスもモスキートを実用化している。日本の攻撃機は爆弾搭載量を1トン程度と決めて燃料搭載量を増やし、攻撃圏を拡げることを主眼にしていたが、敵が近くても爆弾を増やすことはせず、しようともしなかった。欧米は爆弾搭載量+燃料搭載量で考えていたから近距離攻撃時は爆弾搭載量を増やし柔軟に対応していた。日本機は爆弾搭載量を増やさなかったから一機当たりの打撃力が欧米に比べ低く、作戦の効果に大きく関係した。こういう点は、考えが硬直化しがちな日本人の欠点と言えると思う。
・国破れて銀河アリと言われるほど整備性が悪かった機体。 同じ高性能機でも陸軍の四式重爆 飛龍の整備性は良好だった。 大戦後期には陸海軍で基地を共同使用する作戦もあったが、飛龍装備部隊が早々に整備完了して引き上げる中、銀河装備部隊は深夜まで散々苦労したのだとか。 こういうカタログスペックに表れない現場での使い勝手の良さも戦力発揮には重要だったと思う。
・乗員を減らしたのは開発当時の搭乗員技量なら問題ないだろうといういささか無茶な発想、空母に載せる艦爆だから大量生産はないだろうと性能最優先で彗星を設計したのと似た感覚なのは空技廠ならではなのかも(結局、彗星は電気系を油圧系に、お約束の水冷を空冷に換えたりして大量生産となったわけですが) この銀河も量産向きではなかったとの指摘もありますが、型鍛造部品を採用するなど工数を減らす設計にしたはずが当時の日本には型鍛造を扱えるところがなく全てを機械工作で作ることになったのでかえって手間がかかってしまったそうです
・銀河はいろいろと難点の多かった機体のようですが、美しい機体に関しては衆目の一致するところだと思います。そして、設計者である三木氏は後に0系新幹線をデザインする際、銀河を念頭においていたそうです。なので、0系を団子鼻と呼ぶのは少し抵抗を感じます。愛嬌のある、親しみのある格好という意味だとは理解していますが。
・「航続距離3000海里(約5500km)の大航続力で、1トン爆弾を急降下爆撃できる高速爆撃機が登場すれば、航空戦力が画期的に向上する」
開戦当時は空母戦力は日本≧米国でしたが、米国の工業力を考えれば数年で多数の空母を建造して空母戦力で圧倒されることが予想され、かといって空母を量産する能力は日本にはないので基地航空隊でそれを補おうという考えで、敵空母艦載機の単発機より足の長い陸上双発急降下爆撃機(雷撃も可能)で押し寄せる米空母をアウトレンジしようという発想でした。なので敵制空権下を突破できる高速力と航続距離が最優先の設計。ただ実際はそんな都合の良い運用は出来るわけもなく、この機体のほぼ初陣それも雷装機で「急降下爆撃の神様」と呼ばれた江草少佐が戦死されたのは皮肉な限り
・艦隊決戦に先んじる漸滅戦構想下で計画された急降下爆撃機のはず。 その定説を覆すだけの資料なりが新発見されたのだろうか。 海軍航空は雷撃と水平爆撃の艦上攻撃機、急降下爆撃を行う艦上爆撃機のセットで成り立っていた。 漸滅戦構想で南方島上の基地航空隊による先制攻撃が計画され陸上攻撃機とセットになるべきものが陸上爆撃機だった。 急降下爆撃機は設計開発困難なことが予想されたため(艦上爆撃機でさえ困難で開発が遅れた)技術集団である空技廠が計画を担当した。 本来は一式陸攻と同時期に形になっていなければならなかったのだが案の定、開発が遅れに遅れ、一式陸攻の急速な陳腐化もあり、むりやり雷装も加えられ後継機の役割を与えられただけの機体。 本来は攻撃機ではない。
・大戦後期が活躍の機体なので、生産環境も良く無い中で作られて、いろいろな評価もあるようですが、私は単純に「カッコよい」機体だと思っています。「カッコよい」機体は高性能と思っています。
・双発の爆撃機でありながら急降下爆撃まで可能だった高性能機ですね。このサイズの機体では有り得ない急降下爆撃を可能にしてしまう機体設計は素晴らしい物ではありました。尚、ルフトバッフェの万能機として記事にも有るJu-88は急降下とは名ばかりの緩降下爆撃がやっとでした。
・部分的に性能で優れた面があったとしても、数が揃わず十分な燃料もなく、十分な護衛もなく大量のVT信管を備えた対空砲の弾幕の前では戦術的にも意味があったのか疑問なのでは。 ドイツもこの手の優れた戦車などの武器は局部的にはあったにしても、結局は大量生産されたT34やシャーマンや大量の空爆の前でやられてしまったと思います。
・おおまかに 戦闘機と爆撃機(攻撃機)で要求される性能はかわるというのはなんとなく理解できる。
陸軍と海軍で要求する性能の優先順位が変わることも。
ただ、F-15EやF/A-18を知っている近代から見ると、「そこまで区別しないとならないのか?」と思うほどに冒頭の機種の区分だけで若干混乱してる。
違う見方をすると、そこまで細分化された要求性能を一つの機種で満たせるほど現代の技術は進歩してるんだな・・・
・<「銀河」は旧日本海軍が開発した唯一の陸上爆撃機です。それまで空母に搭載する艦上爆撃機や ~ 急降下爆撃や水平爆撃を行える航空機は存在しなかったのです。
急降下爆撃や水平爆撃を行える航空機は存在しなかった と書いてるけど、1式陸攻はマレー沖海戦で、水平爆撃したと思うけど?真珠湾で世界が驚いたと喧伝するけど、一番驚いたのは、動いている戦艦を水平爆撃で着弾させた事に一番驚いたんだよね。 急降下爆撃はドイツ・スツーカの活躍で「航空機の優位さ」をみんな知ってたけど、それは「動かない橋や建物」に爆弾を当てた訳で、「対空砲も持っていて尚且つ動いている戦艦」を航空機が本当に沈め切れるかは半信半疑だった。真珠湾は係留している戦艦、これに対しプリンスオブウェールズとレパルスは戦闘準備した生きている戦艦。これを水平爆撃で葬ったから世界は驚愕した。
・高速爆撃機の要求に応えるべく洗練されたデザインで本当にカッコ良い銀河ですが、個人的には後継機のテストベッドとして計画された、ネ30ターボジェットエンジン搭載型である「試作天河」が大空を舞う姿も見てみたかったです。
・日本は兎にも角にも2千馬力級発動機の実用化が遅すぎた。「誉」搭載の四式戦や紫電改、流星といった新鋭機が戦場に進出した頃には防戦一方で、熟練パイロットも不足していた。 そんな中でも「誉」双発のこの高性能機を実戦配備できた事は当時の日本としての底力を示したとも言える。 本機は雷爆撃のみならず夜間戦闘機としても使用できる万能機ともてはやされているが、肝心の「誉」の不調に伴う出力制限で7~8割程度の馬力しか出ていなかった事から期待したほどの高速機にはなり得なかった。 もっとも「誉」の不安定な出力は本機だけでなく、欧米機のものに比し小型に纏められたこの大出力の発動機をスペック通りに運用できなかった当時の日本の工業力に問題があったとも言うべきか。
・太平洋戦争後期に登場したのにもかかわらず1,100機も生産され、ほとんどが実戦で損耗してしまったとは驚きです 随伴できかつF6Fなどに対抗できる護衛戦闘機が熟練搭乗員も含めてなかったことも被害が大きかった要員でしょうか
・アメリカだとA26クラスの大きさなんだけど、爆弾搭載量で半分、防御力はお話にならないほど劣ってる…かっこよくて好きなんだけどね、1944年だと特筆するほどの性能じゃないよ残念ながら…何より誉の信頼性のなさからスペック通りの性能は望めなかったよね
・よく勘違いした主張であるのが 「日本機の防弾性能が低いから双発爆撃機の損害が多かった」というもの。
これは完全に間違いで 防弾性能なら当時世界一のレベルだった米軍でも 戦争も終盤の1944年12月、双発爆撃機のB-26やA-26が 護衛戦闘機のいない状態でドイツ戦闘機に迎撃された結果、 たった一日で数十機が撃墜され、この損失に驚愕した司令官が 双発爆撃機の出撃を即座に禁止するほど米軍に深刻な衝撃を与えている。
「日本機」だから、ではなく「双発機」の性能的な限界で 十分な防弾や防御火力は施せなかったというのが事実。
・国破れて銀河あり、は有名な言葉だね。 誉の所為か稼働率にも問題ありな機体だったけど 高性能なのは間違いない。 戦後航空機製造を禁止されたこともあり、 国策である新幹線を設計したことも何か因果を感じる。
・> 設計統括主務者であった三木忠直海軍少佐は、戦後に技術を平和利用に供したいとして鉄道車両技術者に転身
三木忠直氏は銀河の設計者でもあるが、特攻兵器「桜花」の主担当設計者としても有名。敗戦後は特攻機を設計して若者達を死に追いやった罪責の念に苛まれたそうだ。 プロジェクトXで「とにかくもう、戦争はこりごりだった。だけど、自動車関係にいけば戦車になる。船舶関係にいけば軍艦になる。それでいろいろ考えて、平和利用しかできない鉄道の世界に入ることにしたんですよ」と語っていた氏の言葉は重く受け止めたい。
・有名過ぎる話だけど、0系新幹線の前頭部は銀河のような航空機をイメージしてデザインしたとのことだし、特攻機の桜花も三木氏の設計によるものだった。ただし桜花の設計に罪悪感を感じ続け、救いを求めてクリスチャンになった。とプロジェクトXでやってました。
・「雷電国亡ぼす。国破れて銀河あり」ですな。
どちらも稼働率が低く機体や発動機に余裕がない点を揶揄した言葉だったような。2000馬力級のエンジンをモノにできなかったのだからどうしようもない。 結局高速爆撃機というもの自体が当時の技術では航空優勢を保てない空軍の夢物語でしかなかったということ。ドイツがアラドAr234ジェット爆撃機やMe262の爆撃機仕様を開発したのも逃げ道ではあるけど生半可な数ではどうしようもなかったし。
・うろ覚えですが、銀河100機をアメリカ軍の空母輪形陣に突入させるというシミュレーションをしたところ、上手くいって3機が空母にたどり着くだろうという結果になったとか。鉄板に卵を投げるようです。戦いのレベルが異なります。
・エンジンに難ありで稼働率が悪く艦爆の神様と言われた江草少佐も苦心されたようです その江草少佐も昭和19年6月マリアナ沖でアメリカ機動部隊に雷撃敢行するも全滅の憂き目に合いました
・米軍のサンダーボルトは単発で、航続距離こそ3000キロ強ほどであったけど、爆弾搭載は最大1000キロ強であることを考えると、やはり非効率な能力なのかもしれない。
・いろんなスペックを詰め込んでやっとの思いで完成させても、その頃には使いこなす搭乗員もメンテ要員もなく、性能を活かす基礎技術や資材も無かった悲運の機。 燃料、プラグ、電纜、バネ、パッキン、潤滑油、ネジ、ガラス、無線、消火装置、そういった基礎技術が何もかも遅れていましたからね。
・銀河は、ドイツのJu-88を参考に開発された。そのJu-88は、36年に初飛行、39年から運用開始。一方日本海軍は、一式陸攻が39年に初飛行、41年から運用開始。 タイミングが悪いな。もっと早くにJu-88の情報を得ていたら、ワンショットライターなんて、早々に生産を打ち切って、銀河に準じた能力の陸攻を世に出していたかもしれないのに。 もっとも、ナチス嫌いの海軍では、それは望めなかったかな。
・>終戦後にイギリス航空誌で「350マイル(563km/h)出る、驚くほど洗練された高速爆撃機」として高く評価されています。
イギリスには急降下爆撃は出来ないとは言えより高速のモスキートがあったので、イギリス流の分かり難い皮肉である可能性も。
・戦前から開発され、開戦時に配備されていたら、大きな戦果が挙げられたかも知れない機体。 とは言え、戦前なら開発もされていなかったでしょうから、仕方ないですね。
・350マイル(563km/h)出る、驚くほど洗練された高速爆撃機 それ誉め殺しでしょう。 同じようなイギリスの双発爆撃デ・ハビランド モスキートは時速100km近く銀河より速く飛んでいました。 同じくアメリカの双発攻撃機A-26 インベーダー速度はさほど変わらなくても魚雷二発もしくは2t以上の爆弾搭載
・何十年も前のプラモの箱でしたが、機関砲を上向きにして本土空襲のB29に対応したようなことを読んだような気がします。 はるか昔の小学生時代だから記憶違いかもしれませんが。
・海外の一部記事から絶賛と書いちゃうのはなぁ 全米が泣いたみたいな陳腐な表現 日本にもそんな速度で飛べる機があるのかと言う侮蔑目線の記事なのに
実際敵機を振り切るほどの速度じゃないし
同時期のモスキートやA26なんかと比べると航続力が突出してるだけ
・1945(昭和20)年3月の航空戦でも、「銀河」は体当たりで空母「ランドルフ」を大破、「イントレピット」を小破させたほか、空母「フランクリン」を急降下爆撃で大破させています。
『空母フランクリン』への爆撃は急降下で無く緩降下爆撃です。
・その「驚くほど洗練された」が問題なの レーシングカーに機関銃積んで戦争やるようなもの カタログスペックはすごくとも、稼働率確保や保守整備修理が追い付かないのでは、 実戦では役に立たない
・5500キロも飛ばせて、[飛行中にパイロット交代はできない構造なので、」。 よく、こんなスペックが通ったね。肩もみ装置でも付けたら、完璧だったかな
・空技廠は性能第一で量産への配慮はかけていたようですね
彗星も同様で、量産を担当した愛知はかなり苦労して設計し直していますし
・0系新幹線の顔が銀河に似てるのは偶然ではありません。有名なお話ですね!
H社から1/48のキットを出して欲しかった…
・戦闘行動半径1000Kmくらいにして、あとは速度や防弾に振っておけばもう少し活躍出来たのでは? エンジンの馬力に余裕が無いのに海軍の要求が性能盛り過ぎの感。貧乏国で余裕が無かったんだね。
・飛龍とどちらを量産するべきだったか悩みどころですね どっちも量産しちゃったけど性能はほぼ同等でしたし
・鹿屋から3000キロを飛びウルシー泊地へ特攻出撃した銀河による梓特攻隊の話もあるとなおよかったな。
・水平爆撃なら九六式でもできたのでは? 対艦攻撃に爆弾を使用した例は多かったはず
・銀河は格好よくて好きな攻撃機!もっと早く実戦に投入していたら活躍してただろうな
・日本軍が名付けた兵器は全部名前がかっこいい。 名前のチョイスが絶妙だった。 日本語の美しさを痛感する。
・ライターさん 誉めまくっていますけど これだけ優れた機体を特攻に投入した 大本営に対して、参謀本部に対しては 如何に思われますか? 嬉しいですか? 喜びますか?
・>>急降下爆撃や水平爆撃を行える航空機は存在しなかったのです
急降下爆撃が行えない機体は存在する だが、水平爆撃が行えない機体というのは存在しないと思うぞ…
・F-35なんかよりプロペラ機の方がカッコよくてロマンを感じるのは何でだろうか。
・銀河と飛龍も統合出来てればもう少し早く活躍出来たと思うな…
・海軍の銀河と陸軍の飛竜は傑作機だな。
・銀河という名前にロマンを感じます。
・0系新幹線を見ると似ている桜花を思い出します。
・特攻に使うとは愚かな。
・三木いて新幹線あり
・英霊に感謝・・
・国破れて銀河あり
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