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旧日本陸軍「隼」 零戦の方がすごかったは本当か? ぶっちぎりの加速 連合軍も終戦まで警戒

乗りものニュース 6/21(金) 16:12 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/b34b9e4693bea15438e2bc15146f21af026dd462

 

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旧日本陸軍の一式戦闘機「隼」について。

零戦に次いで日本で2番目に多く生産された5751機の機体で、高い運動性能や長い航続距離を持ち、零戦と比較されることもある。

「隼」の開発は九七式戦闘機の改良を目指しており、後に海軍九六式艦上戦闘機の陸軍版として採用された。

「隼」は零戦と似た性能を持ち、実戦では零戦よりも上昇力や運動性で優れる一方、速度や航続距離では零戦が勝っていた。

太平洋戦争中、性能向上の改良が重ねられ、連合軍機を多数撃墜する活躍があった。

連合軍からは零戦以上の脅威と見なされ、戦闘機としての優れた能力を発揮した。

(要約)

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旧日本陸軍の一式戦闘機「隼」(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。 

 

 旧日本陸軍の一式戦闘機「隼」。旧日本海軍の零式艦上戦闘機(零戦)に次ぐ、日本で2番目の多さとなる5751機が生産されました。運動性能が高く、航続距離が長く、機体規模も近い「隼」と零戦は、エンジンも同系統でよく比較される存在でもあります。 

 

【写真】鹵獲、投棄… 無残な姿をさらす「隼」 

 

 実際「隼」を開発した中島飛行機と、零戦を開発した三菱航空機は、一世代前の試作機で競った関係性です。後の陸軍九七式戦闘機となった中島キ27と、海軍九六式艦上戦闘機の陸軍版である三菱キ33は実力伯仲で、両者の差はわずかでした。陸海軍パイロットが両者を乗り比べ、海軍パイロットは陸軍九七式戦闘機を評価したと伝えられています。 

 

 陸軍航空本部による「隼」(開発時は「キ43」)の試作発注は1937(昭和12)年12月。最高速度500km/h以上、行動半径800km/h(航続距離2400km程度)、引込脚装備が求められました。九七式戦闘機の航続距離は627kmだったので、大きな飛躍です。 

 

 この時期は欧州でドイツのBf109など、低翼単翼引込脚の高速戦闘機が出現し始めており、複翼機からは脱却したものの、固定脚の九七式戦闘機は登場時点で時代遅れになりかかっていたのです。 

 

 陸軍は「隼」に、九七式戦闘機と同等以上の運動性能を要求します。エンジン出力を上げ高速にすれば運動性能は低下しますが、高速化と武装強化、防弾装備を求めたのです。試作機は1938(昭和13)年12月に初飛行したものの、制式採用は見送られ、再設計に追い込まれます。中島飛行機は1939(昭和14)年から1940(昭和15)年にかけ試作機、増加試作機を製作しつつ、エンジン換装を進めました。 

 

 流れが変わったのは1940年8月。南方資源地帯を攻撃するために長距離戦闘機が必要ということで、「隼」に脚光が当たったのです。この際に機関砲が7.7mmから12.7mmに強化され、さらに行動半径1000km達成のために、落下式燃料タンクの装備が行われました。蝶型戦闘フラップ装備により、運動性能向上も図られました。 

 

 

零式艦上戦闘機(零戦)11型(画像:Public domain、via Wikimedia Commons)。 

 

 この時期、海軍の零戦は実戦デビュー直前で、航続力の長いキ61(後の三式戦闘機)の開発も進められていたことから、陸軍は零戦やキ61の採用も検討したうえで、「隼」の改修案を採用したようです。実際「隼」が中島飛行機の単独発注ではなく競争試作なら、三菱は零戦の陸軍版を出してきたでしょうから、危うかったかもしれません。 

 

 制式採用された一式戦闘機「隼」1型は、零戦11型と似通った性能を持っていました。同じ条件で比較すると、以下の通りです。 

 

●隼1型 

最高速度:494km/h(高度5000m。ただし海軍の良質燃料だと500km/h以上) 

上昇力:5分13秒(5000mまで) 

翼面荷重:93.1kg/平方メートル 

馬力荷重:2.11 

急降下制限速度:550km/h 

航続距離:3000km(増槽あり) 

武装:7.7mm機銃2門 

 

●零戦11型 

最高速度:509km/h(高度5000m。機体強度強化後で533km/h) 

上昇力:5分56秒(5000mまで) 

翼面荷重:107.9kg/平方メートル 

馬力荷重:2.31 

急降下制限速度:630km/h 

航続距離:3350km(増槽あり) 

武装:7.7mm機銃2門、20mm機銃2門 

 

 武装、速度、急降下制限速度、航続距離では零戦が勝り、上昇力、運動性(翼面荷重:数字が小さいほど優れる)、加速性能(馬力荷重:数字が小さいほど優れる)と防弾装備は「隼」が勝りました。両者は非公式に手合わせしていますが、そこでは零戦がやや優勢だったようです。 

 

「隼」は当初、機体構造が脆弱で、空中分解したこともありましたが、強化後は操縦性・安定性が抜群でした。太平洋戦争開戦後、1942(昭和17)年3月までの期間で「隼」は連合軍の航空機61機を撃墜し、喪失被害は16機のみでした(以下、日米の記録を照らし合わせての数字)。 

 

 その後「隼」には改良が加えられ、2型の後期型では最高速度548km/h、上昇力4分48秒(5000mまで)、炸裂弾の採用で威力を増した12.7mm機関砲2門を搭載し、急降下制限速度は600km/hに強化されました。同時期の零戦にはない防弾装備も、対12.7mm弾と強化されています。「隼」は「空の狙撃兵」といわれた九七式戦闘機を上回る射撃精度と、低空ならエンジン出力が2倍近い連合軍戦闘機でもぶっちぎる加速力を有しており、連合軍の脅威であり続けました。 

 

 

「隼」2型。主翼下に落下増槽が見て取れる(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。 

 

 南太平洋のラバウルでは、アメリカ軍の大型爆撃機B-17Fを12.7mm機関砲で撃墜し、零戦と遜色ない性能を見せます。1943(昭和18)年7月から1944(昭和19)年7月のビルマ航空戦では、「隼」は連合軍機を計135機撃墜、損失は83機と優勢に戦いました。撃墜機には、連合軍最強ともいわれたP-51戦闘機も含まれます。 

 

 ビルマなどの東南アジアでは、「隼」の運用は終戦まで続きます。1944年8月から終戦までを見ても、「隼」は敵機63機を撃墜、損害は61機とほぼ互角でした。 

 

 零戦より強力な旧海軍の「紫電改」でさえ連合軍機に押されている時期に、これだけの戦果を挙げた「隼」を見るに、兵器はカタログスぺックではないと感じさせられます。「隼」はさらに改良された3型も登場し、最高速度は560km/hに達しました。連合軍は最高速度を576km/hと評価しており、落下タンク懸吊架を装備した状態で560km/hだったとも考えられています。 

 

 実際、ノモンハン事件から終戦まで戦った陸軍トップエースの上坊大尉は、「連合軍最強のP-51と1対1で戦うなら、四式戦闘機『疾風』ではなく『隼』3型を選ぶ。負けないから」と述べています。 

 

 零戦が武装強化などで持ち味の運動性を低下させる中、「隼」は対戦闘機戦において零戦以上の運動性能と抜群の加速力という武器がありましたから、連合軍からすれば零戦以上の脅威だったのかもしれません。連合軍は「隼」と零戦について、急降下すれば逃げられるという対処方法を示していますが、「隼」は低空での加速力が抜群だから警戒するよう、対零戦にはない注意点を付け加えています。 

 

 なお太平洋戦争終結後、海外にあった「隼」は、フランス、インドネシア、中国、北朝鮮、インドネシアに接収され、1947(昭和22)年7月からのインドネシア独立戦争では実戦投入されています。 

 

安藤昌季(乗りものライター) 

 

 

( 183189 )  2024/06/22 01:40:48  
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・隼は零戦と比較されることが多いが、実際にはそれぞれの機体に優れた点があることが分かった。

 

・陸軍航空部隊は海軍に比べてあまり有名ではないが、東南アジア方面での戦闘で互角以上の戦果を挙げていた。

 

・隼の設計や性能について、最近の評価が高まっており、特に機動力や防弾装備などに優れていた様子が伝えられている。

 

・隼の独自性や性能について、零戦との比較やパイロットの技量の重要性など、様々な観点から議論されている様子が窺える。

 

・隼の戦闘機としての能力や性能を称賛する声が多く、特に低空域での戦闘能力や機動性の高さが評価されている。

 

・隼の撃墜記録や戦果について、特にビルマ方面での活躍や米軍機との戦闘での優位性が指摘されている。

 

・隼の機体構造や武装の詳細、戦闘での運用方法などに関する論評が含まれており、当時の状況や技術的側面についても触れられている。

 

・隼に対する新たな評価や見直しの動きが見られ、過去のイメージや戦後の評価とは異なる視点が提供されている。

 

・個々の飛行機の特性や性能、設計思想などについて、歴史的な背景や戦争の中での運用状況を踏まえたコメントが展開されている。

(まとめ)

( 183191 )  2024/06/22 01:40:48  
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・戦後昭和40年代頃からの零戦ブームもあり、隼は零戦程の傑作機ではない様なイメージがあるが、実はそうではないのを最近知った。 

 

海軍が最初は消極的だった防弾装備にも陸軍は理解があり、比較的初期の内から無防備では無かったとの事。 

 

太平洋戦争の航空戦記等では、海軍の戦いについては海戦記やラバウル航空隊の戦記等で比較的有名ながら、陸軍については余り有名ではない様に思う。 

 

だが東南アジア方面での陸軍航空部隊は、連合国の新鋭戦闘機を相手に、戦争末期頃まで実は互角以上の戦果を挙げている。 

 

当時陸軍の戦闘機は、隼、鍾馗、五式戦、疾風と優れた飛行機が多く、零戦、雷電、紫電改の海軍に勝るとも劣らない、いやむしろ実は陸軍機のほうが優れていたのではないかとさえ思える。 

 

疾風の設計陣は、陸軍のテストパイロットの高評価に感極まって涙を流したという。 

 

戦争を賛美はしない。だが先人達の努力の結晶でもある。 

 

 

・ジェットコースターの宙返りでも悲鳴上げるのに、飛行機では低速域とされる時速300から400 キロで宙返りしながら、敵機の後ろに付くのはどんな負荷が体に加わるか想像するだけでゾッとする。いくらカタログスペックが向上しても人間の肉体のカタログスペックは変わらない。人馬一体というが、馬と人みたいに」人機一体」になれる隼は日本人の肉体には最適な飛行機だったと思います。 

 

 

・隼が痛かったのは開発経緯。 

零式戦と同等の機体を1年遅れで採用せざるを得なかった。 

(陸軍は半ば失格判定まで出してました。) 

当初は速度も出ず、水平面では97式に旋回戦で圧敗。 

引き込み脚が悪かったのではないかと言われて固定脚にした 

試作機を作ってもいる。(結果は速度が大幅低下) 

当初はダッシュ力も鈍く、散々な評価。 

ただ、蝶型フラップと下膨れの方向舵は旋回性能を伸ばしたそう。 

それにあくなき改良を加えて一線級の能力を長期維持した 

中島飛行機開発陣の層の厚さが活きた。 

と言うのが隼のプロペラ設計もした方の著書にありますね。 

 

 

・「隼三型なら負けないから」…ドイツ空軍パイロットの「メッサー109F型なら負けない」に通ずるものがありますね。 

ノモンハンの戦訓で、陸軍機は意外に防弾装備が充実していた。そして、低空での抜群の機動性。 

確かに帯に短し襷に長しの他の日本機より、連合軍機に対して強みがある。 

もっと評価されてもいい機体だと思う。 

 

 

・隼は軽武装と言われ続けるけど、7.7mm二挺だったのは1型の、しかも初期だけ。実戦で使われたのは最低でも片側12.7mmの混載。大部分は12.7mm二挺。マ弾の実用化後は威力もそれなりに増している。対する零戦は20mmは装弾数が少ない上に弾丸が重く、ベテラン以外は命中させる事が困難だったという。零戦パイロットの坂井三郎さんも自分の撃墜の大半は7.7mmによるもので、もし零戦が最初から12.7mmだったら日本海軍の撃墜戦果は倍増していただろう、と述べている。零戦の20mmは艦隊防空の対爆撃機用で、陸軍は対爆撃機は2式戦鐘馗の役割としていた。 

 1型から既に対7.7mmの防弾、2型以降は対12.7mm防弾。零戦が防弾と12.7mmを搭載した52型後半は重くなり運動性は低下。 

 こう考えていくと、「零戦>隼」というイメージはもう少し冷静に見直すべきだと思う。 

 

 

・軽量に勝る改良無し 

軽快さが武器。たとえ乏しい武器でも、パイロットがエンジン全開で回して、素直に機動できる機体の方が操縦側なら良いだろう 

その差が最後まで戦えた部分ではないだろうか。 

ただ零戦の知名度と外観でよく見間違えられがち。良い飛行機だと思う 

 

 

・私は中学1年の夏、何故か急に昔の太平洋戦争に興味が出てきて色々調べるようになった 航空機ならゼロ戦、紫電、疾風、そして隼も 軍歌も聴くようになり、軍艦マーチ、海ゆかば等 その後加藤隼戦闘隊を知りました 軍人なら連合艦隊司令長官の次に名前を知ったのが加藤健夫戦隊長でした 実在した歴戦の強者で、理由もないけど尊敬しました ただ亡くなったのが1942年5月とは驚きでした 歌になるくらいだから長く活躍されていたと思ってました まだ破竹の快進撃を続けていた大日本帝国 この2週間後位に海軍が歴史的大敗を喫する事など知る由もなかったのではないかと 必ずや日本が勝つと信じてこの世を去ったのかな とか考えていた中学1年の夏でした 

 

 

・中島の開発で小山技師が担当していました。 

面白いのはゼロ戦と隼の胴体の設計思想の違いです。 

ゼロ戦を作った堀越技師は流線形思想から抜け出せませんでしたが、小山さんは直線的な胴体で設計しました。 

これはプロペラで乱流となった風を受ける為に流線形のメリットは少ないと考えたからです。 

表面積の小さい直線的な胴体が最良と考えたらしいです。 

 

ドイツのメッサーもフォッケウルフも直線的です。 

この時代流線形と直線形が混在しており、空気抵抗の算出や実験が難しかった事がうかがい知れます。 

現在でも乱流域のシュミュレーションは難しく、計算精度も低いですからね。 

 

 

・私の父は学徒出陣壮行会に参加し、その後、自動車部隊に配属されてインドネシア北部スマトラ陸軍飛行場に勤務していました。自動車部隊であったのでプロペラ起動車も乗っていたそうです。起動車でプロペラを回した後、パイロットが元気良くOK!合図をしてくれたと話していました。もう十数年前の話です。懐かしい。隼の強さは日本よりも連合軍に認識されていたと思います。戦後、しばらく飛行機を開発させてくれなかった原因でもありますね。 

 

 

・隼は零戦の弱点の防御の無さを克服した間違いなく大戦最優秀の機体である。 

戦後長らく零戦神話のおかげで隼は零戦以下の地味な性能と認識されてきたが、最近では数々の改良により大戦最優秀機体と言われているP51やP47以上の機体と再評価されるようになった。 

ビルマではP51を返り討ちにしているし、米軍のトップエースが乗るP47を撃墜したのは隼であり、いかに優れた名機か理解できるであろう。 

 

 

 

・翼内銃が積めなかったから、12.7ミリ2門が限界やったから攻撃力は貧弱で大型機の相手にはならなかったけど、ひらりひらりと敵をかわし、隙を見て食いつくことで、墜とされにくい戦闘機の定評を得られたんよな。 

ビルマ方面で主に戦った飛行第64戦隊は緒戦時から加藤戦隊長の意向で無線を活用した編隊空戦に取り組んでいたことも活きた。 

零戦がどんどん重戦化していったのに対し、最後まで軽戦であり続けたのが奏功したわけや。 

 

 

・平成の始めころに読んだ書籍で、昭和16年秋に、隼と零戦が各5機ずつ、同数で模擬戦闘を行い、最終的に隼が勝利した、という書籍を読んだ記憶が有る。ただ搭乗員(空中勤務者)の技量が全く同じ条件と言うのも物理的に難しいから、あくまで参考だったらしいが(海軍でも母艦搭乗員と基地航空隊搭乗員で得手不得手の技量が微妙に違うとの事だったし)。なお東宝映画の昭和19(1944)年に公開された「加藤隼戦闘隊」では実機が飛び、実弾を発射するシーンも有り、意外に重々しく飛んでいて興味深い。 

 

 

・まあ一長一短 

機動性と火力で零戦、 

加速力と急降下性能、頑丈さで隼 

というところ 

特に大戦後半、連合軍のグリフォンスピットやムスタング、ヘルキャットあたりにとってどちらが厄介だったかなら、 

隼の方だったろう 

防弾性能がそれなりにあって、特に米英で標準の50口径では、直撃しても簡単には落ちなかったとされる 

加えて陸軍は無線による連携も重視していたから、複数の隼が見事なチームプレイを披露することも珍しくなかった 

機体の基本構造が頑丈なので、追い詰めようにも急降下で逃げられてしまうのは、連合パイロットをいらつかせたのは想像に難くない 

残念だったのが、発展性に乏しかったこと 

基本的に機首にしか武装を仕込めない構造で、 

武装が最大でも13ミリが限界なのは、頑丈な連合軍機に対して致命傷 

エンジンも1500馬力仕様さえめどがたたず、だんだん力負けするように 

世知辛い 

 

 

・軽戦の97式と重戦の鍾馗を社内で独自に開発してた矢先、軍の無理な要求に隼の設計チームは意気消沈した。それが中央翼の膨らみに現れた。新造隼の操作系の軽さに米パイロットは感心したとか。エアロスバルにも受け継がれたあたり、軽い操作系の中の安定感はsubaruにも受け継がれたようです。 

 

 

・一式戦闘機はその類まれな加速力と上昇力で大戦後期の連合国軍戦闘機とも何とか渡り合っていますね。この2つは非常に重要で零式艦上戦闘機もこれが重視されています。そして会敵後には急加速と急上昇を掛け、敵機上方から急降下しつつ攻撃する事で戦果を挙げていました。ただ、この戦闘機の欠点である武装の貧弱さだけはどうしようも無く、大戦後期の重防御の連合国軍戦闘機相手では「堕とされないけれど堕とせない」という状態になる事も有ったとか。 

 

 

・海軍のエ-スが坂井中尉(終戦時)なら陸軍は加藤中佐(戦死後少将)だろうか。海軍は無線機があまり役に立たなかったこともあり、どちらかと言うと個人プレーが多かったが、陸軍は無線機を使った集団戦を重視し、撃墜記録も個人ではなく、部隊でのものが多かった。陸海軍とも後継機種の開発に時間がかかり、零戦と隼を使い続けなければならなかった。大東亜決戦機と言われる疾風が登場したのは戦局が不利になってから。ベテランパイロットも少なくなり、燃料も松根油を混ぜたような粗悪品では本来の性能を発揮すべくもなかった。零戦と隼両方合わせた製造数が1万5千余り。日本も最大限の努力をしたと言えるが、アメリカの圧倒的な数には及ぶべくもない。基礎的な工業力が未熟だったツケは、前線の兵士たちの犠牲で補わねばならなかった。 

 

 

・「P51が相手でも1対1なら隼は負けない」というのは本当だろう。でもそれは勝てるということではない。低空での加速と旋回性で優れれば自分は撃たれずに済むということで、空中戦で護衛や迎撃の任務を全うできるということではないんだ。零戦の方が総合的に優れたという評価より、むしろ隼と鍾馗という二本立てで設計した中島の先見性を本当は評価すべきなんだろう。 

 

 

・設計者の糸川英夫博士は戦後、ペンシル型宇宙ロケットを開発し、敗戦国ながらも技術者としての矜持を世界に広めたんですよね。 

 

余談 

有名な軍歌<加藤部隊歌(飛行第64戦隊部隊歌)> 

所謂戦時歌謡曲ではなく制式軍歌として採用され、後映画化によりタイトルに準じ<加藤隼戦闘隊>として親しまれた。 

冒頭の有名な歌詞「♪エンジンの音轟々と隼は征く雲の果て」 

当時の配備機は97戦で、その愛機を猛禽類の”隼”に例えた。 

一式戦として採用されて最初に配属先となった部隊が64戦隊で、試験飛行を兼ねた訓練に明け暮れた。 

直後、国民に親しまれる様に戦闘機に愛称を付けることとなり(ここは秘密主義の海軍とは大きく異なる)この歌詞に因んで”隼”とされた。 

軍歌が先(笑) 

 

続余談 

仕事先の営業部長が徳島の阿波池田出身で、奥さんの親戚に陸軍のパイロットが居たと。 

もしかして隻脚のエース檜与平大尉? 

ビンゴであった! 

 

 

・そもそも友軍機同士で比較するのはあまり意味ないような気もしますけどね。 

 

実際、搭乗員の生還率が高いことは搭乗員の平均練度が高くなることを意味しますし、零戦にはない飛行特性を持った逃げ足の速い隼は、連合軍搭乗員にとって地味に厄介な存在だったとは考えられます。 

 

ただ、やはり「武装が貧弱」という逸話はよく目にしますね。主翼構造上、翼内機銃を拡大できない欠点を抱えていて、現場では「落とせないが落とされない戦闘機」と揶揄されたとか。設計者自身も、「狙いを重戦にも軽戦にも絞り切れなかった中途半端な出来」と評し、軍も一度は採用を見送ったほどでした。 

 

零戦と比較しても…そもそも零戦が日本航空戦力の主力だったお陰で隼はダークホース的な位置付けで活躍できた側面もあるわけですし、零戦は重戦の代わりもどうにか務まりますが、隼では完全に火力不足です。 

 

 

・第2次大戦終了後もタイ空軍の主力戦闘機として日本陸軍が供与していた「隼」50機が使われ続けていました。 

日本製の交換部品が手に入らず、最後は全部スクラップにされました。 

 

隼がゼロ戦に劣っていたのは武装だけでは、 

ゼロ戦は20mm機関砲2門と7.7mm機銃2門 

隼は最初7.7mm2門、13mmに乗せ換えられた。 

 

 

 

・こちらから攻めて行くのと、攻めて来るのをレーダーで見張っていて優位な位置で待ち伏せしているのとでは違いますよね。 

後者であれば敵の新型機相手でも隼で充分に戦えた。と言う事ではないでしょうか? 

五式戦闘機もそうですけれどとにかくまともに飛んでくれさえすればありがたい。あとは技量で何とかする。P-51とも対等に戦えるという「神話」はそんなところ生まれてきたきたんじゃないですか。 

 

 

・一式戦は戦中から隼の愛称で国民に知られていたとか。対する零戦レイ戦はその名前が一般に知られたのは戦後だそうです。空力的な洗練度は後者の方が上だし隼の武装は貧弱なもの。でも大空のスナイパーとして贔屓にしています。特に2枚ペラの一型が良いですね。YouTubeで見ることが出来る戦前のPR映画の中で、明野の上空で隼が飛行する姿は最高です。 

 

 

・隼は1990年代後半は旋回すると翼に皺が寄る劣悪機、独逸人も認めた鍾馗ては無く低性能の隼を昭和20年まで生産したのは日本の硬直した官僚主義の弊害、等ととにかくぼろ糞に言われてきましたが2000年代後半あたりから実は油断できないやっかいな相手と思われていた、前線では故障しやすい飛燕よりも遥かに信頼が高かったと評価が上がってきました。 

逆に紫電改や疾風などは誉エンジンの不調からカタログデータ程強くはなかった、実は性能的にはF6Fと同等程度と、こちらは近年評価が下がってきました。 

物の評価は一定ではなく時代、時代によって変わるという見本みたいな例ですね。 

 

 

・零戦より空戦性能で隼が劣っていたのは当初の戦闘だけで、大戦後期には開発当時から防弾が考慮された隼の方が優れていた事になった。後期は一撃離脱戦法で巴戦は無くなりましたから、要は先に見つけて先に叩き、そのまま逃げる戦闘方法に変わった。防弾能力とスピードが重要になったという事です。 

 

それと連合軍は零戦の華々しい戦果を目の当たりにし、報告書に隼を零戦と見間違えた事も多かったそうです。 

 

 

・零戦は艦上戦闘機、つまりは艦隊防空用途の戦闘機だ。戦闘機無用論が勢いを増し、高速爆撃機を少ないチャンスで落とせる大口径機銃を搭載した。零戦の長大な航続距離は後天的なもので、艦上戦闘機として◯時間の滞空時間が求められた結果、3000kmとなったのである。 

純粋な対戦闘機用の戦闘機として比較すれば空気抵抗の少なく、まとまっている隼の方が優れている。しかし、一方は艦上戦闘機、もう一方は陸上戦闘機である。似て異なるものだ。 

 

 

・零戦は改良される度に重くなっていき、最後の量産型と言われている52型丙では、もはや戦闘機相手の空中戦は無理になっていた。 

一方の一式戦隼は2型でエンジンが少し重くなる程度で、最終型の3型で胴体砲を20mmに換装したが最後まで優秀な空戦能力を維持していた。 

戦争末期になり一部のベテランパイロットは四式戦疾風よりも、部隊に少数残った隼を好んで乗ったとの逸話がある。 

 

 

・積んでるエンジンは同じなのに、速度は零戦540キロに対して隼500キロ。しかも隼は12.7mm機銃2丁しか積んでない。対して零戦は20mm砲×2と7.7mm×2の重武装。スペックだけを見れば航続距離も含めて零戦の完勝だが、隼は無理な軽量化をしてない。例えば翼の骨材に穴を空けるとか、防弾鋼板を初期から搭載するなど、軽戦なりに外国標準の戦闘機だった。速度差はあるが、イタリアの名機mc202に近い。同じ日本機でも陸軍の方が優れていた。 

 

 

・零戦のほうが有名だし、 

武装が機首の12.7ミリ機銃だけだから一般ウケしない。 

アメリカにしたら零戦も隼も似たようなもんだけど、 

大戦後半でもこの飛行機の特性を掴んでる人間の手にかかれば 

「落とすのは難しいけど、落とされる心配もない飛行機」 

とは聞くので、軽くて良い飛行機だったんだなとは思います。 

同世代の零戦52型と隼2型以降では武装以外では文句なしに隼らしいですね。 

 

 

・一式戦の最大の弱点とされる12.7mm×2のみの弱武装はⅢ型で20mmホ5搭載の試作が実施された事は良く知られているが、性能低下を嫌った陸軍は採用しなかった。零戦は52型で性能のピークを迎えたが、乙型以降武装強化により性能劣化が著しかった。 

これが戦争末期に両機の評価を分けた分水嶺みたいなものだろう。 

こと対戦闘機戦闘に限れば零戦52丙型は一式戦Ⅲ型の敵ではなかったと思う。末期においてはゼロよりオスカーの方が手強かったという多数の米軍パイロットの評価がある通り、戦闘機としての能力は一式戦に軍配が上がる。 

思い返せば一式戦以降の陸軍機に軽戦闘機はいない。一方海軍は次の烈風も紫電改も「2000馬力の零戦」で軽戦思考から抜け出せず零戦にいつまでもしがみつく事になった。 

海軍が三菱にもっと自由に仕事をさせてやればもっと良いものが出来ていたと考えるのは早計だろうか。 

 

 

・近年明らかになったアメリカ軍による当時の交戦記録によると、 

一式戦闘機隼は終戦のその日までアメリカ軍最新鋭機をもってしても、 

中低空域に於いては油断ならない強敵であり被害も少なく無かったとの事でした 

 

以前は零戦>隼のイメージでしたが、それは間違った日本人の認識だった様です 

 

 

 

・主翼内の桁の構造上、翼内武装が出来なかったと聞いています。7.7mmや12.7mmだけでは大戦後期は敵機に当たってもなかなか堕とせなかったとか。 

零戦みたいな機密扱いではなく国民一般に馴染みのある機体だったし、藤田進主演の映画何度も観て部隊歌カラオケで歌えます。 

 

 

・「三菱は零戦の陸軍版を出してきたでしょうから、危うかったかもしれません。」それは無いと思う。 

陸軍は数千機レベルの量産前提だし、防弾も前提だから、フレームに肉抜きの、防弾全無視の零戦は陸軍仕様を作ったとして隼に勝ち目はなかったでしょう。 

生産数も、中島飛行機が頑張っただけですし。 

よく海軍陸軍の不仲が話題になり、零戦で共通化すれば…ってありますが、中島飛行機が零戦を生産しなければ、はるかに多くの隼に鍾馗、疾風が生産されたでしょうね。 

 

 

・鍾馗は航続距離の短い迎撃機 

飛燕は液冷エンジンが不調 

疾風もスペックでは2000馬力の誉だが、レースエンジンみたいなシビアな設計をしてしまった事で動員されたシロートが組み立てると本来の性能がでない 

同様に戦地での整備も難しい。  

こんな状況だから安定していた隼の主戦場での運用が終戦まで続く。 

 

 

・45年の米軍の戦闘マニュアルに、「隼との低空での格闘戦は避けよ」と書いてあるそうだ。 

 だが「連合軍の脅威であり続けました。」とは言い過ぎ。末期のビルマ戦線は有利な低空での直協任務だから、活躍出来ただけ。 

 3本桁の薄翼で、主翼に機銃を装備出来ない。隼の1型は照準器が望遠鏡型で、風防の空力も悪かった。ペラも2枚で旧式もスルーしている。 

 記事の通り、競争試作で零戦陸軍型が採用された方がよかった。零戦共々より多く生産出来るから。 

 零戦はカタログより急降下性能が悪く、陸軍機には不向きだった。 

 だが零戦を最も多く生産し、陸軍機が得意な中島が本格的に改修すればよい。 

 

 

・隼は大戦後期でもレーダーを用いた早期警戒体制をしいていたのもあって連合軍機と互角に戦ってます。 

航空機の防弾装備も陸軍の方がしっかりしてますし。 

日本陸軍を支えた名機なのは間違いないでしょう。 

 

 

・当初1937年10月に海軍から次期戦闘機の競争開発の打診が各社にあり、その要求内容の厳しさに中島飛行機がトンズラこいたら、同じ年の12月に陸軍から似たり寄ったりの開発の打診が来たという、笑うに笑えない話。 

しかも単独開発の指名だった為逃げるに逃げられず、後の一式戦・隼となるキ43を開発するハメになったとか。 

歴史に「もし」は無いが、海軍からの開発要求に中島飛行機が逃げてなかったら、ゼロ戦と隼は違った形になっていたかも。 

 

 

・ノモンハン事件の陸軍生き残りパイロットは疾風より隼の3型の方を選ぶと言ってたくらいですからエンジン馬力アップした隼は使い勝手の良い戦闘機だったのでしょう。末期に零戦もエンジンの馬力アップできたならもう少しましな戦いができたかもしれません… 

 

 

・近年、『零戦より一式戦(隼)』、『疾風より隼』『隼は落とされづらい』等、この手の記事が多いが、事実とは異なる考察が多い。 

当時の米軍機より、低中高度域での加速が良かったのは、零戦も隼も同様ですし、局所的に米軍機相手に善戦したのも同様です。(零戦だから沖縄戦、本土防空戦を戦えたと回想している搭乗員の方もいます) 

しかし、両機とも、旧式化してい事実に変わりない。だからこそ、陸海軍とも、四式戦や紫電改の配備を急いだんですよ。 

 

 

・零戦は末期の六二型で急降下速度制限740km/hまで達し、さらに500kg爆弾まで搭載可能になっており、これは隼にはない特長です。 

そしてそれは特攻のためでした。 

 

金星搭載の五四型も隼にはない発展型です。 

しかしかわりに燃料タンクが減らされたため局地戦闘機のようになってしまいました。 

 

 

・ビルマ航空戦での隼の活躍は凄い 

最新型のスピットファイアやP51やP47といった連合軍の最新鋭機と大戦末期まで互角に戦ってる 

しかも、連合軍側のデータで裏付けも取れてる戦果だからな 

 

 

 

・戦闘機はスペックよりも操縦手の方が重要 

殆どの操縦手がカタログスペックを出しきれない。せいぜいが旅客機のように同一高度をフルスピードで飛行する時だけである 

ドッグファイトでは多少のスペック差は誤差の範囲 

数年の差では劇的な技術革新はなかった 

零戦が負け始めたのは性能差ではなくパイロットの数と質の低下によるものが大きい 

 

そのため米軍は高高度爆撃機を設計し、日本の戦闘機が上がってこれないような高度から一方的に爆撃する方法を取った(隼5000m B-29は7000m) 

 

 

・子供の頃の模型製作記憶で言うと 

なんで隼を始めとした陸軍機はキャノピーの窓枠が少ない傾向なのに、零など海軍機は窓枠数が多い(曲面樹脂が少ない)のかな?という疑問だった。 

狭い一国の両軍なのに、それ位の技術や資源の共有化平準化も出来なかったのはダメじゃん!と素朴な頭脳でも思ったよ。 

実際、後年に知識を得ると両軍間のテリトリー意識は相当なものが有ったと知るけど、馬鹿馬鹿しいねえ。 

今でも海自と海保の間で詰まらぬ意地によるロスが発生していないと信じたいけど 

 

 

・一応戦闘機も好き、旧車も含めて車も好きの身から勝手な事を言うと、官僚主義的な感じの三菱が設計した飛行機より、設計者の考えが前に出ている感じの中島設計の飛行機の方が戦争という状況の中で必要とされる視点を取り入れた設計という点で、今の視点から見て優れている感じがします。 

 

車の面からすると中島を受け継いだ旧プリンスやスバルはお客様の為に性能追求を第一とする、結果ユーザーに訴えられると考えてゼロからでも作り上げるメーカーのイメージですが、三菱は有る物の改良でナンバーワンとなる性能追求でゆ、枠を設けるって感じがします(三菱好きの方すいません)。 

 

 

・確かにビルマ方面での隼の戦歴は書かれている通りで敢闘したと言えると思うが、海軍の援軍としてガダルカナル方面でアメリカ軍と戦った記録上は分が悪く苦戦している。戦う相手にも依ると思う。因みに、当時天皇陛下は陸軍機は予算の半分も使って役に立っていないではないかと嘆かれた記録が残されている。 

 

 

・性能が良かったのは、パイロットの命を無視したからにすぎません。 

 

機体を覆う鉄板もペラペラで、敵に撃たれたら即死です。 

 

そこまでして軽量化を図って機動力をあげているので、その性能を称賛すべきではないと思っています。 

 

 

・上坊大尉と同じ事を何人かのベテランが行ってますね…ミソは負けないからです、隼も疾風も五式戦もP51には1VS1では勝てないけれど負けない、言い換えれば隼でなければ落とされるって事です、それ程ムスタングとは性能差があった、ゼロ戦始め日本機は相手が旋回戦に付き合ってくれた場合のみ最強ですが、ズームアンドダイブを徹底されると、P40やF4F相手でも劣勢です 

 

 

・Q: 旧日本陸軍「隼」 零戦の方がすごかったは本当か?  

 

A:零戦の方は、設計者の堀越二郎氏が「空母:4隻(赤城 / 加賀 / 蒼龍 / 飛龍、か?)に積む分と予備機で、100機くらいの生産だと思ったから、“凝った”設計にした」という通り、量産性は余り高くなかったが、その分“拡張性”があり、その点では一式戦(=隼)より抜きん出ていた。 

が、零戦はその拡張性の為に、改良の名の元に飛行性能を落として行くのに対し、優れた量産性の為に余り拡張性の無かった隼は、その分初期型同様の良好な飛行性能を最終型まで維持していた。 

 

※『敵機を落とせないけど、落とされない隼』 

 

 

・スピード一辺倒のP-38まで撃墜したんだから隼の低中域での格闘性は凄いと思います。実際飛燕や疾風に乗り換えた歴戦パイロットの中には再び隼に戻ったと言う話しを戦記物でよく読みますし。 

 

 

・戦闘機の実戦での戦果は機体の性能だけでなくパイロットの空戦力によるところが大きい。はやぶさにはそれだけ練達のパイロットがいたのだ。海軍はミッドウェイで多くのベテランパイロットを失っている。 

 

 

・低空、低速時の加速の良さは隼も零戦も似たようなものだ。同じエンジンなのだから。 

零戦の長所 

・20mm機銃の威力 

・格闘戦時の操縦性 

零戦の欠点 

・防弾が皆無 

・20mm機銃の命中率の低さ、装弾数の少なさ(そもそも 20mm機銃を発射する訓練をしない。弾がもったいないから。) 

・高速時の操縦性低下 

・後のモデルになるほど重量増加、運動性低下 

 

隼の長所 

・12.7mm機銃の命中率 

・そこそこの防弾 

・零戦同様の運動性の良さ 

隼の欠点 

・12.7mm機銃の低威力(とはいえ7.7mmより格段に上) 

・海上航法が苦手 

 

隼が活躍できたのは、零戦より格段に命中する機銃により単発機の撃墜を稼げたのだろう。双発以上は12.7mm2丁では撃墜が困難だった。ベテランを喪失した零戦は20mm機銃を命中させることができず、7.7mmは効果がなくて急激に戦果をあげられなくなってしまった。 

 

 

 

・ちょっとこの記事には全てを賛成はしかねる。 

もちろんスペックやら実数はその通りだろうし、一部連合国からの評価ももちろん合ってる部分はあるけど。 

 

連合国の戦った相手が特に大戦の後期のビルマと大戦後期の太平洋ではまったく違うんだよね。 

太平洋での戦いに関しては零戦も隼も似たような運命を辿った。 

要するに大戦後期の連合国の戦闘機群に対しては、ベテランの個々の技術以外戦う術は全くなかったという点。 

 

だからビルマ戦線やアジア大陸だけみて隼のほうが凄かったとも言えない。 

 

 

・良く勘違いされるけれど、戦闘機の最優先目標は爆撃機や攻撃機です。 

隼は火力が貧弱で防御が硬いアメリカの爆撃機には火力不足でした。 

しかも構造上火力増強が出来なかった。 

もともとの目的は爆撃機の護衛なのでそれだけなら良かったのですが 

 

 

・主武装から見ると零戦の20ミリ機関砲に対し隼は12、7ミリ。単純に考えれば零戦の勝ちだが、装弾数も少ないし初速も遅いから敵が爆撃機の様に鈍重でなければ命中は難しい。逆に隼は対敵戦闘機で分がある。 

 

 

・文中にもある通り、初期の隼1型(キ-43)連合軍コードネーム:オスカー は、急降下スピードの度を越した瞬間、機体外板に皺がよって、忽ち剥がれたりして空中分解したそうです。しかし其の機体は細く気品高く流麗で美しかったので、華奢で か弱い女性に喩えられ当初『空の貴婦人』等と呼ばれました。零戦は兎に角有名ではありますが、私個人としては隼2型及び3型の方が防弾装備が貧弱な零戦52型などより余程優れていると思います。 

 

 

・カタログスペック上は零戦がやや有利 

米軍パイロットは隼の方がやや嫌な相手と思う人が多い、と聞いたな 

 

日本軍パイロットだと自分が使っている機体に贔屓目が入ってしまうから客観的な評価は難しいが、敵軍パイロットの言う事なら信用出来る様な気がする 

 

とは言えこちらも個人の感想です、という奴だろうが 

私個人としては、艦上発着や空母のエレベーターに乗せられる大きさとかの制限がある零戦の方が不利でなければおかしいと思っている 

 

何の制限も無く設計出来る隼がほぼ互角の性能しか無かったら恥ずべきだ、と 

 

 

・>実際「隼」が中島飛行機の単独発注ではなく競争試作なら、三菱は零戦の陸軍版を出してきたでしょうから、危うかったかもしれません。 

 

競合コンペの結果三菱機が採用された九七式重爆の際の、機体は三菱製で発動機は中島製という玉虫色判定によるゴタゴタからそれ以降陸軍機では原則として競争試作は廃止され単独発注となりました。また三菱は九六式艦戦を陸軍へキ18の名称で試作させられたうえで不採用にされ、その後の九七式戦のコンペでもキ33として参加したものの相手にされなかった(三菱側がへそを曲げてやる気なしだったとも)という過去からして、陸軍次期主力戦闘機のコンペに参加持ちかけられても断ったのではないでしょうか? 

 

 

・隼にも欠点というか欠陥があって、機銃筒内での暴発がしばしばあったそうで、加藤隼戦闘隊で有名な加藤建夫中佐の最期はブレニムの防御火器に被弾したされているが、自機銃の暴発説もある。 

 

 

・戦争を賛美はしませんが、日本の航空技術、先人の方の苦労があったからこそ、ここでのんびりコメントを書いている。私個人的には、二式大艇が傑作機と思っています。 

 

 

・資源の無い国の悲しさから乗員保護と生存性を無視した零戦は練度の高い乗員の技術に頼って戦果を上げてた 

隼も似た感じだけど防弾装備載せたけど武装不足がね~ 

馬力の有る液冷エンジン開発と過給器の信頼性が有ればB29も撃墜出来ただろうに 

 

 

・すべては軽量化のために装甲を薄くしまくりパイロットにはパラシュートもなく自分で用意した座布団1枚しくだけ。アメリカはパイロットを守るため装甲を厚くし脱出用シートを開発しそのぶん重くなり不利になるのはわかっているけども人命を限りなく守る開発。人の命を軽くして零戦最高バンザイ開発の姿勢をすごかったとか持ち上げるのはおかしいだろう。 

 

 

 

・エンジンや機体規模が同等ならば、構造や降着装置を頑丈にせざるを得ない艦載機は重くなるから、そりゃ陸上機の方が良好な飛行特性を得やすいわな。 

 

 

・荒野のコトブキ飛行隊では、全編通じて、隼一型を使用。ガルパンの様な部活のノリなら、戦車の性能差を無視したストーリーでも良いかと思えるが、シリアス系要素の多いコトブキで、敵がどんどん高性能機を投入してるのに、隼一型で十分対応出来ている点に、違和感しか無かった。 

特に最終回で、空想上とは言え、ジェット震電と互角に空戦を繰り広げるなんて、あり得ないだろ!!と、TV画面に向かって突っ込んだ。 

 

 

・用途が違うから単純な比較は意味ない。 

それより陸軍航空隊にはマウザー砲の配備を充実して欲しかったが、軽快な一式戦と職人気質の空中勤務者に弱兵装だったからの戦果であったかも知れない。 

 

 

・いかにも隼有利に空中戦を進めていたみたいな数字だけ選んで引っ張ってくるのはあほやろ。 

 

隼は5000以上 生産されてほぼ全て破壊されたが、同じだけのアメリカ軍機を破壊できたのかと言ったらそんなことは絶対ありえない。 

 

 

・日本の戦闘機は最初は無双だけど二機で対策されるようになって負けた 

戦争は経済力だということを思い知らされた 

日露戦争だけは同盟国の英国がサポートしたからなんとか勝てたのだが 

 

 

・水メタノール噴射エンジンの隼3形は加速ダッシュに優れていて機体も無理が効き、或るパイロットはもし生まれ変わっても隼に搭乗すると言っていたみたい。 

 

 

・零戦は高速時、外板にシワがでたから厚くしたところシワがなくなり、速度が上がり、急降下制限速度もあがったとか。 

隼も外板を厚くすればよかったのかな? 

ただし低高度での加速が遅くなるだろうけど。 

 

 

・昔北朝鮮が、グアムに照準を合わせたとか言って騒ぎになったことがあったが、 

その時北朝鮮では一式陸攻と隼がまだ実戦配備されているという噂があって笑ったw 

もし本当に迎撃に上がってきたら米軍機のパイロットが兵器マニアなら撃てなかったかもしれないなw 

 

 

・「加藤隼戦闘隊」の映画で、離陸直後に主車輪を引き上げる隼の、左右の車輪の動きがアンシンメトリーなのが妙にカッコ良かった。 

 

 

・NHKのスペシャル・太平洋戦争だったかな。ビルマ方面で闘ったパイロットさんがしみじみ仰っていた「そりゃ新型機が性能は良かった、しかしエンジンが廻らん事にはどうしようもないんですよ。エンジンが廻っていればどうにかなったんです、隼は」と。 

 

 

 

・NHKのスペシャル・太平洋戦争だったかな。ビルマ方面で闘ったパイロットさんがしみじみ仰っていた「そりゃ新型機が性能は良かった、しかしエンジンが廻らん事にはどうしようもないんですよ。エンジンが廻っていればどうにかなったんです、隼は」と。 

 

 

・某M野M洋氏などは零戦を賛美して隼をこきおろして(というか 海軍を賛美して陸軍をこきおろして)ますが、隼も戦争終盤まで充分に戦力として働いた機体ですよね(零戦は戦力にならないと言ってるわけではない)。低空だと、急加速した隼三型にP47がついていけなかったなんて話もあります。 

 

 

・「隼」に関しては加藤隼戦闘隊を扱った漫画「大空のちかい」(九里一平作)があるが(少年サンデー連載当時は戦記ブームで人気があった)、今ではほとんど知られていない。 

 

 

・零戦も防弾装備していたら、もう少しは戦えたんじゃないかな?多少、能力と航続距離は落ちるかもしれんが。。。 

米軍は判っていたから翼の燃料タンクを狙い撃ちしていたし。 

 

 

・いろいろな角度で比較されているけれど、艦載機と陸上機の具備する条件でも比較してもらいたい。必ずしも一緒ではないだろうから。 

 

 

・へぇ~、隼も〇型ってあったんだ? 

もちろん、昭和生まれのクソガキの類なんで、隼が陸軍、零戦が海軍って事は知っていたけど、何故か零戦の二二型やら五二型とかは知ってるクセに、隼は知らなかったなぁ… 

そう言ゃ、子供の頃、零戦のプラモデルは作ったけど、隼はないや。 

今日は帰りに隼のプラモデルでも買って帰って、週末に作ってみようか… 

(売ってるのかな?) 

 

 

・F-16戦闘機がfighting falconというのも、「隼」に因んだのだろうか?F-2戦闘機は「ニューゼロセン」というより、現代版「隼」?」「隼2」という名前には出来なかったのか? 

 

 

・すごかったって何に対してすごかったの? 

生産機数?キルレシオ?一機当たりの生産費用・時間? 

 

ふわふわとした感じで大谷と現役時代のイチロー、どっちがスゴイって言ってるようなもんだ。 

 

 

・5千機も作ったとなるとそれなりに落とされてもいると思うんですが、 

どこでそんなに食われたんですかね。 

興味を持っても意外と数字が出て来ない。 

記事中にあるのは2桁程度が3例だけだし。 

 

 

・一式戦闘機は『武装が貧弱』ってイメージが強かったけど、改良重ねて素晴らしい戦闘機になってたんだね。 

 

 

 

・零戦の20mm機関砲採用はおそらく失敗だった 

12.7mm機関銃の方が軽量で弾道も良くて命中させやすく携行弾数も増やせた 

 

 

・当初は海陸とも優秀な戦闘機や、悲しいかな日本の資源不足と工業力では物量戦になる航空決戦は不利になる 

 

 

・隼の直掩を受けたキー67飛龍に乗っていたという父親。今の私が存在するのは隼のお陰です。感謝しています。 

 

 

・そういえば、海軍と陸軍で航空燃料のオクタン価も違ったんだった。陸軍の飛行機には海軍のハイオクは入れられるけど逆はダメ。こんなところでも足の引っ張り合い。 

 

 

・敗戦後、接収した隼に英空軍パイロットが乗ったところ、隼は何だかフワフワしていて変!と言いやがった。操縦感覚の違いだろうが。 

 

 

・記憶がさだかですが大戦末期、日ソ不可侵条約を破棄したソ連地上軍に対して空からの攻撃で活躍した記事を読んだことがあります。 

 

 

・いろいろ問題のあった 

飛燕を採用するより 

隼を改良と、さらなる増産をしたほうが、良かったのだろう! 

 

 

・主翼の構造上、武装を機首にしか搭載出来なかった以外は零戦以上の傑作機。 

 

 

・米軍の爆撃機の邀撃には不向きだと思いますが、旋回性能はぴかいちだと思います。 

 

 

・どっちも2000馬力級のエンジン搭載したら、物凄い戦闘機になったんじゃないか。 

 

 

 

 
 

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