( 183362 ) 2024/06/22 16:47:11 2 00 「日本の運転マナー = 三流レベル」は本当か? データ&歴史で再検証、原因は“警察”にもあったのかもしれないMerkmal 6/22(土) 6:11 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/b87646da4f681419669bfe04be1cbb77d9bab2c5 |
( 183365 ) 2024/06/22 16:47:11 0 00 時速30kmの速度規制の路面表示(画像:写真AC)
筆者(上岡直見、交通専門家)は先日、当媒体に「「クルマは一流、運転マナーは三流」 そんな日本にとって、生活道路“時速上限30km”は福音となるのか?」(2024年6月12日配信)という記事を寄稿した。そこで「以前から、日本の道路交通は「クルマは一流、ドライバーは三流」といわれている。工業製品としての自動車の品質は高いが、運転マナーは劣悪という意味である」と書いた。
【画像】日本は簡単すぎる? これが「世界の運転免許ランキング」です(計22枚)
この「クルマは一流、ドライバーは三流」という表現は、有名人がいったのか何かはわからないが、
「数十年前の自動車雑誌」
に載っていた。当時は年間の交通事故死者が1万6000人超の時期で“走る凶器”という言葉も生まれ、メカに対する興味が中心の自動車雑誌でさえマナーの問題に触れざるをえなかったのだろう。
工業製品としてのクルマは当時でもかなり品質が改善されていて、少なくとも国内で普通の使い方をしている限りは故障を心配しながら乗ることはまずなかった。運転免許の筆記試験で「構造」の問題が出なくなったのもこのころからである。ユーザー側に知識や技能を求められる「機械」ではなく、いわば
「家電製品」
に近くなったからだ。しかしドライバーの側はどうだろう。
・飲酒運転 ・過剰なスピード超過 ・不注意運転 ・あおり運転 ・店舗突入 ・ひき逃げ
などが現在でも後を絶たない。人間の能力や本質は50年や100年では大きく変わらない。現在でもクルマをめぐる問題の多くは、人間の側の「三流」に起因して発生しているのである。
交通事故死者における「自動車乗車中」「二輪・原付乗車中」「歩行者・自転車」の状態別割合の国別比較(画像:上岡直見)
一流や三流など“客観的な基準”があるわけではないが、交通事故の統計からある程度の傾向はわかる。
図は交通事故統計(2022年)から、交通事故死者のうち
・自動車乗車中 ・二輪・原付乗車中 ・歩行者・自転車
の状態別割合の国別の比較である。日本は「歩行者・自転車」の比率が欧州諸国に比べて明確に高い。また日本で「人対車両」の事故が全体で3万6801件(同年)のうち「歩道」と「横断歩道」、すなわち
「そもそも人と車両の接触があってはならないはずの状況」
で、1万3302件の事故が起きている。
これらのデータで思い出したのはドイツでの体験である。横断歩道を渡ろうとしていたところ遠くからクルマが減速して停まり、自分のために停まってくれたのかと不思議に思うほどだった。日本では信号のある横断歩道でも速度を緩めず接近するクルマが多く、停まる気がないのかと不安になることが日常茶飯事なので、この体験は印象的だった。
ドイツでもすべてのドライバーがそうかは断言できないが、他の人からも同じ感想を聞いたし、前述のデータからも納得できる。また人対クルマの関係だけではなく、他者に無頓着な運転をするドライバーが多ければクルマ同士の事故の可能性も高くなることは当然である。
国内の免許保有率の推移(画像:写真AC)
1978(昭和53)年の「警察白書」には、
「国民皆免許(かいめんきょ)時代の到来」
との言葉が登場した。
「国民皆免許時代を迎えて世論を形成する国民の約半数が運転者となり、それらの人々の意見を交通行政の上に十分反映させるとともに、無事故、無違反の善良な運転者については社会的にも適正に評価される方策を推進する必要がある」
と記述されている。事故歴が保険料率に反映されたり「ゴールド免許」など、ある程度のインセンティブは設けられたが、重大事故防止に対する実効性は確実とはいえない。
図は国内の免許保有率(免許取得が可能な年齢人口のうち、何らかの免許を持っている人の割合)の推移を示す。「団塊の世代」と同時進行する「国民皆免許」の世代が繰り上がってゆくのだから
「高齢ドライバーの問題が多発することは必然」
である。高齢者の交通事故は、かつては歩行者(自転車)として被害者の立場が議論の主な対象であったが、近年は加害者となる事故が増加している。高齢者の免許返納運動も呼びかけられているが、代替の移動手段がない地域では容易に免許返納に応じることもできない。
2019年に政府は「成長戦略の一環」として、高齢者専用免許を設け特定の安全設備(ペダル踏み間違い防止装置など)を備えたクルマの運転に限定することを検討中と伝えられたが、その後は具体的な動きがない。なお「皆免許」といいながら免許保有率には
「男性と女性で明確な差」
があり、これはこれで社会的なテーマとして注目する必要がある。
自動車教習所(画像:写真AC)
首都圏の電車で「当所は合格率99%」という教習所の広告を見たことがある。以前の筆者の記事でも触れたように、自動車の普及は
「運転免許と表裏一体」
であり、国策として免許の取得が推進されてきた経緯がある。「誰でも免許が取れる」となれば、その副産物として運転不適格者が混在してくるのは避けられない。すると日本では
「免許が安易に取れるからマナーが悪いのか」
という疑問が生じるが他の国はどうなのだろうか。
教習時間・費用・審査項目などのいくつかの指標から、免許取得の難易度を国際ランキングした「zutobi」というサイトがあり、日本は厳しいほうから21番目となっている。前後にデンマークやドイツなどが並び、少なくとも
「日本が緩すぎとはいえない」
ようだ。同サイトでは教習内容や指導員の質までは評価されていないが、日本の教習所は丁寧に教えてくれる印象があるし、教習所に通わず自動車試験場で直接受験する「一発試験」はかなり厳しい。それにもかかわらず、冒頭の状態別の交通事故死者のデータのように日本とドイツその他との違いが生じる。免許を取得した後の問題、すなわち教習所(試験)で模範運転して試験さえ通ればよく、
「現実の路上では成り行き任せ」
という実態がなぜ起きるのだろうか。
折口透『自動車の世紀(画像:岩波書店)
日本では歴史的に人の移動手段として
「車輪」
を使う文化がなかったことを指摘する論者もある(折口透『自動車の世紀』)。ギリシャ神話のアポロンは白馬のひく車に乗って天界から地上に下りてきたが、日本神話の神々は
「移動手段としても、兵器としても」
車輪を使った形跡がない。馬そのものは日本でも使われていたが、武士や上流階級が騎乗で使うか、貨物の運搬手段としては駄載(馬の背に搭載)であり、車両を牽かせることはなかった。
一方で西洋では馬車が古くから常用されていたが、日本では明治時代になって馬車(車両)を想定していない街路に馬車が走るようになり事故やトラブルが続出した。
1873(明治6)年に「違式誄違條令(いしきかいいじょうれい)」という、現在の軽犯罪法相当の法律が布告された。それによると
・狭い街路を馬車で疾走する者 ・無頓着に馬車を疾走させて通行人に迷惑をかける者(現代語訳)
は「誄違」に該当し罰金の対象としている。このように「車輪のついた乗りもの」の通行を想定していない道や街並みに車両が侵入したことによる軋轢がいまだに解消されていないのかもしれない。文化的背景を客観的に立証することはむずかしいが、これも日本の「三流」の一要因である可能性もある。
横断歩道を渡る子どものイメージ(画像:写真AC)
全日本交通安全協会と毎日新聞社の共催で、1966(昭和41)年から現在まで交通安全標語を募集している。有名な「とび出すな 車は急に 止まれない(1967年、こども向け)」や、交通安全標語の域を超えて高度成長経済に対するアンチテーゼとして解釈されることもあった「せまい日本 そんなに急いで どこへ行く(1973年、運転者向け)」もこの企画が発祥である。
全体を通覧すると歩行者・子ども・自転車など
「弱者のほうが気をつけろ」
という姿勢が優勢であり、「甘えてならない 歩行者優先」が入選(1979年、歩行者向け)」しているほどである。現在もその傾向は変わらず「さあ青だ 踏み出す前に 再確認(2024年、歩行者向け)」が警察庁長官賞を受賞するなど、むしろ
「警察が進んで「三流」を容認している」
かのような状況にある。また最近ネット上で見かけたが、横断歩道で子どもが手を挙げてクルマが停まった場面で子どもがドライバーにお辞儀をしている行為を、あたかも日本が誇る美風であるかのように紹介している動画があった。すなわち
「本来はクルマが優先だが、ドライバーの好意で渡らせてあげる」
という認識である。結局、こうした認識の集積が「三流」を招いているのではないか。その背景に
「長い物には巻かれろ」
という日本人の伝統的な価値観が横たわっているとすれば、「三流」脱却は容易なことではないかもしれない。
上岡直見(交通専門家)
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( 183364 ) 2024/06/22 16:47:11 1 00 論評や意見が様々ありますが、日本の運転マナーや交通事故に関する問題点として以下のような傾向が挙げられています。
1. 道路の構造や環境による問題:歩行者と車両の物理的な分離が不十分であったり、道路が狭くて歩道が整備されていない場合があり、それがルールの遵守や安全運転に影響を与える。
2. 自己中心的なマナー:運転者や歩行者が自分の行動に対してのみ配慮する傾向があり、他者との信頼関係や公共の感覚が欠如していると指摘されている。
3. 緊張感の欠如:制限速度の低さや緩やかな取り締まり、無責任な違反者に対する対応が、運転者の緊張感や安全意識を低下させることが問題視されている。
4. 文化や宗教的な要因:日本の文化や宗教的価値観が、他国と違ったマナー形成をしている可能性があり、それが運転マナーに影響を与えているという意見もある。
上記を踏まえると、日本の運転マナーには改善の余地があるという指摘が多く見られますが、一方で他国との比較やデータに基づいた議論も重要であるという異論もあります。 | ( 183366 ) 2024/06/22 16:47:11 0 00 ・ドイツやフランスと日本の最も大きな違いは合理性の有る法律と、取り締まりやすさより人に対する危険性を重視して取り締まる点だと思う。
まず、あちらの国では一般道でも人がいない郊外では70km/h以上出せるし、追い越しもできる。 ただし、その速度が安全かどうかはドライバーの判断に委ねられてはいるし、制限車速を超えた時の取り締まりも厳しい。日本みたいに制限+30km/hで流れるというのは無い。 法律を遵守しても十分まともに運転できる。
また、黄色信号無視や住宅街の速度規制も厳しく、横断歩道での歩行者優先も徹底させられる。
日本は車を信号で止め、追い越しもさせず、見た目常の制限速度だけ低くして「ちゃんと規制してますよ」と言う為に規制が作られているから、ドライバーの法律に対するリスペクトや自律的に安全な走行を志向する精神が育ちにくくなっている。
・交通死傷事故における、その時の状況の国別統計は深刻ではないだろうか。歩行者・自転車・バイク・クルマが混在する交通社会において、日本人特有の排他性を発揮すれば、最も加害性の高いクルマの集団が、他者に対して危険な存在となる。ドライバーが違法なクルマの路駐には寛大だが、バイクや自転車や歩行者の同じ様な違法行為には不寛容となるのが、その排他性の証拠だろう。ドライバーだって当然の如くに歩行者になり得るのだから、その事を常に念頭おいて、ハンドルを握るべきだろう。
・リスクについての考え方や概念が未発達なままですからね。 自分で、メリットデメリット、どの程度の危険度や、相対距離や相対速度の判断、どういう状況でリスクがあるのかの想定力、あとは全体的な状況判断力と俯瞰力。 それらを身に付ける機会がほとんどない。 成長する過程で、勝手に身に付くとでも認識されているのか、家庭でも学校でも当たり障りのない事しか教えない。 極めつけは、リスクから過度に遠ざけてしまい、自らの経験からリスクを認識し、それに対処するスキルを身に付ける機会を奪ってすらいる。
こんな社会では、行き当たりばったりのリスク対応になるのは自明。 何かが起こる前に、予測して対処するなんて事はできず、何かが起こってから対処するのがデフォルトとなる。
判断基準も無いから、ゼロリスクな状況になるまでひたすら何もしないか、リスクを想定できずに無謀な事をするかの、両極端な行動が目立つ。
・タクシーを含めて、ほとんどの乗用車運転手は自分の進行方向だけしか見ていない。巻き込みや飛び出しに遭わないで済むのはほぼ運次第といっていい。 一方で例えば脇道から大きい道路に出る時などきちんと一時停止して左右確認する丁寧な人もいることはいるのだが、実際には停止ラインのだいぶ前で止まり、それからちょっと進んで一時停止ラインで止まり、止まってから右左右見て、そこからスタートするので結局タイミングが遅すぎ、後続のクルマは進入出来ずに終わるという感じ。つまり極端に早すぎる人と遅すぎる人が9割方を占めていると思う(バスやトラックの運転手にはそういうタイプはあまりいない気がするがタクシーは本当に一般ドライバーレベル)。 で、警察は警察で猛スピードで走る車を追跡するでもなくただネズミ捕りのみ。ましてや機動隊等はうちの仕事じゃないからと我関せずなのだから、推して知るべしということなんでしょう。
・道路とはそもそも危険な場所であるという認識が日本人にはあまりないのでは? 歩行者保護指定が日本は歩行者過保護規定になっており、ぬるま湯に浸かっている歩行者は、あまりにも被害者意識が高い。歩行者や自転車など交通弱者という立場は理解できるが、周りに注意を払わなくて良いと言うことにはならない。道路に限った事ではないが、お互いが相手を思いやりを持った行動するといった思考を根付かせていかなければならないと思う。
・赤で止まるを黄色で止まるにしたら良いだけなのですが、そうはいってなくて、警察もそう言う対応をしている。 後は何でも法律で決めようとする事が裏目にでていると思う。飲酒運転も飲酒運転が悪いんじゃなくて飲酒運転して事故や違反をするのが良くないから飲酒して事故や違反をするともっと重くするってなるのが大切だと思う。 スピードもコレくらいの道ならどれくらいのスピードが良いかわからないといけない。またわからない奴は運転をそもそもしてはいけない。それに逆に危険な時でもそこにこのスピードが書いてあるからスピードを出すって事も出てきてしまう。スピードを出して事故を起こす事が悪いってならないといつまでも歩行者との接触事故の比率は減らないだろう。 モラルはその人が自分の頭で判断するようにしないと向上しないから
・よく免許の基準が緩いと言われるけどそんなことは無いと思うのですよね、検定で歩行者妨害をすれば一発失格だし、速度超過なんかもそれなりに厳しい減点を食らったりするのだから。 結局免許の基準が厳しいのではなく、免許取得時に学んだことをできていない・やっていないというモラルの低さではと思います。 「横断するか分からん歩行者ガー」「実勢速度ガー」などと言い訳して常習的に違反をするドライバーが大多数なのを見ると、そりゃ事故も無くならないなと。
・事故の内訳より全体の事故数を見ろって話だよな。 昭和時代の殺人道路に比べれば日本の交通事故の数は激減してるし、世界的にも少ない国の部類に入る。 日本の警察は数が少ない割にそれなりに機能してるし、満点評価とはいかなくても及第点は出している。 欧米が警察官1人あたりの負担人口200〜300人に比べて日本は500人、ほぼ倍の負担量という数字もある。 自転車については最近専用道を作ったり、ヘルメット着用を努力義務にしたりとしてるのも記事の件についての改善策と言えるだろうね。 こう言う記事書く人はよく自分に都合の良い数字ばかり並べて全体を歪めるようなことするよね。
・警察が悪いと言う事もあるが、今のデジタル音痴も含めて日本人は考えるのが苦手と言うか出来ない人が多いんだよねえ。 今時の言葉で言うとリテラシー(理解度)が低い。
警察が「速度オーバーが事故の原因」と言えば速度を落とす。 実際には速度オーバーが原因では無く、熟練度が低く速度に対応できていないだけなのに。
街中の細い道に制限速度が出てなかったら60km/hで飛ばす。30km/hでも危ないのに。
衝突防止ブレーキがあるだけで、追突事故が減るのに、無駄とか、金がかかるって言いそう言う機械を否定する。 そのくせ、運転中にゲームをして居る。
昔から規制をされていないと無茶をするから規制がキツくなる。 それの繰り返し。
だから警察が悪いと言うか、そういう国民性を抑えるのはそう言う手段しか無かったから、だと思う。
・日本での歩行者の一番の死亡事故の場所は横断歩道上。話は変わりますが、令和3年にヘッドライトのオートスイッチが義務化されました。データでも10月から1月にかけての日の暮れる時間が早い時期、17時あたりから死亡事故が急増しています。要はヘッドライトをつけないで運転して事故を起こす人が多いわけ。居ますよね、薄暗くなってもライトをつけない、トンネルでもつけない、こんな人がいるから法律が変わる→装置が義務化→車の値段が上がる。これまでライトをつけていた方は文句を言う資格はありますが、ライトを付けなかった人は文句を言う資格はありません。あなた方のせいですから。どんどん車に装置がつき金額があがるのは。さて一番死亡事故が多い横断歩道の話に戻ります。横断歩道上での死亡事故が一番なのが続くようであれば、また法律が変わり同じ様な事があるかもしれません。歩行中にも関わらず、走り抜ける車は幾らでもいますから。
・日本人は歩行者や自転車に対して乱暴な運転をする人が多いと外国人は言いますね。地元に有名なサイクリングロードがありますが、日本人は自転車を追い抜くときに幅寄せすると苦情が来てるみたいです。海外だと余裕を持って追い抜くのが常識ですが、日本だと数十センチの間隔しか取らずに追い抜くので危険なんですよね
・大事なことは、如何に安全を確認して運転するか、と言う点だろう。そして、交通法規違反の取締りも規制も、この観点からなされるべきだが、そうはなっていない印象だ。 例えば、最近取り締まりを強化している模様の一時停止違反。殆どの一時停止線は安全を確認できる箇所から大分引っ込んだ箇所に引かれている。何も見えないから停止線の先で止まると違反切符を切る。 先日、スクーターに乗った警官が停止線から発信してブラインドになっている右から来たオートバイにぶつかりそうになり、こけていたのを見た。何が目的だか分かっていない様だ。 ルールだから守れ、は日本の悪しき発想。ルールは何らかの目的のためにある。それが確保されているのか否かが大事なのだ。ルールが目的化し言い訳化する体質が、規制が実質化せず、見つからなければ良いと言うことに繋がっている。
・世界を歩いて、日本の運転マナーが三流とは感じたことは無い。ポイント的に関心したのは、モスクワで、信号の無い大きな道の横断歩道を渡る時、ちゃんと車が止まったことぐらいだ。それも今の日本ならそれ程驚かなくなった。あとは正直結構怖い思いの方が多かった。それと、車の混雑度が違い。日本ほど混雑している国は、大体荒っぽいことが多いと感じている。日本の交通マナーはかなり良い国だ。ただ課題はあり、改善して行く必要はある。
・他のアジア諸国と比較するとレベルは高いと思うが、欧州先進国と比較すると確かにレベルが低いと感じる。
日本は、合理性よりも決まりを守ることに重きを置いていることがその要因だと思っている。 これは自動車の運転だけでなく、国民性だと思う。
・近年では欧州のMT車比率も減ってきましたがやはりMT車はそれなりの緊張感を持って運転するでしょう。勿論、両手両足を使うので〝ながらスマホ〟などできません。踏み間違いも基本的には起こらないでしょう。AT車は楽ですがそれ故に運転手のレベルを下げます。気軽に〝1トン以上の物体〟を動かせますが…ミスを犯せば簡単に死亡事故に繋がります。平凡なサラリーマンが、主婦が、学生が…明日から〝刑務所〟に入るかもしれない…という緊張感が欠如しているのではないでしょうか。
・今まで行った国の中で運転マナーが一番悪かったのがメキシコシティ。 車がデカければデカいほど偉いって感じで大型トレーラーが頂点に君臨し、以下トラック、バスと続いていた。歩行者が道路を横断していればクラクション連打の減速無しで突っ込んでいく。人間は蜘蛛の子を散らすようにわーっと左右に避けてまるで海割り。
信号が赤でも速く青に変われとクラクションを鳴らすし、青に変わるとみんなが一斉にクラクションを連打して速く行けと叫ぶ。この連打にも色々あって現地の人に今のは「バカヤロウ」って意味だとか教えてもらった。
当時はクラクションを滅多に聞かない日本ってすげえなと思っていたが、帰国してからは日本でも何かあるとすぐに鳴らす人間が結構いることに気付いた。しかもクラクションを変えてデカい音が出るようにしてあったりして、途上国と同じことやってるじゃんwと笑った。
経済も運転マナーも三流に落ち始めてるのかもね
・運転手のマナーと言うより道路行政の方が問題でしょう。大都市でも中心部の主要道路以外はほとんど歩道はありません。特に昭和にできた道路は歩行者と車両を分けるという発想がなかったようです。その後無理やり歩道をつけても、排水溝に蓋をしたものがほとんどで幅が1メートルもなく、しかも電柱が立っていたりします。こんな状況の中でマナーと言うほうが無責任でしょう。戦争中に食料も弾薬もなく兵士を戦場に送ったのと同じ発想です。
・アメリカで運転して日本と違うなと感じるのは 警察が軽微な違反でもしっかりと取り締まるところだと思う 信号のない交差点の優先順位を守らないと捕まったり 車からポイ捨てすると捕まったり 日本よりも節度を持った運転をしていると思う 決して運転技術がいいわけではない
・道路事情にもよるから、単純比較は出来ないよね。 市街地か郊外、専用道路か一般道か等でも違いが出るだろうね。 日本の場合は指定制限速度に違和感を感じる所がかなりある。 住宅街を抜ける国道が50km/h制限だったり、周りに何も無い広域農道が40km/h制限だったり、見通しの良い直線道路が追い越し禁止だったり、狭くて見通しが悪いのに追い越し可能だったり。。。
・データなんかどうでも良い。欧米で車を運転すればすぐ分かる。 それは自動車や交通法規に関する歴史、文化の違いと思う。 先進国になってたかが60年。一般市民が車を運転するようになったのは50年と経っていない。 日本だけじゃないアジア諸国は似たようなもの。100年の歴史ある欧米には追いつかない。
・外国のことはわからないけど、日本のドライバーの質が高いとは思えないよね。飲酒だけはこの20年で改善したが、まあヤフコメ見てればわかるよね。 ヤフコメには「ヤフコメ道路交通法」というのがあって、その原則は要は「俺の運転が法律」である。 制限速度で走ってるっていうと「法律守ってりゃいいと思ってるのか」って当たり前のように言われるしあおり運転の記事では記事の趣旨とは無関係に必ず「右車線でノロノロ…」っていう話で盛り上がるし歩行者自転車なんて邪魔物としか思ってない。そのくせ事故の記事では自分を棚にあげて「事故を起こしたやつは異常者」にして、自らを省みるという視点が全くない。 ヤフコメが全てではないのは当然だけど、運転者の多数を占める中年のおっさんの縮図ではあろう。 制度の問題はあろうけど、事故が減らないわけだと思うよ。俺も年々雑になってる気がする。せめて気持ちは気を付けよう。
・三流の根拠に馬車の時代の事まで出すのは苦しいかな。 三流の始まりはAT免許じゃないのかな。免許を取りやすくしたのは経済効果を狙っての事だよね。結果はクラッチも扱えないレベルの不器用者に免許を与えてしまった。そういう人達がスーパーの駐車場には大勢いますよ。事故にならなかったり軽い事故で済んでいるから報道もされないが一部には暴走して大事故を起こす。年齢以前に運転適性があったのかも疑わしい人もいる。 そんな人達に路上でマナーを求めても、走っているだけで手一杯では無理な話だ。
・そうかな?私は信号あるなしにかかわらず、横断歩道を渡ろうとしている人がいれば止まるし、他の人も殆んどその様にしていると思うけれど。車対人の事故が多い理由は、狭く歩道がない道路が多い精じゃないのかな。諸外国の例はあまり知らないけれど、一度行ったアメリカは住宅地であっても広い歩道があり、車がスピードを出せないように、凸を付けていた道路も一部にあった。
・まず、日本の高速道路を含めた、郊外の制限速度が低すぎる。故に、全体的にドライバーの緊張感が無く、運転技術もリテラシーも低い。というか向上心がない。どんなに適正が無く、直接的に言えば下手な人も、下手という認識も無く公道を爆速する。スマホを片手に、ドライビングポジションも適当に、スピードさえ出していなければ安全と言わんばかりに緊張感が欠如したまま運転する輩。警察も見通しのいい広い直線道路で、たかだか15キロ程度の速度超過を目標達成という名の予算確保のために切符を切り続ける。捕まれば、ほぼ全員が運が悪かったと反省することなく、ただただ警察への不信感だけを持ってまたハンドルを握る。こんなんで本当に悲惨な事故が減るとでも本気で思っているのだろうか。行政も警察も怠慢だと思う。
・ハッキリ言って意味の分からない記事。
単位人口あたりの事故件数を出さないのが謎だし(定量的に件数で判断できない)、割合を問題視しているけどどうなったら理想的なのかも分からない。
歩行中の事故だけ見ても、普通に横断歩道を渡って轢かれたケースから、目の前に車がいるにも関わらず横断歩道ではない場所で無理に横断したケースまであると思うけど、そこに対する考察も無い。
・いやいやいや、最近は歩行者の方が「優先意識」丸出しでかなり無茶なことしてくれてますがね?それこそこの記事のライターの意識が1970年代で止まってないか?また今日の新聞で読んだが、正しいことを言っても信頼関係が醸成していなければ円滑な人間関係を築くことはできないのだそうな。例えば足を踏まれた時相手が「この位2時間もあれば痛みは引くし怪我の程度も低いので問題ありません」と言われたらどう思うか?「それはその通りかも知れないが、まず謝れ」と感じる人が殆どだろう。信頼関係とはそういうもの。横断歩道で一時停止するのが運転者側の義務だからと言って歩行者がさも当然といった感じで車には一瞥もくれずにスマホいじりながらのんびり横断していたら、そこには運転者と歩行者の間に信頼関係は育たないだろう。この信頼関係の欠如こそ運転者・歩行者ともにマナーを悪化させているのではないだろうか?
・なるほど、ドイツか。あそこらへんではドイツとスウェーデンで車に乗った(運転は現地代理店、横に乗って国内走り回っただけ)けど、運転者目線でも歩行者目線でもストレスは感じなかったなあ。 だって、道路にいるクルマが圧倒的にニッポンより少ないんだもんね。 けど、同様の経験をした英仏伊の三国も同じような道路状況だったけど、ときどきヒヤッとすることがあったから、ドイツとかは、運転者も歩行者もマナーがいいのかも。
まあ、下を見てもきりがないしなあ。地球上に国が200あったら最下位は200流だし。 けどニッポンが3流だったら銅メダルじゃん あ、〇流ってのは相対評価(順位)じゃろ?
・日本人は一律が好きで、自主判断ができない人が多い。これは学校教育に問題がある。先生の解答を当てに行く作業をさせているから。 なので何故ここが30㎞/h制限なのかは、標識に書いて有るからって思考回路。 免許試験も、先生の解答には熱心に答えようとするから、難しくても通過できる。
が、一番の問題は、日本人の島国根性気質として、人前では規制に従順で、見ていないところでは横着するがあると思う。 だから、横断歩道や裏道は勝手気ままで、自動車という匿名性がその性格を助長させる。
中国のように、至る所に監視カメラがあれば、きっとおとなしくなる。 法改正と補助金出して、通信型のドラレコを普及させて、常に監視下にしてしまえば良いかもね。 ただし、モーテルは壊滅するだろうけど。
・今まで60キロだったなんて知らなかったし私の地域では其の様な道路環境では無かった其の様な環境の地域の方は其れなりに意見や申請をして居たのですよね、行政と警察の怠慢だな 何故日本人の評論家達は良い所を評価しないのかインバウンドで外国人が日本に来てクラクションを聞いた事が無い、横断歩道の前で車が停まってくれる自国だと有り得ないと
・その通り三流だと思います。 昔、ハワイに行った時、横断歩道で必ず車が止まってたのを思い出します。取り締まりが厳しいというより、ドライバーの意識の違いのように感じました。 信号のない横断歩道で渡ろうとする歩行者がいる時、日本で止まる車って1割くらいじゃないかな。知らん顔、車優先て勘違いしてるの?と思うくらい止まらない。 横断してる歩行者にクラクション鳴らすのはまだかわいいほう、ひどい奴だとアクセル踏んで加速する奴いるからね。(これ、本当に見た話) もし轢いて死なせてしまったら殺人罪だよ。
個人の意見としては、無理に自転車に車道を走らせるのも反対です。(場所によりますが) 自転車道がまともに整備されてない日本で、三流マナーの車と一緒に走らせるのは、危険過ぎます。サメがいる海で泳ぐようなもんです。
・昨日も書いたが、危険に対する想像力が欠ける人が多いのでは?という見方、ハンドルを握ると自分が歩行者になることを忘れるという見方をしているが、その奥にはわれわれは公の感覚が欠けていて背景として私がない点まで視野に入れている。もっとも公私はどちらが先かわからんが。 私、個人がないのはわれわれの特徴? 中世哲学を研究されている方の本に、個として神と向き合う経験と個人の確立の問題について。書いてあった。 われわれは横並び、みんな一緒を好み、出る杭は打たれると言う諺もある。 確かにみんな一緒で個が大事にされるかは難しい。 個がなければ公もないというか、自分たちを離れた視点から見直すこともない。 他人(他の国の人)の目には敏感で、世界は…に弱く、外国に出るとゴミ拾いも厭わない。 バーベキュー、キャンプ…でゴミが散乱するのはみんな一緒だから? 運転者を離れて見られないから危険が想像できないのよ。
・宗教的に見て、欧米は聖書の教えである”自分にしてほしいことを他の人に行う”が根底にあるが、日本は主に仏教や神道なので、自分は自分で守れや他人に迷惑をかけるな、ということが根底にある。 一見どちらも正しいように思えるけど、聖書はするように積極性を示している一方で、仏教は悟りによって自己確立や迷惑をかけないといった、しないことによる消極性が現れている。 この精神が、運転に例えて合流点で入れてやる時に恩義せがましい態度にあらわれたり、強引な割り込み、当然自己中心的なので横断歩道は目に入らない。 日本人の美徳、奥ゆかしさは裏を返せば消極性の表れ。
・2021年の人口10万人あたりの交通事故死者数を国別で見ると フランス4.5 イタリア5.8 オランダ3.5 ドイツ 3.4 日本 2.4 イギリス2.1 ですよ。何を持って三流なのか、、、 ちなみに アメリカ13.8 韓国 7.5 一位ブラジル 16.6 です。 こういうデータが交通社会の安全度を表していると思います。
・日本人の「しかたない」ですませる、おざなり対応が三流の原因だと思います。 歩行者、自転車、自動車の物理的な分離が最良の解決策なのに、「自転車の歩道走行」「道路に塗料塗っただけの自転車道やスクールゾーン」 これらは、道路が狭いから、予算がないからとかでおざなり対応の典型 警察も自転車違反に対して、赤切符処理何面倒だし、自転車違反で罰金にするのもね、ととりしまらないのは「しかたない」 全部「しかたない」ですんでしまう。周りもしかたないと、批判もしない。 情けない話
・何の疑問もなく著者の主張を受け入れている人が多いのに驚きだ。 まずこの記事において主張を裏付ける根拠が弱すぎる。対歩行車の死者の割合が高いから運転マナーが悪いという事には到底ならない 他にもそれぞれの事故の件数や人口との比率のデータが必要だろう。結局日本の運転マナーは悪いという思い込みを前提に書いているだけなのでなんの説得力もない記事になっている。
・いい加減、日本人は民度が高いなんて思わないこと。 車のマナーも悪いし、多くの人の集まる花火大会でも誘導を守らないし ゴミをそこらへんに捨てる。こういう車に乗ってる人や 花火大会に集まる人種は本当に民度の低い人間がよく集まるね
運転マナーの向上にはもっと警察が力入れないと無理でしょう 私の若いころは原付のマナーがとにかく悪かったし30キロなんて 守ってるほうが少なかった。これを気合入れて取り締まった結果 ノーヘルは減ったし、そもそも原付を見なくなったね
これからはじまる自転車の青切符も効果を発揮するだろう 気軽に乗れると思ってた自転車が厳しくなれば乗る人も減る そうなれば、歩道も多少は平和になるんじゃないでしょうか?
・全てのマスコミを使って今日から横断歩道でスピードを落とす、歩行者がいる場合は絶対停止という感じで大々的にアナウンスしてください。横断歩道で自分が止まっても対向車が飛ばして来るので怖い思いをした事があります。また横断歩道に子供が立って待っていたのにバスがクラクションを鳴らして通り過ぎて行きました。オーストラリアみたいに交差点に防犯カメラを取り付けたらいかがですか?隠蔽する警察より役に立ちますよ!
・①扱い方によって凶器になってしまうということを意識していない ②自分中心で周りを見ていない/見ることが出来ない ③日頃のメンテナンスを忘れがち(壊れたら文句を言う) ④警察も速度超過、駐停車禁止、一時停止、一方通行逆走、シートベルト等ぱっと見で判断できるものしか検挙しない
②においてはスーパーのカートの使用状況などもかなりひどい
・歴史的な経緯から道路自体が車輌で走るように最適化されていないという背景はかなり大きいと思う。
昭和の末頃?以降は一部解消も進んできたが、また無駄認定されているのでもう自動待ちくらいしかなさそう。
・いやいや車だけの問題じゃないだろうよ。 歩行者の方が寧ろルールなんかお構いなしでしょ。 ほどうと車道の区別の無い道路でも左側歩くしなんなら道のど真ん中を歩行者天国みたいに歩く。 歩道のある道路でも車道を歩く。 横断禁止道路でも横断するのは当たり前。 そりゃ轢かれる奴がいても当たり前だろうよ? 事故はどちらか一方だけの努力で無くなりません。
・ちょっと調べただけでも人口10万人あたりの交通事故死亡者数は筆者が例に挙げたヨーロッパ先進国と比べてもイギリスに次いで低い数字となっており、世界的に見てもトップ5に入っています 交通弱者の事故の割合が多い割に重大な事故が少ないことが伺えます 日本に不利なデータだけ貼り付けて三流だと言い張る 結論ありきで恣意的に事実を捻じ曲げてこの人は何が言いたいのでしょうかね
・毎日車で通勤することが多いのですが、最近の運転マナーは特に悪いです。 たとえば二車線道路で車線変更のウインカーを出すと変更車線側後方の車の10台中8台は「行かせてなるものか!」と加速し、変更車線側のスペースを狭めてきます。 譲ると負けたような気持になるのでしょう。 特に朝は皆さんイライラしていて余裕がないみたいです。
・2021年の世界の交通死亡率(海上、航空含む)では、日本は42位で10万人当たり2.4人です。この記事にある欧州各国のうち、日本より低いのはイギリスの43位2.1名のみ。 確かに日本の事故の傾向を比較して改善する必要はあるけど、一部の数字を切り取って三流レベルと貶める程でもないでしょ。
・まぁ三流であることは事実だが、交通弱者の死亡事故が多いのはそれらも三流ということ。 法的に守られてるという思いから自己防衛が蔑ろにされている。 諸外国では自分を守るために信号にも法にも頼らない。 危険であれば青でも渡らないし、安全を確信できれば赤でも渡る。 ルールではなく実を取るということ。
・「さあ青だ 踏み出す前に 再確認(2024年、歩行者向け)」を三流ドライバーを警察が容認してると受け取るほうがどうかしちゃいないか? 三流ドライバーの多さ自体は事実なんだから、青信号になったからって確認しないで踏み出すと、「黄色は急げ」な三流ドライバーや信号を気にしない自転車とぶつかるかもしれないじゃん それこそ警察が三流ドライバーの取り締まりを強化したら、三流ドライバーはいなくなるのかって話でしかない
そもそも三流ドライバーを警察が容認していようがいまいが、ドライバーの意識には影響しないよ 横断歩道を渡ろうとする歩行者を無視したり、交差点に進入してからウインカーを出したりするドライバーは、警察のことなんか意識してもいないよ
身も蓋もないが、世界と比較してどちらのほうが三流ドライバーが多いのかなんて、どうでもいいわ
・アジアと比べるとマシかな。 とりあえず欧米は横断歩道で歩行者がいた場合 ほぼ停止してくれますね。 日本人というか中年の方は意地でも譲りたくない、前に入られたら悔しいのか距離を詰める方多いですよね。
・2021OECDの報告だと、10万人辺りの死亡者数は、日本2.4、ドイツ3.4、イギリス2.1、フランス4.5人であり、日本の死亡者数はかなり少ない部類です。 定義の仕方がイマイチ分からないが、マナーと死亡者数は反比例するのですかね?
・この記事には合意しかねる。
運転マナーが悪いと感じるのは、高速道路の最右車線をふせぐトラックと、トラックが抜こうとすると加速する最右車線以外の乗用車。 マナーというよりルール違反なのだけどね。
・海外の方がより酷いのではないのか? アメリカとか東南アジア圏の国々なんかさ 免許制度も日本と違っていい加減そうだし よく動画で見るよね、よくこんな運転が出来るなと おっかなくてとてもじゃないが、日本以外の国々で運転なんか出来ないよ こう言ってはなんですが
・運転マナー三流に同意する。
ある警察署長が子どもたちに、青信号で渡りましょう的なルールしか説明しない記事があり、動画で事実確認したので、 「必ずしも交通ルールを守る人ばかりではないのだから、青信号でも、安全を確認しましょうと教えなければ、命がいくつあっても足りませんよ」とコメントした。
すると、青ポチの方が断然多くなったのだ。
「青信号で渡りましょう」を子供が実践して、信号無視の車にひかれて亡くなったらどうするの? 我が子を失った両親に「悪いのは運転手だよ」「あなたの子どもは悪くない」と百万回慰めても、子どもは生き返らないんだよ。
形式的なルールだけで対策した気になって、世の中の実際を教えることを我々日本人は避けているんじゃないの?
・運転者とそれ以外の者、それぞれが自分勝手に動くからそうなる。 まさに筆者の指摘は的を得ていて、一度定着した思想は100年では変わらないであろう。 無謀運転で人を殺しておいても、金とコネが有れば実質無罪でノウノウと生きて行けるのも日本ならでは。
・マナーというより歩行者の危機意識の低さは痛感する。横断歩道の信号が青なら迷わず渡る。注意しない疑わない。最悪スマホ見てたりね。実際の道路は信号無視とかの車両がいつ突っ込んでくるか分からないわけで、小さな頃から自分で判断する癖を叩き込んでおくべきだと思う。例えお前が正しくても死んだら終わりやぞと。
・運転マナーも運転技術も車に関する知識も全て30年前くらいから落ちていると思います、ただし当時よりも飲酒運転は間違いなく減っています。
・世界的に見たら日本の運転マナーはだいぶマシです。 外国行ったら酷いところはホントに酷い。 自分が見た中でワースト1はインドかな。 あんなところで自分は運転する勇気は無いね。 ルールもマナーも無いよ。
・状況判断できないのに制限速度と信号だけ守ってれば安全運転だと思い込んでる人が多いという点で三流かな。マナーじゃなくて判断力だと思うけど。
・①道が狭い 国土のせいでもあるが、車を前提とした道路作りからスタートしていないから
②対応力がない ムラの感覚が抜けないまま、自動車という長距離移動ツールを手に入れたので、知らない土地(ムラの外)での振る舞いに戸惑う性質がある 想定外のことに対応するチカラが弱い
③教育の低下、ニンゲンの質の低下 言わずもがな
・日本の問題は、明らかな異常者でも取れちゃうことでしょ。 むしろ、危ない奴は早く卒業して欲しいと合格させてるふしがある。 教習所による差が激しいな。 なんでも民間委託しすぎだと思う。
・周囲に配慮できない自己中、危険予測ができない運転手が一定割合いる。追い越し車線をトロトロ走る、無理な追い抜き、割込み、幹線道路でのUターン、煽られても仕方ないと思われるのがいる。これらの存在が他国と違うのでなないのか。
・運転マナーはドイツが世界一でしょう アウトバーンで追越し車線を走るのは追越しの時のみが徹底されていて日本のように無駄に塞ぐ車がいない また日本の警察の取締も事故防止にほとんど役に立っていない 事故数や死傷者数が減ってるのは車の性能向上と道路の改善によるもの 反則金とパチンコの利権は警察の恥部
・自転車の罰則もなければ交通弱者とかいう訳の分からない付加価値まで付けているから結局自転車や歩行者の無法地帯。 そりゃ事故もなくならんよ。 ひけるもんならひいてみろや!みたいな自転車がどれ程いてることか…。 歩道と車道を自分の都合で使い分ける自転車とか。 甘やかした結果…。
・歩行者事故を減らすのに、歩行者排除すればいいという考え方が短絡的で何の解決にもなっていないんですよ。 そこで歩車分離しても別の場所で事故になるんだから
・救急車に譲らないのがデフォ化してる地域って日本(の関東)以外にあるのかな
譲るためにブレーキ踏んだ車が追突される(後ろの車は譲らないと思っている)動画観たときは衝撃だったわ
・アジアの中ではまだマシに思える。肌感だけど。ヨーロッパと比較すると劣ってる気もする。これも感覚。なのでそんなもんな気がする。
・センターライン踏みながら、跨いだり。交差点では思いっきり内回り(そりゃ横断者、自転車に気付きにくい)を頻繁に見ます。 たしかに横着で三流が多い。 あと信号待ちでスマホいじって青になっても気づかない(女性が圧倒的)。自転車乗りながらスマホガン見。勘弁してくれ!
・歩行者、自転車を一括りにしている。 個別に開示したら更に興味深い傾向が現れてくると思います。
・「日本の運転マナー = 三流レベル」だとする、では「一流レベル」の国はどこか? また「二流レベル」の国はどこか? それを示していただきたい それを示せればその国を目標にすればいいし、示せなければ三流でも世界的に上位だ
・日本人の運転テクニックは上手だと昔から言われている。 市街地などの速度も速いのかもしれない。
・欧米は民家や人がいるとこはすげえスピード落とすよね 日本みたいな町中でイキリ走りしてるのパトカーにみつかるとスピーカーで注意されて停められる。
・最初しか読んで無いが ドイツだは随分手前から減速して止まってくれた、、、 いや止まりたくないから随分手前から減速してやってるんだからさっさと渡ってあげて!
・コメント欄はやはりというか、警察や法律への批判が多く見られますね。 交通事故遺族の視点から言わせてもらうなら、ここで警察や法律を批判している連中こそ運転するなと声を大きくして言いたい。 運転舐めんな。
・高速道路を左車線から追い抜いたり 救急車を先に行かせてなかったりが 多くなってきているような気がする
・言い訳ばかりしても横断歩道で止まらない、げんそくすらしない車が多いことは間違いないし自分勝手で危険な運転を平気でするやつも多い
・ヨーロッパが馬車を使っていたとき、日本は駕籠だからな。 でも日本も平安貴族は牛に車を曳かせていたらしい。
・日本の感覚で歩いてると轢き殺されそうな海外都市はいっぱい有りますよ。 そもそも法規が違ったりもしますけど。
・最後の部分がなー。 道路交通法は歩行者の命までは守ってくれないんだけどね。 こういう人はほんと「自衛」って言葉が嫌いなんだな。
・「運転マナー」と言っている筆者自体,三流の交通評論家だ。
運転「マナー」ってなんだ?
また,歩行者と自転車を同一にして評論するのもおかしい。
・緊急車両に対しての譲り合いは良く出来たほうだと思う。
・日本の運転が三流だったら、中国は一体何なんだよっていうくらい、ひどいけどね。
・各ネタが無かった記事 どの言葉も中途半端 酷すぎる
・事故数と割合を示して欲しいね。
・日本が3流なら東南アジアの運転は何流ですか?
・熊本、岡山、鳥取、広島、福井、東京、群馬、栃木、神奈川で運転したけど、神奈川県秦野市の湘南ナンバーが1番車の運転が下手だった。 免許取り立ての初心者の方が上手い。 秦野市の大半が周りを見ない自己中な運転しかしないから急ブレーキかける羽目になるし、何故というところで渋滞が起こっている。 車は凶器なのだから周りに注意して運転してほしい。 それができないなら免許返納してほしい。
・典型的な「外国は一流、日本は二流(三流)」というアホな記者のアホな記事。 何にでもクレーム付けて目立とうとする、迷惑系YouTubeと同じ。 神話や自動車の無い時代の話を持ち出したり、「弱者だから気をつけましょう」という子供向けの標語を「弱者が気をつけろ」というひねくれた解釈に変え、ドイツ人が横断歩道で止まるのを賛美しながら 日本の小学生が止まってくれた運転手にお礼のお辞儀をするのにまで文句を言う。 数十年前の「交通戦争」と言われていた当時の記事を持ち出し、今も変わらないという印象操作。国別の発生件数(人口当たりを含む)を載せずに日本の車両別の死亡事故の割合だけを載せる印象操作。「原因は警察(にあったかもしれない)」という警察の印象操作もある。 他国と日本の比較をするなら、交通関係に従事する警察官の数(刑事などはやらないと思うので)なども調べて記事にすればいかがですか?
・九州で運転が荒いのは実は福岡ではなく長崎。狭い土地柄なのに過信があるご老体が多い。都会の福岡人は処罰される危険度はある程度は認識している。
・Merkmalっていつも馬鹿な記事を書くけど、これがいわゆる三流記事というやつだね。 ちょっといろんな国に行けば、すごい交通マナーのところたくさんあるし ベトナムとかもう笑うしかない。
ちなみに記事に上げているドイツの交通事故死亡率は日本より毎年高く マナーが3流の日本のほうが何故か死者が少ない。
・黄色信号で止まらないどころか赤になっても突っ走って行くアホバカが見受けられる。こんなのが高齢者になったら更に恐怖な走り方をすると思う。
・関西人のマナーは最悪だから この記事を読んで直して欲しい。
・中国、フィリピンに行ってみると三流が何かわかる。
・人間が三流なんでしょ。
・馬鹿に 何を 言っても 無駄である
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