( 183522 )  2024/06/23 01:47:32  
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スバルのDNAはゼロ戦から受け継がれている!! 零式艦上戦闘機52型の勇姿にシビレた!![復刻・2013年の話題]

ベストカーWeb 6/22(土) 22:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/21afe296986fdafc7db1b1fb74ce28feb93f0b02

 

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『ベストカー』誌の連載企画『文京区発 写真で見る衝撃の真実』では、富士重工=スバルのルーツであるゼロ戦に関する記事が取り上げられた。

記事では、アメリカの博物館で展示されている実機のゼロ戦のエンジン始動イベントが紹介され、当時の特徴や技術について詳しく説明されている。

展示は所沢航空公園で行われ、富士重工(中島飛行機)がゼロ戦を開発した経緯なども紹介されている。

(要約)

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ベストカーWeb 

 

 本誌『ベストカー』にて、インパクトの強い話題を取り上げる連載企画『文京区発 写真で見る衝撃の真実』。数ある企画の中から、富士重工=スバルのルーツであるゼロ戦取材の記事をプレイバック!(本稿は「ベストカー」2013年5月26日号に掲載した記事の再録版となります)。 

 

【画像ギャラリー】富士重工=スバルのDNAはこのゼロ戦から受け継がれている!!所沢で見た勇姿[復刻・2013年の話題](5枚) 

 

文/写真:ベストカー編集部 

 

 180万部を超える大ヒット小説『永遠の0』(講談社文庫刊・百田尚樹著)を読んで、涙した読者諸兄も多いと思う。 

 

 本企画担当もそのひとりで、今年12月に公開される岡田准一主演の同映画は絶対に見に行かねばと心に決めております。 

 

 さておき、そうした「ほやほや」ファンである担当のもとに、「ゼロ戦のエンジンをかけるので見においで」というイベント通知が届いたのでありました。 

 

 今回一部プレスと抽選客を呼んでエンジンを始動するのは、アメリカ・カリフォルニア州にある民間航空博物館「プレーンズ・オブ・フェーム」が所有する零式艦上戦闘機52型。 

 

 太平洋戦争中の1944年にサイパン島へ不時着したもので、米軍がほぼ無傷の状態で収容した機体だという。 

 

 機体は当時のままで、栄21型エンジンも一部の部品が交換されているものの、ほとんど当時のまま。 

 

 当時のボディに当時のエンジンが搭載され、かつ飛行可能な状態にあるゼロ戦は世界でこの一機だけだという(過去1978年と1995年の2回、日本に持ち込まれており、そのさいは実際に飛行している)。 

 

 今回は残念ながら飛行はないものの、「日本初の飛行場が所沢に誕生して昨年で100年目となる記念」ということで、このゼロ戦が所沢航空公園にやってきた。 

 

 クルマ好きの読者諸兄ならばご承知のとおり、ゼロ戦を開発・作製したのは現在の富士重工業の前身である中島飛行機。 

 

 もともと終戦時、ゼロ戦が着陸時に出す車輪を使って何か別のものが作れないかということでスクーターを作製、それが大ヒットしたことが今の富士重工の基礎を支えている。 

 

 

 今回展示されているゼロ戦の由来がザッと説明されたあと、日米両国の国歌が演奏され、いよいよ前述のアメリカの博物館職員によってゼロ戦のエンジンに火が入る。 

 

 「バルンッ、バルンッ、バルルルルルルルリュリュリュ……」 

 

 ゼロ戦に搭載される「栄21型」エンジンは空冷星型14気筒。排気量は実に2790ccのOHVで、遠心式スーパーチャージャーで過給され、最高出力1100hpを叩き出す(設計にはのちにプリンス自動車で活躍する天才技士・中川良一氏が携わっている)。 

 

 空冷エンジンならではの、豪快で乾いたエキゾーストノートが響き、そこへ次第にプロペラが空気を切り裂く「バババババッ!」という音が混ざっていく。 

 

 ふと、68年前にはこの戦闘機が大空を舞っていたことに思いをはせる。 

 

 当時ゼロ戦は世界一の航空機製作技術でもって作られたと称えられ、そのDNAは日本が戦後、世界一の自動車大国となったことで確かに受け継がれていると証明された。 

 

 およそ50m四方の駐車場をゆっくりと一周して(もちろん離陸せずに)、ゼロ戦はエンジンを止めた。 

 

 風切り音がやむと駐車場の外から、子供たちの遊ぶ声が聞こえてきた。 

 

 今回ゼロ戦がやってきたのは、埼玉県の所沢駅から西武新宿線で1駅、所沢航空公園駅から徒歩5分にある「航空発祥記念館」(所沢航空記念公園内)。「日本最初の飛行場が設立されて百周年」を記念してのこと。 

 

 本来この(※2013年)3月までの展示だったが、大好評のため今年8月末まで展示されることとなった。今から百年前、所沢に臨時軍用気球研究会所沢試験場が開設。以降終戦までさまざまな試験が重ねられ、我が国の航空機発展に尽くした。 

 

 ・記念館入館料:大人500円、子供100円 

・開館時間:9:30~17:00、毎週月曜日休館(祝日の場合は翌日) 

・電話:04-2996-2225 

 

 (写真、内容はすべてベストカー本誌掲載時のものです) 

 

  

 

 

( 183524 )  2024/06/23 01:47:32  
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- 多くのコメントから、零戦は三菱が開発したものであり、中島飛行機が生産を担当していたということが明らかです。

中島飛行機が零戦をライセンス生産していたことや、中島のエンジンが搭載されていたことが指摘されています。

また、スバルのDNAとして零戦を指摘するのは適切ではないとするコメントも多く見られました。

 

 

(まとめ)

( 183526 )  2024/06/23 01:47:32  
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・零戦は三菱の堀越二郎技師が中心になって開発した三菱製。発動機は中島の栄エンジン。 

 

機体生産は中島飛行機の工場でも行われ、生産数は意外にも中島のほうが多かったとの文献を見た事がある。 

 

このほとんどオリジナル状態の世界唯一の貴重な機体が里帰りして飛んだ時、実際に見に行った。 

現代の飛行機にはもうほとんど使われていない空冷星型エンジンの独特な音も印象的だった。 

 

この時はP51マスタングと2機での飛行だった。 

 

地上から見ている分にはP51がパワーで引っ張って飛ぶ様に見える印象に対し、零戦は上手く空気に乗っていると言うか、旋回がスムーズで洗練されている様な良く作り込まれいる様な印象に見えた。 

 

たった一機残ったほぼオリジナル状態の機体なので、性能を目一杯出す様な負荷のかかる飛び方はしないと思うが、大切に保存され続けて欲しい。 

 

 

・自動車同様、航空機も多様な工業技術の集大成的産物の象徴たる存在。その設計と製造に際しては、各種方面の多岐に渡るテクノロジーとノウハウが集約されて、始めて一つの車両が地上を疾走し、機体が中空を飛翔し得る。 

  

そして零戦とほぼ同時期(やや後の)開発のアメリカのF6Fなどは、一つの機体のその各部位毎に、同じグラマンの社内においてさえ、既に設計の分業化が成立している。 

 

しかし十二試艦上戦闘機、零戦の設計に際しては、そのほぼ全てを、堀越二郎が(主務として)単独で担っており、発動機以外の機体の設計には、中島の関与する余地は存在し得ない。 

 

読者のみならず、スバル、三菱両社への今後の取材に際しても、充分過ぎる失態なのではと、他人事ながら少し心配になる。 

 

因みに三菱製造の零戦は機体上面と下面の塗り分けの境界がほぼ直線的で、中島製は主翼側が高く、水平尾翼側が低い波線状になっている事で判別できる。 

 

 

・零戦は生粋の三菱生まれ。 

エンジンも初期は同じ三菱製の瑞星エンジン積んで開発されたが、狙った出力が出ない(確か900馬力強程度だったかな)のと、採用に破れた中島の弱体化を防ぐ為に軍部の指示で中島の栄エンジンに換装されたと記憶してます。 

 

栄エンジンは馬力も1100馬力と、瑞星よりパワーもあった。 

だから堀越技師も栄採用に踏み切った。 

 

零戦はギリギリの機体強度で軽量を武器に無敵の機動性を誇ってたけど、それが災いして栄エンジン以上の出力に耐えられない脆さゆえ、その後のアップデートの余地がなかったのは有名な話。 

試作機では三菱の1500馬力金星エンジン載せたりしたけど、結局バランスがとれず栄エンジン搭載世代以上の活躍は出来なかった。 

 

連合国側が倍の2000馬力級エンジン機を当たり前のように出してきたのに、最後まで零戦は栄エンジン機が主力で頑張ってたんだよね... 

 

 

・自分は旧車でも、240Zより510SSSの方が好みなように、大戦中のウォーバードでも、P51とか流麗な水冷機よりも星形空冷機のカタチの方に心がそそられる。 

零式は、なんとも日本的に繊細な反りの直線基調による「凝縮感」の形状が良いな。 

(浪花節的な形状イメージDNAの継承は、同じ三菱のエヴォXなんかの方に感じたり) 

 

でも実は、それより好きな一番のレシプロ機は、同じ凝縮のコンセプトを進化させたF8Fベアキャットだったりする。 

 

 

・この零戦が茨城県の龍ケ崎飛行場に里帰りして展示飛行したとき俺はスバル(中島飛行機)初代レガシー200GTに乗って観に行った。風にはためく16条旭日旗の先に零戦52型は静かに翼を休めていた。やがて栄エンジンがバラバラと快音を起てて回りだし、俺は胸がキュンとなるほどの感激を覚えたものだ。やがて零戦は空中に颯爽たる飛行姿を披露して8の字旋回、ひねり込みなどいくつかの曲技飛行をP51ムスタングとともに披露してくれたけど生憎天候悪く宙返りは観れなかった。ゼロは三菱の堀越技士の設計によるもので当時の航空機メーカーが量産したが中でも中島製の機体がもっとも評判がよかったと聞く。エンジンは中島製空冷星型エンジンでスバルの水平対向エンジンの基礎はこのエンジンに発する。今は亡き親父が言っていた。「クルマ買うなら中島(スバル)にせい」。だから俺は今でもスバリスト。 

 

 

・当時は零戦に電気スターターは無く、エンジン始動はイナーシャと呼ばれる慣性力発生装置がエンジンに装備されていた。まず整備担当が外からクランクで回し回転が上がった時にクラッチを繋ぎその慣性力でエンジンが始動。このエンジンはアメリカで電気スターターに換装されていた。 

 

 

・確か零戦はボディーは三菱でエンジンは中島で中島で零戦のライセンス生産をしてた様な気がします、戦後GHQによる飛行機設計生産の禁止を受けて会社分割された苦しみの時代に中島生産の爆撃機の尾翼のタイヤを使ってスクーターを作ったんじゃないかなーと 

 

 

・エンジン供給は面白い経緯がある。 

零戦(三菱開発)は瑞星900馬力台を海軍の指示で中島の栄1,000馬力弱に換装したら好成績。以降栄改造型の換装を繰り返す。 

自社の機体には自社のエンジンを積みたがる 

機体は三菱、エンジンは中島 

1944年途中で1,500馬力クラスのエンジンに換装したらF6Fにも競り勝てたのではないかな。 

 

 

・亡き叔父が群馬県の中島飛行機に勤務していました。戦局が悪化してくると素材の質が低下して脚が折れる話は聞いた事があります。空襲されたときは叔父のチャリ溶けただけで無事だったようです。零戦は三菱開発ですが生産の60%くらいは中島製で塗装が微妙に異なるそうですよ。 

 

 

・昔の自動車整備士の噂で・・・・ 

スバルの水平対向エンジンは戦時中星型エンジンだった栄発動機の横方向のピストンだけは壊れなかったから水平対向エンジンに自信を付け開発したとかと言う都市伝説があるけど嘘です。 

エンジン部門はプリンス自動車今の日産に受け継がれました。 

 

 

 

・真珠湾の零戦21型の半数以上は中島製で、52型等はほとんど中島製だったと言われている。 

塗装の塗り分けも三菱と中島では異なる上、暗緑色と下面の灰緑色も色調が異なり、機体内部色も三菱と中島では違っていて、メタリックの青竹色は三菱にしかなかったり、飴色も中島にしかなかったりも。 

 

 

・他の方も書かれていますが、富士重工前身の中島飛行機は、隼、鐘馗、疾風という名戦闘機が源流だと思います。 

戦闘機使ってた会社が車を作れば、そりゃ優秀な車が出来ますよ。 

 

 

・零戦の開発者は三菱の堀越二郎氏で、栄エンジンは中島飛行機。 

生産の半分以上は確かに中島だが、三菱でも生産している。 

スバルのDNAは零戦ではないと思います。 

隼、鐘馗、疾風という名機は中島飛行機だけどね。 

 

 

・零戦は中島航空機でライセンス生産はされましたが、開発は三菱でしょう。 

スバルのDNAを辿ると行きつくのは開発も中島航空機による隼、疾風などの陸軍の戦闘機なのではないかと思います。 

 

 

・零式じゃなく一式戦隼の方がスバルだろ。 

 

中島飛行機のDNAは富士重工だけじゃなくプリンス自動車そして日産にも受け継がれているんだけどね。 

中島の荻窪の工場がプリンスに引き継がれた。スバルは主に太田工場、伊勢崎工場など5拠点引き継いでいる。 

 

中島飛行機にいたエンジニア達はスバルやプリンスにはもちろん、トヨタやマツダ、ホンダ、スズキなど多くの自動車メーカーに散って行きしっかり継承されている。 

 

 

・零戦は 

1 三菱が機体を設計し 

2 中島のエンジンを載せた 

3 三菱だけでは生産が追い付かないので、中島がライセンス生産 

4 中島のほうが結局はたくさん製造した 

 

簡単に言うとこんな感じですね。 

 

 

・細かいところに言及するなら中島とゼロ戦も深い関係があると言って間違いはないがゼロ戦から受け継がれるスバルのDNAと言い切った日には過言では? 

100歩譲って隼だろう。中島飛行機で生産したゼロ戦という意味で中島のゼロ戦も事実だけど、設計に関しては生粋の三菱なんだから。 

 

 

・零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を設計・開発したのは三菱内燃機。現在の三菱重工業です。主任設計は堀越二郎氏で前機である96式艦上戦闘機の後継機として開発され採用されました。ちなみに現在の富士重工業、かつての中島飛行機は陸軍の主力戦闘機だった一式戦闘機「隼」や二式戦闘機「鐘馗」を開発した事であったんじゃないかな?史実は正確に理解して校正を怠らずに!掲載するなら責任をもちましょうね。 

 

 

・殆ど無傷なんて言い方すると誤解を招く。 

プレーンオブ・ザ・フェームのレストア技術と努力は日本では実現不可能な程、スバルの前身を誇る前に、何故最大生産数を数えた日本軍機がまともに日本企業にて保存や修復をされていないのか? 

先ずそこを嘆くべきでしょう。 

 

 

・観に行ったよ。 

2013年!もう11年前か。 

 

館内展示だったけれど【フライト可能な大戦機】ってスゴい事だとしみじみ思ったよ。 

日本のものは日本人がという向きはあろうけれど、四式戦もマロニーのとこに置いとけば今でも飛べただろうに。 

 

 

 

・中島知久平さんは三菱の人ではありません。零戦は三菱の開発ですね。でも中島も零戦は製造していました。本家の三菱零戦よりも中島零戦の方が評判は良かったらしいです。 

 

 

・エンジンの話じゃないんだけど、当事のこうした戦闘機の主翼の先はスクウェアにカットされたものが主流だったはず。コストや製造技術などぼ壁があったそうだ。簡単にいえばジュラルミンを扱う技術が不足している状況。したはって、切り取るような翼の先端構造になる。ところが零戦の主翼先端は丸い。アーチを描いていて、量産でジュラルミンを加工していた事になる。 

ある種のオーバーテクノロジの類いだろ聞いたことがあるよ。 

これってホント?誰か教えて詳しい人。 

 

 

・たしか生粋のは零戦ではなく隼なはずなんだけど、開発は三菱だったと思う零戦。なのでどちらかと言ったら隼にスバルスピリットの方が。確かそんなステッカーも存在したはず。 

 

 

・大戦後半生産機限定の見分け方ですが、日の丸に白フチがあるのが三菱製、白フチが無いのが中島製。 

 

皆様の仰る通り零戦は三菱の開発ですが、量産数は中島飛行機の方が多かった。 

 

 

・零式艦上戦闘機の設計は三菱重工の名古屋製作所で、三菱のエンジンに欲しい性能が出るものが当時なかったから、ある意味仕方なく中島の栄が採用されただけ。 

それを、スバルのDNAと言うタイトルで記事にするとは、この記事の筆者の勉強不足も甚だしい。 

流石にこの記事は先人達に対して失礼でしょう。 

 

 

・予想通りの大反響wここまで「中島製」ときっぱり言い切るケースも珍しいと思う。零戦のフルネームは「三菱零式艦上戦闘機」です。 

 

他の方もコメントするように、中島製の「栄」が使われたのは軍が三菱に利益や負担が偏り過ぎることを考慮した結果と言われてます。中島飛行機は、零戦をライセンス生産しました。開発はしてません。 

 

「開発」とさえ書かなければ言い逃れできたんですけどね。 

 

 

・それを書くならスバルのDNAは疾風から…の間違いでは?ゼロ戦を開発・生産したのは三菱だよ(ただしエンジンはスバルの前身である中島飛行機製)。中島は疾風の他に、隼に代表される軍用機王国で当時東洋最大の企業だった事もある。工場の生産力が大きかったので三菱が開発したゼロ戦も実は中島製の方が多い。このライターさん、いささか勉強不足では? 

 

 

・中国に住む現地人の友達 またスバル買った 何でまたスバルと聞いたら 中嶋飛行機だからとの回答 中国でスバルに乗り続ける人はほとんどこの理由と言っていた 少し誇らしかったし 良いものはいいよね 

 

 

・>富士重工=スバルのルーツであるゼロ戦取材の・・・ってのが、凄い違和感だな。 

それを言うなら、零戦じゃ無くて「隼」じゃないのか? 

零戦は、三菱だし、 

栄エンジンなんてのは、米国のエンジンのコピーみたいなもんで、 

けして誇れる製品でも無いだろうと思うけどね。 

「隼」だったら、理解出来る。 

 

 

・記事を書くならもう少し歴史を学んで欲しい、零戦の開発は三菱ですね、製造機数は中島のが多くてもSUBARUのDNAと言うなら隼とか疾風ですよ 

 

 

 

・記事を書くならもう少し歴史を学んで欲しい、零戦の開発は三菱ですね、製造機数は中島のが多くてもSUBARUのDNAと言うなら隼とか疾風ですよ 

 

 

・今も尚、部品交換されているものの栄エンジンが稼働してるのは、凄いな 

 

米国製エンジン搭載の零戦でなく、日本製エンジン搭載ってのがホントに貴重 

 

 

・酷い記事だな。 

零戦は堀越技師設計で三菱だろうが。 

エンジン設計は中島だし、ライセンス生産もしていたにしても。 

 

スバルが誇るなら小山技師設計の隼や疾風だろうに。 

 

 

・三菱製零戦に比べ中島製ライセンス版は生産数は多いが質が落ちるものだったそうですが、スバルのDNAが零戦なら他社より質が落ちるということですか? 

 

 

・中島が零戦生産は受けていても 

開発は三菱っていうのは 

常識。 

隼や疾風を忘れては 

中島は語れない。 

 

 

・零戦を開発したのは三菱だ 

エンジンの中島は戦後分割されたが、栄エンジンは日産 

永遠の0は、大空のサムライや零戦虎徹等の良い所取りしたハイブリット 

 

 

・>クルマ好きの読者諸兄ならばご承知のとおり、ゼロ戦を開発・作製したのは現在の富士重工業の前身である中島飛行機。 

 

とんでもない誤記事。零式を開発したのは三菱。搭載エンジンの栄は中島だけど。 

 

 

・他の方も言っていますが零戦は三菱でスバルのルーツは中島の隼ですね。 

こんなちょっと調べたらわかる間違いで金貰えるんやからボロい商売やでホンマ 

 

 

・>ゼロ戦を開発・作製したのは現在の富士重工業の前身である中島飛行機。 

零戦は三菱製ですが。 

生産数が最も多いのは中島飛行機ですがね。 

 

 

・まさかまた所沢に? 

と思ったら…。 

まぁ当時見に行ったよ。また近場で見れる機会があれば良いねぇ。 

 

 

 

・中島がスバル。スバルの飛行機はエアロスバル。 

 低翼がかっこいい。 

 

 

・ゼロ戦をスバルに結び付けて、案の定皆さんからの非難のコメントばかりでw。でも久々にこんな適当に書いた酷い記事をみた。 

 

 

・排気量 2790ccって一桁違うでしょ 

車 程度じゃ あの時代に 

1000馬力出ないよ! 

 

 

・皆んな突っ込んでるけど三菱だよね 

湾岸ミッドナイトで見た記憶があった 

 

 

・排気量は2790㏄ではなくて27.9Lです。 

 

 

・前々から思ってるんだが、零(れい)を 

ゼロなんて表記しないで欲しいわ。 

発音が言いにくいのは解るが、 

どんだけ西洋かぶれしてるんだ? 

我が国の物書きさんは? 

 

 

・紫電改ならわかるけど零戦の殺人機なら辞めた方が良いです。 

 

 

・……え? 

三菱が作ってたけど、三菱の生産力では不足して中島が作った。はず 

この記事を書いた人の頭の中身はなんだろう? 

 

 

・三菱だろっっ! 

 

 

・三菱では? 

 

 

 

・中島飛行機は、陸軍の隼。 

 

 

・全てが中島飛行機ではないけどね。 

中島はエンジン、機体は三菱。 

 

 

・スバルの前身は中島飛行機じゃなかった?零戦ほ三菱重工でしょ? 

 

 

・スバルに零戦のDNAとか言ったら殴られても文句は言えねえ… 

 

 

・栄21型の排気量は27.9Lですよ 

 

 

・中島飛行機のエンジンのDNAは、プリンス自動車を経て日産なんだよね 

 

 

・エンジンはプリンスもですよね。 

 

 

・だからもう古い記事を載せるなと言ってるだろうが 

 

 

・中島なら彩雲でしょ 

 

 

・いやいや、別に受け継がれてない、三菱の車だって(笑) 

 

 

 

 
 

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