( 183712 ) 2024/06/23 17:10:59 2 00 「死ぬ権利」フランスで議論が進んでいる背景東洋経済オンライン 6/23(日) 11:32 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/3db0cf3396629051a9b6630d9548383b4db3918e |
( 183713 ) 2024/06/23 17:10:59 1 00 フランスでは、20年以上にわたって人が自分の人生を終える手助けを受けるべき条件について議論が続いている。
一方、日本では高齢化が進む中、終末期医療に対するインフラが不足している現状があり、安楽死に関する議論は未だにタブーとされている。 | ( 183715 ) 2024/06/23 17:10:59 0 00 (写真:Benjamin Girette/Bloomberg)
人が自分の人生を終える手助けを受けるべき条件とはどのようなものか? フランス社会は20年以上にわたって、家庭で、病院で、大学で、教会で、友人間で、この問いについて議論してきた。
5月以降、フランス国民議会は「死の自発的幇助」を可能にする法律、すなわち人の人生の終わりを積極的に支援する枠組み作りについて議論してきた。フランスでは中絶や死刑といった他の論争の的となるトピックは決着がついているが、今後数年は人生の終わりが論争を呼び続けることは確かだ。
「人生の終わりについて学ぶほど、それについてわかっていることは減っていく」と、このトピックについてフランスで最も精通している政治家の1人であるジャン・レオネッティは最近語った。
■「僕に死ぬ権利をください」
「大統領閣下、僕に死ぬ権利をください」。これは事故で失明し、唖者になり、四肢麻痺になって回復の望みもない21歳の男性、ヴァンサン・アンベールが、2002年に当時の大統領シラクに公開状で行った要求だ。
アンベールは母親と医師に手助けしてもらって人生を終えることを望んでいた。端的に言って、母親らに自分を殺すよう求めていたのだ。自身も障害を持つ娘の父親であったシラク大統領はこの男性の嘆願に感じ入ったが、電話や書簡で自分にはそのような権利を与えることはできないと答えた。
その後アンベールの母親は、医師の手助けを借りて、息子の命を終わらせた。2人は殺人罪で書類送検されたが、2006年に無罪となっている。「私たちの法律はこれは殺人と呼び、終身刑をもって罰すべきとしている。だが、いかなる陪審員がかかる被告人に刑を言い渡すことができるだろうか」と、ジャーナリストのフランソワ・ド・クロゼが当時書いている。
アンベールの事件は政治的な議論の引き金となった。2005年、国民議会は「医療が無益、不相応、あるいは人工的に人を生かし続けることだけを目的としているとき」患者を生かし続けるための「不合理な強情」を禁止する法律(レオネッティ法)を全会一致で可決した。また、この法律は緩和ケアを受ける権利も患者に与えた。
その11年後、新しい法律(クレス・レオネッティ法)が患者にさらなる権利を与えた。特定の条件下では、健康状態が大きく悪化する前に自らの希望を書面にして医師に行為を指示することができるようになった一方、患者は死に至るまで鎮静剤の投与を受けることを求めることができるようになった。
■医師が「積極的に」患者の死を手助け
現在、国民議会で議論されている法案は、医師が患者の死を手助けすることを「積極的に」認めるものだ。「フランスの以前の法律はまもなく死ぬ人々のためのものだった。この法案は死を望む人々のためのものだ」と、法案に反対する国民議会議員のジャン・レオネッティ医師は『ル・フィガロ』で警告している。一部の緩和ケアに関する団体は、新たな法案は適切な医療ケアを受けることができない患者を社会が見放すための都合のいい手段だと見なしている。
一方、この法案は患者に自由を与えると称賛する人々もいる。そもそもなぜ苦しまなければならないのか? 「あなたの人生の終わりについての決定権を医師があなたに返すことを拒否するのを受け入れるのはもうやめよう!」とフランスの有名作家であるアンヌ・ベールは書いている。ベールはシャルコー病を患っており、2017年に安楽死を受けるためにベルギーに行った。
「鎮静剤の投与を受ける患者の隣で一晩を過ごす人は誰しも次の3つの質問を次々に自問することになる。『この人は苦しんでいるのか?』『苦しみはどれだけ続くのか?』そして最後に、『この苦しみに何の意味があるのか?』」と、フランスのベテラン医師であるドニ・ラベイルは書いている。彼は患者の死を手助けしたことを公然と認めている。
「自殺を試みた人が病院に運ばれた場合、当人の明らかな死への意志があるにもかかわらず、病院はその人を救おうとするだろう? 私たちは患者の個人の自由と、社会が患者に対して有する共同体としての責任とのバランスをとらなければならない。それが非常に慎重を要するバランスだとしても」とレオネッティは警告する。
ヨーロッパではそれぞれの国が多様な法的枠組みを採用している。一方には、あらゆる形態の安楽死を禁止するアイルランドがあり、他方には安楽死を非常に幅広く認めるベルギーがある。
例えば、ベルギーでは鬱病に悩む青少年も安楽死の対象となっている。全般的に、ヨーロッパでは「死ぬための手助け」を受ける患者の権利への支持が拡大する傾向にある。スペインやポルトガルのようなカトリックの国々でさえ安楽死を認めている。
■「死ぬ権利」の議論は日本ではタブーか
日本はこの問いによって最も影響を受ける国の1つだ。日本は急速に高齢化(すでに人口の29%が65歳以上となっている)しつつあると同時に、終末期に対処するための医療インフラは不足している。
例えば、集中治療室(ICU)の病床数は比較的少ない(1000人あたりの病床数は14.4だが、OECDの平均値は16.9だ)。だが、日本ではこの問いに関する公の議論は始まっていない。この身勝手で卑怯な沈黙の中で、医師と患者は残酷にも放置され続けている。そして彼らの行動には法的な影響が及ぶ可能性がある。
人生の終わりに関するタブーはすでに日本で暮らす人々にとって重い負担となっている。日本人の中にはすでに安楽死を求めてスイスへ行く人もいる。
「日本の個人が死の自発的幇助を受けるために外国に行くという違法な事件がすでに起きている。これを見過ごすことはできない。今まさに苦しみながら生きている人々がいるということを忘れてはならない」と、2023年に医療の倫理的側面に関する主要メディア『BMC Medical Ethics』に5人の日本人医師が書いている。
この論文で著者たちは「自発的幇助による死の法律制定に関する議論を今」行うことを求めている。調査によると、18%の日本人が末期患者となった場合には積極的な死を希望するとしている。作家のアンヌ・ベールは次のように書いている。「死について考えたからといって死ぬわけではない。死は私たちの生の一部だ」。
レジス・アルノー :『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員
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( 183716 ) 2024/06/23 17:10:59 0 00 ・わたしは自分自身が病気や怪我や老いで、治癒の見込みがない、コントロール不能な苦しみにさいなまれるような状況になったとき 自分で決められる選択肢の一つとして、安楽死という方法があることを希望します。
もちろん他人によって安楽死に追い込まれたり、あるいは鬱病などで一時的に死にたくなっただけで安楽死が実行される……などは、ごめんこうむりますので。 そこは何重にもチェックする体制が必要でしょう。「死ぬ権利」が認められている先進国では普通はそうでしょうが。
こうした報道を目にするたびに、日本でも忌憚のない議論がなされる必要性を強く感じます。 国民みんなで、しっかり話し合いませんか?
・治らない病気や四肢欠損等で医療で病変部を取る事は出来ても、根本的な患者の苦悩やQOLの低下は医師にはどうも出来ない。治療をするのは医師の務めだろうが、それが患者自身の幸せにつながるのか、それとも苦痛を長く与えるだけなのか。 倫理的にはイケない事だけど、患者や家族の望みや幸せは?ってので議論は有って然るべきだと思う。
・痛みや苦しみがあっても尚生きている事を強要するのは、死を強要するよりも残酷だと思います。「死ぬ権利」は死の選択肢であり、自身で決められる事。日本では死ぬ義務になり兼ねないと避けられてきたけど、それは今現在病気や怪我で苦しんでいる人達を無視して良い理由にならないし、別の問題かと思います。生きる事を絶対的に正しいと押し付けるのであれば、介護も緩和ケアも全ての国民に充実させるべきだし、無料であるべきです。私はそんなの望んでません。
・フランスの事例の記事ですが、ここまで至るのにも時間と労力が掛かっています。 日本でも同じ位かそれ以上かかるでしょう。
記事にもありますが、緩和ケアを受ける権利も先に定められています。どうしても安楽死の話題では死の瞬間に関心が集まります。 しかし本来はそこに至るまでの医療やケアや生活の話が先に来ないといけないのです。 日本ではまだ自分の受けたい医療、受けたいケア、個人の意思決定としてどう生きたいのか。健康状態、社会保障、財力、家族などの助力まで含んで考えられている人はほとんどいません。
安楽死が禁忌とは思いませんが、先に考えること決めることがあると思います。
・身体的、精神的に苦痛を感じさせたまま本人の望まない生を強制するのは国による迫害だと思う。 最後の最後まで望みを失わずに頑張りたい人はそうすればいいし、一刻も早く苦しみから解放されたい人はそれが尊重されるべき。
・医療の進歩で、昔は死んでいた怪我でも命はとりとめることができるようになったし、社会福祉の充実で、動けなくなっても生活ができるようになった。 生かすこと、1秒でも長生きすることは無条件で正しいというのが前提であったが、転換期にきていると思う。
・日本でも自殺者3万人と言う。自分で首を絞めたり、それを家族で発見させたりするのと、安楽死3万人ならどちらが良いか考えたら、悲惨さはまだ安楽死のほうがマシに思う。病気やケガなどの人も、苦痛が上回る場合、死のほうが楽な場合がある。楽に死なせることも、その人の救いにはなることは確か。治療する方法もあっても良いが、最後は人間らしく、幸せや人生の質を保って死ぬ、そういう方法もあって良いと思う。
・終末期の安楽死については、綺麗事言っても現実改善しないし異論はあまりでないと思うんだが 安楽死先進国カナダやオランダではどういうわけかそういうの関係なく 親が1歳までなら子供を自由に安楽死させられたり、生活保護は取得困難で代わり手続き簡単な安楽死が提示される感じで どんどんただの殺処分な方向に現実進んでいるので、そういう政治的な部分で日本では導入が難しいかなと思う。
・死ぬ権利は、死生観や宗教により、色々な考え方があり、広く国民の意見を聞きながら、考えていかないといけない重い問題です。刑法や医師法、貧困の問題、国民皆保険の問題などなど。 日本のショボいレベルの世襲議員には無理でしょう。彼らが真剣に議論するのは、政治資金改正法だけですからね。自分たちが如何に自由に使えるカネのことしか興味がないのだから。 辛くて痛くてそれでも死ねない国民がいて、その周りに苦痛を取り除けないことと、介護に苦しむ家族がいるというのに。
・ドナーカードのように事前記入とするならいいんじゃないかな。
もっとも、記入においては代筆を認めない、未成年は保護者の同意が必要など、厳格な要件を課すべきだと思うが。
じゃないと、桐生市みたいなトコが「ナマポもらうなら記入しないとあげまてん」みたいなことやりかねないからな!
・死にたいわけじゃないし 死なせたいわけじゃない でも病気で死ぬほど苦しい毎日ならばその苦痛を終わらせてあげるのは一つの愛だと思う 最後にその愛情を感じてこの世を去れるのは幸せだと思うよ
・曖昧な状況の人のケアも含めて、認める方向での駆け込み施設があっていいと思う。今の政治のままだと生き地獄の人がまだまだ増える。ただ、簡単に認められるなら連鎖は増えそう。
・安楽死は何歳からOKなのか? 安楽死するのが権利であるならば成人したものはいつでも権利を行使できるはずだ。でも18歳の人が安楽死してしまったら違和感を感じる人は多いだろう。実際にそういう事件がありましたし。では何歳からOKか。いやいや年齢の問題ではない、こころの病気、体の病気になってしまったらOKか。こういったコンセンサスが日本ではまったく固まっていない。
・ああ、翻訳記事なのか。
日本人はこれを読む前に、キリスト教は自殺を認めていないことを思い出すべきだ。神の教えに背いてまで自らの命を断ちたい、それを助けてあげたい、というのは個人差はもちろんあるが、我々には想像のつかない決断の重さだ。
> 例えば、ベルギーでは鬱病に悩む青少年も安楽死の対象となっている。全般的に、ヨーロッパでは「死ぬための手助け」を受ける患者の権利への支持が拡大する傾向にある。スペインやポルトガルのようなカトリックの国々でさえ安楽死を認めている。
・生きる権利を徹底的に肯定する限りにおいて死ぬ権利が見えてくるわけで、一足飛びに死ぬ権利を肯定するのは不可能だろう。日本の政治を見ても、徹底的にリベラリズムを肯定する気があると思えないが。
・日本は多死社会化が進んでいる。日本こそ「死ぬ権利」を考えたらよいね。 「生」を全うするためにも、尊厳死や安楽死、終末医療を含めた「死」に関わる本格的な議論を始めるべき時が来ているように思う。もっとも、日本人はリアルな「死」を扱うのはひどく苦手には思うが、、。
なお、私は黄昏の歳になり、「死」を考えるようになった。延命治療不要と家族に言っている。
・本来高齢化に苦しむ日本こそ先行していなけれならない分野なのに安楽死のアの字も出てこないなんて なんでだろうな やっぱ議員の金にならないからか? あるいは最大の有権者層である高齢者の反発を恐れているか ヨーロッパに周回遅れだなんて悲しいな
・いい加減日本も安楽死の議論をしてほしいものだ 自分で何もできずシモの世話までされて生きたいものか? まして超高齢化社会で現役世代が今後苦しむのは目に見えてるのに 人間の寿命は生きているからではなく健康寿命だと思う
・私は医師ですが、色々な死ねない高齢者を診る中で、自分が自分でいられる最後の時に、安楽死できる制度が出来たらいいと思います。 私が死ぬまでに、人間として死なせてもらう権利をください。
・生きるって本当に大変だよね そして独りで死ぬのは怖いです 日本も早く安楽死を合法化して 集団で天国に行く施設を作ってほしい 希望する人はたくさんいると思います。
・死ぬ権利ね。 もっと個人の意志を尊重してほしい。 個人的には人生50年でいいと思ってる。 元々人間は50年くらいが寿命だと思ってたし、延命の意味がわからなかった。
・権利ケンリ権利のオンパレードの西側。 百人いれば百個の権利がまかり通る社会。誰よりも早く言ったもん勝ち。 これがアメリカをリーダーとして推し進めてきた自由と民主主義の行き着いた世界。 神は人間が命の木にまで手を付ける事を予想してエデンの園からアダムとイブを永遠に追放したとされる。
・さっさと日本も安楽死を導入しましょう。 認知症になったときにも認知症になる前の合意が有効であるようにするべき。
・漫画とかならいかなる理由でも死ぬなんて間違っている、生きることが大切なんだとなるんだろうな
・英語が出来ないとスイスにも行けない。コンビニ行くように気軽に出来れば良いよね。
・日本でも早く安楽死法案を作るべき 生きることが善で死ぬことが悪という考え方は、しあわせな人間の一方的な傲慢でしかない
・皇室問題然り、日本には議論すらする土壌がないことが問題です。 議員の怠慢としか感じない。
・本邦では積極的な延命を行わないで乗り切るのかな?
・こういう行為がビジネスになる可能性があって、そういうことに嫌悪感はあるけど、死ぬ権利みたいな大事な議論を無意味にタブー化するのも嫌悪感あるなあ。本当に日本も老人天国になって、ヤングケアラーの問題とかも顕著化してるから、僕が老人になって子供にケアさせるようになったら、やっぱり殺してほしいかもね。大いに議論して欲しいものです。
・自分は75歳だが仮に再起不能と診断されたなら、 何時でも良いから、自分が気づく事無く息を引き取るようにして欲しい。 且つ親族、遺族には、老衰と言って欲しい。
・フランス人は自分たちで考えて自分たちで間違っていることは正そうという国民性がある。翻って我が国の国民を鑑みれば、芸人やアイドルやアニメやスポーツ、そういう類の話しかしない。友人や知人との会話で安楽死や尊厳死の話題など振ろうものなら、気分が沈むからやめろと言われるだろう。 そうしている間に一部の人たちにより誰も望まないような法律が作られている。だがそれは普段から社会問題に関心を向けない愚かな国民性の結果だ。
・なんだかんだでコロナ後遺症がキツい人多いんだろうね。治療法すら模索しない、調べもしない、あるかもわからない。理解もされない。
まあ苦痛だけ常時あり働けもしないレベルだと今後まともに生きられないならいっそ安らかに殺してくれと願うのも仕方ない
・死ぬ権利を国に掌握されているのはおかしいと思う。現在独身ですが老後に独身で不健康でお金も子供もいなかったら安楽死させてほしい。それくらいの税金は払ってるし、現役世代のお荷物にしかならないなら尚更だと思います。
・フランスはカトリックに反抗してできた国だからね笑 要は啓蒙思想の国なの笑 だから死ぬのも個人の権利で考える。 キリスト教的価値観では生や死は神が与えるもの。
要は個人主義をいう国ほど死の権利をいう訳で。
面白いのがスイスで、スイスってカトリックなんだけど、 安楽死が凄くお盛んなんだよね笑 というのも、宗教が世俗化してるってのもあるけど、 スイスって永世中立国で、独立自尊の 精神が物凄いんだよね。 だから自分の死も自分で選んで当然と考える。
ただまあ、死ぬ権利って必ず優生思想と結合するから、 危険なんだよね笑
・子供が介護で苦しむのは耐えられない。 筋弛緩剤でも投与して息の根止めて欲しいと強く思ってる。 食事や排泄が1人でできなくなったらあの世行きで構わない。 認知症で意思表示ができなくなる前に。
・早いとこ安楽死合法化の議論くらい始めろ、と言いたいねクソ国会議員共には! 僕は、数年前の参院選挙で安楽死党とか言う党に投票したが、落選してたね。 やはりというか、政治家だけでなく多くの有権者も、この手の議論は避けたい連中が蔓延っているんだな、ということを実感した。 実際んとこアラカンになっても(狭い世界しか知らない)サラリーマンなんて安楽死について全く関心がない連中がほとんどだからね。 これについては、ホント野党の連中が声を張り上げるべきなんだが、奴らどうでも良い政治スキャンダルしか興味が無いみたいで(ry
・国なんて勝手なものだよ。平時は人殺しは罪になり、戦時は人殺しを奨励するのだから。
・日本で某新聞の異様な臓器移植キャンペーン きな臭すぎる
・アホらしい。
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