( 183776 ) 2024/06/24 00:05:16 0 00 ・確か。防空壕で泣く赤ん坊を敵に見つかるからと殺そうとする兵隊が居たそうな。母が他人に手をかけられるぐらいなら私が殺すと兵隊を突き飛ばして自らあかちゃんの首を絞めたそうだ。どれだけ悲しかったか想像もつかない。悲惨でとても哀れだ。
・「泣く子は入れない」という話は私も現地の方に聞きました。 住民の方々が壕(現地の方はガマと呼んでました)の中で息をひそめて隠れている中、泣く子がいると米兵に見つかってしまう。ごめんなと言って石で頭を殴打して黙らせたそうです。その子がどうなったかは言うまでもありません。 大変な悲劇で心中を言葉にすることができません。二度と同じことが繰り返されないことを祈ります。
・兵に取られる前に急いで結婚させ、子供を残してもらおうという風潮(?)に巻かれ
まだ10代であっただろう私の祖母も、お腹を空かせて泣く乳飲み子を抱き、壕を追い出されました。
木の下で呆然と立っていると、アメリカ兵がやって来て、今追い出されたばかりの豪に火炎放射器を放ったのだそうです。
偶然で、泣く事で命を繋いだ赤ん坊。その赤ん坊の子供が、私です。
皆、生きたかったのですよね。愛する人を失いたくなかったのですよね。
兵隊も国民も湾曲したストーリーを信じ込まされていた為、自分達が侵略する側だとは夢にも思わなかったそうです。
慰霊の日に思いを馳せたいと思います。貴重な体験談(記事)をありがとうございます。
・以前近所に住んでいた沖縄出身のおじいちゃんは子どもの頃、兵隊さんに憧れていて自分も早くなりたいと思っていたのに、沖縄戦で逃げ回る時に壕に避難していたら泣き止まない赤ちゃんがいて、兵隊さんが母親もろとも刀で刺したのを見てしまい、一気に恐怖の対象になったそうです。 幼心に、かっこいいものなんかじゃない、これが本当の戦争なんだと思ったし、亡くなった人のいる道を歩いたりそんな川の水を飲んだり、亡くなった兵隊さんはもう怖くないからとその荷物を盗んだりして生き延びたことを小学校の平和学習で教えてくれました。 ほかにもあまりに生々しい話で(それでも今思えば子ども向けにやさしい内容にしていた気がする)、それまで、敵をやっつける戦争はちょっとかっこいいとまで思っていたクラスメイトのやんちゃな男の子たちもすっかり考え方が変わっていました。
・沖縄戦から思うこととして。お国のためとか、会社のためとか、半ば擬人化されたような組織や概念と、個人がどう向き合うか、いつの世も難しい命題だと思います。歴史や事実を冷静に見直せば、お国の実態とは権力中枢にいたひと握りの人たち、会社の実態とは経営に携わるひと握りの人たちのこと。その一部の人間たちの権力欲や利得を満たすために、個人が犠牲になったり命が失われるようなことがあってはならないと思うが、個人として抗うには覚悟が必要だと思います。
・沖縄戦で当時兵隊だった方の話を聞いたことがあります。上官が絶対に民間人を入れない人で助けを求めてきた民間人を全て追い払っていたそう。なぜなら、このガマは敵と戦い全員玉砕する予定だったから民間人を巻き込みたくなくかったからと聴きました。戦争映画ではガマに入れてくれない酷い日本兵という描かれ方をすることが多いですが、こういう見方もあることを知って欲しいです。
・戦争体験のある方は、非常に少なくなりました。それだけの期間、戦争が無かったのは幸せな事だと思います。 戦争の経験談は、各地で個人や団体で保存されていたりすると思うのですが、国として全国の経験談を集めて保存するとかは出来ないのかな。時間とともに失われてしまいます。 戦争は良い経験ではないけど、痛みや苦しみを伝え、後世に繰り返さないよう残す事は大事なことだと思います。
・シベリアに捕虜として連れて行かれ極寒の地で防寒服などない時代重労働をさせられた兵士、栄養失調で仲間が亡くなっていく、生き延びて終戦になってもソビエトは捕虜を解放しない。半年から一年後ようやく日本の舞鶴港に帰還した兵士それが父親である。船の中でもなくなった方が随分おられた皆病気で栄養失調で意識が遠のき日本に帰還の夢がかなえられず亡くなられてたと聞いた。まさに岸壁の母そのものと思います。
・「幼い喜屋武さんには、米兵が天使に、日本兵が悪魔に思えた。」
これも正しい事実だと思います。 最前線で、日本に居る家族を思い戦かい亡くなっていった日本兵の方々も多かったと思います。その一方で上官の命令をそのまま受け入れて、何も考えずに亡くならなくても済んだ人々を死に追いやった方々も多かったと思います。 特攻なんてその最たるものだと思います。 戦争の狂気がまん延することのない世界を望みます。
・米兵側の録音を昨夜テレビ番組で見聞きした。沖縄の一般人を保護しようと米兵は行動したが、中に日本兵が一般人に成りすまして攻撃してくるようになり、米兵は仕方なく日本兵も一般人も隔てることなく攻撃することになったとのこと。返って一般人の犠牲者が増えたことに。日本兵の戦争への教育は米兵には想像を超えた恐怖もあったそう。結果、力が上なのはアメリカだった。真珠湾攻撃とは言っても、小さな島。アメリカ大陸を攻撃したならともかく…と思ってしまう。勝てるはずない。こんなむごい戦争は二度とないことを願うし、今戦争中な国も早く終わってほしい。
・戦争は恐ろしいですし、第二次大戦時の旧日本軍と米軍の悪行は決して忘れてはなりませんが、それと今日の日本の防衛・安全保障とでは分けて考えるべきです。なにより、当時とは打って変わって、今は日本は戦争を仕掛ける側ではなくて、近隣の独裁国家に戦争を仕掛けられる側になっているわけですからね。安全保障の最前線となるであろう沖縄を再び捨て石にしないためには、沖縄の軍事化は避けて通れないでしょう。沖縄戦の反省を生かして、有事の際にいかにして現地住民の安全を確保するかを、政府と県が一体となってもっと考えるべきです。非武装中立だなんて、お花畑もいいところです。いつの時代も、戦うことを避ける人間なんて、いずれは他の誰かに力で支配されることになるだけですよ。
・基本的に軍というのは前線においては民間人を守る余裕を失うってのがよくわかる。これは日本以外でもそうだ。特に沖縄戦は物理的に後方がなかったからなおさらだよね。 ただし、この事実をもってして軍を否定してしまうのは愚か以外の何者でもない。 今後に教訓を生かすとすれば、こちらから仕掛ける気がないのであれば、その場所が前線にならないよう抑止力の均衡を図るというのが正しい選択になる。
・バンザイクリフで若い女性が手を合わせながら海に身を投げるシーンが有名だが、実はこの女性が海に身を投げる前に、抱いていた自分の赤ん坊を先に海に投げ落とした後に自身も投身している。実際にその場面を撮影していた米軍カメラマンがTV(NHKスペシャルだったかな?)で証言していて、実際にその一連の映像をTVで流していたのを観たことがある。悲惨過ぎるからか、他のTV 番組では赤ん坊を投げ落とすシーンはカットされている。だから知らない人の方が多いと思う。 あと、防空壕で赤ちゃんが泣くと、母親に防空壕から出ていくか赤ん坊を殺せ、と言われたという証言も聞いたことがある。 風化させてはいけません。最近は戦争に関する悲惨な映像をTVで観る機会がほとんどない。人間の愚かさを知るためにもNHKに限らず民放も定期的に放映するべき。
・私の父親は昭和20年に10代で赤紙を受け取って長崎へ行き、戦闘のイロハを叩き込まれてこれから出陣という時に終戦を迎えたと聞いた。 帰路の途中、列車が広島を通ったら焼け野原で何もなかったと後に教えてくれた。それ以外は戦争の話はしたがらなかったが、一般の市民が山のように死んでいったのを若くして見たらしい。それを思い出したくないのか、それとも悔いているのか戦争の話題には触れることなく亡くなった。 自分の目の前で大切な家族や友達が殺される光景は想像したくないほど怖い。 私のような一市民はどうか戦争だけは起きるなと願うしかない。だから、当選下議員は何とか戦争が再び起きないよう尽力してほしい。
・戦争自体が人を変えてしまう。 日本兵も米兵も、国のためにと言うのもあったかもしれないが、自分が殺される恐怖もあったと思う。 隠れている中で、赤ちゃんや子供の泣き声は、自分達の死を近づけてしまう。国の敗北にも近づいてしまう。だからと言って、犠牲にしていい命なんてないけれど、その時はそうするしかなかったのかもしれない。日本兵が悪魔に見え、米兵が天使に見えたと言うのも、そこにいたからこそ言える言葉だと思います。本当に今も尚、戦争が行われてる場所では、まさにそう思う人達は多いでしょうね…そんな思いを繰り返してはいけないのに、未だに戦争がある。こんな時代でもです。戦争が憎しみや哀しみ、壊れた街や土地が元に戻るまで長い時間が掛かることを知ってるのにね…こういう声がもっともっと、沢山の心に届いたらいいのにと思います。「平和」それだけを祈りたい。
・2児の母ですが記事を読んで涙が出ます。独身の頃 沖縄に移住した事があります。当時、勤務していた病院でお年寄りの方にあまり良く思われない事がありそれが疑問でした。人に聞いたり調べてみると 内地の人間をよく思っていない事がわかり、沖縄の歴史を知りました。観光が盛んですが 昔そんな悲惨な経験があったことを今の人たちにも知ってほしいです。今日は沖縄な事を想いたいと思います。
・いまから10年ほど前に沖縄戦経験者から話を聞きました。幼かったその人は怖くて防空壕で泣いてたそうですが日本兵は銃を突き付け殺そうとしたらしいです。その時にアメリカ兵が投降を求め母親と出たら靴から出したガムをくれたらしいです。幼かったその人は今でもそのガムの味を覚えていると話してくれました。ただ戦争が日本兵を変えてしまったんだと思います、国が悪いのじゃなくて戦争って行為がアカンのやからそこは世界の人にわかって欲しいですね
・現代の価値観で当時を裁くのは間違いだと思う。 日本を護ろうとしてしてくれた兵士たちにも皆それぞれの立場で命懸けの責務があったと思う。
一個人の悲しい記憶や辛い記憶は事実としていつまでも胸のなかにあると思うが、 国の為に亡くなっていった方たちのことを事後にあれこれ悪くいうことが正しいとは思わない。
自分だけが悲しく辛い思いをしたのではなく、日本を護るために戦ってくれた兵士自身もその家族の方たちもこの方と同じように辛い経験をしてきたのではないかと思う。
・戦争前の日本も軍需産業を中心とした経済成長を遂げていましたが、資源不足や対外戦争の影響により、経済の安定性と持続可能性には大きな課題が存在していました。 しかし、たった4年、たったの4年間の政策で、国民は食べる物に困り、家族が帰らぬ人となり、空から爆弾が降る日々が日常となったのです。 平和は日々の努力によって成り立つことを忘れてはいけないと再認識させられます。
・今はもうどこにも無いかもしれませんが。。。30数年程前子供達がお世話になった幼稚園に、親用の図書がございました。 戦争後に兵士が書かれた文章が書籍化された本があり、読んだ事がございます。 ここでは詳しい事は書きませんが、悲惨や残酷等言葉では言い表せない内容が淡々と書かれておりました。
当時の状況。今と比べる事は出来ないと思います。
只、当時の状況を知る事で、過去だからこそ反省すべきところ、こうしたら良いのでは無いかという提案等、先の時代への良き導きになればとは思います。
・昭和50年代くらいまでは反戦平和教育がありました。 ひめゆり部隊の話を聞いて、戦争の悲惨さ、戦争を二度としてはいけないことが柔らかな心に深く刻まれました。 最近は平和教育のことを聞かないので危惧しています。 戦争体験を語り継ぐこと、戦争に向かう怪しい動きには反対することが次の世代ヘの自分達ができる贈り物だと考えています。
・沖縄戦を聞くと、優しいアメリカ兵と野蛮な日本軍という構図によくなるのですが、これは戦後アメリカの占領政策が影響するのではないかと考える時があります。当事者も沖縄戦当時は5歳か6歳の子供です。事象のすべてを理解し把握していたかは不透明です。沖縄ではまだ戦争は終わっていないのだなと実感します。
・日本も戦争をやりたくてやったわけじゃない。何度も和平への道をトライしたが相手にされなかった。米国が世界戦に参戦するためだ。近い未来も米国は敗戦国日本を都合の良いように使い果たすだろう。今現在、戦争を起こさないために必要なのは、抑止力のみじゃないだろうか?9条憲法があるので戦争はやりませんと言えば、敵が攻めてこないなら平和はたやすい。今の日本はあの時と同じリスクを抱えてるような気がする。
・沖縄戦に関しては、本土決戦の始まる前から、戦後日本に返ってくるまでの短くて長い歴史があって、だいたい聞くのは本土での戦いの最後のあたりだけ。学生時代に聞いたことで終わってたけど、できたら日本軍がどうしてそこまでアメリカに捕まるのを恐れたのかも知りたかったし、アメリカになったあとの日本の戦争孤児たちの扱いとかも知りたかったなと今にしてみれば思う。
・アメリカが一般人を見境なく殺すようになったのは一般人になりすます兵隊がいたからだと以前どこかで知りました。確かに日本兵はアメリカ兵を相手に戦いはしましたが、任務だからでしょうね。大多数の人はみんなの為に、ではないと思います。一番可愛いのは自分です。他人を思いやるほど余裕はなかったでしょう。綺麗事では済ませない事情は色々あったと思います。そもそも一般人にも兵隊にも良い人もいれば悪い人もいる。恐怖でしか大人数を動かす事は出来ません。だから軍は高圧的になり統制を図ったのでしょう。その統制のないところでは当然無法地帯になっても仕方ないと思います。色々な性格の人がいるのですから。
・来年で終戦から80年です。 成人で戦争を経験された方々が少なくなるにつれ幼少期に経験されたかたの証言が増えてきます。 もちろんそのような証言、体験談も貴重ですが、果たしてどこまで真実かを検証しないといけません。私が6歳のときの記憶は断片的なものしかなく前後関係が思い出せません。私の中で記憶の塗替えがあるかもしれません。はっきり言って自分の記憶が正しいのか自信がありません。正しいと信じているだけかもしれません。 幼少期の体験談を証言されるかたも同様なことが起こるのではないでしょうか?もちろん嘘を言っているとは言いません。しかし、全てを鵜呑みにするのは危ういと思います。記憶は不確かなものなのです。
・沖縄戦が地獄の様相であったことは事実のようだ。そしてもう一つ客観的な事実として、沖縄の住民と日本軍の関わりについてである。
まず、現在の災害での避難指示同様、当時の戦地における住民避難は、行政と警察によって、適切に行われていた。 戦闘地域に住民がいないようにするのが行政の役割であり、基本的には軍と住民が一同に会する機会は逃げ送れたなど特殊な場合であったと考えられる。
そのなかで部隊の指揮統制が失われず組織的戦闘がまだ残存していた場合、第一目標でなくとも住民の保護も一つの責務であった。 ただし作戦行動の遂行が第一目標である以上、例えば住民を警護しつつ安全な地域に移送させるなどといった積極的な保護は言うなれば管轄違いで、ここは前線基地だから、自力で安全な場所へ移動するよう申し伝える事はあったようだ。
それを追い出されたと感じる住民の想いも理解できる。
・悲しくて切ない。お母さんは二人だけでも助けたいと思って下の子を連れて出た…こんな悲しくて切ないことはない。お母さんの心情を思うと胸が熱くなる。沖縄の人が本土の人の代わりにたくさんつらい思いをし、亡くなっていったと思う。敬意と哀悼を捧げたい。ブームのからたち野道を聞くと沖縄に行って役に立つことをしなければといつも思っている。
・泣く子は入るな。その言葉にずんっとする気持ちがしました。もしその当時自分が防空壕の中にいてまだ泣いてしまう子供連れの人が後から入ってきたら、入って来ないで欲しいとも思うし、逆にそれが自分の姪っ子(2歳半)だったとしたらどうしても入れてあげたい気持ちもある。 この様な話をこれから先、しっかり伝えて行き戦争はもう絶対起こしては行けないと思う。
・沖縄決戦という映画にもこういうシーンは描かれています。スパイと断じられ殺される老人や少年のシーンもあります。また司令部壊滅後もゲリラ戦をするようにと、参謀たちは司令部から脱出するシーンもあります。 想像でしかないが、自分が当時の沖縄県民であったなら、軍に本土に裏切られた見捨てられたと思うでしょう。旧海軍司令部豪は、慰霊地として整備されているが、実情などは知らないが第32軍司令部豪は、今後保存の動きで整備されていくみたいだが、慰霊地や豪跡地としての整備保存や公開には現時点では至っていない。大田中将が最後に残した言葉と牛島司令の最後の言葉との差と実際の隷下の軍の県民への行動が反映されているんじゃないかと邪推してしまう。
・これが現代ではウクライナやガザとかで怒っているのかもしれない、自国のそれも有人の場所が戦場になると敵味方関係なく民間人は様々な困難に遭う事になる。台湾で起これば、無人の尖閣だけではなく与那国やそれ以外の八重山もそうなるかもしれない。色々事情はあってもやはり抑止力防衛力は必要なのは否めない。
・いくつかの映画、ドラマでも見た話で悲し過ぎる。この人にとっては日本兵が悪魔に見えても仕方がなかったろう。ただ、ここでマスメディアの取り上げ方だ。戦争自体が悲惨な出来事なのだから綺麗事ではすまない日本軍にとっても現代では不都合と捉えられる出来事もあったと思うが、その逆の出来事もあったのは間違いない。日本兵といっても同じ日本人なのだから沖縄県民のために我が身を捨てた人もおられたはず。日本軍は悪かった、日本兵は非道であったばかりでなく本当にあった事実を後世に伝えてほしい。
・日本兵の残虐行為もあったが、同時に米兵の残虐行為もあった。民間人がいる洞窟に躊躇なく火炎放射器で蒸し焼きにしたり。必ず警告してた訳でもない。当然レイプなんか多々あっただろう。返還後にさえ、米兵による暴行事件があったのだから、戦時中なら極めて多くの暴行事件があった事は容易に想像できる。でもそれが戦争。しかし報道は、その一部の人の証言だけをクローズアップし、全てがそうだったように報道し、片寄った世論を形成してしまう。
・第二次世界大戦は、いわば日本は仕掛けた側とされている。(実際はそうでないかもしれないが) 今は戦争といっても、中国の脅威、北朝鮮の脅威、台湾有事、環境が違う。 有事になれば必ず一番近い日本の国土は狙われる。 無防備はウクライナロシア侵攻をみれば一目瞭然、攻められる。攻められないようにするのは、防衛力の増強しかないのだ。
・未来を考えると、大和より中国本土と強い関係を築くのもよい。徳川幕府と薩摩に侵略される前は沖縄は平和、中国とも友好で、文化的にも大きな関係を保っていました。この歴史的なつながりを思い出し方向を考えることも大事だと思う
・夫の実母が83才。 東京でですが 防空壕にいれてもらえなくて、竹藪の竹に縛られた思い出があるそうです 縛られた思い出と、(空襲がおさまってから)壕から戻って紐をほどきにきた母ちゃんが泣いてた記憶しかないって
この方のお母さんが 泣いてしまう弟妹をどこに置いてきたのか 想像するとつらいです
・こういう話は語り継いでいかなくてはいけないと思います ですが、語り継ぐだけではだめです、教訓として生かすことが必要です 何故このようなことが起こったのか? →戦争をしたから、というのはいくら何でも雑過ぎます →日本軍が残虐だったから、というのも論外です ここまで追い詰められたのは何故なのか?どのようにすれば回避できたのか? 議論は多岐に及ぶと思いますが、だからこそ語り継ぐ価値が生まれると思います
・戦後80年になると先の戦争の証言者が当時幼少または若かった人しかおらず自然と証言内容も「つらかった」「苦しかった」ものになりがちでマスコミも世間の注目を集めやすいのでこういったものを集めては喜んで公表するのが世の常になっている。 苦しい思いをされた人がいることはもう十分わかっているのでマスコミはもう少し他の側面で沖縄戦について切り込んで欲しい。
・この話を聞いたら、選挙ポスターに裸の写真を貼ったり、風俗の広告を載せたりするような野蛮人はどう思うだろうか。たぶん何も思わないんだろう。
こうした心に傷を抱えた人や、多数の命を助けるために犠牲になった命があるからこそ、今の平和と民主主義があるということを忘れてはならないと思います。
・こういう生の話は貴重だけど、日本兵がとかアメリカ兵がとかではなくて、戦争自体の恐ろしさが子ども世代にも伝わればいいかな。 いつも思うのは戦争って正義と悪の戦いではなくて、それぞれの正義の戦いであることがほとんど。仮にその正義が大間違いの正義であり仮初の正義であってもみんな平和のために、家族を守るために戦ってたりするのだからそこがまた本当に恐ろしい。 小さい頃はもっとみんな分け合えばいいのにとか、やったらやり返すなんてしなければいいのにとか思ってたけど、そういう綺麗事だけでは平和が維持できないのも確かで、平和であるためには絶妙なバランスが必要なんだと思うようになったなぁ。
・沖縄戦は沖縄や沖縄県民を守るための戦いではありません。 米軍の侵攻直前に陸軍は沖縄から精鋭部隊を引き抜いています。代わりの舞台は配備されません。つまり沖縄には米軍を撃退する戦力がない。米軍が攻めてくれば負けるのは確実なのです。 沖縄の日本軍の任務は勝つことではなく、すぐに負けないこと。1日でも長く抵抗して米軍を足止めすることです。 その間に本土では本土決戦の準備をするわけです。準備と言っても人間魚雷や人間水雷の大量生産や、長野に大本営を移す工事をするだけですが。
そのため沖縄戦で日本軍は住民を守るどころか道連れにするような行動をとります。軍にしてみれば住人は助けてやりたいが無理だ。どうせみんな生き残れまい。だったら軍に協力させるか、邪魔になるなら始末してしまえ、となるわけです。 司令官は最後に東京に沖縄県民の苦労と献身と犠牲を報告し「沖縄に後世特別の配慮を」と打電して自決しました。
・幼い頃おばあちゃんから話を聞いたことがあります。おばあちゃんがまだ幼かった頃米軍の兵士が車で来たら小学生くらいの男の子がGive meチョコレートと言ったらOKと言って貰っておばあちゃんもその男の子から貰って初めてチョコレート食べたよってでも周りの大人達は米軍は鬼だ米国に連れて行かれるって言っていたらしいです。でもおばあちゃんは日本兵の方が鬼畜生だったと言っていました。憲兵が来て刀で天井とか押入れとかついたり切ったりして少しでもお米砂糖鉄の鍋とかあったらお父さんお母さんが憲兵にひどく叩かれて非国民と罵られたらしいです。なので親は憲兵が来る前に隠したりしていたらしいです。戦争は何も生みません。いつも犠牲になるのは子供達です。戦争のない世界になればいいのに
・子供を捨てないといけない。それは中国本土でもあった話だった。小学生の頃に習ったのは赤子があまり泣くのでお母さんが外に出て綺麗なガーゼに水を含ませ、豪に戻ったら、日本兵に口を塞がれて子供は殺されていた。
だからこそ、私は職場やどこでも人を無視したり、いじめてくる人に対して負けてたまるか!て思う。 こういった戦争の犠牲の上に私達は生きていることを忘れてはいけない。
・ある時、会社の先輩が沖縄に転勤で赴任した。2年間位は沖縄の特に年配の人ちから信用されなかったらしい。 理由を尋ねると沖縄戦の際、内地出身の日本軍兵士は食料を沖縄の国民から奪い、全く配給もされなく困惑しまさに鬼であった。鬼の米兵と教わっていた米軍兵士はみな食料を国民に与えてくれたり、子どもをあやしたり天使に感じた。それがあったから生き延びることができた。 そういうことがあったから内地の日本人と打ち解けれるのは時間が掛かると話されていた。 先輩は3〜4年で打ち解けれ、将来は沖縄に移住したいとも言っている。自分も沖縄戦を現地で一般人で経験していたらそういう感情になっていただろうなと感じた。
・私も祖母から昔聞いたことがある。防空壕の中で見つからないように隠れていば兵隊などいなくても泣く子がいれば母子共にみんなから睨まれ母は泣く子の口を必死で抑えていたと。多くがそうしてなくなったと聞きました。敵兵に見つかれば全員ころされるとみんなが信じている状況ではどうしようも無かったんだと思います。兵隊に殺されたり命令されたりしていたなら、ある意味恨める人がいるだけマシかもしれません。日本兵は残虐だったということではないはずで、戦争とは誰であってもそういう状況を生み出す可能性があるものだと思います。
・沖縄戦は、守備隊約10万人と住民約20万人が大本営から見放され、本土防衛のための時間稼ぎに使われたんじゃないかと思います。 守備隊は本土から見放され、補給もされない状態で、まともな精神状態で戦える状態じゃなかったと思う。 そんな状況に追い詰められたら、人間何をするか、全員が全員ではないが、旧日本軍兵士ならなにをするかわからない方も多数いたと思います。 極限の精神状態に追い詰められていたであろう旧日本軍守備隊も、ある意味日本政府の犠牲者ですよ。 潔く降伏すれば被害はここまで多くなかったと思いますが、旧日本軍上層部の死なば諸共、捕虜になるのは恥だと言う教えが蔓り、民間人の犠牲なんて考えなかったのも問題。 本当に悪いのは当時の旧日本軍大本営であり、日本政府と軍の教えと思想ですよ。
・自分は戦後二十年代生まれで戦争の事は知りません。親の世代で復員してきた親族は子の世代である私たちが戦争を語る事は許しませんでした。当人たちもいっさい語りませんでした。実際に悲惨な体験をした人達は思い出すのも辛かったことは想像に難くなく当然の反応だと感じます。戦場の悲惨な体験者が語りたがらないことを戦争を知らない世代が次世代に伝えていかなければと大上段に振りかぶるのはおこがましく失礼なことだと感じます。家族のことを思い犠牲になっていった霊は忘れてはならないと思いますが静かに送ることがたいせつなのではないかと思います。
・帝国陸海軍の成り立ちからして、天皇の軍隊でその軍隊が国民を守る、という発想がなかったかもしれない。薩長閥とそれ以外の派閥など争いを繰り返していた帝国陸海軍は、我らのじいさんひいじいさんの世代と言え情けない。沖縄戦は多くの記録が残されその悲惨さが後世に残る。その沖縄戦の悲惨さにも匹敵するのが、満蒙開拓団の逃避行だ。この逃避行の間、大半の子どもたちが命を落としている。帰国船からは、国に帰れないと言って身を投げる人が多くいたとある。ロシア兵の子どもを身ごもったまま帰れないと。これらの慰霊の日はない。忘れてはならない。
・戦争はなぜ起こるのだろうかと考えます。 今もウクライナの地で、イスラエルの地で、また私の知らないところでも戦争が行われています。 歴史上の戦争を見ると、他方からの先制攻撃(侵略行為)に対抗する形で戦争が行われている事が多いように思います。 先制攻撃の理由は様々で、理解できるものもあれば、理解不能なものもあります。 私は戦争を体験したことがありませんが、本件記事で語られるように戦争は悲惨で恐怖ばかりな気がします。 でも、もし日本国が侵略行為を受けたらどうすればよいでしょう。家族のため、国のために戦争せざるを得ないのではないでしょうか。無抵抗で殺される方がよいのでしょうか。楽に殺してくれることを祈るのでしょうか。 日本が攻められることはないと無責任に語る専門家や識者がいますが、日本国の周辺には常識が通用しない国が多く存在します。 2022年にプーチンが軍事侵攻をすると予想した専門家はいますか?
・近代国家と軍隊は本来なら国民の生命や財産を守る為の存在なのに戦中の日本では国体護持即ち天皇を守ることが最優先とされ多くの国民が犠牲となりました。沖縄戦の数々の悲しい話や特攻隊の若者の悲劇は正にその象徴。語り継いでゆきたいです。
・仕事でNHK の番組考査をしていた時に、終戦間もなく日本兵に襲われ酷い後遺症が残った兄を介護しておられる女性の方を知り、沖縄にてお話をさせて頂いて様々な経過を知り得た時、戦争、軍国主義者の恐ろしさを痛感して言葉を失うを体験しました。 自分達が生き延びる為に国民を守るので無く、盾に沖縄の方々を使い捨てた事例が多すぎて絶句です。 全ては戦争そのモノが悪いのでしょうが、生き延びた上官レベルの軍人が戦後も軍人恩給を貰う等結構恵まれた生活を送るに対して、生き残っても植民地の中でご苦労をされた沖縄の方々を想うとやりきれないモノが多いです。 この事は風化させない、させてはいけない事です。
・どこの国でも、戦争中や内戦中などの時はあまりに残酷な事をしないといけなくなる そしてそういう時、1番の犠牲になるのは必ず事情をちゃんと知らない子ども達ばかり
それがどれほど残忍かつ愚かで悲しい事か、だからこそ戦争をしてはいけない
そういう気持ちはもちろんある、でも万が一物理的に他国から攻め込まれたらどうだろう 抗戦しないといけなくなるし、そうなれば結局戦争が始まってしまうのは時間の問題
かと言って、大人しく明け渡す訳にもいかない 攻め入られた国は相手国の奴に戦争の混乱に乗じて、何されるか分かったもんじゃないから防戦をする事になる
語り継ぐのも大事だけど、それが現在を生きる人達の足枷になってはいけないと思う
・昔の戦争体験と今を比べても仕方がないだけです。 それより二度と沖縄でそのような悲惨な戦争が起きないようにしたいだけでしょう。 虎視眈々と尖閣どころか沖縄本土までも狙っているのはいったい誰なのでしょう。 中国は太平洋に出るにあたって、日本列島が邪魔で仕方がないだけですから、その日本列島をアメリカが今は不沈空母として利用しているだけですが、それが幸いにも日本列島を守る形となっているだけですが、近頃のアメリカはそれすらも放棄しかねない状況に見えています。 その最先端が沖縄米軍基地でしょう。 それを現状ですべて無くすこともその代わりを日本の自衛隊に置き換えることも、それこそ自衛隊増強だけですら騒いでいる奴らがいますが、あなた中国人ですかと言いたくなるばかりで、それに反対する人は日本人いや沖縄県民ですかと言いたくなります。 2度と思うのあれば、それをさせないだけの力を持ちなさいだけですよ。
・広島の人間なので小さい頃から平和教育を多く受けてきました。被爆者からの貴重な話や映像を見させられ、資料館も何度も行かされた。 子どもなんてそんなもんです。今子どもを持つ親としてこの記事を読んで、涙が止まりません。二度とこんなことを起こしてはいけない、当事者になりたくない、と強く強く思います。 子どもに教育を、と声高に叫ばれますが子を持つ親や分別のつく大人こそが平和教育を受けるべきだと思います。親になったら受けるべき義務教育があってもいいな、と。駄文失礼しました。
・母も同じような体験をしたそう。茨城県水戸ですけど。空襲時、子供だった母が防空壕に入ろうとすると「中にいる軍人から。敵が来るだろ、こっちに来るな」と追い返されたそうです。この点は、昔から聞かされていました。 負ける事が分かりきっているのに戦争を続けた。竹やりで爆撃機や戦闘機に立ち向かえと国民に指導した当時の政府等を、それが戦争なんだろとは思いますが、快くは思えません。それでも、年老いた母は、戦前戦中教育を受けた身なで、かつ当時の平均生活水準より良い生活を送っていたようで、今も懐かしむように軍歌を歌い、当時の出来事などを楽しそうに振り返っています。
・誰だって死ぬのは恐ろしい。 兵隊のほとんどは田舎の次男三男とかが多かったんでしょう。 兵隊になれば食うに困らないからって。
ましてや赤紙で引っ張られた兵隊は市井の一般人。 いざとなれば自分の命を優先したからと言って責められないと思う。 戦争と言う極限状態では人の悪い面も出てきてしまう。 平時ならみんな普通の善良な市民だったでしょう。
・昔も今も同じだね。
先日、電車の車内でベビーカーに乗せてる赤ちゃんが泣くと、うるさいと一喝されてました。
公園ではボール遊びをしてるとうるさいと怒鳴り込み、レジで店員に大声で騒ぎ立て、後ろの客を待たせる。
これ、全部老人の仕業です。
老人になると自分の事で頭が一杯っていうのが世の常だと示しており、だとすればこんな輩を国会をはじめとした議員になどさせていては絶対にダメ。
議員の定年制は真剣に考えなきゃだし、老人のカスハラやモンスタークレーマーへの厳しい対応を、社会として醸成しなきゃ。
戦時中戦後は別だが、高度成長期からバブル期を謳歌した世代に、美味しい思いばかりさせないよ!
・日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」と教育し、民間人にも「米軍の捕虜になったら惨殺されるぞ」と脅し投降を禁じました。じゃあ軍全体がそれを心底信じてたかというともちろんそんなことはなく、エリート層、特に海外留学経験のある高級将校は戦時条約に基づいて、民間人は保護され、軍属でも投降すれば少なくともその場で殺される可能性は低いとを知っていて最終的には民間人と共に投降して生きながらえていたりします。 理知的な行動より感情を優先して自体を悪くする日本人の宿痾はどうにもならないわけで、そういった意味でも戦争を起こしちゃいけないと思うのですよ。根本的に近代戦に向いていない国民性なのだから。
・沖縄戦の記憶は語り継いでいかないといけません。それと同時にこれが軍隊のスタンダードだと決めつける報道も、あってはなりません。仮に今どこかの国が一方的に沖縄に攻め込んできたとして、防衛に当たる自衛隊はこのような行動をとるでしょうか。
・これも戦争の一側面でしかない。 パラオ国の話を聞けば、また日本軍に対して違う印象を持つ。
戦争を肯定するわけではないが、第二次世界大戦以前の世界史を見れば、日本という国を生かすために戦争は避けては通れなかったであろうし、欧米列強もロシアも中国も、明らかな格下の極東の発展途上でまだ貧しい戦力も乏しい国を侵略しようとしていた。 戦争も経験せず、戦後の復興も知らず、必死に命懸けで身を削って働いたこともなく、裕福な時代しか知らない世代が戦争批判などする資格はないと思っている。
・人が起こした戦争、その戦争が人をさらに狂わせる。 兵隊1人1人はまともだったかもしれないが、銃を突きつける兵隊も狂ってるし、みんなが助かる(=アメリカ兵から壕が見つからないようにする)ために、愛する幼い子供を殺してしまう親も「ある意味(語弊があるのは理解した上で)」狂っている。 本来なら、上の子供とか下の子供とかどっちかを生かすなんて選べないし、選ばないはず、でも本意ではないにしろ、子供を愛しているはずの親にそういう行動をさせてしまう極限状態、そしてそういう状態が常態化してしまう戦争は本当に本当に残酷。。 ロシアとウクライナの戦争でもいろいろ起きているはず。沖縄戦の地獄を学んだ上では、ロシアとウクライナの間で、民族上のどちらかにどんなに正当化すべき理由があろうが、復讐であろうが、今すぐにやめるべきと痛感。
・極限の状況では極限の選択を迫られる。大事なのは極限の状況をつくらないことだけ。ガザで市民を盾に戦うハマスにも人質奪還の為に容赦なく攻撃するイスラエルにも数千年の言い分はあるから話し合いでは何も解決しない。沖縄戦のあと本土決戦に至らなかった奇跡の中にヒントがあるかもしれないが、こんな奇跡は2度は無いと思う思う。東京大空襲、沖縄戦や本土主要都市への空襲、広島長崎の原爆を心に刻んで二度とあのような状況に追い込まれずに日本の自主独立を維持することを実現して行くしか無い。
・それは前提としてアメリカ兵という本物の悪魔がいたからという現実があります。
アメリカ兵の悪逆非道の行為や蛮行から、1人でも多くを救うために選択せざるを得なかった悲しい事情があったのでしょう。 私も逆の立場なら目の前の日本兵が悪魔に見えたに違いない。 究極の選択。 皆死ぬか、あるいは可能性は低いかもしれないが少ない犠牲で多数が生きるか。
選ぶことなどできませんが目前の危機の前なら選ばなければならなかった。 もちろん、そのようなことは誰一人やりたくはなかったが、誰かがやらなければいけない局面があった。
そういうことをさせたアメリカめ。
と思います。 昨今はアメリカ愛の方が強い日本人が多いでしょうから、このような意見は非難轟々かもしれませんが。
アメリカ兵は子供に水を飲ませたかもしれませんが、それは日本兵も同じです。 沖縄でアメリカ兵の乳幼児強姦殺人など、そういう現実も多くありました。
・沖縄と住民を守るために犠牲になった兵士も多かったのに、日本兵への恨み言ばかり出てきて兵士も住民も殺戮した米兵賛美ばかりなのが疑問なんですよね。で、今沖縄を取り巻く環境は不穏さを増している。いい加減過去でなく未来の心配に切り替えるべき時期でしょう。
・沖縄戦は敗色濃厚な戦いだったので、軍はゲリラ戦に賭けることにした。だから民間人を巻き込むのが軍の作戦の一部だった。 追い詰められると軍は、その力を民間人を守るために使わず、危険な地帯に追い払うことに使った。大陸で戦争を煽って、民間人を置いて撤退した関東軍と一緒。 戦争が諸悪の根源だが、軍の責任を相対化するのはまずい。
・日本兵にも、本土に自分の子がいて生きて帰りたかったかもしれない。兵士にだって本能的な死の恐怖があってもおかしくはない。 とても無残な話だけど、「日本人」が悪魔だということでなく、 庶民が強いられた戦争の悲劇ということだと思う。 ヒロシマの、「過ち」は繰り返しませぬから、の主語は、アメリカ人だとか日本人とか国籍を入れたがるけど、戦争という過ちは、と読み直すのがいいのではないか。
・この頃には日本に沖縄を守れる戦力は残っていなかった。 今、もし中国が台湾進攻と同時に沖縄を攻撃した場合、日本が沖縄を守れる戦力がありますか。 また、歴史の繰り返しになりますよ。 アメリカ兵が中国兵に代わるだけです。 翁長のような人が沖縄の総意なら、私は沖縄はどうでもいいと思っています。 それより、北方領土や竹島の奪還にを目指してほしい。
・戦争というのはそういう恐ろしいものなのでしょう。またそうならないために対話だけで平和を求めるのか、防衛力を高めて抑止力とするのか、考え方の違いがあるだけです。誰にも負担がない防衛などありませんから、地理的に特に沖縄に負担が大きいことが現実であり、負担するから金寄越せという政治をしてきたのも沖縄です。
・昭和の政治家が言ってた。 『今は平和を語る必要はないが、戦争を経験していない世代が政権をとる頃には戦争をしない、平和を語る必要がある』
まさに、今だよね。 政治家の言葉の端々に、戦争やる気前提の議論が出てきている。 率先して戦う日本になったら、戦場に行くのは政治家ではなく、若い人達。 自信をもって後世に引き継げる日本でありたいな。
・戦没者慰霊碑が全国いろんな場所にあります。戦没者がいるいないに関わらず、手を合わせに行くこと、お花一輪でも挿してあげてほしいこと、遺族会で教えていただきました。孫の世代ですが、大切にしていこうと思います
・沖縄だけが激戦地みたいに言うけど東京大空襲みたいに民間人が標的になった物は本土でもあるんだけどね。沖縄の人は知ってるのかな。また、赤紙で召集された日本兵の人たちも東南アジアで悲惨な状況に晒されてるしね。ある意味日本国民全体があの戦争で犠牲になったわけで沖縄戦だけ取り上げて日本兵を避難するのは理解に苦しむ。
・「われわれを守るための日本兵が奥に、避難民は入り口に座っていた」と憤る。
信じない人もいるとは思いますが、100%本当の事ですね。 当時の沖縄の人たちから見ると、当時日本兵が行った民間人への行為は、攻撃してきたアメリカよりも恨みに思ったと思いますね。 日本兵は民間人を盾にして生き延びようとした話は多くの書物・記録に書かれている。 もちろん人間として軍人として心ある軍人は民間人を守ろうとした話もある。 しかしそれ以上に日本軍は上から下の兵隊まで沖縄の人を自分の部下のように命令し使っていたのが現実のようです。 今自衛隊が入ってきて、その頃のことの再来を危惧しているのではないかとも感じますね。 兵隊も本音は自分の命が一番大切ですからね。 今の民主主義国となった日本の自衛隊が、旧日本軍と同じとは言いませんが。
・昭和に入ってからの軍国主義教育が生んだ悲劇だったと思う。 皇軍とは天皇の軍隊であり、沖縄島民より上の存在だったわけだ。 マリアナ等でもそうだが、一般市民にも軍に準ずるような行動を強制せず、米軍への降伏・投降を否定しなければよかったのに、と思わずにはいられない。 一般市民が戦闘の邪魔になるなら軍とは完全に分離し、同じ島内で非武装地域を設定し、そこへ疎開・避難させるなりすればよかった。 そういう合理的な思考をできなかったところが、戦争に突入し、早期に終結できなかった当時の日本・日本人の限界だったのではないか。
・片方側の面ではなく、両方の面から取材をしてほしい。 局地的で、その人にとってはそれが全てではあるだろうし、悲しい出来事ではあると思うが。 国を卑下するネタには扱わないでほしい。
取材対象者の思いに寄り添ってほしい。
・もう亡くなりましたが自分の祖父は戦争に兵隊として参加してたそうです。 当時クソガキだった自分は「銃とか撃った?カッコイイね!」見たいに 聞いたことがあった。
祖父からの答えは「なんも格好いい事なんかない、悲惨なだけ」と 言っていた。
祖父は肩口を銃で撃たれたそうで、その傷も見せてもらった。 大分塞がったとは言っていたけど、それでも生々しくなんだか怖かった のを覚えてる。
・大変な惨事と報道されているウクライナやパレスチナでも兵士を入れて人口の1~2%の方が亡くなられている、沖縄での死者が人口の25%であることはその10倍以上である、どれだけ想像を絶する悲惨な状況だったのか計り知れない、ほんの78年前に日本で起こった出来事であり当時の体験を語る方がまだ生きておられるのだ。我々日本人はこの言葉に心より耳を傾けるべきであり、二度と同じことを起こさないように最大の努力をすべきである。中台の対立、米中の対立、朝鮮半島の対立が日本周辺であるが、この沖縄戦の事を想いを寄せて、中国、北朝鮮、ロシア、アメリカ、台湾、韓国と心を開いて話し合うべきではないか。抑止力の準備も大切であるが、双方がそれを拡大すればどうなるのか想像がつくだろう。加害者であり被害者でもある日本は単に米側チームの一員として戦力拡大するのではなく、平和への想いを伝える事にもっと努力すべきである。
・祖母や祖父の話で、私が見た話では無いですが、 そう言う戦争や非人道的内容を理解した年齢に達した時に当時の惨状を教えてもらいました。 米兵に助けられ、日本軍兵に防空壕を追い出された話を無くなる前に、真剣に話されました。 その時の恐怖感、立場が真逆の敵国の兵に助けられたこと。 大学生の私にはにわかに信じがたい話でしたが、これらのニュースを読む限り、事実だったのだと再認識させられています。 戦時下だから、では済まされない内容に感じます。 何よりも、史実として載せられておらず、ガセネタのように教科書には触れられていないことが何よりも、問題に感じてなりません。 誰の顔も気にしない、正しい史実を伝えていってほしいです
・本当に悲しいことがたくさんあったし、日本も責められる部分はあると思うけど、ひとつ事実として、年月をかけて白人の国々が世界中を侵略尽くして、大東亜戦争(太平洋戦争)が始まった時点で白人の国以外で侵略されず完全な独立を保っていたのは日本とトルコだけだったという状況も絶対に知っておかなければならない。
・泣く子は入るな。今の時代だったら白旗を上げ降伏する知恵もある。民間人を攻撃しない知識もある。多くの人を守る為の当時だからの悲劇だろう。なく子を゙守れず、鬼と思った人、鬼と思われた人全てが悲劇だ。国民、国家を゙守る為の方法には議論が別れるが思想だけにに囚われず真の議論が進んで欲しい。
・防空壕に何人も隠れていて、その中で赤ん坊が激しく泣きだす。 とても、泣き止みそうにない。 すると、一緒にいる兵士が、母親に赤ん坊を殺せと命令する。 赤ん坊の泣き声で米軍に見つかってしまうと、全員殺される。 それならば、ということなのだろうが、悲惨な話であることに間違いはない。
もし、母親が赤ん坊を殺すのを拒否した場合、母親と赤ん坊の両方がその兵士によって殺される。 選択の余地はない。 異常な話だが、極限状態である。
レベルが段違いだが、戦争のない現代日本においても、赤ん坊の泣き声の許されないケースが多々ある。 赤ん坊は、泣くものだ。 そうは思えないのだろうか。 泣くことで、肺や心臓を鍛えているのだから。
・80年前の怨念を抱いて当時の不条理を伝えたいという気持ちは誰もが理解するが、肝心の伝わる言葉で話さなければ、ほぼすべてが戦争を知らない世代になった我が国では、共感というマジョリティーを得られるものではないだろう。歴史の勉強を平安や鎌倉時代から始めずに、先ずは戦前・戦後の事実との直面を避けるような教育を受けてきた平成以降の世代の人は、言葉としての平和をオウム返しする訓練は受けていても、大半は半世紀続く平安がいつまでも続くと安楽に考えており、それは「今日までが天気だから明日も晴だろう」という根拠のない安心感につながっている。それがいつか日本の悲劇の原因になる日が来ないことを祈るばかりだ。
・日本の話じゃなかったかもしれないけど昔見た映画で貨物列車に隠れてた人たちの中の子供が泣き止まなくて必死で子供の口を押さえて窒息死さてしまって列車から飛び降りて死んでしまったストーリーを思い出した ほんとにそんな時代があったと思うと悲しくなる
・泣く子を母が抱きしめて、それで窒素死したと言う話を石垣出身の祖父から聞いた時は身体が震えた。 尖閣諸島で生き延びた大伯母からはもっとひどい話を聞いた。 涙が止まらなかった。 私は30代後半ですが、様々な生の話を聞いて今も鮮明に覚えています。 下の子達にありのまま話をしています。語り部が少なくなってきていますが、絶対に風化させたくないから死ぬまで語り続けるつもりです。 どうか平和な世界でありますようにと願ってやみません。
・少ない犠牲で多くを助けるか、すべて平等に受け入れて多くを殺すか。 その選択肢の前に批判する人達はどう行動するのだろうか。 日本軍を悪魔だと言い伝えていくのもその人のリアルな記憶と感情だと思いますが、当時の沖縄は民間を助けるというよりアメリカ兵を少しでも沖縄に留めるための目的になってます。 沖縄が敗れたら次は九州や日本本土が戦場です。 それを堰き止める時間稼ぎを担っていたわけです。 それくらいの危機的状況だったことを同時に伝えないのは偏向的ではないでしょうか。
・やはり守る側と攻撃する側では攻撃する側が余裕があるだろうし、守る側は必死だからそりゃ対応も違うだろうと思う。だからといって全肯定するわけじゃないけどさ。でもそれよりも、非戦闘民の疎開を妨害し、自らは本土に出張という名目で逃げまくっていた当時の沖縄県知事に対して批判がないのか不思議でならない。
・沖縄戦前に軍部は住民に決戦場じゃない北部避難を呼びかけていました。それでも多くの住民が軍隊と一緒の方が安全だと南部に一緒に移動して巻き込まれた背景も、この方の経験と共に事実として報じるべきでしょう。
・日本では戦後近代日本史を教育しないため戦争の教訓がどんどん風化している。戦争が人を鬼畜に変えることは沖縄戦、朝鮮半島支配、中国支配での日本軍の状況から知るべきだろう。若い人に自信を失わせないために教えるべきではないという発想が問題なのだ。日中韓で協議して同じ教科書で教育でもしない限り歴史認識はどんどん離れたものになってしまう。これで非常時は国民の権利を抑制したり国民に義務を課すという憲法改正などしたら国家総動員法、徴兵制、治安維持法が簡単に復活する。
・毎回思うことなのだけど、戦争をさせない、しない様に風化させないと言うが、今の日本で戦争したいと思う人なんてほとんど居ないと思う。日本の周辺にいる国がちょっかいを出すか出さないかの問題なので、日本国内で言うことも大切なことだとは思うけど、周辺国に伝える事も必要なのでは?そして、旧日本軍を悪く言う人もいるが、この方達が今の日本を守った事も事実なので、全てを一緒に考えるのではなく一つ一つ整理して伝えていかないと矛盾だらけになる。
・ここ最近は20歳前後の若者が、太平洋戦争を題材にした映画をよく観ている風潮を感じます。 数年前までは昔は昔と無関心だと感じていましたが、ウクライナの事や近隣諸国の脅威の報道などがそうさせているのでしょうか 最近は実話の映画もあったりと、その感想とかをとても深妙な顔で語る若者達を見て、少し安心をしていたところでした 沖縄に行くと、沖縄県民と日本本土の人とでは、戦争や同盟の考え方が違ったりするのを感じますが、このお話を聞いたら理解ができたように感じました。 女、子供が目の前で最前線を見てきたのは沖縄だけで、戦争の伝わり方が違うのは当たり前です 専政主義vs民主主義の今の現状は、何方が正義なのかは別で、この風潮やこの事態こそが間違いなのです。 そのことから、どちら側も綺麗事からその考え方が正論となるようになればと希望します。
・日本の戦争の話をする時になんとなく当たり前のようにスルーされがちなのですが、 近代以降の戦争は一般人を巻き込んではいけません。 戦争はあくまで軍人同士でやるもの。 一般人を巻き込んでいる政府も悪いし、明らかに一般市民に銃撃したり爆撃してるアメリカも普通に犯罪です。 とにかく歴史的にみてもメチャクチャな戦争でしたね。
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