( 184112 ) 2024/06/24 18:14:18 2 00 18÷0=? 小3の算数プリントが不可解な出題で物議「割れませんよね?」「“答えなし”では?」ねとらぼ 6/24(月) 7:15 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/9870231045f7e4c59616879332c7aead370c9d2b |
( 184115 ) 2024/06/24 18:14:18 0 00 「18÷0=?」で物議
ある小学校で3年生に出題された算数の問題が、X(Twitter)をざわつかせています。「18÷0=?」……って、それ割れないやつでは?
【画像】先生から返却された回答
話題の発端は、イラストレーターのちゃーろーさん。娘さんが「どうしていいか分からない」と見せてきた宿題の小問、「18÷0」に頭を抱えることとなりました。
そもそも「ゼロで割る割り算(ゼロ除算)」は、答えを数学的に定義することができません。というのも、「18÷3=6」が「6×3=18」と置き換えられるように、「18÷0=?」を整理すると「?×0=18」。つまり、「18÷0」の答えは「0をかけると18になる数」となるのですが、当然ながらそんな数は存在せず、求めようがないのです。
Xで意見を求めたところ大きな反響があり、「ゼロで割ることはできない」「電卓で試すとエラーが出る」といった反応が多数。ちゃーろーさんは娘さんと一緒に考えて「答えないよね?」という結論に到達し、宿題は「18÷0=こたえなし」として提出されました。
ところが後日に返却されたプリントを見ると、「こたえなし」と書いた箇所はまさかのバツで、先生いわく「正解は0」。説明は「0で割ったら0」だけで終わったそうです。
結果をXで報告したところ、「0で割れるわけがないのに、先生の解釈を聞いてみたい」「問題自体が悪問」「そもそもゼロ除算は学習指導要領外で、小学生に出すものではないのでは」などと、批判的な声が多数。その一方で、「小学生のころ同じように答えは0だと教えられた記憶がある」といった声もみられます。
ちゃーろーさんとしては先生を責めたいわけではなく、単に答えを0とした理由が気になっているとのこと。Xでの反響に、「同じように教えられて、A÷0=0だと思ったまま大人になった人が結構いることに驚きました」と、編集部の取材に答えました。
ねとらぼ
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( 184116 ) 2024/06/24 18:14:18 0 00 ・小学生の頃、「ゼロで割ることはできない」と学校で教わりました。 先生に理由を聞いたところ「教科書に聞いてください」と返されたのでその通り教科書の出版社に手紙を送りました。 詳細は忘れましたが、丁寧にお返事をくださり、小学生向けの文章で数学の奥深さを説いてくれていたように思います。 その後、大学では数学系の学科に進み、その奥深さを垣間見ることになりました。 子どもに「不思議だな」と思わせるだけでも充分な教育的な意味があると思います。
・教職ですが、この問題、小学校のプリントでは良く出てきます。そもそもこうしたプリントについては学問的に全く正確ではないことがしばしば。私は専門は人文社会学系なのですが、その分野でもえ?と思うような問題や模範解答はしばしば見受けられます。かく言う私自身も小学校時代この記事のように教えられた記憶があります。 子ども向けに教える時は多少の正確性を犠牲に分かりやすさを優先させることもありますが、教師である以上、出来る限り学問的な正確性に添いながら模索する必要があります。間違っても脳死でプリントや指導書通りにやれば良い訳ではありません。そして、子どもの指摘が正しい場合にきちんとそれを受け入れて訂正する誠実さが求められます。
・このように算数の問題が話題になるということは、悪いことではないと思いますが、多分このような間違えを教えてしまっている先生は、少なからずいるような気もします。18÷0の答えなんて、生きていく上で関係ないから大きな問題ではないといっていいでしょうか?単なる計算ですが、論理的に答えが存在したらおかしいということを子供たちに伝えてあげないといけないと思います。 算数・数学は論理を教える教科なのですから・・・。近年、教師が不足していて、誰でもいいから非常勤の先生になってほしいというような風潮がありますが、小学校を出ていれば小学生くらい教えることができると皆さんお考えではないでしょうか?本当に大学を出て教員免許さえあれば誰でも教えられるでしょうか?私は、教員養成における教科教育をもっと手厚くすべきであると思いますがいかがでしょうか?そして、教員は常に勉強し続けることも大切なことだと思います。
・一般企業なら、フィードバックによって是正されるが、公教育の場にはそういうものがないのが問題。もっというなら、児童・生徒・教員まで含めてもっと開かれた教育でないと同じようなことはずっと起きる。現に中学校の理科と社会の先生は教科書を全く使わない先生が非常に多く、話を聞かない生徒も非常に多い。学校公開日だけでなく、常に教育の場で何が行われているか、公開されることが指導の質を上げる最善策だと思う。もちろん、不特定多数の人間が学校運営に絡むことはリスクもあると思いますが、、、
・僕も学生の頃、勉強に意味なんてあるのかを考えた事が何度もあります。
特に数学で出てくる連立方程式やら因数分解が今後、何の役に立つのか訳が分からなかった。
でも、大人になっていろんな問題が降りかかってくるうちに この時のための訓練だったのかなって思うようになりました。
1つの問題に対して深く考えることが求められているのではないかと思います。 自立できる若者が少ない中で、自分で考えることが出来てる時点で僕はその子がすごいなって思います。
それでいいんじゃないかな。
・割り算の答えは0と自然数を扱う場合は「もとの数から割る数を何回引けるか」という回数に当たりますし、数の範囲を広げた場合は単純に「逆数の掛け算」になります。 前者の場合は「÷0」の答えは「無限に引ける(∞)」となり、∞は整数ではないので「答えなし」になります。 後者の場合は逆数の定義が「元の数に掛けると答えが1になる数」なので、0は何を掛けても1にならないので逆数が存在しないことになり、やはり「答えなし」になります。 どちらにしても0という答えは出てきません。
・数学的には、「その演算は定義されていない」というのが正しいと思います。
ただ、本質的な問題の原因としては、特に数学が苦手な小学校教員が多く、小学校内容の理解にも穴があることが少なくないので、算数に関しては教科担任制をかなり早い段階から導入したほうが良いと思います。
・元中学受験塾講師です。
小学校の教員が気の毒なことは全教科教えなくてはいけないことです。
小学生でも、本当に優秀な層になると、科目専任制でないと、科目の指導はできません。
もちろん、ゼロで割ってはいけないことは知っておいて欲しいですが、仕組み自体を変えないと、このようなことは起こり続けると思います。
特に昨今は、学力の高い層は、教員を目指さなくなるので。
・シンプルに考えてみればいい。 18個のリンゴを6人で分けると、1人当たりは3個(18÷3) 0個のリンゴを18人で分けると、一人当たりは0個(0÷18) では、18個のリンゴを0人で分けると、一人当たりはいくつになるでしょう。(18÷0) 答えは、そんなことはあり得ない。 リンゴはあるけど、分ける人がいない訳だからね。
・先生だからといって、完璧な知識を有しているわけではないですし、子供が持つ疑問は多角的なものも多いので、答えに窮することもあるでしょう。 特に小学校の先生はその科目の専門家ではないですし。
親の場合でもそうですけど、答えを間違えて覚えていたり知らない知識があった時に、誤魔化したり嘘を教えるのではなく「先生もそれは分からないから、自分で調べて先生にも教えてね」と言えるような環境であればいいのになと思います。自ら調べた方が身につきますし、調べ方も覚えられて本当の意味での自主学習が出来るのではないかと。
・算数のプリントを作成したのが先生なら責めるべきだと思います。 18÷0=0と思っているなら勉強し直すべきであり、先生のためにも指摘するべきだと思います。小3に0で割れないこと理解するのは難しいと思います。中には混乱して算数が苦手になる人や勘違いして覚えるきっかけになりかねれないと思います。後に0で割れないと知って算数では0だったのにとなれば教えた先生の責任になると思います。 そもそも18÷0の問題がなければいい話であり、数をこなす経験が目的であれば必要ない計算問題だと思います。
・確かに小学生に対して難しい定義の話をするのは酷だと思います。だって、物質についても分子や原子、イオンなどの話をしても、それを理解するベースとなる知識などがまだ獲得されていないから。 でも、これはダメだと思います。だって嘘だもの。 プリントで問題を出題した意図が知りたいです。公立小学校は指導要領があるはずです。それを超えた出題をするのは構わないと思いますが、嘘はダメです。将来この子どもたちが混乱するだけです。
・カール・セーガンの「コンタクト」という小説の冒頭を思い出しました。 ヒロインは小学生の時、「円周率の計算は無限に割り切れない」と習います。「無限に計算するなんてできっこないのに、なぜ無限に割り切れないとわかるのか」と質問して、浅学な先生に「くだらない質問で授業を混乱させてはいけない」と叱られてしまいます。 くだらないと言われたヒロインは憤慨して円周率について調べあげ、数学の面白さに目覚めます。長じて宇宙物理学者になって、地球外文明との接触の最前線に立つことになるのです。
このお子さんも、これをバネに学ぶ楽しさを知ってくれたら、先生の間違いも意味あるものになりますね。
・小学校の先生になるには一般的に教育学部に進みますが、教育学部が文系に分類されている影響か、理数系が苦手な先生が多い印象です。 自分も小学校の時は国語が苦手で算数が好きだったのですが、 国語の授業は楽しそうにいろいろやっている割には、算数の授業はどうもやっつけ仕事の様な感じでつまらなさそうに淡々とこなし、好奇心から突っ込んだ質問をしてもまだ習う必要がないとか適当にごまかされて悲しかったのがいまだに記憶に残っています。
・小学校のときに水槽に石鹸1つ入れると石鹸はどうなる?という問題があって、「全部は溶けない」と私1人解答したら間違い扱いされた。全部溶けるが正解だと。最後まで納得できなかった。 実際は飽和水溶液量が存在するから、水槽の大きさによる。が正解。 応えではなくて、溶けない理由、ゼロで割れない理由を教えることか学問なんだよね。
・元小学校の教員です。 小学校3年生のわり算の指導の際、0÷5など割られる数が0は扱います。その時、「0を0でないどんな数でわっても、答えはいつも0になる」と教えます。 今回のように0でわることは取り扱いません。いい加減なドリル作成ソフトなどの問題だと思います。プロの教師として指導内容を確認して、子供に出す問題はよく確かめてほしいと思います。
・昔パソコンでBASICのプログラムを書いていた時、実行時にゼロ除算が起きると「Division by zero」のエラーが起きてプログラムが止まったことを思い出す。 今iPhoneの電卓で18÷0をやってみても「エラー」と表示された。
「18÷0はゼロ」と教えた先生がゼロでの割り算は出来ないということを知らなかったんだろうな。 でも児童がそのことを指摘すると生意気な子供と思われてその後風当たりがきつくなりそうだから何も言わないほうがいいかな。
今は手軽にAIに聞くことも出来るし、児童が教師の誤りを指摘してきた場合は先生も素直に認めたほうが良いよね。
・中学の時、数学のテストで証明問題に×をつけられたのを思い出した。数学の教師に、模範解答とは異なる証明だが、これでも証明できると立証し「それなら○」と言われたが、合計点を修正しようとして「これを○にすると満点になるから×」と言われ、抗議するも変わらず。思わず「満点になるから×なんておかしいよ」とこぼしながら教室に帰った。しばらくして数学の教師が教室に乗り込んできて「あなた!文句があるなら0点にするよ!!」と怒鳴られた。今でも理不尽だと思うし、あれでしばらく数学を嫌いになったし教師の言うことを信じられなくなった。 この問題もそう。間違ったことを放置していいことなんてないよ。
・この先生に理由を質問しても、実りのある説明は期待できないかもしれません。 算数プリントの画像の範囲ですが、使われているフォントやレイアウトを見ると既製の算数ドリルのように思えます。その学校で選んでいるのだとしたら、その学校では、0ゼロで割る割り算の問題は「あり」で、その答は0が正解とされているのでしょう。 割り算はどういう計算なのかな?とか、ゼロで割るってどういうこと?などを親子で調べたり考える方が実りがあるかもしれません。ネットでは「算数0で割る」でいろいろ出てきます。
・テストで×を付けられたが、教科書を何度読んでもこの解答は正しいはず、と教師に質問したところ、 「正しい事を答えろとは言っていない。私の授業をちゃんと聞いているのかテストしているのだから、たとえ教科書と違っても授業の内容通りに答えないと点は付けない」という主旨の答えが返ってきて、世の理不尽を学んだ子供の頃の記憶が蘇りました。
件の先生が、私が黒と言えば白でも黒だというような考えでいるのかは分かりませんが、過ちを認められた方が子供の良い手本になれると思いますね。
・1よりも小さい数で割れば、小さければ小さい数で割るほど、商はどんどん大きくなり、微分的な考え方からすると、割る数が0に近づけばどんどん無限大に近づき、0では無限大になり、従って数字としての解はないために、0では割れないことになります。この先生は、本当に教員免許を持ち、その県の教員採用試験に受かったのでしょうか? 小学校レベルの知識もなしに教壇に立っているのは、怖いですし、教えられる子どもがかわいそうです。
・私が小学校の頃は担任の先生がほぼすべての教科を教えていたことを考えるとこの手の問題は知識のない先生もいることを前提と考えるしかないと思う。 私は授業でゼロで割ることはできないと先生が言っていた記憶があるが、あまり深く考えず問題を出している先生なら間違いとは思わず毎年繰り返し問題を出すと思います。 親から問題がおかしいことをそれとなく指摘するのも良いかと思う。
・我々の時代は、ある数を0で割ると「無限大」と習ったと思います。 答えを出すのではなく、数学を考えさせることを目的としたならいい問題だと思います。 答えが「0」なら間違いですが、「∞(無限大)」でも「正答なし」でも子供が考え方を説明できたら、正解でいいのではないかと思います。 0.999999……=1など無限大とは何かを考えさせ、子供が数学が面白いと感じることができればいいですね。
・数学って細かい定義に基づいた学問なのに、学校だと公式をざっと教えるだけで問題を解かせるから、このような不思議な問題を出す先生が出てくるのかもしれませんね。 私も同じような感じで育ち、大人になってから数学の定義について分かりやすく書かれた本を読んでから数学って面白いなと感じたので、子供たちがそういった知識に触れる機会が多ければ良いのになと思います。
・教員の労働条件、給与を圧倒的に改善し、教員数を大幅に増加し、なおかつ(今はなり手のいない)教職が逆に難関にならなければ、解決しないでしょう。 確かにこの件で教員は間違っている。間違っているが、正しい内容を教えることのできる社会的条件が、全く欠けているのです。 小学校の算数の知識が不十分な教員が、それを補う勉強をする時間も機会もないのです。 個々の教員を責めることでは、何も解決しない。親も労働者としての教員に寄り添い、教育労働運動を応援することです。
・教師には頑なにコレが正しい、コレ以外は認めないという人が少なからずいます。その教師が習ってきたことなのか自分なりの解釈なのかわかりませんが、私も間違ったものを教えられてそれが正しいと信じたものがいくつかありました。 なのでもしこういう問題が起きた場合はそれを報告する部署なりがあってそこからその教師へと考えを訂正させるというようなものがあってもいいのかなと思います。
・小学生の頃、理科が得意でしたが、理科のテストで不正解とされた理由が納得できなかったことがあります。大人になった今でも覚えていますが、回答は間違っていなかったはずです。 しかし、今思えば不正解の理由は、おそらく小学生で習う範囲を超えた理由だったからなのかと思っています。 小学のテストは時々、教えていない範囲外のことは不正解にされることがあるようです。 算数も、大学の数学のような学問を教えるわけではないですしね。 いろいろ納得できないところもありますが。
・中学生の頃、本当に成績悪かったけど英語のテストで肯定文で答える問題で文法が分からずOK.とだけ書いて出したら︎だった。文法違う答案の友達はバツ。OKでマルっていいのかと友達から先生に抗議があったけど通じるから︎だそうな。意外すぎて英語だけは自発的に勉強するようになり成績上がった。 小学生だとちょっとした一問が大きなキッカケにもなりやすいと思うし、しっかりフォローしてあげてほしいなと思う。
・小学校の先生は全科目教えなきゃならないから大変、という意見があるけど明確に間違っていることを教える、しかも答えなしが正しいのにそれを否定するというのはあまりにも酷すぎる。そもそも0で割れないという事は高校生でも知っている常識だろう。しかも正解を指摘されても間違いを改めないというのも問題大アリだと思う。間違いは誰にでもあるけど、指摘されてアップデートされて良くなるのが人間の成長だと思うし。小学校含め、教師の採用プロセスにも問題があるとしか思えないですね
・これは、「専門的に正しい答え」を答えるのではなく、
「ボスの言う事を受け入れる不条理な訓練」だと思っている。
正しいことが正解ではなく、強いものに巻かれ、 組織のなかで機嫌をとることの方が人間関係上手くいくということをこういう小さなことを重ねて学ぶ。
自分の意見がはっきり言うのが苦手。やんわり断る人が多く、異議を唱えるのが諸外国に比べ少ない日本人の いい面でも悪い面でも受け入れる英才教育になっている気がする。
「答えはなし」とは家庭で教えて、学ぶ楽しさを引き出すしかないと私は考えている。
・算数の話ではないですが、大学時代に中学校社会(歴史系)の教育実習に行く学生の模擬授業を見学に行くと、東アジア史の教授が「この授業は正しくない。そもそも教科書が間違い」と言い出し、模擬授業どころではなくなってしまったことがありました。 学校教育はあくまで学習指導要領に則って行っているので、その議論を大学の模擬授業でされても…と思わなくもないですが、教員免許取得のための講義を取ってると、「教科書、図録は間違いだらけ」と言う先生が多かった印象です。 その間違いだらけの教科書で勉強する子どもたちの将来って、どうなるんですかね。
・ゼロで割ると答えがどうなるか、なんて、人生に大きな影響がある話じゃない、っていうようなコメントがいっぱいありますね。 それを言い出すと、高校まで数学を習う意味がない、ということになります。 でも技術系とか、将来数学を使う仕事に就く子もいっぱいるわけですから、こういう間違ったことを学校で教えるのは問題だと思います。 それから、算数・数学は、論理的思考を身に着ける学問でもあります。割り算が掛け算の逆の計算で、そこから考察していくと、ゼロで割ると答えが出ない、ということは、論理的に考えればわかる話です。 ただ小学3年でそこまで考察するのは難しいでしょうね。 だから18÷0という出題は不適切だと思います。 3年生では、ゼロで割ると答えが出ない、という知識だけ教えて、もっと高学年になって分数なんかも習ってから、ゼロで割るということが掛け算との関係でどうなるのか、を教えてもいいのかもしれません。
・もし0で割れるようになったら0/0=1とすることができて、0=0+0+0+...+0という等式の各項を0で割って1=1+1+1+...+1つまり1=∞となって数学の全てが覆されるというのを聞いたことがある(数学に明るいわけではないので、間違ってたらすみません)。定義がされてないのなら出題するべきじゃないと思うけどなぁ。
・僕も小学生の時に向かい合う辺が並行で向かい合う角度が同じ物が平行四辺形と習った。 テストに平行四辺形はどれかと言う問題だった。そこには典型的な平行四辺形と長方形と正方形が書かれていて、僕は全てに丸を書いた。 結果はそこだけ間違いになった。 先生は僕の所に来てコレは長方形でこっちは正方形です。って言って来た。僕は全部平行四辺形ですって何回も言ったのを覚えている。 クラスのみんなにも馬鹿にされてこんな問題もわからんのって何回も何回も言われた。 この時に周りの意見には流されないって強く心に決めたのを思い出す。 今思えば平行四辺形の中に長方形と正方形があるんだと思えばわかるが、それだとしたら全部平行四辺形で正解だと思う。 まあ先生の言い分もわかるが、何回言っても同じ説明ばかりで何を言っても聞いてもらえなかった。それぞれの形の名前を書きなさいならそうはならなかったと思う。 今でも鮮明に覚えている。
・割り算、掛け算は0を入れると答えは0になるという単純に教えられたと思う。 自分はひねくれていたので中学生の時には解無しと答えていた気がするな。 今ではもう0でいいんじゃないとも思ってしまうけどね。 この算数の先生は数字の計算を立体に捉えられていなくて平面で捉えているんだろうなという感覚。 小学生くらいから自分が算数が好きだったのはパズルゲームだと思っていたから。 この数字を分解したり組み上げたりするには、どうしたら効率がいいのかなんてよく考えていたものだ。 パズルゲームだと捉えた時にはこの180という問題は存在が出来ないんだよね。 問題になっていないという感じで。 その感覚があるかないかなんだろうなと個人的には感じた。
・自分は中学のころに、理科の先生自身がテストの設問のイラストがおかしいことに気づいて、作成元(教育委員会?)に問いただして、その設問は全員正解になったことある。先生自身が優秀か、専門性がないとそういった問題には気づきにくいのだと思う 今や、学校の先生の職場環境の悪さや給与の安さというのは広く知られていて、優秀な人はまず目指さない職業になっている。(もちろん志があって優秀な人もいるでしょう) なのにも、関わらず小学校では体育や音楽なども含めて一人で全て網羅しないといけない。 職場環境の改善か優秀な人材の確保か専門を分けるかいろいろと方法はあるが少なくとも現状のままでは厳しいのではないかと思う
・数学の勉強で大切なのは、0で割ったら0を暗記することでなくて、解説にもありましたが、 18÷1=18 18÷0.5=36 18÷0.1=180 ・・・ 割る数を小さくすれば答えは大きくなるだろうと想像することです。そして0でわったらどうなるんだろう?と想像することです。大学受験なら暗記してそれを回答すればことたりますが、不思議とか感動とか感情に結び付いていなければ、それは本当の意味での勉強ではありません。数学を楽しむことを教えて欲しいです。
・掛け算は足し算で、割り算は引き算で教えます 18÷3ならば 18個の鯛焼きを3個ずつ取って皿に並べると 鯛焼きが3個入った皿が6枚できます。 この6が答えです
18÷5なら5個づつお皿に取って 鯛焼きが5個入ったお皿が3個できて 3個の鯛焼きが残ります 答えは3余り3です
コンピュータの割り算計算もこれと同じアルゴリズムで計算しています
原理をちゃんと教えられる先生なら 18÷0なら 上手く説明して沢山のお皿に分けられるけど限界がないので普通の数では表せません 答えはないとします
とか 生徒が分かる範囲で説明できると思うのですが
間違って作成されたドリルか何かを使って その正解と照らし合わせることしかできない先生は 自分もわかってないと思います。
自分が説明できない問題を生徒に出さないという 一手間を省くと こんなことになりますね
こんな先生はたまにいると思います
・小学校の宿題は、基本的に「学校で習ったことの復習」なので、このように子どもが「分からない」と言った時には、教科書にはどのように載っているか?を確認するのが先だと思います。 教科書に載っていなければノートにはどう書いているか? 教わっていないのに宿題に出るなら「子どもが解けなくて悩んでいました」と連絡帳にひとこと書けば良いと思います。←宿題をしていない!と無駄に叱られたりしないように。
因みに私は半世紀前の小3ですが、「割る数・割られる数のどちらかが0なら、答えは0」と習いました。 有り得ない、教師の質を疑う、と言われてもそう習って素直に信じ込んで生きて来ました。 算数の成績は5でしたから、習ったまま答えてほぼ100点を取っていたことになります。 数学的には間違いなのでしょう。 でも50年前の小3算数は、そう教えることになっていて、私はそのまま年を取りました。
・学習塾勤務です。 学生時代から数学が苦手で8÷0=解なしを数学的に説明できないので飴に例えて解説してます。 0÷8だと「0個の飴を8人で分けると?0個だね」 8÷0だと「8個の飴を0人で分けると?分ける人(分ける作業をする人)がいないからそもそも分けることができないよね!だから解なしだよ」 わたしも小学校で0で分けることはできないと習いました。 教えることは文科省で決まっているはずだから徹底してほしいです。
・18÷0=0でしょと思ってしまいました。小学生の時にそのように習ったからです。 私は小さい頃から公文をしてたので、計算はほぼ暗記のような形で頭に入っており、全国模試などでは全国で10位以内に入る成績でしたが算数〜数学全く好きになれませんでした。 小学校の算数は退屈すぎ、中高の数学は先生が生理的に苦手だったり授業も本当に面白くなくて… 大人になって、数学の奥深さみたいなことを少し知る機会があり、その世界観に学生の頃に触れていたらその分野に進んだかもなーーと思いました。 教員はとても大変な仕事と大人になった今なら分かりますが、算数や数学の本当の面白さを少しでも噛み砕いて伝えてくれる先生に出会った子どもは人生変わるだろうなと思います。
・学校購入の、教科書準拠のプリントかな? そうなら、へんてこりんな問題や模範解答はどの教科でもあるあるです。 教師が教えたことに基づいてプリントを作成すればこういう問題は起きません。
仮に先生が作ったプリントだとして、この問題に限って言えば、「割れません」を教えるために出した可能性はあります。 そうなるとちゃんと指導の目的はあるのでOKだと思います。
・実生活で計算するときは、計算が必要となる背景があって、計算式にも文脈があるはず。
そういったことから切り離していることが、教える側も教わる側も不幸の一因と思うことがあります。
特に四則演算の順序を問う複雑な式を見ると、単なるお遊びで脈絡を式に感じなく、やる価値があるのかと思うときがあります。
・マジレスすると、0で割ることは、算数数学のルール上してはいけません。 コメントに、答えは無限大、とありますが、これは極限値、つまりゼロに限りなく近い数でわった場合の答えです。完全にゼロだと、それで割ってはいけないルールになっています。
どう答えればいいかはわかりません。私なら、解けません、とでも書くかなあ。子供達はどう答えたんだろう。面白い答えあるかな。
・私も小学校の頃、「0で割ったら0」と教えられていた口です。その頃は何の疑問も持ちませんでしたが、なるほど、言われてみればあり得ない問題ですね。でも、小3ながらそのことに気付けたお子さんはすごいと思います。まだまだ幼い年齢なのに、なぜそうなるのか理由や根拠を考えることができるんですね。ある意味、将来がとても楽しみです。
・親ガチャだけでなく「先生ガチャ」という言葉も子供はよく使う。
元来、教師の善し悪しは、教わる側ゆえに知識が少ない生徒にとって見極めにくい部分も多い。
だが今は塾だけでなく教育系YouTuberやノート共有サービスや学習アプリで様々な教材に触れられるし、人気が高く持て囃されているものも多い。すると単に人間として嫌いな先生ということじゃなく、先生として教える内容や教え方がダメな「ハズレ」だと簡単に烙印を押されるようになった。
まあダメな先生は少ない方がいいのだが先生の負担が増えているのも確かだ。1人の固定した先生に強く依存する教育システムはいずれ瓦解する。少子化時代の国の教育を支えるにはあまりに頼りない。文科省が率先して変えていかねばならない。いまの盛山文科相では話にならない。
・自分は解なしって書くかな。 小学校の先生は確か0では割れません。解なしって教えて、そんな問題も1回しか見てない。 高校になって、塾で個人ブース2個受け持ちの先生が隣の小学生の宿題見て、私に0で割る計算の答えわかる?って聞くから解なしって答えたら、複雑な顔しながら、なんで解なしって言い回しになってるかわかる?って聞かれたことはある。 小学生じゃ小数はやらないけど1未満で割ると!ってな感じであれやこれや説明され、で無限大になっていくんだよ!0って面白いよね!とか言ってたのを、鼻に鼻輪のようにティッシュ詰めてアホ面で聞いてた記憶がある。あの先生のように数学オリンピックの問題が!とか言ってるマニア以外が日常で使うことはないが、0は少なくとも間違ってる。プログラマーやってた時に桁落ち、丸め誤差と0割は一応意図する機会があった。小数点以下を知るまでは解なし、知ったら無限大で良いのかなって。
・問題なのは、小学生の算数の範囲で間違ったことを教えてしまった事。 そして、間違ったことを先生が気づいていないこと。 万が一気づいていたとすれば、間違いを間違いと認め即座に訂正する人間性が無い事。 じゃないかなあ。 間違いは誰にでもあるだろうし、もしかすると、数学的に屁理屈を重ねれば正解かもしれないが、少なくとも小学3年生の算数の指導要領では間違いなはず。
・問題(設問)自体が不適切な物はあります。大学入試では頻繁に資格試験でも稀に。教科書ではごく稀に参考書や問題集では頻繁に。予備校の教師や生徒・児童が指摘して発覚することが多いです。残念ながら専門教育を受けていない教師に不適切かどうかを確認することは厳しいと思います。
指導法や教材に間違いがあったとしても担当教師だけでは判別できないケースもあるでしょう。それ自体は制度上教師の質が均質ではないのでしかたないですが、苦手な教師をカバーするようにする仕組みはできないのでしょうか。昔は教師の研修機会は多かった気がしますが。
・以前家庭教師をしていたのですが、開成中学を目指している小学生を指導したことがあります(その子はSAPIXに通っており、結果的に合格)。 毎日10時間ぐらい勉強していて社会にしても算数にしても並の大学受験レベル以上の知識があったことに驚きました。 小学校の授業ではごく基礎的なことしかやらないので、そういう受験生の子供からしたらこの程度のレベルの教師がする授業はさぞバカらしく感じることでしょうね。
・以前家庭教師をしていたのですが、開成中学を目指している小学生を指導したことがあります(その子はSAPIXに通っており、結果的に合格)。 毎日10時間ぐらい勉強していて社会にしても算数にしても並の大学受験レベル以上の知識があったことに驚きました。 小学校の授業ではごく基礎的なことしかやらないので、そういう受験生の子供からしたらこの程度のレベルの教師がする授業はさぞバカらしく感じることでしょうね。
・中学では、0で割る割り算の問題を目にしたことはない。中学生では負の整数も学習して、0は整数だが正の整数でも負の整数でもないと数そのものについて学習を深める。 割り算は逆数をかけるという考えでいくと0には逆数が存在しない。(逆数はその数にかけ合わせて1になる数、この計算法は小学6年生の分数の割り算でも学習する)。 自分が教師ならば、この問題はしなくてよいと伝え02をしっかり教える。 小学算数は、ゆとり教育の時に、円周率「3」で教えていてそう覚えて、中学でπを習うまでそうだった。 学習内容も変わっていく。小学校でヒストグラムー最頻値、中学で箱ひげ図を学習する。 中学歴史からアウストロラピテクスは消え、サヘラントロプス・チャデンシスになっている。 一方変わらないものも国語「白いぼうし」「一つの花」「ごんぎつね」。 数学で0の定義が変わるなんてことはない。
・現役の塾講師です。記事のなかの生徒さんが正解で、先生は明らかに間違っています。18÷0の答えは、0に何を掛けたら18になるかのその「何」が答えになるのですが、そんな数はないので「答えなし」が正解となります。ちなみに0÷0は、0にはどんな数を掛けても0になるので答えは「無数にある」となります。また、割り算の本質は「1あたりいくつか」なのでその意味でも18÷0には答えがありません。これは、速さや割合などの基礎になる「1=単位あたりの量」の土台をなす議論です。小学校の先生には、そのことの重要性を理解したうえで割り算を教えて頂きたいと考えます。
・以前から考えていることだけど、教員の試験にも医師国家試験と同じように「禁忌肢」を設けてほしい。その選択肢をいくつか誤答した場合、点数が合格基準を満たしていても不合格にするというもの。
教採の倍率低下に伴って「そこをしくじってはダメだろう」というレベルの教員が続々入り込んでる気がする。そういうのを教育現場に入らせないための仕組みの一つとして、どうだろうか。
・エンジニアですが、この業界では「ゼロ割」と呼ばれ禁止されています。 他にも書かれた方がいらっしゃる通り、プログラム上は演算不可能でエラーを吐いて設備停止のトラブルに繋がるので、ゼロ割が発生しないことをデバッグでしっかりと確認します!
・ゼロで割るとはどう言うことかをある程度、理解、説明できるようになるためには、数学2の極限を学んでいるかどうかが一つの目安だと思う。 lim x→0 1/x が、プラスマイナスどちらから近づけるかによって、プラス、あるいはマイナス無限大に発散するというのが一つの解釈の方法かなと思う。 そうすると、完全に数学を捨てている文系の人って、例えば大学生でもこれを分からない人はいるものなのだろうか。 私は理系なので、これが分からない大学生がいるかどうかが分からない。 分からない大学生がいるのであれば、こういう事もあるのかもしれんけど、算数を教えるなら最低限知っておきたい数学のレベルがあるよね。きっと。
・皆さんのコメントや返信を拝見しながら、とても内容のあるテーマの記事だなと思いました。 算数の立場、数学の立場、教師を巡る問題、学ぶということ等々。 18÷0=?という問題に正解はあるとして『18÷0=?を出題したことと、18÷0=0を正解としたこと』についての正解はなさそう。 正解のないテーマだからこそ、様々な視点から色々な意見が出る。 このような、正解のないことをテーマに取り上げたねとらぼさんに拍手。
インドやアメリカの小学校で「18÷0=?」という問題をあえて出題したらどのような解答が出され、どのような議論が生じるのか興味深い。
・ゼロで割る答えについて 以前、四谷大塚の通信授業で 算数の先生がとても面白く説明していました。 出題者は算数の奥深さを伝えたかったんだろうね。 正解することだけでなく 深く考えることも必要なことを教えてくれる素敵な一問だと思います。
・中学数学では、方程式を学ぶ時に A=Bならば、A÷C=B÷C、ただしC≠0 と習います。そしてその考え方(割る数≠0)は高校数学にも引き継がれます。
なので小学算数で18÷0=0 と教えるのは、中高で習う数学との整合性もとれなくなるので、やめた方がいいと思う。
高校で理系だと数学Ⅲ「関数の極限」で0除算に近い形は習います。しかし、それでいくと「18÷0は∞に限りなく近づく」なので、18÷0=0はどっちみちおかしいです。
なので、小学算数でへたに0除算を扱うのは止めた方がいいと思います。 学校と塾、小学算数と中高数学で矛盾が生じたりして、子ども達に混乱を招くだけなのでは。
・私の子供は小4小3だけど、私が家で勉強を教えています。私は中学まで学年トップを独走(約350人中)で全科目ほぼ100点だったけど、高校で数学がさっぱりわからなくなりました。文系なのでセンターは丸暗記で誤魔化してどうにかしましたが。 子供を育てるために数学を専門にしている人の本をいろいろ読んで小学校での算数の勉強の仕方に問題があったとわかり、注意して子供の勉強をみています。
子供が先生の間違いに気づく(計算ミスなど誰でもやるものを除く)ことも多いです。正しいものに×をつけられて、後から先生が検索して子供が正しいことがわかることもありました。
小学校でも教科担任制が進むといいのですが、今は人が足りなく、子供の理科専任の先生も理科がわかっているわけではなく間違いが多いです。
先生がわかっていないこと前提で勉強しています。子供には、先生は大勢の子供の世話係で勉強の専門ではないと話しています。
・小学生の息子が小テストといい市販のぶんけいのテストを学校で出されてきます。
よく見ると文章の使い方がおかしいだけでなく回答もどちらとも読める答えを一方が正解としている。 教師の皆さんの大変さは解りますがこの様な状況を丸投げでいいのかとも思います。 せめて、働き方改革を唄うなら教育委員会が一度精査して現場に出すべきかと思ってしまう。 個々の指導や進捗は有るだろうが分かるようにしてあげないとこういうもんだ!では伸びる事が出来ない子も出てきてしまうとおもう
・小学校の算数では「答え0」と定義するのかな?「赤ちゃんはコウノトリが運んでくる」的な。 数学(線形代数学)では0で割ることが禁止されているのでそもそも問題が成立しないけど、小学校で18÷0=0としておいて矛盾しない範囲だけ教育すれば、それでも成人後に生活に困る人はまずいない。それで困る人は数学ではどのように扱われるか将来教わることになるし。 もし算数と数学で定義が違うなら、先生は大人向けの見解をきちんと説明できなければならないし、定義が同じなら、小学生にも数学的な答えを説明できるようにもっと勉強しないといけないね。
・なぜこうなるのか、というのを考えられない教員が増えているのかな。 覚えたらOKな定期テストはできるけど、実力テストや模試はできない人、みたいな真面目タイプ。 地方の教育学部って、偏差値的にも平均か若干それ以下だったりしますが、 その人が能力のある児童をうまく教えるのは難しいと思います。 やはり、魅力的な職場(報酬面や労働面など)にして、能力のある人材に来てもらわないと。もしくは小学校から教科担任制にして、それぞれ教科で能力があるひとが授業をしないと厳しいと思います。
・小学生の頃、塾で「整数をゼロで割れるか」と先生が聞いて、みんな「割れませーん」と教科書通りの答えをしていたが、一人だけ「無限大です」と答えた生徒がいた。バカじゃねえ、とみんな、その子を見たが、先生が理由を答えろといわれて、「整数を小さい数で割れば割るほど、答えは大きくなります」。たしかにそうだねと思った。「だとしたら、ゼロで割るということは答えが無限大になって表現できないということだと思います」とかそんな答えをした。先生が「そうだね」といって、みんな、びっくりしてその子を見た。その子は開成に合格した。できるやつはやっぱりちがうなあと思ったものだった。
・小学校の先生は幅広い分野を教えるから、全てを完璧に網羅するのは無理というような意見を見かけるけど、そもそも小学校はなぜ専門分野毎に先生を分けないのかと、前々から思っている。 そういう声が教職員からも上がっているような話も耳にした事があるが、どういった理由が実現を妨げているのか、わかる人がいたら教えてほしいな。
・経緯はわからないですが、今どき偏差値38以下(ボーダーフリー)の大学出身者の小学校教諭も多いです。つまりは自身も学校の勉強がよくわからないまま教師になっています。ですので、素でこの問題の問題点というか深い意味を何も考えず出している可能性もあります。ほんとに特に今の若い先生は基礎学力がピンキリなんです。免許なんて大学にまじめに通えば誰でもとれますし、採用試験に受からなくても常勤講師でひくてあまたなんで。
・社会にでると文系理系関係なく『数字』が大事になってくる。 難しい数学はいらないが、苦手だろうが実用的な中学までの数学はクリアしたい。 計算も大事だが、文章の読解力や順序立てて物事を考える礎となる。 子供の頃は物事をすっとんで考えがちでそうなると数学はこんがらがる。 ものづくりの国の日本において数学は大事な要素で国力にも繋がる分野だ。 国家政策としてちゃんと数学と向き合わないとどんどん国力が下がっていく。 だから小学校の段階で苦手意識を取り除けるような授業や補修が大事だ。 先生は私立の大学受験では数学がないこともある。 自分は数学が得意な人から教えてもらったことがあるが、非常にわかりやすいし、合理的だ。 わからないまま自動的に学年が上がる日本にとって、数学の苦手意識が強いのはそのせいだろう。 あまりこの問題は意味がないでしょう。実用的でない。 なんなら哲学的な感じで数学研究者が考えるっぽい。
・高校の数学で分母に文字Aを置く場合、Aは0でないとことわりを書かなければならないことを学んだはずです。学校の先生ならばなおさらです。このとき、0で割ることのタブーに触れてると思うのですが。 私は、塾の講師でしたが常に最も簡単な解き方を追求してきました。それが成り立つと生徒が納得できる内容ならば生徒に理由も含めて教えてきました。 すると何年後に学校で取り扱う問題集(県の教職員の関係者で作成)にその解き方が載るようになります。ただ理由説明が今ひとつわかりにくいのが残念ですが。
・小学校の先生は全教科1人で教えてますよね 全教科分の授業の準備を毎日1人でやって 大変だと思いますよ 間違った知識を教える事は駄目だけど ネットで晒されて子供が興味持つような授業をやれとか言われたらも逆に定型的な授業で済まそうと萎縮しちゃうんじゃないの 教師の負担大きすぎ いちいちネットに晒さず親がネットで調べて子供に結果を教えたら良いと思うよ
・例えばいくつかの物を人数で分けるという行為を割り算で表した場合、0÷10の場合は、0個の物を10人で分けるという事が一応成り立つ。 10÷0だと10個の物を0人で分けるわけだから、そもそも分けるという行為が成り立たないから計算しようがない。小学生だったら黒板とかでパネル使って教えたら0で割る事が出来ない意味は理解できると思う。
・確かに算数や数学の本質的には答えも教え方も正しくないんでしょうね。
ただ、テストにするということは先生が授業中に「÷0は0」と言っているのでは?それをちゃんと聞いてたかの確認に過ぎないのでは。 そういう意味では、この子は授業をちゃんと聞いてなかった、ただそれだけの結果なのかなと思います。もちろん、意味を考えることのほうが大事ですけど。
・割る数を0とした割り算を小学校の宿題やプリントで出題するのは全く相応しくない。 もし出題するのなら、この子が答えた通り「答えてなし」とか、「0で割る事はできない」というのが️であって、「」を付けた教師の方が明らかに誤りです。 小学校の段階で、こういうことをやっていると数学に入っていったときに、大きな誤りをしてしまったり、混乱を与えてしまったりするので、絶対にこういう設問は止めるべきでしょう。
・先生が子供に分かりやすく、なのか単に知らなくて、18÷0=0としているのか分からないけど、多少難しくても改変せずに正しいことは教えた方がいいと思う。 円周率はどうなったのかな?私の時は3.14で習ったけど、一時3までしか覚えない教えないみたいな事を聞いた気がする。これだって3だと円周率を図形で証明するときに不整合になるから3.14...とできるだけ厳密にしなきゃいけないんだけど。。これも改変しない方がいいと思ってる
・うちの子も3年生で丁度割り算を習っています。子供の宿題のプリントを見た所ゼロで割る割り算問題が出題されていました。親としては???でしたが、難しく考えるのではなく、単にゼロは何で割ろうがゼロだよと言う感じみたいです。わざわざ教える必要があるのかないのか、3年生には難しすぎる問題だなぁと思います。
・小学生の時に例題としてある数字を家族で割りますみたいな説明されると、答えは分ける人がいたいからその数値って教えるところもあるって聞いたな。掛け算で0を掛けることは学ぶから割り算でも教えるのは自然だと思う。小学生だからこそもっと疑問に思って考えることを教えて欲しいな。詰め込みや暗記なら学校に行かなくても済むからね。
・先生は何でも答えられるスーパーマンじゃないけど、子供たちにとってはそんな存在。 だからこそ、知らない事分からない事間違った事があったら、素直に認めてそれを子供たちに伝えるべきだと思う。先生たちが気軽に頼れる上司も必要だよ。学校だって先生たちにとっては普通の職場なんだから。フォローしてくれる仲間も助けてくれる上司も必須。
こういうもんだから。理由?知らないけど、答えはこれって決まってるの。もういいから、早く席に戻りなさい。なんて言い方する教師って昔も今もいるから。 学校は大人からの理不尽を学ぶ場所じゃない。
・この例に違わず、数学では定義をまる覚えした方が使えるようになることが多い。 高校で連立方程式を解くのに、行列式を習ったが、回数をこなして解き方をまる暗記したおかげで、50年以上経過していても行列式を使いこなすことができる。
・小学校の算数ではそう教えるようになっているのかもしれませんが、 例えば円周率を「正確じゃないけど3と覚えておきなさい」は将来より正確なことを教わるから今は簡易的にこう覚えなさい、でよいと思いますが、 0で割って答え0は将来正確なことを教わることと全く答えが異なるわけで、教育として問題あると思います。
・先生に出題意図と答えの導き方を聞いてみるしかないよね…。 そうでないと、バツを付けられた子どもに、問題がよくないとか先生が間違ってる可能性が高いとか説明しないといけなくなる。 ゼロで割れない、というのを暗記させても意味がない。割るというのはどういうことか、分割しかしてないのに合計がなくなってしまうなどということが定義上起こりうるのか、でも元がゼロのときは分割しても合計はゼロだから成り立つ余地があるのではないか、とか、考えさせてみるのは良いことだと思うけど、18割る0が0はないのでは…。
・娘が算数の授業で割りきれない数の計算を教えてもらいだした頃、10÷3=?で解き方を聞いてきたので得意気に割りきれないから3.333...てなるよ。と説明するものの何か反応が変で泣き出してしまいました。なぜ泣いてしまったのか訊いてみると答えは、
3あまり1
で先生から解き方を言われたのにパパと説明か違うから混乱して泣いてしまった、とのこと。嗚呼、そういうことね、と冷や汗をかいたのを思い出します。
・イコール=は左辺右辺が同じとした場合です。0はおかしい 18個のチョコレートがありました。数人で分けるはずだが、誰も来なかった。 分ける事ができませんでした。チョコレートは18個余りました。 18÷0=0余り18 が正解だと思う。 大先生の回答は0で割るとチョコレートが異次元に飛んでいくことになりますね。
・学校の先生、特に小学校の頃は親より偉い人みたいな位置づけでした。 もう50目前の私ですが、小学校の体験を思い出しました。 算数の授業参観でいろんな図形の面積についての授業だったと思います。 同じ長さのひもで三角・四角を作ってどれが一番面積が広いかという問題だったと思います。私は円が一番広くなると答えたら、選択肢にないからバツでした。それは円周率を習う前だったので素直に認めましたが、四角の場合に正方形が広いのはなぜかと質問したところ先生が困ってしまい、授業参観が開始10分で崩壊したことを覚えています。 高校数学(この時代は基礎解析)で十分説明できる内容だったにもかかわらず結論は分かりませんという答えでした。 この先生は国語が得意な先生でした。公立の学校はここが限界なのかなと思います。高校数学は忘れてしまっていたのでしょうね。 諸外国に差をつけられた現状はこのころから始まったのかもしれません。
・20年前ですが、私が小学生の時は、こんな問題だったらなんて答えるでしょう?と、先生が0で割る問題を出してみんなで考えました。0と答える人もいたし、ん?となる人もいたけど、当時の先生の答えは「答えられない、とか答えなしが答えです」でした。「こんな問題はありません」とも言ってました。 当時の学習指導要領がそうだったのか、今は違うのか、先生によって違うのかわかりませんが、そんなことで答えが変わるようだと良くないですね
・30年以上前ですが、当時中学の数学のどの分野だったか忘れましたが、先生が0で割ることはできないので、電卓でもEエラーとなることを電卓を見せて教えていたことを思い出しました。答えより今回のなぜ?思うことが大切だと思います。そういう意味では、答えなしと書くことに対して先生が、確かにそうだよねと感じたか、何も考えず0を正解として認識していたか気になりますね。
・「解なし」を導く問題なのかしら??
公開中のドイツ映画「ありふれた教室」の授業シーンで「0と0.999にイコールが成立するか」というのがあった。 生徒が黒板で解答するのですが、先生は他の生徒に「今の説明は証明?それとも主張?」と聞く。これには本当に驚いた。
実社会では答えが出ないも話題だらけ。数式を題材にして「正答が出ない問題」を生徒が議論しながら進める授業は日本でもたくさん取り入れるべきと思います。
・全教科を一人の先生が担当しているので、こういう問題が少なからずあります。 漢字のプリントを横書きで出したり、歴史を全く理解していなかったり・・・。
でも、それを見つけて、先生を責めるのも酷な話だと思います。 家庭で、丁寧に子供に対応しておくのが最適解なのかな。と思います。
でもギフテッドにとっては、拷問に近いかもしれませんね。
近頃、ようやくギフテッドってなに~?くらいまでにはなってはきましたが。
親御さんが、しっかりブレずにお子さんに向き合ってあげることが一番だと思います。
・教職は教える立場なので間違った解答をする時点でダメでしょう。そんなことがまかり通ってるから教育の質が落ちるんですよ。 出題する前に調べましょうよ。 たまたま小学生が疑問に思ったから表面化しただけで教員が間違った指導のまま育っていく子供が沢山いる事実をわかってほしい。 【先生】と呼ばれる責任感をもっと持って欲しいと思います。
・小学校の時に授業科目を担任が全部やるのじゃなくてそれぞれの専門の人がやればいいのに、って言ったら先生からバカにしているのかと罵倒されてずっと当たり強かったけど、自分の強い科目だけ「この科目は素晴らしい」って言って苦手科目は「こんなん何の役に立つのか知らん」っていうやつだったし、それならまだそれを楽しいと思って、ちゃんと教えようとしている人にやってもらった方がいいと思ったなぁ。 まあ、先生が変わる音楽も苦手だったから練習していったら「サボったな!サボってできないのとそうでないのはわかるんだ!」と理不尽に怒られたり、「音楽は人に備わった自然なものだからできないのは人として大事なものが欠けてる証拠」とか言うの居たし、結局はレベルなんだろうけど。 正直、こんな指導要領で教師も指摘できないのなら、授業は塾講師に委託して担任はクラス運営と学校行事だけにしてタスクと人員削減すればいいと思う。
・小学校だと数学はおろか理系でもない先生が算数を教えることも多いだろうから、不十分な知識で教えてしまうことが正直あると思う。0での割り算の話がそんなに多いなら、数学者の学界などで小学生向けの標準的な説明を公表したらどうか。自分としては0で割ることは演算不能、だと思うが小学生には演算という言葉も難しいので、計算できない、あるいは、答えなし、でも良いのではないかと思う。0で割ったら0、というのは間違った説明だと思うが、専門家はどういうのだろうか。
・私は小中と公文をやってました。 当然のように️積と商が含まれる式の中に0があったら考えずとも答えは0と書いてました。 公文は正確さとスピードなので。 自分の子供も公文をやってますが、同じところで、式の中に0があったら0だと教えました。 私が当たり前のようにそんな教え方をしなければ、子供は何で0になるのかきっと考えたかもしれない。私は考えるなとまで言いました。 だから、私は本当は勉強は塾などのプロに任せたいと考えているのだけど、子供が習い事を優先させたいと言うから。 子供のせっかくの考えを潰してるんじゃないかと不安に感じる。 ただ、通信の学習教材を活用してるし、ダンナはかなりの理数系だから、180の見解を聞いてみようと思う。 ちなみに来年から塾に行く予定でいるが。
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