( 184555 )  2024/06/26 01:39:59  
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田原総一朗 

 

 90歳を迎えても、いまだに現役ジャーナリストとして活躍し続けている田原総一朗氏。読者の中にも、“代表作”である「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日)を熱中して観た経験がある人は多いのではないだろうか。 

 

 最近『全身ジャーナリスト』(集英社新書)を出版し、生涯現役宣言をした同氏に、今までのジャーナリスト活動で特に思いが深かった体験や、「ジャーナリスト田原総一朗」の後継者となるような人はいるのか、テレビへの思いなどについて聞いた。みんかぶプレミアム特集「さよなら、テレビ」第5回。 

 

ーージャーナリストとして、これまで取り組んできたことについて、あらためてお聞かせください。 

 

田原総一朗 

 

 僕はこのジャーナリスト人生の中で、3つのことを実現しようという思いで活動してきました。 

 

 まずは、言論の自由を守ること。これは結構難しい。でも、タブーにも臆せず発言してきた。基本的に、思ったことは何でも言います。 

 

 次に、この国を、二度と戦争をさせない国にすること。 

 

 最後に、野党をもっと強くすること。 

 

 なぜ野党を強くしたいのか。それは、野党を強くしないと、自民党がたるんでしまうでしょう。だから裏金問題も起きてしまった。もしアメリカやヨーロッパで裏金問題なんて起きたら、すぐにでも政権交代するでしょう。でも、日本はそうならない。こんな国、他にありません。日本を政権交代ができる国にしたい。その点では、二度も非・自民党政権をつくった小沢一郎さんには今も期待しています。 

 

ーー田原さん個人も、政権に対して影響を及ぼされてきましたよね。 

 

田原総一朗 

 

 僕は、これまでの人生で3人、現職の総理大臣を失脚させました。宮澤喜一、海部俊樹、橋本龍太郎の3人。 

 

 宮澤さんは僕の師匠的な存在でもありました。当時、後藤田正晴さんが「中選挙区制は金権政治になりやすいから、小選挙区制に変えるべき」と主張していて、宮澤さん自身も実は、その意見に賛成でした。 

 

 ただ、テレビの場で話すことには乗り気ではなかった。インタビュー前に宮澤さんが「今日は政治改革の話は無理です」と伝えてきたのですが、僕は「宮澤さんが嫌だと言っても訊きますよ」と強く出た。 

 

 インタビュー直前になって、宮澤さんの気持ちが変わったのか、念を押したかったのかはわかりませんが、「政治改革のことを訊きますか?」ともう一度聞いてきたので、「訊きますよ」と返すと、「じゃあ、やりますか」と言ってくれました。 

 

 インタビューは、こんな具合で進みました。 

 

「政治改革はおやりになるのですか」 

 

「やります」 

 

「くどいようだけど、本当にこの国会でできますか」 

 

「私が責任を持ってやるんですから」 

 

「もしできなければ、首相を辞める?」 

 

「いや、だってやるんですから。私は嘘をついたことがない」 

 

 この発言は、すぐにテレビや新聞で拡散されました。ところが、最終的には梶山路線のまま政治改革をやらないこととなり、野党が宮澤さんを「嘘つき」扱いして内閣不信任案を提出。不信任が成立して、宮澤さんは衆院解散に追い込まれることとなりました。 

 

 ただ、今思えば、このとき、小選挙区制導入を応援していた僕の罪も大きかった。というのも、小選挙区制が導入されたことで、僕がやりたかった二大政党制が実現しにくくなってしまいましたから。それに、小選挙区制のもとでは、党の執行部に反対したら公認されなくなるために、自民党内もイエスマンばかりで、多様性がなくなってしまいました。その典型が安倍内閣でした。 

 

田原総一朗 

 

 

 
 

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