( 184745 )  2024/06/26 17:45:06  
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世代を通して見えてくる社会の構造について論じ合います(撮影:今井康一) 

 

若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。 

企業組織を研究する経営学者の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――たとえば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。 

 

Z世代を通して社会構造を読み解く舟津昌平氏 

 

本記事では、著者の舟津昌平氏と歴史評論家の與那覇潤氏が、Z世代を通して見えてくる社会の構造について論じ合う。 

 

■もてはやされ、忘れられる若者 

 

 舟津:本書では、Z世代を読み解くテーマの1つとして「就活システム」を論じており、就活の早期化やインターンシップ、内定後の研修などへの疑問を投げかけました。周りの教員の中にはこうした問題をうまく乗り切っている方もいれば、問題にぶつかっている方もおり、そして少なくない方が問題を「そんなもんだ」と受け入れてしまっています。実践的な解決法として「無視する」、つまり見ないことにして放っておくことは多いんです。実際のところ、就活システムをとやかく論じるのは別に大学教員の仕事ではありませんし。 

 

 でも私は、もっと根本的な原因や背景を考察したいと考えていました。若者をめぐる違和感や疑問について本にまとめて、建設的な意見を提供できれば、と思ったんです。そう思ったきっかけに、與那覇先生の「デオドラント化(=少しでも不快に感じたら排除し、無臭化する社会)」という概念を扱った記事をはじめ、先生の論考との出会いがありました。 

 

與那覇:本書で言及を見つけたときはとても嬉しく、応答するnoteを書かせていただきました。改めてありがとうございます。 

 

 舟津:特に印象に残ったのは、「歴史を忘れた日本(人)」というフレーズです。そこから、自分が抱いた違和感や経験をきちんと振り返って形に残し、「歴史」の一部として示すことで、多くの人に共有したいと思いました。就活システムの歪みや不備を学生も感じているのに、生き残るために仕方なくそのシステムに従っています。異論をはさむよりも黙ってやったほうが楽だ、という空気もあるんです。でも、私はそういった違和感を言葉にして発信することで、少しでも建設的な議論ができればと思っています。 

 

 

 與那覇:まさに必要なことですよね。とりわけ本書の優れた点は、著者の舟津さん自身がふだん教えている学生たち、つまりZ世代に対して感じる「違和感」を大事にしていることだと思います。いまZ世代と銘打つ本は「彼らに共感・期待」みたいなものが多く、年長者が「私はまだまだ若い世代と同じ!」とPRするツールになっていると感じていたので。 

 

私の『平成史』でも書いたのですが、年長者が若い世代に「合わせよう」とする傾向が強まったのは、2010年代の前半からでした。脱原発や安保法制批判のデモに接して、「若い人も来ている。つまり私の主張は若者と同じ!」という形で満足する人が続出しました。 

 

 一方で10年代の後半には、AIブームなどの未来主義やポリティカルコレクトネスが流行し、「お前の感性はもう古い」と叩かれることを恐れる人が増えた。その結果、「年齢を重ねてきたからこう言える」といった成熟した価値観を、誰も表明できなくなっています。 

 

 これに対して本書は、大学の教室で舟津さんが学生に「なんだこいつら」と感じる違和感から出発する。しかしそこで一方的にダメ出しするのではなく、「彼らの世界観ではなぜ、こうなるのか?」と問いつつ掘り下げることで、「こういう論理になっていたのか!」と腑に落ちる答えが見えてくる。断罪でも追従でもない、正しく相互理解をめざしたZ世代論になっていますよね。 

 

 舟津:ありがとうございます。この本は、パッと見はZ世代に関する本のように見えるかもしれませんが、実はそれだけではないんですよね。ちまたのZ世代本は「こういう人たちだから、こう対策しましょう」という「対策本」が大半です。なんかわからないけど新しいものが出現していて、でもそれはハックすれば乗っかれるんだよ、という。與那覇先生がおっしゃったように、新しいものに乗っかる発想が前提にあるんです。でも、私はそれに疑問を感じていて、その違和感を考察して伝えたいと思っていました。 

 

 

 この本を出してみて、読者の方の多くが「私はゆとり世代です」とか「Z世代とゆとり世代の間です」と世代を表明されます(笑)。実は、ゆとり世代の話ってあまり振り返られていないんですよね。騒いだ割にはちゃんと追跡調査がされていないように感じます。そのうち、新しい世代の話に移ってしまう。今は「Z世代、Z世代」と言われていますが、次は「α世代」の話になるのでしょうね。ポジティブに語ろうとするけど、忘却も早い。 

 

■Z世代にすがる社会 

 

 與那覇:そもそも若い世代といえば「持ち上げるもの」だというのが前提になっていること自体、ちょっと奇妙な現象ですよね。ゆとり世代はむしろ、叩かれる対象でした。大人が決めたカリキュラム削減ゆえではあっても、「勉強不足で使えない」みたいに。 

 

 私はさらに年長の「就職氷河期世代」ですが、共感というか同情されることは一応あっても、「氷河期を創意工夫で乗り切った人はクリエイティブ!」みたいに褒められた記憶はない(笑)。しかしZ世代に対してだけは、なぜかみんな「期待」を語る。それは、もう新しいものにすがる以外、希望が持てない社会の表われかなとも感じます。 

 

 舟津:そうですね。ゆとり世代は「ディス」に用いられることが多いのに対し、Z世代はキラキラしたイメージで語られることも多く、ビジネスの商材になっている部分があります。たとえばTikTokは若者の支持を得ていると同時に、TikTokのレポートを見るとZ世代の支持を最大限活用しようとしていることがわかります。虚実ないまぜの、虚寄りの若者像が作られていくわけです。そしてそれが広告塔になる。 

 

 與那覇:「Z世代はメディアが煽るほど、本当にエシカル(倫理的)なのか?」を検証する本書の筆致には共感しました。どんな世代にも「自分は周りと違って、意識が高い」と自認するタイプは一定数います。そうした人の関心が、2000~2010年代ならITで起業するなどビジネスに向かったのに対し、2020年代にはむしろ政治を意識しだしたという面はありますよね。「気候変動に興味があります」とか、「ガザ問題をなんとかしたい」とか。 

 

 

 そうした「一部の人たちの関心の対象」が変化しただけなのに、Z世代が丸ごと「倫理感が強く、よりよい社会を求めている」かのように持ち上げる論調は、明らかにやりすぎ。逆に言うと、これからどう成長するかがわからない世代に賭けることしかできないくらい、現実の政治の中で追い詰められている年長者が多いのでしょう。 

 

■「若手のために」という無責任な言葉 

 

 舟津:今の話を聞いて思い出した例が2つあります。1つは、企業の話です。最近いくつかの企業が、若者を重役に起用することで話題を集めています。たとえば、女子高生をChief Future Officer(CFO)に任命するとか、20歳ちょっとの女性を社長に抜擢するとか。普通に考えると経営のセオリーから外れた人事であって、Z世代のキラキラしたイメージを売りにする狙いもあるのだろうなと。 

 

 與那覇:CEOをもじってCFOだと。確かにキラキラしていますが、なにをする役職かよくわからない(苦笑)。 

 

 舟津:もう1つの例は、研究者の界隈で、よく「若手若手」と聞くようになりました。 

 

 與那覇:大会で「若手シンポジウム」を開くとか、「若手の就職問題対策委員会」を作るといった学会が増えているみたいですね。 

 

 舟津:そうなんですよ。学会における若手はZ世代よりもうちょっと上ですし、私自身はぼちぼち若手扱いされなくなっていますが……。もちろん相対的に「持たざる者」である若手を支援するのはよいことですし、必要です。ただ率直に思ったのは、若手より上の年になったら、どうしていけばいいのかなと。中堅とかシニアの方がいろんなことをパワフルに頑張ってくれるのも若手はうれしいと思うんですけども、みんな「若手のサポートをします」と言う。全員が、若手のため「だけ」に生きているような。 

 

 その正体は與那覇先生がおっしゃったようなある種の行き詰まりがあって、無責任にキラキラした未来を信じたい願望の表れが「若手のために」という言葉なんだと思います。 

 

 與那覇:過去と未来となら、まだ定まっていない未来のほうがキラキラさせやすいわけですね。私が「デオドラント化」と呼ぶのも、実態の把握ではなく「キラキラ感」の演出が優先される風潮を指すものです。なにひとつ悩みのない理想の未来社会を「プレゼン」し、そこから逆算する形で、ソリューションを出せる範囲でのみ社会問題を「発見」する。そうした本末転倒が広まってはいないでしょうか。 

 

 

 
 

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