( 185055 )  2024/06/27 16:32:53  
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黒田東彦(写真=桑嶋 維) 

 

あらゆる職業を更新せよ!──既成の概念をぶち破り、従来の職業意識を変えることが、未来の社会を創造する。「道を究めるプロフェッショナル」たちは自らの仕事観を、いつ、なぜ、どのように変えようとするのか。『転職の思考法』などのベストセラーで「働く人への応援ソング」を執筆し続けている作家、北野唯我がナビゲートする(隔月掲載予定)。 

 

中央銀行トップとして、異常なデフレと10年の格闘。異次元緩和「黒田バズーカ」の覚悟はどこから来たか? 

 

 

北野唯我(以下、北野):わが国の中央銀行総裁を10年勤めて、仕事の難しさはどこにありましたか? 

 

黒田東彦(以下、黒田):2013年に就任するまでの15年間、先進国でも途上国でもデフレがこれだけ続いた異常な国はありませんでした。量的・質的に大規模な金融緩和を皮切りに、デフレ克服へ向けたあらゆる政策を実行しましたが、それでも時間がかかってしまった。これが最も難しかった点です。 

  

コロナ感染症が広がる2020年までの8年間で経済が活性化し、企業収益は空前の水準に達しました。500万人以上の新規雇用が生まれ、失業率も大幅に下がった。しかしいくら景気がよくなっても、なかなか物価上昇率が1%を超えないし、賃金もほとんど上がらない。日銀のスタッフも理由を探しましたが「15年続きのデフレで、人々のマインドセットがそうなってしまっている」という結論でした。 

 

北野:退任会見では、強固な「ノルム(社会通念)」に悩まされたと表現されました。 

 

黒田:ソーシャルノルムとは情緒的な言い方ですが、経済学的に言えば期待インフレ率が0%程度から動かなかったのです。せっかく大幅な金融緩和や政府の財政政策、構造改革を通じて景気は回復し、企業収益は十分なのに、賃金が上がらない。実際にデフレ期の物価はマイナス0.3%ほどでマイルドな下落率でしたが、名目賃金は毎年0.9%くらいずつ下がりました。ボーナスもどんどん削ったわけです。1998年以降、企業と組合が「正規雇用を守る代わりに、賃上げを要求しない」と示し合わせた結果でした。 

 

北野:内部留保に回ってしまったと。 

 

黒田:このノルムを打ち破ったのが、皮肉にも2022年に始まったウクライナ戦争です。資源やエネルギーの価格が一気に上がったことで輸入物価が大幅に上昇し、それが消費者物価に反映された。物価がそんなに上がったなら、雇用者の賃金を釣り合わせないといけないと思った企業が多かったのです。 

  

もしこのタイミングで景気が悪く、企業収益も良くない状況だったら、賃金も上がらなかったし、単に物価だけ上がって成長率がマイナスに落ちていました。大幅な金融緩和によって経済が完全に復調していたからこそ、賃金が上がり、長期インフレ期待も上がってきたのだと思います。 

 

 

■「何が何でもやる」という態度を見せる 

 

北野:日銀総裁時代、信念をもって大胆なゼロ金利政策を断行する姿が印象的でした。振り返って、ご自身のキャリアの原点はどこにあるでしょう。 

 

黒田:ひとつは大蔵省の若手時代にオックスフォード大の大学院でジョン・ヒックス名誉教授(72年ノーベル経済学賞を受賞)に学んだ経験でしょうか。ある日の金融論ゼミにイングランド銀行の理事がゲストスピーカーで来ました。白熱した議論の後、いつも教授がポイントをうまくまとめるのです。「イングランド銀行が公定歩合を0.25%上げただけで景気の過熱が止まり、インフレ率が低下した。なぜか?」と。答えは「必要ならこの後にいくらでも公定歩合を上げる用意がありますよ、という強い姿勢を示したから」。今から半世紀前に、市場の期待に働きかけるコミットメントの重要性を説いたのです。 

  

自分が日銀総裁になってから、デフレを収めるために「2%の物価安定目標を達成するまでは何でもやるぞ」という姿勢を示せたのは、このときの経験が生きたかもしれません。 

 

北野:総裁は「強い姿勢」を示す発信力が必要なのですね。 

 

黒田:まずは、その時々の経済や金融の状況を正しく把握して分析することが重要です。それを踏まえて、やるべき政策を決断することが必要です。 

  

例えば、2012年の欧州債務危機ではイタリアとスペインの国債が大暴落したわけですが、ECB(欧州中央銀行)のマリオ・ドラギ総裁は「Whatever it takes(何でもやってやるぞ)」という有名なフレーズを発しました。EUの中央銀行がイタリアとスペインの国債を買い支える、と宣言したわけです。 

 

普通に考えたらルール違反と言われそうですが、そんな悠長なことを言っていたらユーロが崩壊してしまう。異常な状態に対しては、異常と言われるような政策で対応するほかない。結局、彼の発言によって危機は収束に向かいました。 

 

北野:まさに、決断力。 

 

黒田:こうした能力はドラギに限らず、FRB(米連邦準備制度理事会)議長だったベン・バーナンキにせよ、ジャネット・イエレンにせよ備わっていました。 

 

北野:お互いのキャラクターまで把握しているのですか? 

 

黒田:中央銀行同士、顔を合わせる機会は多いです。IMF(国際通貨基金)の会議が年2回、BIS(国際決済銀行)の総裁会議が年6回、ほかにG7でもG20でも会議があります。 

  

相手の政策を批判して「こうしてくれ」という下品な話はいっさい言いません。ただ、お互いが抱えている問題を率直に話し合う。コーヒーブレイクでヒソヒソ話すこともあるし、電話してもいい。いろんなかたちで意見交換します。 

  

金融というものは国際的に波及しますから、他の国の中央銀行総裁とフランクに話し合える関係を築くのが大事です。 

 

 

■2つの武器が「決断」を後押しする 

 

北野:若い世代に向けて黒田さんがよく伝えている話はありますか。 

 

黒田:15年間のデフレ期に大学を卒業した人は、自分の意に沿わないところに就職したり、非正規雇用になったりして、大変な苦労をしたと思います。いわゆる就職氷河期にそういう状況にあった人たちをさかのぼって救済することはできません。 

 

北野:先日の国会でも話題になっていましたね。 

 

黒田:異常なデフレは単なる経済問題ではなく、根深い社会問題を引き起こします。当時の政策が不十分だったのかもしれないけれど、最大の原因はやはり80年代後半のバブル経済とその崩壊です。 

  

ただ、現在の日本経済は米国経済と同じぐらい順調だから、あまり未来を悲観することはないと言いたいです。設備投資もきわめて順調で、労働生産性が上がっていくでしょう。これまで0.7%ほどと言っていた潜在成長率は1%くらいで続くかもしれない。日本企業の技術開発力やサービス、新商品の開発力も衰えていません。 

 

北野:黒田さん的には、日本の未来は明るい。 

 

黒田:その通りです。1つだけ問題を挙げるなら「教育」です。先月までコロンビア大の大学院で教えてきましたが、日本に比べると特に文系のレベルがとても高いと実感しました。OECD(経済協力開発機構)のデータによれば、日本の初等教育や中等教育は、パフォーマンスも予算もトップレベルです。ところが大学レベルになるとOECDの加盟国でもかなり下のほうで、パフォーマンスも低いし、お金も使われていない。日本が米国の大学を卒業した人をどんどん採用できればいいですが、国内のレベルを上げておく必要があります。結局のところ、技術開発力は人に依存しますから。 

 

北野:昨年になって、ようやく国が10兆円規模の大学ファンドを創設しました。 

 

黒田:そういうところにドンとお金を使うのは、とても良いことです。 

  

会社でも政府でも、いろんな状況に応じて「何をするか」を決めるときには、経済学あるいは経営学の理論を十分マスターしておいてほしいという希望があります。理論的な流れや運びというものを理解しておくことは、大切な武器になる。 

  

ただし、理論とは抽象的であり一般的なものに過ぎないので、その時々に直面している課題について一義的に回答が出せるわけではありません。 

 

例えば、大きな経済政策であれば総理や大臣が決めますが、具体的なアクションにする場合、局長や課長クラスがそこで判断しなければいけない。そのとき、どの範囲だったら実行が可能で、さらに有効な打ち手になるのか。その決断は理論だけからは出てこないので、やはり経験が求められるし、同僚らとの議論を通じて発見していく必要があります。 

 

つまり、理論なしにやるのも危ないし、理論だけで教わった通りにやれるという話でもない。いつの時代にあっても、「理論」と「経験」の両方が要ると伝えています。 

 

 

■COLUMN インタビューを終えて 

「経済の魔物」と戦うために、必要だった3つのスキル 

 

「日本銀行総裁に指名したい」 

 

受話器の向こうには、当時の総理大臣・安倍晋三氏。正真正銘、日本のトップからのオファーだった。しかし、迷いはあった。というのも、前年に黒田氏はアジア開発銀行総裁に三選されたばかり。しかも加盟67カ国全員一致での結果だった。葛藤はあっただろう。だか、彼は決断した。 

 

「デフレを脱却しないとこの国に先はない」。1本の電話が天命を決めた。 

 

黒田前日銀総裁──メディアで見てきた印象は、鋭い眼光に意志貫徹の強面。だが、今回印象に残ったのは、優しさを含んだ笑顔だった。その日、私たち取材班は、国立新美術館の隣にある政策研究大学院大学を訪れた。話を聞けば聞くほど、黒田氏のキャリアは日本の経済史そのものだと感じた。 

  

1971年ニクソンショックの変動相場制への突入から始まり、73年秋から翌年の第一次石油ショック。直近だと2008年のリーマンショック、20年からのコロナ禍と22年からのウクライナ侵攻。異常事態の連続の中、彼は常に重要な組織・ポジションに立ち、国益のために経済の魔物と戦ってきた。 

 

そんな黒田氏に私は素朴な質問をぶつけた。「中央銀行総裁になるために必要なスキルを3つ挙げるなら何でしょうか」と。 

 

彼は事例を交えながら丁寧に教えてくれた。1つは分析力。2つは決断力。3つは対話力。「分析」と「決断」はわかるが、「対話」は意外かもしれない。 

  

総裁の仕事は常に対話を求められる。市場との対話はもちろん、例えば、アジア開発銀行では67カ国の利害関係をまとめ上げる必要があり、当然、各国の代表者との事前調整と対話が必要になる。また、プライベートでは、大蔵省(現財務省)の同期と頻繁に会ってひじょうに仲がいいという。私が感じた「優しい表情」は、まさに総裁に必要な隠れたスキルなのだろう。 

 

日銀総裁として10年。振り返ると黒田氏のキャリアは、強固なソーシャルノルムとの戦いだった。バブル崩壊から尾を引いた、歴史上の異常事態とも言える長期間に及ぶデフレとの戦い。企業利益は伸び、失業率は半減したが、長らく物価と賃金は上がらなかった。しかし、24年に入りそのノルムは変化の兆しを見せている。 

  

日本で、いや、世界で唯一の経験をした人物から語られた話。それは「天命に導かれたキャリアの物語」だったと私は感じつつ、六本木を後にした。 

 

 

黒田東彦◎1944年、福岡県生まれ。政策研究大学院大学(GRIPS)特任教授、同政策研究院シニア・フェロー。67年東京大学法学部卒業後、大蔵省入省。71年英オックスフォード大学経済学修士課程修了。国際通貨基金(IMF)出向、国際金融局長などを経て99年から2003年まで財務官。内閣官房参与、一橋大学大学院教授を歴任後、05年アジア開発銀行(ADB)総裁。13年第31代日本銀行総裁に就任、18年再任。24年4月まで米コロンビア大学国際公共政策大学院客員教授を務めた。瑞宝大綬章受章。 

 

北野唯我◎1987年、兵庫県生まれ。ワンキャリア取締役 執行役員CSO。神戸大学経営学部卒業。博報堂へ入社し、経営企画局・経理財務局で勤務。ボストンコンサルティンググループを経て、2016年、ワンキャリアに参画。子会社の代表取締役、社外IT企業の戦略顧問などを兼務し、20年1月から現職。著書『転職の思考法』『天才を殺す凡人』『仕事の教科書』ほか。近著は『キャリアを切り開く言葉71』。 

 

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