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出生前診断で障害が判明 〝命を選択する〟葛藤、出産を選んだ母 #令和の子 #令和の親

共同通信 6/27(木) 18:04 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/8b2a2b193a1c5724e4ea7dd198424b17ebaceb61

 

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川井さんは、2人目の子どもを妊娠した際に出生前診断で障害が判明し、中絶しようと考えたが最終的には娘を出産。

その後、隆也さんと久美さんという2人の障害を持つ子どもを育てることになった。

障害を持つ子どもたちの成長と向き合いながら、子育てに関する悩みや支えを得ることもあった。

川井さんは、子どもたちとの出会いを後悔していないとし、子どもたちが地域社会で受け入れられ、自然に暮らせるように願っている。

川井さんは、子どもたちとの日々の幸せを大切にし、将来につながると信じて楽しく生きていく姿勢を示している。

(要約)

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スマートフォンで動画を見る久美さん(仮名、手前)と川井さん(仮名、奥)=2024年2月、高松市 

 

 妊娠中に染色体異常などお腹の子の障害や病気を調べる出生前診断。障害が判明すると、命をめぐる重い選択に向き合うことになる。14年前、香川県高松市の川井真理さん=仮名、当時43歳=は、2人目の子どもの妊娠時に出生前診断を受け、胎児に障害が判明した。1人目の長男にも障害があったため「障害がある子を、2人は育てられない」と、当初は中絶するつもりだった。だが「私がこの子の心臓を止めていいのか」と悩み抜いた末、長女を出産した。これまでの子育てで川井さんは何を感じ、どう考えてきたのか。10年以上前に取材した筆者が、その後の思いを聞こうと再び訪ねた。(共同通信=船木敬太) 

 

 川井さんを初めて取材したのは2013年。出生前診断をめぐり、当事者である母親たちから体験を聞くためだ。当時、長男の隆也さんは6歳、長女の久美さんは2歳だった=いずれも仮名=。 

 久美さんの染色体異常は、2009年に受けた出生前診断で判明した。夫=当時40歳=はそれでも出産に前向きだったが、川井さんは長男の隆也さんに障害があったため、中絶するつもりだった。「今でさえ大変なのに、同じように障害がある子が生まれたら、長男の世話もできなくなってしまう」と考えたからだ。双方の実家も「産まない方がいい」という意見だった。 

 ただ、川井さんはすぐに中絶を決断することもできなかった。超音波検査のモニター画面で動くわが子の心臓をみて「私がこの子の心臓を止めていいのか。こんなに元気に動いているのに」とためらっていた。 

 

久美さん(仮名、左)と隆也さん(仮名、右)は仲が良く、一緒にいることも多い=2024年2月、高松市 

 

 母体保護法で中絶が認められるのは妊娠22週未満。毎日のように泣いて、悩んでいた川井さんを変えたのは、そのタイムリミットまで3日となった、ある眠れない夜だった。夢か現実かも分からないが、どこかから「今度はちゃんと産んでね」という声が聞こえたという。 

 実は川井さんには、長男が生まれる前に女の子を中絶した経験があった。妊婦健診をきっかけに、その後の検査で胎児の脳の異常が判明。「非常に症状が重く、妊娠を継続できるかも分からない」と告げられ、やむなく出産を諦めた。 

 そして、またお腹に宿して産むか悩んでいるのも女の子。かつて産めなかったわが子に告げられたような思いがしたという。「今度は諦めたくない」と、出産に大きく傾いた。タイムリミットの前日、それまで反対していた川井さんの母が根負けしたように「悩んどるってことは、本当は産みたいんだろう。産みたかったら産めばいい。『この世のことはこの世で』っていうしな」と認めてくれ、決意した。 

 

 

 2010年春、久美さんを出産。親友からは「これから大変だ。わざわざ苦労を抱え込まなくてもいいのに」と心配されたという。 

 かつて取材した際、川井さんは就学前の子どもたちを見つめながら「いつか『母さん』と呼んでほしい。『かあ』でもいい」と、切実な思いを話してくれた。2人とも重い知的障害で、言葉が話せないからだ。兄妹はそれでも仲が良く、川井さんは「妹が泣くと、兄が手を差し伸べるような仕草をして落ちつかせる」と教えてくれた。 

 「親も友達も、私に『苦労ばかりして』と言う。確かに大変だし、心配もいっぱいあるけど、苦労と感じたことはない。子どもたちは神様がよこしてくれたんだから、笑って、頑張って、育てる」。そう意気込んでいた。 

 

2人の特別支援学校の制服、隆也さん(仮名)は高等部、久美さん(仮名)は中学部に通う=2024年2月、高松市 

 

 それから10年あまりが経過した2024年。川井さんに「その後」について改めて取材させてもらった。「あの時は肩に力が入っていたのですが、今は自然に子どもたちと向き合おうと思っています」。川井さんは笑顔で、子ども2人の成長と当時の決断について、思うことを話してくれた。 

 隆也さんは人数が多い場所が苦手だったため、小学校入学時から特別支援学校に通った。今は高等部。少しずつだが、身の回りのことができるようになってきているという。来年には卒業し、障害福祉サービス事業所に通う予定だ。 

 久美さんは「地域の子どもたちと一緒に育ってほしい」との願いから地元の小学校に入学させた。話せない久美さんにはハードルが高かったが、1年近く前から学校側と何度も相談を重ね、特別支援学級に受け入れられたという。川井さんは「子どもたちには、本当に仲良くしてもらった」とうれしそうに話す。 

 4年生から学校のカリキュラムが難しくなり、久美さんは特別支援学校に編入したが、その後も双方の学校の先生たちが話し合って、以前の地元の小学校と年数回、交流する機会をつくってくれた。 

 

 川井さんには強く思い出に残っていることがある。久美さんは小学4年生の秋、久しぶりに以前の学校を訪れた。川井さんも付き添っていたが、久美さんは同級生との再会に興奮してしまい、授業で思わず大きな声を上げてしまったという。そのとき、隣に座った女の子が自分の手を久美さんの手の上に重ね、優しくトントンとしてくれた。久美さんはそれで落ちつき、静かになった。 

 「なにか言葉をかけたわけでも、強く言い聞かせたわけでもない。手のぬくもりと、寄り添ってくれる心が伝わってきたんだと思う」と振り返る。 

 もちろん、2人の子育てはうれしかったことばかりではなく、大変なこともあった。自由に動き回る子どもたち。夫が休みでなければきょうだい2人を一緒に連れ出せない。家族での泊まりがけの旅行も難しい。川井さんは「一度、行ってみたい」と、しみじみと話す。地元の小学校でも全てがうまくいったわけではなく、久美さんができないことを一つ一つ先生に厳しく指摘され、つらい思いをしたこともある。久美さんが課題にぶつかるたびに、学校側と話し合いを重ねた。 

 それでも、支えになったのは、障害がある子どもがいるママ友たち。困り事を互いに相談できたほか、時には子育てに行き詰まって悩んでいる川井さんを察して、子どもを預けられるように手配してくれた上で、地域のお祭りに誘ってくれたこともある。「共感してくれるだけでも助かったが、アドバイスもくれて、話をしているうちに自分の気持ちを整理できた。孤立せずにすんだ」と、振り返る。 

 

 

川井さん(仮名)を担当したクリフム出生前診断クリニックの夫律子院長(本人提供) 

 

 当時、出産する決断をしたことについて、今改めてどう思うか質問すると、川井さんははっきりした口調で「大変なこともあるけど、娘がいない人生を想像できない」と話す。 

 出生前診断を巡っては、従来からある羊水や絨毛(じゅうもう)を採取しての検査に加え、2013年に採血するだけで3種類の染色体疾患を判定する「新出生前診断」(NIPT)が導入された。妊婦の高年齢化もあって関心を持つ人は少なくないが、妊娠した場合、受けるかどうかの選択を迫られることになる。 

 川井さんは「出産する決断をするのも、しないことを選ぶのも、どちらも簡単なことではない」と強調する。どちらの選択をしても、お腹の子の命や人生と向き合うことになるからだ。 

 川井さんが出生前診断を受けたのは大阪市にある胎児診療の専門医院「クリフム出生前診断クリニック」。出生前診断を経験した当事者による集会が開催され、川井さんも出席したことがある。 

 クリニックの夫律子(ぷぅ・りつこ)院長は、産むのを諦めるケースも含め多くの家族を担当してきた。「産む、産まないのどちらでも心の底から真剣に向き合い、カップル同士で考えて結論を出すことが大事だ」という姿勢だ。川井さんもその考えに共感している。「産む、産まないのどちらかが正しかったり、間違いだったりするわけではない」と話す。 

 

川井さん(仮名)は子育てを振り返り『娘がいない人生を想像できない』と話す=2024年2月、高松市 

 

 川井さん自身は、出産を選択したことを後悔していない。「悩みに悩み、考えに考えた末、産もうと決心した。何が正解かわからず不安でいっぱいの中で命と向き合って出した結論だったが、娘に会えて良かった」と振り返る。 

 一方、かつて中絶した経験や、久美さんを産むか悩んだ過去から、出産を選ばない人の気持ちが分かる部分もあるという。実は、久美さんを産んだ後も葛藤があった。1年ほどは、親と親友以外には、娘の障害を隠していたのだ。「娘に障害があることを分かって産んだが、それでも周囲に『普通の子』と見られたかった。当時は複雑な思いがあった」と明かす。 

 

 

 今は2人の子育てを経験して、娘が生まれてきて良かったと心から思える。そして地域の中で自然に受け入れてもらい、暮らしていきたいと望んでいる。だから、久美さんが地元の小学校に通ったときの同級生たちが、スーパーや近所の道路などで会った際、声を掛けてくれたり、手を振ってくれたりすることが何よりうれしいという。「地域の中で、私たちがここで生活していると、ちゃんと認識されている」と感じるからだ。「障害がある子を産んだからといって不幸になると決まっているわけではないし、そう決めつけないでほしい」と訴える。 

 川井さんがずっと胸に抱え続けている「わが子がいつか母さんと呼んでほしい」という願いは、今もまだかなっていない。「時々、話さないかなと思って、呼びかけているんですけどね」。将来、「母さん」と呼んでくれるかまだ分からない。正直、難しいかもしれないとも感じる。それでも子どもたちの笑顔を見て、日々の幸せを感じているという。 

 「これまでの決断が正しかったのか分からないし、先のことも見えないけど、今日の幸せの積み重ねが将来につながっていくと思って、日々を楽しく生きていこうと思っています」 

 ※この記事は、共同通信とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 

 

 

( 185124 )  2024/06/28 00:29:11  
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(まとめ) 

障害を持った子供を授かった夫婦やその親族、支援者など、さまざまな立場からのエピソードやコメントが寄せられています。

障害児の親や兄弟姉妹にとっての大変さ、将来への不安、家族の経済的・精神的負担などが述べられており、障害児を育てる過程での複雑な感情や現実が描かれています。

一方で、障害者支援の重要性や、家族や社会が直面する課題、選択の難しさなども提示されています。

 

 

出生前診断を受ける家族も多く、選択肢を持つことの重要性が指摘されています。

障がい児の将来や維持のための、家族や社会の支えが必要であることや、選択によって直面する現実も考慮しながら、個々の事情に合わせた意思決定が必要であることが共通のメッセージとして浮かび上がっています。

( 185126 )  2024/06/28 00:29:11  
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・うちの社員にも、難しい選択をして、子供を授かった夫婦が居たが、大変だという言葉では語れないほどの苦しさが有ったように思う。 

実家がお金持ちだったので、金銭的な問題はなかったが、自由な時間はゼロだったと思う。 

夫婦の事もそうだが、子供の事を考えても、産まないという選択肢はあると思う。 

 

 

・障害のある子が小さいうちは、まだいいのかも。親も若いし無償の愛を注げます。しかしある程度大きくなると兄弟(いわゆるきょうだい児)が「一緒に住めない」「この家を出たい」と言い出してるのを実際に知っています。 

障害の特性にもよりますが、親だけが苦労するわけではないということを知っておかないといけないと思います。 

 

 

・4月に出産したけど病院から受けるかどうか聞かれました。すごく悩んだけど、実際障害があったとしたも堕胎するという選択肢は自分たちには出来ないよねという事で、それなら最初から診断は受けないでおこうと判断しました。結果元気な子でした。早い段階で障害の有無、症状、今後の生活の準備が出来るのはいいけど、それを知ったがために生むまでに葛藤したり自分を責めたり、診断をすること全てが良いということではないと思います。 

 

 

・親は先に老いていきます。親は持病を抱えるようになり身体が思うようにならなくなります。じゃ 兄弟に世話してもらう 施設に預ければいい… 最終的に 最期まで見れず 結局 身内か他人に丸投げになります。 

私は障がい者支援の仕事をしてます。 

障がいが重ければ重いほど 結局は 最後まで見れず 入所させてます。つまり他人に丸投げです。産む前に 障がいを抱える事がわかっているなら 産む覚悟 育てる覚悟だけでなく 我が子の一生を見る覚悟を持ってほしいです。現実は美談で 終わらないです。 

 

 

・姉が小学校で同じクラスに知的障碍者の男子がいました。私も同じ学校だったので登下校の時に大暴れしているその男子を見ていましたが、姉はもっと大変だった 

授業中に奇声を発したり突然机の上に立ち上がって小便をまき散らしたり女の子を叩いたり(不思議なもので自分より強い男子にはあまり手を出さず女の子ばかり狙っていたらしい) 

その子の面倒を見る係なんてものもあったらしく、その子と同じクラスだった2年間は本当に酷い話を毎晩のように聞かされていた。 

親としては「普通の子と同じように学校に通わせたい」という思いなのだろうが、周りに迷惑をかけないように然るべき施設や学校で面倒を見てもらう覚悟を持ったうえで産んで欲しいなと、このような記事を読むたびに思ってしまう。 

 

 

・NIPTについては、13トリソミー、18トリソミー、21トリソミーの可能性について調べる検査である事が前提です。それ以外の疾患には、現在、用いることは適切ではありません。 

 

記事中の、「娘に障害があることを分かって産んだが、それでも周囲に『普通の子』と見られたかった。 

 

この言葉が、障がいを持つ子を授かった親の最大の悩みを表していると言ってもよいと個人的には思います。生活面、教育面でのサポートが健常者の子よりも量、質、共に必要になると思いますが、何よりも周囲の目が最も恐れる点でしょう。 

 

差別されないか、不幸になるのではないか、という様々な不安が頭をよぎるのだと思います。 

 

しかし、「幸せ」というのは人それぞれです。語弊がなければ、障がいをお持ちの方でも「幸せ」になる権利は、当然あります。 

 

私たちは何ができるかと問われた時、偏見を持たず受け入れる、ここがスタートラインだと思います。 

 

 

・障害のある妹を持つお姉さんと同じ職場になったことがあり、話を聞いたことがあります。親が年老いたあと、面倒を見るのは自分なので、自分が結婚する時は将来的に障害のある妹と同居する必要がある。この旨を了承してくれた人しか結婚出来ない。幸いなことに、それを了承してくれる相手が見つかったから良かったけれど、一時は結婚を諦めていた時期もあった。とのこと。生まれる命はもちろん大事だけれども、その子と一生付き合っていく覚悟と産み育てる親以外の周囲の人たちにも通常とは異なる生活を強いる結果が待っていることをよく考えて決断するといい。私の知る限りではありますが、そのお姉さんの語っている時の顔には悲壮感しかなく、決して美談では語れない闇深さがにじんでいました。 

 

 

・3人授かって、3人とも重い障害があって、2人出産っていう事ですよね。 

ここまで重なると何かあるのかなって思ってしまう。 

3人目は43歳の高齢出産。 

これからは高齢出産もドンドン増えていくだろうし、医療も発達して障害者も右肩上がりに増えている。 

医療の発達と共に考えたいのが、生きていると言う事はどう言うことかという事。 

今でもあるが、寝たきりでイロウから注入食をいれ、意識のない高齢者がいる。 

褥瘡ができて、身体は拘縮して、それでも死ねない。 

私は高齢者でも赤ちゃんでも同じだと思う。 

産まれて幸せだと感じられるなら良いが、そいでないなら生きると言う意味を考える必要があるように思う。 

 

 

・発達障害、学習障害(LD)を持っています。39歳です。 

本人が未成年のうちは本人も自覚が薄いのであまり困りません 

本人は見えている世界がそれしかないので皆同じなんだと思っています 

自分はちょっと頭が悪いくらいだなって思います。 

しかし社会に出ると、皆字が読めます。計算ができます。運動ができます。なんでも一人で出来ます。 

私はみんなと違うんだ!とそこで気付きます。 

社会に馴染めず異質な存在であると自覚を持ち始めて鬱になったりします。 

出来て当たり前のことが出来ないことで大変な思いをたくさんします。 

30歳を過ぎるといよいよ親も何もしてくれません。 

二次障害はとても頻発して病院はいくつもかかります。 

薬を溢れるほど飲みます。 

頻繁におしっこを漏らしたり、突然泣き出したりします。普通の大人ではありえません。 

それは幸せでしょうか。 

 

 

・障害がある子や家族は虐めに合う可能性がある他、親が他界した後の生活を考えると自我が目覚める前にお空に返してあげるのも一つの選択ではないかと思います。 

又、片親のみ賛成している場合、大きくなるに連れてかかる負担は一人で賄い切れるものではないため、パートナーや身内にも相談して決めた方が良いと思います。 

それらも納得の上で産むという選択をなさった方々は凄いなと思いますが、「命だから」というだけで安易に結論を出してはいけないものだと考えています。 

 

 

 

・私は幼少期から、知的障害のある従兄弟の面倒をみていました。従兄弟は、仲良くしたい子の髪を引っ張って髪がごっそり抜けるまで離さないことから、髪ひっぱりと呼ばれていました。 

送り迎えしないと帰れないため、毎日付き添いして、面倒をみて、帰りの会では被害を受けた子に謝罪して。本当につらかった。お世話がかりは勘弁してほしいと訴えても、他に誰がするの?と強制され… 

他人が経験したことも無い経験が、今の人生に活かされることもあるが、自分の子供には絶対に経験させたくない。 

 

 

・産んでも堕ろしても、どちらも正解だと思う。 

 

但し産む場合。両親がしっかり責任を持つというのは当然だが、ハンディキャップを背負った子供が、この世の中で生きていくのか本当に幸せなのか? を納得がいくまで、考えに考え抜いてからにしてほしい。 

決して親のエゴとか、産むことが何かの正義感、みたいなことに捕らわれないように留意しないと、幸せな時間を流しづらくなりますから。 

 

 

・出生前診断で事前に障害が判明した時点で、親御さんは相当悩み、覚悟を持った上での出産という決断だったと思う。その決断を外野の人間が兎や角言う事は出来ないのでは。この場合、中絶を選ぶにしても、それぞれの家族の在り方や人生計画があるので、どちらを選択するのも正解はない。ただ一つ言えるのは、こうやって出生前診断で事前に障害が判明する事で、家族は決断までの時間の猶予が出来、出産するにしても事前に受け入れる心の準備が出来るのは、有意義だと思う。 

 

 

・個人的には、こういう『やっぱり産む選択』がやたら美談化されている傾向がとても気になる。 

いくら綺麗事を並べようが、普通の子に比べたら親の負担は大きく、且つ一生続くんだぞ。普通なら子供に面倒見てもらうような歳になっても尚、逆に子供の面倒を見なければならない。いっときの感情で一生を子供に捧げる覚悟はあるのか?美辞麗句に酔わずによく考えてみると良い 

 

 

・批判も覚悟ですが、記事中の母親に申し訳ないですが、あまり共感出来ません。 

実質1人目に障害がある事がわかり中絶、2人目長男にも障害がある時点で、40歳も過ぎて避妊せず妊娠すること自体考えられません。 

 

私も高齢ですが、障害が分かったら中絶しよう、とは思っていても、お腹の中に宿した命が日々成長していくのを見たり、自らの身体の変化に生命の神秘を感じたりしていると、とてもじゃないけど中絶出来ない、となる気持ちは凄くよく分かりますし、私でも産むと思います。 

 

でも、そうなる前に、妊娠を諦めるのも重要と感じます。 

 

 

・そもそもほんとに重い障害を抱えた子は、妊娠中に亡くなるか、出産時死産となる。生まれることができた時点で生存能力はある。 

 

しかしながら、生まれてこれても、基本的に親をはじめ周りの保護が必要なのは否めない。1人で生きていくとなれば課題があり過ぎる。 

 

親御さんにとっちゃ可愛い我が子なのは当たり前だろう。でも自分が死んだ後、生きていけるのかという視点を考える必要がある。 

 

要するに十分なお金を遺してあげられるとか、頼れる人脈とか。 

 

それが保証できないなら、軽々しく可愛いとかの感情論では済まない。 

 

 

・不幸に決まってるやろ。 

小さい間はいい。周りの子も手がかかってるしそれほど気にならん。 

そやけど大きくなったら周りの子は親の手から離れていくのに障害のあるやつは変わらずに手がかかり続ける。 

それに大きくなると自分ひとりでは制御できなくなるからな。 

今は不幸じゃなくても将来地獄が待ってる。 

大切な我が子、言葉ではそう言っていても結局耐えきれず施設に預ける選択をする親がどれだけいるか。それが答えだ。 

 

 

・一昔の親は福祉がなくとも障がいのある子が死ぬまで献身していた。老親になり、認知症を患いながら土日はグループホームから子を帰宅させて一緒に過ごしている方も知っている。または思い詰めたり、離婚されたりして親子心中も耳にした。今は小学生の頃からガイドヘルパー、放課後等デイサービスを利用し、高校卒業後はグループホームへ、など子離れが早い。人口減少の日本でいつまで他人が当てにできるか?という問題も気にしたほうがいいと思う。 

2023年のニュースで障がい福祉分野の募集の合計人数に対する採用人数の割合は57.7%しかなく、14.1%にあたる事業所には応募なし。4月に報酬改定があり、さらに人手不足。どんどん危険な状態になってると思う。 

 

 

・我が家も出生前診断をしました。費用は8万円くらいだったと思います。結果を聞く前に医師から陽性ならどうするか聞かれ、親の介護もあり難しいと伝えていました。結果は陰性でしたが陽性でもギリギリまで悩んでいたと思います。 

こうした記事を読むと考える時間が与えられ、覚悟を持って出産に臨まれる方がいるのであれば有益な検査ではないかと感じます。 

 

 

・自立が難しく親がいなくなった後も支援が必要な子もいるでしょう。 

福祉の手が十分とは言えず、将来も充足は望めない今の社会で、自分より後に残すことに不安はないのかな。 

ただ、お腹に宿った子を失うなんて人の親なら耐え難いことも分かります…。どんな選択をしたことも責めたり他人がとやかく言うことではありません 

 

 

 

・産まれた命は尊いに違いがないのですが、これからの日本では支援は期待しない方がいいと思います。施設はどこも人手不足です。 

私は放課後デイに保育士兼支援員として勤めたのですが、あまりに薄給激務で逃げ出しました。今そこは人手不足で監査に引っかかり閉所しました。 

支援する側にも生活があるので仕方ないのです。 

これからもっとそういう事が増えると思います。 

 

 

・軽度知的障害の子供(中1)と高IQの自閉症スペクトラムの子供(幼稚園年長)を育てています。 

自分を不幸だと思ったことはありませんが、終わりが見えないことに疲れてしまうことはあります。 

本当に細かいことですが、中学生になっても満足に洗髪や歯磨きができず不潔な状態になってしまうため毎日洗ってあげたり仕上げ磨きをしてあげたりなど、こういったことの積み重ねで生活動作を自立できない子供の補助がジワジワとメンタルに効いてきます。 

何事にも「いつ頃できるようになる」という目安がないので、1年後かもしれないし、大人になっても自立できずにサポートが必要かもしれない、という「見通しのなさ」がキツイなぁと。 

毎日の事は余計に。 

それでも、大変なだけじゃなくて、ぬいぐるみを買ってもらって無邪気に笑っていたりするのを見ると「可愛いなぁ」と微笑ましく感じるので頑張れてるのかなと思います。 

 

 

・綺麗事を言わないと耐えられない状況なのかなと思います。不幸の中に幸せを見つけていくのではないでしょうか。 

私の母が弟を出産したときに重度の障害がありました。余命も1か月と言われ、在宅医療介護をして過ごしてました。いつ呼吸が止まるかわからない赤子を1年介護してました。 

その時のことを振り返って、生まれてきてくれたから一生懸命、命をかけて育てたけど前もってわかってたら産む自信はなかったと言ってました。 

それが答えだと思います。 

私は当時幼かったので断片的な記憶しかありませんし、大事な弟に代わりはないですが母のように育てられたかどうか自信がありません。 

自分が妊娠した時は夫と話し合って出生前検査は受けないことにしました。 

その時は覚悟を決めたつもりでしたが産むまで不安はありました。 

 

 

・近くに大学病院がありまぢて、通うたびに、よく障害をもったお子さんと通院してるらしいお母さん達に会います。様子は様々ですけどね。でもまぁ、とんでもなく大変なことだと、すれ違いながらため息がでる思いです。あのご両親達は残りの人生全てをかけて、お子さんを守るんですよね。それでも親が先に逝くかも。おそらく私なら耐えられません。自分も含めて、周囲が健康に暮らせている事を感謝します。 

 

 

・障害を持った子も、大人になり、親も子も高齢化します。8050問題は障害を持った家族には大きな問題です。現状、日本の福祉は崩壊寸前です。数十年後を考えると不安でしかありません。支える職員すら募集してもきません。すべてリスクを考えて選択することは不可能ですが、福祉に期待して子育てをするのならば、考えたほうがよいかもしれません。 

 

 

・私も出生前診断しました。 

義母にその話をしたら「なんでそんな検査受けたの?そんなの受ける必要ない!」と言われました。 

なんて他人事なんだろう、と正直思いました。 

簡単に決めたわけでは無いし、旦那と毎日話し合って本当によく考えて、検査を受けました。 

周りがどう言おうと育てるのは自分達で、産んだら育てる責任があります。 

もちろん全ての障害がわかるわけではありませんが、私は受けて良かったと思っています。 

陽性でも、前もって心の準備が出来たり産まれるまでにいろいろ調べる事も出来ます。 

難しい判断、決断ではありますがそれぞれの人生があるのだからどんな決断をしても間違いでは無いのかなと個人的には思います。 

 

 

・一昔前は、「障害があっても産む」ことが美徳とされていたように思います。 

障害がある子供は生まれても長生きできませんでしたし。 

 

ただ、今は医療が発達して、同じ障害でも昔より長生きすることができるし、高齢出産で障害発生率も上がり、その分福祉の負担が大きくなっています。 

 

もちろん、親の大変さも動画やTwitterで広く知られるようになったから、産むのを躊躇して当然。 

 

現代では、障害があるなら産まないことが美徳となる時代になる気がします。 

 

 

・夫の親族にも厳しい判断をした夫婦がいます。 

出生前診断で分かってはいましたが月齢超過で出産し、そのまま施設へって選択もあると説明を受け、その方向でしたが出産に立ち会 

った助産師さんらに、抱き上げてから決断してくれと言われ抱き上げたそうです。 

母親が自ら抱き上げたら、この先の覚悟が決まったとの事で夫婦で育てる事になりましたが、、、壮絶な現状進行形です。 

兎に角、医療費が半端ない。難病指定されているものの、障がい者認定の判断が下りるまでが厳しくて医療費は自己負担との事。3割負担でも莫大な医療費と今後15年に渡る手術のプロジェクトが決まっていて成長に合わせて手術と装具を替えていく年間計画です。 

 

 

・そもそも当時46歳での出産は障害があるお子さんが生まれる可能性が高い。気持ちの中に第一子が障害が有ったので、もう一人産んで障害の無い子供が欲しかったのではないでしょうか?出産前の検査で障害有りと出てるのに産むのはお子さまにも一生苦労がかかる。生命の事で判断は難しいものの、避妊と言う選択肢も有る中、産むの判断は理解出来ません。 

 

 

・生まれるまでわからなくて生まれてから障害が判明したり 

後天的な事故や病気で障害を負ったり……はすごく気の毒に思います。 

 

社会に余裕が出来て、障害を持った人が 

生きやすい世の中になって欲しいとも思います。 

 

でも…… 

すでに兄弟が障がい者で遺伝子の異常が考えられて 

次に産んだ子も障がい者になる可能性が高いとか 

母親が高齢出産でそれでなくても異常の割合が高くなるとか 

障害が病気を伴うもので、生まれた子が毎日痛くて苦しい思いをして手術とかも繰り返して苦痛の日々を過ごす羽目になるのがわかっているのに 

母親の「赤ちゃん産みたいの」という気持ち優先になっちゃう場合とかだと 

 

ちょっとだけ微妙な気持ちになるのも事実です。 

 

 

 

・昨年出生前診断を受けました。 

私にはある身体的特徴がありますが、障害の判定は降りていません(原因も不明)。パッと見てわかりやすいので、"健常者"である私も小さい頃から避けられたりいじめられたりが多かったです。 

知的には問題なかったため、ジロジロやヒソヒソされていることもよく分かり、とにかく苦痛でした。未だに人付き合いは苦手です。 

どうにか特徴を受け入れてくれる方と結婚し、妊娠しましたが、自分と同じような幼少期、学生時代を送ってほしくなくて出生前診断を受けました。勿論、検査だけではわからない障害が沢山あるのはわかっています。 

結果は陰性、もうすぐ8ヶ月になりますがその子を前にしてもなお、検査したことに後悔はありません。もしまた授かれたとしても受けるつもりです。 

 

知的障害以外の障害があった場合は親だけでなく本人も苦しみます。 

 

 

・30代前半のママ友が第二子の出生前診断で陽性が出て、調べたらダウン症で筋力が弱く育つ子かもしれないことが分かったらしく、ギリギリまでお腹で育てて、墮胎手術を選択してました。 

 

私まだ30代前半なのに何故ひっかかっちゃったんだろう?無理して産んでも、上の子がいるのに療育など出来ない。堕胎してこんな辛いこと早く忘れたい。と涙ながらに語ってました。 

 

2歳差で子供欲しい〜って言って不妊気味だったので、産婦人科クリニックに通ったりしてやっと出来た赤ちゃんだったのにと思うと返す言葉がなかった。 

 

私は不妊治療経験者だけど、あの治療の日々を思えば、障害のある赤ちゃんと分かったとしても産む選択をするかも。それでなくとも授かりにくい体質なのに堕胎してまた治療で授かれる保証もないし。 

 

でもここのコメントにあるように、今いる家族の暮らしなども考えての覚悟を決めないといけないから難しい選択だよね。 

 

 

・小中学校と特別支援学級がありましたが、なぜか普通学級にいる知的障がいのある女の子と過ごしました。(のちに親が普通学級に入れたいとごり押ししていたことが判明しましたが…)小学生の時特に問題はなかったのですが、中学生になると授業に集中できないのか周囲へ唾を飛ばす、ティッシュを投げつける迷惑行為、体育の時は平気で教室で全裸になろうとするなど挙げればきりがないほど、とにかく中学生の自分たちにメンタル的にも疲弊させられました。 

しかし、特別支援学級の子たちには何一つ迷惑をかけられることや疲弊させられることもなかったです。なので障がいがあるから不幸とは思いません。 

ただ親として適切な対応ができるならいいとは思いますが、周囲にも迷惑や混乱を招くこと可能性を考えられないのであれば、中絶も考えた方がいいかと思います。もちろん自分なら子供に障がいが分かった時点で中絶すると思います。 

 

 

・一番の被害者は、その子の兄弟姉妹だって事を忘れずに 

 

親は納得して産むから良い 

(障害児)本人は自分自身の事だから仕方無いと思う 

 

だけどその兄弟姉妹の健常者は、後に自分の結婚の障害になったり、自分にも障害児が生まれる可能があったり、親が死んだ後には面倒までみなくてはならないという負の連鎖が続く 

 

その事まで全て考えて決めないといけない 

 

 

・出生前診断しました。 

生まれてからのドタバタの中でその子の運命と向き合い始めるより、それならそうと相応の覚悟や未来のビジョン、下調べ、などを前もってしておきたいと思ったからです。 

 

身近な周囲にダウン症の人がいなかったのもあり、少し見ててもらったり預かってもらう時なども、親族など周りからの理解を得るのに下準備が必要だろうとも考えました。 

 

結果陰性ではありましたが、私の質では出産直後独特の高揚感や多幸感の中では自分が死んだあとの子のことまでは目を向けられずそのままズルズルと現実から目を背ける部分も少なからずあっただろうかと考えると、検査して良かったと思っています。 

 

覚悟の度合いが異なるだけで、私自身や主人には、産着を用意するために事前に男女どちらかを知ることと、さほど変わらない行為だったように思います。出来る準備を前もってしておくために必要な情報でした。 

 

 

・自分は小学生〜中学生の時に同学年に知的障害者がいました。 

授業中に教室の中を歩き回って喋り出すので、こっちにこないか警戒しながら授業を受けねばならず、集中できませんでした。 

また、ある時はなぜか後ろから首を絞められたりして、本当に怖かったです。 

なので、自分は知的障害者に対しては苦手意識があり、絶対に近寄りたくないです。 

 

 

・障害者支援の仕事をしています。 

障害のある子どもと一緒に過ごして大変な経験をした方のお話を読んで思いました。色々な障害特性や不適切行動がある事と思いますが、まず支援を同じクラスの子ども達に任せるのは大きな間違いです。お世話係があるなんて、絶対おかしい! 

障害者支援には知識や経験が必要です。 

支援のプロや学校の先生、親御さんなど大人がしっかり話し合って支援体制を整えるべきです。障害がある子に全責任があるのではなく、その子の苦手、困り事をしっかり把握して落ち着いていられる環境を整えられなかった大人達に責任があると思います。不適切行動でトラウマを持ってしまったクラスの子達がとても気の毒ですし、障害児本人も辛かったんだと思います。大人たちがその子にあった環境設定をしてあげるべきです。 

 

 

・我が家では出生前調査を行い、異常あれば諦めるように話していました 

障害を持って生まれると育てるのも大変ですが、親がいなくなって子供だけではたして生きていけるのか?無理では無いがかなりキツイ生活を送る事になる 

障害の子供を育てるだけでなくその子の未来も考えての判断です 

幸いに2人とも異常はなく健康で元気に育ってくれてます 

 

 

・甥っ子は2人とも障害児。 

兄の方は専門的な学校に行くことになり弟とは別の学校。 

送迎はあるものの病気になったりなど不測の事態に対応できないため姉は専業主婦。 

国から月約16万程のお金が貰えてるらしいが…(子ども手当?) 

 

2人ともオムツ(同じ歳の子はしない年齢)をしています。 

多目的トイレがなかった時、姉が付き添える限界は近い。 

旦那さんは空気、ATMにすらならない(いわゆる経済DV) 

それでも子供が可愛くて可愛く仕方がないという姉を尊敬する。 

車必須の田舎に住んでいるので この先どうするのやら… 

リスクがあることは間違いない。 

苦労を回避する選択が選べるのは悪いことでは無いと思う。 

子育ては理想だけでは出来ない。 

 

 

・いろいろある前に、まずは私たちは遺伝子を持った生物、動物なんだということ。あくまで生物学的な観点でものを言うと、劣勢遺伝子というものは確かに存在する。神様とか人生とか、可哀想とかそういうもの、もっと手前にあるんだ。そして、それを分かった上で人の人生を、命をどう考えるかと言う話。 

平等な命と社会が謳うならば、どんな困難にも耐えて本人も、親も、社会もそれを受け入れて強く生きていかねばならぬ。 

 

 

 

・第一子の時検査し、当時かなり高額で大学病院レベルでないとできなかったように思います。 

 第二子の時はもう、いいかなと自分も夫も思いましたが、 

年の離れた弟を・・・と言う事件があり、母親が病弱?父親は単身赴任で大学生の兄が殆ど〇碍のある弟の世話をしていたそうです。大変私は憤りを感じました。小学校のころからずっと弟の世話をして近所の方も褒めていた。 

つまり、こういう優しい人に負担がかたよりそのひとが疲弊してしまう。 

私は、急いで検査を受けました。 

このことは夫と、実母しかしりません。 

正解のない問題ですが、この話がでるたび、どうかあのお兄さんが寛大な判決であったことを願います。 

 

 

・昔、引っ越し先のマンションで、隣に中年の知的障害者の方が親御さんと暮らしていたようで、朝、深夜問わず叫び声をあげたり、壁か床をドンドン叩いていてビックリした事があります。ずっと大きな声で叫んでるんです。眠っても起こされるしとても困りました。仕方ないので2週間で引っ越しをしました。若い頃の自分にはとても辛い損害でした。記事には「障害がある子を産んだからといって不幸になると決まっているわけではないし、そう決めつけないでほしい」と訴える。」とありますが、本人たちが不幸か幸福かも大事かもしれませんが、無関係である他人を不幸にしないことも大事だと思います。 

 

 

・障害ではなくアトピー性皮膚炎だが 

この病気がなければどれだけ人生が楽になるか悩んだ事が沢山あります。 

アトピーレベルで相当きついです。 

 

障害なんてそのレベルではないと思う。 

綺麗事で選択するのは構わないが、親は苦労するし、その子供も苦労するし、恨まれる事もあるかもしれません。 

 

 

・親の気持ちだけでは済まない面も沢山あることを併せて伝える事も必要です。 

現実的にお金は沢山かかります。 

それは福祉( 税金 )からも沢山サポートされますがそれでも足りません。親が定年しても続いて行きます。兄弟がいれば兄弟にも負担は山のようにいきます。そして‥どうしても他の子と比べてしまう時は必ず出てきます。厳しいようですがそういう部分もこれから決断をされる方向けに伝えて欲しい。正しい答えが無い以上余計に判断材料は沢山あった方が良いので。 

 

 

・うちには40歳近い、どちらかと言えば重い知的障害の息子がいます。大変な時期もありましたが、日常生活には困らず平日はグループホームで暮らしています。 

昔は出生前診断などなく神のみぞ知るものでしたが、今はいろいろな検査ができるようになり、障害の可能性を知ることが幸せなのか不幸なのか、迷うところです。 

不妊治療もあり、医学の進歩が神の領域に入り過ぎてしまった感があります。 

 

 

・妊娠中で出生前診断を行う予定です。障害がわかった場合は中絶しようと夫婦で話し合い決めています。産むだけが愛情では無いと思うからです。産んだ後から健康ならば必要ない手術や治療を強いられ続ける赤ちゃん。金銭、肉体、精神共に苦労するであろう私達。また子どもを作ろうものなら自動的にきょうだい児になりますね。私もきょうだい児で家族は大切ですが悲しい思いをしてきましたし、両親が亡き後の面倒を見なければ行けない事が決定しています。 

手放しで喜べません。それでも産むのはエゴだと思っています。こんなご時世ただでさえ元気な人でも生きるのが苦しい時代に、何年後にはもっと生活が苦しくなるかもしれないのに、よく産めるなと思います。正解ではないと思います。 

 

 

・同じく子を持つ親として、このお母様の仰ることはわかるつもりです。 

しかしここに書かれているのは悩んだ・産んだ・良かったというお母様の気持ちばかりで、重い障害とともに生まれた(産まれた)お子さんのことは置き去りだと感じました。 

 

もちろんこれまで果てしない愛情を注いでこられたのでしょうし、日々の生活はお子さんが中心で自分の楽しみは二の次三の次なのでしょうけど、 

このようなテーマを取り上げるのであれば障害を持って生まれる子どもの人生が本人にとってどうかという視点も欠かしてはならないと思います。 

言葉を発することができないのでそれも推測にしかならないのでしょうけど、ならばなおのこと、 

障害とともに歩む人生の主人公である本人にとってどうなのか、よくよく思いを馳せなくてはならないのではと思います。 

 

「どうして僕は私はみんなと違うの」 

そう思ってもそれを伝えることもできない子たちなのですから。 

 

 

・妊娠中に胎児に障害があることがわかっていながらもそれでも生みたいと思う親心も理解できる。生むにあたってはかなりの覚悟と責任を持って決意することと思う。 

障害を持って生まれ育ち生きていかなくてはならないのは結局はその子ども。大変な思いをして子どもを育てていく苦労を背負うのは親の覚悟だが、苦しい人生を生きていかなくてはならなくなった子どもが「なぜ生んだの?」って問われたらどう答えられるんだろう? 

私がこうした状況となったらどんなに非難されようとも親子共々のために生まないことを選択すると思う。 

 

 

・うちの子は遺伝子の突然変異の病気なので出生前診断をしても判明したかどうか?その事を医師に尋ねたことはありません。小児慢性疾患に指定されている難病で重度心身障害者です。産まれてみなければわからない病気もたくさんあります。病名がわかった時のショックはあまりにも大きくすぐには障害があることを受け入れられませんでした。毎日泣いてばかりで鬱になった事もあります。そんな私ですが、子が成人を超えた今は不幸な人生だったなんて思いません。大変な毎日でも周りの人の優しさに助けられ、障害児者への支援のありがたさを実感し、悪いことばかりでない事を身をもって知りました。子が障害児でなかったらと想像し羨ましく思うことはもうありません。ランドセルを背負う他人の子を見ては涙を流した日が遥か遠くになりました。 

 

 

・20歳の娘が学習障害です。何度か支援センターの紹介で障害者支援の職場に勤めましたが人間関係が嫌で辞めました。いま、新しい職場でパソコンでイラストを描いたり、アクセサリーを考案して作って販売したりしてます。イラストも企業さんからの依頼が来ている見たいで、手に職を持てて良かったと思っております。 

 

 

 

・綺麗事で済ませてはいけない。 

義親族に成人済みの重度知的障害者がいますが親は疲弊し毎日本当に辛く苦しそうです。 

一日中、自宅で自分の子供と会話もできず奇声をあげ動き回っているのですから心が休まる日もないでしょう。 

きょうだい児もそんな状況の自宅から離れずケアラーのひとりを担っているようです。 

 

 

・命の選択。葛藤があるのは当たり前であって欲しい。どう選ぶかは最後は家族が決める事。 

食料問題で口減らしとか、色んな理由はあるでしょうが、医学が発達する前から命の選択はありました。人間に限らず、どんな生物も。選択が悪とは個人的に思いません。 

意思疎通が出来なくてサポート無しでは生きられない可能性もあるし、その子が幸せになれるかって考えると、、、答えは他人にだせないです。 

出生前診断も障害の程度がはっきりわかるとも思えないので、余計に葛藤するでしょうね。障害のある複数の子と小中と同級生だった経験があるので苦労も見てきました。家族だけのサポートでは努力しても足りません。周囲のサポートがないと厳しいのが現実です。 

 

出生前診断は何もなければ、不安がひとつ減らせますし、何かあっても悩んで選べることが出来るので、賛成です。 

 

 

・出生前診断の目的はなんなのか?うちも夫婦間で意見が分かれた。私は将来に亘って周りや国に迷惑をかけては行けないとの意識が強かったが、妻はそうではなかったようだ。ただ、理屈だけでは納得のいかない部分もあっただろう。某施設の問題からも分かるように、明るい未来は見通せない事を重く考えなくてはならないと思う。「選択」の言葉も軽々しく使うべきでないと思う。飛躍はあるかも知れないが、脳死も含め生きているとは、命とは何なのか?半世紀前なら技術的に生存できなかった例もある。技術の進歩で障害率は上がっている。翻って、高齢化の進行で尊厳死の問題もそう遠くない時期に議論が始まるだろう。尊厳死の時には、本人以外が判断しなくてはならない状況も生まれる筈だ。当事者だけの利害ですむ話ではなくなり、いや、すでに無くなっているようにも思える。 

 

 

・私はダウン症の子が持つ合併症の難病持ちです 

一応ダウン症はなかったですが、大人になってダウン症の子が併発する病気が幾つも出てきました 

ただ今度は治療の面で、その併発した病気を治療すると難病が牙を剥き 

難病を治療すると併発した病気が出てきて結局先生と話してこの前これ以上の治療は辞めることになりました  

というかそれ以上しすぎると、どちらも悪くなりすぎて最期良くない方向に向きそうなので 

 

 

ダウン症って障害だけではなく、ダウン症が持つ合併症っていうのもあってその時にどう言う判断して生きていくのかも考える事が必要な病気です 

よく障害だけ見られるけども、ほんとにある所でこれ以上の治療が望めないとどうするかって悩みますよ 

 

 

・知的障がいの22歳長女がいます。健常児と同じクラスで学校生活を。というのもわかります。しかし、発達障害には個人差があるし、療育は早いほど本人のためになります。小中ともに、支援クラスに在籍し、週に何回か普通クラスに通ってました。しかし、それが悪かったのか娘はいじめの対象になりました。兄弟児である次女も、支援クラスに在籍している長女のせいでバカにされたり陰口を言われたり嫌な気持ちになることが沢山ありました。当事者達がこんなに苦しむなら支援学校に早くから通わせるべきであったと思うときもあります。何が良くて何が悪いのか難しいとつねに思います。 

 

 

・幼少の頃事故で重度の障害を負った弟(42歳)がいるけど… 

 

高校生の年齢までは通える学校があるから社会に守られている感じがあり良いのです。が、問題はその後。 

 

日中受け入れてくれる場所もぐっと減り、その頃には親も歳をとっていて…社会から弾き出された感じになります。施設は子どもの頃に予約をしても順番は回って来ない。 

 

弟は35歳で施設に入れたけれど…施設に入れなかったらどうなっていたのか… 

 

 

・出生前診断、一人目のときは全く考えなかったけど、二人目のときは受けました。 

親戚にダウン症の姉の面倒を見ている人がいて、上の子の将来を考えたら申し訳ないけど、事前にわかるのであれば、と。 

妊娠してすぐ予約をしようとしたら、どこもいっぱいで、キャンセル待ちをして突然明日空きがでたと言われ会社を急遽休み、受けました。 

費用は8万円でした。 

まわりで受けたという話はきいたことがないけど、私も旦那以外には話していないし、実際は妊娠してすぐ動いても予約争奪戦で、実は受けている人いっぱいいるんだなと感じました。 

 

 

・私も上に流産で流れた姉がいます。 

もし長女の姉が生まれていたら、 

日数的に私は存在しません。 

 

子供の頃、立て続けに、夢に私によく似た女の子が出てきて、2人で私の家や庭、 

お隣りのお姉さんの家にも一緒に遊びに行く夢を見ていました。 

 

私にそっくりのあの子はどこに住んでいるんだろうと、夢の中でふと考えたりしたこともあります。 

 

ある日、母から流産で亡くなった姉がいることを聞きました。 

そのときに、私にそっくりな同じ歳頃のあの女の子と、自宅付近ばかりで遊ぶ夢を見たことを思い出し、 

「あ、あれはお姉ちゃんの〇〇ちゃんだったのか」と瞬間的に感じました。だから、自宅付近ばかりで遊び、夢の中でもなぜか自宅付近ですっと居なくなる。 

私にそっくりな歳の近い女の子。 

全部合点がいって腑に落ちた日から、全く夢を見なくなりました。 

位牌を作っています。 

 

 

・私の兄弟は全員健常者だけど、父方のいとこは2人とも障害者です。間違いなく20年以内には彼らの両親、つまり私の叔父と伯母は亡くなると思うのですが、亡くなった後は誰が面倒を見るのでしょう?自治体? それとも近い親族? もし親族だとしたら私の兄弟は全員公務員をしてるので、真っ先に白羽の矢が立つのではと心配しています。さすがに面倒は見れないですよ。産み育てるならそういうところも含めて熟考しないと。 

 

 

・昨年の秋から手話奉仕員養成講座を受講させて頂いております。 

手話奉仕員はボランティアですが、目指している所は手話通訳者です。 

手話でのコミュニケーションは3次元なので、とても奥行きが深い言語だなあと日々感じます。 

6名の聾の講師の先生とも親しくなれました。ご夫婦という先生方もいらっしゃいますし、一人暮らしをされていらっしゃる先生もおられます。独立して生活をなさっていますし、自動車の運転もされています。 

そう、聾者の方でも車の運転はできるんですよね。耳が聴こえないというだけで、他は健常者も全く変わりません。 

手話の講座を通じて、聾の皆さんのバックグラウンドまで学ぶ事が出来て、本当に良かったと思います。 

福祉=「ふだんの暮らしの中の幸せ」なのですが、健常者としての関わり方を深く考えるきっかけを、いま手にしたところです。 

 

 

 

・小・中学生の時に同じクラスにいたなあ。 

授業中も迷惑かけるから、やめてくれと話しても話しは通じてるはずだけど抑えられなかったんだろう。その子はずっと親友は出来なかったなあ。 

だからといってコチラは大声を出せないし、嫌うと担任から評価が下がるだろうし。と幼いながらに我慢してたわ。 

その子の親の気持ちもわかるけど、こちらの気持ちも考えてほしかった。本人が一番、理解してもらえずに休憩時間に話をしてくれる友達もできずに辛かったのかもなと今は思うけど。 

 

 

・出生前診断は受けたことはありませんが、思いもよらず、初産で脳形成不全の滑脳症の息子を授かりました。2歳でなくなりました。次に生まれた子はADHD。今は15歳。色々と支援や学校と話し合い、学校生活を送り、今は公立高校に通い、何も問題なく育っています。それぞれの子に対して大変さはありましたが、障害を持ったとしても、それはその子に問題があるわけではない。社会の理解や環境、支援が追い付かずに障害者を社会や人の意識が作り出しているのだと確信しています。親がどんな子でも育てていこうと思える社会環境と支援があり、障害者へたいしての偏見(親も含めて)がなくなれば、きっと、産んでも大丈夫と思ってくれる人が増えてくれるように思います。命を当たりはずれみたいにして欲しくないからこそ、社会が変わることを祈っています。 

 

 

・幸せは多様だし、当事者たちが幸せなら良いと思います。 

周りが、知り合いやらの障害を持つ方々の不幸な話をする方が、障害を持つ子を持つ家族やらのマイナス。 

どうしたらより良く生きれるかは皆の課題だし、悲観ばかりして解決策ない批判をするよりも、様々な苦行を経て前向きに生きる方がプラスになる様に、フォローする方が未来は明るいと感じます。 

 

 

・>どこかから「今度はちゃんと産んでね」という声が聞こえた 

 

お母さんの心の声だと思う。 

 

大きな病院の小児科と同じフロアに耳鼻科からの紹介状を持っていった。 

何人かの小さな子が車いすにのって自由に動けない状態をみると大変だなと。 

お母さんが若いうちはまだ体力的に耐えられてもだんだんと厳しくなってゆく。 

今は医学の発達により重度の障害があっても長い間一緒に生活できることが負担にもなる。 

僕の祖父母時代(明治生まれ)だと沢山の兄弟姉妹が生まれるが何人かがすぐに亡くなっている、未熟児なのか死産なのかわからないが何かで産婆さんの判断でぬれ布巾をつかった時代もあったと本当かわからないがよんだことがある。 

いまなら出生前判断で親が自ら決断。 

 

これくらいなら違反にならないと踏んだ、これ以上は厳しいかな。 

 

 

・私も二人目の時、羊水検査をした。胎動を感じる時期で、もし陽性ならどうしよう。産むも中断するもどちらも地獄。 

 

夫はいう「羊水検査するのは陽性なら中断するからだろ」と。 

友達が言う「一人目で心臓も重度で、あなたは何度泣いて悲しい思いした?陽性ならうんじゃダメ」と。 

 

結果、陰性でホッとして泣いた。ただ、二人も、三人も障害児抱えても平気な人もいる、家族が支えてくれる人もいる。そういう人や環境でない人もいる。 

誰が立派で立派でないとか関係なく。普通に妊娠して妊娠する喜び、子供が五体満足で生まれる喜びを感じてほしいという医者の遺伝ケアチームも存在する。私はそこでカウンセリングを受けて二人目の出産に挑戦した。 

 

ただ、普通に、二人目も遺伝子的に異常があるなら夫婦二人の遺伝子を検査したほうがいい。二人も三人もだと多分、どちらかが家系的に保因者だと思うし。私ならそうする。今後の為に。 

 

 

・現在21才の我が家の第一子妊娠中、産婦人科医に出生前診断をお願いしました。その頃は約10万円したと記憶しています。ドクターから何%なら安心するの?あんまりやる意味無いと思うよ、と言われたのを今でも思い出します。たしかにゼロ%なんて出ないんだろうし、10%でも不安は不安だし、現在は精度や技術も向上しているのだろうと思いますが、命の選択に繋がるので反対する人もいるけれど、検査したい人は好きにすれば良いと思う。 

 

 

・それぞれの選択がある。 

きれいごとだけではすまされない事が沢山あるだろうというのは歳を重ねてくると色々理解できるから。 

 

個人的には一度授かった命は殺したくはないので、そいういう面では大きな覚悟の下生む決意をしたご夫婦を応援したい反面、ただどうしても中絶した第1子、生まれた第2子が障害を持ってたとしたら、遺伝的に何かあるのだろうし、私だったら子供を作る選択はしなかっただろうな、とも考えてしまう。 

 

そういうのも含めて、本当に考え方や選択肢は人の数だけあるのだろう。 

 

本当は産みたいと思った人が、どんな子供でも安心して育てられる社会制度と余裕がある気持ちで溢れた世界が理想なのだけれど。 

 

 

・この問題は大昔からあります。 

この意見も昔?から言われていますが・・障害を持って生まれた子供がどう生きるか!で決めるべきと思う。 

 

先に亡くなるのは親という順番がある以上、絶対に考慮すべきと思う。お金の問題だけじゃ無いですね。意見の中には「親のエゴ」と言う人もいます。障害を自覚している・出来ない子供さんもいます。 

 

何も持って幸せなのか、本人(子供)がどうなのか まで考慮すべきと思います 

 

 

・少なくとも医師が自主規制して選択肢を狭めるべきことではないよね。出生前診断。 

制度的に中絶をどこまで許容するかというのはとてもラディカルな問題ですよ。国、地域、時代、文化、宗教、様々な状況で決まる。それは多数決や社会が大事にする価値観で決めればよい。それでも、国が個人の自由にどこまで立ち入るのか、生命の始まりはいつなのかという議論になる。 

でも、出生前診断ですよ。堕胎しようというんじゃ無いですよ。実際には強く結びつくとしても、診断は堕胎じゃ無いですよ。 

それを何の権利があって医師が水際で止めたり制度的に阻もうというんですかね。それは親の知る権利より大事なことなのか。発想が庶民への見下しなんだよ。医師でない者は、正しい判断をできないと決めつけている。中絶に関連する本を焚書するのに等しい。 

最近は出生前診断が普及してきて本当に良いことだと思う。世の中本当に進歩した。 

 

 

・出生前診断をして正常なら産む、異常があったら一切子供は諦めると言う選択をして、我が家は覚悟を決めてNIPTを受けました。 

結果、正常でした。何がよくて何がダメなのか、それは自分たちで決めるべきで、倫理観にまどわされず自分たちが出した答えに自信を持って行動した方が良いと思います。 

 

 

 

・こういう難しい選択をする人達が「自分たちが死んだ後の子供の生活」を心配しているけれど、自分達が高い確率で天寿(平均寿命)を全うした後の事として語ることに一種の驕りを感じる。 

私は高齢出産した後に大病を患い、このままでは親の責任を全うできないかもしれないと感じたことがあった。 

子供を持ったかぎりには必ず育てあげて、自分の体力の許すまで働き続けようと思うけれど、それが叶うのがまさか40代かもしれない!?とかいう可能性は考えていないのかもしれないなと思う。 

それは五体満足で心身ともに健康な子供を持つ場合にも言えるけれど、元から要する支援の量が違う。 

出生前検査反対の婦人科で妊婦健診を受けていたので、検査の事で酷く罵られたけれど、結果的に私は40代で大病して新生児の育児に大変苦労したけれど、そんな事は婦人科医の知ったことではないだろう。 

結局当事者しか責任取れないし対処できない問題なのに。 

 

 

・私は羊水検査をして障害があるとわかり不均衡型相互転座で夫婦で悩み抜いて、中期にお空へ返しました。 

その後、夫とともに大学病院で遺伝検査をして、転座保有者がいなく、つまり、偶発的だとわかり、先日出産しました。 

この方は、第一子出産後、遺伝検査はされたのでしょうか。 

 

 

・私も高齢出産で出生前診断を受けました。検査時すでに16週で赤ちゃんに対する愛情があるんです。もし異常があると言われても、私も産んだと思います。それだけ愛おしいのです。産まれてからどうとか、子どもの立場とか色々意見はあると思いますが、私はこのお母さんの気持ちがとてもよく理解できます。 

 

 

・出生前診断、私もしました。もし障害があると診断されたときは中絶することを決めていました。私がいつまでも元気で、このお世話が出来るなら違う選択もしたかもしれないけれど、やはりそうはいかなくなるであろうことと、先に生まれている長男次男が将来的にお世話をすることになるであろうと考えたからです。 

この問題は、それぞれの意見があって、それに対して正しいとか間違っているとか言えないですよね。ただ、知的障害の方が一人で外出していて、私は電車のホームで押された経験があります。幸いよろけただけで済ましたが、これが大きな事故となっていたらと思うと、とてもこわいです。更に別の時には、知的障害の方に追いかけられた経験もあります。それからは知的障害の方が居ると、私は距離をとります。知的障害の方は常に付き添いの方がいる様にしてもらいたいと思います。知的障害のご家族の方は、こういった事が起きることを知ってほしいです。 

 

 

・私は絶対に産む事は出来ない。私が妊娠した事を親に報告した時に、子供を産むなら絶対に子供を幸せにしてあげなきゃいけない。子供を苦しめるような事を親がすると、必ず仕返して親を苦しめて来る。お前は子供を幸せにできるのか?って言われた。その時は絶対に産むから!!ってムキになって何も考えずに産んだが、今子育ての苦労にぶち当たり親の言葉に痛感させられている。5体満足で障害はないが、 

本当に子育ては大変です。1人の人生を背負う訳だから責任がある。障害があれば、一生面倒を見る覚悟が無いと無責任な結果を招く。私にはどんなにお金があっても背負う覚悟は無い。 

 

 

・法的に可能な時期ならおろすことを引け目に感じなくて良いと思います。ハンディキャップ持って生まれたくはない赤ちゃんもいると思うから。検査受けてみようと思ったならそれはメッセージかも知れない。赤ちゃんや先祖からの諦めてほしいみたいな。選択は親である2人ですべき問題ですが。 

知人の息子さんは小さい頃、一回目はやめにしたんだ。重かったからみたいに言ってたそうです。 

 

 

・永遠のテーマですよね。宿った命の選択が子どもや親にとって良いのかは誰も決めれないですが、ウチの近所の支援学校に、駐車禁止区域にも関わらず毎日24台程もの放課後デイの車が連ねて子供さんを迎えに来ます。その数の多さに、ただただ驚きです。 

 

 

・障害がある事を分かった上で覚悟して産んだというのに学校と交渉して普通級に通わせていたというのが疑問です。本当に覚悟できていたんですか? 

なぜ特別支援に通わせなかったのか。 

その交渉に小学校の先生方も相当な時間を費やされているわけですよね。その間先生方は他の仕事に時間を使えなくなります。子どもに罪はないですが、健常児への影響を考えない障害児の保護者は正直迷惑。特性に応じた棲み分けは子ども達の健全な成長のためにも必要だと思います。 

 

 

・人間は基本的に障害を持って産まれます。 

私は「健康」という事になっておりますが、決して健康ではありませんし、 

軽い精神疾患も持っています。 

遺伝子検査など、出生前診断を行って、産む・産まないの選択は個々人の判断で問題ないと思いますが、未来では、私レベルの障害も検知ができるようになり、私が産まれてこない未来があったのかと思うとゾッとする事があります。 

 

 

・産んだことを良い話として書いてあるけど、かなり大変なことは間違いないし、両親でしっかり話してどうするか決めるべきだろうね。 

そして産む決断をしたらしっかりと責任と愛情を持って育ててあげてください。 

 

 

 

・本人が決めることなので外野が口出しすることではないが、産んだからにはその子が死ぬまでの準備をしておいて欲しい。 

親が子よりも先に死ぬのは普通なので、自分が死んだ後子供の生活が成り立ち、社会に迷惑をかけることがないよう、カネも人も準備するとかね。 

もちろん、子供が独立して一人で生きていけるのならばそんな事する必要はないが。 

 

 

・この方たちのご判断を尊重する。色々な思いがあったのだと思う。人生には他人には思いもよらないことが発生する。出産については昔よりははるかに安全になったとはいえ、それでも母体には大きな影響がある。葛藤は多々あったのだろう。幸福をお祈りしたい。 

 

 

 

 

ただ、美談では全くない。生命を救うような話ではない。 

全ての人は生まれてきたくて生まれたわけではない。これまでの歴史において生きたくも生きれなかった生命もあれば、生きることが苦痛であり生まれたくなかった無数の生命がある。子どもの人生を無断でギャンブルに賭るに等しい出産とは業の深い行為であり、言わば生命をかけた我儘だと思う。 

 

 

・障害がある子供の子育ては、子供の時だけではないのにポジティブ過ぎる考えは危険だと思います。 

相当悩んだとしても、ポジティブな考えだと産む決断一択になります。 

命は大事ですが、大人になった時にどうしていくのか想像はしているのか疑問ではあります。 

 

 

・障害者GHの恵がどんどん閉鎖されている。 

福祉のサポートがないと生活できない子供たちは将来、親がいなくなったらどうなるのだろうか。 

兄弟姉妹、親戚など面倒見てくれる人がいれば良いがなかなか難しいだろうし。 

命は当然重たいけれど、産んだあと自分が老いたときにどうなるか考えると 

産まないという選択もあるのかなと思う 

 

 

・色んな経費が嵩む中、障害児を育てて、自分の死後も困らないようにお金を残す。今の日本ではとても皆んなができることではないと思います。障害児でなくても、預けて働く場所もない。安心して産む環境にないから、産まないのでは。障害があっても無くても、社会で子育てができれば、出生前診断をしなくてもいいと思います。 

 

 

・産み育てているこの人は素直に素晴らしいと思います。 

 

でも、中絶する選択をする人が残酷な悪魔と言うわけでもないと思います。家族や仕事の環境、援助の見込み、子どもの将来…幸せや親の死後の状況などを必死に考え出しているはずです。どちらもエゴと言われればエゴかもしれません。でも、どちらも真剣だと思います。 

 

検査の結果、これからこの状況になる人も当然いると思います。どう判断しても自分を責めないで欲しいと思います。 

 

これはこれ。 

 

 

・産む選択をした方々に問いたい。 

親は、子供がこの世を去るまで生きていられるわけではない。 

親が老齢になった場合は、誰が子どもの面倒をみられるのか。 

 

之は、起こり得る現実的な問題で、其れをクリアーできる目算があって、産む選択をしたのだろうか? 

日本は、障害児への支援が整っているわけではない、親なき後の此の処遇は熾烈だ。 

 

 

・こういう記事の場合、殆どが美談として描かれる。 

この論議に生まれてきた子供の気持ちは一切描かれない。 

当たり前の話だが、子供に生まれる生まれないの選択権はない。 

障害を持って生まれてきた子供の、すべてが幸せだとは限らないという事。 

親は覚悟を持って生むのだから、愛情を注がれるとは思うが、子供はどう考えるだろう。 

生まれて来なければよかったと思うかもしれない。 

だがそういう例は記事にはならない。 

美談としてとらえるばかりでは、悩んだ末に中絶された親はどう思うだろう。 

やはり生むべきだったかと、更に悩むことになる。 

生む生まないは正に親の自由であって、他人がとやかく言う事ではないが、美談として報道するのは如何なものかと思う。 

 

 

・2人目をカントレル症候群と診断され、妻と相談して中絶という選択を取った経験あります。中絶に立ちあったけど、産まれてきた小さな赤ちゃんが体に収まらなかった心臓を抱えていて息絶えるまで2人で見守ってました。妻は精神的にかなり参って「自分のせい」だと自己嫌悪に陥ってしまいました。半年後に3人目を妊娠し、2人目の経験がなければ今の子に会えていないとお互いに理解してます。出生前判断でどういう選択をするかは夫婦次第だし、正解は無いと思います。が、産んだ後に後悔とか大変とか言う無責任な奴にはイライラさせられる。産まない選択を選ばなかった人にそもそも共感はしない。それに産まれた子供に失礼。 

 

 

・残念ながら日本は福祉が明るくありません。インクルーシブなどといいながら人の配置も理解促進もしていないので障がい児が通常学級に来ても居場所はありませんし同じことは出来ない。担任は迷惑がり周りの子は困惑。怪我でもさせられたら学校はどうなっているのかと怒鳴り込まれます。社会に出ても仕事はありませんし一人で生きていけない程度だと辛いです。困っても何とかしてくれる福祉ではありません。これは老人にも言えることです。 

 

 

 

 
 

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