( 185735 )  2024/06/29 16:52:11  
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文系だから作文が得意、理系だから作文は苦手――実は、そんなことはまったくない、といいます(画像:Graphs/PIXTA) 

 

「算数から勉強をやり直して、どうにか東大に入れた今になって感じるのは、『こんなに世界が違って見えるようになる勉強はほかにない』ということです」 

そう語るのが、2浪、偏差値35から奇跡の東大合格を果たした西岡壱誠氏。東大受験を決めたとき「小学校の算数」からやり直したという西岡氏は、こう語ります。 

「算数の考え方は、『思考の武器』として、その後の人生でも使えるものです。算数や数学の問題で使えるだけでなく、あらゆる勉強に、仕事に、人生に、大きくつながるものなのです」 

 

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そんな「思考の武器」を解説した43万部突破シリーズの最新刊、『「数字のセンス」と「地頭力」がいっきに身につく 東大算数』が刊行されました。 

 

ここでは、「算数や数学」が「論理的な思考」とどのような関係があるのか、解説してもらいます。 

 

■「算数と文章」の意外なつながり 

 

 みなさんは、文系と理系、どっちのほうが作文が得意だと思いますか?  おそらく多くの人が「文系だ」と答えると思いますが、実は数学をきちんと勉強している人ほど、作文が得意な場合が多いのです。 

 

 これは、僕以外にも、かなりいろんな人が言っている話です。例えば以前、僕が大手予備校で大学受験生に国語を教えているトップ講師の方に話を聞いたところ、こんなことを言っていました。 

 

 「自分は国語を教えていて、生徒の大半は文系だ。当然ながら、その生徒が数学の勉強をどれくらいやってきたのか、受験科目として数学を使おうとしているのかどうかは、わからないままで指導している。 

 

 それなのにもかかわらず、その生徒が書いてきた国語の答案の文章を見ると、大体『あ、この生徒は数学の勉強をきちんとしているな』『この生徒は数学をやっていないな』というのは一目瞭然なんだ。それくらい、数学は、思考の仕方や文章の書き方に多大な影響を与える」と。 

 

 すごい話ですよね。「なんで算数や数学ができる人かそうでない人なのかが、国語の文章に表れるんだ?」と僕は不思議に思いました。でも、それからしばらくして東大の文系受験生に指導している際、「あ、こういうことか!」というのがわかったのです。 

 

 実例を交えたほうがわかりやすいと思うので、こちらの文章をご覧ください。これは、数学を勉強していない生徒の回答です。
 

 

「1582年に本能寺の変が起こったことで、豊臣秀吉が天下を取ることとなった」
 

 

 

「フランス革命の結果、ナポレオンが皇帝になった」 

 どうでしょうか?  みなさんはこの文に違和感を持つでしょうか?  持たないでしょうか?  

 

■「=」の関係性を意識できるか 

 

 まず、どちらの文も、「完全な間違い」とは言い難いです。1582年に本能寺の変が起こったのは事実ですし、その後、豊臣秀吉が天下を取ったのも事実です。フランス革命後、ナポレオンが台頭し、そして皇帝になったのも事実です。 

 

 でも、これらの文章に違和感を覚えた人も多いと思います。きっとその人は、「=」の関係性を理解している人なのではないかと思います。 

 

 算数や数学は「=」を積み重ねて答えを出していくという科目です。 

 

30×4+12 

=120+12 

=132 

 と、最初の式と同値な内容で変形させて、答えに近付けていきます。逆に言えば、「=」で結べない内容に関しては、違う式で整理します。「=」とは、同じ値の整理だからです。 

 

 このように、同じ値を整理していくことを繰り返すのが数学的思考の特徴です。 

 

 では、その視点で先程の文章を読んでみましょう。 

 

 「本能寺の変が起こった」=「豊臣秀吉が天下を取る」でしょうか?  違いますよね。「本能寺の変が起こった」ことで、「明智光秀が織田信長を討った」。そして、「明智光秀を、豊臣秀吉が討った」ことで、「豊臣秀吉が次の天下人になった」んですよね。 

 

 それを、「本能寺の変が起こった」=「豊臣秀吉が天下を取る」としてしまっているわけです、これでは文として説明不十分と言わざるを得ません。 

 

 「フランス革命」=「ナポレオンが皇帝になった」わけではなく、「フランス革命の結果発生した諸外国との戦争で活躍したナポレオンが、その後、皇帝になった」という話です。それを、「=」で結ぶのは実態と大きくズレているのです。 

 

 文章を作るとき、あるいは物事を思考するとき、前後のつながりをしっかりと理解できていることが大切です。「AだからB、BだからC」という思考を繰り返して、「つまり、AだからC」というように頭の中を整理していくわけです。 

 

 

 そして、この「だから」の部分を学ぶのが算数・数学という科目です。 

 

 それなのに、最初から「AだからC」、またはもっと飛ばして「AだからZ」などと考えていると、頭の中がごちゃごちゃしてしまって、整理できないのです。 

 

 数学的な思考の重要性は、1つひとつの物事を「=」で整理する習慣が付くところにあります。これが、論理的な説明をするために必要なのです。 

 

 「論理的」とは「論理の法則に則っていること」ですね。そして論理とは、「AだからB」「BだからC」……という繋がりを理解することです。だからこそ、数学的な思考を鍛えるというのは、論理的な思考を鍛えることにつながる部分があるのです。 

 

■「必要条件と十分条件」は論理的な思考の第一歩 

 

 ちなみにこのような「2つの事象の関係性」について、高校の数学ⅠAでは真っ先に教えてくれます。「必要条件と十分条件」という話を覚えていますか?  これは、AとBという2者の関係性が、必要なのか十分なのかということを指します。 

 

 教科書には大抵、こんな感じで書いてあります。 

 

2つの条件p, qについて、命題「pならばq」が成り立つ時、pはqの十分条件、qはpの必要条件である。 

 

 具体例として、「冷奴」で考えてみましょう。目の前になにかの料理があります。もし、この料理が冷奴であれば、その料理は豆腐料理ですよね。 

 

 つまり、「冷奴 ならば 豆腐料理」が成り立ちます。 

 

 さて、目の前の料理が豆腐料理かどうかを判別したいとします。このとき、その料理が冷奴であれば、その料理が豆腐料理であることを十分保証してくれます。このことから、「冷奴」であることは、「豆腐料理」であることの十分条件だとわかります。 

 

 逆に、目の前の料理が冷奴かどうかを判別したいとします。このとき、その料理が冷奴なのか麻婆豆腐なのか味噌汁なのかはわかりませんが、少なくとも豆腐料理であることが必要です。このことから、「豆腐料理」であることは、「冷奴」であることの必要条件だとわかります。 

 

 こうしたことを勉強していると、「AならばB」という2つの関係性、つまりは「論理的な考え方」に繋がっていくのです。 

 

 「数学なんて勉強しても、なんの意味もない」「どうせ計算とか数字にちょっと強くなれる程度だろ?」と考える人も多いかもしれません。 

 

 でも、計算や数字を扱う部分以外のところで、論理的に物事を考え、論理的に説明する力が鍛えられるというメリットもあるのです。みなさんぜひ、参考にしてみてください。 

 

西岡 壱誠 :現役東大生・ドラゴン桜2編集担当 

 

 

 
 

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