( 185915 ) 2024/06/30 02:07:54 0 00 今回の東京都知事選挙では「掲示板ジャック」が多くの場所で起きた。本来、東京都知事選挙はもっと重要視されなくてはならないはずだ(写真:アフロ)
日本国民「全員」が、7月7日に投開票が行われる東京都知事選挙に衝撃を受けている。私も、もちろん驚いた。
あらためて、これに関連した「3つの衝撃的な事件」について振り返ってみたい。
■目立ちたいなら都知事選以外にも選択肢はある?
第1に、56名もの立候補者がいたことである。昨今、誰も政治家になりたくないから、地方の自治体選挙では候補者不足にあえいでいるところが少なくない。
私もこれだけ世間に攻撃される一方の政治家は割に合わない仕事で、娘がいたら最も勧めない職業だろう。それにもかかわらず、東京都選挙管理委員会が準備したポスター掲示板に収まりきらなくなってしまった。
それにとどまらず、第2に、その掲示板に猥褻(わいせつ)なポスターが貼られたり、まったく無関係な人のポスターが貼られたりした。その話題性で、貼った側はSNSなどで利益や広告メリットを得たもようだという。
そして第3に、これはあまり注目されていないが、テレビなどのメディアで候補者による政策討論会があまり行われていないということである。
これらが起きている原因は、表面的には東京都知事選挙は目立つからである。だが、政治的に何か言いたいことがあるなら、同じ知事選挙なら埼玉県や、千葉県、神奈川県などの知事選挙、こちらのほうに出たほうがいいような気がする。東京近郊だし、候補者も56名に埋もれるよりはかなり少なくなるから、何人かのうちの1人になれる。
政策討論会にも呼ばれるかもしれない。しかし、どうもそれではダメなようである。なぜなら、東京という大都会と違って、千葉や埼玉、そして神奈川でさえも田舎だからである。
実際、前出の第2の現象、卑猥なポスターが例えば千葉県知事選挙で貼られたらどうだろう。おそらく全国ネットのニュースでは取り上げられにくい。千葉ローカルニュースである。仮に関東のニュースで出たとしても、「ひどいもんだな、千葉県民は」と、埼玉県民にバカにされるだけではないか。
しかし、東京都知事選の事件のニュースは全国を駆け巡り、「日本人はどうなってしまったんだ」「もう日本は終わりだ」となる。「愉快犯」のような行動を取る者にとってはやりがいがあるのだ。だから第2の広告効果も出てくる。東京での話題は日本での話題だ。アクセスが伸びるのだ。
■「ポスター」掲示板を廃止すればいいことづくめ?
ところで、せっかくだから、今回のようなとんでもないことをしている人々への「とっておきの対策」を伝授しよう。それは、候補者のポスター掲示板を廃止することだ。
そもそもポスター掲示板なんていらない。顔と名前だけだからだ。ルッキズム批判をするなら、いっそのこと、選挙ポスターに顔写真を貼るのを禁止すべきだ。
名前もどうでもいい。知名度よりも中身だ。政策を掲示するには掲示板は適さない。だから、もともとポスター掲示板はいらないどころか、存在自体がおかしいのだ。その代わり、送られてくる投票用紙に冊子を同封することとして、候補者1人当たり1ページの政策提案を提出させることにする。その際は写真・イラストは禁止し、文字だけとする。これで、少しは政策で決める選挙になるはずだ。
「なんてすばらしい提案なんだ! 小幡くん」とは、誰もほめてくれない、しかし。なぜか? それは、前述の「第3の事件」が示すように、ほとんど誰も政策には関心がないからだ。東京都知事選挙では政策の論点はないに等しいのだ。
実際、1995年以降、東京都知事は全員、いわゆるタレントや知名度が極めて高い候補が当選している。タレント出身であること自体悪いことではないが、これは政策よりも知名度が重要視されていることの表れであることは事実だ。
なぜ、東京都知事選挙では政策が重要視されないのか。それは、東京には問題がないからである。困っていないからである。
さすがにそれは言いすぎだが、東京以外の地域に比べれば圧倒的に困っていないし、政策を必要とする問題が少ないのだ。問題はもちろんあるし、困っている人も大勢いる。しかし、それは都知事による政治的な出番ではなく、細かい個々の問題を丁寧に解決していくことが重要であるのだ。
例えば、一応、都知事選の争点になるかもと言われている神宮外苑の再開発問題であるが、これはまったく重要でないどころか、そもそも争点の土俵に乗らないのではないか。
なぜなら、再開発は民間が事業主体で、東京都ではないからである。明治神宮という一組織が、今後の運営に関して資金を多少捻出する必要があるために、再開発のときに樹木を数百本伐採するというだけのことだ。
東京都は現在事業者に樹木保全策を求めているが、法的な拘束力はないとされる。太陽光パネル設置を無理に推進することで、日本中で何百万本もの樹木が伐採され、山が切り崩されているのはある意味無視しているのに、東京都心の木が数百本切られるとなると大騒ぎになる。
これでは、ポスター騒ぎと本質的にはあまり変わらず、騒ぐために騒いでいるようなものだ。かつ、東京の問題は日本の問題として盛り上がるからやっているのである。つまり、論点になる政策はないに等しい。
■「少子化対策」よりは「子育て・若者支援」に
あえて言えば、都知事選の話題に一瞬なりかけたのは、少子化問題だ。少子化が進む日本で、合計特殊出生率がついに1を割って0.99となってしまった全国最低の東京で、少子化対策を競い合うとメディアははやし立てた。
しかし、実際に各候補者が提案している政策は、どちらかというと出生数を増やす政策というよりは子育て支援や若者支援である。これは三重の意味で正しい。
第1に、現在の日本では(実際にはほぼすべてのアジアの国で、実は多くの欧米諸国でも)、いかなる政策でも出生率を上げることは難しいからだ。
第2に、選挙対策としては、国を憂うる政策よりも、自分自身に配られる現金のほうが圧倒的に効果的だからだ(これはまさに日々、1回の選挙ごとに、未来の日本よりも今日の自分の懐が大事という度合いは、驚くほどの勢いで高まっている)。
第3に、本当に人口を増やすためには、一地域で対策をとってもあまり意味がないから(例えば、出産するための住居を埼玉から東京に移すだけだから)である。
■「政局祭り」に仕立て上げたかっただけ?
しかし、それならばなぜ、メディアは少子化対策が都知事選挙の争点になると思ったのか? それをあおったのか?
それは、国政選挙の代理戦争ということにしたかったからである。そして、それは人々にとっても違和感がないし、かつ、大手新聞やテレビ局などの政治部記者としては盛り上がる。つまり、政局祭りに仕立て上げたかっただけなのである。
実際、都知事選挙は盛り上がる。政策の論点の少なさや選挙の接戦度合いなどからいっても、埼玉や千葉の選挙戦よりも有権者にとってより重要であるとは思えないが、これら2県の知事選の投票率をはるかに上回る。実際、50%を超えることが多いし、平成に入ってからも60%を超えたこともあった。
一方、埼玉は20%台のときさえあり、その他の場合は30%台であり、千葉も多くの場合は30%台だ。それはメディアが取り上げるからであり、全国的なイベントとして盛り上がるからであろう(確かに、千葉都民、埼玉都民という面はあるにしても)。
つまり、都知事選は「愉快犯」、メディア、有権者、そして日本国民、すべての人にとってお祭りだ。
だから、逆に言えば政治に敬意を払わない人々からなめられて、「どうせ、この選挙はエンターテインメントだろ、なら遊んでやれ」、ということが無意識に働いて、集客効果が大きいことと相まって、とんでもないことが(つまり、卑劣な手段により盛り上げるということ)横行するのだ。この破廉恥な選挙への冒涜は、まともな有権者や日本国民全体の気の緩みの反映でもあるのである。
ここに提案しよう。選挙の候補者のポスター掲示板を廃止するだけでなく、都知事選挙も都知事も廃止してしまえばよい。トップが必要なら、国会と同じく、議院内閣制のように、都議会議員の互選で選べばよい。少なくとも、エンターテインメントによってトップが選ばれるというおぞましい事態は回避できるだろう。
■東京は本当に「ブラックホール」なのか
さて、選挙はエンターテインメントであるならば、逆張りの小幡績としては、本質的な議論を東京についてしてみたい。せっかく少子化問題が上がっているので、東京と日本の少子化問題を例に挙げて議論しよう。
実は、先日、あらゆる政策に関する有識者だが、少子化問題についてはさまざまな見識を持っている、ある尊敬する友人に、東京の少子化問題について、いろいろ教えてもらった。彼は、消滅自治体の議論がミスリーディングだと憤慨していた。とりわけ、「東京ブラックホール論」には強く反論し、日本を誤った方向に導くと反論を述べていた。
東京ブラックホール論とは、上智大学の中里透准教授の説明を借りると、 「出生率のデータが公表されると、東京都はいつも最下位となる。にもかかわらず、若者は東京に集まる。出生率の高い地域から低い地域に人が動けば、日本全体として出生数が減り人口減少が加速する。全国から若い人を集めておきながら、次の世代を担う子どもたちを生み育てることのない東京は『ブラックホール』である」(シノドスより)ということだ。
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