( 186022 )  2024/06/30 15:49:23  
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「昭和を冷たく笑う人」たちが「日本の分断」を招く理由 「共通の記憶」なき私たちに未来は描けるのか?

東洋経済オンライン 6/30(日) 13:32 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/908f89c7ea348a5bde649056aa6f0ed33ae6f311

 

( 186023 )  2024/06/30 15:49:23  
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井手英策さんは、自身の経験から「ベーシックサービス」を提唱し、自己責任論に疑問を投げかけています。

彼は、昭和時代のヒットソングや戦後の困難な時代の記憶を通して、現代の社会における世代間や世代内の分断が加速していることを指摘しています。

共通の困難や共在感を持たない現代社会では、「あちらがわ」と「こちらがわ」が分断され、自己の価値観を重要視する傾向があると述べています。

最終的に、現代社会の「分断」と向き合い、共に生きるための価値観を模索する必要性を示唆しています。

(要約)

( 186025 )  2024/06/30 15:49:23  
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連載第13回のテーマは「戦後を終わらせるために」です(写真:photochic/PIXTA) 

 

財政社会学者の井手英策さんは、ラ・サール高校→東京大学→東大大学院→慶應義塾大学教授と、絵に描いたようなエリート街道を進んできました。が、その歩みは決して順風満帆だったわけではありません。 

貧しい母子家庭に生まれ、母と叔母に育てられた井手さん。勉強机は母が経営するスナックのカウンターでした。井手さんを大学、大学院に行かせるために母と叔母は大きな借金を抱え、その返済をめぐって井手さんは反社会的勢力に連れ去られたこともあります。それらの経験が、井手さんが提唱し、政治の世界で話題になっている「ベーシックサービス」の原点となっています。 

 

勤勉に働き、倹約、貯蓄を行うことで将来の不安に備えるという「自己責任」論がはびこる日本。ただ、「自己責任で生きていくための前提条件である経済成長、所得の増大が困難になり、自己責任の美徳が社会に深刻な分断を生み出し、生きづらい社会を生み出している」と井手さんは指摘します。 

「引き裂かれた社会」を変えていくために大事な視点を、井手さんが日常での気づき、実体験をまじえながらつづる連載「Lens―何かにモヤモヤしている人たちへ―」(毎週日曜日配信)。第13回は「戦後を終わらせるために」です。 

 

■昭和のヒットソングに溶け込む「寂しさと温もり」 

 

 私はお酒を飲むのが好きだ。家族ともよく居酒屋にいくのだが、ここ数年、あちこちで、聞き覚えのある、なつかしい音楽を耳にするようになった。 

 

 私たち団塊ジュニア世代は、人口が多く、年収もほぼピークだ。おそらく飲食店は、「上客」である私たちが喜ぶ「昭和のヒットソング」を戦略的に流しているのだろう。 

 

 私にとって、昭和のヒットソングには、寂しさと温もりの両方が溶けこんでいる。だから、そんな音楽を聴きながら飲む酒は、特別な味がする。 

 

 子どものころの私は、アレルギー持ちで、食べあわせが悪いとよくジンマシンが出ていた。小学生の途中から母がスナックの仕事をはじめたのだが、生活の変化になじめなかったからか、さらにひどい湿疹に苦しめられるようになった。 

 

 直径20センチくらいのふくらみが全身のあちこちに広がる。裸になって背中を鏡に映す。見苦しさに鳥肌が立ち、ひとりぼっちが悲しくて、涙が止まらなくなる……。 

 

 そんな孤独な夜に、気をまぎらわせようと聴いていたのが、テレビから流れる昭和のヒットソングだった。私にとって昭和の歌は、陽気だけど悲しみの調べであり、静かだけど唯一頼れる友の声だった。 

 

 

 私は母に心配をかけたくなくて、ジンマシンのことをいえずにいた。だが、ストレスから、段々、チック症状が出るようになった。とうとう耐えきれなくなり、泣きながら電話をしたのをきっかけに、母は私を店に連れていくようになった。 

 

 お客さんの多くは、歳のころ50から60の男性だった。店にいる小学生がおもしろかったのか、わざわざ1曲100円のお金をはらって、私に歌を聞かせてくれる人たちがいた。 

 

 彼らは戦争を知る世代だった。戦前の曲や軍歌を聞かせてくれる人、占領期の流行曲を教えてくれた人もいた。みな酔っぱらって、ときに涙しながら、ときに誇らしげに、歌を、物語を、私に聞かせてくれた。私は彼らの古くさい歌が大好きで、いまでもたまに口ずさむ。 

 

■傷痍軍人のひどい演奏に母と叔母が涙を浮かべたワケ 

 

 もう1つ、忘れられない音楽の記憶がある。それは、駅の前、デパートの前で、戦争で大ケガをした「傷痍(しょうい)軍人」が演奏していたハーモニカとアコーディオンだ。 

 

 真っ白な衣装を身にまとった、足や手のない演奏者のかたわらには、大きな鍋が置いてあった。行き交う人びとがそこにお金を落とす。私の母と叔母も、額こそ少なかったが、彼らを目にするたびに寄付をしていた。 

 

 演奏技術はさまざまだった。あるとき、ハーモニカを口に当て、息を吸ったり吐いたりしながら、2つの音しかない「曲」を奏でる人がいた。子どもの耳で聞いてもわかる、ひどい演奏だった。 

 

 ところが、母と叔母は目に涙を浮かべながら、一言、二言、何かを彼に伝えてお金を鍋に入れた。私は「下手やんね!」と不平を口にした。二人は、私を諭すようにいった。 

 

 「あれがあの人のお仕事たい。体が不自由なとにね。立派な人やね」 

 

 いずれも大切な私の記憶なのだが、ふと、私の脳裏を、ある言葉がかすめる。 

 

 「昭和かよ!」 

 

 そうなのだ。私の記憶は昭和らしさに満ちているのだ。 

 

 思えば、ここ数年、昭和という言葉は、すっかり古くさいものの代名詞になった。若者だけではない。私たち世代のなかでも、否定的なニュアンスで昭和を用いる人が増えた。 

 

 母は昭和1桁の生まれ。少年時代の境遇もあり、私は友人以上に「昭和らしさ」を身につけている。平成生まれの人たちにしてみれば、私の話など、親父の昔語りなのかもしれない。 

 

 とはいえ、私にとっての昭和は思い出の宝庫だ。古くさいから、と簡単に切り捨てるわけにもいかないから、「昭和かよ!」という表現を聞くと、なんとも複雑な気持ちになる。 

 

 

■加速する世代間・世代内の分断 

 

 現代人が昭和を語るとき、戦前をさすことはあまりない。しかも、当たり前だが、昭和は元号だから日本に固有の時期をさしている。 

 

 おそらくは、奇跡的な復興を遂げたのち、悲しくも、長期にわたる停滞と没落の道をたどることになった戦後日本、失敗の象徴として、昭和は語られているのだろう。 

 

 戦後はいつ終わるのか。これは、繰り返し問われてきた問題だが、いよいよ私たちは、戦後の<切り離し>にかかっているのかもしれない。 

 

 「昭和かよ!」のひと語は、戦後日本の歴史をあざやかに切断する。返す刀で、「ダメだった人たち」を「あちらがわ」に閉じこめ、自分たちを新しい価値観で生きる、未来志向の「こちらがわ」の人間として描くことを可能にする。 

 

 一方には、世代間の意図的な断絶があり、他方には、レッテル貼りと近しい世代の否定、すなわち、他者の否定と自己の肯定がある。私に近い世代の人たちまでもが昭和を冷笑し、「こちらがわ」であることをほのめかす。こうして、世代間、世代内の分断が加速される。 

 

 だが、そもそも、否定によって定まる<己(おのれ)>、否定すべき価値でしか定義されない<己(おのれ)>とは、いったい何なのであろうか。「こちらがわ」で生きている人たちに、私たちは何者かであるという、集団内で共有された価値はあるのだろうか。 

 

 昭和は、よくも悪くも<共在感=共にあること>を実感できた時代だった。 

 

 戦争に敗れた国民は、飢えに苦しみ、痛みを分かちあいながら生きてきた。貧しさは、世代をこえた、国民に「共通の困難」だった。だから、人びとは「傷痍軍人」に同情し、涙したし、戦後に遅れて生まれてきた私は、それを不思議な気持ちで見ていたのだった。 

 

 戦後日本では、富裕層や大企業に重たい税が求められた。国税と地方税をあわせて、税率が9割に達する、そんな重税が富裕層に課されたし、法人税率も先進国で最高水準だった。戦争でもうけた人たちは、高い税をはらうべきだ、という「共通の価値」があったからだ。 

 

 だが、「共通の記憶」は、ときの流れとともに薄れていった。日本だけではない。平等主義で知られた北欧諸国でさえ、経済格差が広がり、その他の先進国でも、富裕層や大企業への減税が繰り返されてきた。 

 

 

 戦争の記憶、戦後の苦闘を礼賛したいのではない。 

 

貧しさ、悲しみ、不公平への怒りといった「共通の記憶」を持てない私たちは、この社会を共に生きる仲間たちへの優しさを失いつつある。まるで、戦争という悲劇が、無関心という悲劇に置き換えられるかのようだ。私たちは、この現実と、どう向きあえばよいのか(連載第4回『娘が流すSnow Manに私が「日本の未来」感じた訳』参照)。 

 

■人びとは無意識に線を引く 

 

 昭和を生きた人たちは「共通の記憶」を持ち、成長と平等が両立する国を作ってきた。私にいろんな話を聞かせてくれたほろ酔いのお客さんは、心に傷を負いながらも、誇りと優しさにあふれた人たちだった。 

 

 だが、結局、彼らが残したのは、停滞が続く経済であり、みなが生活防衛に追われるなかで、弱い立場に置かれた人たちを放置する「分断社会」だった。それが、「共通の困難」に立ち向かう意志、<共在感>をなくしてしまった日本社会の現在形である。 

 

 人はだれかと共にありたいと願う。問題なのは、どのように共にあるのか、だ。 

 

 人びとは、無意識に線を引き、「あちらがわ」と「こちらがわ」を切りわける。「昭和かよ!」とにこやかに語る。だが、この一言で、<過去といま>が切断され、<他者と私たち>の裂け目が生まれる。そして、「こちらがわ」の人びとは、ささやかな一体感に酔いしれる。 

 

 私は、第1次世界大戦の敗北の歴史を切り離し、アーリア人と非アーリア人とを区別しながら後者を断罪したドイツの過去を思いだす。かの時代の残酷さや暴力性はない。だが、私たちが直面しているのは、「いい人ぶったファシズム」なのではないか。 

 

 「昭和かよ!」の向こうにあるのは、新しい社会への意志ではない。自分自身の価値に基づいた定義でもない。古い時代を否定することで、衰退したいまを見えなくする。それは<現状肯定>であると同時に、恵まれた地位にある上の世代への<静かな抵抗>である。 

 

 

( 186024 )  2024/06/30 15:49:23  
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音楽やテレビ番組、そして日本の歴史や社会について、昭和時代と現代との間には様々な意見や記憶が存在しています。

昔の音楽やテレビ番組には、様々なジャンルや歌手が広く支持され、民謡や童謡も親しまれていた時代がありました。

一方で、昭和時代には戦争や経済的苦しみもあり、今の様に情報技術が発展していなかったので情報の少なさから共通の記憶や一体感があると言われています。

 

 

現代では個人主義や分断が進み、ネットやSNSが個々の意見や情報を増幅させ、共通の価値観や記憶が希薄になっているとの意見も見受けられます。

また、経済や社会的格差の拡大や個人情報保護などが課題として提示されています。

 

 

昭和時代を懐かしむ声もあれば、現代を肯定する声もあり、両者のメリット・デメリットや価値観の相違が明確に表れています。

各人が自らの経験や価値観に基づいて昔と今を比較し、それぞれの時代に対する見解や感情が多様に存在していることが傾向として見受けられます。

 

 

(まとめ)

( 186026 )  2024/06/30 15:49:23  
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・音楽、特にテレビ番組から出てくる音楽に関しては昔と今とでは大きな相違を感じることはたしかであると思う。 

こういう私も年寄りになったが、その昔「シャボン玉ホリデー」のレギュラーだったザ・ピーナッツさんやクレージー・キャッツの面々、土曜日に番組を持っていた坂本九さんなど、あるいは美空ひばりさんでも、こうしたプロの歌手は必ずしも自分の持ち歌だけではなくひと昔前の懐メロや軍歌、流行歌以外に民謡や童謡も、つまり我が国の音楽文化を伝えるという意図であらゆるジャンルの曲を歌える人たちがプロの歌手の使命と思われていた。いや、あの悪名高き教育ママに指摘されたドリフターズの全員集合だって、中間に名曲の合唱隊コーナーを設けて童謡唱歌の名曲を伝えて、私はあれが一番楽しみだった。 

そういうことを70年代の顔だけのアイドルの時代からやらなくなった。このために特に童謡の名曲が知られなくなった。要因はここらにあると思う。 

 

 

・この子が、中学生の頃、当方は30代で仕事で忙しかった。東宝の戦時映画が並木座で上映され見ること出来た、軍隊に行っていた真の戦中派がリタイヤした時代。 

当方が10代の頃60年も前、TVで戦時歌が放映されていた。街角に傷痍軍人が居た。しかし、世の中は戦争を隠していた。大人も訊かない限り言わなかった。一方モダンな歌謡曲があっちこっちで聴けた。 

大人は皆親切だった。その折々の光景が目に浮かぶ、カラーだね。 

懐かしか。 

 

 

・この歳でもうこだわるべき事じゃないが、近年とても残念なのがテレビの衰退だ。どこにいる人も同時視聴によって経験を共有できる仕組み。過去これが国民の一体感の醸成に果たした役割は大きいと思う。しかし自分は今のテレビは面白く無いのでほぼ見なくなったし、自分の子供に至っては全く見ない。昭和期は娯楽も少なく、テレビは様々な実験的なものがあり、規制も少なかったから興味の赴くままに見ていた。様々に世論誘導されていたという否定的な側面もあるが、それでもテレビが国の存在に対する肯定的な意識を育ててきた意義は大きいと思う。今の高齢者が、若者が昭和を否定するのを見て感じる違和感は、このテレビで育まれてきた意識とのギャップもあるのではないか。情報技術が進んだ今、テレビが昔の隆盛を取り戻すとは思えないし、酷い偏向報道も見えるから礼賛はしないが、何か共通体験を通じて国民の一体感を醸成する手段が他に無いものかと思う。 

 

 

・昭和てのは長いし、戦争があったから、今の人が評価できる時代じゃないと思うが。昭和は、暴力も貧困も当たり前だった。戦争終わってから、経済成長期の日本は良かったと思う。贅沢なくて地味だけど、今より幸せだったと記憶する。今の日本は、ほんと厳しい、良くない時代だと思う。 

 

 

・昭和30年からの人生だからいい時だったのだろう。それでも人生はそれぞれだ。30歳で病死した父、三歳と一歳を食べさせることになった母、24歳で勤めたことのない母だったが、親も含め身内が皆近くにいたからやってこれたと言う。確かに子供の立場からは特に困ることもなく緩く過ごせた気がする。女三人ということも緩くいられた要素有り。平成はあっという間に終わった感が強い。ただ必死で働いた。いろいろかかる年齢であったから。令和で少しゆとり、と行きたいがあちらのゆとりはないのでパートは続く。ただ母も妹も、又近くに居る3人の状況が幸せである。 

 

 

・昭和の人達が築き上げた全ての技術を駆使しているだけなのに内心思ってみたりしますが、裕福でなんでも揃っている中で生まれた人にはわからないのだと思います。ちなみに今はなくてはならない、インターネットは、35年前に開発が始まっていました。当たり前のように使っているものも多くが昭和の人達が駆使して開発したものが多のです。 

 

 

・昭和のよさは情報の少なさから来る共通意識。ヒットソングなんて誰もが知る共通項でしたね。荒々しい時代とも言えますがどこかで個人を尊重してた部分も感じます。世の中の方々が同じ方向に向いてる感じは昭和ならではの調和ではなかろうか。 

 

 

・資本主義の構造上、(全体の)一体感は二度と得られないだろう。 

どこまでいってもゼロサムゲームであることを世界中の皆が知った今、一体感などあっては「稼げない」のだから・・・ 

誰とも共感せず、誰かを利用し、搾取してこそ、そこに差が生まれ、己が有利になれるのだから・・・ 

この結論に皆が至ったのが、現在の日本の姿だろう。 

昭和以前の本来の日本の強みは、どこからともなく自然と起こる「柔らかな全体主義」だったということだろう。 

グローバルな資本主義社会の現代において、一番遠いところにあるものだ。 

 

 

・昭和30年代生まれです。 

若い頃、変にイキってた私にとっては昭和平成の自分が黒歴史なのでそれがたとえ東京五輪(三波春夫さんの)、大阪万博(月の石の)などの明るい話題であっても、その時代そのものをあんまり思い出したくないです。 

楽しかったなーの後に、「あんなことしなきゃよかった、言わなきゃよかった」と布団の中でバタバタする様な思い出がついて回り…。 

「寅さん」とか「若大将」とか「サザエさん」も好きではないです。グルーサウンズも歴代御三家も聖子ちゃんも全然乗れなかった。 

バブルも他人事で知らない間に弾けてたらしいし。 

冷たく嗤うわけではないけれど、大雑把でガサツで人間臭い時代だったんじゃないですかね。それが懐かしい人もいるでしょう。 

個人的には歳は取ったけど今が1番いいです。記憶には残っていますが懐かしいわけではないですね、昭和平成って。 

 

 

・昭和が心地よく感じるのは、成長の時代だったから。 

より良い家電、車、装飾品。 

生活が段々と良くなっていくのは楽しいものです。 

今はずっと停滞している時代なので、見え方や考え方が違うのは当然。 

 

昭和かよ、に嫌悪感を感じているのは誰よりも時代に囚われている証明。 

すでに時代が違うんです。 

別に聞き流せばいいでしょう。 

 

そもそも昭和じゃなくとも、10年20年経てばものの見え方は変わる。 

昔の子供時代のワクワクを思い出したくて昔のものを見るのは誰もがやる行為です。 

今の音楽を聞かずに昔の音楽やアニメ、小説などを何度も見返してしまうのはそのため。 

 

今の人に昔のものがいいからと教えるのは単なるエゴです。 

自分フィルターがかかっている上に相手が求めていないのだから。 

 

 

 

・時代の変化で人も変わる。 

人がいちばん時代の影響を受けるのは、少年期から青年期だろう。 

その頃に過ごした時代は輝いて見えるのかも知れない。記憶は美化されるというし。 

育った時代で考え方が分断されやすいのも、これはもう仕方ないのだと、互いに認め合うしか無いと思う。 

 

 

・昭和はまだ人間味に溢れた時代でしたからね。山口百恵を大切に芸能界全体で守り全ての日本人が温かく送り出しました。 

平成になると歌姫中森明菜を集団で叩きつぷした金屏風から始まりメディアと業界がグルになったくだらない出来レースの時代。 

何一つ心に響かないペカペカの音楽のオンパレード。 

令和になるとYOASOBI、Ado、藤井風、米津玄師等の世界的なアーティストが急出現してミュージックシーンに活気が戻って来ました。つまり昭和も令和も素晴らしかったけど平成は何も記憶に残らない、日本が衰退しただけの最悪の30年でした。 

 

 

・昭和レトロな雰囲気に憧れる若者もいると思いますが。 

美化し過ぎてると思いますね。 

実際の昭和は、道路は水溜りだらけ、道にタンやガムを吐き散らす人も大勢いて、首都でもそこら中にハエが飛んでで、教師による暴力的指導は当たり前、校則を守らないと「不良」と言われ。上司のパワハラや残業過労死も当たり前、通勤時間帯は満員を越してて駅員が押し込まないと電車に乗り切れない。大気汚染で夏は連光化学スモッグ注意報連発でも、教室にクーラーはない。 

ネットもない、Amazonもない、カフェもない、コンビニもない。 

昭和の方がいいとか、ありえないですねえ。 

老人だってもはや、あの世界には戻りたくないでしょう。 

 

 

・貧しさに負けた〜「昭和枯れすすき」150万枚1975年のオリコン1位の楽曲。「時間ですよ昭和元年」というテレビ番組の挿入歌。昭和が始まる時代もそんな時代だったのだ。そして大戦。昭和は長い。筆者の発想は間違っていると思う。平成は30年以上続いた。何かを成し得るには十分な時間があった。 

平成に階層分離が始まり分厚かった中流が痩せ細った原因を探るべき。これは経済ばかりの問題ではなく、労働に対する価値観、家族観、男女の価値観、国民性、国民意識の問題も大きい。 

 

 

・まあ、気持ちは判るけど、しかたないよ。 

言うてもこれからの時代を作るのは若者だから。 

ただ、タイパにとらわれ過ぎるのは、能力の成長を阻害しないか 心配になる。 

早咲きもいれば、大器晩成タイプだっているからね。 

タイパを重視しなければいけない時代になった ってことなんだろうけど。 

日本人って気質的にコツコツ積み重ねる人の方が多いきするんだけどなぁ。 

 

 

・現在、50半ばのおやじです。 

昭和・平成・令和と生き感じる事は昭和の時代は緩やかでそれぞれがモラル、常識を持って生きていて楽しかったと思います。 

当然、学生時代ではありましたが1学年16クラスあり自分を表現するのに必死だった様に思います。 

今、思い返しても何と戦っていたかはわかりませんが毎日が充実していた様に思います。 

今の時代、ハラスメントやコンプライアンスなどしんどい時代になったなぁーと思いながらのんびり仕事してます。 

 

 

・今のヒットソングでも若い人でも知ってる人と知らない人がいる。 

TVは見ない人が多い。 

娯楽も多い。個人が優先される時代。興味がない対象にはとことんスルー。 

推しには全力投球。 

 

昔は娯楽も少ないからみんなTVとか観てた。だから共通の話題もヒットソングとか話題にも共通性があったと思う。 

東京オリンピックとか日本が一丸となって成功を目指してたイメージ。 

オリンピックまでに・・・高速道路、東京タワー、新幹線完成・・・ 

 

数年前の東京オリンピックなんて興味すら持たない人が多かったはず。 

 

今と昔どっちがいいかはわからない。 

資本主義、民主主義だから格差はあるだろうし、グローバル化でさらに格差は広がる。 

でも個人として生きやすい時代になったかもね。結婚しなくても文句言われないし。 

 

 

・戦中や復興期も昭和だし、バブル期も昭和。 

経済的な豊かさからか、戦争や戦後復興を過去のものとして葬った感が強くなるバブル期に平成へと移行するが、その後経済は衰退の一途をたどる。戦後復興と同様の経済的再建を夢見ながら・・・ 

夢と現実のギャップにもがき、そんな空気の中で醸成される「過去は別物(≒ヤツ等だけいい目を見やがって)」という怨嗟が昭和を冷笑することの一因なのかもなぁ…と思ったり。 

 

昭和アイドルがブームとして取り上げられているけど、団塊ジュニアなどのその時代への懐古とその時代を知らない世代のキラキラしたものへの憧憬からくるものなのか、そもそも日本人のメンタリティーに歌詞がマッチしているのか…どうなんでしょ。 

 

 

・昭和とひとくくりにしているけれど、戦前派、戦中派、戦後派で気質は大きく異なります。 

ここで昭和と行っているのは、おそらく戦前、戦中の人。終戦によりガラっと変わった価値観を押し付けられることを味わった人。 

戦後生まれは、米国に押し付けられた自由・平等に毒された世代。特に団塊の世代はそれに加えた人口増による競争激化により、人を蹴落とすことが当たり前となった世代。この世代が平成・令和の気質を生んだのではないかと思っています。 

 

コメントを、書いた人がどの世代なのか、想像しながら読んでいます。 

 

 

・昭和世代には「共通の記憶」があるのだろうか? 

昭和生まれでも僕は戦争を知らないが、この人も直接には知らないんでしょう。 

いま健在の昭和世代の共通の記憶としたら、紅白歌合戦くらいじゃないかな。 

あるいは、みんなもともとは貧乏だったという共同幻想みたいなもの? 

この人は苦しい境遇に生まれたが、優秀な頭脳を持っていたので出世できた。 

徹底的に貧乏くじを引いてしまった自分は令和の今になっても生活が苦しい。 

個人が運がいいか悪いかまで時代論で語れない。 

最近になってようやくそういうものを論じる哲学などが出てきたが、僕の年になれば何を今さらである。 

 

僕の要領を得ないコメントです。年を取ると愚痴っぽくなるのかな(笑) 

 

 

 

・私も子供の頃に梅田の地下街で傷痍軍人を見かけました。母親に寄付を促すと、「あの人は違う」なんて言って目的地へ引っ張られた記憶があります。その後、刑事ドラマで、駅中で傷痍軍人を装う悪人の描写を観て…「ああ、ヤッパリそういうことも有るのかぁ」と思ったのを思い出しました。 

 

 

・昭和を嘲笑う人は他のものも嘲笑っているような。反対に令和を嘲笑う人も同じ。 

それはおそらく狭い昭和やZ世代なんかしか知らないから。 

ヤスミナ・カドラは人間の悲劇は無知と誤解から生まれると言っていたけど、両方が重なった状態が続けばより悲劇も生まれやすくなるでしょう。AIやSNSなどの登場で、それ以前とはコミュニケーションの次元も変わってきていますしね。ここにも無知と誤解の要素がある。 

4次方程式までは代数的な解が必ず出せるけど、5次方程式以上は解が出せないものも出てくるというガロア理論はすでに19世紀からありました。 

濃霧の中で、敵味方が分からず不安を隠すように虚勢を張ったり、足が震えてうずくまったりするのも不思議ではない。 

だからオイラーも、eiπだけでなく1も定式に残したんじゃないかなと思うことがあります。結局はこの1が繋ぎ止めないと、割り切れない数も想像上の数もバラバラになるから。 

 

 

・ITの進歩、過度な個人情報保護やコンプライアンス遵守など、今は生身の人々の交流を妨げることばかり。 

老い先短い私は、これから長く生きていく方の世の中は本当にそれでいいの?と思ってしまいます。 

自身も含めてみんなが幸せになれるような世の中に変えていかないと、って思います。 

 

 

・日本人は、苦痛や忍耐それ自身に価値があると思っている人がとても多いです。 

私自身、それを親や先生から徹底的に仕込まれて、いまもまだ全部が取れていません。でもそれは恐ろしいところがあって、大事故を喜んだり、人々が苦しむ姿を楽しみに見たり、誰かに苦痛を与えるのを楽しむ心理なんかも作ります。苦痛こそ価値がある。忍耐こそ価値。そういう思考が、やがて自分自身に降りかかる。病気や苦痛にうんうんうならされる。でも、それにも価値があるんだと感じて、亡くなって行く。 

仏教でいうと、それだと次に生まれ変わったときも、また同じ繰り返しになる。何度生まれ変わっても、苦痛苦難、縛られた人生、他人を支配し自分を型に嵌め、規範に満ち、何の喜びもない繰り返しの人形のような人生を果てしなく生きる。 

そこからの解脱が必要。要は明るく子供の様な気持ちで世界の喜びに触れることのできる何の苦労も忍耐の必要もない社会を作ることです。 

 

 

・昭和は一億総中流という言葉が示すように、分断の少ない、社会全体が均等に豊かになった世代で、自分も結婚し子供を持ち持ち家を買い、年金で普通に生活できて幸運だったと感じている。 

今の人達は大変だ。 

分断の先にさらに分断が入れ子上に存在し、どのレイヤーに属すかという事を確認しなければ満足できない。 

低いレイヤーに居る人ほどさらに低いレイヤーを攻撃する事で自己の低さを正当化する。 

小人閑居して不善を為す、とはよく言ったものだ。 

小人も閑居する暇が無ければ不善を為さないのだろうが。 

 

 

・団塊ジュニアなら知ってる昭和は十数年しかないと思うけど。日本人がちょうど衣食足りて礼節を知ったのがその頃で、それ以前は令和よりずっと貧富の差や社会的亀裂は激しかった。進学率だって今と全然違うよ。私も同世代だけど、そんなに昭和って良かった?若者に「昭和じゃん」と切り捨てられるような価値観は昭和生まれにとっても要らないものだ思う。 

 

 

・自分も中学時代、足の無い傷痍軍人さんが薄いゴザに直に座らされて物乞いしているのを見た時は衝撃的だった。 あんな昭和要らない。 

 

自分もよくイジメ受けたよ保育園の頃から、自分ひとりがたった100メートルほど離れた隣町という理由で攻撃対象にされた。 あんな昭和も要らない。  

 

でも要らないと言っても記憶から消し去れない、事実だから。 苦しさ悲しさもあったけど、しばし良い昭和の思い出に浸るのもストレスから解放されるからね。 美化して天寿全うして何悪い。  

 

今、あざけり笑っている人間も同じような道辿るのを分かってるのに。平成は良かったとか言うだろうさ。 

 

令和時代の若い人が増えたらね。 

 

 

・何才であれ人間は助け合うものよ、本来は。動物界のように純粋にね、これが自然な姿。 

 

だが人間は違った。特に日本の世代間対立は権力者によって意図的に作られた。 

 

外国の投資家に乗せられ年金財源を焦がしてしまった日本政府は、年金を当初の積立式から→現役世代がお金を出す方式に変えざるを得なかった。 

 

世代間対立を煽るため連日メディアによって高齢者叩きが行われ、御用インフルエンサーは高齢者は全員自決せよだの、また他のインフルエンサーも白髪まじりの頭で高齢祝い金はケシカランと叫んだ。 

 

そうこうしていくうちに、日本人つまり自分達の老後が一生働かなくてはならないものになった事に、現役世代が気がついた。 

 

ロスジェネ含む現役世代が老後の不安を嘆き始めた。 

 

つまり、世代間対立は当初は政府の陰謀だったが、自分もいずれあちら側になる事を知っていたのに、自分の将来を貶める自虐をやってしまったという事になる、 

 

 

・「昭和」ってキーワードでご都合主義で取り上げられるよね。 

 

男尊女卑、滅私奉公が当たり前、多様化とは真逆の世界で人権が無視されていた暗黒の時代、っていう場合もあるし、逆に、バブルでウハウハ、みんなお金持ちで楽しくやってた、それが当たり前の享楽の時代だった、っていう場合もあるね。 

どちらの側面を取り上げるかは記事の内容次第。 

 

 

・昭和というと、流石に60年安保は知らないが、その後の東大紛争やベトナム反戦運動や山岳ベース事件、成田闘争、企業爆破、超法規的処置、テルアビブ乱射事件、ヨド号事件等の騒擾が続き、世の中が治まっているという感じがしなかった。多くは団塊世代が関係している。 

 

 

 

・昭和というと、流石に60年安保は知らないが、その後の東大紛争やベトナム反戦運動や山岳ベース事件、成田闘争、企業爆破、超法規的処置、テルアビブ乱射事件、ヨド号事件等の騒擾が続き、世の中が治まっているという感じがしなかった。多くは団塊世代が関係している。 

 

 

・自分的に平成二桁という用語を作ってみたよ。 

失われた30年と言われたような時代に価値観の変革そして超情報化社会へ変貌した今の日本。 

もはやどころかもう戦後ではないと言われる世でどこまで日本という国がこの世界情勢でどんな役割を持てるのか。 

まあ今の大人が深く考えてないから今一度考えてくれるようになってくれると、世の中変わるかもね。 

資本主義見直しては?? 

 

 

・ネットもない時代だから自分を押し殺してでもどっかに所属しなきゃいけない窮屈さがあった。 

そういうのを昔は良かったとか言っちゃう人はたまたま相性がよかったところに入れただけであって、実際は弾かれて村八分にされたものが大勢いたし、その証拠に犯罪率も今より遥かに高かった。 

一体感だとかそういうのは思い出を美化してるだけ。 

団塊世代に多いよね。 

むしろネットとかAIを受け入れたがらないあんたらこそ価値観のアップデートしろよって話です。 

だから昭和かよって馬鹿にされるんですよ。 

 

 

・昭和のほうが良かったところもあるのよ。人と人の繋がりは絶対に必要。だって人間はひとりだけでは生きていけないように出来ているんだもん。助け会わないと生きていけないように出来ている。 

 

 

・昭和と現在を選ぶならほとんどが現在のほうがいい。 

昭和は親の暴力は普通にあり学校に行けば部活で上級生のしごき、先生まで暴力をふるう。 

社会に出ればパワハラ、サービス残業が当たり前。 

昭和のいいところはそれを耐え抜いて会社に長くいれば能力がなくてもそれなりの待遇と給料が出る。 

 

 

・昔も冷笑的で仲間内の自己正当化に勤しむ人達はいましたよ。 

今はネット時代だからそういう人の声が大きく、遠くまで届くようになっただけです。 

昭和では新聞の読者投書欄やマスコミの街頭インタビューに載るような無難な中庸の意見しか市井の声は取り上げられませんでした。 

インターネットが昭和時代から前倒しに普及していたらたぶん不謹慎インフルエンサーが現れ同じような世相を現出させたでしょう。 

なにせ我々は「戦争を知らない子供達」だったのですから。 

 

 

・昭和かよって蔑む人たちは、現代の令和に辿り着くまでの先人たちの軌跡を知らないか知ろうとしないから、平気でそういう物言いができるのだろう。 

今ある全ての社会的インフラ、ネットワーク、 

便利品やサービスの原点は昭和の戦後復興から 

始まっていることを知れば、本来リスペクトするはずだが、生まれた瞬間から目の前にあれば、 

感謝の気持ちなど持てるはずもない。 

現世に限らず、人は過去の歴史を知らなければ 

無知のまま終わってしまうが、それが増長されれば恐ろしい分断がこれから起きるだろう。 

 

 

・アラフィフ、就職氷河期世代です。 

 

昭和時代は小学生までで、楽しかった印象があります。 

世間はバブルで、その空気を存分に吸って育ちました。 

 

平成・令和と辛い日々が続いています。 

年収も上がらず、結婚もできませんでした。 

 

昭和といっても、マチマチです。 

私は、自分も含めて、上の世代に対して、憤りがあります。 

若い世代が、苦労しているのを目の当たりにするとなおさら。 

 

日本の衰退の主となる世代だと考えるからです。 

適切な批判は、昭和世代に対しては特に必要だと考えます。 

 

 

・「日本の分断」を心配する必要は無い 

「令和」だって、いずれは過去の世代になるのだから 

そして「未来」を描く必要もないでしょう 

「明日」が来る保証もないのですからね 

そんなことよりも、「過去に立ち返る」という知恵が今の人々に必要なのではないでしょうかねぇ 

 

 

・〈戦後日本では、富裕層や大企業に重たい税が求められた〉〈戦争でもうけた人たちは、高い税をはらうべきだ、という「共通の価値」があったからだ〉 

 

 そういう共通認識もそうでしょうが、主要因は憲法のように戦勝国が定めたシャウプ勧告による税制だったので、国内の権力者が優遇されなかったことにあると思います。 

 

 昭和の人々が〈残したのは、停滞が続く経済であり、みなが生活防衛に追われるなかで、弱い立場に置かれた人たちを放置する「分断社会」だった〉 

 

 そうですが、停滞経済は日本経済に危機感を持った西洋が仕掛けた様々な政策が大きい要因の一つでしょう。 

 「分断社会」はシカゴボーイズの新自習主義が根本でしょう。 

 

 戦後昭和と今ですが、戦後昭和のが楽だったと思います。緊張感が少ないし、自然な愛も大きかったように思うからです。 

 愛、共感の仲間意識が排他性にも繋がることは、十分注意しなければいけませんが。 

 

 

 

・偉い先生もご多聞に洩れず「最近の若者は」って意識に捉われるのかねぇ 

共通の記憶とやらを軸に語ってるが、そんなの世代間で共有も共感も出来る訳ないし、そんなものを軸に考えるから分断されてるなんて思うんじゃないの? 

昔を懐かしんだって若い人には共感なんてされんよ 

そもそも分断が進んでるとか言ってるが、昔は本当にそんなものは無かったのか? 

自分に入ってくる情報が少ないから気付かなかっただけじゃないの? 

 

 

・老若男女ベクトルが同じ方向でしたね。だから世代を越えても共感する事もできた。  

今はチャネルが個々多様で浅く短い。流行や噂に乗り遅れても、どうという事もない。 「愛着」より、その刹那を満たせばいい物ばかりになった。 

 

 

・昭和かよというのは変化についてこられなかった人を揶揄してるんだよ しかも、その言葉を使われるパターンは昭和の悪い部分を引きずってる奴に対してだ 俺もバリバリの昭和生まれだが本当に昭和かよと言いたくなる奴が多い 変化しなくていい部分と変化しないといけない部分がある それを理解してない奴が多すぎる 

 

 

・昭和期の高度成長期は今の10倍殺人があり、それ以上の強姦や窃盗があった時代だってことを肝に銘じるべきだろう。決して助け合った美しい時代ではない。 

 

 

・昭和生まれって言っても、物心が付いたのは平成だし、昭和天皇より今の上皇さまが天皇陛下のイメージ。64年間を1つも世代というのはそもそも無理。実際に昭和生まれの三世代もいるし。 

 

 

・昭和が嫌い。昭和時代に子供で苦しんだから。今でこそ子供は宝なんて言われてるけど昭和は親ガチャハズレたら大勢いて大事にしてもらえなかった。それに氷河期をうんだ団塊の世代が昭和世代で楽しんだのもむかつく。 

 

 

・うーん、何か書かないといけないから昭和を持ってきたのかもしれないが、単なる格差社会の件だね。要するに機会の平等と結果の平等がある。そこをごちゃごちゃにしてはいけない。昭和は確かに税負担が軽かったがその分人口が多かった(同性代) 激しい競争(とりあえず学歴)があった。結果の平等は以前と今も変わらないが、機会の平等がいまより有ったとも思っていない(裕福な家庭はそんなに無かった。少なくとも見かけは)。私は勝ち組に入るが2度とやりたくない(笑) 

 

 

・>>昭和のヒットソングには、寂しさと温もりの両方が溶けこんでいる。だから、そんな音楽を聴きながら飲む酒は、特別な味がする。 

 

ひとり酒場で飲む酒は 

遠い昭和の味がする 

寂しく楽しい想い出が 

飲めばグラスに また浮かぶ 

(悲しい昭和酒) 

 

>>おそらくは、奇跡的な復興を遂げたのち、悲しくも、長期にわたる停滞と没落の道をたどることになった戦後日本、失敗の象徴として、昭和は語られているのだろう。 

 

古いヤツだとお思いでしょうが 古いヤツこそ 

新しいものを欲しがるもんでございます 

どこに新しいものがございましょう 

今の世の中 失われた30年の続き 

いい人ぶったファシズムじゃござんせんか 

 

なんでもかんでも「昭和かよ!」 

冷たく不快なことばかり 

右を向いても 左を見ても 

停滞 分断 無関心 

どこに昭和の夢がある 

(傷だらけの昭和) 

 

 

・今と昭和どっちが良いかと問われると難しいが 

即アウトになるようなパワハラ満載、今なら偏差値50切る大学が60あった 

生活環境も悪い、個人より全体主義 

 

ちょっと考えると今の方が良いかな 

 

 

・戦争は金持ちも貧しい人も強制的に同じスタートラインに立たせるもんね。 

そういう意味で戦争したり世の中を混沌に戻したい人は今の世の中に山ほど潜んでいるかも。 

自己責任は責任を取りたくない人たちの言い訳。 

バブル崩壊した頃にたくさん湧いたんじゃない? 

 

 

 

・まぁつまり、酒と泪と男と女、をですよ、飲んで〜飲んで〜呑まれて飲んで〜、と唸りながらですよ、新橋のガードしたの居酒屋で酔い潰れて、知らないオッサンに蘊蓄垂れたり、相手に説教されたりしながら、家に戻るとシカトされて生きて、肝臓壊す、という人生が、あぁ懐かしい。 

 

 

・今は長生きできるから昭和知ってる人がオレも含めてたくさんいる。これがあと60年経って昭和最後の昭和64年生まれの方が100歳になるころには誰も騒がないと思う。時は流れる。すべて押し流して。昭和は遠くなりにけり。 

 

 

・これから日本は本格的な植民地にされるかもしれないという時に昭和とか平成とか言っててどうするのよ。 

 

農業、漁業、林業、水道事業、通信などの生活インフラの外資規制を取っ払ってどんどん売っていきましょうってことを政府がやっている。 

東京も地下鉄や水道事業が半分民営化することがすでに決まっている。 

 

将来的に外国人に日本人の生活の権利を握られるかもしれないということを真剣にメディアは報じろよな。 

 

ちなみに共通の記憶がないのは戦前の明治、大正、昭和の歴史を教えないからでしょ。 

GHQの教育改革により、学校で幕末から現代にかけての歴史の光と闇を教え、何が良くて何が悪かったのかをしっかり考える教育をしていれば、少なくともそれが共通の記憶になるでしょ。 

 

明治維新は本当に正しかったのか? 

なぜ日本は無謀な戦争に向かってしまったのか? 

歴史を調べて真剣に考えた事のある日本人がどれくらいいるんでしょうね? 

 

 

・昭和にも良さはいろいろあるだろうけど、何でもカンでも「昔はよかった、今の時代は・・・」みたいなこと言う昭和オジサン・昭和オバサンなんかのお陰で分断が生まれてる気もする 

 

 

・当然こんな考えは江戸時代から明治に変わった時もあったと思う。 

今さら昭和と令和を比べても空しいとは思うけど、 

あからさまに昔と違うのは人の「情」なさけが減ったこと 

 

 

・最近思うけど昭和~平成初期以降の方たちは 

 

「うわ~なんかこれいいな」とか「懐かしいな~」って 

気持が、↑この世代より感じないこと多いんじゃないのかなと思う。 

 

今後「うわ、プレステ3だ。懐かし~~」なんて言葉聞くのかね。 

懐かしさなんてないように思えて仕方ない。 

 

 

・筆者と同じ団塊ジュニア世代です。はっきり言ってくだらないの一言に尽きる記事。筆者が何の肩書もなければ、中年の妄想として片付けられ、記事になることもない。 

 

 

・いつの頃でもジェネレーションギャップなんて存在してます、"新人類"や"三無主義"だの若者を評していました。 

昭和時代に育った私は昭和時代のモノには愛着は有るし、懐かしさを感じていますが、昭和時代には無かったインターネットは魔法の如く便利だと感じています。 

昭和→平成→令和と元号が変わり、"分断""対立"大好きマスコミが書きやすくなっただけです。 

 

 

・これから先の日本は確実に更なる分断の社会へ突き進む 

分かり合えないどころか憎み合う時代になる 

男性対女性、若者対中高年、現役世代対引退世代、高収入対低収入、日本国籍対外国籍、都市対地方、猫好き対猫嫌いetc… 

多様性の時代=個人正義対立の時代 

私を認めない人を私は認めない不寛容の時代 

 

 

・今と昔のどっちがいいかはわからないけど、昔のこと過剰に持ち上げて今のものを腐す風潮こそ分断を招いていると言えるんじゃないか 

 

 

 

・科学は進化して人間の劣化は加速している。 

日本の道義を弁えないしやかいこうぞうじゃ、瓦解しても気付かないだろうな。マスコミが何の役割も果たせないのは、世相の流れや。 

 

 

・日本という国が昭和は成長していて平成以降は成長してませんからねぇ 

ヤフコメ民に多そうな平成元年くらいの生まれのアラフォーって全く成長せず平成は良かったとも言わず昭和昭和言ってる人だらけですよね 

 

 

・昭和初期の人たちも、明治や大正を揶揄していました。元号をもつ日本ならではの現象ですね。 

 

 

・昭和生まれですが最近の若者は昭和生まれを小ばかによくしている。 

何も知らない子供たちが声高に分断を推し進めている。 

 

 

・つまらない、昭和の端くれだけどアナログ頭のロートル世代意外なにか意味あるの?Z世代に負けないよう必死こいて頑張ってますけどね。 

 

 

・せめてジャニー喜多川を自浄作用で葬っていれば昭和が良かったも成立したんですけどね…。芸能界絡みの話題だと「でも裏でジャニーにされてたんよね…」で終わってしまう 

 

 

・昭和、いいとこもあれば 

今のほうがいいところもあれば 

 

多分そんなことを考えてる間に 

人生は終わっちゃうけどね 

 

 

・すべてこの人の独り相撲のような気がする。勝手に線を引いて勝手に悩んで、勝手に分断だって言って。そうやって、火のないところに煙を立てるのがこういう人達のお仕事なんだなぁと。 

 

 

・昭和後期生まれだけど、昭和の良い時代を生きて来た人程、私達平成世代をバカにしてた。 

 

だから、昭和の事が嫌いな人も多いと思う。 

 

 

・>財政社会学者の井手英策さんは、ラ・サール高校→東京大学→東大大学院→慶應義塾大学教授と、絵に描いたようなエリート街道 

 

このフレーズよく出て来るが、エリート街道なの? 

最後が大蔵省(今なら財務省)とかなら、分かるけど。 

 

 

 

・少なくとも昭和を生きた人は明治大正を小馬鹿にしたことはありません。明治を生きた人も慶応(江戸)を小馬鹿にしなかったと思います。 

 

 

・昭和が嫌いな元子供もいるんですよ。 

私がそうなんですけどね。 

体罰・セクハラ・男女差別が当たり前の環境で育ちたくなかったですよ。 

 

 

・>「昭和かよ!」~古い時代を否定することで、衰退したいまを見えなくする。 

 

衰退した今を感じているからこそ、豊かであった昭和を否定したいのだと思うけどね 

 

 

・昭和、平成と中国に日本の最新技術を盗まれ続けた結果、今の令和の日本があると思う。 

 

 

・別に好きにしたらいい 

昭和生まれも明治は知らないし 

自分のいなくなった後の世界なんか関係ないよ 

あとは野と為れです 

 

 

・平成の途中から、自己責任が言われ、弱者をさげすむ風潮が広がった。但し、人に自己責任を言う人は、自分は別の様です。 

 

 

・昔も今も良いとこはあるし、悪いとこもある。歩み寄れば良いのでは? 

 

 

・昭和天皇・ヒットラー・ムッソリーニによる侵略戦争があり、原爆投下で多くの命を失ったのが昭和。それに尽きる。 

 

 

・誰かや何かを「冷たく笑う」ような人間は「分断」どうこうに関係なくそりゃそもそもろくなもんじゃないわなぁ 

 

 

・未来を描ける? 

いえいえ、国民は今が良ければいい、次世代のことなんてそんなに考えてないですね 

 

 

 

・思うけど、分断って為政者にとって都合がいいよね。意識的に煽ってないのかな? 

 

 

・GAFAMは、昭和に思いを寄せながら、ここまで、巨大企業になったんですね! 

 

 

・日本の人口の半分以上が昭和生まれだと思います。 

 

 

・昭和の貯金を使い減らしてきたのが平成、ついに貯金が尽きたのが令和。 

 

 

・昭和世代と聞くたびに平成がなかったかのようなニュアンスを覚えてしまう 

 

 

・世界中で分断が発生しています 

昭和は関係ないです 

 

 

・やたら分断とか言う奴は胡散臭い。しかし「無いなら作れ」の気合いは大事。気合いだ~。 

 

 

・今の若い人が年取った時、口ずさむ歌がゲロチューだのブリンブリンだのなら、哀れやのー… 

 

 

・昭和だよって愛想笑いしてればいいのでは? 

 

 

・>歴史に学ばず、過去を切り捨てる国民に未来はない 

この言葉が、全て。重い言葉だ。 

 

 

 

 
 

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