( 186422 )  2024/07/01 17:21:08  
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18÷0=?物議を醸した小3の宿題に東大生が反応。「教員の力不足」「思考力を磨く良問」などの声

週刊SPA! 6/30(日) 15:53 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/2d6ccf278ee3250900b17b83e101084ef7a2d59b

 

( 186423 )  2024/07/01 17:21:08  
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小学校の算数ドリルで「18÷0」の問題に関する投稿が話題となり、貧困東大生の布施川天馬氏がこの問題について批判している。

数学的には「0で割る」ことが認められておらず、採点した教師が誤った正解を示し、これに対して批判が集まっている。

インタビューで30人以上の東大生に聞いたところ、「どっちでもいい」とする声や「考える機会になってよい」とする意見が出た。

教育の目的は自立した思考力を身につけさせることであり、「18÷0」の問題は思考力を育む絶好のケースとも言えるが、出題側のリテラシーによっては適切に活用できないこともある。

最終的には、子どもの思考力を阻害しないことが重要であり、教育現場も同様の方向を進んでいるとされるが、まだ発展途上の状況が続いている。

(要約)

( 186425 )  2024/07/01 17:21:08  
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(日刊SPA!) 

 

―[貧困東大生・布施川天馬]― 

 

 先日、ネット上である投稿が話題となりました。物議をかもしたのは、小学校の算数ドリルの一ページ。小学校3年生レベルの、ごく普通の割り算問題に混じって「18÷0」という問題が。これに対して、投稿者のお子さんが「答えなし」と回答したところ、先生はバツをつけた上に「正しい答えは0」と書き直したのです。 

 

 何が問題なのか、と思われるかもしれません。実は、数学において「0で割る」行為は、認められていない。ためしに、お手持ちの電卓や、スマートフォンで「18÷0」を試してみてください。きっと「エラー」と出るはずです。 

 

 小学校は、教育機関です。もちろん、誤ったことを教えてはいけないはず。それに、教員側は仮にも大学教育までを修了してきているはずなのに、正しい答えである「答えなし」にバツをつけただけではなく、「18÷0=0」と初歩的かつ致命的なミスをしてしまった。これについて、採点した先生のうかつさや、無知さをたたく人が急増しました。 

 

 さて、今回の騒動について、東大生たちはどう感じているのでしょうか。今回は30人以上の東大生にインタビューを実施し、いくつか声をまとめてみました。 

 

 意外と多かったのが、「どっちでもいい」とする声。色々なことに厳密になりたがる東大生の意見としてはかなり驚かされます。以下のような理由が出ていました。 

 

「小学校の間は、とりあえず計算の能力を身につけたり、正しい順序で計算するルールを覚えたりすることが大事。確かにゼロ除算はNGだが、そういった細かいことは中学校や高校に上がってからでもなんとかなる」 

 

「18÷0の答えはともかく、採点した教師が『18÷0=答えなし』に対してバツをつけたことが問題。『自分の教えたことと違うからバツ』ならば、教員としてあるまじき態度。『小学生にとっては難しすぎるから、いったんゼロにしておきましょう』ならわかるが、『答えなし』にバツをつける理由にはならない」 

 

「そもそも『18÷0』の文字列に対して、気持ち悪さを持つようになることが、数の暗黙知を育てることにつながると思う。特殊例と一般的な計算式を同列に並べてしまうことが問題であって、教員側の知識の整理がついていないのではないか」 

 

 学校教育のカリキュラム全体を考えた時の問題の大きさや、回答に至るまでのプロセスなど、単純な計算結果にはこだわらない姿勢が見えました。確かに数学的に正しい答えは「答えなし」ですが、ここにバツをつけてしまった理由を追求すべきなのかもしれません。 

 

 

 また、「考える機会になってよい」とする意見も多くありました。以下に、いくつかの回答を抜粋して並べます。 

 

「機械的に『÷0』は成立しないと教えても、単純暗記になってしまうから、数学的なセンスは身につかない。そうではなく、『18÷1=?』『18÷0.1=?』『18÷0.01=?』……と問題を出して、その果てに『18÷0=?』と出題すれば、考える能力を身に着けるきっかけになる。」 

 

「普通は『定義できない』と教わることが多いが、本当に定義できないのか、そもそも定義できないとはどんな状況かを考えることが重要。ただし、子どもたちが自力でそこまでたどり着くのは難しいと思われるので、そこを大人が補助する必要がある。 

 

 別に『18÷0=0』と教えるのも、いったんはいいかもしれないが、『なぜそうなるのか』を筋道立てて説明できないのであれば、教員側の力不足と指摘されても仕方ない部分がある」 

 

 近年、教育現場では「子どもたちが自分で考えることの大切さ」を説かれるようになっています。昔のような先生の独り舞台ではなく、子どもたちに積極的に発表させたり、グループを作って話し合わせたりするのです。 

 

 こういった教育の目的は「自立した思考力」を身に着けてほしいため。となれば、今回の「18÷0」の問題に関しては、思考力を育むための絶好のケースといえるのではないでしょうか。最高のケーススタディでも、出題側のリテラシーによっては、うまく使いこなせない場合がある。今回はそれが如実に表れた例なのかもしれません。 

 

 今回の問題については、結局「子どもの思考力を阻害しないことが大事」という結論になりました。教育現場も同じ方向を向いているはずですが、その実情はまだまだ発展途上の印象。先生と生徒、教育の未来はどちらを向いているのでしょうか。 

 

―[貧困東大生・布施川天馬]―  

 

【布施川天馬】 

1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。(Twitterアカウント:@Temma_Fusegawa) 

 

日刊SPA! 

 

 

( 186424 )  2024/07/01 17:21:08  
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(まとめ) 

各コメントからは、小学生の段階での問題提供において、適切なレベルの問題を出すことの難しさや、教師の知識や理解力の必要性が指摘されています。

特に数学に関する問題は、正しい理解を図るためには確かな知識や説明力が求められるという意見が多く見られました。

また、教師の資質や教育制度に対する批判も多く含まれており、教員の充実した教育環境の必要性が強調されている点が共通しています。

( 186426 )  2024/07/01 17:21:08  
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・小学生の段階でこのような問題を出すのは是非避けるべきだと思います。一部の人は「考え方を養う上でよい問い」とおっしゃっていますが、「0」の正しい意味を理解していない大学生が沢山存在している事実もあることを忘れないようにしたいと思います。ただ、小学生本人が「自発的」に有限数を0で割ったらどのような数になるかと疑問を持って質問してきた場合などには、説明を拒否するのではなく、出来るだけ分かり易く説明してあげるようにしたいですね。 

 

 

・やはりゼロ除算は出来ないというのをしっかり教えたうえでテストにするべきだと思いますね。初めに習う基礎って本当に後々までに大事だし、最初に習ったことの思い込みってけっこう後に響くので。小3に難しいというのなら問題自体作るべきじゃないし、そして教員がゼロ除算すら知らないというのは問題だと思います。小学生の担任は範囲科目が広いから細かい知識は云々なら、それは仕組み自体変えるべきかなと思いますね。 

 

 

・小学校の算数では、単に計算をするだけではなく、数字の約束や数字が持つ意味を教えることが大事だと思います。18÷0の約束以外にも、0の意味や、円周率の持つ意味なども大切です。「3.141592・・・・・」いつまでたっても割り切れない数字があります。最近の小学校では計算が楽だからという理由で単に「3」と教えるようですが、これも数字の意味を理解させていません。子供には「数字は不思議だな」という感覚や、「数字は面白いな」という感覚を持ってもらうことが大事だと思います。算数が好きになる子供が増えるかも判りません。 

 

 

・どんなに考えても、これは解無しが正しい。よって、子供が正解、先生は誤り。解無しと0は同じ答えではない。 

 

 子供なのだから、解無しという答えでなくとも良く、解答を出せませんでも正解。分かりませんでも正解。 

 0と解答した時点で、この先生はこの問題の根本的な意義を分かっていない。大人なんだから、双曲線グラフになることを思い起こさないといけない。よって、双曲線はY軸に近づけば近づくほどどんどん大きくなるのだから、マイナスの概念を習っていない小学生ならば無限大と答えてきた場合も正解。何度も言うけど、0にはなり得ない。 

 

 

・小学校も各教科を専門の先生に担当させたらいいんじゃないでしょうか。 

 

というか、せっかく集めた税金を無償化に使うよりも、教員の給与や待遇あげるのに使って欲しい。他の企業にいい人材取られないように待遇よくしないと。寄付やクラウドファンディングで十分な資金が集まらないから税金って必要なんだよ。無償化でなく、貧しい家庭への授業料援助だけでいい。 

 

無償化のような格差を広げる使い方よりも、教員の質を上げて、貧しい人もいい教育を受けられる日本にして欲しい。 

 

 

・この問題はどう見ても答えなしが正しいとしないといけない。 

18÷0=0としてしまうと、0×0=18が成立しないといけなくなるが、これは明らかに存在しない回答になるので、答え無しとしないと小学生ぐらいの子供に混乱を与えることになる。この先生は0と答え無しの違いが理解できない程度の数学力しかないのであれば、算数の問題ではドリルにある範囲を逸脱した問題を提出しないようにした方がいい。 

 

 

・18÷0を、等分除で考えると、18個のアメがあります。0人で分けると一人分何こになりますかとなり、包含除で考えると18個のアメがあります。一人に0個ずつ分けると、何人に分けることができますかとなります。どちらで考えても、0という答えではないですし、答えを求めることができません。おかしな問題だなと思えるといい気がします。どの教科の問題でも、いい問題とよくない問題はあるので、教員がしっかりと教材研究をして、よい指導ができるといいと思います。文科省はそういう時間を大切にして欲しいと思います。 

 

 

・小学校教育って難しいのですね。 

もう三十数年も前になりますが、小学1、2年頃の理科のテスト。 

影が時間がたつと位置が動く理由は?という問いに「地球が動くから」と答えてバツをもらいました。 

正当は「太陽が動くから」でした。 

天動説地動説ですよね。 

当時、親にも相談したくらいに納得がいかなかったです。 

とても忙しい教員業務ではあると思いますが、児童時の体験はその後にとても影響します。 

せめて、説明なりしていただければまだ納得できたのかな。何十年たっても忘れることのない「理不尽」でした。 

 

 

・数学得意で友達に教えていた身からすると、 

算数苦手な子、数学的に思考するのが苦手な子に、数学で×になることを教えないで!! 

こういう子って、丸暗記でテストを乗り切ろうとするから、間違ったまま覚えて、数学で違うって言われても混乱する。 

他教科でもそうだけど、素直に信じて覚えてしまい、後の学習で「先生そう言ってたもん!」と修正きかないから正しく教えて下さい。 

 

 

・一人の先生が教えて、それを聞いている生徒は、何十人といます。 

間違えを教えらられた生徒は、素直にそれを覚えます。 

教える側は、もっと勉強すべきではないですか。 

 

算数の定義というのは、理系にとっての基本です。 

考え方を教えるには、面白い問題ですが、考え方が間違っては、台無しです。 

 

先生も頑張りましょう。 

 

 

 

・東大生の意見も結構だが、なぜに専門の数学者、数学学会に取材しないのか。正解ではなく、小学生にも分かる説明の仕方を教えて欲しい、と聞けば数学者も頭を悩ませて考えてくれるのでは。学会が主催して広く、説明の仕方を募集して優れた回答を公表してもいい。その内容が小学校の算数の時間に説明されれば、先生も含めて勉強になると思う。 

 

 

・小学生の時に0除算の答えは0だと習った時に違和感を覚えたのを思い出す。その時はそういうものだと思い、そう書くようになった。 

「答え(解)なし」という答えが存在することは、その後中学生で習うが、それまではそんな答えがあるなんて考えたこともない。 

この小学生が空白でもなく当てずっぽうでもなく、習ってもいない「答えなし」を答えとして書いたことが素晴らしいと思う。 

 

 

・この教員はここまで大事になるなんて想像もしてなかったのでしょうね! 

まだ低学年だから全然気にしない子も多いと思いますが意識の高い子も多かれ少なかれいるので注意してちゃんとした解答を提示して欲しいものです! 

こういった不思議な解答に興味をしめして算数や数学を好きになる子も間違いなくいると思うので大変だとは思いますが教員の方には頑張ってほしいです! 

 

 

・小学生の頃から推理小説が好きで、ないことを証明することは不可能だと思っていました。 

ですが、数学においては『解なし』という答えがあると知った時、数学と言うのは凄いと思ったことから数学が好きになりました。 

 

今回のことに関しては小3の子どもに寄り添えた親御さんはお子さんをものすごく褒めてあげて欲しいと思いました。 

それだけでいいんじゃないかなぁと思います。 

 

 

・ハローワークの募集枠のペーパー教員がこれからどんどん増えますのでこのような問題は今後どんどん増えると思います。 

そして、ただの教員のミスがこうやってSNSでさらされる危険もどんどん増えていますので、どんどん教員の人気は下がっていくと思います。 

そんな先生は教員にならなければいい、という声もありますが、そのとおりです。教員にならなくなったのです。 

リスクとリターンがまったく合わなくなったので、私生活を全てなげうってでも本当に教員になりたいという変わった人意外は目指さなくなってきています。 

 

 

・小学校の教員に限らず、日本の教育システムの中では、理数の基礎教育が欠けており、AIやPCの時代になっても、昭和の頃と進歩がない。むしろ、ややこしいことを敬遠している感がある。単なる計算であったり、文章の読解となってしまっていて、もっと数学や物理学の基礎をしっかりやり、課題を解決するには、どのような種類の数学や物理学の式を使い、どのようにすれば解答を探せるのかを学習するように改善することが必要です。 

 

 

・中高で数学で躓く若者が何でこんなに多いのだろうと本気でその原因を考えた事がある。 

数学が苦手だから多くが消極的選択で文系を選ぶ。 

科学技術と経済で成り立つ日本は少なくとも若者の半数は理系に誘導しなくてはならないのに。 

 

一つの考察は小学校教育だと考える。 

小学校教諭に理系出身者が少ない事。 

理系の絶対数が少ない悪循環の中にあるが、小学校教育の制度自体に改善すべき問題がある。 

 

算数はただ計算法則を教えるだけならば主婦のバイトでも可能。 

しかし計算の本質を理解しており、それを正しく小学生にもわかりやすく教えるにはある程度数字に浸ってきた理系人間でないと難しい。 

 

文系教諭は自身が教わったように「ただの計算法則」を機械的に教え、小学生は計算の意味や本質を教わらずに中高生となり、さらに内容の高度化により逃げるように文系に進む。 

そして彼らがまた小学校教諭になる。 

 

小学校の算数は専科にすべきだ。 

 

 

・先生が間違っているって結構あります。今小5の息子がいますが、小学校3年くらいから何度か気づいて確認することがありました。教材の答え自体が違うこともありました。人がしていることだからそういったこともあるでしょう。でも頑なに自分が正しいと思い込んだり、この子供の解答を見て疑うことなくバツをつけたり、自分の間違いを謝れない教員がいることが問題だと思います。 

 

 

・東大生といえど教職の都合を知っている人、学習指導要領を知っている人ばかりではないでしょう。 

今回の問題は数学的に間違いの他、割り算を初めて習う小3に相応しくない問題を出した二重のミスなんですよね。 

(÷0をやってはならない注意がある。正しく解説するならまだ良いだろうが、今回は単純に間違ったまま。) 

良問だと感心するのも今回の場合は違うと思います。 

 

 

・詳しくは高校で習うから、という話以前に間違った答えを教えてはダメでしょう。 

似たような例に虚数がある。中学において、2乗してマイナスになる数はない。と習うが、それは実数を扱う数学の中では正しい。しかし、18÷0の答えはどの数学の範囲においても0ではない。とりあえずそう考えておく、というものでもない。 

18÷0.1、18÷0.01、、、と計算していって何に近づくかな?どんどん大きくなるよね?これは無限と言って、高校で習う知識だよ。と教えるのが正しい。そもそも小学校の学習から逸脱するから、そんな説明はしたくないというなら、出題すべきでない。 

 

 

 

・そもそも正解か間違いかを判定できない人間は教師という立場を担えないのは分かりきっていることだけど、そういうところも教員免許を取得する時にちゃんと試験できるようにした方がいいのではないかと思うのですけどね。結構初歩的な話だと思うんで、こういうものが分かっている人間がやっぱり教師の立場にあって欲しいですね。けどまあ、生徒にとっては教師は絶対的に正しいとは限らないということを勉強できるいい機会でもあったのかなと思います。それも大人になるのに必要な過程かもしれないですよね。教師は知らなかったら生徒に対して真摯に向き合って、ごめんなさい間違ったことを教えていました。先生が間違った理解をしていました。ということを人間としてきちんと伝えた方がいいと思います。 

 

 

・このニュースを見たとき 

中学生時代を思いだいました。 

生物の呼吸の方法で肺呼吸のほかには? 

という理科教師の問いに 

当方は手を挙げて 

皮膚呼吸(ミミズやヒルなど)と自信をもって答えました。 

教師に思いきりチョークで頭を小突かれました。 

そしてクラスメイトの失笑 

理科が大嫌いになりました。 

 

教師はエラ呼吸の答えしか期待していなかったようです。 

教師になる人は子供の可能性を考えて 

画一的な決まった答えで縛る教育はしないよう 

切に願います。 

 

 

・小学校の教科書を全部チェックしたわけではありませんが、私の知る多くの教科書はわり算の学習とセットで「たしかめ」の計算をするようになっています。すると18÷0=xと商をすると、たしかめでx×0=18が成立することになっておかしいと、子供たちに議論させます。(0のかけ算の積は0になるのはこの時点で既習です。) 

小学校の段階で高度な数学的な議論を持ち込む必要があるのかはわかりませんが、こうした「あれっ?」というのは、教師と子供たちとの対話の中にあっていいと思います。そういう点で教材研究不足で指導している(=教師の力量不足)ことは否めないと思います。なお、この指導については指導書の多くにも触れられていたように思います。 

でも現在の課題は、そこに気づく余力もない現場の多忙ぶりなのかも、とも思います。批判だけでなく、教材研究の時間を先生方にもっと確保することも議論して欲しいです。 

 

 

・小学6年生の時の算数の問題で、円錐の展開図においての側面の扇形から底面直径を出すのに円周率を掛けた上でまた円周率で割るのなら円周率は必要ないと気がついて、円周率不要の側面と底面の関係性を示す公式を作って宿題ノートに答えたらペケをもらって戻ってきました。 

しかし翌日の別の問題の提出に戻ってきたノートには、昨日の円錐問題のペケにバッテンがついてページいっぱいに大きな花丸がついていました。 

 

先生は一晩考えたのでしょう。他の理系出身の先生と協議したかもしれません。 

 

それから算数数学が楽しくなり、高三の時は地域の塾で高校生相手に教えるまでになりました。 

 

その先生は私の他のいくつかの才能もしっかりとクラスの皆に言葉で示してくれました。 

 

その先生のイニシャルはO 

私にとってのGTOです。 

 

 

・物理学を突き詰めていくと数学になり、数学を突き詰めていくと哲学になる。 

数学はメソポタミア文明が0を用いた事から発展したが、文明崩壊で一旦 

0概念が消え古代サンスクリットから復活した。0と言う概念は、 

物が存在するのと、物が存在しないという状態の中間として考案された。 

数学の概念からすれば、足し算は物を増やしていき、引き算は物を 

取り去って行く。掛け算は集団が幾つあるかを示す為に考案され、 

割り算は幾つの集団に分けれるかを簡易化するために考案された。 

つまり0を割り算に用いてはいけないというのが、数学の理論であって、 

数式として表示できるが「やってはいけない事」と教えるのが正しい。 

0と答えたら数字の概念が崩壊し、答えが無いと答えると数式が崩壊する。 

0は数字として用いるが、数字ではない便宜上の記号だから。 

 

 

・俺は小学校の社会のテストの時に、「石油エネルギーの代替エネルギーはどういったものが有るかひとつ答えなさい」というような問題に対して「水素」と回答したら、☓を付けられた。なぜ☓なのか先生に聞いてみたら、教えてないことだからという説明でした。「太陽光」や「原子力」「バイオエタノール」等は教えてるから正解だったみたいです。先生よりも先を行く事は許されないという世の中のルールを知ってしまった瞬間でした。 

 

 

・算数とは言え数学の一部。数学というのは、自然科学の一部で、物事の本質というか、「どのようなものなのか」ということと繋がっている。だから、小学校の内容だからと言って適当であってはならない。教えるなら「ゼロで割ることはできない」とはっきりというべき。ゼロで割ることはできないと伝えても理解が難しく、それが無理だと言うなら最初から教えるべきではない。そんな「高度な話」よりも割り算と、その割り算が示す「物の分割」の概念がしっかりと植え付けられて、割り算のできない中学三年生、高校生、大学生が減ることの方が余程大切である。 

 

 

・思考力を問う良問、とする立場であっても、これを良問として小学三年生に教育するには、相当な実力のある教師でなければ無理だ。 

 

設問の一例として挙げられている、『18÷1=?』『18÷0.1=?』『18÷0.01=?』……と問題を出した果てに『18÷0=?』と出題するのも、そもそも小学三年生には無理であるし、これを考えさせるには、一方で無限大という概念も必要になってくる。さらに、普通の代数の世界では定義されていない設問であるという、そうした思考がもてるまで導くには、相当な見識が求められると思う。ゼロで割ったら「解なし」と定型的・暗記的に教えるのが精一杯だろう。 

 

いずれにせよ、小学三年生向けの設問としては無理だし、今回の教師はウソを教えているから論外だ。 

 

 

・ゼロで割る計算もそうですが、分数の割り算などきちんと教えることができない先生が多く、この場合はこのようにしますと機械的に教えています。そこの補間を家庭ですることは困難です。親世代もこういうときはこうしますと教えられてきたからです。納得も理解もできないままその分野は終わります。 

また約数、倍数、素数に関しても具体的にどう使うかわからないままこういうものですと教えられます。 

きちんと先生がこのあとこう使いますのさらっと覚えてね的なのもありません。 

よくわからないものをよくわからないまま伝えることで、算数及び数学嫌いな子が増えるように思われます。 

小さい子だからこそ、きちんと教えることができる先生が必要だと考えます。 

数学に限りませんが 

 

 

・小学生のころ記事とは違う問題ですが算数でどうしても納得いかなくて 

先生に抗議した記憶があります。 

最初、先生は模範解答を見せてこうなってるだろう。 

という態度でしたが私の話をじっくり聞いて 

「確かに君の言ってることが正しいな、先生が間違っているすまない」 

と言って私の解答用紙が100点になり 

模範解答の点数欄に”90”と書いたのが印象に残っています。 

その後私は理数系に進むほど人生の分岐点になった思い出です。 

 

もしあの時先生が頭ごなしに模範解答が正しいとしていたら 

算数が嫌いになっていたかもしれません。 

 

 

 

・こういう問題を正しく解ける数学に興味がある人たちは小学校の教師にはならない、学者や中高の数学の教師になる。 

というよりも小学校の教師に各科のエキスパートは基本いないという環境の中で子供たちは教育を受けているということになる。 

加えて小学校の先生は学校行事や雑務やらで過労の状態にあって採点は1秒でも時間を節約したい作業と化してる。 

採点した教師を叩くだけじゃなく、日本の小児教育はここまで詰んでいることに思いを巡らせて憂慮しないといけない問題だと思う。 

 

 

・教育的な知識はあまりないですが、個人的見解を呈します。 

少なくとも小学生の段階ではきちんと答えのある問題を出題するべきだと思います。 

宿題とのことですので、きちんとすべての問題が明確な答えのある出題をし、 

『きちんと答えを導き出す』という思考を教育すべきかと思います。 

 

思考力を磨く良問とおっしゃる方もいるようですが、そういった柔軟性が介在する問いは夏休みの自由研究などある程度子ども個人の発想力などを加味できる自由度の高い課題に限定すべきで、全員一律に取り組ませる宿題などはきちんと全員が同一の答えを目指す問題を与えるべきかなと思います。 

 

 

・中学、高校レベル以上であれば思考力を磨けるかもしれないがそれはこの問題が出て、その後先生が0の概念や割る事で起きる矛盾を数式で示す等のサポートをして初めて意義があるもの。 

 

そうした考える事を目的とせず、かつ答えは0と言い切ってしまっている事から先生が何も考えてない上に、間違いを教えているのが批判されているポイント。 

 

 

・中学に入ってから、例えば1を 

1、0.1、0.01…と割ると解はどんどん大きい数字になるが、 

-1、-0.1、-0.01…と割ると解はどんどん小さい数字になる。 

割る数字を0に近づけているのに、正側からと負側からとで解が一致しないことから、0で割ることには矛盾がある、と説明されたのが印象に残っている。 

 

 

・教師の力不足、勉強不足を指摘する声が多いようです。それは間違いなくその通りですね。でも、今の先生には、数学の深みや面白さを自分で考えて、それを教えるような、時間的、精神的な余裕はないのではないかと推察します。 

子供の頃、無限小数というものの存在を教えてもらい、それによって、数の世界が無限の広さと深さを持つ沼になったような気がして、恐ろしさと不思議さを感じました。 

今の子供達にも、こんな気づきが訪れると良いと思います。 

 

 

・数学という分野は紀元前から長い年月をかけて作られてきた学問分野。それを他の教科とともに数年で修めなければならないのだから本当は酷なこと、ほとんどの人は表面的な理解で終わる。 

0で割ってはいけないというのは、割って良いとしてある値にすると矛盾が発生してしまうため定義できないと答えれば良い。しかしここまでの思考を小学生に求めるのは難しいだろう。ルール上割ってはいけませんで終わる。 

平行線の問題を突き詰めていく非ユークリッド幾何学の物語があるが、問題を考え人生を棒に振ってしまう人々がいるほどのめり込めば他のことを犠牲にしてしまう分野でもある。それはそれで突き詰めていけば面白い分野でもある。 

先生の理解レベルもまちまちで表面的な理解しかしていない先生が多いように感じる。 

先のことを知っているだけでまだ教えていないと叱責する謎のルールなどもあったり、つくづく非生産的な教育者も多いようだ。 

 

 

・小学校の学習指導要領では、「÷0」は、解なしではなく、そもそも扱いません。この問題は、誰が作成したかは分かりませんが、その趣旨を踏まえて作成されたのではないと推測します。小3のこどもたちになぜ0で割れないかをきちんと説明することより、通常の除算を定着させることのほうが先ずは大切でしょう。小学校の先生は、教員養成課程出身ですから、理系的なスキルは高校生レベルと考えてよいと思います。それは、理系出身者が国社分野の知識に疎いことと同じことです。ミステイクの類ですから先生を責めてもしょうがないと思います。最近、ネット上で0の0乗が何になるかで論争がありましたが、厳密に議論すると数学的には結構難しい話で、「÷0」についてもそれは同様です。どんな年齢でも議論することは良いことですし、面白いと思いますが、小3で教室の生徒全員にテストすることではないですね。 

 

 

・数学以外にも、化学や他分野にも定義が複数存在して、定義により答えが変わるものがあるけど、小中学だとこういうのは仕方ないかも。 

高校、大学だと入試で生徒のレベルも選別されているので、複数の解釈と答えを教えることも可能だと思うけど、玉石混淆だと全くついていけない子や誤って理解する子が大量に出てしまうと思う。 

少子化が進んでいるので、単純な試験問答による習得レベルの確認をある程度にして、自由回答できる形での試験を増やすという対処もあるかと思うが、専門性のある教員の確保、余力の無い教育現場の現状では難しいかもしれない。 

 

 

・小3でも学科において教員より優秀な子はいます。 

小3なら、教員は数学のスペシャリストではないでしょうし、「答えなし」と回答した子はおそらく算数というより既に数学が好きな子かもしれない。 

こういうことは、他の学科でもいくらでもありえます。 

昔なら、先生の言うことには何でも従えという世の中でしたが、今は違う。 

教員にとっては難しい時代かもしれないですが、優秀な子は認めるべきだし、親は先生でもわからないこと、知らないことはあるのだと教えてあげるしかない。 

 

 

・単純にこの問題を出した小学校教師の資質の問題であって、ここまで取り上げるほどのことではないと思います。 

ただ、このたった一つの「ある数字を0で割る」という問題について、この先生の生徒達は単純に0で割れば答えは0であると間違って覚えてしまわないで、いつか正しく理解できるようになることを望みます。 

多分多くの大人も0で割る時の答えを正しく答えられないと思いますし、少なくとも何故その式が定義できないか、その理由を正しく説明できない大人は多いと思います。答えがどうとかより、なぜ定義できないのか、そこに至る考え方を説明できる能力を持って欲しいものです。 

 

 

 

・自分が小学生の時、1時限目の道徳授業で、「この考えに賛成か、反対か」で討論する場があったけど、かなり白熱して、先生の権限で午後の5時限目までつぶして通して討論続けた事もあった。また同じ先生が夏の日に教室に入ってきたスズメバチを捕まえてその場で解剖初めて生徒たちに針の動きや長さ等を見せてくれた。 

今はコンプライアンスとかがうるさいから、なかなかこういう事出来ないのかもしれないけど、こういう普通の授業では学べないような経験をできたのは30年以上経った今でも当時の事を思い出せる位なので、大きかったのかなと思う。 

もっと生徒が興味持つことや自主性を養うような教育があってもいい気がします。 

 

 

・一度覚えたこと、それも学校で教わったことを覚え直すのって難しいと思う。 

算数と数学は違うかもしれないけど、数学的に定義されていないような問題は出すべきではないし、数学的に正しい答えを出してきた者の回答を誤りとするのは本当に誤りだと思う。 

 

 

・小学校の先生って数学苦手な人が多いんですよね。 

ある程度は解けるけれども公式に頼って理論を知らない。 

算数や数学の勉強は何でそうなるのか?だと思うのですが・・・ 

 私は数学科を出ていて、中高の教員免許を持っていますが小学校の免許はありません。中には理系でも頑張って小学校の先生になる方もいらっしゃいますが原則文系の方が先生になると思います。 

 

 中学で連立方程式を習うと思いますが、あれは計算しなくても方眼紙などに正しく線を引いて交点の座標を読めば答えが出ます。たぶん教えて貰って居ないと思いますが数学って色々なところで繋がっているのです。 

 

 

・たまにこういった問題に対して答えを0と書かれているドリルありますけどね。もちろん0は正しくはないのだけど、学年に合った理解のさせ方なのでしょう。例えば、このくらいの学年だと理科では地球が回っているではなく、太陽が動いていると教えるとか。まあ、×を付けなくてもよかったとは思いますが、その学年のステップに合った答えの理解というのがあるのだと思います。 

 

 

・退職教員です 

「答えは0」などと言う教師は教材研究が出来ていません 

割り算の指導には、検算の方法も含まれています 

6÷3=2の場合3×2=6が検算になります 

18÷0=0とすれば0×0=18である事をどう考えるか質問が来る事まで考えていないからこんないい加減な事をやっているのだろうと想像できます 

小学校では18÷0を求める事は0を何倍すれば18になるかと考える事になります 

ですから18÷0=答えがない・・・と考える児童がいたら褒めてあげるべきです 

この問題の出題の可否はこの問題で何を指導しようとしたのかで考えるべきです 

「答えは0」などと言って「18÷0=答えがない」と答えた児童を傷つけた教師にはそもそも指導の意図なんて無かったと考えられます 

 

 

・「そういった細かいことは中学校や高校に上がってからでもなんとかなる」 

 

ということであれば、そもそもこの問題を出題したことが間違いで、 

数学的には「答え無し」なのでバツでもなければ「0」でもない。 

ということで、「この問題の正解が何かの議論以前に、この問題を小学生に出したことが間違い」が結論になるかと。 

出すのであれば、数学的に正しい解を示し、説明を求められたときも正しく説明できる能力が必要。 

 

 

・この問題は、教員も間違えるのを教えるにはいい問題ですが、教員が間違いを認めないのではこの問題は単なるパワハラ問題になってしまうでしょう。小学校低学年で、ゼロの概念を教えるのは早すぎます。 

 それに、小学生の算数は10進法を基本にしているものなので、ゼロを教える前に、10進法の意味を教える必要性が生じてしまうでしょう。算数という計算手法を習うのが先決です。そもそも代数の根底に幾何学が三次元空間として成立している背景があるので、よく数学では答えが一つといわれていますが、答えを一つにするように思考を概念化しているにすぎないのです。 

 誰が見ても答えが一つになるように一般解を求めているのにすぎないのです。数学的な思考法を学ぶのが重要なんです。小学生の段階で、ゼロを教えるのはかえって混乱を招くのでよくないです。 

 小学生の思考を超えるような問題を出すのはよくないです。数学が嫌いになるだけでしょう。 

 

 

・日々の講義は、上手い人の動画を見てもらって、教師の役割を、チューターとか、アドバイザーとか、学習サポーターみたいに再定義する案が浮かんでは消えているが... 

 

今のままでは、 

「教師が意図的に出題しても」 

「児童や生徒の方から質問してきても」 

対応できないだろう。 

 

この問題を「思考力を磨く良問」として昇華させるためには、学校の仕組み自体を大幅に改革する必要がある。 

 

 

・社会科の教科書の編集をしていました。 

問題の解答作成を現場の先生に依頼していましたが、気候の問題で先生とかみ合わず、苦慮した思い出があります。 

 

雨温図からシドニーとジャカルタの降水の特徴を答えなさい、という問題で、 

シドニーは冬から春にかけて降水が多い、と解答例がきました。 

シドニーは南半球ですから日本と夏と冬が逆です。 

つまり、「夏から秋にかけての降水が多い」が正解になります。 

また、ジャカルタは、冬の降水量が多く夏の降水量が非常に少ない、と解答例がきました。 

ジャカルタは赤道に近いですが、一応南半球なのでやはり季節が逆です、しかも、赤道に近いので、年に2回太陽が真上を通るため、春夏秋冬という表現は不適当で、雨季と乾季で説明すべきですが、なかなか認めてもらえませんでした。 

 

これでも、市の社会科研究会の推薦で依頼した先生です。 

普段、何を子供に教えているのか非常に不安になりました。 

 

 

・この記事はとても良い内容だなと思いました。小学生の算数の宿題の論点から算数の考える力を伸ばす先生の性質を考えるというところまで社会の反応をバランスよく取材出来ていて面白いです。 

 

元のXのお母様の投稿を見ていたのですがこのお母様が良い見本の方で拡散したのかなと思います。 

小学生の勉強は楽しさと考える力をどう引き出せるかなのではないかと思うので、教師は大変な職業ですが人を伸ばす力のある人に是非やっていただきたいです。 

 

 

 

・今の教育現場(特に小学校では)は思考力を深めるため、どの教科でもかなり対話的な学びを実施しています。 

おそらく、この先生の授業でも、18÷1は?18÷0は?などと子供同士で話し合いを重ね、その後は先生と子供たちで解き方について確認し合って、様々な解き方の例をいくつか示しながら最適解に近いであろう解答を子供と一緒に出していたと思います。 

この、SNSの切り取られた結論のみだと、指導していた過程が見えないのが残念ですね。 

 

 

・考え方を養うべく、この出題をしたのならわかるが、先生の対応を見るとそうではなさそうで。だとしたら、そもそもなんでこんな問題を出したのか。意地悪問題のつもりで作ったようにしか思えないけど。 

結果としては偶然にもネットにこの問題を考える機会をもらった人も多いので良かった部分はあるが、少なくともその子供に対する対応は良くないと思う。叩く必要はないが、先生がその後何らか対応したかは気になるな。 

 

 

・初めて知りました。私の電卓ではinfinityと出ました。考えてみると当然と言えば当然ですかね。例えばケーキがあって、それを5人で分けるなら÷5、それを÷0だと手を付けないってことですもんね。カビが生える、お店なら廃棄にする、数学ならエラーとか解無しとか、無限大も悪くないな。小数点が出たあたりだから小3くらいでしょうか、あれから数学は大の苦手で、今では繰り下げのある3桁の引き算は暗算できません。2桁も怪しい時があります。小学生の皆さん、数学はつまづくと取り返すのが大変なんで、勉強頑張ってくださいね。 

 

 

・「0で割る行為は許されていない。」 

何十年も前の話ですが、小学生の頃に0で割り算はできないのか先生に聞いたときに言われました。 

できるけど、してはいけないことになっている。と言われました。 

反比例の図などいろいろ黒板に書いて説明もしてもらいましたが、小学生には難しくてあまり理解できませんでした。。。 

ただ、0で割るという行為自体は、全ての計算式が当てはまらなくなる行為なのだと言うことは覚えています。 

変わり者の先生でしたが、良い先生でした。 

 

 

・ゼロの問題は、その年齢に即してしっかりと授業で考えらす事が前提だと思う。 

数とゼロとは何かという事を授業でしっかりと子供たちがどう感じ、また考えているのかを言い会う事が必要。 

私の時代では、"0割る0は0"という訳のわからない式だった。 

 

数学はとかく抽象化する事で発展して来たが、実社会では具体化が大事てあり、学校教育において、それを明確にする必要があるだろう。 

 

さらに中高生においては、哲学的にも教えて、空即昰色も併せて考えさせた方が良い。 

 

 

・>「機械的に『÷0』は成立しないと教えても、単純暗記になってしまうから、数学的なセンスは身につかない。そうではなく、『18÷1=?』『18÷0.1=?』『18÷0.01=?』……と問題を出して、その果てに『18÷0=?』と出題すれば、考える能力を身に着けるきっかけになる。」 

 

 

本来の教育の目的は、こちらでしょうね。勉強だけでなく何をやるにしても興味を持つことが大切。好奇心があれば自分で本を読んで分からないことを先生に聞く勉強ができるようになるでしょう。数学でも物理でも、体系的に確立された理論は、数学や物理に興味を持った子供が本屋で教科書を買ってよめばいいですが、数学や物理に興味がない子供は本屋に行くことがないです。子供が興味を持つように大人が上手いこと導かないとだめですね。まあ、数学や物理が嫌いという先生には難しいかもしれませんが。。。 

 

 

・子どもの考える力を育てることは大事だが、その前提として、小学校の教師も1人の人間であると教えることが必要だと思います。 

 

先生の教えることや教科書に書いてあることが、全て正しいとは限らないですから。SNSに先生の間違いを投稿するより、自分の子どもに教えることがもっとあるのではないでしょうか。 

 

 

・これは3年生に出された問題で、この時期は後に分数で答えを出す割算とは性質が異なり、割り切れない分は「余り」を使う。 

個人的には、この時期の算数は物で表現して説明できる内容であるべきだと思う。 

そして0で割ることを物で表現することはできないので、私はこの問題が適切だとは感じない。 

 

0で割ることについて概念的に考えるのは、後に分数が使われ始める5年生になってからでも遅くないのでは。 

 

 

・まず小学生には早すぎるというのは間違いだと思う。 

高学年にもなればしっかりと理解できる生徒はいる。 

数学の開花は若ければ若い方がいいと個人的には思う。 

大学生でもゼロを理解できていない人がいるとかは、大人でも九九で引っかかる人もいる。 

東大生でも18を限りなく0に近い数値で割るという行為を立体的にイメージできる人材はどれほどいることやら。 

ピンもキリも言い出せばきりがないと考える。 

だからこそ18割る0は問題にはならないけれど、0と教えてしまった教員の数学的な知識を改めてもらうのと、小学生には0と解なしの意味の違いを伝えるべきだと思う。 

難しいので全ての生徒に理解させるのは無理でも、これは理解できる生徒が理解できればいい問題だと思う。 

でも伝えるのは平等に全生徒にするべきだと思う。 

心配しなくてもこんなことくらいで生徒が狂うくらいの混乱はしないよ。 

 

 

・一人一人の回答に手で採点して、とてもお疲れだったのではと思います。先生方のご苦労には頭が下がります。 

一方で、もし、何にでも正解がある、何でも解決できるという姿勢だとすると、そこはどうかと思います。教育の場は正解を教えること以上に問いを教えることが重要です。ゼロで割ったらどうなるんだろう?という問いを大人になってから百人に一人くらい思い出せればいい、という感じ。マルバツじゃない教育をしていきたいものです。 

 

 

 

・中学生になったら2×3でも3×2でもどっちでも良しとするが、小学校ではかける数とかけられる数をしっかりと教える。 

計算上は同じなのだが、考え方を養うにはやはり最初は丁寧に教えた方が、後々違ってくるのは教えていて実感する。多分大人になる頃には覚えてなくてどっちでもいいじゃんって思うだろうけどね。 

計算ドリルでは0の割り算ってページがあって、そのページ全部答えが0としているから宿題では大好評のページなんだけどね。先生というか、教科書に載ってるからね。 

 

 

・18÷0の回答の正しさではなく、こういう問題を出してしまう小学校教諭のレベルの低さを議論するべきだと思います。 

現実問題として小学校の教員になる人の学力はせいぜい中の上レベル、しかも多くは理系を専攻していない方々です。何故なら理系で学力の高い人はもっと社会に必要とされる、報酬の高い職業に就くからです。 

公立の場合、高い報酬を出してまで小学校の先生のレベルを上げたいか?と言われるとそうではないと思います。普通の学力の学生が多くを占める公立小学校では、できない子の気持ちが分かる普通の先生が望ましいのではないでしょうか。 

 

 

・「答えなし」にバツをつけるなんて、教員としての質が問われると思います。教員に免許更新試験や研修制度を取り入れるべきでしょう。さらに教員の模範解答「0」は完全な不正解です。0では割れないが答えですが、正数を0に限りなく近い数(0.000…1)で割った場合は、無限大になります。よって教員の答えである「0」は絶対に違うことくらい大学卒業した先生ならわかるはずです。 

 

 

・コンピュータで0除算は例外エラーになるので、プログラミングでは0除算が起こらないように処理をする 

だからこの問題には正解はなくて、答えなしを×にしたとしたら無理な答えを強要することになる 

逆にこういう問題で無理な答えを強要されると、コンピュータの仕事をしている人間からすると腹が立つ 

ましてや正解を0とするなら間違ったことを正解にするので、教育としては間違いを教えるのは良くないと思う 

 

 

・数学を好きになってもらうために必要なのは解けた事への達成感をより多く体感することだと思う。 

考えることも大事だが瞬発力を鍛え、より多くの問題に接し成功体験を得ることが大事なんじゃないかと思う。 

 

 

・小学校3年から割り算の学習は行われます。 

3年生の算数では、「1や0の割り算(2÷1、0÷4)」は学習しますが、 

18÷0の計算は学習しません。 

 

教科書の説明では、 

「わられる数が0の時も、わり算ができます。 

また、0を0でないどんな数でわっても答えはいつも0になる。」 

となっています。 

 

教科書ではなく、算数ドリルの問題なので、数あるドリルの中に、このような3年生で学習しない問題が混ざってしまったのでしょう。 

ドリルの答えを知りたいところですが、ドリルの答えが「0」であったのかもしれません。 

 

インスタでもこのことについてコメントしています。 

 

 

・テストって授業で習ったことを覚えているかを確認するためのものだから、授業で「0で割ったら0です」と習ったなら「0」が正解になるんじゃないでしょうか(もちろん「解なし」が正しいけれど)。なぜテストでは「0が正解」なのかくらいは書いてあげてほしいですけど…。どう授業で習ったかは分からないけど、小学三年生で「解なし」を導ける思考するのは凄いことです!これがキッカケで数学に苦手意識を持たないでいてくれることを願います。 

 

 

・小学生の算数ドリルとしては不適切な問題だと思う。市販のドリルであれば、児童に配布する前にチェックし、「この問題は解かなくて良い」と指導すべきだったと思う。 

その上で興味を持って聞いてくる子には、「計算できないから」が良いかもしれない。電卓を叩けばエラー表示になるのにも整合するし。 

 

 

・この記事で思い出した。小学生の授業て初めて割算を習ったとき、6÷3=2の後、誰かが3÷6は?って先生に質問した子がいた。 

私が挙手して「1の半分です」(まだ小数点以下を知らなかた)と言ったら、他の子が挙手して「そんな割算はできません」と答えた。 

先生がクラス全員にどっちだと思うかを尋ね、私以外の全員が「割算できない」方に挙手した。先生も私の答えを否定し、皆に笑われたことを鮮明に覚えている。 

私はそれ以来、先生に対する信頼を失って、算数は好きだったが、算数の授業が大嫌いになった。 

この問題からすれば、18÷0はかなり高度だか、一生懸命に割算を勉強して答えがない事を知っている子は、自分の努力を否定され、かなりのショックを受けると思う。 

 

 

・高校の数学教員です。 

 

□÷0=0 はよくある誤答です。 

どこで習ったのかな?と思っていましたが、小学校で習うんですね。 

 

割り算は小学校3年で習いますが、小学校3年の担任は力のない方が充てがわれることが多いので、そういうことですね。 

 

中学、高校の数学等で正しいことを教えてあげればいいと思います。 

 

衝撃で「解なし」がよく身に付いたり、数学を好きになるきっかけにしてあげれば、小3で蒔かれた種が花開いたとも言えます。 

 

 

 

・私は、算数が苦手な小3に商の導き方を教える場合、「『答え』と『割る数』を掛け算するとこっちの数、つまり『割られる数』になる性質があるんだよ。答えは掛け算を使って出すんだよ」ということを例題を多めに示しながら説明している。 

そういう子供たちはおしなべて「引き算は足し算より難しい」「掛け算は九九を覚えたからできるけど、割り算は上手にできない」と決めつけて怖がっているので、加減と乗除は背中合わせであることを見せて安心させることが第一歩だと考えるからだ。 

そしてその際には必ず「0で割る計算はできない」理由を考えさせるようにしている。 

「『0÷なんとか』は全部0!でも『なんとか÷0』は『できない』からな、覚えとけ!」とやる教師がいるが、愚の骨頂だ。 

その理由を考えることこそが、除算の概念と解法を理解する機会になり得るというのに。実に勿体ない。 

まして「18÷0=0」という嘘を教えるなんて最悪だ。 

 

 

・確かに、今iPhoneで試したところ「エラー」と出ました。 

 

記事のような思考停止の先生方の存在により、天才になるべき人材が、才能を潰されてしまうのではと危惧します。 

 

日本経済を救うには、新興企業がGAFAレベルの世界を圧巻する企業まで成長する必要があります。そのためには、天才を育てる土壌が必要です。斬新な意見を褒め称える社会が、早急に形成されるべきかと考えています。 

 

 

・私の小学校では、割る数を少しづつ小さくしていくと、答えがどんどん大きくなってやがてすごく大きな値(無限大に近づく)になる。ゼロで割ると、人が扱えない途方もない大きな数字になるから、割るのはナシと教えられました。その時腑に落ちたために覚えているので、そういう理由をセットで教えてあげた方が分かる子供も居ると思いますし、答えがゼロには到底ならないこともわかると思います。 

 

 

・小学校で少人数指導や専科指導で算数を担当することが長い現役教員です。 

わり算を指導するときに毎年必ず児童から出てくる疑問「0でわったちらどうなる?」があります。強いて具体的な問題を出すとすれば「6個のあめを0人で同じ数ずつ分けたら、1人分は何個?」とでもなりましょうか。 

今まで私が経験した児童の反応は「わからない」または「0人ということは誰にも分けられないから、6個は全部残って答えは6」のいずれかでした。 

私は以下の手立てで理解させます。 

式は6÷0だね。 

6÷2の答えの求め方と比べてみよう。 

わり算はわる数の段の九九を使って答えを求めるから、6÷2=□とすると□×2=6。2の段で答えが6になるのは3×2だから□=3で、6÷2=3。 

では、6÷0=□とすると□×0=6だけど、0とかけて6になる数はあるかな? 

0とかけると答えはいつも0でしたね。 

だから、0でわるわり算はできないんです。 

 

 

・学校の授業がすべて正しいと思い込むのは良くないな 

疑問に思ったことや思想と違うことは自分で調べた方がいい 

昔は図書館でしか調べられないが、有名な先生や専門家が解説、講演するYouTubeもあるから勉強になる 

小学校の先生に求められる守備範囲が広すぎるから、教科ごとの先生、生徒指導する先生、事務は教育委員会に事務集中センターを作って処理、と1人当たりの労力を減らすべき 

 

 

・比較する程の話ではないが中学の数学の授業でたまたま「座標軸の一点には面積があるか?」で、先生も交えて議論となり「点そのものには面積は無い」という主張を通した私に先生は正誤はともかく「よく自分の意見を通し頑張った、君は数学者だ」と言ってくれた事でその後ずっと数学が好きになった。今なら「授業時間の浪費」と言われそうだが、答えはひとつでもそこまでに色々な過程を考え、議論出来るのも数学の面白さではないだろうか。 

 

 

・うちの息子も掛け算の筆算を習った時に、過程を書かずすぐに答えを書いて️を付けられました 

そろばんに通っていたので暗算ができたから、と息子は先生に言ったそうですが、今は筆算を習っているところだから、と言われたそうです 

答え合ってるのにな、としょんぼりしていた息子の姿を思い出しました 

指導要領の関係だとは思いますが、横並びを良しとする考えを変えて貰いたいもんです 

 

 

・しばしばゼロ除算の解を無限大とする人がいるが、分子が負の場合や実数の割算の解は実数という基本定義から外れるため、これは不適切であり倫理破綻がある 

答えを求められない以上解無し、式は成立しないというのが答えとなる 

計算ドリル形式でこの問題を出すべきではないだろう 

問題とするなら選択式とするべきだ 

そして何より問題なのは、学校が学問を勉強する場所になっていない事だ 

正しい教育を受ける権利を侵害しているため、これはもうアウトでしょう 

歴史などの曖昧なもので教科書が間違っているという話と次元が違う 

算数・数学は宇宙レベルで共通の真理なので、宇宙レベルで間違った教育をしてしまっている 

 

 

・教育学部系出身だと等分除と包含除の二分法の議論になりやすいと思うが、等分除だと「0人で分ける」とは何か?、包含除だと「0個ずつ分ける」とは何か?という定義の連鎖が生じる。小学校の算数なら「答えなし」で良いと思うが、数学では「存在しない」とするべき。数学で「答えなし」とするのは整数問題で方程式を立てて求解したら整数でなかった時の解答のような場合である。極限値を求めさせる問題で発散する時の解答と同様に「存在しない」が正しい。とくに「無限大」は数値でないから誤答。まともな数学の出題なら「極限値があれば求めよ」とか「極限を調べよ」とかいう形の問い方になっている。 

 

 

・18÷0=0と教えた教師がいるとは、世も末です。このような小学校の先生がいることが大問題です。18÷0=答え無しとした生徒の方がすばらしい。教員の資質というか、このような場合、正しく出した生徒が委縮するなどがあっては大問題です。ぜひ、親御さんは、バカな先生も世の中にはいるんだよ、あなたは正しいとエンカレッジしてほしい。校長先生は、このような先生は是非、数学をやり直すように指導力を持ってほしいです。いじめ対策もだいじですが、教育学部の教授と学会などで話すと、数学や理科を専門とするゼミに配属になった学生も、専門性を磨かず、いじめ対策を卒研にしたいという人がいてと嘆いておられました。もちろん、いじめ対策は必要ですが、それは別の講義で学んでほしいとのことでした。 

 

 

 

・自分は大学生(理系)の時に家庭教師のバイトをしていたことがあるが、小学校の教師の教え方がいかに酷いか体感した。中学生や高校生で数学が苦手な生徒はほぼ小学校時の算数が出来ていないし、誤った教え方で習ってしまった被害者。 

今回の0の割り算を答え0で習ってしまったら、中学生で習う2次関数や高校生の微分で躓くことになる。 

昨今理系の生徒が減っていると言われているが、小学校教師の質が理系離れを助長している。 

 

 

・学問は日常の生活に活用できるから役に立つものだと思う。微分や積分も日常生活にとても役に立つ考え方だ。基礎や基本を知っていれば賢く生きることができる。一方『18÷0』は算数の問題としては存在するだろうが、日常生活のどういう場面をこの教師は想像して出題者したのか聞いてみたい。何を教える為の問題なのだろうか?最近の教師は不思議だと思う。不登校が常態化するのも頷ける。 

 

 

・多くの小学校は、そういうもんだと思うかもしれない。 

大事なのは、気付きの芽を摘まないこと。 

疑問に思った子には、きちんと対応してほしい。 

かくいううちの子も、円柱に入った球の体積計算式に躓いた。 

公式が、なぜその式になるのかを知りたがったけど、微積分が必要らしく私は教えられず。 

先生に聞いても、「この式に当てはめる勉強だから、式だけ覚えればいいんだよ」と。 

自力で高校生向けの動画を探し、3回見て難しいながらもなんとなく理解した。 

ずっと計算苦手だったけど、そういう説明してくれる塾の先生に出会えてから飛躍的に伸びた。 

疑問に応える姿勢と説明は大事だと思う。 

 

 

・教員が無能判定された問題ですね。 

それはいいとしてこれを小3に解かせるのが妥当かってこと考えると 

両辺に同じ数字と掛けても等式が成立するっていう性質を習ってない状況で宿題で出すのは意地悪かと思う。 

その小学生が中学程度の知識を持ってたとしたら研究問題として溶かせるのはありかもね。 

上記に加えて0÷0を研究問題として考えさせて、18÷0との性質の違いについて検討すると面白がる学生もいると思う。 

 

 

・私の子供も小学生の時に、4本脚がある椅子が3つあります脚の数の答えは? 

 

の問題で 4×3=12で間違いとされました。(もしかして逆かも) 

問い合わせたら3つの椅子に4本のあしが…との説明でと、意味不明の回答でした。 

4本の脚がある椅子が3つと考えれば4×3 

3つの椅子にそれぞれ4本の脚があると考えれば3×4 算数では計算式どっちでも良いと思います。 

 

子供がどうかんがえるかであり、無理やり大人解答に当てはめるのは文部科学省がおかしいと思ったことがあります。 

 

 

・18個あるりんごを、 

 

2個ずつ分ければ9個になる。 

1個ずつ分ければ18個になる。 

 

では、0.5個ずつ分けたら? 

36個になります。 

0.1個ずつなら、180個です。 

 

このように、1以下の数で割ると、元の数より増えるので、答えは0からは大きく遠ざかっていきます。 

こういうイメージを持っておくと、本質的な理解につながると思います。 

 

 

・この教員の18÷0=0は明らかに間違いですし、小学3年生なら「解答なし」が正解でしょう。 

私の世代はどの整数を0で割っても答えは「無限大」と習いましたが、「発散」が正解かもしれません。 

クラスの中で数学または算数で理解力の高い児童・生徒がいたら、その能力を高めることを考えてあげるのが本来の教育だと思います。 

その意味では18÷0を考えさせるのは良い問題だと思いますが、教員が答えを0を正答としたなら、そこまで考えて問題を出したわけではなさそうですね。 

すべての児童・生徒に同じレベルの教育をする義務教育の範疇からは外れるかもしれませんが、数学(数学に限らずその他の教科についても言えることかもしれません)は能力のある児童・生徒を見極め、早い時期からその面白さを教え、特別の教育を受けさせること必要だと思います。 

 

 

・中学の数学で、問題の条件としてa not= 0とするなんていう問題がよく出ていたように思う。その時の数学の先生が、数学では0で割ってはいけないんだよと具体的な理由を付けて教えてくれた。なるほどと思ったと同時に面白いなとも思った。 

最近の大学生は中学の数学もまともにできないと学生が多いと聞きます。今の先生たちもきっと中学の数学ができない人がいるんだろうと思う。 

 

 

・算数だけでなく、小学校教育では「あ??」と思うような問題が沢山あります。今回、この問題に対し、「答えなし」と記入した児童の気持ちを考えてみよう。答えのない問題なんて普通はないから、児童も相当勇気が必要だったと思います。両親に相談し、書かされたのかも知れませんが、それはもうドキドキだったでしょう。そして、その「答えなし」が「バツ!!」だったわけですから、そのショックは相当大きいですよ。 

第一に子どもの気持ちを考えましょう。先生も親も・・・この事件を機会にこの小3の子が、算数を好きになったか?嫌いになったか想像してみて下さい。 

 

 

・小学校の間は、とりあえず計算の能力を身につけたり、正しい順序で計算するルールを覚えたりすることが大事。確かにゼロ除算はNGだが、そういった細かいことは中学校や高校に上がってからでもなんとかなる 

 

間違い 

最初から回答なしで学べは一つの作業で終わる。 

後から修正は、今までの知識の削除(これが手間がかかる)→新たな知識の定着(これがまた手間がかかる、時間とともに前の知識に戻ってしまうことが多々ある)の作業が増える 

また、中学高校で学ぶ機会がないとそのまま間違った知識の定着になる 

 

この理屈を知らないと、効率的、正確にものを学んでいくことは出来ないし、学問ではない。 

後から訂正すればいいは、明らかに合理的効率的考えから外れる、教える側の怠慢 

 

また、上記にルールを覚えることが大切とあるが、後半は中学高校に上がってからでもなんとかなる、と文意が矛盾している。明らかに理論が一つの分で成り立ってない。 

 

 

 

 
 

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