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“ほぼ全裸”女性ポスター物議の候補者、ネット演説で熱弁「表現の自由が狭められてしまった」 正当性を訴える

オリコン 7/2(火) 18:42 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/f730d35ef45e9f5072e3b04938fa821ca54e11c3

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2日に行われた『東京都知事選2024 ネット演説』に、ポスター問題で警告を受けた候補者の河合ゆうすけ氏が出席した。

河合氏はセクシーポスターについて触れ、「表現の自由とは何か」と問いかけ、選挙での少数者の声を重視する必要性を説いた。

56人の候補者が8分間の演説を行い、有権者によりよい選択を促すイベントである。

(要約)
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『【東京都知事選 2024】ネット演説~史上最多候補 56人の主張を一挙生配信~』に出席した河合ゆうすけ氏(C)ORICON NewS inc.  ニコニコ主催の『東京都知事選2024 ネット演説~史上最多候補56人の主張を一挙生配信~』が、2日に行われた。東京都知事選挙(7日投開票)のポスター掲示板に“ほぼ全裸”の女性のポスターが掲出され、SNSを中心に物議を醸している問題で、候補者の男性が意図を訴えた。 【写真】お面を手にして登場した河合ゆうすけ氏  同ポスターをめぐっては、桜井MIUが6月20日、Xにスーツ姿でポスターを貼る動画を投稿。ポスターは局部を隠し、ほぼ全裸となった桜井の姿が写っており「表現の自由への規制はやめろ。モザイク解禁」と記されていた。その後SNSを中心に騒動となり、批判の声が相次いだ。ポスターを作成した候補者の河合ゆうすけ氏は21日、警視庁から警告を受けたことを自身のXで明かし、ポスターをはがすと伝えた。また、桜井はこの騒動を受けイメージガールを降板。同月23日には謝罪のコメントを出していた。  この日の演説で、この件に触れ「先日、東京中にセクシーポスターを貼り、警視庁に呼ばれて、警告を受けました。もしかしたら、私は選挙の後、逮捕されてしまうかもしれません。ここでみなさんに問いたい、考えてもらいたい。表現の自由とはなんぞや!憲法という最高法規に、なぜ表現の自由が記載されているのか、みなさん考えたことはありますか」と訴えた。  続けて「選挙というのは、少数者の価値観、主義主張が唯一公平な場で訴えることができる。選挙以外の場面では、少数派は多数派に負けてしまうわけです。それは政治の世界でもそう、株主総会でもそう。数の論理で負けてしまうわけです」と熱弁。「私は少数者の代弁者でありたい。今回のポスター、是か非か、みなさんどういう風に考えますか。街中には、たくさんのセクシーなお姉さんが映っています」と呼びかけた。  その上で「そもそも選挙というのは、政治的な表現の自由が広く認められないといけないわけです。ところが、今回はどうでしょう。私のポスターは、局部はちゃんと隠していました。電車の中吊り広告のお姉ちゃんと何が違うのでしょうか?今回の判断というのは、通常の場面より政治的表現の自由が狭められてしまった結果なのです。これでいいのでしょうか?」と話していた。  同企画では、有権者がよりよい選択をする機会を提供するため、過去最多となる立候補者56人全員に参加を呼びかけ、各候補者が8分間の持ち時間のもと、ネット上で演説を行っていく。この模様は、ニコニコニュース公式YouTubeチャンネルと同公式Xで生配信される。
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(まとめ) ・「自由の裏には責任」がつくという意識の重要性が多くのコメントで共通している。

・表現の自由は法律やモラルの中で行使されるべきであり、無秩序に使用することは認められないという意見が多い。

・候補者の表現の自由についても、公共の場での適切な節度が求められるとの声がある。

・表現の自由の概念が正しく理解されておらず、適切な表現と不適切な表現の区別が重要だとの指摘がある。

・表現の自由を主張する際には、責任をもって行動することが重要であり、表現の場所や状況を考慮することが求められている。

これらのコメントから、表現の自由を主張する際には、その自由を適切に行使し、周囲や社会全体に配慮する姿勢が求められていることがわかります。

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・民主主義は 多数意見は少数意見に優先する です。少数意見が黙殺される事がいいとは思わないが 多数意見が優先されるのは社会生活で必要な事です。自由とは法律を犯さなければ 何をしてもいいわけじゃない。自由には責任も伴う。社会のマナーやモラルの中での自由だと私は思ってますけどね。 ・こう言う言い方をすると難しくなりますが、自由であるためには、ルールとまでは行かないにしても、ある程度の節度が必要なのではないのでしょうか。ある高校では開校以来制服がなく、各自自由な服装で登校します。ここで突拍子もない服装で来る生徒が出てきた場合、その際の基準も難しいですが、学校は服装の規制を考えるかも知れません。つまり一線を越えた表現等は規制の口実とされてしまう可能性があると思います。 ・選挙活動に求められているのは、「表現の内容」からもたらされる各候補者の政策やビジョンであって、「表現方法」ではない。 選挙人は国や地方公共団体の将来を託そうとしているんだぞ。「表現の自由」を盾に、中身がない主張をするのではなく、本当に日本の将来をどのように考えているのか、その真剣さがあれば、少しは幼稚な「表現方法」より一歩前進すると思う。 ・表現の自由とはいえ、選挙ポスターは小学生の目にも入るもの。申し訳程度に隠しているには違いないが、わざわざ全裸女性を用いて、公共性の高い選挙で何かを訴えかける必要はあるのだろうか。間違いなく、別の方法があるだろう。 そもそも選挙では、政策を訴えるべきで、目立ちたいとか、パフォーマンスとかは、別の場で行ってもらいたい。 ・京都大学卒という学歴でお笑い芸人をしていた方ですね。学生時代はお勉強を頑張っていた反動でしょうか、典型的な社会人デビューという人でしょう。確かブレイキングダウンのオーディションにも出たりして、目立つ事に必死なんだと思います。草加市議会議員で何を成し遂げたか知りませんが、目立ちたくて仕方ないのでしょうね。こうやってニュースになる事がうれしくて仕方ないのではないですか。哀れな人だと思います。 ・表現の自由を主張しても結構ですが、選挙ポスターを表現のベースにする意味はどこにあるのでしょうか。 都知事を選ぶための選挙ポスターですから、東京都をどうするのかという立候補者としての主張をアピールするのが大目的であり、芸術性を追求するべきものではないはずです。 ・むしろ、この人たちがおかしなことをやるから、選挙ポスターに関する法整備が議論されるわけで、表現の自由を狭めているのは自分たちとの考えはないのかね。 子どもの頃から自己中心的で、周りに誰もいなくなって、誰かに振り向いてほしくて目立ちたいだけなんだろうが、ますます周りからまともな人がいなくなるだろうね。 ・当たり前だけど「自由」の裏には「責任」がついて回る。それを理解していれば、自由に表現した結果、それを不快に思う人がいる以上責任をとらないといけない。 選挙戦に出るくらいの一応成人している大人のはずなのに、自由の根本を履き違えてしまっている。 ・表現の自由を守る活動は、たとえばアニメや漫画のキャラクターが性的搾取や性犯罪を助長している!とか逃亡犯がシートベルトを締めないのはコンプライアンスを軽視している!とか、創作物と現実の区別がつかない人によって、表現の自由が不当に制限されていることを訴えてきたわけで、 子どもも目にする公共の場所で、わいせつ物を掲示することまで表現の自由だと訴えてきた人はほとんどいません。 表現の自由を守ろうとする人々の活動にフリーライドして表現の自由をぶち壊そうとすることは許しがたいことだと思います。 ・表現の自由って、表現を受け取らない自由も保障されています。だから、受け取りたくない表現を意図せず受け取らないよう、表現の場所・時・方法で規制が正当化されるのです。教科書に書いてある表現の自由の知識を知った上で、このようなポスターを作ったのかどうかが気になります。教科書レベルの知識を持っていても、政治を担う者ならば、司法試験レベル以上で表現の自由の裁判例を確認する必要があると思います。それだけ勉強してこそ初めて、社会秩序の安定を担う者として相応しい人間となれるのではないでしょうか。 ・こういうルールに無いから何でもOKでしょ!みたいな行動をする人がいると、抑止力のため今まで無かったルールが作られてしまい、本当にルールだらけになり息苦しい社会になってしまいます。空気を読めという意味ではなく、その行動により何が起きるかを少しは考えてほしいですね。 ・そんな表現の自由を主張するのなら、掲示をやめてくれと表現する自由も認めてください。民主主義で大多数の有権者が選挙ポスターに相応しくないから掲示をやめてくれと主張するのはおかしい事ですか?表に出す自由があるならば、見たくないからやめてくれと表現する自由も認めるはずですよね。 要は他人を思いやり、常識を持ち、秩序を持っていればこんな事にならない。他人の不愉快さにすら気付けない自分ばかりの方々が子ども達の健やかな成長や他人の幸せを左右する政治はできるのか、と有権者に考えさせただけです。 ・こういうふうに自由と無秩序を履き違えている人最近多いよな 自由っていうのはルールという枠組みの中で何してもいいという話であって、無秩序に何をしてもいいということではない そのために法律が定められているわけで、最低限守らなければならない一線というものが何事にもあるというのをこの年になっても言われないと分からないのか ・選挙には出馬や表現の自由があるとは言え「自由」には責任が伴うわけであり、自由を盾にして常識を逸すれば、どこかでその責任やツケは必ず払うことになると覚悟すべき。 そして立候補者に、覚悟を促すための法整備だって必要になってくると思う。SNSや知名度で簡単に収入を得られるこの時代に、やはりモラルは低下し始めているのを感じるし、供託金の意義が危うくなり始めた今、議論する時が来てるだろう。 ・自分はアダルトコンテンツ大好きですし、刑法175条廃止派です。 モザイクも撤廃すれば良いと思っています。 ですが、そういった画像・映像・図書などを目にしたくない人もいるわけで、 それらの物は今よりもっとちゃんと年齢制限をしたうえで、しっかり管理された場所で、適切に運用すれば良いと思います。 表現の自由だからと言って、何でもかんでも無秩序に晒すのは自由の意味を履き違えていると思います。 ましてや選挙ポスターでやる必要はないですし、東京都知事選挙で訴える内容でもないと思います。 国会議員でも表現の自由に対して真面目に取り組まれている議員の方々もいるので、本気で表現の自由を目指すのであれば国会議員を目指した方が良いのではないでしょうか。 一応すべて演説見ましたが、言ってる事が支離滅裂でした。 ・これらの候補者って、まともな立候補の申請手続き出来てたのかな。私は何度か選挙に関わった事があります。  市議選だったのですが理由のわからない候補者って確かにいます。どんな選挙も立候補事前説明会があり、細かな説明があります。愉快犯の様なこれらの立候補者はこれには参加せず、締切前に突然やってくる。なので、記載間違いや書類不備などが多いのでこれを理由に受付拒否することがあるのです。  記載間違いとかあっても全部受け付けた気がする。 ・選挙ポスターでどのような政治的な表現をしたかったのか。 それは選挙ポスターでなければならないのか。 特段、自分に何かを表現する技量も才能もないから、わざわざ眉を顰めるようなものを作って「何をしようが自由だろ」と難癖をつけているに過ぎない。 正当な場所で勝負できない人間が、畑違いの場所で粋がって見せても、その「表現されたもの」が人の心を打つことはない。 ・「表現の自由が狭められてしまった」 これを表現の自由と言っている人が、自由度を勝手に勘違いしていただけですね。 元々そんなわいせつなポスターは別の法律でしょっ引かれるに決まっていますし、表現の自由は刑法の下位に位置するに決まっています。 刑法より上位であれば刑法の意味がありません。 都合が悪くなれば表現の自由を主張する人がいますが、表現の自由の界面を定義してほしいです。 恐らく厳格化されれば都合が悪くなる人が一部いますから、絶対にグレーのままにしたがると思いますが、こうも問題が多いと、共通認識を示す必要があります。 ・表現の自由について議論するのは反対しない。 むしろ今後の社会においては必要かもしれない。 だったらなぜ正当な方法で議員になり、そのうえで議論しないのだろう? または、しかるべき方法や手順で議論の場に持ち込めばいい。 極端な方法で自身の意見を述べても、世間も政治も相手にもしない。 本当に表現の自由の解釈を広めたいのなら、強行突破のようなやり方ではなく、キチンと順を追って説明し、世間の認知を正しく広めるしかない。 ・表現の自由はしっかりと守られています。 だからこそやりたい放題が出来るんじゃないですか? 何を伝えようと、何を表現しようと自由です。 ただし、そこには自己責任が伴うことを忘れてはいけません。 自らの発言で追い詰められた人たちは、皆口を揃えて「表現の自由が奪われている」と言っています。が、批判の声だって表現の自由なのです。 民主主義と表現の自由、己れのわがままと無責任な発言とを混同しないで欲しいと思います。 ・まず言論の自由と表現の自由は別です。 言論の自由は言葉による説明や図表や画像や動画など表現方法は複数ありますが、目的は意見を述べることです。裸を見せなくても意見は語れます。 それから表現の自由と露出の自由とは別です。表現とは感性や考えをもとに創作されるので、そのまんまを見せるのとは違います。例えば表現の自由や服装の自由を理由に下半身を露出して歩いて良いとは思えません。 例えば表現の自由を理由に「馬鹿だと思います」のような誹謗中傷や侮辱が許されるでしょうか?この頃はマスコミや芸能人が誹謗中傷を犯罪扱いしていますが、裸のポスターは選挙を侮辱していると思う人もいるのです。同じ事を言うにも言い方があるのではないでしょうか? ・モザイクが表現の自由を狭めてるとは思わない。 局部を見せる事で何を表現するのか教えて欲しい。 ただ、ネットで海外の無修正動画や画像が簡単に見れてしまう現在の状況で、一律モザイクで規制する事は意味がないと思う。 全部外せとは言わんが、演者側が見せてよいという意志があれば、解禁しても問題ないのでは? もちろん、制作会社が演者に強制できないような仕組みを作らないといけないでしょうけど。 ・表現の自由、だから何をしても自由、という解釈になったら、表現の自由はなくなると思う。 特に選挙ポスターなんて、誰も彼もが見る場所にあって、見る人が選べない場所なので、そこで子供とかが見てどう思うか。見る側の自由はないのか、だの、そういう話しにもなる。 本当に表現の自由をやりたいなら、見たい人が選べる有料の環境でやれば良くて、別に選挙で誰も彼もが見る場所でやる必要がない。 本当に表現の自由の上で、しがらみに負けずに自由に発表したい人たちが、同じ土俵で問われることになり、最悪自由が奪われ兼ねないことを踏まえて、自分たちは間違っていないと言うのなら、もはや止められないし、本当に表現の自由やめた方が良いと思う。 ・テレビのCMは規制が厳しい。テレビ番組は見たい人が選択して見るけど、CMはそれを見たくて見ているわけじゃないから。 見たくなくても目に入るところに、掲示されるものが制限されるのは当然のことだと思う。 また、表現、言論の自由が保障されている一方で、名誉棄損という罪がある意味を考えて欲しいな。 ・あのポスターは、治安低下にも繋がる気がします。 表現の自由といっても、見せられる表現と、自ら見に行く表現とは、大きく違います。 今回は、公の場で掲示された見せられる表現であり、快く思わない人にとっては苦痛だと思いますし、自由と言っても、ある程度の規律の中にある自由こそが心地いいのだと思います。 何でも自由なら、犯罪行為も犯罪ではなくなるし、選挙も不要に思えるのですが。 ・私はね、選挙ポスターの掲示板、結構しっかりと見るんですよ。無名の候補者もそこで知って、ネットで調べてみたりして、ちゃんと考えて投票してます。その掲示板に常軌を逸したポスターが溢れるようになって、本当に不快極まりない。自由には責任が伴うんですよ。私のこの不快感にどう責任をとってくれるんですかね。あなたの表現は、ストリップ劇場で存分に発揮してください。それを観たい人が劇場に足を運べばいい。街なかでやりたい三昧やる自由なんて認めませんよ。 ・表現の自由とは、日本国においてそれを行使するにあたり、日本国の各種法律の下の自由という意味になります。 このため、表現の自由を謳う前に、その自由を行使する前提となる義務(制約としての法律や一般道徳としてのモラル)があります。 もっとお勉強してから都知事選に立候補することを考えた方が宜しいかと。 ・表現の自由云々と訴えようが場を弁える節度と責任が伴うもの。 自己愛の権化が有名になりたいがために政治利用し、ただのエンタメとして貶め、同じく表現の自由で食べている節度ある者たちの立場を狭めていることに気付かない。 今後の選挙にはパフォーマー至上主義の「こんな人たち」を出馬させない仕組み作りが必要だ。 ・表現の自由は何でも許される魔法の言葉ではない。 あくまでも常識の範囲内でモラルを守ってという暗黙のルールのようなものがある。 こいつもそうだが、それを何でもしていいと履き違える輩が一定数いる。 今回のようなポスターやその他の行為が表現の自由を狭めてしまうかもしれないことに気づいたほうがいい。 次回以降変な候補者や行為が出ないように一刻も早い公職選挙法の改正を求める。 ・確かに、昔ながらの選挙ポスターばかりが貼られていれば選挙に退屈さを覚えるかもしれない。 でもそこにほぼ全裸のポスターが貼られていたとしても、選挙に興味関心がわいたわ〜、とは1ミリもならない。 表現の自由というひとつのルールを訴えるのは目的と手段を間違えてませんかね、表現の自由のもとに何を表現したかったのか、その目的がいまだ本人から発信されてないように思う。 ・確かに、昔ながらの選挙ポスターばかりが貼られていれば選挙に退屈さを覚えるかもしれない。 でもそこにほぼ全裸のポスターが貼られていたとしても、選挙に興味関心がわいたわ〜、とは1ミリもならない。 表現の自由というひとつのルールを訴えるのは目的と手段を間違えてませんかね、表現の自由のもとに何を表現したかったのか、その目的がいまだ本人から発信されてないように思う。 ・選挙用の掲示ポスターという媒体では、候補者の熱弁が補足説明として必要な意見はストレートに有権者に届けることができないと思います。表現の自由への関心を高めたいのかも知れませんが、寧ろ表現規制をすべきと伝わる逆効果になるだけでしょう。広告は選挙以外でも炎上するものは出てきますが、媒体の性質やそれを見る客層をきちんと理解していないで、刺激的な広告なら受けると勘違いしているのではと思います。 ・本当に表現の自由を守りたいというのであれば、しっかりとしたゾーニングをした上で発言や行動をして欲しい。ただでさえ無意味な規制を叫ぶ連中の声が大きくなって迷惑なのにこんなやり方をされては規制を強くされかねない。いっその事逮捕されて数年は物理的に選挙に立候補できないようにして欲しい。 ・個人的な見解ですが、恐らく彼らは「表現の自由推進派」の殻を被った「反対派」なんじゃないかと思います。 じゃなきゃ、分かりきった非難される行動はしないはず。これで「表現の自由は危険」と思わせることで日本国民への規制や監視を高めたいのではないかと思います。 ・昔の日本人の考えとは時代の流れとともに大きく変わっている。良いこともあればモラルなどが海外では普通だからなどと大きく変化(低下)したと思う。グローバルな日本になろうとしてるなら、教育方法の見直しや様々な法改正が必要。 ・1点目、表現の自由が狭められたと言うのなら、どうして「警視庁から警告を受けたことを自身のXで明かし、ポスターをはがすと伝えた」んですか? それこそ、警告を受けた時点で、政治的表現の自由であると訴えて、ポスターを剝がそうとなどせず、徹底的に抵抗すれば良かったのではないかと思います。 2点目、電車の中吊り広告については、興味を持たない人や嫌悪感を持つ人などは、スマホや読書などに集中するなどでスルー出来ますし、そもそも最初から気付かない場合もありますが、「掲示板に大々的に貼られた、選挙用ポスター」は、保育園児や幼稚園児も含めた通行人の目に、嫌でも入ります。 3点目、政治的な表現の自由を謳歌したいのであれば、最初からその自由が狭められない様に配慮したポスターを貼れば良かっただけなのでは? 他にも言いたい事は色々とありますが、文字数制限を超えそうなので止めておきます。 ・普通、常識、モラル、マナー 形には見えないけど確かに存在するものであり社会人として大事なこと これを認識せず気ままに振る舞うと他人に迷惑がかかりさらに強い拘束力のある法律になる 全部否定したら野生動物になる そうすると人々の争いが起こる 人々のコミュニケーションを円滑にする為に自然と身につくものでありそれが出来ない人間は社会から追放される 自分一人で生きろと だから無人島で生活して思う存分表現すれば良い 誰も咎めない ・表現の自由をはき違えてるね。表現の自由ってなんでもOKじゃないんだよ。子供から大人まで、みんなが見て不愉快にならないもの。あと、意味があるもの。ただ、成人には趣味、趣向があるひとがだけが見れる様にするのはアリだと思うけどね。 ・表現の自由とは、大げさなパフォーマンスで民衆の目を集めるだけであれば このような厳格に行わなければいけない場面で行うものではない。これは表現の自由ではなく只の表現の自由と言う言葉の乱発である。 国の行く末を左右する今の子供たち・これから生まれる顔も未だ分からない赤子たちの為に行われる日本国存亡の危機に近い選挙です。 もっと真面目に行われたいものです。 ・河井氏の主張は、選挙公報は通常よりもより広い範囲で表現の自由が認められるべきだ、という事でしょう。この主張自体は一概に間違っているとは思いません(大音量広報車等)。ですが、だから何でも許されるべきかと言えば、もちろんそうとは言えません。「表現」の名の下に何でも許されてしまえば、候補者のポスタースペースを販売するような人が現れかねません…ああ、現れたんでしたね。で、「候補者とも政策とも関係のない第三者のヌードポスターを候補者のためのポスタースペースに貼る」という事が、首長を選ぶ材料を選挙民に提供するために必要かと言えば、必要ないでしょう。そもそも、河井氏自身が言っているように、肌を露出したポスター自体はいくらでも掲示されているわけで、その表現の自由は現に認められています 悪ふざけと言う体裁をとり、公的な目的をバカにするような形での横紙破りを認められるかと言えば、認められません ・「自由な服装でお越しください」と言われ水着1枚で行ったら、海の家では許されるだろうが高級ホテルのパーティーではつまみ出される。 「なんでも質問してください」と言われ初体験の年齢を質問したら、結婚式の二次会ではウケるかもしれないが学術講演会では相手にされないだろう。 全裸に近いポスターも夜のお店のHPなら許されるが選挙ポスターなら常識的に考えてやらない。 たとえ表現の自由が認められていても、どういう状況でどういう表現は許されてどういう表現はアウトだということを通常は人生経験で学んでいくものだと思う。違法でないなら何をやってもいいわけはない。 この方はそれを学んでこなかったのか、あるいは法律で厳密に禁止されていないからと屁理屈をこねているようにしか見えない。 ・表現の自由が狭められてしまった Freedom of expression has been curtailed(Google翻訳より) まさかとは思いますが、日本語の使い方が間違っていませんよね? もしそうであるなら、立候補する資格すらないですし、 仮に当選したとしても、その後都知事としての責務は果たす事はできません。 今回は何のための選挙であるかを見極めて立候補すべきであるし、 本質すらわからないのであれば、このまま大人しくしておく事をお勧めします。 ・個人的には先の北海道知事選挙でも選挙候補者が女性の顔でプリクラなんかでやってる加工した画像を元にしたポスターを選挙掲示板に掲載していたこともあるので、候補者の宣伝かつ公平性の面で基準を手向けるのは必然だと思う。 ついで暇空さんも素顔とイラストを出して顔を覚えてもらうべき。 ・確かに表現の自由は憲法にあるけど、何でもかんでもOKじゃないよね。 個人的にはこういう憲法にある「自由」って、他の法律や条例でやっていい上限というか、ラインが決まってるもんだと思ってたわ。 言論の自由も、他者を貶めるようなこと言ったら侮辱罪に問われることもあるよね。 そういうラインはあるのだから自由は無制限じゃないって分かると思うんだけど、いい大人が屁理屈こねてようにしか見えない。 ・表現の自由というのは、「どんな表現をしても批判してはならない」という意味ではないんだけど、最近表現の自由を叫ぶ人達はそこを勘違いしてる人が多すぎる。その表現を出すのに不適切な場にわざわざチキンレース的に際どい表現を持ち込んで、批判を受けたら「表現の自由ですぅー」と喚くパターンが多すぎる。まずはこういう人達こそが「表現の自由とは何ぞや」ということを学び直すべき。 ・自由と言うのはルールがあってこそ成り立つものです。 自由の意味を履き違えてるだけ。 電車のつり革広告と何が違うのか? あんな広告は見たことがないよ。 局部は隠しました? ならなぜ街中を局部だけ隠して堂々と歩く人がいないのかわからないのかね? まずは常識と言う前提を考え直してほしいね。 ・ジョーカーとかマスクのコスプレ、模倣しかしていない印象を受けます。 そんな人に、表現の自由、といわれてもね。 表現の意味が狭すぎるのでは? 一方、表現の権利を過剰に行使しようとしているのでは? 自由には責任も伴います。 この人に、表現の自由に対する責任を果たせるとは思えません。 あくまでも個人的意見です。 ・表現の自由…の自由には責任を取ってもらいましょう。 先ず、目的から外れた表現の自由は本来の目的とすることに対して妨害行為です。 そして選挙妨害に対しての妨害行為も。表現の自由は妨害している者だけではありません。相手の表現の自由を妨害しているということを理解すべきです。 ・表現の不自由展があったように、確かに日本は特定の一族への表現の自由がかなり制限されてます。でも、このポスターは自由を求めこととは違うと思います。求めるなら、特定の一族や大物議員の真実を押し潰さないで報道する自由と思いますね。 ・100歩譲って「憲法で保障されている表現の自由の侵害・狭さ」を主張するなら、都知事選ではなく国政選挙で主張しないと。規制をかけている法律を変えるのは国会。一都民として、この様な一般常識が理解出来ない人は同じ町内にいてもらっては「騒音おばさん」になるだけで迷惑なので田舎に帰ってもらいたい。田舎だったら一定数いる「変な人枠」でトップ当選できるよ。 ・表現の自由を履き違えてる人間が立候補し、その様な言動をして、当選できると思ってやってる事事態、疑問だし、投票する側はそんな表現の自由より、ただの信念だけを求めてる訳でもなく、過去の経歴も、どの様な政策を考えてるのか、具体的な対比を踏まえて分かる様に知りたい、そしてその方の覚悟、実行力、人柄、そんな人間に投票したいと。表現の自由でごまかさずにアピールして頂きたい。 ・制限が無いことを自由だと勘違いしている人が多すぎる。人が少しでも絡むのであれば、大なり小なり制約はできるもの。もし制限のない自由をお望みなら、一人で生きてゆくことをお勧めします。 ・これを「表現の自由」と言うのであれば狭められて構わない。 先日もつばさの党も同じことを言っていたが迷惑行為と表現の自由の区別なく使うのであれ ば批難は当然。狭められても構わない。 その区別がつかない親をもってる子も不幸に思えるし、有権者も嫌な思いをする。 そんな人達は政治家になることを多くの有権者は望みません。 政治家目指すなら表現の自由を語る前に迷惑行為の意味を知ってからにして欲しい。 資質の低下もここまで来るとこらしめないといけない時代なのかも…。 ・言論の自由の代償だと思ってるよ 公然猥褻や候補者に関係のないポスター、掲示場所の売買は問題があり、対策を取らねばならないと思う。 立候補を示唆するだけで、毒殺されたり冤罪で刑務所に送られるような中国、ロシア、中東よりは遥かに良い。 これも平和と自由の代償。 限られた人間しか立候補できなくなった時、日本の民主主義は終わると思う。 ・昔放送してたようなテレビ番組は、今では過激で放送出来ずにつまらなくなった、という意味ではわかる部分もあるのですが... ただ、法律やルールは結構グレーな部分があって、細かな所は常識に任せて問題になったら是々非々で判断しましょう、と運用している。 それを平気で破る人がいると、ルールを強くして締め付けないといけなくなる。その結果、表現の自由は制限されてしまうんですよ... ・そんな抽象的なこと言ってないで、あのポスターにどんな政治的な意味が込められていたのかダイレクトな説明をすればいいのに。 あのような表現を選挙ポスターで行うことで、どんな困り事が解消されるのか、どんな人が救われるのか説明すればいいのに。 当選したら条例改正するんでしょ? いわゆる、その立法事実ってあるの? そういう意味で有権者を説得できないんだったら、やっぱり票は集まらないと思うよ。 ・>表現の自由とはなんぞや 意味としては、表現者が意図するものを自由に表現出来るということでしょう なので表現した人は自分が表現したことに、例えば今回の場合は何故こういう写真を使わなければならなかったのかを説明出来ないと、単に目立つためだけに注目を浴びそうな画像を「良識なく」使っただけ、と普通の人は思います 自由だから何をやってもいいと言うわけではありません 自由には自己責任が伴いますから 記事内容での意見だけでは、その真意がちょっと分からないですね 何故他のポスター内容ではダメで、この内容のポスターでなければならなかったのかを、きちんと筋道立てて話をする事ができ、その上で聞いた方々がそれならこういう表現じゃなきゃダメだよね、となれば皆さん認めてくれるのではないでしょうかね ただ地域によって条例に違反する可能性は当然あるので、その場合は掲示できないでしょうけど 表現の自由は印籠ではないです ・表現の自由についての考え方は分かりました。で?都知事としての政策は何でしょうか?何をやりたい?何が出来る?具体的に教えて下さい。 都知事選挙は「都知事になりたい人」が立候補し、都知事に相応しい人を選ぶものだと思っています。都政に関係のない自己主張をする場ではありません。都知事としての政策を教えて下さい。 ・自由というものには、責任と権利がついて回る。権利だけをうたって責任を放棄すると、選挙を冒とくする連中をネット上で吊し上げても「表現の自由」となってしまう。秩序や道徳を護る責任があれば、軽々しく「表現の自由」だけを言って何でも出来るなんて事は言えなく成るはず。立花が選挙に関する法律から秩序を奪っているだけに感じる。米国の悪い所ばかり習っている感じで、日本を良くしようという気が全く感じられない。 ・ほぼ全裸のポスターを不特定多数の老若男女が目にする場所にはることが表現の自由?で、都知事選とほぼ全裸のポスターにどんな関係が?もっと真摯に選挙や政治に取り組んで欲しいですね。今後行われる選挙では売名行為を目的とした候補者やポスターなどに一定の基準を設けて欲しいです。候補者は実名・本名で立候補して欲しいと思います。 ・そもそも「表現の自由」というのは、 表現そのものを国家権力が基本的に止めてはならないという「義務」です。 ただし、その表現が明らかに公共の福祉に害を与える場合、 国民からの要請として国家がそういうものを取り締まる、というのが原則。 さて、その全裸ポスターが、選挙という場において 公共の福祉に資する物だったでしょうか?答えは言うまでもないでしょう。 色々話が出ますが、雑に使われる「表現の自由」というものは、 最初から「公共の福祉」という国民自身の意見で制限されるものなのです。 ・合法的な手段で行っているものを「忖度しろ」と止めさせるのはおかしいのではないか。普段、多様性、ダイバーシティを主張する御仁は、「ほぼ全裸ポスターを掲示する者」も含めて、多様な言論、多様な表現について合法的に行っている限り、止めさせないように主張するべきではないか。 そうでなければ、多様性、ダイバーシティに関する主張は、ダブルスタンダードということになってしまう。 自由は本来、無制限であって、法律によって限定的に制限されるべきものである。 ・平成20年前後までは昼過ぎに裸の女性が出てくるサスペンスが放送されていたり、 深夜ドラマで女性が裸になるのが当たり前だったことを考えると、 そこからの十数年で女性の裸に対して厳しくなったのは間違いないと思うけど、 選挙ポスターやることではないというのはもっとずっと前からの話だろう。 ・これは悪手だよ たしかに表現の自由は必要だが、表現したい事を自由に表現してそれを見たい人が見る。 モザイク解禁の主張はいいじゃないですか。 絵にまでモザイクは入りますからね。 しかし大衆へ無制限に見えるポスターという形は主張のやり方を間違っている。 知性の欠片も無いから説得力が産まれない。 悪意を感じる逸脱者が出るからルールがつくられる。言わば規制だ。 これから縛られる事になる。 それを引き起こしたのは誰だ? ・自由とやりたい放題は違うと思う。 一定の線引きの中、決められたルールの中での自由な活動は許容されると思うが、線引きもルールも無視してやりたい放題では周囲の同意は得られないんじゃないかな。 ・そもそも、何を目的とした掲示板なのでしょう あくまでも、有権者の方々が都政の未来を 託す候補者の方々を唯一閲覧出来る大切な スペースだと個人的に思います。 そう言った掲示板に民度が問われる卑猥な 表現をする候補者の方は一体どれだけ 真剣に都政を考えているのか疑ってしまいます。 表現の自由を問うのであれば別の機会に してもらいたい。 これが、通学路に掲示されたら子供達は困惑 すると思います。そう言った配慮に欠ける 方が都知事に向いているでしょうか? ・表現の自由と御託並べて、自分が好き放題出来ない事に駄々捏ねてる子供かと思う。 そこに住む人達の人生にも関わる仕事だと言うのに遊び感覚で選挙に出る感覚も理解出来ないが、ここまでモラルが崩壊してるなら資格制度やらを設けるべきではないか。もしくは一定の学力、SPIのような適正試験を受けさせるべき。 ・表現の自由が憲法に保証されていることは小学生でも知っている。しかし、この問題について議論するのが東京都知事選挙なのかいささか疑問です。 首都東京とはいえ地方自治体であることには変わりないことなので、東京都民にとって東京都をどのようにしていきたいのかを議論しなければならないのに、表現の自由という都政にかかわりのないことを議論の場に持ち出すこと自体おかしい気がする。 国政(立法府)において議論すべきことをこの選挙を利用するのは東京都民を馬鹿にしてるようにしか思えない。 ・日本では表現の自由に対して、少し的外れというかそこは守らなくて良いんじゃね?というものまで守ろうとする動きがあって迷走しているのは確かだけど、彼がやっていることは、その「そこは守らなくて良い」ところなので何も説得力がない。 ・選挙は人気投票ではない。 「面白そうだから」と軽い気持ちで一票を投じるなよ。 その一票が積み重なって一度でも当選したら、後はいくらでも手のひら返しで不正しまくりなんだから。 選挙で落とされるまで、やりたい放題できるんだよ? ただの扇動者、有言不実行な輩に、一体何百万、何千万の血税がつぎ込まれていると思っているんだ。 本当にこの人は、自分や家族や友達や大事な人たちの明日を考えてくれているのだろうか?守ってくれるのだろうかと、真剣に見極めてほしい。 一時の熱狂で政治を動かしたいならそれでもいいが、ツケは当選した人ではなく全部自分が払わされるということを、自分以外の多くの人にも支払わせるんだということを、本当に真面目に、肝に銘じた上で決めてほしい。 ・色んな意味を履き違えてる人が異常に増えた。こういうレベルの人達ににいちいちまともに対応してたら建設的な議論は一切できない。物事の良し悪しを判断できず何でもかんでも表現の自由で片付けられると思ってる人を世間の目に留まる前に何とかしてほしい。 ・非常識な候補者や売名行為が目的と思われる候補者は選挙中も選挙後も一切話題にしない。ネットでも取り上げない。法的規制が敷かれるまでは、社会的制裁が適当でなければせめて防御措置はとりたい。 ・何でも表現の自由で押し通せるものでもないと思う。 それが芸術などならわかるけれどこれは選挙。 何かを自由に表現したいなら違うところでやればいい。 どこか自分で場所借りて個展でも開いて展示するなら表現の自由だし、見たい人がそこに行くだけ。 今回のは見たくない人にとってはお目汚しだったのではないですか? 立候補も自由だけれどこれから選挙権を得るような若い人が心配になるような人はどうなんでしょうね、? 「今の大人、大丈夫かな・・・って」って言われてるんですよ、この人の表現の自由で。 ・何でもそうだが、「自由」や「権利」にはより重い「責任」が付いている。 その意味を理解できる「大人」だけが主張していい。 正しい使い方がわからない「子供」に銃を持たせることを多様化としてはならない。 こういう「子供」たちを社会の「大人」たちで指導していかないという…なんとも無駄なことだ。 ・人を不愉快にしてり不安にしたりする表現が自由であるわけがない。 ぼくはおっさんなので裸の姉ちゃんは不快ではないが、女性では不快な人も多いだろう。ぼくが風呂場以外で男の裸をみたくないように。 また子供を持つ親なら街中に裸があることに慣れてしまうのは悪影響と考えてもおかしくはない。裸は見ていいもの、見せていいもの、が常識になっても困ると思う。 その常識ごと覆したいなら選挙でやるんじゃなくて、議員や首長に「なってから」条例などの改正を提案しなければね。 ・「政治的表現の自由」という単語を 初めて目にしたので 若干戸惑ったりもするが 表現の自由云々以前の問題として 社会通念上ほぼ議論の余地なく 公共の福祉に反してるだろう つまり選挙ポスターとエロ広告を同列に扱うことに 妥当性があると考える人は少ないと思う ・自由って何でもして良いって意味じゃないと思います。極端かもしれないけど、人を殺すのも自由…殺されたから殺し返すのも自由…じゃ秩序も何もあったもんじゃない。自由って節度があって倫理がある。その節度が常識的じゃなければ罰しますよ、が当たり前ではないかなと。 ・自由を勘違いしている。自由は節度と秩序の範囲内で認められるもの。この人の言い分だと誹謗中傷で他人に危害を加えるのも「表現の自由」という事になる。だから受け入れることは絶対にできない。 ・民主主義の選挙は賛成。 だけど票も取れない超泡沫候補を規制するためにも、東京都を含め大都市圏の選挙では経費負担の意味で供託金の大幅値上げを希望する。 それ以上の経費掛かるんだからその行政機関の経費を削減するのが首長の仕事づろうし、当然当選すれば払う必要ないんだし、篩にかけても良いんじゃない。 ・表現の自由の履き違え。 「表現の自由」は憲法で「最大限尊重されるべき価値観」とされているけれど、それは民主主義の根幹を成すものとされるから。 表現の自由を盾にして、人の羞恥心を煽るのは選挙には馴染まない。 また、表現の自由は憲法に根ざすものだから、国政選挙で訴えるべきで東京都知事選挙で訴えるのは少し違う。 一人ひとりの価値が平等だから、多数決が民主主義の象徴でもある。 ひとつずつ論破できるから、正当性は無い。 ・この方、勘違いしている。 例えば性描写解禁されている米国でも、一般人が目にするような場所に全裸に近い掲示物があったり、販売されたりしている事は無い。Xレートでの規制は名目だけでなく、実際に厳しいものだ。 表現の自由と公開の自由は別のもの。 ・(表現の)自由は憲法で保証されている。そしてその憲法はそれを受け入れるだけの社会性が存在しているから機能する。一定レベルの社会が、民度が無ければ憲法は機能しないしその中で認められている権利は絵に描いた餅になってしまう。 社会(秩序)に歪みを与えるような行為はその大前提を破壊しかねないわけで、一定程度の制限があってしかるべきということになる。 社会のルール(秩序)を守るという責任を果たすから自由という権利が許される。責任無き自由に秩序は無く無秩序という。 自分勝手を自由という権利に置き換え正当化するのは許されない。 この問題の候補者、そして、N党の立候補者枠を使う人達に「自由を語る」資格は無い。 社会を破壊する行為として厳しく取り締まる法整備を進めるべき。 ・全て詭弁だ。表現の自由は公共の福祉に適う前提で認められるものであり、ポルノを公衆の面前にさらす行為のどこにも正当性は無い。 一方で国会議員から地方議員まで裏金や不祥事を起こしては居直る昨今の風潮を批判する目的で政治そのものを馬鹿にしたり、都知事選の候補者があたかも4人しかいないような報道を恣意的に続けるメディアへの意趣返しとして政見放送で脱ぐのは「アリ」だと思う。政治家どもを高みから引き摺り下ろす試みは今後も非暴力かつ巧妙化する流れじゃないかな ・このような人間の対応策のため、公職選挙法の改正をすべく官僚や議員のもろもろの人件費など多額の税金が投入されることになるのだろう。少ない給料も税金で天引きされ、有権者に恩恵もない使われ方をされてしまうことを想像するとなんとも言えない。 ・自由という意味を理解しているのでしょうか。仮装行列に参加している感覚で選挙出馬し演説活動をしているようだ。もし万が一当選したら仮装して東京都知事の仕事をするつもりなのか。そんなことになれば東京都は良い笑われ物だ。  自由には責任がついていく。2024年7月7日の投票日はきちんとした人に票を入れよう。間違ってもこういう人には票を入れてはいけません。 ・多くの人を不快にしておいて、表現の自由とか無いと思うわ。全てを闇雲に認めるのではなく、少数派の人は少数派の人が集える場所や環境を用意してあげたら良いと思う。 例えばサッカースタジアムでサッカーをやりたい人・観戦したい人を差し置いて、2m四方もあれば十分な縄跳びやりたい個人に、なんの代価も払わず貸す必要はない。(もちろん適切な手順を踏んで契約した場合はOK) 草野球チームのおっさんがいきなりメジャーで公式戦に出せと叫んだとしても誰も相手にしない。 物事には段取りや手順、その人や集団に適切な場所や環境がある。 ・300万も払ってやることなのか? それこそ、YouTubeでやってみればいいのでは?表現し放題かも。 BANされるかもしれないが。ただ、それがルールだから。 一般生活において、世間は無秩序ではないのだから、やっていい事とやってはマズイ事はあるはず。 その分別はつけないと。 ・何をやっても自由だということが表現の自由では無い。 人を殺めても自由だと言えますか? ポイ捨て自由ですか? 歩きタバコ、自由ですか? 世間の常識やルール、法律や条例、人間が生活する上で自ら決めたモノを守った上で、してもいいことの中に自由はあるんです。 ・表現の自由もあるけど、選択の自由もある。全てをアートや表現の自由だとか言われても、見たくないもの、見せたくないなど、そちらにも自由があっていい。何でもありで、死体や手術なんかのグロテスクな映像も自由と言われてしまう世界は嫌だ。 ・目的を履き違えてる。 ネット投票になり有権者だけが見るだけなら自由にやって構わないが、不特定多数に見られる位置ではわいせつ陳列罪の疑いも出てくる。 でも、この方のように法律の隙間をぬうような行動をとるのは自民党議員がやってしまったのがそもそもの原因。
 
 

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