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【速報】旧優生保護法判決受け「真摯に反省し心からお詫び」岸田総理 原告との面会も指示

TBS NEWS DIG Powered by JNN 7/3(水) 18:22 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/f2bfdb4fe79f2c279cdec7a2c96bb6a7682eda31

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日本のTBS NEWS DIG Powered by JNNによると、最高裁が旧優生保護法を違憲とし、国に賠償を命じる判決を受けたことで、岸田総理が政府として反省し、お詫びの意を表明しました。

岸田総理は今後、強制不妊手術を受けた人々に対する賠償を速やかに行う考えを示し、加藤こども政策担当大臣らに面会をセットするよう指示しました。

補償については国会と協議しながら、早急に結論を出すとしています。

(要約)
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TBS NEWS DIG Powered by JNN 最高裁が旧優生保護法を違憲と判断し国に賠償を命じた判決を受けて、岸田総理は「政府として真摯に反省し、心からお詫び申し上げる」と述べました。 岸田総理 「政府としても旧優生保護法を執行していた立場から、真摯に反省をし、心から深くお詫びを申し上げる次第です」 岸田総理は記者団の質問に対し、このように述べるとともに、今後、不妊手術を強制された人たちへの賠償を速やかに行う考えを示しました。 また、加藤こども政策担当大臣らに対し、総理と原告側との面会を今月中にセットするよう指示したことを明らかにしました。 新たな補償についても国会とも相談しながら、可能な限り早急に結論を得られるよう検討を指示したとしています。 TBSテレビ
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(まとめ) このテキストには、障害を持つ親が子供を育てることに関する様々な視点や論点が含まれています。

一部のコメントでは、子供を育てることの難しさや責任、社会的支援の重要性について指摘しているものもあります。

また、過去の優生保護法に基づく問題に対して、当事者の意見や政府・法律の対応について様々な意見が寄せられています。

倫理的な観点や法的責任、家族の責務などを考慮した上で、難しい問題であり、様々な視点があることが示唆されています。

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・結局、産んでも育てられないと判断されたら子どもは親と離れて乳児院や施設で育てられることになります。自分の生活もままならない人は、子どもをもつのは否定はしないけれどよくよく考えてほしいです。産んだ後、子どもを幸せにしてあげられるかをしっかりと考えてください。切に願います。 ・医療は進歩しておらず、国として裕福でもなく、今のような手厚い環境にはならない。疑わしいだけでも道を絶ってしまったのは、病について無知だったが故でもある。 弱肉強食ではないけれど、当時からすれば致し方ないことだったとは思う。 ただ、地域柄小学生の頃からハンセン病について学ぶ環境におり、当事者の方とも会話をしていた自分は、これで心安らかになる方が多いのであればよかったなとも思ってしまう。 大人になって改めて難しく複雑な問題だと感じる。 ・以前、このような状況下で子供を産んだ女性のドキュメンタリーみたいなのやってたけど、そのお母さんの最後の言葉が私は許せなかった。 それは、子供を産まない事には自分の面倒を見てくれる人が居なくなる。自分の親は先に歳老いてしまうから、頼れない。自分が生きていくためには子供を産むのが最善の選択だってそのお子さんの前で話された事が自分中心でしか考えられず子供の幸せは考えない身勝手さを感じてしまった。 そのお子さんの表情は、笑顔とは言えない表情だったけど、そのお母さんには子供の真実の心は見えてなさそうだった。 ・旧優生保護法の成立経緯と歴史的背景を一通り調べた。 古くは優生学が背景にある。米欧でも支持されて来たがそれが極端に走ったのがナチスドイツのユダヤ人を対象にした収容と虐殺だった。驚いたのは日本でこの法案が施行されたのが1948年だったと言うこと。つまり戦後。 この法の第一条には母体の保護が謳われているが、法律の名が語る通りその目的以上の狙いの方が強かったんだろうと想像する。 政府は法の成立に難色を示していたが、議員立法で成立させた。驚くことに医師であり国会議員だった人たちが成立の旗を振った結果だった。 既に改正されたが、今回最高裁がこの旧法律に違憲判決を出した。 最初の優生学も学者、旧優生保護法も医師。 法を成立させる時にはそれが人にとってどのような価値があるものかを広く議論しなければならないことがわかる。一部のインテリの意見に誘導されてはいけない。 ・当時の医療技術とかもあるから難しいですが。多くの人が接種したワクチンも数十年後には問題に成るんでしょうかね。今の時代には不適切な事でも当時の状況ではってのはあるかとは思うんですが。現実として身内にその対象になった人がいないからそう思うのかもしれませんが。 ・訴えた中に脳性麻痺で手足が動かない女性が12歳の時に母親に何も知らされず病院に連れていかれ、子宮を摘出された。40歳を過ぎて結婚、妊娠できない旨は伝えていたが、その後の離婚の際に「子供がいれば離婚しなかったかも」と言われたとのこと。 ショックだとは思うし、どうにもならないけど、国だけの責任だろうか? 障がい者同士で結婚して妊娠したところ、周りのひとから無理やり中絶や不妊手術をされた人とはまた異なるのではないだろうか? 国が決めることではない。しかし子供を持ちたいという気持ちはわかるけれど、その子供を完全なヤングケアラーにしてしまうのであれば、どうなんだろうか? 障がい者でも自立している人はいる。それとは異なる。 本人自体が自活できないのであれば、自分の面倒も子供の面倒も他人に依存することになる。そしてゆくゆく子供が小学生くらいになれば自分の世話をさせるのでは…? ・妻の亡兄は先天性の脳障害で肢体不自由者で、50代で亡くなりましたが、20代でパイプカットをした。 知能は子供程度だったけれど身体は成人男性並みに成長しており、女性にも関心を寄せていたらしいし、妻(妹)たちの入浴を覗きにくるなどの行動もあったことから、義両親が決断して処置したと聞いている。 今日のニュースをみていて先ほど90歳目前の義母が「可哀そうだったが他人さんを傷つけたり取り返しのつかないことを起こして迷惑をかけるのだけは避けたかったし、万一親になっていたとしても子育ては無理。お国や家族の世話にならないとできないこと。親の責任として手術した」と言った。 それぞれに置かれた立場が違うから、何が正解かと言われれば自分にはわからぬが、当時はそれが最善とされたことだったのだろうと思いたい。 ・色んな角度から考えるべき問題だし、様々な立場からの様々な意見があって当然なので、単純に是非について述べることは出来ない。 今は今で、昔とはまた少し質の違う「余裕の無い社会」となっているからこそとても難しい。 ただ今回は、望まぬ手術を強制された人たちの中で賠償の有無の差が生まれていたのが是正されたという点で、最高裁で真っ当な判断が下されて何よりだったと思う。 心の傷に違いはないし、まして経過年数によって区別されるなどという乱暴な不公平はあってはいけない。 ・誰もが産み育てられる社会なら良いけど、障害遺伝によって大量に障害者が増えたとき、必ず政府や国民は規制に走るであろう。 働ける人は一握りで、あとは社会的支援がなければ生活もままならない人が多いのだから。 穿った見方をすれば、この問題は本当に問題なのか?とすら思う。出生前診断が無料、もしくは義務化になって障害がある、と分かったらどれだけの人が産み育てるというのだろうか。 後悔してる人はどれだけいるのかは分からないからね ・前に見た障害者の子供に生まれた男性のニュースを見てしまうと、これは仕方ないと思ってしまう。 子供を自分達の介護のために産んだ親。その男性は幸せだと思ったことが1度もないと。あまりにも可哀想すぎる。 さっき脳性麻痺の人が同意なく不妊手術をされたと言っていたけど、脳性麻痺で介護されている人間が子供を育てられるのかを考えると無理でしょ。周りの援助があればと言うだろうけど、周りに全部やってもらわないといけない子育ては、結局子供が、大きくなってくるとその介護を子供がしないといけない。子供が可哀想すぎる。 ・命は大事なんですけどね。 最近はアレルギーとか、軽度発達障害などかなり増えてますが、それくらいのレベルの特性でも育てていくことはかなり大変です。 発達障がいや境界知能に関しては更にどんどん増える気がします。 異常に片付けができない、ゴミ屋敷化、時間がどうしても守れない、すぐ物を失くし大切な書類も提出できない。 こういう人は、親になったとしても、子供を育てるのは大変な上に、その特性が遺伝までします。 子供を産んでも大丈夫な能力があるかは、よくかんがえるべきかも。 保育士だって、研修や試験があるのに 妊娠しただけで、子供に責任を持つってある意味むりがあるかもしれない… ・岸田首相は、ここでちゃんと謝ったことは素晴らしいと思う。 もちろん岸田首相は立場として謝る責任があるが、個人としてそのような行いをしていない。しかし、立場として謝る。 普通のことのように思うかもしれないが、これができない人も多い。 ここで謝ると、プライドが許さないとか、自分の立場が危うくなるとか。 歴史の過ちは、今を生きる僕たちが行ったことではないが、その問題に寄り添う責任はある。 この問題だけではなく、韓国や中国や東南アジアや沖縄の問題も、「過去のことでしょ」という人がいるが、それは寄り添う責任を放棄している。 僕は岸田の支持者ではないが、ちゃんと歴史に寄り添い、彼に罪はないが、寄り添う責任を持って立場上ちゃんと謝罪したのは当たり前かもしれないが、評価に値すると思った ・産む権利を奪うことがあってはいけない 不幸な子供を増やしては行けない 難しい問題だと思います。 今ほど環境や福祉が整っていない時代ではこの方達の親にとっては苦渋の決断だったのではないでしょうか? 両親どちらかが支援や介助が必要な場合、その子供は生まれながらにヤングケアラーです。 生んでは葬ったり、虐待をするのにとめどなく妊娠出産を繰り返す人がニュースになりますが、あいう方には強制避妊が必要だと感じます。 本当に難しい問題です。 ・障害者じゃなくても、子供1人育てるのは大変です。日常の生活で誰かの世話にならないと生活出来ない人が子供を産むのは想像するよりも周りの人が大変なんだろうと思います。 産まれた子も、自我が芽生えれば色んな葛藤があるんじゃないか、と思います。 子供は宝と昔から言いますが、生まれてきたときから、その子は背負うものが大きいんだということを、ちゃんと考えるべきだと思いました。 ・自分の子を産みたいという気持ちはなんとなくわかるけど、その子の面倒を見ることはできるのでしょうか。できればなんの問題もないと思いますが、できないで子を産んだ場合誰かがその子の面倒を見なければならないです。 子育てされた方ならよくわかると思いますが、決して楽ではない、健全な人ですらです。 この問題になっている方は誰かの手伝いが必要な方であろうからその世話をする方の事を思ってみるとどうでしょうね。 人の世話をするってある意味重労働ですよね。 ・難しい問題です。 私は子供を4人授かる事ができて、産んでくれた妻には感謝しかありません。 だからこそ私は死ぬまで働くつもりでいます。 子供たちに何を残せるかは分かりませんが、 『旦那様ご覚悟をっ』と言われても 『とうにできておるわぃ』と気合いと根性を出して働いているつもりです。 それができる方なのかという事です。 どんな障害を持つ方でも平等に生きる権利は間違いなくあるべきですが、 私は子供を授かり育てるという事は並大抵ではないと感じています。 共に助け合い、生きると言っても限度があるのもまた事実。 そして、『いつまでもあると思うな親と金』という言葉もあるように、 支援もまた限界があるのです。 最終的に自立するまで子供を育て上げる事ができない方は大変厳しい事を言わせて頂きますが、先行きが見えないのならば、自分の子供の未来を考えてほしいと願います。 これが悲しいですが、愛と現実です。 ・この問題は、次には妊娠時や出生前の遺伝子検査の是非につながるものに思える。 これからはどんどん事前に分かる遺伝疾患がわかるようになってくるだろう。 その中で検査を強制されることはないと思うが、検査を受けて何か具体的な遺伝疾患とそのなる確率が出てしまえば、リスク回避のバイアスがかかる。 この検査が、社会風潮的にやるのが当たり前になってしまえば、その結果の出方次第では、具体的すぎるために周りの人間が母親の意思に反した結果を選択させかねない。 優生保護という視点ならば、法令だけでなく、そういった形の優生保護についても考えていく必要がありそうだ。 ・辛い思いをされている方も居るのは間違いないのですが、当時は今ほど福祉がしっかりしておらず、偏見も強い中で育つ子はどう思うのだろう。五体満足で、いわゆる普通の家庭の子でも生きる事に苦しんでいる。残酷だけれど遺伝してしまった場合辛い人生になる可能性も充分考えられる。難しいですね。 ・子育ては大変。 自身の日常生活、一般的社会活動もままならないのなら、子どもを育てられるだろうか。 高齢化社会の問題もある、少子化問題もある、格差社会の問題もある。 生きる事は大変、それは障害者の方も健常者 も同じ、自分一人が生きていくのも大変な時代だから。 私達は障害者、でも一般健常者の人と同じ生活、人生を歩みたい。 だから福祉を充実して、私達の生活人生を助けてほしい、ばかりが先立てば、社会全体がどうなるのだろうか。 ・気の毒だとは思うし、人権蹂躙しているとも思います。 が、その一方で 産んでも育てられない人が無責任に子作りして 産まれてきた子は果たして幸せなのだろうか 産みっぱなしで後は誰かに任せる前提 それで良いのか 社会福祉におんぶにだっこありきが当然だと開き直られても…とも思ってしまいます。 何が正解だったのか 当時の倫理観や福祉の状況など 現代の価値観とはまた違うし 難しい問題ですね ・子供を作るかどうかは、その本人たちの自由だと思う。 もちろん、生まれる前から遺伝的に問題を持ち、困難な人生が待ち受ける子が生まれる可能性が高い場合は、周囲が助言することはできるが、それも含めて子供を作ることは、本人にしか決められない。 但し、この世に生んだからには、両親はその子を幸せにする責任がある。生まれる前は自由でも、生まれたからには一人の人間として、親の自由ではいけない。保護者には、子供が大人になるまでは最大限、幸福な人生を与える責任がある。 それは、障がい者であろうと健常者であろうと関係ない。逆にその覚悟がなければ、子供を作るべきではない。 一方、生まれなければ人生はない。障がい者であっても生を受けた。その人生が初めから悪いものだと決めつけることはできない。 逆に健常者であっても人を傷つける人間もいる。 それに対し、障がいを持っていても人々を笑顔にし、人々と幸せに生きる人もいる。 ・父母が障害者でも子どもが障害者で生まれるとは限らない、逆に父母が健常者でも子どもが健常者になるとは限らない。また、生まれた子どもを立派に育てられる自信があっても、必ずそうできるかわからない。その時の決意、気持ちが大事であって、父母が健常者とか、障害者とかは関係なく子どもを持ちたい、育てたいと言う気持ちがあればその気持ちに素直に従うべきと思う。色々考えることも大切と思うが、考えているだけでは前に進めない。ある程度、物事をシンプルに考えることも心には良いことと思う。 ・以前の勤務先の男性利用者で子どもは4人も授かったけれど、全く育児はせず、外で別の女性と遊んでばかりの方がいました。こういったケースを見ると自分の意思だけで子どもを好きなだけ作るのはいかがなものかと感じる部分もあります。 ・障害を持っている方が妊娠し、身内から「赤ちゃんを育てられないので産むのはやめろ」と言われたにも関わらず「赤ちゃんは国の宝」と言って出産した方の話を聞いたことがある。 結局、お母さんは体が不自由で赤ちゃんを育てらず、すべて身内が育てた。 もし、身内が育てられなかったら、赤ちゃんはどうなっていたのだろうか。 「産んだけど育てられなかった」と言って無罪になるのか? 障害の有無にかかわらず、出産したのなら自らの手で育てて欲しい。 ・コメントしている方は皆さんよく考えてご意見を述べておられると思います。当事者の思いとは必ずしも一致してはいないのではないかと思いますが、原告の方はそれぞれ事情も異なると思います。それら具体的な諸事情をつぶさに見て一審、二審、最高裁判決にたどり着いたことです。その結果がこうなのですから、当時の知見に基づいた政府判断が誤り、違憲であったということです。それは認めるしかないですね。それに尽きると思いますよ。原告の方を責めるような物言いは人間としてすべきではないかと思います。 ・その当時は合法だったのだから、仕方ないと思います。世論もそうだったのですし。それを言い出したら、今は養護学校(特別支援学校)は義務教育だけど、昔はそうでなく、就学年齢になっても学校に行かない、行けない子どももいました。そいう人たちも義務教育を受けることができなかったと権利を主張し始めたら、収集がつかなくなる気がします。 ・ハンセン病の方たちも、子どもが生まれても殺され、ホルマリンづけにされたり、勝手に手術されました。遺伝するわけでもないのに、他の国では何十年も前に隔離されることもなかった時期に日本ではずっとそういう政策がとられていました。無知なら仕方なかった部分はあっても、治療法がわかり、遺伝もないとわかってからも何十年も。 そして保育園不足のとき、施設のあるところにぜひ保育園を作って欲しいと元患者の方たちがいってたそうです。自分たちは子どもがいないから子どもの声が聞きたいとの理由だそうです。 ・どうしてそんなに子どもにこだわるのかな。 赤ちゃんが生まれたら、夜はまとまって寝ることすら出来ず…、夜泣き、イヤイヤ期に悩まされて。 保育園や幼稚園に行くと感染症の洗礼を受ける。汚した下着や布団類をハイターにつけて一日に何度も洗濯するようなことも。学校に上がっても、身の回りのことが一人で出来るようになるまで、細かいサポートは欠かせない。 そういうのをすっ飛ばして、「今」成人した子どもが身近に居てくれたら心強いって思うのかもしれないけれど、、、現実問題、そこまで誰が育てるの?って聞いてみたい。 その当時、孫のサポートまでやっていられないと思ったからご両親は手術に同意したのでしょう。 国を訴える前に、まずは親と話し合うとか出来なかったのですかね。勝手に同意した親を訴えるというほうが納得できます。 ・事情判決にしないで,優生保護法に向き合ったことは大きいと思います。 確かに障害を持った人が子供を育てることにリスクを感じていた法律制定当時を責められないにしても、手術を強いられた当人の気持ちを考えると、後出しではあっても間違っていたことを認めることで国が責任を取ろうとした態度を見せたことに意義があります。 ・対応しているのが武見敬三厚生労働大臣ではなく、加藤鮎子こども政策担当大臣というのに強い違和感を覚えます 『優生手術』は出産・子育て支援とは全く別の次元の案件です 武見大臣は緊急避妊薬を含めて何かと保守的な立場の政治家ですが、おそらくそれ以上に父親の武見太郎(日本医師会会長)が優生保護法に対してとった立場の問題もあるのでしょう 何にせよ、精神病患者やハンセン病患者への優生手術を推進したのは医師会と厚生省です 首相の謝罪は必要かも知れませんが、厚生労働大臣不在では意味不明です ・憲法違反ということは、良くわかります。 絶対にその通りです。疑う余地はありません。 これをどんな方法で、償うのでしょうか? やはり、お金でしょうか? もし、そうだとしたら、そのお金はどこから出るのでしょうか。 もし、その原資が私達が納めている税金になるのであれば、それは間違いだと思います。 1番の責任は、その法律に賛成した国会議員のはずです。 その国会議員が生きていれば、その国会議員が責任を負うべきです。その国会議員が亡くなっていれば、その遺族が、なんとかんがえるかです。 その当時の国会議員の間違いを、現在の国民が、尻拭いするのは、如何な物かと思います。 ・当時の時代背景として仕方なかったのではと思うし、現代の首相が謝罪というのもおかしな気がする。 この問題ては、家族の形はそれぞれなので、生まれてきた子どもの幸福を担保できるのかとか、一概に語れない問題でもあるし、現在のこの国が決して豊かでもない中、昔の法律に基づいて行われたことを国賠訴訟してたら国は大変だよなとは思う。 ・ここに書かれているコメントが、感情論だけで語らない人、現実問題として綺麗ごとでは済まされない親としての資質や責任を問う声が多くて良かった。 未熟な大人が結婚して出産してから後々、行政に保護してもらう、誰かに面倒を見てもらえると、おままごとのように(安易な)結婚・出産をする人たちは今の時代は社会問題として考えてもいいと思う。 ・旧優性保護法は、戦後間もなく議員立法で全会一致で成立している。当時は、優性学という学問や理論が疑われることなく浸透していたのだろうか。研究者などもいたのだろう。そうした背景も、検証して欲しい。 ・自分の事にも支援が必要な人に、子供を育てられるのでしょうか? ヤングケアラーを減らそうとしているのか増やそうとしているのか、まるで分からない。 当時の法律が間違っていたとしても、道徳的に自分の事もできない人が、子供を産むだけ産んで他人や行政の支援を頼ろうとするのは間違っていると思う。 ・障がいを持っているお母さんは、「自分の障がいが子どもにもいくと思わなかった」と仰っていたりします。希望を持つんです、人間なので。 当事者の方は傷ついたと思いますが、産んでいれば産まれた子も苦しみます。そういう事実はあると思います。 ・世の中って常に権利と義務って裏腹にあると思うのだけれど、子を産む権利があると言うのなら、産んだ子を養育する義務も当然にあるので。で、その障害の状況でまともに養育って出来るのでしょうか?自分の世話すら自分だけではまともに出来ないのに。 今後は子を産んでもらって養育不可能の場合は今回の訴訟を担当した弁護士先生に養ってもらいましょう。 ・憲法12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」 不断の努力、濫用してはならない・・・ 当事者の方々は大変な想いをされたでしょう。 しかし重度の障害があって、子供を自分達だけで育てられるなら良いですが、生まれてきた子供がやはり重度の障害児で生まれた時は面倒は誰が見るのでしょうか?? 果たして当時の判断(立法府だけでなく大多数の国民)は間違っていたのでしょうか?? 反対だけの社会党が問題提起した件ですよね?? ・この手の問題は解決しようとしてもとても難しい。何せ、妊娠、出産、子育てまで人間の存在そのものだから。理屈だけでは語れない部分がある。言えることは、生まれてきた命は何とか助けること。そこは人間だからこそ出来ること。その後の幸、不幸は本人に判定してもらえばいい。 ・この問題は本当に難しいが色眼鏡ではなく現実的なことを考えて障害者同士で産まれてきた子供が本当に幸せと感じられるのだろうか。幸せに出来るのだろうか。障害の具合によるのは当然だか、知的な部分が重度でも快楽で理性が利かないとしたらどうなるか。 人権が最重視される時代だから決して許されることではないとは思うが、仕方なかったと思う。 ・日本は実親の親権が不合理なほどに強すぎる。残念ながら、子どもの幸せを第一に考えた制度になっていない。 実親が育てられない状態が一定期間続いた時点で親権を停止し、自治体から認定された里親への委託を積極的にすすめるべきだ。 ・国相手の裁判って必ず最高裁までもつれているイメージがある。首相判断で控訴しないケースがあるけど、ごくごく稀。税金の支出を抑えるためという大義名分があるから、基本的には控訴する流れになる。 でも、必ず最高裁まで行くのなら、もはや時間もお金も無駄なので、国相手の場合、一発最高裁でいいんじゃないかって気がする。 ・障がいを持った人の子どもが半強制的に親の介護をしなければいけなくなるとか、そもそも育てられるのかとか、そういう面で優生保護法を理解することはできる。時代も時代だったから。でも、国家が当人の同意なしに手術を行ったこと自体は批判されても仕方ない。もし失敗しても十分な補償がついたわけではないだろうし。 ・育児ノイローゼや産後うつになるのは、それだけ大変という事を忘れてるのでは? 報道は産んでいたら…と良い事しかの想像、寝返りでうつ伏せになれば窒息死することもある。夜泣き、何時間おきに赤ちゃんは起きて親はちゃんと寝れないし、お風呂入れたり離乳食だってつくる、小さいうちは何をやるかわからないから目が離せない。 窓から落ちたりする事故もある。 ・現実問題、国のお世話にならなければ生活の保障はないし、身の回りも他人の手を借りなければままならない状況で結婚し子供が生まれたとして果たして誰がその子に一般家庭と同じような生活と教育の機会を与えられるのでしょうか。ヤングケアラーになる運命が待っている。 福祉の勉強をした駆け出しの頃は旧優性保護法は差別の歴史と感じましたが、社会に出て現実を知っていくうちに当事者の思いだけではどうにもならないと感じる。 この問題とは別ですが、古い洋画に知的障害者同士の結婚や行きずりの相手との間に生まれた子を一人で育てることになった知的障害者の父親の話が感動的に描かれたものがあります。が、現実は甘くない。 当たり前のように結婚し子育てをできる社会になるといいなと思っていた子供ですが、今はあれは理想に過ぎないと感じる。 映画の中でも父親の子育ての限界があり、親子が引き離される場面もありましたし。 ・政府のこういう過去の過ちを認めてくれる姿勢は市民に寄り添ってくれている印象で好感が持てる。絶対に控訴してほしくない。色んな意見がある問題だが、この判決でほっと安心した。障害のある人に接した人ならきっとわかる。どんなに重度で自分の意思が表現できない、、などと思われている人も絶対に!丁寧に接していれば意思があり、意志を伝えようとしてくれていることがわかる。しかも婚姻など出来るような人なら必ずその人は自分の意思で行動できる。「強制」不妊手術が違憲なのである。周りの人は本人を騙して知らないうちに手術するのではなく、話し合ってお互いにいい方法を見つけ出す努力を怠ってはいけないということです。 ・妥当だと思う反面、やや驚きの感情もあるよ。 かなりの広範囲に影響する判決 色んな切り口があるとは思うけど、司法の怒りのようなものが薄ら感じられる。それは司法としてはどうかとも思います。 自分の予想では棄却するが、信義的に行政が補償するって形になると思っていた。 被害者にとってはもっともな判決だとは思う。 今後はこの判決を国も国民も利用しようとするだろうね。 国民はこれもじゃない?あれもじゃない? 国は障害による差別をなくす為には医療費も時間も金もかかるけど仕方がないよね。裁判所が言ってますから。国民に広くって体で狭く負担お願いせざるを得ませんね。ってなるのは予想できる。 妥当だとは思うけど、違う方法もあるのでは?とも思います。この判決は大多数の無関係な人にも影響することだと思う。 ちょっとだが、司法も感情に引っ張られてる感じがする。そこは妥当かわからない。 ・障害者との距離が遠い人と 本人や家族 親族とは考えが違うのは当然ですが、障害者に生まれた人の諦める事の多さや無力感、被差別経験など想像する気はないのでしょう。障害者に生まれても五体満足に生まれても 生き延びるための方策を考えるのは当たり前。金がかかっても人を頼っても生命を授かった生物として 全て生き延びるための方策。金がかかるからと生命を繋ぐ機会を取り上げる傲慢さを自覚したい。我々は たまたま健康に生まれた幸運や 大陸ではなく日本の戦争の無い現在に生まれた幸運、SNSを自由自在に使える幸運をありがたいと思います。このようなニュースを見て 自分が満たされていないと感じている人々は SNSでマウントを取る事に注力したり誹謗中傷したりと見知らぬ他人に攻撃の矛先を向ける。 岸田政権の裏金政治の下で不公平感がますます拡大していますが、庶民は 生き延びるため助け合いたいと強く思うこの頃です。 ・このような差別的な立法や行政運営を求めたのは、当時の国民自身に他ならない。 対策しなければ国は不作為として批判された。 時には障碍者や家族からも… だから与党も野党も関係なく議論し法律を制定し、行政も法に則り、ある意味国民の期待に応えて実行した。 形式上、国が立法と行政の責任をとって敗訴という形にはなっているが、実際には当時の有権者全体の敗訴と考えるべきだろう。 ・当時の価値観では仕方がないという理屈は理解できる。しかし、優生保護法被害弁護団 弁護団のサイトを見ると、今回の一連の訴訟の中には6人も障害なしの人間がいることがわかる。当時の記録が失われているものも多くあるため、全てを追えるわけではないだろうが6人というのは一部だろう。目的となる部分で誤りがあり障害者じゃない(いわゆるグレーゾーンの可能性はあるが)人が、誤って障害ありと認定されて強制不妊手術をさせられたことを考えると、やはりこの法は悪法だったと思う。 また今回差し戻されたことを考えても違憲であり、憲法的にもあってはならないはずの法律であったことがわかる。 ・今日のNHKのクローズアップ現代でも取り上げてたね。親に入院させられて本人に知らされずに強制的に避妊手術をさせられた人もいた。また、障碍者カップルで悩んで自主的に避妊手術を受けた人もいる。一方でグループホームで生活している障碍者カップルで出産を選んだ人もいたよ。そういう子供は国からの援助が無いらしいね。その施設の人たちの援助で育てられているそうだ。両親も障碍がありながらも工場で働いて十分でないまでも収入を得ている。その子供は障碍無く健やかに育っているように見えた。障碍者の子供が必ず障碍者になるとは限らない。偏見だよ。健常者同士のカップルでも障害や重い病気を抱えて生まれてくる子供もいるじゃないか。健常者から生まれた障碍児は手厚い保護をうけられるのに障碍者から生まれた子は国から何の援助も受けられないっておかしくない?どんな子供も社会全体で育てる意識がこの国には不足している。 ・さまざまな考え方がある事は当然ですが、人ではなく他人が勝手に判断して個人の権利を奪うことはいかなる時も絶対にしてはいけないことだと思います。 というのも、それについてはある一定の答えが出ているからです。昔ナチスドイツが、もっと厳しくより大々的に行っていました。 先天性でも後天性でも障害を持った時点で子どもは生ませず、更にエリートはエリートと結婚させる、という政策です。 一見利にかなった政策に見えましたが、結果的にそれは国の衰退を招きました。 誰もが障害を持つ可能性があり、そして誰もが障害を持つ子どもが生まれる可能性のある中で、障害を持ったら終わりだ、という絶望感が国を覆ったからです。それは、エリート同士の結婚でもそうでした。 障害があってもなくても、誰もが等しく幸せになれるという社会が、本当の意味での豊かさを生むと思っています。 ・最近の最高裁は、日本国憲法の理念を素直に解釈し、現実に適用し、結論を導いており、好感が持てます。これこそ、「法の支配」です。司法消極主義は決して褒められたことではありません。司法は、下級審も含め、こうした姿勢で伸び伸びと判断を下していただきたいと思います。 また、立法府、行政府は、最高裁の姿勢を見習って、違憲の可能性のある「法律」については、それが「法」という名前がついていなくても、それが戦後80年一度も見直されたことがなくても、果敢に見直しをしていただきたいと思います。 ・これって誰が考えても、今の時代の常識から外れた法律が戦後も長く続いていたわけで、最高裁の判決を待たずに、岸田首相が認めてお詫びすることはできなかったのか。 低空飛行を続ける支持率を、少しは改善することができるのは、そうした彼自身の血の通った施策が国民に響くことだと思うのだけれど。 ・反論はあると思うけど、育児について今の世の中健常者にとっても子供一人を育てることは簡単ではない時代。 子供を望む気持ちはよくわかるけど福祉以外の他人の力添えが無ければ無理ではないかというのも一理ある。それは親族や周囲の判断だから国ではないだろうけど誰かの責任という問題ではないと思う。 ・当時は当然のように施行された法律でも、現代で見れば異常であることは明白。 これは国だけの責任ではなく、私自身「今当たり前だと思う価値観などを思い直してみる」ことの重大性を改めて感じるきっかけになった。 ・権利権利言うて、義務を果たせるのか。権利ばかり認められる世の中、おかしくないですか。子供はおもちゃでもペットでもない。育てることは、並大抵のことではありません。他人の税金を使って子育てって言えますか。非難されるかもしれませんが、もっともっと真剣に考えてもらいたい。 ・国としてはそれでいい。 ただ施設入居の際の同意や個人の選択としては優勢保護のような形を残してもいいようにしてほしいです。 ヤングケアラーにされる子供達がおり、そのために産む人が本当にいるからです。 自分も共働き両親のためヤングケアラーにされましたし、ヤングケアラーしながら脳梗塞で若くして面倒みてた人より先に亡くなった犠牲者が親戚にいるからです。 ・首相の場合他の理由で今の国民に対して詫びる事がある気がしますけど国も一枚どころでなく噛んでいた事がバレてしまっている以上避けがたい事なんでしょうかね。 自分は彼らが国に起訴するからまでにどのようなやり取りがあったのか存じませんけど少なくとも廃止が決まった時点で法律自体の揉み消しに動いていたら国に目をつけませんでしたよね。 ・最高裁判決であリ、政府としては重く受け留め粛々と個々の賠償に取り組んでいただきたい。とはいえ、非常に悩ましい判例になるかと。当時の優生保護の対象であった方が果たして子供を設けたとして、当時の脆弱な社会保障や人権意識の下、問題なく育児教育ができたのか、逆にそれが対象であった方の負担とならなかったのかと考えると非常に難しく、一概に当時の社会政策を批判とするのもフェアではないように思います。よく北欧の高福祉政策は理想とするものであり、目指すべきものとする意見がありますが、そもそも北欧のそれは優生保護思想にもとづくものであることは念頭に置くべきかと思います。 ・産まれた子供を育てるのはだーれだ? こどもに介護させる、ヤングケアラーにして、子供は当たり前にやるけど、どうなんだろね? 実際、障害者同士の子供4人いて、健常者1人とかもあるからね。 知的だと思うけど、14人産んで、手元には2人しかいないって生保もいたし。 産まれたら速攻施設も。家行ったら、まじで2歳くらいの幼児が床に頭ゴンゴンゴンゴンずっとやってるとか、昔テレビで栄養失調の子供がやってるようなことを目の当たりにしたりしてびびったよ。 出生前診断で96%が障害があるって分かったら墮胎するように、ある程度は必要だと思うよ。 人口減ってるのに障害者手帳取得者は増加の一方だしね。 ・今日の最高裁大法廷判決はとても画期的だと思います。旧優生保護法は憲法違反であり、国が主張している『除斥期間』に付いても権利の乱用として認めませんでした。 私自身もこの最高裁の判断は支持します。岸田首相も謝罪して、各省庁の調整とその為の整備作りを与党や国会へ図ると思います。 問題はその先です。国民の中には未だに優生思考を持っている人がいます。TVを観ていたけれど、子育てする事に対して、多くの誹謗中傷をSNSに書き込んでいるようです。内容の殆どは「子育ては出来ない」と決めつけているものでした。しかし、障害者同士で結婚して子どもが出来た家庭では、小学生になっていましたが、普通に元気で活発な子でした。やはり、日本には偏見を持つ人が多いようです。 子どもをどうするかは本人の判断で決めるべきであり、外部が決めることではありません。最も、障害の有無に関係なく、社会が子育てしやすい環境に整えるべきです。 ・旧優生保護法の理念は今の価値観からはとても容認できませんが、人間の知識や価値観は時代とともに変化するものだ、とは思います。 その時々でベストの判断をするしかないのであり、この問題を考える場合、様々なことに思いを馳せる必要があると思います。 まあ、岸田さんはそこまでの思慮深さはなさそうであり、そう思わされてしまうのはこれまでの行いの結果でしょう。 ・まず思うのは、この法律ができた当時は社会的にも認められてたんだろうってこと。80年足らずで世間の価値観なんて容易に変わる。今の価値観で酷いとか言ってもはじまらないけど、そういう「被害」を受けたことが「事実」なのであれば、まさに今の感覚で可哀想だと感じるから補償はするのでしょう。 次に思うのは、であれば何故、行政は司法の判断が出るまで待ったのかということ。今回の件は、最高裁まで待たなければ、事実が確認できなかった訳ではないと思うんだけど。 ・うちの娘には最重度の知的障害があり、言葉も話せない。理解もできていない。生活の全てに介助が必要。大人になってもコミュニケーション取れるかどうかわからない。そしてそろそろ生理がくる歳。強制でも任意でもなんでもいいから、うちの娘は不妊手術してほしい。親の不妊手術してほしいという気持ちも潰さないでほしいわ… 生理の処理は自分でできず介助者は苦労するだろうし、万が一周りの男性に妊娠させられたらどこに怒りをぶつければ良いんだろう。 障害者の不妊手術してくれる医者ってまだいますか? ・自分としてはかなり違和感を持ってしまいました。先の判決速報のコメント も見ました。時代的な背景や当事者の疾患、的違いかも知れないけど、では その金銭的な賠償は補償は誰が受け取るとか、本当に難しいって思います。 その色んな要因がある中で、総理のコメント「真摯に反省し心からお詫び」 てちょっと違うんじゃないか?って思いました。この言葉は今までの歴史を 覆すことにもなってしまう。この言葉の持つ意味がわかってるのか?とさえ 感じます。 ・ヤングケアラーとか、誰が面倒を見るのか?産まれてくる子供の幸せとか、とても大切な事だと思います、国の財源も含めてね。 当時は合法だったものが、改憲され、考え方が変わった今の尺度で判じられる事に疑問をもっています。 勿論、当時妊娠能力を奪われた当人の幸せ、あったかもしれない可能性を奪われた悲しみ悔しさを計り知ることは出来ません、その気持ちを計る物、形のないものを表す重さがお金というも理解はします……。 ・今現在だから優生保護法が科学的な根拠に欠けたものだとはっきりしているが、その当時の優生学は19世紀末にイギリスで提唱され、その後国際的に普及されていた。その政策は特にアメリカ、ドイツ、北欧、スイス、カナダ、日本で広く実施されている。この現象は人類が陥りやすい人間至上主義の階級的人種的なバイアスともいわれている。今現在の人類もおそらく同じ過ちを犯しているが、いまそれは気付くわけもない。私たちはそういう視点を忘れてはならず、過去だけを責めてはいけないのだ。それが既に過ちの始まりなのだから。 ・総理が今回、最高裁の判決を受け、行政府の責任を認めたのは、素直に評価したい。 そもそも、当時の考え方としてもヤバいと皆が気付いていたのに、1996年(平成8年)まで廃止しなかった立法府の怠慢もある。 悪法もまた法なりで執行してしまうのが行政の性だが、違憲立法審査があるのだから批判が出た時点で、行政府は一度立ち止まって司法の判断を仰いだり、世間に問題を周知させて議会に法改正を提出するなどの努力もできたはずである。 例えば、悪法で名高い治安維持法が現代に蘇ったとしても、政府や裁判所が「法律は絶対、盲目的に従うべし」ではなく、「この法律って違憲だよね?無効じゃないの?司法や世論の判断を仰がねば!」と疑問を持つ姿勢を持って欲しい。 ・社会全体の最大幸福を求めるか、個人の自由、幸せを尊重するか。それが命という重いテーマの中で綱引きしているようです。 どちらにも正義があると理解できるので、その選択をせざるを得ない人達を軽率な物差しで傷つけないで欲しいです。 ・旧来の禁治産者や準禁治産者は遊蕩による生活の破綻等が前提の場合が多かったのに対し現在の成年後見制度は認知症等が想定されています。産む自由も可否の根拠が随分と変わりました。今の感覚で過去を裁く難しさを感じます。もし優生保護法に何ら異議を唱える事の無かった時代に今の人権意識を唱えたら果たして政府のみならず世間、世論からも支持を得られたか疑問に思います。原告の方たちがご存命のうちに今の感覚に合った司法判断が下される事を願って止みません。 ・この判決が今日まで放置され戦後最大の人権侵害と認定されたとすれば、逆に健全な夫婦が現代の医療の技術で胎児の「状態」を確認して堕胎する行為、権利についてはどう解釈するのか?これも人権侵害になるのか?明らかに倫理上問題がある。宗教上の理由で中絶はいっさい認められない国もあるが。 ・憲法や人道に違反する恐れがある場合は、法律が施行される前に、司法判断を下す仕組みが必要ではないだろうか。いつも被害がでは後で違法や違憲との判断が下される。失われた命はお金では償えない。 ・旧優生保護法は議員立法で作られた法律です。憲法に反する法律を議員の意思だけで成立させてしまう議員立法には危うさを感じます。最近の政府は国民の安全に関わるような重要な法案も議員立法で簡単に立法化してしまう傾向が強くなっていると感じます。法律制定は慎重に十分審議し、本件のような事案が再発しないよう政府に求めたいと思います。 ・難しいな。産む権利を奪ってはならないと思うが、 産んだ後のことを考えると、育てられるかといえば、ほぼ無理だと思う。 生まれた子を考えると、結局は施設に預ける事になりそうだからな。 良い政策とは言えないが、絶対に悪い政策とも言えない気もする。 ・この恵まれた日本でしかも現代の価値基準で言えば、この判決も当然だろう。 しかしそれは表の面だけの人権意識であり、まぎれもないそして動かしようのない事実として、養って子育てすることが困難である。 その事実と向かい合ったとき、果たして産まれた子どもにとって幸せなのだろうか。権利はわかるが、子育ての義務を遂行できるとはとても思えない。 誰かの助けを第一に考えているようじゃ破綻していないか? ・優生思想的な政治家もいて、本当に怖い時代に逆行しそうな時にこの強い司法判断。 自民党の人権侵害改憲案など撤回してください。 また、心身に障がいを抱える人々など社会的弱者が安心して過ごせる社会の実現に向けて尽力することをすべての人々にお願いしたい。 ・国家が一定の国民に不妊や中絶を「強制」した。この国家による「強制」は誰が考えても人権侵害でしょう。たとえ障害のある人でも子どもを産み育てる権利と自由は持っている。実際に子どもをどう育てるかは個人の問題だ。国家が「強制」すべきではない。 こんな当たり前のことが最高裁判所まで争われたのか。政府はもっと早い段階で国の非を認めて謝罪と賠償をすべきだった。 政府の人権感覚のなさに比べて最高裁判所はすごくまともな人権感覚を示す判決で安心した。 ・遺伝しない病気や障害が軽度の方は痛ましいと思うけど、正直自分の生活も手助けが必要な方が出産するのは子供がかわいそうなのでなんとも。。。 実際、障碍者施設で気が付いたら妊娠とか聞いたことありますしね。 時代背景も考えて、これを政府の非とするのはどうかなぁと思います。 ・子供の幸せが、何だかなんて!誰も言い切れるものではないと思います。  障害を持ってる人を見かけると、 可愛そうねえ~と、つぶやく人がいた。何が可哀想なのか?言った人の感想であって、決して、言い切れるものでは、ないと思いました。応援したいよなあ~と、云う言葉を聴きたいです!  私は、頑張ってるんだなあ~!すごいな!私も、も少し、ガンバロ、励まされちゃったな!  こう行きたいです! ・これにより旧優生保護法がナチスを彷彿とさせるような個人の尊厳と権利を侵害蹂躙した稀代の悪法として、未来永劫に日本国の憲法や民法の教科書や論文に記されるであろうことは本当に喜ばしいです。この国には、まだ正義が生きていました。涙が出るほど嬉しいです。ほんとうにありがとうございました。 ・コメントを見て、腹が立って仕方がない。 「障がい者の方々は、子供を産んでも育てられない」「障がい者の子供は障がい者だろうから、日本に多くの障がい者が存在してしまう」 人の命を何だと思っているのか? 命の価値に差別があるというのか? こんな考えをする人が多くいる日本国の行く末が不安にしか過ぎない。 ともかく、この判決を下した最高裁の裁判官の方々に深く感謝の意を表する。 日本の司法も生きていたんだと、感動すら覚えた。 世界から全ての差別がなくなるのを祈るばかりだ。 私は自分の子供達には、人の命の尊さをしっかりと教えて行きたい。 ・判決とすれば『超法規的措置』に近いものではあるものの、内容は極めて妥当なものだと高く評価します。 当然ですが今後ふたたび同じ事が起こるとは思いませんけど、当時は国だけでなく親を含む社会の認識が優生保護法の趣旨と同じ考え方だったと言う事実には唖然とします。 願わくばお亡くなりになるまでの残された年月、心穏やかにお過ごしになる事をお祈りします。 ・国の杜撰な立法で、弱者となられた方々のために、今回最高裁の判決は本当に弱者に寄り添った、立派な判決だと考えます。 只不審なことは、不良な子孫の出生を防止する、この法律を違法とするのならば、遺伝子レベルでの不良な子孫の出生を防止するために制定された、三等親以内の婚姻は禁止する、という法律も違法ではないのでしょうか。 あれはあれこれはこれでは、法の尊厳と信頼が損なわれると考えますが、識者はどの様にお考えなのでしょうか。 ・岸田総理も立場上、今回は気の毒な気がする 元は戦後言い出し始めた議員連中(多分皆鬼籍)が元凶 戦後でも人権など無視された状況 長らくこうゆう惨状に違を唱えなかったのも残念 踏まえて、こうゆう事例はないように切に願う ・これな。岸田が6月解散見送った背景な。減税に続いて支持率回復作戦第二弾な。結果を踏まえて素直に謝罪する画を全国に届ける。19:00のNHKのニュースに間に合うようにする。加藤に原告との面会を今月中と言う急な期限設定させ、原告への謝罪の画を全国に届ける。賠償も満額行う。7日には都知事選で小池が勝ち一応自主応援の自民が民意を得た布石とする。月末には給料で減税を実感する。8月からは唐突にエネルギー補助を再開する。世間はお盆休みで高揚する。秋に内閣改造で支持率上げる、サプライズはいるだろうな。その後トランプ大統領が誕生し、麻生が下地を作っていた岸田が世界で一番目に会う首脳となり、揺るぎない日米関係を国内外にアピールする。機運がよければ年明け解散、遅くて来年度予算成立後解散じゃないかな。そして総裁選に立候補してくるだろ。たぶん、これだけやれば支持率回復しそうだが。 ・なんと言われようと、この判決はおかしい。 そう言える政治家だったら支持したい。 この間、テレビで子供がいれば親がいなくても自分の面倒を見てくれる人がいるというのを見た。それこそ自分本位だろうとおもう。 規制するべきです。 結局は税金も払わないのに税金を使う。 こういう面でも規制はすべきです。 ・過去の法律を今の法律や倫理観に則って裁くことについて疑問を感じる。 正直、社会全体で見たら合理的であるとすら思ってしまう。 負担する側の事ももっと考慮した声も届けてほしい。 ・真摯に反省してるのなら最高裁まで争わなくとも、それこそ政治判断で賠償を行えば良かったと思うけどね。 実際に歴代の政権のなかには政治的なPRの意味もあってそうしたことを行った例もあったと思うけど。 ところでコメントを読むと昔の常識では違憲ではなかったと取れるようなものもあるけど、当時は戦後の人口爆発と言った背景はあったにしろ、判決文では当時の社会情勢を加味しても制定当時から違憲だったと断じているわけなのでこうした擁護は見当違いのものだと思う。 こうした訴訟で原告側を批判したり国を擁護する人たちって自分や近しい人も被害者になっていた可能性があるってことが想像できんのかな? ムダなお金は払うべきではないが、明らかに国に過失があり、補償が必要で司法もそれを認めたんだから、文句をつけるのなら当時の立法府の連中に対してであるべきだと思うんだが ・コロナだってあれがどうのこれがどうのなったじゃない。当時は当時で学者等が感染していかないよう必死に対策をしたと思いますよ。今となって一概に違法判決にするのは感情的に遡及し、裁判官自身の保身や総選挙の為に宣伝している様にも思える。
 
 

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