( 187198 )  2024/07/04 00:27:06  
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旧優生保護法訴訟、報われた長い闘い 「最高の日」原告ら喜び

毎日新聞 7/3(水) 19:07 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/be993f5eb5d5cf73143b0c23686c329f5eab718c

( 187199 )  2024/07/04 00:27:06  
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最高裁判決で全面勝訴した元被害者たちが国に謝罪を求める。

飯塚淳子さん(活動名)らは16歳で強制不妊手術を受け、長年にわたる闘いの末に勝訴した。

これにより、国に直接謝罪と被害補償を求める声が高まっている。

過去の法的紛争や訴訟を乗り越え、最高裁での勝利を受けて、飯塚さんたちは喜びと満足感を表明している。

(要約)
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最高裁判決で全面勝訴したことを受け「国に謝罪してほしい」と訴える飯塚淳子さん=東京都千代田区で2024年7月3日午後5時32分、遠藤大志撮影  ようやく長い闘いが報われた――。旧優生保護法(1948~96年)下での強制不妊手術被害を巡り、原告全面勝訴を言い渡した最高裁大法廷判決。16歳で手術を受けた飯塚淳子さん(70代、活動名)ら宮城県の原告たちは喜びをにじませるとともに、「被害者に直接謝罪してほしい。差別のない社会になってほしい」と国に訴えた。 【写真で見る】優生思想に基づいた当時の公的資料  「原判決を破棄する」。戸倉三郎裁判長が主文を読み上げた瞬間、会場の空気が沸き立った。閉廷の宣告とともに、原告席に座っていた飯塚さんは、新里宏二弁護団長と握手を交わし、ねぎらい合った。  16歳で理由を告げられず手術を受けた飯塚さん。旧法改正後の97年から支援団体とともに救済を求める活動を行ってきたが、国は「当時は適法だった」と責任を認めなかった。県が記録を廃棄していたため、提訴もできなかった。  知的障害を理由に15歳で手術を受けた佐藤由美さん(60代、仮名)が2018年1月に仙台地裁に初の国賠訴訟を提起。その後、県が手術を認めたことから飯塚さんも同年5月に提訴し、2人の審理は併合された。  だが、1・2審とも不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」を理由に訴えは棄却された。最高裁で審理された5件の高裁判決のうち、4件は原告勝訴だったが、宮城の訴訟だけが敗訴していた。原告団の間にも「宮城だけ負ける場合もあるのではないか」と不安がよぎった。  だが杞憂(きゆう)だった。最高裁が示した判決は、旧法被害を放置してきた国を厳しく断罪した。閉廷後の報告集会で、新里弁護団長は「被害者の声が社会を変えた。素晴らしい闘いだった」と飯塚さんたちをたたえた。  提訴から6年あまり、由美さんに代わり、被害を訴える活動をしてきた義姉の路子さん(60代、仮名)は「これまでの負けがあったからこそ、今回の素晴らしい判決があったと思う」と振り返った。  飯塚さんは「毎日長い間、苦しみながらここまで来ました。今日は最高の日です」と喜びを口にし、今回の判決を踏まえ「声を上げていない被害者は名乗りを上げ、国からの謝罪と補償を受けてほしい」と呼びかけた。【遠藤大志】
( 187200 )  2024/07/04 00:27:06  
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(まとめ) ここに挙げられた意見は、障がい者や障がいのある親子について様々な視点や考え方が示されています。

一部では、産む権利と育てる責任のセットとしての考え方や、育てる能力の必要性についての意見もありました。

過去の優生保護法に関する訴訟や判決についても、法律の不遡及や時代背景を考慮する必要性について指摘がありました。

また、遺伝や介護の負担、社会の支援など、子供を産むことが及ぼす影響や責任についても考察されています。

様々な立場からの意見が存在しており、これらの論点を考慮しながら、今後の社会や制度の在り方について模索が求められることが示唆されています。

( 187202 )  2024/07/04 00:27:06  
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・命の選別は何だかんだ存在し続けるよ。 生まれる前から始まり、生まれた後も差別とかいじめがあるんだから。 この裁判の判決は現実的じゃない。 最高の日って喜ぶ人もいるみたいだけど、自分は現状不妊手術は必要だと思っている。 産ませないやさしさ、ってことだ。 大体無責任だよ。 産ませるだけ産ませて周囲の人間に多大な負担を強いるだけじゃん。 そういうのまるっと無視してきれいごと言ってるだけだと思う。 こういう流れ、結局は未来の人たちに負担が増すだけだと思うけど。 ・子供の頃同じ学校で、2人の兄妹がいた。2人ともかなりの知的障害。実はその両親もかなりの知的障害。 だれが彼らを養っていたか?というと、おばあちゃん1人が養っていた。 その後どうなったかは知らないが、遺伝する場合もありますし、だれが将来的面倒を見るのか?が問題です。 障害があっても、一人前の稼ぎと判断力があれば子作りはいいかと思いますが、なかなかそうはいきませんよね。 ・長きにわたる法廷闘争、本当にお疲れ様でした。そして、心からおめでとうございます。 こんなにもひどいことをしてきた国からの、除斥期間の主張を許さないとする最高裁の判断は、至極真っ当で、当たり前の結論だと思いますが、それを勝ち取るのがどんなに大変だったかも、想像に難くありません。 最高裁での勝訴判決を勝ち取るまでの長い長い闘い、原告の皆様、支えた支援者の方々、弁護団の先生方、本当に、頑張っていただき、日本の司法の歴史をつくられたことに、最大級の敬意を表します。 ・少し話は逸れてしまうが、現下進展しているアメリカ大統領選挙の大きな争点は人工妊娠中絶を認めるかいなかという点であるそうです。民主党はそれを合法とし、共和党はそれを認めない政策をとっています。実際民主党側の州政府ではそれが合法化され、逆もまたしかりな状態です。 自分自身はこの議論自体より一段止揚できるのではないかと思います。というのも、人工妊娠中絶をしたい人はできる、したくない人はしなくていい、という状態です。要はそもそも禁止―全面合法、促進という対立軸自体に限界があるのだと思います。 この議論も同じで「(不妊手術は)なくなってしまえ」というのはあまりに暴論と感じます。したい、したくないは両方権利です。それ自体保護されるべきなのです。したい人にもしたくない人も両方が堂々とそれを主張できる社会・制度―これが望ましいのではないでしょうか。だってそれぞれケースバイケースなんですから。 ・前に障害のある母親とその息子さんがテレビに出てたのを見たことある。息子さんは障害はなかったんだけど、親の介護をずっとしていた。 母親はそんな息子の前で障害者こそ子どもを産んで面倒を見てもらうべきだと言ってて、その時の息子さんの表情が何とも言えなかったのを覚えてる。 障害が遺伝するのもそうだけど、しなくてもずっと介護をしなきゃいけないのも問題だよなと思った。 ・原告の方々が今現在どのような生活をされているかをあまり詳しく報じられていませんが、全員が人並みの生活をしているとは限らないと思うのですが、支援を受けて生活している、施設に入って生活している状況だと謝罪はともかく賠償金をもらったとして、正しく使われるのでしょうか?携わっている人たちに中抜き状態にされて、被害を受けたご本人には大半が活用されてないことにならないといいのですが・・・ ・現在では障害があっても社会的に保護されながら支えられながら生きていけますから、幸せだと思います。 そんな生活をしているから、子供が欲しくなるのでしょう。 障害者施設で暮らしていて子供を望むなら、その子供までは支援されないものなんですよ。支援・保護は大人である自分たちだけです。 ・この物価高で賃金が安い世の中に 障害者が生きていく道はあるのだろうか 平等の世界なら誰もが不自由なく生活出来なければならない それは健常者、障害者に関わらず誰でもだ しかし現実はどうだろうか 他のコメントにもあるが 日本は人様に迷惑をかけない これこそが美徳とされた クローズアップされるべきは誰なのか 考える必要はあるだろう ・その一方で出生前診断など、新しい優生思想は隆盛を極めています。優生保護法なんて酷い法律があったのね、と涙する人が出生前診断で命の選別をすると言う矛盾に満ちた状況が起こりつつあります。 ・とにかく国の方針は当時は正しかったのだから責任は取らない。 これが全てにおいてまかり通ってきた。 これが官僚の傲りや怠慢につながっている事は否定できない。 人間がやる事なので間違いはある。 食糧政策やエネルギー政策、年金問題も然り、 間違った過去は正していける官僚の英断も期待したい。 ・産む自由を奪うことは、人権にフォーカスすると確かに大きな問題を残します。しかし、現実問題として障碍者の方が何の助けもなしに子どもを育てられるかといえば、また疑問です。 これは本当に難しい問題で、生物として繁殖を目指すのは本能である一方、それを意識して止めなければみんなが幸せになれない可能性もあるのですから。 ただ、違法であることを認めることをおかしいとは思わないのですが、排斥期間を認定しないのはおかしいと思っています。法の不遡及をひっくり返しているわけですから、それは法治国家としてよいのか、疑問を禁じ得ません。 ・精神性の障害を持つ人だって産む権利はある。 その人を騙してこっそり手術するのは違法。 ここまでは勝訴としてあるべきだと思います。 実際知的障害でもかなりレベルが違います。 なので一括りに答えるのは難しい問題ですけど、子供に遺伝があるないにしろ周りのサポート無しでは生活できないと思います。 助け合いの世界は理想だけど常にサポートできない現実があります。 そこを当事者がどう考えているのか知りたいですね。 ・健常であっても、この時代ちゃんと育てられるか不安。子育ては誰かの協力無しでは難しいですが、前提として夫婦で育てていくものだと思います。本人たちが誰かの世話にならないといけない状況では当然子供も誰かが世話をしないといけないと考えると、正直難しい気がします。問題は、本人に黙って避妊手術を行ったことであると思います。 ・優生保護法は違憲、当然の判決だと思います。 同時に別の問題として子育て問題があります。 近所に知的障害の女性は3人子どもがいますがそれぞれ父親が違うようですが、誰が父親かもわからないそうです。3人の子どもは全員知的障害があり、一家は生活保護と福祉団体の支援で生活しています。 違憲であるのは当然としても別の問題があるのもまた事実だと思います。 ・私も含めみんなもちろん人の協力無しに子育てするのは難しい。 けど、この方たちは協力してもらうと言うよりもほぼ子育て代理してもらうレベルなんじゃないかな。 子供は可愛い。欲しい。 それは分かるけど、現実問題子育てって可愛いだけじゃないよ。 叱ったり導いたりする。 お人形さん可愛い、みたいな感覚は困るよ。 ・権利があることはわかります。でも、現実的なことをお話しします。あえて。 私が働く精神病院に、発達障害で統合失調症の3兄弟が入院しています。3人とも何回も入退院を繰り返し、何度も警察に連れて来られます。両親とも発達障害で、仕事もしていません。さらに3人の下に2人発達障害の兄弟が働かずに家にいます。上から32才、28才、27才、25才、24才です。 32才の姉と27才の弟は、後見人を探していますが、なってくれる人が見つかりません。 もちろん年ごろですから、この兄弟たちも、「恋愛したい」「結婚したい」と言っています。 みなさん、どう思われますか? ・私の両親は聴覚障がい者です。 兄も幼い頃は難聴でしたが、現在は全く聞こえません。 映画『コーダ』そのものの家庭です。 レストランに行けば1番年下の私が全員の注文を聞きウエイターさんに伝える。それは当たり前のことだと思って育ちました。 不幸だったとは思っていません。それが当たり前だと思っていたし。 祖母(健聴)の介護も「私たちでは会話ができないから」と両親に言われ、勤務先に時間を調整してもらって私がやりました。 40歳を過ぎた頃、急に「私は永遠にこの両親から解放されないのか」と気持ちが沈み、その時に叔母が「もう十分だよ。自分の家庭を中心に考えなさい。」と言ってくれて、心が楽になりました。 今は冷たいようですが、筆談でできることは自分でやってもらうようにして、少し距離を置いています。 当事者であっても何が正解か答えが出ません。 ・ちゃんと育てる事が出来る事が前提でなければいけないかと思う。 精神科で治療していて、そういった中で、子供を沢山つくり育てられないでは子供が可哀想。 だったら、仕方ない事に思うし、当時そう判断されたのは、間違えではない気がするな ・かつて20歳成人だった頃、男は18歳、女は16歳から結婚出来た時代がありました。20歳未満で結婚すると、様々な事で成人として扱われました。 婚姻に大人としての責任がついて回り、その先に子を成す事も見据え、他の未婚の未成年者より一足早く責任ある立場である事を求められたからだと思います。 ここで優生保護法。諸々の福祉サービス(ここは検討の余地あり)を受けられている未婚の方が、婚姻や出産と共に諸々の福祉サービスを有料化してはいかがかと。婚姻や出産後は1人前の大人として、可能な限り、一般の方と同等にしてはいかがかと。 自由には責任がついて回ります。婚姻や出産に自由がありますが、健常者でも所得や背景の事情で諦めざるを得ない方が多数おられます。 介護者の助けと、障害にまつわる行政からのお金を支えに婚姻+出産。コレって不遇な方を普通に引き上げるのではなく、優遇レベルに引き上げてますよね。 ・その方々に、親と子供が障害がある実際の生活を見せてあげるといいかと思います。産んだ子供とどんな人生を送るか、別々の施設に入り会えない辛さもあると思います。今は施設環境が整っていますが、当時ならどうなるのか、どんな提供があったのか、きちんと知らせる事も、人生に悔いは残らないのではないでしょうか。 ・難しい問題ではあるけど、自立して生きて行けるだけの能力が無いのであれば必要なことかなと思います。 両親が障害者、子供は健常者だと子供は親の手伝いをする羽目になる、健常者同士でもこれが発生しないわけでは無いけど。 子供も障害者として生まれて両親よりも重度だったら、障害のある両親だけで世話をしきれないですよね。 今は福祉制度のおかげで何とかなってますけど、今後の日本でどこまで通用するんでしょうね。 ・叔母が精神障害者でした。祖父母は娘の障害を認めたがらずに家から出して精神の施設に入所させ、金銭的には長男である私の父が全ての面倒をみました。後には障害年金を申請して我が家は金銭的には解放されましたが…。その後施設で出会った人と結婚をすることになって施設を出る時、子供を欲しがる叔母を両親が何とか説得して不妊手術をさせました。あの時手術をせずにいたら…我が家は崩壊していたでしょう。叔母はまともに子育てができるような知能ではありませんでしたし、彼女は親戚の仕事を手伝った先で、誘われるがままに不特定多数と性交渉をしていたようです…このように本人の意思に関わらず、不妊手術が必要な場合もあるのです。当事者でなければ理解できないことでしょうが…。 ・私は羊水検査をして、異常があったら諦めようと思いました きちんと育てられる自信がなかったし、周りに迷惑をかける事も嫌だったのです 幸いな事に、元気な子を授かりました 産む権利というのなら、育てる義務もセットだと思います 産むだけで産んで、後はよろしくでは無責任だと思うし、自分の介護のために子供を作りたいというのは親として論外です ・この法で実際に被害を受けられた方々には同情を禁じ得ません。しかし、何か釈然としない。今頃になって最高裁で違法判決って、この判決は「法の不遡及の原則」に抵触するのではないか?法治国家としての法の精神との整合性はどう説明がつくのだろうか?旧優生保護法が悪法だったのであれば、廃止になった際、何かしらの救済処置が取れなかったのだろうか?こんな、法律を覆すような判例を残せば、今後何でもありの社会になりはしないか心配た。 ・当事者の方々の苦難は相当なものだったと思う。今の常識や社会に照らすと当時の法律は人権的に問題があるものだとも思う。でも、それってこの法律だけではない。 当時の社会情勢や医学レベルにおいて制定された法律で、当時は違法でなかったものを何十年も経ってから「あったはずの未来」という観点で国賠訴訟ということに違和感がある。そんなことを言っていたら、当時は無かったけど今はある法律、その逆、いろいろな観点で「あったはずの未来」について国賠訴訟ができるだろうか。そして、その、あったはずの未来は実際どうだったのか誰にもわからない。今回の場合、立法行為そのものが違法だったという判断、つまり法律そのものが過ちだったということのようだけど、時代とともに変わることがあり得る法律というものについて、時代が移り変わった後で違法だったとして国が賠償する判決ってどうなんだろうか。 ・妊娠や出産って権利じゃないと思う。ゴールでもなんでもない、スタートでしかない。産んだら育てる義務がある。しかも、子供が健康で幸せに過ごせるように身を砕いて育てないといけない。人の手を借りて当たり前が前提であったり、まして自分の世話をさせたりはあり得ない。子の心身の衛生を保って、健やかに導くのは親の役目。それができないなら産むべきじゃない。できない親に育てられると生まれながらにして不幸が決まってしまっている。知的障害の兄妹に育てられて殺された子もいましたよね。犠牲を忘れてはいけません。子供は簡単には育てられません。現実的に自立していない人には無理です。そうでないと、生まれてくる子が可哀想になってしまう。産むなら親代わりを決めて、その人が必ず子の面倒を見ることにした方が良いと思います。障害者の親とか、兄弟とか。それも酷なことだと思いますが...。 ・すべての命は平等で尊いものですが、健常者以上の負担を自他共に強いてしまうという現実的な部分をよく考えたほうが良いと思います。  昔自分は優生思想ではないと思っていました。しかしいざ妻の妊娠が発覚した時には幾度となく夫婦で話し合い「知的障がいの可能性がある際には堕ろす」という決断に至りました。幸い産まれてきた子供に障がい等はありませんでしたが、これが潜在的な優生思想なのかと考え込んでしまった記憶があります。  知的障がい者の出産は本人の判断を尊重したほうが良いという意見もありますが、今の私は反対します。自分の子孫を残したいという考えは生物の本能です。「判断」というのは複雑に絡み合う要因を考えて最適解を出す作業ですので本人ではなく親がすべきだと思います。 ・産む権利は確かにあると思う。また同意を得ずに説明なしに手術は確かに良くなかったとも思う。 しかし、産む権利と育てる義務はセットで考えるべきであると思う。 安易に「産む権利」だけをクローズアップしてしまうと、その「産む権利」によって親族の「別の権利」が奪われていたかも知れない。 ・二択の人生の選択肢を両方経験する事は出来ない。 この方々も、子をもつことは出来ない。悪いのは誰かの決着、代償としての金銭を得る権利だけが決まった。 子をもつことだけが大事なのか。もてることは幸せの一つではあるが、真逆に、この子さえ居なければ…と思うようなこともある。人が持っているものは羨ましいが、手にした自分がどう感じるかは別の問題。 子を産むことには同時に責任も伴う。 障害者施設に住む夫婦に子供が産まれ、家族であっても健常者なので、子のために退所を迫られ生活が成り立たない話もある。 国や民間の、人に助けられて生活している方に、生んだ子の生命の責任を負わせられるのか。 したいからと性交をさせ、持ちたいからと子をもたせたその先の責任を、国が負う必要があるのか。ここはなんの決着もついていないように思う。 ・ハンデの有無よりも程度が重要だと思いますね。 本人自体が要介護者であれば出産はともかく子育ては無理でしょ。 逆にハンデを持っていても自力で生活出来てる方もいらっしゃる。 そういった方々が訴ているのであれば納得であります。 現状、生活保護やハンデ者手当てで生計を立ててる方々では周りの関係者は勿論、我々一般人へもより一層の負担を強いてしまう結果になりますね。 この訴訟を纏め上げた方にいくらお金がはいるかわかりませんが、何でもかんでもビジネスにされたらかなわんですな。 ・障害福祉の管理者をしています。 産むか産まないかを本人に委ねるのは、もう少し慎重になった方がいいと思う意見です。 そもそも産めるように医療技術が進化したのが、このような社会になったのです。平均寿命が伸びたのが、その通り。 医療技術の進化は、死ぬ時期を遅らせると共に、生まれた時の亡くなる可能性も低くした訳です。 死なせる権利がないのと一緒に、産ませない権利も無いのです。その結果、福祉の負担が増えるかもしれない。でも、その反対に強烈な天才となって、社会を進化させる存在も出てます。多くのアスリート、アーティストたちに、そのような遺伝子を持った存在がいます。 100%福祉や医療に頼る訳じゃありせん。 その視点を抜けると、とんでも無い間違いに繋がります。 ・差別と区別の区別の難しさはどこまでも付いてまわる。誰がその区別の責任を取るのかということと一緒に。それと表裏一体で、そこで生まれた子どもという存在の責任、つまり、育てる責任というものを誰が負うのか。苦痛を受けたことは誰に否定されるものもない。だが、その区別をされないことで生まれた子どもたちを彼らの全員が等しく背負うことができるのか。訴訟を起こすくらいだから親の責務はまっとうするのに問題ない人たちなのだろうし、自分の言葉こそ偏見と差別に満ちているのかもしれないが、権利だけが認められればれいいことなんだろうか。子を持つ責任って重いと思うんだけどね。 ・関東の某精神科病院へ勤務している者です。 とある入院患者さんの例で、両親ともに統合失調症(父親はすでに他界)で、ご本人も統合失調症です。 科学的根拠などは分かりませんが、俗にいう遺伝でしょう。 基本的には落ち着いていますが幻覚、妄想が激しく以前には(特定などを避けるため時期は濁します) 「神様が飲み込みなさいと言ったから」と幻聴が聞こえ、食事用のスプーンをスタッフが目を離した隙に飲み込んでしまうという出来事もありました。(すでに開腹術にて取り除き現在はとても元気です) このような方がいることで自分のような職業・職場があるのも事実ですが、医療・福祉・保険等々、、税金から助成が出ている訳でその負担をしているのは 国民の1人ひとりです。 障がいの方に罪はないですが、どこまで周りが援助をするのか?ということを踏まえると難しく、綺麗事では済まない課題であると感じています。 ・当時の時代の価値観を現在の価値観に置き換えて司法判断すれば、当時の国の対応の多くは違法になるのではないか。そう考えると、何を基準に司法判断するのか国や法曹界は明確に提示かつ明言しなければ今後も訴訟は続くのだろう。原告の主張を批判する訳ではないが国に国家賠償させると言うことはある意味において税金を投入することになるから一般市民感情からすると一喜一憂、諸刃の刃になることを意味する。 ・児童養護施設の職員です。 両親が知的障がいで、産まれてきた子どもはネグレクトで乳児院、その後児童養護施設で生活しています。 入所してきた児童が家庭復帰するまでは避妊するよう指導していましたが、現在は6人の子どもが結果ネグレクトで入所しています。 その子たちはいずれ家庭復帰できるか…と言うと、上二人は障がい者グループホームで生活をしています。 障がい者がみんなそんなことはないかもしれないが、そのようなケースは増えてきているのも事実です。 ・旧優生保護法は少し乱暴な方法だったかもしれないけど、自分のことのように他人の人生を考え、その本人に関わった昔の人の考え方が現れたものだと思う。 乱暴だけど、生まれた子供がどんな人生を生きるか、子供を育てることができない場合、祖母や祖父の負担になると考えて実行した結果のように感じている。 自分と関わらない人の人生に関わっていくなんて、今の人はしない。面倒だと思って。 確かに機会を奪われたかもしれないが、それで助かった子供(地獄のような人生だったかも)や祖父母(子供夫婦とその孫を養育しないといけなかったかも)がいた気がして、乱暴な方法だったかもしれないが(何度でも言う)、よくよく考えて行った最良の方法だった気がしないでもない。申し訳ないがこれが本音です。 ・今回の判決で障害者もみんな同じという事は尊重すべきだと思います。しかし子育てとなると別問題です。 育てる能力は親には最低限必要です。 障害者年金があるからは違うと思います。 出生率が低いから私たちもと言うのは無責任だと思います。 子供に自分たちの将来を描く力を与えるのも親だと思いますよ。 ・今と時代背景が違う。抗生物質がなかったり、空気感染したり隔離しなければならない病気もあった。裕福な家庭でなければ育てるのに能力や経済力も必要だったり食べるのに苦労した時代でもあった。 病気もそうだが遺伝的に引き続ぎ出る家系もある。今ほど支援も乏しく小さい頃から親の介護で苦労するヤングケアラーの子供もいた。子育ては、親の努力、経済的にも大変だ。生まれた子供も負担になったり環境や親を選ぶ事ができない。簡単に子供が出来ても自分の気持ちをくみ為の人形ではない。日常生活をサポートすることや老後までみる為に子供の存在が必要ではない。子供の人生までかかってくる。どうやって育てられるのか。生まれた時から税金で支えられ支援を受け、遊園地に公共乗り物は優先的な扱い、施設に入れたり事件で無罪になったりこれでまた負担になるのか親の同意もあったり、兄弟いても施設に入ったりその後にどうなっていくのか想像は難しくない。 ・私は優生保護法賛成派です。 私の母の妹は知的障害者で結婚し、出産しました。 が、知的障害であるが故に判断力が無く、また嫁入したために親族が関与する機会も少なかったことも災いし借金に塗れて自己破産。 本当かはもう分からないですが、時を同じくして旦那さんが病死。結果的に高校生の娘さんが世帯主となり、借金をすべて肩代わり。それらから精神的にやられてしまい、鬱発症。 今は施設に入って働いていると聞きました。 ヤングケアラー?そんなもん比にならない負債を子に押し付けた状態です。 それこそ強制避妊しておけばこんな凄惨な事態にはならなかった。 家族は何やってたんだ!と言われるでしょうが、成人が勝手にやってしまって警察は民事不介入。役所も助けられるレベルではない状態にまで陥った。 本当に優生保護法は悪だったのでしょうか? 私は今の自分の環境から感じるに、必要な政策だったと思います。悔しい。 ・何とも難しい問題です、長女は正常で次の男子が精神障害者で父は既に他界され年老い母親が苦労されてます。しかし長女は婚姻したが破棄され自殺しました、この様に知人の不幸を知っている私にはどうしても障害者を減らす事が大切では、と考えてしまいます。本当に可哀想でなりません。 ・どれくらいの補償が妥当なのか見当もつかないが、国を相手取った裁判は、国民に対して起こしているようなもの。 救われるべきだが、名誉や気持ちだけにしてほしい。 ・国が主導したことが問題だと思います。だって、人権という人として生まれながらに誰もが持つ権利は、領土にいる国民に国が保障し義務をまもる義務者だから。 かわって、障がいを持つ我が子が子どもを産みたいと言い始めたら、ちゃんと育てられるのか、と諭すのは親の役目だし、親子でなのか、関係する親戚も含めてなのか、関係者で話し合って産む、産まないは普通に相談するかな、って思う。その結果、産まないことを本人達が選択することもあるかと思う。私の妻の兄弟夫婦には障がいをもつ子が生まれたが、みんなで助け合って暮らしている。ただ、その子が大人になって子どもをつくりたい、と言ったら、まずは両親となる私の妻の兄弟はきっと悩むだろうし、私も含めて話し合いはすると思う。支える周囲の人たちの苦労は確かにある。 でも、それを国が、不幸になるから産まない方が良い、と決めつけて、ましてや強制不妊手術をするのは憲法違反も甚だしい。 ・障害って人により異なる。少しの助けがあれば生活できる人と 肢体不自由や脳性麻痺で子供はおろか自分も生涯助けが無ければならない人も。 何も説明もなくいきなり手術。これが非人道的と言われる所以。家族や本人に産む前生んだあとの日常生活が基本妻か夫でできるのか。その一点。親高齢になった時子供が介護するのか。仮にこの子も障害あるかも。広く浅く説明し納得しないといけなかった。この納得いかない知らぬ間に手術。そりゃ悔やむし憤るし苦しむのは当然。 ・今日放送のクローズアップ現代を見た。 知的障害でグループホームに入居している夫婦が、ホーム内で意図的に子どもを作り、一緒に住んでいるという例が紹介された。 事業者は子どもへのサービス料は事業の対象外なので受け取ることができず、本人たちが働いたお金で子育て費用を賄い(どこまで??)、職員さんのタダ働きで子どもを育ててもらっているという… まるで美談、当たり前の権利のように語られていたが、管理者は職員にとんでもない負担とタダ働きを強要しているし、本人たちは一人で生活ができないから入居・税金で介助してもらっている立場だというのに、他力本願で子どもを産むのか?? 障害があっても、自立して生活し、家族の生活を支えている方ももちろんたくさんいらっしゃるが、少なくともほとんど子育てできず、誰かの優しさや労働力を搾取するような人が増えること、そのような子どもが増えることはなんとしても避けて欲しい。 ・命を勝手に奪ってはいけないと思います。生命の本質を勝手に奪われた人は幸せなのでしょうか?それが自分であれば?と考える問題です。 一方、淘汰されるものを感情に任せて生かそうとするのも怠惰な話です。生かした後でずっと一緒に暮らせますか? 障害児を親戚に持っていますが、だからこそ思う事です。 最後は、自分で救えるか? 国や周囲に頼らず生きる覚悟があれば、残りはご自身やご家族で判断する事だと思います。 保護が過剰すぎるから、命の尊厳をおかしな形で奪うような事が起きているのではないかと思います。 ・個人的には、前もって重大な疾病や実感を待って生まれてくるのが判っている場合は、相当に慎重な検討が必要だと思う。もし、社会保障の限度を超える絶対数となれば、制度が成り立たなくなるばかりか、無理に成り立たせようとすれば自分たちは年に数度、風邪程度でしか制度を利用しない方たちの普段が過大となり、ますます少子化の傾向となる。今回は無責任な判決だと思っている。 ・この法律はもうない。 だから、どんな親であっても、子を産んで育てられずに虐待してしまったり死なせてしまったりすることがあれば、当然罪に問われ、犯罪者になるということでもある。 責任と権利は表裏一体だから。世の中どうしても、権利だけというわけにはいかない。 責任も権利も選べない奪われていた状態から大きな前進だろうけど、責任のことを考えると手放しで喜ぶには重い。 今はとくに、何の障害もない若者ですら子どもを育て上げる自信はない・責任は負えない、とこれだけ出生率が落ちているくらいだから、ましてハンデのある方であればどれほど困難か…… ・人生を壊されたのだから裁判に勝ってよかったなって気持ちもあれば、障害のある方の両親が、自分たちのように大変な子育てや、世間の目を気にして生きるような生き方をして欲しくないと思って、愛情で手術に踏み切ったのかもしれないし、とても難しいですね。 でも、言い方は悪いかもしれないですが、そこまで酷くない障害で、同意もなく手術された方もたくさいて、結婚相手に本当のことを言えずに、どうして子供ができないんだろうと悩んでいたと言う記事を読んで、ものすごく悲しくなりました。 ・身体的機能を意思に反して傷つけられた、ということは当然に良くなかった。 でも、それは「子供を持つ権利」とは全く別の話。 奪われた機能が生殖機能だったからといって、その機能を持つ権利が誰にでも認められる、というわけではないと思う。 だってそれなら、不妊治療も全部無料にしないいけないし、里親制度も親の審査とか不要にしないとおかしい。 ・精神科に勤めています。 境界知能くらいの患者さんが 産んでは施設 産んでは施設 本人は時々情緒不安定になって入院 突拍子もない無計画な考えしかできない… そんなケースをいくつも見てますが どう思うんでしょうね? 今よりずーっと福祉が充実していない当時、避妊策を提案するのはある意味親切だったと思いますよね。 後だしジャンケンみたいに訴訟、 なんとかして欲しい。 お金の保証だけなら 百歩譲ってどうぞと言えたとしても、 今後のサンプルとして残る条文になると思うと、どうだかなぁ?と思うよ。 ・現在の法や流れの中ではどうしても「平等な権利」を尊重せざるを得ない。勝手に手術したのはその当時は合法ではあった。避妊の仕方をしっかり教え込む、妊娠して出産して子供を育てるということにどれだけ責任能力が必要なのかをわかってもらえばよかった。それでダメだった人は仕方ない。障害なくてもそういう親も出来上がっちゃう場合がある。 ・私の両親は障害があります。 子供の頃から変な目で見られ、親の手伝いをして、孤独な子供時代でした。 できるなら生まれてきたくなかったのが正直な気持ちです。 私のような思いをする子供が1人でも生まれない事を願います。 ・遺伝的疾患や社会に適合困難な特質を持つ人の中には、計画性のなさなどで繁殖力が高い人もいる。 出生後生活できなければ淘汰されるけど、社会保障の充実がそれを許さない。 どこかで有効な歯止めは必要だと思う。 ・1996年(平成8年)までこの法が有効だったことに驚き。 1981年「国際障害者年」をうけて、1996年に日本も内閣府の「7か年戦略(1996年から2002年)」。 7つの視点から具体的な目標数値を据えた施策を設け、障害のある方の生活の負担を減らして社会参加をサポートするために、保健福祉サービスの拡充したけど、まあ、廃案の年と同じ。 行政の各種申請同様に(免除や減免等々)、当事者が動かなければ動かないってのは・・・。高度経済成長期の公害訴訟もいまだ、禍根残してこないだ環境大臣がやらかしたばっかだし。 らい予防法にしても同じ。 の、一方でLGBTや離婚した親の共同親権の法案とおしたり、よくわからん。 ・子供を産み育てる権利は人権として、原則として誰にでも認められるものであり憲法にも定められている原理原則だと思います。 遺伝による障害は確率論としてありますが、それでもなお人間には生物として子孫を残し繁栄するという使命にも近い権利を有しています。 利己的かもしれませんが障害を持って生まれてきた人にも平等に配慮できるよう考えられて憲法の人権は規定されているのではないでしょうか。 ・もう人道的におかしくてどうかという件だったので、てっきり何十年も前に解決していたのかと思い込んでいた。 勝手に手術する事に至った人達が千人単位でいるとかで。 この日本でそんな事があったなんて恐ろしい事です。 あまり人に知られたく無いからほとんどの人が口に出さないとか。 色々考えてると辛くなってくる。 良い形でこの先々対応されて欲しいけど、こんな時代まで決着が持ち越したとなると皆さんご高齢でしょう。 岸田総理の肩を持ちはしないけど、歴代の政権で引き継がれてきた事で、決してお詫びしたところで岸田さんが悪い訳では無いけど。 ・個人的には当時の優生保護法は適切だったのではと思う。 今現在でもヤングケアラーという言葉があり、子供が苦労する話も絶えなしい、 40年以上前であれば女は家事、男は仕事専門でモーレツに忙しくて家庭のために休んだり、時短なんて当時の風潮からして出来なかっただろう。 もし子供ができたとしてこの人達はどう育てるつもりだったのだろうか。 ・元々は明治時代に人口増加を考えて人工中絶とかを原則禁止した法律から 始まり、第二次世界大戦前にドイツの思想を受けて国民優生法が制定され、 人工中絶や不妊手術を禁止した。しかし敗戦後にアメリカで堕胎・断種法 が蔓延していたため、GHQから同じ思想を組み込めと言われて昭和23年 に優生保護法と国民生活税(世界初の消費税の元祖)が制定された。 但し、国民生活税はGHQ撤退まで施行せずに遅延して、撤退後に 施行しないで即廃止したが、優生保護法はそのまま運用されてしまった。 1970年代までアメリカ等で同法と同じ法律が運用されていたため、 日本も逆らう事が出来ず淡々と運用を続けた。1980年代には世界中から この法律が消えて行ったが日本だけ何時もの如く廃止まで20年程の 時間を要した。政府を糾弾したいのは判るが、敗戦国の首脳陣が戦勝国に 逆らえる訳が無い。被害者は可哀そうだけど時代背景の考慮も必要。 ・優生保護法制定は、アメリカ占領下で米兵によるレイプが横行し、望まない妊娠をした女性が沢山いたという時代背景を考慮しなくてはならない。中絶しようにも、堕胎罪があって、まともな産婦人科医が中絶手術を行えなかった。無免許医などによる危険な手術によって命を落とす女性を救うために、当時の日本医師会系議員が提案した議員立法。優生保護法制定当時はそのような時代だった。そして同じく知的障害などを持った女性が悪い男に騙されて妊娠して子供を産んでも、社会がその子らを育てるゆとりもない時代でもあった。 優生保護法に救われた女性も多かった。 昔の法律を今の物差しで評価するのは明らかにおかしい。 ・優生保護法立法時の医学知見に対し、現代の知見を当てはめて意見だと、遡及的判決のようにも見える。 最高裁の判断として、今回の判決は問題があるように思える。 この先遠い将来、この判決は糾弾される可能性もある。 ・健常者であったとて 自分の事をしっかりとマネジメントできているかといえば疑問だけど 時代が違う 考え方が違うと 騒ぎ続けるのはいささか言葉に困る 率直に言うと 周りの国民のチカラで生活の一助を得ているものたちが 権利主張をするのは結構だが そのための義務とはなにか?  支えがなくなると覚束なくなるものたちが何を支えられるのか? この世界は健常者が作りました だからハンデを持つものたちには苦しいと感じることもあるでしょう でも健常者が作ったんですよ それを考えていきたいですね ・産む自由はみんなにあるべきだと思うけど、状況にもよると思うけど、子供の生活を考えたら自立できない人に育てる権利は持てないのではないかと思う。 I am Samのように養育が難しい状態であれば子供が勉強したり友達と遊んだり成長環境が整った場所で育って欲しい。 ・自分に子育てが可能だったのか、今一度胸に手を当てて(人権派の弁護士の側を離れて!)考えてほしい 最初から間違いなく、誰かの助けが必要なのって、正解なのかな 世の中、ものすごく図々しい人がいるけど、その部類なんだろう、と思う そして、障害のある兄弟とか普通にありふれてるからね、やはり遺伝はあるんだ、 と、ちゃんと周りを見よう その能力があれば、だけど ・当人たちの受忍しがたい苦痛は察することは難しくない。 但し、この人たちへの賠償は我々の税金から支出するという意味なので、現代を生きるすべての国民が支払いを課せられるということ。 我々の意思や主張が最高裁判事と同一とは思えない。 次の裁判官国民審査で、判事の考え方が適切かどうかは我々が意思を示さなければならない。 私は、今回の最高裁の判決は明らかな間違いと思う。 ・判決には疑問を覚えます。所謂、育てるのが厳しい場合は国民の税金で賄って貰う権利も同時に認められたということですからね。今の国民達の過半数がそれを当然だと考えるのであれば、法改正を行えばよい話で、30.40年前のことは、その当時の国民の過半数がそう考えていたのかを争点にすべきであり、おそらくは仕方がないよね、が過半数であったと思うのです。  このような判決が出るようであれば、生活保護申請が通らないとの訴えが増えるのが危惧されますね。 ・こういってはなんだが、やはり知的障害の方は、子育てって難しい気がする。 近所に知的障害の女の子が住んでいたけれど、今思えばお母さんも多分同じ障害持っていた感じだった。 真冬に裸で外に出したりとか、暴力もあったし、ちゃんと子育てが出来ているとは言いづらい感じだったな。 そういうのをみていると、一概に国が間違っていたとは思えないかも。 ・知的障害の女性がいつの間にか妊娠していて父親は分からず。それでも産みたいとゴネまくった。だけど自身は施設暮し。もちろん母子での入居は規則違反。親は高齢ということで施設に入り生活保護費と障害者手当で職員にサポートしてもらって生活してるのに更に国民の血税で子育てするのかって正直、憤慨した。結局、中絶を拒否して出産したけど、出産した子供にも障害の兆候があり、子供は児童養護施設に預けられた。自分で子育てなんか出来ないのは分かりきったことなのに。結局、国に委ねるくらいなら産むなって思ったわ。こういうのを見聞きすると私的には優生保護法は大事だと思う。 ・法的には違憲というのは納得する一方、じゃあ産まれた子供の面倒は誰が見るんだろうというのは率直な意見です。施設などで訳の分からないまま行為に及んで子供ができる、そういうことを防ぐのが当時の立法趣旨では? ・健常者でも金銭面やその他状況環境鑑みて、子供を諦めたり時期を見定めたりしている。 様々な障害を持つ方々に、それに応じた配慮や支援が求められるが、では健常者は常に支援する側でないとならないのか? 皆懸命に働いて納税している。物価高で色々我慢もしている。これ以上要支援者を増やさない配慮をしてはくれませんか。 ・優生保護法なんてとんでもない。酷い人権侵害だと幼い頃は思ってたけど、大人になって酷い状況の人を見聞きするとなんとも言えない気持ちになる。 犬猫だって育てられない責任持てないと面倒を一生見る予定の人が判断したら犬猫の気持ち関係なしに避妊手術するのがスタンダードだし。 人間は犬猫ではないから一緒にするのはもちろん違うけど。 難しい。育てられないから子供を持たない選択した自立した大人はたくさんいるのに。 ・正直判決には納得出来ないです。 自分がもしも障害のある親から生まれたとしたら嫌ですもん。 悔しい悔しいと仰ってますが産んだ後はどうするのか?生まれた子どもが苦労する未来も見えている、参観日、運動会、悲しい思いをしたくないはずです。 こんな言い方したら反感買うんだろうけど、自分は普通の親の元生まれたことに感謝してます。 ・優勢保護じゃないけれど、人間は犬猫の生殖機能を制限する。それによって、社会のバランスが保たれることもあると思う。 障害があるがゆえに、先の見通しが立たず、育てられる見込みもないのに、次から次に子どもを作ってしまい、挙句に施設に全員預ける、生保で生産性のまるでないケースもある。せめて、自分で育てられない、食わしていけないなら産むべきではないと思う。自分で欲をコントロールできないほどの障害がある場合は制限もその人のため、産まれてくる子どものためになるのではないの? ・人間の手によって今の社会に誕生した人間の命は等しく平等だ。これは本来生態系で果たすべき弱肉強食を果たさない。 であれば生態系で本来淘汰される劣等種による次世代の生は人間の手によってある程度制御されるべきではないか?誰が支えるの? 極端な話、軟弱な人間が何代も続ければどうなるかは歴史や生物を知るものなら当然わかるだろう。 ・難しい問題と思う。戦後間もなく制定された、当時の医学や世相では、精神障害者が子供を産むとやはり障害がある子が産まれる言われると納得したのではないかな。だから長らく法律が名前を変えても生き続けたのだろう。人権ということが、今ほど言われなかった時代のこと。問題は、いろいろな裁判が起こっても手を打たない政府の対応だと思う。過ちを改めるという姿勢がない。特に安倍政権以降はそうだ。そこが問題だ。 ・人権を尊重しなければいけないのはわかる が、NHKのクロ現で障害者夫婦が産んだ子供を施設職員が色々と負担して手助けしながら育てているのを見てそれも違うんじゃないかと思った 自分たちが幸せなら周りはどうでもいいの? 福祉関係の仕事してますが、母も娘も軽度知的障害者で生活保護で、お金の使い方わからないからすぐに使ってしまい施設利用料払えない方がいて毎月集金苦労してました 遺伝かどうかはわかりませんが親子で、兄弟で障害者って結構多い気がします 難しい問題だな ・このタイミングから考えれば、優生保護法に該当する障害者への謝罪が、岸田首相の支持率をにらんだ行動にも見えてくる。 最高裁も法律を作る国会の長(総理大臣)の意向に傾かないはずがない。 実際に障害者の人生に係って、自立して生活出来る人は少ないし、障害が治らないから障害なら、その子孫が産まれ、周りに頼らなければならない生活状況もふまえ、果たして障害者の権利主張だけで法の方向性を決めてもいいのか?と感じました。 判決は現在や過去の凡例だけでなく、将来を見据えた判決を出す時期にきていると感じます。 ・命の選別、産む産まない論はひとまず置いといて、強制的に手術することは残酷であろうと思う。それを子供が可哀想だの、別ベクトルで話すのは違うんじゃないか? 強制的に手術。体に負担も少なくは無いはずだ。 論点はそこであろうと個人的には思う。 ・認知機能が元々なく衝動的に子をもうけ、しかも何人もで父親はわからないなど記事で見たことがある。自分ではお世話出来ない為子供に子供の面倒をみさせていた。勿論自分のことも福祉と子供に頼って。 行政や福祉を頼るのはいいけれど、そこに当たり前の気持ちや子供が自分をみるのは当然という考えにはやっぱり疑問が残った。 実際こういう人もいるわけだから何とも…良かったね、とは言えない判決。 ・今の時代から見れば、当時は世界的におかしかった。 ただ、優生保護法はもうありませんので、既にそんな差別はない。 現代で再度生まれるような法律でもありません。 社会的に意義のある訴訟ではありませんが、当事者なら賠償請求したくなる気持ちは理解できます。 ・障害者への差別はしてはならないのは当然だけど出産は別だと思う。原告者さん達が知らされず子宮摘出はアカンかったかも知れないけど、健常者でも出産育児は大変なのに、はたして産み育てられるのか?障害のレベルにもよるけど大変なんだよ、子育ては!自分の事も出来ないのに子育ては無理だわ。皆で助け合って!なんて綺麗事。争点はそこでないのは分かっているけど何だかね〜と思ってしまう自分は優しくないのかなぁ。 ・いつも思うんだが、時代背景無視して昔作られた法律を最高裁が違憲と判断して、国に請求を認めるということは金額の大小はあれ、昔の人の間違いを今の人の税金から払わせる。違憲といえば法の訴求が認められているようで違和感を感じる。 ・申し訳ないけど自分自身が独立できず他人からの助力を必要とする立場の場合、何らかの制限を受けるのは仕方ないと思う。 独立独歩してる人でも配偶者を得て子を持てるとは限らないから、何でも平等といって認めるのは難しいでしょう。 ・今回、優生保護法に関してNGが出ましたが、それは当時の法律が間違っていたという判断に過ぎません。 健常者でも障害者でも、自分が独力で子供を育てられないなら子を設けるべきではないことに変わりはありません。そこに健常者・障害者の区別・差別はありません。 「法律の欠点」と「子育てのあり方」は別だと思います。 ・つまりは優生学に原因がある。 しかも、それを推進した理由は、現代でも見受けられる『進歩的な欧米人の思想を取り入れよう』とした結果だった。 当時は欧米を中心に優生学が吹き荒れていた。 意外にも、日本の保守派は「欧米の価値観は神国思想になじまない」「日本人は神の子孫なので劣った者などいない」として嫌がっており、逆に旧日本社会党のような左派政党が欧米の価値観をありがたがって推進してきた歴史がある。 ・自分は当事者だ。自分は障害者に詳しいとコメントする人がいる。本当にそうなのかもしれないが、この件で精神科医のオーサーコメントはない。それが答えではないか。専門家なしにこんな法律を決めて、専門家なしにこの法律を終わらせたって事はないだろう。その道の専門家ですら迷うのに、長年の裁判があったものをそれでも当時は仕方ないで済ませられることなのか。終わった事というのは法律が終わったのであって当事者の苦悩は終わらなかった。私の周りに強制不妊を受けた親や知り合い(女性が多いらしいが)はいない。いても繊細な問題だから誰かれ構わず話さないだろう。 障害者が子どもを持つべきではないという考えの人が多いのはコメント欄でわかった。では強制が女性に偏ったことはどう考えるのか。一方的に自分の考えを披瀝するまでは構わないが、そこに自分とは違う他者に対する明確な攻撃の意識を感じる。優生保護法にもそれがあったのではないか。 ・この最高裁判決は、別に「誰でも彼でも子を作れば良い」と言っているわけではない。 説明責任を果たさず、本人自身が選択する余地も与えなかったことが大問題なのだと思う。 子を産み育てるために必要なことはどういうことか、待ち受ける現実、、 きちんと説明し、本人自身が納得して手術する選択するのであれば合法、という話。 でも本当は、障害があっても子を産み育てる選択ができる世の中になればいいのに、と思う。 身近に障害者が子を持ちたいと言った時に諦める選択を勧めるなんて、 何様の自分ができるんだろうって。 私だって欠点だらけだけど子供育ててるし。 ・一歩前進しましたね。 行政であるとか為政者の過ちが認められました。 ですが、生物全てがその為に生きると言っても過言ではない、子孫繁栄。 これを強制的に断ち切った責任追求と謝罪は行われねばなりません。 例えそれを行った者達が既に墓の下であっても、責任は追求して断罪しなければならない、罪深い行いです。 ・障害をかかえ、その上同じ障害をかかえた子どもが生まれたら、親兄弟もたいへんだという考え方が強くあったんだろうな 今の時代はそうじゃないだろ、ってなるのはわかる ただ、現実問題、世の中がしっかりと福祉として機能する部分がどこまであるか、は社会全体の問題だ 日本が少しずつ豊かさを失っていくなか、じゃあ福祉がきちんと機能していると言えるかどうか 高齢化が進み、そうした人たちをサポートすることができているのかどうか どこぞのように虐待したり、あるいは勘違い野郎によって〇害されたことがあったが、あれだって福祉になにか歪みがあるんじゃないの? そんな世話にならない、世間体としても金銭問題からもと、家族で必死に支えていて、その人が高齢化した時にどうするか これはなかなか解決できない問題ではある ・法案は間違ってたはわかるが、あくまで今の時代の常識をあてはめての事。 昔は教育と言って暴力を振るうこともあった。街角で立ちションする事もあった。その時の常識で過去を裁くのは無理がある。被害者の方々が辛い思いをされたのはわかるが謝罪を求めるのは違う気がする。なぜなら悪意がないから。それが正しいまたは常識として行っていたから。賠償は国の責任として支払うべき。 ・公的保護なくして自分の日常生活も送れない者が、更には子を作り同等の保護を得ようとしている、いや、する権利がある、あったであろうと主張して認められたということ。 これさ、公的保護を受けてて65インチのテレビを寄越せ、レクサスでないと買い物に行けない、3LDKは狭い、これは権利である!とか主張するのと何が違うのか。 テレビで喜々として写っている方々、少し足が不自由でして…とかそういうレベルではないじゃん。義務はどうすんの?扶養の義務は?納税の義務は?子に義務教育を受けさせる義務は?何をどう果たすのさ。どうしてもお子さん欲しけりゃさ、成人した上でこれ以上何にも頼らんと同意をした、判断と覚悟ができる人を養子にでもしようよ。
 
 

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