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妻と妾を同居させた渋沢栄一は68歳にして子どもを作り総勢17人以上…今なお政財界に広がる華麗なる家系図

プレジデントオンライン 7/4(木) 9:17 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/fce841153c95bc07d11e2a7e9bf3b949ca5cd094

 

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渋沢栄一は新1万円札の顔となる人物であり、経営史学者の菊地浩之によると、栄一は2人の正式な妻以外にも多くの女性と関係を持ち、少なくとも17人の子供がいた。

子孫たちも現在も日本の政財界で活躍しているという。

栄一には多くの子供がおり、そのうちの4人が幼くして亡くなった。

次男の篤二は跡取りと期待されたが、病気や家族の意向で学業を中途で退学し、栄一の家督を継ぐことはなかった。

篤二の長男である敬三は最終的に日本銀行総裁や大蔵大臣にまで登りつめたが、実業にはあまり興味がなかったと語っている。

敬三の先祖に当たる栄一や北里柴三郎も期待をかけた子供たちの問題で悩んだ歴史があり、子育てには苦労したとされている。

(要約)

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自宅でラジオ放送に臨む渋沢栄一と家族、関係者。栄一の後ろに次男の篤二、右に後妻の兼子、子どもたちは栄一の孫たち(1931年9月6日)(画像=文藝春秋/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons) 

 

新1万円札の顔・渋沢栄一は女好きの艶福家としても有名だ。経営史学者の菊地浩之さんは「正式に結婚した妻は2人、他にも女性はいて、妻と暮らす家に妾も住まわせた。子どもは少なくとも17人いて、その子たちは政財界の大物と婚姻。栄一の子孫たちは現在も企業の社長、役員などを務めている」という――。 

 

【画像】晩年の渋沢栄一(子爵)。左は見送りの兼子夫人=1929年12月19日(日本電報通信社撮影) 

 

■妻・千代、後妻・兼子の間に6男4女が生まれた 

 

 2024年7月、40年ぶりに新札が登場した。新1万円札の表面を飾るのは、渋沢栄一(1840~1931年)だ。 

 

 栄一は500社とも数えられるほど、精力的に会社を作っていたのだが、私生活では子どもをたくさん、こしらえていた。こちらの方も精力的で……。 

 

 栄一は1858年に18歳で、イトコの千代(1843~1882年)15歳と結婚。2男3女をもうけた(年齢は満年齢)。千代に先立たれると、翌1883年に15歳年下の兼子(1852~1934年)31歳と再婚、5男1女をもうけた(★は千代の子、☆は兼子の子)。 

 

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長男・渋沢市太郎★ (1862~1862年) 早世 

長女・穂積(ほづみ)歌子★ (1863~1932年) 穂積陳重(のぶしげ)の妻。宇多ともいう。 

次女・阪谷(さかたに)琴子★ (1870~1925年) 阪谷芳郎の妻。ことともいう。 

三女・渋沢糸子★ (1871~1871年) 早世。伊登ともいう 

次男・渋沢篤二(とくじ)★ (1872~1942年) 

息子・渋沢敬三郎☆ (1883~1883?年) 早世 

三男・渋沢武之助☆ (1886~1946年) 

四男・渋沢正雄☆ (1888~1942年) 

四女・明石(あかし)愛子☆ (1890~1977年) 明石照男の妻 

五男・渋沢秀雄☆ (1893~1984年) 

六男・渋沢忠雄☆ (1896~1897年) 早世 

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■子だくさんだったが10人中4人は幼くして亡くなった 

 

 計6男4女が公式のお子さんである――のだが、足し算をすると、男子が1人足りない。兼子の第1子が早世してカウントされていないためなのだが、そもそもその子は再婚した年に生まれているので、取り扱いが微妙ではある。 

 

 栄一の孫・鮫島(さめじま)純子(すみこ)は、その著書『祖父・渋沢栄一に学んだこと』にて父親の正雄が栄一の四男で「栄一と後妻兼子の三番目の男の子」と記し、「兼子は結婚後、流産、新生児夭折が続き」、正雄の兄武之助が「三男」だと記している。「新生児夭折」が敬三郎なのであろう。 

 

 ちなみに、筆者は渋沢栄一の曾孫(渋沢姓ではない)にお目に掛かったことがあるのだが、その方によれば、6男4女のうち、早世していない7人の子女の末裔を「一族会」のメンバーとしているそうだ。 

 

 

■女好きで知られ、正妻以外にも3男4女以上、子が生まれた 

 

 栄一には公式のお子さん以外に、庶腹の子どもが数人存在した。 

 

 中でも有名であるのが、第一銀行の「プリンス」として頭取に推され、三菱銀行との合併失敗で辞任を余儀なくされた長谷川重三郎(じゅうざぶろう)である。かれは栄一の13番目の子どもだったから、「十三」をもじって重三郎と命名されたといわれている。その弟・藤四郎は「十四」をもじった名前だという。 

 

 少なくとも下記の7人が栄一の子どもだといわれている。 

 

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娘・尾高ふみ (1871生まれ) 尾高次郎の妻 

娘・大川てる (1875~1927年) 大川平三郎の妻 

息子・星野辰雄 (1892生まれ) 星野錫(せき)の養子 

娘・安本つる (1897生まれ) 星野錫の養子、安本明治郎の妻 

娘・川崎まつ (1900生まれ) 星野錫の養子、川崎甲子男(きねお)の妻 

息子・長谷川重三郎(1908~1985年) 公的には長谷川元の子 

息子・伊藤藤四郎 (生没年不詳) 

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■68歳でも子どもができ「若気の至りで」と言い訳した 

 

 栄一は還暦を過ぎてから子どもができてしまい。思わず「若気(わかげ)の至りで」と語ったとか……。長谷川重三郎は栄一が68歳の時に生まれているので、彼がその子どもなのかも知れない。 

 

 ふみ、てるの母、大内くには、NHK大河ドラマ『青天を衝け』にも登場し、妻妾同衾(さいしょうどうきん)、つまり同じ屋敷に妻と愛人が住む様子は、ちょっとした驚きを持って受けとめられた。 

 

 俗に「妾を囲う」というのは、商家の風習であるようだ。文字通り、別宅を用意して、そこに愛人(側室)を住まわせる。でも、そこには大きなデメリットがあった。正妻に娘しかおらず、側室に男子がいた場合、武家社会ではよほどのことがない限り、庶腹の男子に跡目を継がせるのだが、妾を囲った商家ではうまくいかなかった。 

 

 江戸時代の商家は職住一体で、使用人は住み込みだった(手代・番頭クラスは独立して通勤を許された)。そうなると、見も知らぬご子息より、子どもの時から成長を見てきた娘の方に情が沸く。庶腹の男子の相続に反対するというわけである(優秀な番頭を娘婿にするというのは中小の商家で、三井・住友クラスでは男系相続。使用人との結婚はタブーである)。 

 

 換言するなら、何が何でも男系相続をしたい武家は、妻妾同衾を選ばざるを得ない。そういうことなんだろう。 

 

 

■後継者だった次男・篤二の「大失策」とはなんだったのか 

 

 栄一の長男・市太郎は早世してしまったので、次男の渋沢篤二(1872~1942年)が跡取り息子と期待されたのだが、旧制第五高等学校(熊本県)在学中の1892年に病気で退学を余儀なくされる。 

 

 実は病気ではなく、「大失策」を起こし、一族の意向で五高をなかば強制的に退学させられ、栄一の故郷・血洗島で蟄居謹慎という処分を命じられることになる。(篤二の姉の)歌子日記には、篤二の「大失策」が具体的に何であったかは記されていない。ただその緊迫した行間から、肉親として記すのもはばかられるような不祥事が起きたことだけは想像できる。 

 

 歌子日記を編纂した(歌子の孫の)穂積(ほづみ)重行(しげゆき)は、「篤二の『大失策』は、神経性ノイローゼによる耽溺流連(たんできりゅうれん)ではなかったか、推察している」(佐野真一『渋沢家三代』)という。 

 

 篤二の「大失策」について、姪(弟・秀雄の次女)の渋沢華子(はなこ)(本名・喜多村(きたむら)花子)は、その著書の中で、もう少し具体的に述べている。すなわち、「篤二は、学習院から熊本高校に入学したが、そこの土地の娘と恋が芽生えた。一途な情熱は、彼に金を惜しみなく浪費させた。栄一はじめ二人の姉たちは、『すわ、お家の一大事』と、慌てて退学させ帰京させてしまった」(渋沢華子『徳川慶喜最後の寵臣 渋沢栄一』)という。 

 

■次男は廃嫡、その長男が生物学の道をあきらめ跡を継ぐ 

 

 篤二の孫・渋沢雅英(まさひで)は「(篤二は)栄一の長男ではあったが、身体も弱く、実業にはあまり興味もなかったとみえて、その方ではとくに名を成さなかったけれど、生まれつき多才で趣味の豊かな人だったという。狂歌を読んだり、義太夫(ぎだゆう)(浄瑠璃(じょうるり))も素人の域を脱していた。一時、写真に凝って、その作品集を後に『瞬間の累積』と題して父(渋沢敬三)が出版したが。ルポルタージュ写真としては、日本の草分けともいうべきすぐれた感覚と技術をもっていた」(渋沢雅英『父・渋沢敬三』)。 

 

 ここまでの文章で気がつかれた方もいらっしゃると思うが、渋沢一族には書籍出版されている方が多い。文才に富んだ一族で、事業なんか向いていないのかも知れない。 

 

 結局、篤二は廃嫡(跡取り息子から除外)され、篤二の長男・渋沢敬三が栄一の家督を継ぐことになった。この敬三も生物学に進みたいという思いを、祖父・栄一にやんわりと反対され、銀行家の道に軌道修正した。 

 

 

■「向いていない」と言いながら日銀総裁になった孫の渋沢敬三 

 

 敬三は「私は実業に志してはいなかったので、銀行は大切だと思いましたが面白いと思ったことは余りありません。しかし、真面目につとめておりました。が、人を押しのけてまで働こうという意志もありませんでした」と語っている(『瞬間の累積』)。それなのに、第一銀行副頭取から日本銀行総裁、大蔵大臣(財務大臣)まで務めたのだから、よほど優秀だったのだろう。 

 

 渋沢栄一と同時に新千円札になる北里柴三郎(1853~1931年)にも共通点がある。 

 

 意外に知られていないが、北里はその多大な功績から男爵を授与されている。しかし、かれの長男・北里俊太郎(1895~1953年)は爵位を継承しなかった。 

 

■新千円札の北里柴三郎の長男は芸者との心中事件を起こす 

 

 医者は子どもを医者にさせることが多いが、俊太郎は医学の道に進まず、三井物産に就職した。ところが、戦前の三井物産は、信賞必罰が徹底した超「肉食系」である。俊太郎は早速出世コースから脱落したらしい。安月給で生活がままならず、実家に生活費の援助を求めては、厳格な父に拒絶され、母から内緒で融通されるが、それが知れて父子間が厳しくなる。 

 

 挙げ句に、俊太郎は花柳界に安らぎを求めた――あれ? お金がないんじゃないの――そして、1915年に芸者と心中事件を起こしてしまうのである。俊太郎は一命を取り止めるが、芸者は死亡。 

 

 北里柴三郎は落胆し、公職を全て辞した。そして、柴三郎の死後、遺族は襲爵手続きを取らず、男爵の栄誉は柴三郎一代で終わってしまったのである(千田稔『華族事件録』)。 

 

 渋沢栄一も、北里柴三郎も期待をかけた嫡男のスキャンダルには手を焼いた。没後100年近く経っても功績を称えられ、お札の顔になるほどの偉人でも、子育てはままならないのだという、ひとつの教訓と言えるかもしれない。 

 

 

 

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菊地 浩之(きくち・ひろゆき) 

経営史学者・系図研究者 

1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005~06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社新書)、『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(角川新書)、『三菱グループの研究』(洋泉社歴史新書)など多数。 

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経営史学者・系図研究者 菊地 浩之 

 

 

( 187410 )  2024/07/04 16:14:37  
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(まとめ) 

複数のコメントを通じて、渋沢栄一に関する意見は多岐にわたりました。

一部の人々は彼の業績や功績を高く評価しており、一万円札の顔に相応しいと考える声もありました。

一方で、彼の個人的な生活や妾がお札の顔にふさわしいのか疑問視する声も見られました。

時代背景や価値観の違い、男性の一夫多妻制についての意見もあり、現代の視点からは理解し難い部分もあるという指摘もありました。

結論として、選ばれた人物の多面性や歴史的な背景を踏まえながら、一万円札の肖像画について考える機会が必要とされると言えるでしょう。

( 187412 )  2024/07/04 16:14:37  
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・実業家としての才能としては凄い人なのかも知れないけど、人物として見た時に好きかどうか、は別。 

何故この御方が新壱万円札の顔になれたのか、未だに納得がいかない感じ。 

それから、見た目も大事な要素なのかも、 

誰もが納得するような威厳というかカリスマ性、の意味で。 

そうした意味で諭吉さんは長らく壱万円の顔として大したものだったと思う。 

 

 

・だいたい20年に1度は変わるのだろうが、国民は福沢諭吉を40年見てきたわけだから、あまりにも受け入れるのに時間がかかるし、何しろ渋沢栄一に決まった理由もよく分からないし、変えるべきはホログラム技術だけで、変わらなくて良い物は無理矢理変えなくても良いような気がする。 

 

 

・江戸時代の商家では使用人は住み込み。よほどの大家でもない限り、番頭にならないと独立はできない。庶腹男子の相続が少ない理由は、当主の直系男子が必ずしも相続の第一条件ではなかったから。書かれているのとは逆で、大坂の大規模な商家では、優秀な使用人に店を継がせるには娘が生まれた方がよいとして好まれていた。三井や住友、鴻池、広岡家クラスになると武士と同等身分となり、先祖を武士として、武士社会の男系相続が続いていく。しかし、実務は庶子や番頭たちが切り盛りし、当主は象徴的存在となっていく。もう少しお勉強されてから書かれたほうがいいですよ。 

 

 

・貧富の差が今よりずっと激しい時代、経済力のある男性が複数の女性とその子供の面倒をみるのは当たり前のような時代だった訳ですが、確か渋沢栄一の正妻さんはその事でかなりメンタルを病んでいたと何かの本で記憶しています。大奥なんかもその典型的な例で女性同士が理解し合って暮らすのは昔でもかなり難しい事だったでしょうね。昭和天皇は皇后様の気持ちを大事にして側室を持たなかったという有名な話もあります。偉人と呼ばれたり凄い功績を持つ人でも完璧な人間はいない。ただ、そういう環境で育つと男女限らずそれが当たり前になる。現代では通用しない事も当人にとっては何故?となる。倫理観って難しいですね。 

 

 

・私は渋沢栄一翁が生まれ育った深谷市出身で、小学生から中学生くらいまで渋沢栄一翁についての教科書みたいなものが配られ、勉強をしました。 

その内容は資本主義の父、近代日本の基盤を作り上げた偉大な人というもので、生家や記念館、レンガ工場、誠之堂や清風亭など社会科見学で巡り、その偉大さをそのまま素直を受け止めていましたが、時を経て大人になり改めて渋沢栄一翁について調べた際、こんなにも女性関係が派手だった人とは…と物凄く衝撃を受け、しばし絶句してしまいました。笑 

深谷駅には渋沢栄一翁の功績が書かれた年表が掲げられていたり、弾幕があったりと讃えていますが、その裏に隠された私生活を思うと何とも複雑な気持ちになってしまいます。苦笑 

 

 

・埼玉県深谷市にある渋澤栄一氏の記念館に行きました。 

彼の功績は素晴らしいと思うのですが、金儲けばかりに眼がくらみ人となりが残念でした。 

足尾銅山の創業に関与していましたが、鉱毒事件の火の粉(裁判や賠償)が降りかかるときは一番に尻尾を巻いて逃げたと聞いてます。 

 

言い出しっぺで面倒くさくなるとお後は宜しく!のお調子者のように感じました。 

 

 

・時代背景と倫理観 

 

古くお殿様も正室側室が当然の時代もあったのでしょうけど、現代日本ではその仕組みは社会倫理として難しいですね。 

 

肖像画に採用される偉業と、その私生活の当時の背景と、現代の倫理観がそれぞれ完全に受け入れられるのはなかなか難しい課題ですね。 

 

 

・渋澤さん、もてはやされていますけど個人的には好きになれない。 

子供は4人以上作ると優秀な子が生まれるそうです。 

パイが大きいから当たり前と言えば当たり前の話しなのですが。(中国、インドもそうかも) 

西武鉄道の堤さんもそうだけど、お外に子供を儲け4人。本妻じゃない子供を後継に。 

東洋一のマカオカジノ王のスタンレーホーも奥様2人にお妾さん2人。 

2人目の奥さんの子供を後継に。 

イスラム教は一夫多妻制。 

インドネシア、マレーシアの富裕な一族が社会的寄与もありで貧しいうちの子を嫁にする。 

貧困を減らす為に。 

あの大統領夫人もそうかもね。。。 

沢山子供が産まれれば優秀な子供も産まれて一族安泰、国家安泰か。。。 

 

 

・少子化対策で、年収2000万円以上なら一夫多妻婚を認めるのもいいかなと思う。女性は子育てして50歳以上になると、旦那との男女の関係が嫌になる人が多そうだから、旦那は欲求不満になる。その時若い女性とセカンドファミリーができれば嬉しいよね。生きがいやりがいも増えるし。もちろん奥さんの同意が必要だけど。 

 

 

・何が何でも男系相続をしたい武家は、妻妾同衾を選ばざるを得ない。 

→天皇の世継ぎ問題で男系男子を主張されている方々、もう今の世ではそんなことは無理なのですよ。今を生きる我々が今までの偏見や因習から自由になって新しい決め事をする勇気を持つべきです。 

 

 

 

・福澤諭吉・新渡戸稲造・夏目漱石のラインナップのまま変えてほしくなかったな。千円札の鶴も好きだった。デカデカとアラビア数字を使うのは、なんとか阻止できなかったものか。 

 

もし日本がバブル崩壊時にうまく軟着陸していたら、前回の改刷の頃には聖徳太子が肖像に復活して五万円札ぐらい出てたのかも。 

 

 

・NHK大河ドラマやお札になるまでこの人物は知らなかった。 

このエピソードは当時だとお金持ちには当然だったのかもしれないけど 

ちょっとなんだかな~と思ってしまう。 

福沢諭吉のほうがみんな自然に知っているだろうな。 

北里柴三郎のほうが知っていた。 

わたしにとっての初めての1万円札は聖徳太子なので 

それぐらい誰にでも有名で歴史上の人物感たっぷりのほうが 

ありがたみがあるかな。 

無理やりこんなすごい人なんですよ~と教えられている感じがする。 

 

 

・福祉にも力を入れ、社会福祉においても直樹残しているが、この記事の内容のように、言葉は悪いが『女にだらしなかった』面を考えると新壱万円札が好きになれない(見たくもない)。 

個人的には、この札の肖像画が嫌なことを思い起こさせるということもあるのですが。 

 

 

・有名人にもなると今や不倫はかなりの社会的制裁を受ける事柄。不倫と妾がどう違うのか?まぁ色々違いはあるのだろうが…まぁ、金銭的には何人でも幸せに出来そうな人だとは思うけど、今この自体に一万円札ですか?とは思う。 

 

 

・しっかり分け隔てなく養える財力あるなら正妻と側室がいててもいいような気がするものの、女としては嫌かな、やっぱり。 

ペンギンのようにパートナーは一対ずつが良い。 

誰か1人を奪い合うのは精神的に良くないし、嫉妬心が諍いを生むだろうな。 

 

 

・昭和初期の頃まで、側室さん?お妾さんと同居していた家は割と存在していました。お金持ちの良家で一家の家長・主人を「お殿様」と呼んでいた家が多かったようです。子供は正室さん、お妾さんの子供だと余り分け隔てなく戸籍には兄弟姉妹としておりました。もちろん、それなりの教育も受けさせるなどもちゃんとしていたようです。 

 

 

・せっかくだから、今こそ一夫多妻、一妻多夫を論じるべきなのではないか。この問題を頑なに拒む理由は何なのか。どんなものにも飽きが来る。子どものできない妻を捨てるのも問題。子種のない男を捨てるのも問題。もはやお金儲け至上主義の世の中に倫理なんてない。是非みんなで考えることを期待したい。 

 

 

・昔のこととは言え、そんな人を国の紙幣の顔として採用したのはいかがなものかと個人的には嫌悪感を覚える。 

功績は素晴らしいのかもしれないが、男尊女卑そのものであり、大きな事を成すにはグレーな事に目を潰れという今の国家の象徴のようだ。 

 

 

・明治時代ぐらいだと、生まれたばかりの新生児ならびに1年程度までの乳児の死亡率は10~20%、成人を迎えることができる確立は50%程度。現代社会と比べて人間は桁違いの確立で死んでいた。なので、武家や公家などの上流階級や渋沢家ぐらいの豪商や上級役人ともなれば跡継ぎを確実にしないと「家」の持続が困難になり、当時の社会制度においては致命的となる。男子の確立が1/2で、成人までの生存率を考慮すれば5人や10人の子を産ませるのは「社会的に生き残る」ための生存条件と言える。なので側室とか妾という社会通念があったわけで。 

一方、夫を失ったりひとり身のままだったりする女性は当時の社会制度と女性の立場で生きていく事は困難というかほぼ無理。つまり死を迎えてしまう。妾になるのも娼婦になるのも「生き残る」ために必要な生存するための権利といえるし、その背景を考えれば現代社会の価値観で評価することは無理筋だろう。 

 

 

・人間性、日本の未来(あの時代の)を切り開いたという点では北里柴三郎の方が上だと思う。 

その最大の理由は、北里柴三郎は教育者でもあるから。 

そして、知れば知るほど福沢諭吉と言う人の凄さ、そして早逝した正岡子規のこと、無念だったと思う。 

もし早逝してなければ、恐らく大学を作り教育者としても名を遺しただろうね。 

 

 

 

・明治時代ぐらいだと、生まれたばかりの新生児ならびに1年程度までの乳児の死亡率は10~20%、成人を迎えることができる確立は50%程度。現代社会と比べて人間は桁違いの確立で死んでいた。なので、武家や公家などの上流階級や渋沢家ぐらいの豪商や上級役人ともなれば跡継ぎを確実にしないと「家」の持続が困難になり、当時の社会制度においては致命的となる。男子の確立が1/2で、成人までの生存率を考慮すれば5人や10人の子を産ませるのは「社会的に生き残る」ための生存条件と言える。なので側室とか妾という社会通念があったわけで。 

一方、夫を失ったりひとり身のままだったりする女性は当時の社会制度と女性の立場で生きていく事は困難というかほぼ無理。つまり死を迎えてしまう。妾になるのも娼婦になるのも「生き残る」ために必要な生存するための権利といえるし、その背景を考えれば現代社会の価値観で評価することは無理筋だろう。 

 

 

・人間性、日本の未来(あの時代の)を切り開いたという点では北里柴三郎の方が上だと思う。 

その最大の理由は、北里柴三郎は教育者でもあるから。 

そして、知れば知るほど福沢諭吉と言う人の凄さ、そして早逝した正岡子規のこと、無念だったと思う。 

もし早逝してなければ、恐らく大学を作り教育者としても名を遺しただろうね。 

 

 

・当時の考えからすると権力者が妾を持つことはあり得た話なのだろうが、渋沢の本妻はそれが原因で精神的な病気になってしまったというのは有名な話で、、、当時は妾が許されたというより、女性の地位が極端に低かったと考えた方が納得がいく気がします。 

 

 

・生きている間にもう次の新デザイン紙幣は発券されないのかも。なんというか海外の人も目にするわけだし偉業はもちろんだけどルックスも大事だなぁ。 

坂本龍馬とか織田信長とかインパクトあってよさそうだけどな。 

 

 

・渋沢栄一を大好きな私としては、とても嬉しい出来事です。1万円札の人物がかわり良い機会があり良かったと思います。銀行の本業に必要な紙幣には渋沢栄一紙幣、紙幣で支払いが必要な医療会計に北里、教育には津田梅子で納得行く明瞭なる人物選択だったと日本人としては賛成。シンプルにありがたい。 

 

 

・私はこの人が一万円札になるのはとても嫌だ。 

 

非常に男尊女卑的だし、目的のために人の思いを踏みにじってもいいという思想が根底にある。 

企業経営者には深く尊敬されたみたいだけど、社畜を量産する手法の元凶であり、大規模な会社経営者に都合がいいように社会を誘導した人物だ。 

 

この人を最高額の札に据えようという今の政府の心根のあり方が凝縮されていると思う。 

この札が流通している間は、日本は良くならないんじゃないかという気がしてくる。 

 

 

・渋沢栄一を筆頭にさっぱり誰だか分からない人がお札になってて、外国人の友人に、この人は何をした人なの?って聞かれて答えられず恥ずかしかったです。こちらの記事を読み更に答えるのが恥ずかしくなりました。当時の時代背景があり、この方に問題があるわけでは無いですが、現代に照らし合わせるとなぜわざわざこの方か選ばれたのか……?ピカチュウの方が世界的にも有名ですし日本に貢献してくれてると思いますし、日本らしさを感じますが………まぁそれ以前に人物をわざわざ変える必要がわからない。 

 

 

・偉人=人格者とは限らないでしょうね。他にも歴史的にヒーローのように扱われる人物は沢山いますが、リアルタイムで人となりを見たわけでも無いのに、かなり人物像が脚色されて、持ち上げられている事も多いのではないでしょうかね。今のコンプライアンスの概念にそぐわない人物なら、この人である必要は無かったと思います。ま、通貨の価値が変わるわけではないですが、子供たちにはこの人の事をなんて説明するんでしょうね。 

 

 

・今の時代なら叩かれまくるんだろうけど、昔の話になると「当時の人々は生き生きして楽しそう、今の時代は息苦しい」とか言う奴絶対いて補正って怖いもんだわ。 

時代背景が違うから今の感覚をあてる事はできないにしてもこんな人でもお札になるんだもの。 

 

 

・歴史に名が残ってる人は教科書に載る功績は素晴らしいが、調べてみると私生活はドロドロだったりで人としては最低だと思う人が多い印象。 

プライベートでも身綺麗な人はあんまりいなくてみんなぶっ飛んだエピソードばっかりで 

調べたことを後悔することも多い。 

 

それにしてもこの話は知りたくなかったなぁ。 

 

 

 

・お金と社会的実力のある人は、何人子供作ってもいいと正直思う。ただ婚外子も認知してしっかり子供が育つ環境があるならですが。 

 

論理的どうかと言われたら、身内で揉めたりもするんだろうけれど… 

 

無職の子だくさんとかよりいいと思う。 

 

 

・渋沢栄一は今の日本の少子高齢化問題を解決する糸口を提供するかも。日本は移民大国になり外人に乗っ取られるより、一夫多妻制解禁で優秀な日本人の人口をじゃんじゃん増やそう!有能な親から有能な子が生まれるかも。そしたら日本社会も飛躍的に発展する。この位ラディカルな考えがないと少子高齢化問題は解決しないよ! 

 

 

・いつの時代もどこの国でも貧富の差が大きく成るとそう成る、今のように女性の仕事は少ないし貧しければ結婚も出来ない、でも子供は減らない、今は女性は一人でも生き易いが子供は減る一方、国として見れば何方が良いか。 

 

 

・妻妾が一緒に住むのは、明治期では当たり前。 

かつてのお札の顔、伊藤博文はあまりにも有名。 

そんな時代だったのかもしれないが、こんな人物をお札にするのは、やはりどうかとは思う。世界史的にも、偉人は妾がいるものだか、そうではない人もいるのだから、囃し立てるのは感心しない。 

 

 

・渋沢栄一も世襲派か。才能ない、興味ないなら、子孫より実力、やる気ある人に任せればいいのに。父がシンガポール建国の父リー・クアンユーでも息子のリー・シェンロン元首相は子供が誰も政治家になる気なかったから、自由に生きさせてます。 

 

 

・ある意味一夫多妻を実現できた時代かもしれない。 

現在なら女性から大バッシングで、お札になるとは到底考えられないし、今なら仕事が出来れば私生活は何をしてもいいという考え方には至らない。 

 

 

・額面の大きい1万円は絶対「政府」に都合の良い政策や法案作った男性の採用ばっかりだな 

福沢諭吉も税金制度作った人だしな 

昨今のお札の人物選定って昭和初期の男尊女卑バリバリで時代の波をアップデートできない頭カチカチの人達が集まって選定してるとしか思えない。 

世界の潮流にのってあえて女性が1万円でも良いんじゃないの? 

 

 

・この文章を読んで、なるほど武家と天皇家は似ているな、と思った。天皇家もわき腹の子供まで含めることができるなら、男系男子で続いていけるのかもしれない。でも、多分世論は許さないだろう。ということは、現代に合った決まり事を新しく取り決め、天皇家が存続するようにしないといけないと思うが…。 

 

 

・この方が財界人としてずごい功績を残した事はわかりますが、一万円札の肖像画に相応しいかどうかは疑問。 

財界人は功罪あるでしょ。やはり学者さんや文化人がいいなと思う。 

 

 

・今回何故渋沢栄一になった理由がわからない。他の候補はいなかったのかと思います。。 

一万円札の人に選ばれるにはそれなりのカリスマ性のある人だと思うので。 

そう思うと以前の聖徳太子とかは個人的には納得できます。 

 

 

 

・その時代に、この渋沢さんという方が立派だということで、銅像でも建てたいなら建てればよかった。でも、現在のこの風潮の中で、妾がいたのが公然と知れわたっているような男性を、なぜ日本の顔にしなきゃならんのか、理解に苦しむ。恐らくそのバーターが津田梅子なんだろうな。 

 

 

・男性だけアチコチで恋愛して子供を作って良しとする一方で、女性には不義密通なんぞという罪がまかり通る時代の方なんでね。オサカンでも咎められなかったのでしょう。 

子育て費用は国で丸抱えして、望めば女性も複数の男性の子供を生むのが自然よねって世の中になれば、不倫などという言葉も不要になるのにね。 

子育て支援っつーのは、お金をばら撒く事ではなく、家事支援ロボットだの送迎ロボットだの塾も習い事も無料で使える状態なのだと思いますよ。当然、介護支援ロボットも無料ですよね。 

生活費の為に信頼も何もなくなった他人と共同生活を継続しなければならない現状が問題だと思います。 

 

 

・この記事による例で男系血統にこだわるというのは少し語弊があるのでは?男系女子も存在するし、かつてはいとこ婚も多かったからだ。婿入りと婿養子の違いが分からぬ者か? 

トップ財閥?が男系を貫くのはこの記事から読めば「武士」系の思想発想からだろう。武士は大陸男系男子思想である儒教を大切にしていたと聞く。娘を用い繋ぐ中小の行いは土着思想で穢らわしく、本邦の伝統とはならないとするのか?はてまた土着ではなくどこか別の国の文化とするのか?筆者の見解も見てみたいものだ。おそらく儒教由来の男系男子こそが本邦の伝統だとし、未来永劫続けるべき考えの者だろうがな。 

皇室にも関わる事項かと思う。そもそもトップ財閥に皇室典範のような法はないだろうから、勝手にすればよろしいと思うが。国民の象徴たる天皇がそのようなごく一部の大陸的覇権思想の者共に法で自身の地位の継承を妨げられている愚かさよ。敬宮殿下立太子が解である。 

 

 

・現代も、相当に稼ぐ男性のみ限定で要件つけて、この際、多妻制でもいいのでは?少子化ですし。但し、甲斐性のある方のみの限定で、女性側が良ければ、ですが(苦笑)。動物の家族形態にもありますよね。昔は上流社会の男性方も記事にあるような感じでしたから。すみません、あくまでも私見です。 

 

 

・自分の小学校の図書室の偉人伝記シリーズには渋沢栄一の本はなくこの人の名知れ渡ったのは最近の印象。この方は女性問題が多くそこがネックになっていると思っていたがよくよく聞けば女好きでどうしようもない人は他にもたくさんいたらしいですね。 

 

 

・別に当時では普通じゃん。 

伊藤博文なんて芸者と移動中の馬車でやってそのまま家に帰って奥さんに芸者を着替えさせたなんて話もあるし。 

何でも明治は政敵や競合相手に暗殺される事が普通にあったから何時やられてもこの世に未練が無いように好きに派手に遊ぶのが政治家や実業家の生き方だったそうだ。 

 

 

・今とは世情というか社会通念や一般常識も違う。それを現代の倫理観に照らしてどうこう言うのは野暮だろう 

正妻も妾もその子供たちにもきちんとした暮らしを提供し、ある程度公平な処遇をしたのであればそれはそれで立派なこと。 

千円札だった伊藤博文の千人斬りも有名です 

渋沢栄一を女性関係で落としたいのが見え見えの内容です。 

 

 

・浮気は男の甲斐性などという言葉はもちろん男に都合のいい屁理屈だと思っているけど、有能な人でもプライベートの醜聞で失脚するのが政治や経済にとって良い事なのかは疑問。清廉潔白だけど政治手腕の無い人より、バイタリティ溢れる故に不倫もしてる人の方がましだと思うけどな。不正な裏金なら許せんけど不倫なんて家族の問題だと思う。 

 

 

・なんとも現代の時代とは合わない感覚の人だな 

新札の顔はおじいさんの価値観で選抜されたのかな 

 

個人的には、お札の顔に経済界の人を起用するのは反対 

上手く行った反面、潰した会社(競合)も多数で、万人受けしない 

 

いっそのこと卑弥呼とか中大兄皇子の方が良い 

 

 

・意外に渋沢さんを擁護する人が多くてびっくり 

実は俺も女性の為に一夫多妻制はアリと言う考え 

渋沢さんのように超優秀な人間は多くの子供を残すべきだ 

俺が婚活行っても1人の優秀な男の周りに女性が10人で俺の周り0だしな 

たとえ選ばれても最高で1人、選ばれない多数の女性が可哀想と心からそう思ったね 

この渋沢1万円を機に制度変更の議論くらいは有って良いと思う 

 

 

 

・うへぇ~と思ったけど、実際自分だったらと考えて、美味しいもの食べれて綺麗な服を着れて、きっと女中さんもいるし、生きていく上ではなんの不自由も心配もない生活か、、、と考えたら、妾くらいいいかと思った。 

あの女と別れてよ!というほどの愛情ないとしても、こっちから別れますと啖呵切ったところで、離婚女性が今ほど当たり前じゃない時代は生きてくのも大変だろうし。。。 

そう考えると、まさにこの時代に妾がいる男性は甲斐性があるというか、浮気は男の甲斐性という言葉が生きる時代だなぁ。 

 

 

・偉業を成し遂げた人物はたくさんいてるけど、妾がどうのって所は現代人には受け入れ難いとは思う 

まぁ、今さら何を言ったところで新紙幣の人物は変わらない訳だし、別にどうでもいい 

次回、紙幣のアイコンが変わるとするなら、人選も慎重にすれば良いんじゃない? 

 

 

・学校で渋沢栄一さんを教わった記憶がありません。教科書に載っていたかもわかりません。 

が、一万円札の顔になるということでよく知らないけど凄い方なんだなぁと思っていたのに。この記事を読んで、ガッカリしました。記事が事実ならですが。福沢諭吉のまま、印刷方法を変えるだけにしたらよかったのにと思いました。 

 

 

・新壱万円札の肖像画に選ばれたからこそこういった話が表に出てくるのでしょうが、『女にだらしなかった』面を考えると新壱万円札の肖像画としてふさわしいのでしょうかね? 

 

 

・何故、一万円札に選ばれたかはわかりませんが、偉業を成したと言っても、一夫多妻のような状況は現代はあまり受け入れられないとは思います。違和感があるのはこの話を聞いたからかもしれません。 

 

 

・結構やらかしてる人がお札の顔なのか。 

津田梅子はどうなんだ?女性の地位向上の立役者、教育者だと言うが実は…と言う話があるのだろう。昔はそんな世の中を普通に思って排除しなかったから、出世もしたし、力があればお札にもなれるんだよ。 

今は窮屈だよね。自由を求めるのはいつの時代も同じだが、自由を求める背景がちょっとズレてる。 

 

 

・まあ「日本経済の父」と言われてる人だから、選出は当然なのだろう。 

しかし自分の息子がしでかした不祥事を自分がしてきた事を棚に上げて、責める立場に有るのか大いに疑問である事は、誰の目にも明らかだ。 

 

 

・明治・大正、昭和初期は旦那のお座敷遊び・妾つくるのは当たり前。 

悋気起こさないのが良い妻とされた。 

ウチの親戚の随分前に亡くなったじいちゃんとかは離れに妾置いて一緒に生活していたが、当時はあるあるだったと親戚のおばあちゃん達が幼少期に言っていました。 

夜になると海辺の温泉街に男達繰り出し、お座敷と女愉しみ朝帰りとか。 

ウチの一族は不思議な事に女ばかり生まれるので、昔の女性達は男児が生まれず苦労したそう。 

男児産むのはよそからの嫁さんだけ。 

祖母の時代でさえ結婚して2年で赤ちゃん生まれないからと離縁され、「石女出戻り女」でも家柄良く教養あったから祖父が「貰ってくれた」という話し方を皆がする。 

そんな祖母は旦那が変われば次々と妊娠し、5人目でやっとおじさんが生まれ溺愛した 

男系だから妾持つのも、お茶屋遊びも日本の伝統だから仕方ない 

 

 

・人間、なかなか完璧な人はいないということよ。大きな事を成す人はそういうダメな部分があってバランス取れてるのかなと思う。変に情が厚いからお妾さんを同居させたりするのでしょうね。女心は全く理解出来ない人なんだろうな。時代背景もありますし、特に気になりませんよ。 

 

 

・ここには書かれてませんが、渋沢栄一も、北里柴三郎も、ロックフェラーと関係あります。 

北里柴三郎が建てた、慶応の細菌研究所は、ロックフェラーの寄付によって作られたもの。 

要するに、2人とも国際金融資本の手先だったということです。 

 

 

 

・基本的に、老いてもしている人は、元気な人が多い。 

68才でも出来るって事が凄い。 

まだまだ若かったって事ですね。 

だもの老いても各方面で活躍出来ますね。 

 

 

・渋沢栄一ってお札になるような人物のはずなのに、小中学校の歴史の授業等で名前を聞いた記憶がまったくない。 

 

聖徳太子、福沢諭吉、夏目漱石、新渡戸稲造、野口英世等、過去にお札になった人物と比べると、格が落ちると感じてしまう。 

 

 

・経済的に養えるなら妾と言うか側室というか一夫多妻でも良いんじゃないの、と思います 

あと、時代的に言えば妻が養う事ももはや普通なので多夫一妻だって考えられる 

あくまでご本人たちが納得できればの話 

 

 

・時代背景もあるのでしょうが偉人ってやはりこういうところもあるのですね。少子化の日本で願掛けのようなモノも掛け合っての肖像画になったのでしょうか。 

 

 

・江戸時代くらいまでは性にも大らかな国だったというから、周囲も特段驚くほどのことでは無かったんでしょうね。大政奉還の前後だし、今の時代感覚に当てはめちゃいけないんだね。 

それでも愛人を囲う財力があってこそ。英雄色を好むとも言うけど(彼を英雄と呼ぶかはさておいて)精力的に日本の近代化に関与したのは事実なのでしょう。 

血が濃すぎたのか?なんなのか、早世が多くて、その点は同情。 

 

 

・長女の息子が穂積重遠、虎に翼の穂高先生のモデルと言われている。 

つまり小林薫さんは渋沢栄一の父親と孫の両方を演じたんだな…。 

 

 

・実業家にして裏の顔あり。いつの時代も同じ。 

 

オモテ同様にウラの家系図も作ったら、ひょっとしたら自分も渋沢氏の遠い親戚に当たるんじゃないかと思いました(笑)。日本経済の礎を作っただけでなく、日本の家族を作ったのかもな。 

 

 

・まぁきちんと認知して扶持と仕事を与えて見所あるなら取り立ててをやれる財力と多数の事業を持っていた人だしやはり傑物だと思う。 

 

 

・偉人といわれる人たちが清廉だとか、品行方正とは限らないからなあ。例えば、1000円札の野口英世だって、世間的には研究熱心な医学者として知られているけど、特に若い頃は金にだらしなく遊びほうけていたって話だからね。 

 

 

・今とは時代背景や価値観が違うから、一概に全否定はできないけれど、一方、諭吉さんは、後世に女関係で黒歴史残したくないからと奥さん以外の女性とは関わる事すらなかったそうです 

 

 

 

・渋沢さんは色々な意味でやり手だったのですね。 

 

個人的には聖徳太子に復活してほしかったです。今の技術で更に威厳のある一万円札になったのではないかなと…残念です。 

 

 

・渋沢栄一の女性関係だけ見るとなぜ一万円に採用されたかわからない。嫌悪感。あと20年は変わらないけど早く変わって欲しい。福沢諭吉のままで良かったのに。それか大谷翔平選手とかにしたらだめなの? 

 

 

・妾だの庶子だのは女性蔑視の産物だからね 

昔の男は金持ちだろうが貧乏だろうが男の権威にすがって欲望の赴くまま繁殖しまくっていただけ 

金持ちだとちゃんと愛人と子供の面倒も見ていたんだろうけど貧乏人のくせに外にガキこさえるような奴も少なからずいたしそういう場合は野良仕事しながら子供を食わしたり女性は大変な思いをしていた 

今の社会主義経済体制が必要な時代に資本主義の父とやらをわざわざ1万円札の顔にするなら国民的なアニメキャラでも載せれば良かったのにと思う 

 

 

・この時代は妾がいないと魅力無い男だった。体力、気力、出世欲、経済力の無い男は誰も寄ってこなかった。 

今は浮気がどうのこうの。不倫したら叩かれる。 

そりゃ少子化になるよ。 

少子化対策は一夫多妻が効果的。持っている人が子供をたくさん作る。持っていないやつは孤独。それで良い。 

 

 

・難しい問題だとは思うがこの時代の一夫多妻的な環境に比べて、今の方が子供が少ない。少子化だ!と言われても逆に今の方が適正だと言いたくなるね。 

 

 

・一夫多妻にしても少子化は変わらないと思う。嫁さんにしたい女性は皆、一緒だからね。全員結婚しなければいけない法案でも通さない限りは少子化は続く。 

 

 

・昔は妾なんか当たり前。誰も批判しなかった 

 

今の常識で昔の常識を見るから、おかしくなる 

 

あと100年経ったら、100年前は結婚制度なんてものがあったんだよ、人間は1日8時間も労働していたんだよー、今は誰とでも自由恋愛で、仕事は機械が全部やってくれるのにねーなんて世の中になってるかもしれない 

 

 

・そもそもが不倫だのにうるさいのはカトリック国家で、日本がここまでうるさくなる必然性はなかったのに(アメリカに追従しているだけのこと)。 

 

でも、時代の流れなんで文句はないですよ。その代わり結婚しない人も離婚も増えて少子化が進むのも必然ですね。幾ら金バラまこうが根本解消にはならない。 

 

 

・現在の「一夫一婦制」はキリスト教の倫理観だからね。 

日本でも近世まで権力者や高貴な方々は婚外子を沢山こしらえて血統を絶やさない努力をしてきた。 

 

 

・世間でもてはやされていますが、、、 

私は嫌ですね。 

時代が時代とはいえ、倫理のかけらもない。 

仕事や政治を大成させれば、私生活はどうでもいいのでしょうか? 

私は自分のご先祖が同じようなら恥ずかしい。 

ナゼ一万円?それを決めた人、受け入れた人は、倫理観が緩いと思います。 

私の周りでも嫌だと言う人たくさんいますよ。 

 

 

 

・いくら下半身事情がだらしなくても、社会や経済で偉業を成し遂げると問題視されないと言う風潮は昔からあったのですね。渋沢氏のそういう事情は知らなかったので酷くがっかりしました。 

 

 

・一万円札は、奴隷貿易から日本人を護り、欧州列強からも日本を護った、日本史上最高の英雄でありながら国士の豊臣秀吉やろ普通に考えて! 

今の日本の体制観たら、新紙幣の肖像画も理解できるがな! 

 

 

・渋沢栄一も、北里柴三郎も、 

人としては尊敬できないですね 

これが日本の新札の顔とは… 

 

少し気になったのですが、 

息子の北里俊太郎が芸者と心中事件したのは1915年じゃなくて、1925年では? 

 

 

・英雄色を好むじゃないが、何かを成せるような人はどこか普通とは違うネジが極端に外れているのでしょうね。まあ結局は業績が良ければ、私生活がどうとか不問だってのが結論か。 

 

 

・女好きとは少し違うのかも。時代的にこのくらいの地位と経済力のある人はこんな感じでしょう。跡取りもいるし。将軍の立場と似ているかも。今の時代でもそうなんでしょうかね 

 

 

・それだけの経済力あるのがすごい。今の時代は無理だよね。現代は格差社会が広がってるとかいうけど昔の貧富格差と比べものにならないな。 

 

 

・当時の文化風習であったかと思う、妾。今の不倫とどう違うのだろうか。妾を認めて、経済を発展させた者として、紙幣の顔になるんだ。以前誰かが言っていた「不倫は文化」が、認められたということか。 

 

 

・渋沢栄一の息子が中学校に入った時に、自分に姿が似た同級生がいて仲良くなったら実は栄一の妾の子で兄弟だったというのは有名な話だよな。 

 

 

・倫理がどうのこうのと文句をいう人がいますが、優れた遺伝子をより多く残すことは一定の意義があります。次元は異なりますが競走馬の例をみれば明らかです。しかし、今なら精子バンクがありますから、当時のように妾をつくる方法は堂々とはできません。 

 

 

・「過去の偉人」は現代のメガネで見ると「アウト!」な方が多い。 

 

「常識」とは時代とともに変化する(進化ではなく)。 

 

それなら「非常識」って、そんなに目くじらを立てるほど、非常識ではないのかもしれない。 

 

 

 

 
 

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