( 189615 )  2024/07/11 00:10:03  
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男性から女性への戸籍上の性別変更、手術なしでも認める高裁決定…申立人「願いがやっとかなった」

読売新聞オンライン 7/10(水) 12:16 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/65bf069c029d68c18a6a6416559a21a7f1af273f

 

( 189616 )  2024/07/11 00:10:03  
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広島高等裁判所は、性器の外観を変える手術を受けずに性同一性障害特例法の要件である外観要件を満たさなかった当事者が、戸籍上の性別を男性から女性に変更することを求めた事件で、性別の変更を認める決定をした。

最高裁大法廷も過去に、生殖能力をなくす手術を要件とする規定を違憲とする決定を出し、外観要件についても高裁で判断されることとなった。

(要約)

( 189618 )  2024/07/11 00:10:03  
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広島高等裁判所 

 

 性器の外観を変える手術をせず、戸籍の変更に必要な性同一性障害特例法の要件のうち「変更後の性別と近い性器の外観を持つ」(外観要件)とする規定を満たさないとされた当事者が、戸籍上の性別を男性から女性に変更するよう求めた家事審判で、広島高裁は10日、性別の変更を認める決定をした。 

 

【表】性同一性障害特例法を巡る主な経緯 

 

 最高裁大法廷は昨年10月、性同一性障害特例法で生殖能力をなくす手術を事実上の要件とする規定について、「手術を受けるか性別変更を断念するかという過酷な二者択一を迫るもので、制約の程度は重大だ」とし、違憲とする決定を出した。その上で、外観要件については「2審で判断されていない」とし、審理を高裁に差し戻していた。 

 

 代理人弁護士によると、申立人は西日本在住で50歳未満の社会人。2009年に性同一性障害の診断を受け、戸籍上は男性で、女性として社会生活を送っている。性別適合手術は受けていない。 

 

 高裁は決定で、外観要件について「手術が必要ならば体を傷つけられない自由を放棄して手術を受けるか、性自認に従った法令上の扱いを受けることを放棄するかの二者択一を迫るような制約を課し、憲法違反の疑いがあると言わざるを得ない」と言及。「手術が行われた場合に限らず、他者の目に触れた時に特段の疑問を感じないような状態で足りると解釈するのが相当」として、手術なしでも外観要件は満たされるという考えを示した。 

 

 その上で、ホルモン療法を継続的に受けることによって生物学的な性別がいずれであっても、外性器の形状に変化が生じることは医学的に確認されていると指摘。申立人は継続的に医師の診断に基づくホルモン療法を受けており、別の医師による診断でも、身体の各部の女性化が認められているとし、性別変更を認めた。 

 

 申立人は決定後、代理人弁護士を通じ「物心ついた時からの願いがやっとかなった。ギャップによる生きにくさから解放されることを大変うれしく思う」とコメントを発表した。 

 

 

( 189617 )  2024/07/11 00:10:03  
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性的少数派の権利や性別適合手術に関する問題に対して、以下のような意見や傾向が見られます。

 

 

- 性的少数派の権利を尊重しつつ、公共の場での区別や配慮が必要という意見が多数見られる。

 

- 性別適合手術や性別変更には一定の基準や手続きが必要という意見がある。

 

- 戸籍の性別変更だけでなく、実生活での運用や配慮も考慮すべきという意見がある。

 

- 性別の変更には配慮が必要で、特に公共の場や女性用施設への影響について懸念がある人もいる。

 

- 性別変更には手術が必要であるべきだという考えや、性別変更を受けるには高い覚悟が必要だとする意見もある。

 

- 性に関する問題は個人の自由と社会の秩序とのバランスが必要だとする声もある。

 

- 公共の場での性別変更に対する懸念や問題提起が多く、現実問題や法整備に対する要望も見られる。

 

 

(まとめ)

( 189619 )  2024/07/11 00:10:03  
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・性的少数派の切実な悩みが認定一つで解決するならそれでも構わない。しかし、公衆浴場やスポーツなど、公共の場での区別は厳守しないと、悪用するケースが続発すると思う。 

 

 

・私は性別適合手術をして性別を男性から女性へ変更した者です。 

 

当事者として思うことがあります。 

身体を変えずに性別だけを変えるというのは、本人にとって本当に「適合した」と言えるのでしょうか。性別を変更することだけを目的にするのは本人にとっても周囲にとっても危険だと思います。 

性別の変更は、あらゆる事情を考慮したとしても一定の基準を設けておくことは必要だと感じております。 

 

 

・自身の希望なのに色々と主張し自分のことだけを求め過ぎではないか。己だけで完結する問題ではなく、少なからず回りへの影響もあるのだから。社会の中の自分という観点でも少しは考えて貰いたい。しかもこうした人等が増えて来れば、世間の通常の人達にも大変な混乱や弊害をもたらすと思う。判決には学問的考察のみではなく、今後の社会への影響をも含め念慮を重ねて貰いたい。 

 

 

・現行の憲法は精神上及び外科的変形による性転換は想定していないと思います。従って出生届を基にした戸籍上の性別を登録時の誤り以外の理由で変更すること自体が憲法上のいかなる権利のもとでも許されることではないのではないのでしょうか。性別とは生まれ持った身体上遺伝子上の固有の区別であり、人が人である以上男性か女性かのどちらかでしかなく、加えて言えば、自身が選択できるものではないと思います。立法府の判断だといっても、こう言った判断は社会的な混乱をもたらすものでしかなく、科学的な根拠を基にした社会的な混乱を防ぐ根本法による立法措置を望みます。 

 

 

・性別は必要です。生殖機能が人間の身体に生まれつき備わっている以上、原理原則として生まれた時に決まります。変更しない限り死ぬまで変わりません。我々の社会は男性と女性という区別しかできません。だからこんな飛び級みたいなルールは間違ってます。 

実際に自分の性になやみを持つ人がいることは知ってますがマイノリティが社会に合わせてほしいです。これ以上イレギュラーを認めるべきではないと思います。 

 

 

・きっと、何人かの女性が実際に偽トランスからの犯罪被害に遭わないと、ルールの見直しはされないんでしょうね。 

犯罪被害が起きてからでは遅いのに、マイノリティの権利ばかりを拡大させすぎだと思う。 

 

 

・性同一性障害による生きづらさは理解するが、なんというか、「戸籍を変更する」ということが感覚的に「重い」と感じる。 

うまく言えないけど、性別というのは、その人がその人であるというアイデンティティの根幹の一つであり、それを証明するのが戸籍だという感覚なので、戸籍だけは「ゆるぎないもの」であってほしいと思っている。 

社会生活を送る上で身分を証明する、運転免許証や保険証の表記は女性でいいけど、戸籍だけは本来の性別を残しておく、みたいなことはできないのかな。 

もちろん、身分証明書は戸籍を基に作られているだろうから、戸籍と身分証明書が一致しなければならないのだろうけど。 

 

結婚して姓が変わっても、旧姓に辿り着くことはできる。 

それと同様に、元の性に辿り着くことはできるのだろうか。それができなければいよいよ「本来のその人」を証明する手段がなくなってしまう気がする。 

 

 

・最近は裁判所とは何なのか分からなくなる。 

そんなものを通してどうなるというのか、そして、通した後に一般社会でどれほどの弊害が起こるか考えているのだろうか? 

絶対に二次被害が出ると既に証明済みなのに…… 

 

 

・どういう外観になったのか客観的に示す必要があるのでは普通に下着の上から見てついてるってわかるのは外観を満たしてないでしょ。 

 

ホルモンで小さくはなるがなくなるとまではいかないし、他人から見てどう映るのかどうかをちゃんと示さないとダメでしょ。 

 

 

・心と体の性が異なる人がいるというのは理解ができますし、きっとさまざまな苦労もされたのだと思います。 

けれども一点とても気になるのです。 

自分に、心と異なる異性を象徴する性器がついていることに不快感はないのでしょうか。 

もし私だったら…自分の体を見るたびに自分は違う性なのだと思いしらされるだけなので、一刻も早くとりたいな、手術したいなと思うはずなんです。 

もちろん、手術することでの副作用や合併症が起こる可能性は危惧するでしょう。 

それでも、違う性なのだと強く強く思うなら、手術することでのデメリットよりも、心も体も誰からも認識される性でありたいなと思うのですが… 

 

 

 

・世の中もこれだけ変わって来たわけだし、性別変更の流れはもう止められないのかもしれませんが、でもそれには条件があっての話だと思うし、手術などはその中でも必要最低条件だと思う。この高裁の判断はちょっとどうかしてると思うし、国は上告して最高裁でもう一度よく見直してほしいと思う。 

 

 

・職場でトランスジェンダーの女性が男性トイレに入ってきた事が有る。 

見た目は男性的だけど、やはり気分の良くは無かった。 

他の方から職場に報告が有った様で、それ以降男性トイレは使用しなくなった。 

トランスジェンダーの男性もいたが、身体的性別が男性なので、女性トイレは一切使用しなかった。 

 

自分の権利ばかり主張するのではなく、公共施設、公衆浴場は身体的性別で利用するのが適切だと思う。 

 

 

・トランスジェンダー等の性思考に関しての問題に対して今までも現状も、特に拒否や差別的な意識はありません。 

ただ、なんでもあり、言ったもん勝ちみたいな状況に対しては少し戸惑いが生じてきています。 

権利を認める事が、権利を踏み躙る事に繋がる事はないでしょうか。 

トイレや温浴施設、更衣室など当然プライバシーが守られる場所などで、なりすましなど含め自分もしくは大切な人に何か問題が起こってしまった場合、今の様にフラットに考えられなくなる事が怖いです。 

そんな問題が誰の身にも怒らないように、慎重に判断して欲しい。やはりきちんとした線引きは必要だと思っています。 

 

 

・自己の主張よりも周りが受ける影響の方が大きいはずなのに。戸籍上女性として認められたからといって、外見上は男性のそれがあるのに女性用浴場へ入る、女子トイレに入る、小中高生などのまだ精神的にも敏感な女性にとっては恐怖だし、世の女性がストレスなく受け入れると思いますか?その人たち専用の浴場やトイレなどが整備されるまでは外見上で分けるべきだと思います。 

 

 

・知らない人の性別が男性でも女性でもどちらでもいいが、こう言った場合は特に大浴場は禁止にしてほしい。 

さすがに年頃の娘の隣に、座っていたら親として心配だし本人も嫌だと思う。 

個人の自由やジェンダーはいいと思うが、全員が受け入れられる訳ではないし、え⁈と思う気持ちを持ってしまってもせめられる物じゃないと思う。 

 

 

・精神的な性差は何処かに線を引けるものではなくグラデーションになっています。 

自分の性に違和感を感じている人の多くは、控えめに迷惑をかけないように生きていると思います。 

そうした中に自己主張が激しい人がいて、こうした裁判になっているという認識です。 

そういった主張を何でもかんでも平等の名のもとに受け入れていけばキリがありません。 

一方で人類史における女性は、いつの時代も性犯罪の被害に遭うリスクを抱えてきたと言えます。 

今の憲法が原始的すぎでしょう。頭が良い法律家が大勢いて何をしているのでしょうか。 

 

 

・世の中には法の隙間を狙って悪用したりする輩が要るので区別は大事だと思います。性同一性障害の方々が過ごしやすい環境になると良いなと祈っておりますが、それにより悪用する輩は少なからず例が有り、それにより一般の方に被害もあるわけなのでやはり区別ははっきり必要だと思います。悪い事するやつの性で真面目にルールを守って配慮しながら頑張られている方々も被害者だと思いますが、性転換手術をするかしないかで性別を変えられるかを判断した方が理解を得られやすいのではないかと思います。 

 

 

・ついてる人が、女子トイレや女性更衣室や女湯に入ってくるって事でしょうか。小さくはなっていても、ついてるんですよね? 

もし性別変更した後にホルモン治療を止めたら普通サイズに戻るんでしょうか。それでも戸籍は女性なので、「ついてるけど女性だから」ってことでそのまま女湯に入ってこられても、まわりはどうする事もできないんでしょうか。 

すごい世の中になりそうで怖いです。 

 

 

・戸籍は見れば確認できるけど、では我々一般人はこのぶら下げた状態の人が公衆浴場や更衣室、トイレなんかに入ってきたらどこで見分ければいいの? 

 

というかなんでこの手の問題は男性→女性になりたい人ばかりが騒ぐの?トイレを使わせろとか公衆浴場に入れろとか。そこの問題と性犯罪の男女比率に相関関係は無いだろうか? 

 

いずれにしても、一般人が戸惑うようなことを国がすべきではなく、誰でも明確にわかるようにしてほしい。本当に悩んでいる人もその方がいいのではないか? 

 

 

・モノや事象を定義づける場合、主観ではなく客観性で決めるのは社会の基本中の基本。リンゴはオレンジには絶対ならないし、猫は犬にはならない。一人一人が自由気ままに主観で性別を決めたら世の中は大混乱に陥る。人間の心ほど曖昧でいい加減なものはなく、そんな外から判断できないものを社会の基準にすること自体が、狂っているとしか思えない。国民投票にかけたら100%却下されるであろう。そして、医者の診断をクリアした成り済ましによる犯罪が増えることは自明の理である。 

 

 

 

・いわゆるマイノリティである自分としても、この判決は最悪と感じます…。 

 

世の中のルールというものは、あくまでも多数派の多いところに設定されていると認知しています。 

 

その中で、少数派にも適用の範囲を広がるというのであって、ルールそのものを捻じ曲げることはしてはいけないのではないかと。 

 

目に見えない心の違いを目視で判断できない以上は、身体が持つ性別を基準にしなければ、あらゆることを容認されてしまう。 

 

 

・生殖能力をなくす手術が必要で、ホルモン注射してたら外見は変わるだろうけど問題になるのそこなの?と純粋に思う。ホルモン注射したらと永久的に機能が失われるのかな。注射やめたらどうなるの?私は戸籍はあくまで身体的な性別の区別と理解してる。もし異性の体を持ちながら希望の性別になれるなら戸籍の性別欄は意味のないものになって、父親が子供産んだり同性の夫婦から子供が生まれたりするのかな。なんでも反対するわけではないんだけど、子供が関わる可能性があることには慎重になって欲しいと思う。 

 

 

・もちろん、自身の性別に違和感を感じる方がいることは理解する。しかし社会である以上、多くの者が良しとする理解や方向性が尊重されるべきでもあるのも事実。身近な例でいえば「自分は裁判で女性と認められた男性である」と主張する外見が明らかに男性の方が果たして女湯に入ることは許される、もしくは尊重されるべきなのでしょうか。少数者の意見や権利が尊重される社会はもちろん理想ですが、教条的なジェンダーフリーの昨今の風潮は理解できません。そういう観点でいえば、美輪明宏さんは尊敬に値する方かと思います。 

 

 

・心は可視化できないのだから、手術など物理的なもので性別変更への意思を示してもらわないと本当に何があるか分からないと思う。 

そういう点では手術は性別変更に対する本人の意志を示すものだと思う。手術をしてでも性別を変更したいというのなら、そのくらいな意志があるのだと理解できるけど、手術なしの主張だけで性別変更へ…というのはリスクが高すぎると思う。 

こうして最近、少数派に権利の幅が広がりすぎて、多数派にしわ寄せがいきかねない判決が各地の裁判所から出てしまっていることは憂慮すべきだと思う 

 

 

・そんな自分勝手を許してしまっていいのか。 

人が生きていく上でみなどうしても自分の思い通りにならず受け入れるしかないことはそれぞれ内容は違えど必ずあるもの。 

それなのにそういうことだけ、全部自分の思い通りにさせてしまったら、何かあった時に損害や迷惑をうけるのはその他大勢の者になってしまう。 

やはり公共の福祉などの観点から、多数が納得できる一定の基準を設けて認めていかなければ主張した勝ちになって社会にさらなる問題が発生するのでその辺はしっかりやってもらわなければ困る。 

これは大多数の総意に近いと思っています。 

 

 

・精神的性別と肉体的性別を別物とし、それぞれが適用される場を限定する明確な仕組みを作ることが必要かと思います。性犯罪のリスクを高める可能性が考慮されうる場面や医療現場では精神的性別を用いるべきではないと私は思います。 

 

 

・戸籍上の性別変更「だけ」なら認定だけでも構わないとは思う。極端な話、書類上女性として認知されるかどうかだけなら実害はさほどない。 

ただ、これを女性専用施設の使用にまで拡大するのは絶対にするべきではない。多目的トイレの拡大などならともかく、自己申告の性別で専用施設もOKにすると悪用する奴は必ず出てくる。欧米では現在「精神の性」と「肉体的性別」を区別する方向で舵を修正している。日本も同じように肉体的区別が必要な部分は肉体の性を基準とするべきである。 

 

 

・こうなってくると、もはや性別とは何か?という話になるのでは。 

これが認められるなら、男が女子更衣室や女子トイレに入ってはいけないのも、その逆も差別と言えば差別だろう。 

そこを区別しているのは、本人の認識ではなくて相手がどう思うか。 

本人がいくら女性と言い張っても、男性としての機能を持つ人を同じ女性として受け入れるのは無理な話だし、性犯罪などはそれを前提に成り立っている。 

 

 

・誰もが生きやすい世の中を創っていくために様々な考え方が認められられるべきであると言う理想は、想像の上では理解はできます… 

が、それが果たして万人にとって幸せな世界へと向かっていくものなのかと言うと、そうはなっていかないと思うんですよね。 

 

誰かにとって幸せな世界は他の誰かにとっては不幸極まりない生きにくさを生み出してしまうもの。 

 

私にとってのこの判決は、非常に違和感を感じるものでしかありませんし、このモヤモヤした違和感を公に対してただ口につぐんでいさえすれば、今後日本が目指す理想社会が構築されていくのかと言うと、そうはならないようにしか思えないんですけどね…無理な背伸びは過剰な我慢やストレス、分断しか生まないし、人間なんてそんな完璧博愛主義者になんてなれないんですよ、結局は。 

 

 

・戸籍の記載に限った個人の思いを満たすことだけの運用に限ったことにするべき。 

それこそ好きにすれば良いと思うけどそれを免罪符にして、更衣室、トイレなど公共の多数が利用する施設は、戸籍変更後の性別での利用は強く制限するべき。カオスにならないように。この判決は、当事者の身体的な負荷の軽減と精神的な救済に寄ったもので全てシチェーションを織り込んだものでないと強く思います。 

 

 

 

・男か女かという区別は、戸籍上のことよりも実生活での運用の方が大きく影響するものだと思う。 

 

区別の出番は、女性用トイレに入る時、女湯に入る時、女性専用車両に乗る時など。戸籍の変更に伴って、これらの生活利便性が変更されないなら、何のための戸籍変更なのだろう?体は男性だけどスカート履きたいくらいは、戸籍関係なくできる。 

 

パートナーと正式に婚姻したいため?2人で子供は作れないけど、それでもパートナーでなく夫婦が良い?よく分からないです。 

 

結局、普通はそれほど意識しないことが気になって仕方がない、精神的な問題のケースも中には存在するのではないだろうか?例えば目の間の鼻の高さが見えて気になってしかたないみたいに。 

 

 

・ギャップってなんなのだろう。そもそも一番性別感じるのって体ですよね。 

体以外で性別を感じることって現代だとほぼないと思うし、男性の体で女性を名乗るって、医療とかで混乱されるし結局数値は男性で見るんですよね? 

裁判でこれを認めるのって、今後もこういう例が発生するということは、男性の体の女性とヘテロ男性の結婚があり得るってことか? 

同性婚が認められてないのにそれはありじゃ、扶養手当目当ての戸籍変更が可能になるってこと? 

 

 

・性別って精神的なことだけで決定されるのでしょうか? 

客観的に見て性別が判断できないと、変更には認めるべきではないと思います。 

 

裁判所は、個人の事情を全部汲んでいたらキリがないのでは? 

どこかで必ず線引きが必要で、マイノリティは多少の生きづらさは引き受けるべき。 

 

 

・差別じゃなくて区別。 

生きにくさから解放された事はおおいに結構な事ですが普通の女性からしたら正直怖いです。女性トイレに見た目男性が並んでたら。周りの知人からしたらやっと認められた“普通”を手に入れられたかもしれませんが、公衆は内面を知らないわけですから下手したら通報されるかもしれないし、そうなったらそうなったで自身もまた悲しい思いをするでしょう。 

こちらも出来る限りの配慮はしますので、マイノリティの方も多目的トイレ行く等配慮してほしいと思うのは差別なんでしょうかね。 

 

 

・本人にとっては良くても、大多数の女性は区別できないし出来なくなるから子ども1人でお風呂屋さんのお風呂に入るやトイレ、そもそも男女の区別がされてる場が1人では危険がある場所として子供に教えなくてはならなくなりますね。 

性別は自由だけど普通に生まれながらの性に生きてる人が生活しにくくなるのは違うと思います 

 

 

・人によっては小さいかどうかの判断はできないこともある。 有るか無いかじゃないと判断は難しいのに、小さいから女性との判断は危険です。 

 

 

・何でもありになってきそうな感じがします。性別で悩んでいる人が楽になれるのは良いと思います。しかし、見た目が男性なのに、女性のトイレやお風呂に入って来られた時にやはり言葉を失うと思う。また、それに便乗して男性が女性の振りして入って来ないとも限らない。その逆もありで、男性側に女性の見た目の方が入って来られても困るのでは。遅れた考え方かもしれませんが、まだ日本では当たり前にはならないように思うので線引きは必要なのでは。 

 

 

・「手術が行われた場合に限らず、他者の目に触れた時に特段の疑問を感じないような状態で足りると解釈するのが相当」 

手術を行わなくてもホルモン注射などにより生殖器がこの説明に合致するような状態になっていれば、それはそれで良いかと思います。 

ただ、「他者の目に触れた時に特段の疑問を感じないような状態」というのがどのような状態・程度を意味するのか、はっきりとした物理的な形状や寸法などを規定しないと、判定・判断の結果があいまいになりそれに関する問題が起きてくるような気がします。 

写真や図などで明確にしておく必要はないでしょうか。 

それと、以前から実例に対して疑問に思っていることですが、このようにして女性になった元男性が、スポーツ競技で女性専門の種目に参加することだけは避けてほしいと思います。 

その点は、個人的な心と肉体の問題とは別の問題として、他人に対する影響が極めて大木と思います。 

 

 

・多くの方が言われている通り、公衆の場所への配慮は勿論ですが、 

性同一性障害と診断された方が、性別変更した後に(生殖器の手術後)また、変更前の性に戻す事例もあると聞きました。 

 

それだけの覚悟と負担を承知の上での変更であるべきなのに、コロコロ変えられるような事態は、混乱をきたします。 

マイノリティの方々の人権を尊重するからこそ、ご自身もそれだけの覚悟を持って、変更すべきではないでしょうか? 

その為の手術には、ならないのでしょうか? 

 

もし、手術せずに性別変更したなら、二度と変更はできない、と定めるべきではないでしょうか? 

この考えはマイノリティの方々への人権を侵害していることになるのでしょうか? 

 

 

・結婚など法律的に必要な性別変更はともかく、実際の公共の場においてはセクハラなどと同様に相手や周りの人がどう受け止めるかにより行動の制限があってもよいのではと思います。 

すべて法律で決めるのが難しいのなら、入れ墨をしている人の入場をお断りしているプールや公衆浴場のように運用面などでカバーする方法はいかがでしょうか。 

 

 

 

・手術なしで女性として認められることになれば、旅館やホテルのお風呂に男性の身体のままで入浴されても良いということになるのですか? 

私たち女性からすると、申し訳ないけれど、恐怖でしかありません。 

公共のお風呂などは別途、配慮される方向で動いて欲しいです。 

旅行も楽しく行けなくなってしまう。 

 

 

・戸籍変更に手術必須って、法律として決まってたわけではないの…?決まりを曲げてこの場合は特別いいとか駄目とかやってると際限なくなると思うんだよね。ちゃんと法設定したり改正してからやるならともかく。 

というか、そこまで元の性が嫌な場合手術してでも取りたいと思うものではないのかな。手術はどうしても怖くて無理、でも自分の要望だけは通したいって我儘に感じる。皆何かしら諦めたり受け入れて生きてる訳で。 

 

 

・女性から男性の場合はどうなるんでしょう?同じような過程を踏めば、手術なしでも認めてもらえるんでしょうか? 

この判決もですが男性に優しすぎませんか? 

以前精子凍結しておいて女性になったあとに生まれた子供が我が子だと判定されましたが、女性の場合は自分の卵子でも、自分の子宮で産んでいなければ子供だと認められません。 

 

 

・権利と義務は表裏一体であるべき。性別変更したいなら、それが社会に受け入れられる基準を満たすべきで、性別は変えたいけど外見はいじりたくないとか権利だけ主張しているように感じる。もしかしたら未来ではそれが普通かもしれないけど、少なくとも現在は性別と見た目は合わせるべきだと思う。 

 

 

・これはある意味とんでもない判例になると思います。 

ようするに、性転換手術をしなくても憲法と法律の前で性別変更可ということになってしまって、世の中的にそれが悪用されると思います。 

ジェンダー平等って、そもそも男女の区別が公共の場や一般的ルールとしてある中で、きちんとした手続きをすれば性別変更は可能なわけで、その手続きや実際のかかる費用や手間に、対して裁判や法律などでケアをしていくようにする流れでやればいいのに、それを認めるってなると、男女の性別の垣根の判断はその人の個人レベルで許容していかないといけなくなる。 

男が『今日は、女性の気分だから女子トイレに入ろー』とか、女が『今日は男の、気分だから男湯に入ろー』とかを許容していかないと注意したら、今の何ハラみたいな感じで逆に訴えられるかもしれない。 

 

ジェンダー問題ってこじらすと、ほんとヤバいと思う。 

 

 

・手術なしで女性であると認めるということは、身体的には男性であるが心は女性で性的対象も女性の方が温浴施設・更衣室・トイレに入ってくる可能性があるということでしょうか?多様性の時代ですが、なんでも認めればよいということではないと思います。もし認めるということであれば、ジェンダー用の施設の整備が先では?それと個人的には性犯罪者に対して、終身刑にするぐらいの厳罰化を求めます。 

 

 

・そもそも男らしい、女らしい、という言葉が個人の多様性を否定する差別用語として扱われているのだから、肉体的な違和感がないのであれば、精神的な性の問題と言うのは起きないはずです。 

 

最近では例えば男性がかわいいものを着たり買ったりするなどしても、昔と比べたら段違いに受け入れられてると思います。 

今後もこの流れが進んでいけば、男女差別慣れした年寄りは減って、あまり気にしない若者たちに代わっていくので、よりフラットになっていくはずです。 

 

精神的な部分だけで肉体の性別と異なる性別じゃないと生きにくいとしたら、それは個人の精神的性別の問題ではなく、その環境に問題があるので、そっちを改善すべき話だと思います。 

 

 

・法律上認められても現実問題、社会的には受け入れられるかはまた別だと思う。原告も悪いことをしたわけではないけど、特に女性やちゃんと生物学的に性転換をちゃんと行った人は思うことが多いと思う。それにトイレなどの公共施設や温泉、銭湯など大衆浴場、スポーツ競技など色々問題提起されてる中でこの判決は今回の裁判に留まらず色々な事例での影響力が大きくなりそう。 

 

 

・性別変更を認める広島高裁の決定には反対です。性同一性障害特例法の外観要件は、社会的な秩序を保つために重要です。外科的手術を受けることで初めて外見が変更後の性別に近づくのであり、これは他者の理解を得るためにも必要な過程です。ホルモン療法だけでは十分ではなく、性別の違和感を根本的に解消するためには手術が不可欠です。手術を受けるか性別変更を断念するかの二者択一を避けるために法改正を進めるべきではありません。個人の自由も大事ですが、社会全体の秩序と調和を守るためには一定の基準が必要です。手術を早く受けることで、申立人も真の意味でギャップによる生きにくさから解放されるのではないでしょうか。 

 

 

・自由って、主張する人にとっては、とても都合が良い言葉。不自由は、良い悪いで線引きすると、誰にとっても悪いと判断するしかなく。てことは逆の言葉の自由は、良いということになる。 

自由という言葉を、どんな場でも用いることができてしまうこと自体、問題なのではないかと思う今日この頃。 

それはさておき性に関する問題は、先送りにせず、可能な限り早急に明確な決め事を検討するべきかと。人によって判断が異なるのは、法治国家と言えないと思うので。 

個人的には、同性婚はokだけど、性別に関しては生まれた時点で確定すべきだと思う。 

 

 

 

・多様性が広がるのはいい事だと思うけどこれは違う気がするな。普通に大浴場とかで女湯に男の人が入って来たら通報するし訳を説明されても男性器が着いているなら疑心暗鬼になる。男女ともに男性らしくない、女性らしくない人が温泉に入ってきたら性器を確認すると思う。そこでこの人は男性なんだな、女性なんだなって初めて理解する。それなのに性器が異性の物なら普通に怖い。この人たちは今までのことで温泉に異性が入ってくる苦痛を知っていると思う。それなのに少数の意見を突き通して大多数の意見が無視されるってのはおかしい。難しい問題。 

 

 

・本当に厳格な性不同の問題で苦しんでる人を目の前にすれば、このような判決を出す気持ちもわかる。だが、これが拡大解釈や悪用されたときの社会的影響についても十分に思いを巡らせてほしい。これが原因となり性犯罪が起きた時に裁判官は被害者にどのような責任を取れるのだろうか? 

このような利害が対立する複雑な問題については、違憲状態の判決を出すに留め、立法に適切な処置を求めるのが、民主主義国家にとって正しい司法のあり方じゃないのか? 

 

 

・ホルモン療法を継続的に受けることによって生物学的な性別がいずれであっても、外性器の形状に変化が生じることは医学的に確認されていると指摘。申立人は継続的に医師の診断に基づくホルモン療法を受けており、別の医師による診断でも、身体の各部の女性化が認められているとし、性別変更を認めた。 

 

のであれば、この題名は誤解と返って反対の意見を生む書き方だよ。 

 

 

・性自認異常(性同一性障害、性別違和、性別不合)は医学的な診断名および状態像であり、出生時に割り当てられた性別とは異なる性の自己意識を持ち、自らの身体的性別に持続的な違和感を覚える状態を指しますが、 

精神疾患として分類されることがあります 

たとえば、アメリカ精神医学会のDSM-5では「性別違和」として分類されています 

一部の研究では性自認異常と脳の構造や機能の関連性が示唆されており、 

これは脳の発達や機能に問題がある状態を表し、脳の構造や機能に精神疾患と関連する特徴が見られることが示されています 

たとえば、統合失調症やうつ病などの精神疾患と関連した脳内ネットワークの異常が認められるようにです… 

 

医学的な研究や議論が進行中であり、その分類や定義に不確定な要素が存在する現段階における性同一性障害特例法改定は社会の 

さらなる混乱を招き、将来に禍根を残す結果になると予測されます… 

 

 

・娘がいますが、もはや女性専用エリアでも気は抜けませんね。外観が男性の方がいるなんて、いくら心が女だと言われても、信用できるはずありません。女性専用のエリアで無防備な女性がトランス男性に襲われたり殺されたりしないとこの風潮は変わらないであろうことに、女性の権利や生きにくさを非常に感じます。肉体的に弱いはずの女性を守ろうとしてくれない国に憤りを感じます。 

 

 

・これ、認めることは大事かも知らないけど、既存の性を認めている人も守って欲しい、例えば温泉、どっちに入るの?海外のように水着着用で、脱衣所やシャワールーム個室にするべき。日本の裸文化も見直しが必要と思う性別もだか、身体にコンプレックスがある人、障害のある人、みんなが楽しめるような社会を作って欲しい 

 

 

・性同一性障害や同性婚など、これまで認められてこなかった方が法律的に認められて、住みよくなっていくことは良いと思います。 

が、 

これまで男女の2択のもと整備されてきている公共施設などにいきなり乗っかるのは間違っていると思います。 

現実的には、今までの男女の別+第3の区分を作って利用してもらうしか、それこそ全パターンなど網羅できないし、周囲に利用の理解はされないと思います。 

 

 

・戸籍上の性別を変えることが、なぜ生きにくさの開放につながるのか良く分からない。 

免許証、住民票、マイナカード、役所から発行されてる個人を特定する書類で性別が記載されてるものってあまりないですよね。 

戸籍謄本なりを携帯して、公共の場で女性であるということを主張して施設利用等をしたいということなのだろうか。 

それが可能かどうかは施設管理者やほかの利用者の判断によるので、結局、今までとあまり変わらないのではないだろうか。 

男性と結婚したいということなら戸籍の性別変更もわかりますが、そうでなければ、メリットがあまり見えてこない。 

この判決のみで、それほど生活が変わるようには思えないという感想。 

 

また、この方の問題とは別に、こういった事情の方の戸籍を安易に変更できるようになってくると、出生届のからみで戸籍上の父が違う等の問題が助長されることにはならないだろうか。 

 

 

・私はもうイイ歳したオバサンですが…イヤイヤイヤイヤ怖い。性自認が女性・戸籍も女性…だけど更衣室や入浴施設等で付いてる人が居たら卒倒します。トランスジェンダーに対する理解はしたいと思いますが、スポーツ競技に男性的肉体の優位性を持ちながら参加したがったり…肌が露出する場にそのままの姿で利用を主張するのは別です。キチンと分けないといけないと考えます。 

 

 

・性同一性障害に悩み苦しんでいる、その気持ちがどのようなものなのかはなかなか想像できないのが正直なところです。 

身体のその部分はやはり見た目にハッキリとどちらの性かがわかる部分ですので、そのままの状態で女性として生きていくのは難しいように思うのです。 

この先、公衆浴場や温泉など裸になる場所には行かないのでしょうか。 

そして人間も動物ですので、当然あり得る性的欲求が起こったときどうなのか、なども疑問に思います。 

さらには、医療保険は男性と女性で保険料に差がありますがその点もどうなのかなと思います。 

 

 

 

・個人的にはそこまでして性別変更しないといけないのか?と思います。その方にしてみれば幼少期から様々悩み葛藤してきたことは分かります。色々な疎外も感じていたことでしょう。この方を否定はしません。ただ、戸籍が変わるということは昨日まで異性だった人と今日から同性になるということですよね?その人の人となりを知らないのに、突然女性になったからと、一緒に公衆の場で入浴や着替えなどしたくは有りません。普通に怖い。正直私は生きにくい世の中になってきたと思ってます。選択肢が多すぎてついて行けていません。 

 

 

・完全に女性になることは出来ないことはおそらく理解されていると思います。それでもご自分の心が解放され、気持ちよく生きることが出来るように、TPOを考えられ、与えられた権利を社会的ルールを守られれば、素晴らしい人生になるのではないでしょうか。 

世の中は変わってきてはいますが、これまでの男女に分かれる当たり前の部分においては、理解が進むかと言いましたら難しい面があります。お互いが嫌な気持ちにならないよう、特定の施設の利用時などは、現実的にご利用を控えるのが良いかと思われます。嫌な思いをされませんように。 

 

 

・まぁ、本来やるべきでない手術ですから危険が伴うとはいえ、やっぱり男です!とか、性欲は男性として発散しますとか、事件にならないと良いんですけどね。 

 

世界のあちこちである、良い意味の諦めが、科学技術のお陰で、なんとかやれる、やれるならやりたい!と欲望に身を焦がすことになりました。 

諦めるのも不幸かもしれませんが、欲望に身を焦がすのもまた不幸なことだと思いますけどね。 

 

 

・女として女の心で生きている性別ですが、本人の心の性別のままに生きられることを、良かった!と思い拍手する気持ちもあるしそれと同時にもし浴場にその人がいたら驚いてしまいかもしれないという葛藤も正直あります。でもそれは今のはなし。 

ルールや法案、世論や思考。その時代の潮流で、もしかしたらその問題も時がたち、議論がしっかりと成熟するときがくれば理解される世が訪れるのかもしれません。 

 

 

・当事者の気持ちが大切なのは判ります 

しかし、精神的な男女齟齬は本人にしか判らない 

一方、身体的な男女齟齬は他者にすら確認できる 

その身体の齟齬、例えば女性の精神で男性器を持つことを本人は許容できるのでしょうか 

 

服薬の継続の有無も本人以外はわかりません 

やはり公衆で男女を分けている場所での利用制限などを合わせた決定が必要だったのではありませんか 

 

ひとりの精神の安定のために他者が犠牲になることが無いようにするのも法ではないでしょうか 

 

 

・この方はホルモン療法を受けてらして外観はどこからどう見ても女性なんでしょう。きっとトイレや公衆浴場でも気づかれないほど女性の体なんだと思います。でなければ手術なしで戸籍変更が認められるわけないと思います。この決定がこれから続く方の指標になると思いますが厳正で公平な判断となりますように。 

 

 

・どんなに若くありたいと願っても、背が高くありたいと願っても、〇〇人に生まれたかったと思っても、実際にそうではないことはそうではない。全てのことは客観的な基準で判断されるのに、なぜ性別だけは主観でOKなのか本当に分からない。主観という外から見えないものを基準に法律が動いてしまう恐ろしさを考えて欲しい。 

 

 

・認められたからといって、女風呂に入って行って他の女性客に不安や恐怖を与えてもいい、という事ではないですからね。他の女性客に堂々と不安や恐怖を与えることは許容の強要です。許容するかしないかは各個人の自由であることを忘れてはいけない。男の自由が認められるのと同様に、許容しえない自由も保障される。 

 

 

・その人が、例えば家族の中、会社の中で女性として生きていくのは個人の自由だとは思う。 

しかし戸籍を変えて社会的に女性として生きていくのは、社会全体が影響を受けるため、個人の思いだけでそちらに進むのは少し違う。多数派の思いも裁判所は汲み取るべきです。 

 

 

・女性から男性になりたい人が、女性ですと名乗れるだけで満足という事なのでしょうか? 

女性になりたいのなら男性の象徴は捨てたいと思いそうだなと思ってしまいますが、まだまだ考えが及ばない所も自分にはあるんだろうな。 

 

見た目で判断つかないとなると、男性器があるままトイレや公共浴場などは入られては困るわけで、許可がおりる分けもなく 

話さなければ、男だと認識されたままにもなるだろうし 

 

あまり当事者にはメリットがあるようには思わないが、女性は危ない目に合うリスクが格段に上がったような。 

どんな対策が取られるのだろうか。 

 

 

 

・こういった事例が認められると考えられるトラブルがあります。 

例えば、身体は男性で心は女性の方が法的に女性と認められたとします。 

その方が、公衆浴場の女湯に入って、驚いた回りの女性たちが警察に通報したり、最悪周りの方々に取り押さえられて怪我をするかもしれません。 

この問題を解決するにはそれこそ、男湯、女湯の他に、心は男性用の湯、心は女性用の湯をつくらなければなくなりきりがありません 

 

 

・心は女性って。生理の苦痛を味わう事はないんだろうな。男女の区別って生物学的な身体の相違だけで心は別問題だと思ってた。子宮を持ってるか、精子と卵子のどちらを作るかとか。身体的機能の違いは明らかにあると思います。 

 

 

・こういう人達って、トイレは多目的トイレ、浴場は、貸切のみ使用とかルール化できないのでしょうか?たぶん男女どっちに入ってきても違和感しかないですが。あとスポーツ競技には参加資格を放棄するとかもしっかりと規定されてるんですかね?社会の安全と秩序が保たれるなら、別にいいと思いますよ。 

 

 

・先日、ショッピングモールの男子トイレに入ったら中に成人女性が立っていた、こちらが驚いているとその女性は立ち去ったが、見た目の性別が違う人が入り込む恐怖を経験した。心の違いは有るだろうが、圧倒的多数に恐怖を与える事実こそ重要だと思う。 

 

 

・ジェンダーの方はもちろん認めますし本人の意思も尊重します。ただ、不安な方や疑問に思っている人は置き去りで良いんでしょうか。まだ法整備が追い付いていないのが現状の今、結論を出すのは早すぎです。少数派の意見と多数派の意見をもっと聞いてから結論を出すべきです。 

 

 

・まずこの判決はこの人にとっては念願叶ったもとだと思います。 

想像もできない苦労もあったと思いますので報われた思いだと推察します。 

しかし、この判決は多数の人にとっては必ずしも歓迎されるものではないのも事実だ。 

肉体的な変更なく性別の変更を認める判決を必ず悪用する者が現れるでしょう。少数を立てるあまり多数の人間を蔑ろにするのも考えものだと思う。 

 

 

・今の社会構造は男女の2種類に分類して、構造物が出来上がってる。 

コレからは分類数をどうするのか?が、公平や寄り添う、自然体で居られる社会のスタートなのかと思う。 

間違いなく現状には難しなので、当事者方々の不自由が解消される道のりは遠そう。 

 

 

・公衆浴場やトイレは身体的特徴で男女を区別する規定となってはいますが、現場では、どこまで確認できているのでしょうか? 

銭湯や温泉の受付で、性別を確認された覚えはないのですが… 

あくまで自己申告のスタンスのように感じますが。 

この判決により、堂々と身体的特徴とは異なる方に入ってくる人がでないような、実効性の高い、かつ、相手への配慮に足る対策は講じられているのでしょうか? 

 

 

・精神的な男性女性は、皆が両方の側面を持っており、それを社会的に認定しようとすると、誰がどうやって認定するのかという解決できない問題が生じる。精神的性別という規定できない要件を社会的に認定することはできず、社会的性においては生物学的要件は必然かつ絶対であると考える。 

 

 

・適合手術無しで性別変更した場合の問題点を軽く見た判決のように思います。体が男の女性がトイレや公衆浴場に来た場合に女性は不安になると思います。事件が起きてからでは遅いのです。少数派に配慮し過ぎると多数派が不便を強いられる社会になります。 

 

 

 

・誰が認めようと、私自身の見解は変わらない。 

男性であれば女性特有の病気は患わないし、女性であれば男性特有の病気は患わない。 

性別と心は別物として捉えないと結局は矛盾が生じるときが必ず来る。本当の意味で性別を変えることなど不可能だ。 

 

 

・出生時に性別判断が難しい事もあり、実は違った、と言う人もいる事は聞いたことがあります 

そういった方は本当に大変な思いをされてきたと思います 

なので理解出来ます 

 

染色体も身体機能もはっきりと男性を示しているからにはいくら気持ちは女性であっても男性は男性 

男性である事への違和感=女性、とはならないと思うのです 

男性を示す機能・肉体を持った人の思考であり、決して女性の心を理解し肉体を理解している訳では無いでしょう 

女性ならばその機能を持った身体で女湯に入ろうとは考えないと思います 

 

いくら戸籍上女性となっても子宮が無い人には生理痛の痛みや妊娠中の大変さなど女性特有の身体の痛みや悩みを知り得ないですよね 

 

男女雇用機会均等法ができても女子学生には説明会の案内さえ来なかった時代、企業が何故女子学生を門前払いをしていたのか 

考えてみて欲しいです 

 

 

・トランスジェンダーの方々が悪いわけじゃない、辛い思いをしてきたからこその言葉だと思います 

ですが悲しいことに、この判決を利用して悪事を働く男性がいることも事実 

温泉も更衣室もトイレも、『自称』トランスジェンダーの方に入り込まれ最悪な事態になることもあり得る  

幼い女児は純粋にトランスジェンダーの方だと信じると思う 

大人だって見破れないから自衛できない 

自衛させてもらえない 

 

性犯罪の罪が軽い日本において、この判決は本当に正しいのでしょうか 

 

 

・マイノリティーの権利としては理解できますが、 

このような判決内容が今後も続くとして、 

手術なしでの偽トランスによる、覗き・盗撮・強姦などの性犯罪は必ず起きます。 

私は、その際被害にあわれる女性の心情を思うと、とてもやり切れない気持ちになります。 

偽トランスによる性犯罪が起きてはじめて、判断の修正が必要になると思いますが、それでは遅いと思います。裁判所はマイノリティだけでなくその周りを取り巻く大多数の利益も天秤にかけ、バランスの取れた判断をすべきなのに、あまりにもマイノリティーを優遇しすぎです。 

法律は皆が安心して幸せに暮らしていくためのものであるべきです。 

 

 

・この方は何もないかもしれないが 

前例主義の日本の司法を見るとコレを期に 

身体的な特徴を維持したまま性別変更が当然のように行われてしまうのでは? 

差別区別と言われるかもしれないけど身体的特徴で男女(雄雌)と分けた方がいいのではないかと私は思う 

心の性と分けて考えるべき 

 

 

・もしも自分が性同一性障害だったらと想像してみると、本当に悲しいし自分を認められないと思います。 

だからこそ、早く身も心も自認している性別になりたいと、願うものだと思っていました。 

多分普通は、毎日戸籍の事を考えて生活はしてないと思うので、戸籍より毎日感じる見た目が大事だと考えるのかなと。 

でもやはり、体を傷つけるのは怖いものですよね。 

 

 

・最高裁は、生殖不能要件について「身体の侵襲を受けない自由」を侵害していて違憲だと判断しました。今回の高裁判断は、「他者の目に触れた時に特段の疑問を感じないような状態」だから外観要件を満たしている、との判断でした。 申し立て人の性別変更が認められたという点でとても画期的で評価すべき判断です。ただ、最高裁の考え方にのっとると、そもそも外観要件も手術を求めているため、身体の侵襲を受けない自由の侵害であり明確に違憲と判断することもできたのではないかと考えます。 公衆浴場やトイレの議論が取り沙汰されますが、すでに公衆浴場は身体的特徴によって男女に区別される規定になっています。トランスジェンダーではない男性が「心は女性だ」とさえ言えば女湯などに入れるようにはならず、当然、性犯罪を許容する口実になるはずもありません。 

 

 

・性被害に遭った場合、加害者が自分の性別を偽ったり性の嗜好を偽ったりしやすいです。被害者が出やすい環境になりませんか?犯罪に悪用されやすいので、身の危険といったらおかしいとか、考えすぎって思われるかもしれませんが、 

自分の身を自分で守る世の中で、気をつけなきゃいけない人の区別がつけにくいし、それを利用されることにより、多様性を求める人たちも傷つくと思います。 

他に方法はないんでしょうか? 

 

 

・エキスパートの先生が 

 

「公衆浴場やトイレの議論が取り沙汰されますが、すでに公衆浴場は身体的特徴によって男女に区別される規定になっています。トランスジェンダーではない男性が「心は女性だ」とさえ言えば女湯などに入れるようにはならず、当然、性犯罪を許容する口実になるはずもありません。」 

 

と、おっしゃってますが、コメントの通りであることを徹底できるような法整備を切に願います 

 

 

・女性裁判官の判断だし男の僕が言うことではないが、女性から見て公衆浴場やホテルのお風呂に男性の態様を持った人が入ってくるのは恐怖心を持つことは間違いないだろう。権利は制限された立場を保護することも大事だと思うが、守られている権利を保護することも大事だ。どちらかだけが守られればいいというものではないし、判決には疑問を感じる。 

 

 

 

 
 

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