( 189980 ) 2024/07/12 01:20:16 2 00 法人としての「レナウン」が消滅へ東京商工リサーチ 7/11(木) 13:39 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/5de17a54a399d96000d94e4e5cc20215f4250042 |
( 189983 ) 2024/07/12 01:20:16 0 00 数々の足跡を残した「レナウン」
2020年11月27日に東京地裁から破産開始決定を受けた(株)レナウン(TSR企業コード:295833440、江東区)が消滅する。今年8月に最後配当を実施し、年内に破産手続きが終結するため。7月10日には第5回債権者集会を開催していた。法人としての名門レナウンが名実ともに消滅する。
◇ ◇ ◇ レナウンは、有力ブランドを育てた老舗アパレルで、CMソングなど広告戦略が奏功して業界大手に成長した。しかし、競合から業績が悪化し、2010年に中国の繊維大手・山東如意科技集団有限公司の傘下に入った。 しかし、業績回復の遅れや山東如意グループへの売掛金の回収難に加え、コロナ禍の影響を受け2020年5月、子会社から民事再生法の適用を申し立てられた。負債は138億7,900万円だった。 民事再生による再建を目指し、主力ブランド「ダーバン」「アクアスキュータム」の譲渡などを進めたが、再生計画を作成できず破産手続きに移行していた。
破産管財人の永沢徹弁護士(永沢総合法律事務所)の手で資産換価が進められた。7月10日までの破産債権の配当は第1回が35億9,801万円、第2回が10億3,327万円、今年8月中旬に予定される第3回が3,773万円で、配当は累計46億6,902万円。一方、確定普通破産債権(別除権付債権を除く)は73億6,564万円となっている。 最後配当を含めた破産債権の配当率は63.3%にのぼる。
第5回債権者集会の破産管財人報告要旨によると、山東如意科技集団有限公司に対する約53億2,400万円の連帯債務履行請求権等の回収は、アンダーソン・毛利・友常法律事務所外国法共同事業に委任し、中国現地代理人を通じて2023年12月11日、現地の裁判所へ山東如意の破産手続開始を申請した。だが、申請は受理されておらず、破産手続きが開始されるか不透明という。 レナウンは、8月中旬に最後配当を実施する。その後、遅くとも年内には破産手続きが終結する予定だ。 終結後、債権回収が実現し、配当できる破産財団が形成された場合は裁判所の許可を得て、追加配当を行う。
◇ ◇ ◇ 1902年に創業され、アパレル業界を席巻したレナウンの消滅は、ひとつの時代の終わりを象徴する。だが、残した足跡は今後も語り継がれていくだろう。
(東京商工リサーチ発行「TSR情報全国版」2024年7月12日号掲載予定「取材の周辺」を再編集)
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( 189984 ) 2024/07/12 01:20:16 0 00 ・ダーバンもアキュアスキュータムも持っています。スーパー150sのスーツも持っている現状で尚、90年代に買ったダーバンのスーツの生地の方がキメ細やかだったと記憶しています。アクアスのステンカラーコートは現在使用20年目ですが、今現在のバーバリー(30万円強)より木綿の品質では上だと思っています。会社としては失敗なのでしょうが製品の品質は素晴らしかった
・レナウンは、日曜洋画劇場のスポンサーでCMがよく流れていましたね。外国人を起用してて、スタイリッシュで斬新なCMが多かったと思います。日曜洋画劇場が終わり、レナウンのCMも見なくなって、次にレナウンの名前を見た時は中国企業の傘下に入ったというニュースでした。中国企業の傘下に入っても、消滅は避けられなかったんでしょうね。時代の流れとは言え、レナウンの名前が消えるのは、一つの時代の終わりを感じます。
・このような日本企業を残せないとは残念極まりない。もっと企業機密や人材を守ることに政府も世論も必死になっていればと思うがもうあとの祭り。お願いだから野党はしょうもないお政治資金とか揚げ足取りばかりやっていないで、政府、行政に日本の技術や国力を守り、高めることを監視、督促して欲しい。
・アパレルが最盛期時代に店舗の設計施工の会社で働いてました。クライアントの一つがレナウンでした。多い時には週に2~3度打ち合わせや会議を東京本社で行っていました。よもやレナウンが飛ぶなんて夢にも思いませんでした。同じく子供服のティンカーベルとも付き合いがありましたが、こちらの消滅の方がレナウンより早かったですね。いつまでも同じものが流行る時代ではないのでしょうね。
・レナウンむすめのCMも懐かしいけれど、個人的にはブルーハーツの「人に優しく」をバックにピエロみたいなのが踊っていた I.N. EXPRESS ブランドCMが衝撃的だった。 確かたけしの元気が出るテレビのスポンサーでよく流れてたね。
あぁ、そう言えば若い頃にレナウンのライセンス、アーノルドパーマーも着ていたなぁ。 大人になったら、ダーバンスーツも。 色々と青春の一コマでした。 レナウン、ありがとう!
・レナウンで個人的に思い出すのはル・マン24時間レースで総合優勝を飾った55号車マツダ787Bのスポンサーだったことと、日曜洋画劇場で流れていたCM どちらも強烈に覚えている 最近は厳しかったこともニュースで知っていたが、消滅となるとやはり寂しい
・数年前に自分の会社も同じ様になったが アパレルで良き時代を共に生きてきた1人として やはり悲しい。レナウンの連中と戦い 酒を飲んだ者の1人であるが 時代の流れに乗れない企業は淘汰される。アパレルは今後もっと大変になって行くが 良い生地 良い縫製はいつ見ても感動する。これは淘汰されたく無い。
・中国と提携したり、縫製の下請け出したりした所は全部駄目になっています。生地の作成で、日本側の糸の太さで作成した生地見本と、大量生産した糸の細さで、透ける生地に仕上げて、その差額で儲けているからです。スケスケの薄っぺらな生地で縫製糸も絹糸使用せずに化繊糸だから肌に擦れると湿疹になる。バイヤーに酒飲ませて接待して見本は日本側の太い糸で作った服。大量に送られてきたデパート売り場でデザインやカラフルな色の服は、透けるから返品に。そういう事です。
・25年くらい前にレナウンの正社員でした。転職組でしたがレナウンと言えば誰もが知るアパレルの大企業で入社できた時はうれしかったです。某ブランドの店長として百貨店で働いていましたが、労働組合が強くて必ず有休消化して下さい!と言われ多いと月の1/3はお休み。春夏冬と制服名目で5万~10万円分の自社ブランドの服がタダでもらえてボーナスも給料も福利厚生も他のお店の店員に比べ厚遇でした。だけどお仕事は平日は暇で数万円って日も。あまりに暇すぎて苦痛で退社しました。今思えばあんな感じじゃそりゃ潰れるわなぁと。。。あれほど有名だったのに若い子に「レナウンで働いていたんだよ!」って言っても?な顔されます。驕れるもの久しからず。。。
・ラグビー好きの自分にとっては、新日鉄釜石日本選手権7連覇を達成した後に引退した、松尾雄治氏がレナウンのCMモデルでTV登場した時は、ちょっと驚いたな。カジュアル系の、今で言うマウンテンジャケットみたいなものを着て颯爽と速足で歩く姿。以外に新鮮だった記憶がある。
・物凄く不思議なのが、山東如意科技集団有限公司の傘化に入って、そのグループからの債権回収が出来なくて、その事が破産の一因になるって、そんな事があるのですね。普通なら、グループ企業を助ける方向になるはずが、債権未払という違法行為でグループ企業を潰すという事ですよね。悪質性は無いのでしょうか?
日本企業には、未だに中国市場や中国企業に頼る会社がありますが、レナウン破産については、よく情報収集して参考にした方がよいと思います。
・はじめて見たCMがレナウン娘でした。レナウンのような生まれた時からある大きな会社が失くなるのは淋しい限りです。「ダーバン」は当時、「マンダム」のC・ブロンソンとともに、外国の俳優を起用したCMがカッコいいなと思いました。これも時代の流れとは言え、ひとつの時代の終わりを実感せざるを得ません。長い間ありがとうございました。お疲れさまでした。
・レナウンが無くなった時はびっくりしました。 取引していたので売掛金はちょうど無かったのですが冬物の仕掛があり1500万ほど仕込んでいました。 作っていた商品も中国の工場に直ぐに電話し止めてもらったものです。 担当者に連絡したら全然知らなかったようで本人もそれどころではなかった様子でした。 一時代を築いたレナウンだったのでびっくりですね。
当時在籍されていたオジサンたちはどこに行ったのですかね。
よくレナウン研究所に電話して相談に乗ってもらったのも懐かしい話です。
・来航したイギリス巡洋戦艦レナウンと巡洋艦ダーバンから名前を拝借。 シンガポール沖でプリンスオブウェールズといっしょに沈んだレパルスはその姉妹艦。 とまあ、それくらい歴史のある会社やったのにね。 ちなみに、1921年のレナウン来航時に乗っていたのが当時のイギリス皇太子でのちの国王エドワード8世。 世紀のスキャンダルで退位したあとはウィンザー公爵に。 ネクタイの結びかたやズボンの裾のダブル仕上げなど、ファッションリーダーとして名を遺す人物なんよな。
・40年近く前、ある小売業で子供服のバイヤーをしていました。当時、私のいた会社で扱うブランドは「レナウン」と「コスギ」でした。ただレナウンは我々のようなところには「売ってやる」という商売で、悔しい思いもたくさんしたので、「残念な気持ち」と「ざまぁみろ」という感情があります。わたしは既にリタイアしていますが、どんな相手にも真摯な対応が必要だなと思う次第です。 多分、レナウンのニュースに接して、私のような感情を抱いている方もたくさんいらっしゃるのではないかと思っています。
・やっぱりル・マン24時間でマツダ・787Bが纏った強烈なレナウンカラー(91年、マツダがル・マンを制覇した後はビクトリーカラーと呼ばれる様になった)がレナウンと言えばで真っ先に思いつく事柄です。 赤と緑のアーガイルチェックに彩られた、シンプルに言えばド派手なマシンですが、今や日本のみならず世界のモータースポーツ史に燦然と輝く名車となりました。 豊かだった時代の日本が、また遠ざかった様な気がするニュースですね。
・今は洋服もファストファッションの時代で流行りのスタイルを着ては捨てての時代になってしまいました。
昔のように良い服を長く着ると言う感覚はないのだろうなと。その時代に良い服を日本国民に提供し、それなりに日本人が洋服を似合うようにしてくれた会社だったと思います。洋服もその時代の文化でしたね。
今ではネットで服を選んで買う時代で、アパレルも在庫を抱えてセールで売り切ると言う販売方法とはかなり違ってきたと思います。
一つの時代の終焉と日本がまた一つ縮小に向かっている証拠だなと思います。
・小林亜星さんのCM曲のレナウン娘が好きでした。 レナウンも日曜洋画劇場でCMを出していた時は時代を先取りしているCM で斬新でかっこよかった。
・1982年入社で晴れ晴れとした気持ちで頑張ってました。7年間在籍して家業を継ぐために退社しましたが、やり甲斐のある楽しい会社でした。 会社は無くなりましたが、今も沢山の同期社員とゴルフコンペや同期会を開いてます。ちょっと緩い所のある会社だったけど、良い仲間達が頑張っていた印象があります。自分の中では、一生思い出に残る場所です
・若い頃着てましたけど品質はすごく良かったですけどね。 自分自身でいうと子ども中心の生活になった2000年頃からユニクロばかり着てましたが、 やっと子どもも巣だったので少し良いものを着たいと思っていたのに、もう昔の「少し良いもの」がなくなっちゃってるんですよね。 あのくらいの価格帯のものって、これからの方が売れる気がするんだけどなぁ。
・百貨店で衣料品を購入するのがめっきり減ったからしょうがない。 デパートって便利なようで…。 三越の共用ラウンジとかでファションショー見て刺激されたのを良く覚えている。アクアスキュータムだったかな? 高級衣料は陳列だけでなく、ショウで見せて購入者に刺激を与えるのは重要だと思った。
・30年前、五反田で「ダーバン」の招待即売会に行き、 ダブルの礼服を作りました。
礼服なので頻繁に着るものではないですが、いまだに 現役です。(ウエストだけMAXに広げ直しましたが、、)
オーダーメイドで、さすがブランド品だけあって 縫製も丈夫、質感もよく満足してます。 良い商品は細々でも残ってほしいものです。
・レナウンが消滅ですか…。隔世の感があります。ル・マン24時間耐久レースで日本車が初めて優勝した際,ロータリーエンジン搭載のマツダの車(優勝カー・マツダ787B)の塗装デザインは,レナウンカラー。あの時代の日本,―1991年 ―,って凄く国力があったんだよなぁ。どんな企業でもいずれは衰えるとはいえ,あの時代以降,衰えて消えていった大手企業の方が発展した企業より圧倒的多数。かなり淋しいですね。 そしてそして,今や1ユーロ=175円台(2003年で130円位)。ポンドはもうすぐ208円。日本の衰退て,やっぱり尋常ではないです。
・トレンチコートはバーバリーよりも、アクアスキュータム派でした。 他にもジャケット、コートなどたくさんはないけど、少しずつ買い、今でも大切にしています。 いい歳になりましたが、あの、アクアスキュータムを着ると、スッと背筋が伸びるような感覚。 そんなお洋服がなくなるのは残念です。
・少子化、人口減少、貧困層の増加などもあって アパレルはどこも厳しい。 また増税や物価高の影響で、庶民の可処分所得が 減り、消費が落ち込んでいることも経営悪化の 原因です。 アパレルの衰退は、我が国の経済衰退を如実に 表している。景気回復策が必要だ。
・破産債権配当率が63%なんて聞いた事がない。アパレル業界の厳しい環境下で業績悪化も著しく苦戦が続いていたが、タイミングが悪かったというか、いまとなってはどうしようもないが、存続できたように思える。 まさに中国企業に食いものにされた残念な例。星野リゾートもトマムを売却し、北海道のリゾートを買い漁る中国企業がいるがこのような悲しい結果を生み出さないでほしい。
・バブル期のレナウンは入社するのが難しいと言われていましたね。若い頃は買わなかったけど株主優待でセールに行きジャケットとか中年になっても試着するとぴったり合う。中国の傘下だったんだね。 50代ですが今でも体型に合うのでデータなどは是非残してほしい。
・この業界の変化は流通業界の変化と切り離せない。レナウンを代表する旧アパレルは流通業界の変化、言いかえれば顧客の購入行動の変化、価値観の変化についていけずすたれていった。百貨店の時代は魅力的な服は百貨店で高いお金を払って上質な接客で購入するのが普通だった。作る方も売る方も買う方も選択肢が限られていたし接客も大きな価値の要素だった。実はこの業界からデフレは始まった。青山を代表する路面スーツストアが百貨店の10分の1の値段で売り始めた。これにより価格に対しての不振感が生まれ。メーカーが考える適正価格とユーザーが考える適正価格に差ができて価格低下に歯止めがかからなくなった。ユーザーが欲しい価格でしか物を買わなくなった。これによりメーカーだけでなく国内の繊維工場もほぼすべてが駆逐され物作りはアジアでしか作れなくなった。レナウン号の沈没はこの業界の変化の象徴でもある。
・ダーバンブランドは、当時ヨーロピアンと呼ばれていたファッションをいち早く日本で展開していた記憶があります。 映画アメリカン・ジゴロでリチャード・ギアがアルマーニのデザイン衣装できめていた雰囲気。あれと似たテイストをダーバンに感じました。
・とうとう消滅とは、寂しい限り。まだ小学生の頃、私の母がゴルフの世界的スターだったアーノルドパーマーの傘の形をしたロゴマークが好きで何枚もポロシャツを買って着せられました。 その他、もう半世紀ほど前に毎週日曜日に放送していた映画評論家の淀川長治さんが解説していた『日曜洋画劇場』のスポンサーだったこともよく覚えています。レナウンお姉さんって言ったかな? もう30年以上、レナウンの製品は着ていませんけど、レナウンは幼い頃の思い出が強く残っているので、消滅となると寂しい限りです。
・やっぱ、時代が読めなかったというか。だからと言って、デフレの波にうまく乗って成長したユニクロみたいな企業も褒めちゃいけないんですが。
アパレルってホント、難しいです。梅雨の暑い時期だというのに雑誌でフィッシングベストがちょっと取り上げられたら、長年不良在庫として残っていたダウンベストが急に売れ出し完売したり。逆に、雑誌が「今年の秋冬がグレー系!」とガンガン宣伝していたにもかかわらず、いざ秋冬になってみるとホワイトのアイテムがガンガン売れちゃったりとか。リサーチ会社が、ファッションに関しては別の方法でのリサーチを持っていたり、人間の心にすごく左右されるアパレル業界で勝ち続けるのってホント難しいと思います。
ファーストリテイリング・ユニクロも学生に人気の企業ランキングで150何位とランキングが低いのをみると、学生さんもちゃんと見ているなあと思いますが。
・マツダの787Bで参戦していたル・マン24時間耐久レースのオレンジとグリーンのレナウンカラーが思い出深いです。 レナウンはテレビCMのワンサカ娘も印象に残ってますし広告が上手かったイメージですが、服飾は海外生産での低コスト化が90年代以降で急激に進んだので厳しかったのかと思いますがブランド消滅は残念ですね。
・今からちょうど40年前、高卒新入社員で1984年にいただいた初ボーナスで購入したのはインターメッツォの革ジャン(ブルゾン)で88,000円しました。当時RZ250RR~GPZ400Rで通勤していましたので寒い季節は毎日着用していました。(現在でもたまに着ます。) それと平行してスーツもずっとダーバンでした。小柄ゆえ日本サイズでいうところの「Y4」(輸入品サイズ42~44)はダーバンくらいしか店舗在庫もなかったし竹野内豊さんが格好良くて隔年ペースで購入させていただきました。いまだにダーバンのスーツはたまにですが購入しています。 本当に寂しいです。 どこでどう歯車が狂ったのか… できうることならばなんとか復活を願いたいものです。
・銀座松屋でアクアスキュータムのスーツを作り愛用していました。 良いスーツなので白洋舎の7000円のクリーニングに出してました。
今は経済的事情で外商も使わなくなり、気づいたらレナウンが倒産してました。
レナウンのCMは好きでしたし、寂しさを感じます。 ワールドなんかもやばいんでしょうねぇ。ラジオのワールドオブエレガンスもよく聴いてました。日本の老舗洋服メーカーはオワコンなんでしょうね。
・レナウンというとダーバンのイメージが強かった。
アラン・ドロンがTVコマーシャルに出演し、「ダーバン、これは現代男性の気品だ」みたいなことをフランス語で注釈する台詞も無茶苦茶カッコ良かった。 もちろん、日本のダーバン・ブランドの服飾は、デザイン・品質共にアラン・ドロンに相応しく絶対的な高評価で、英国の人気ブランドのバーバリーに勝るとも劣らなかったように感じる。 ところが、彼がCMから降りた頃から、徐々に段々と、あれれ、のレベルに低下していっちゃった。
ついでに映画「冒険者たち」での彼の歌声「愛しのレティシア」も思い出した。当時の日本では、男女ともに彼の声を含む魅力に痺れていたものだ。
・オシャレでシックなレナウン娘が消滅ですか。 当時からすると考えられないですね。 アーノルドパーマーもそうでしたかね、ダーバン、アクアス、アクアスなんてコートやマフラーは本家の輸入品より余程良く出来ていた思い出があります。 三陽商会のバーバリーもそうでしたが生地の肌触りや縫製はライセンス製品の方が優っていた気がします。
・レナウンもそうですけど今、百貨店で衣料品を買うという事が減ってきていると思います。大手アパレルメーカーの時代じゃなくなった。メーカーによっては早期退職を募って人員削減を図ったり、私が最後に働いたメーカーも婦人服のみでしたがヤングブランドのメーカーと合併し、なくなりました。 一時代を築いたメーカーがなくなるのは寂しいですけど、時代の流れで仕方ない部分もあると思います。今は何のブランドが人気か?なんてわかりにくいかな?と思います。
・もちろんCMもそうだけど、何といってもあの91年のルマン、マツダ787Bで優勝した時のRENOWNのロゴが忘れられないなあ。バブル崩壊直後でとても胸に迫るものがあった。とても寂しい。
・ダーバンもアクアスキュータムも今の流行のシルエットで考えると細身で着づらいけど品質は良い。
クワイエットラグジュアリーにピッタリのブランドだと思うし勿体ない。
・正直なところ、40歳台だとレナウンってもう下火で、噂に聞くCMも生で見てないから感慨も特にない。 ダーバンブランドがまあまあデパートで高かった覚えはあるけど、対抗馬だったオンワード樫山やワールドは現存しているので、よほどやり方が悪かったのだろう。 まったく別件だが、記事の最後の「アパレル業界を凌駕したレナウン」の凌駕はたぶん誤用。たぶん「牽引した」とかが正しい気がする。アパレル業界を超えてどうする。
・昔地元の紳士服売り場で地方のスーパーなのにレナウンの販売員さんが常駐しててスーパーの店員と一緒にスーツのとか接客してた その店員さんと顔見知りになって20代の頃ダーバンのオーダースーツよく作ったな バブル以降そういうアパレル形態が廃れていった感じで寂しい限り
・子供の頃 アニメーターに憧れてた
ブルーハーツの人にやさしくとともに 踊りまくるアニメーションを観てから あのCMがトレースだとしても 自分には動画の才能はないのだと アニメーターになることを諦めた
あのレナウンのCM 白組が制作してたんだな 今見ても凄い
・レナウンと言う企業は、昭和の中頃から女性のストッキングで大きく成って来た会社ですね!レナウン娘、ワンサカ娘のCMは今でも良く覚えております!
どんどんたナイロンなどのアパレル素材、生地を作る会社として発展して行き、ファッション産業のダーバンブランド、トレンチコートのアクアスキュータムなどを買収してファッションブランドの経営も、時代と共に量産スーツ店や、トレンチコートのブームも去って、変化して行く時代の流れに翻弄された企業ですね!
今や女性かパンストを履かなく成って、スーツも着なく成って、トレンチコートなど、一着のコートに10万円~20万円も払って買う時代も無くなって終いましたね!(T_T)
ファッション、アパレル産業の難しさを思います!時代は変化して変わって行きますね!世の移ろいやすさを思います!
・若い頃、I.N.EXPRESSの鮮やかな色遣いが好きで、よく買っていました。 折しも、昨日クローゼットの整理をしていて、もう着なくなったニットを片付け、その中にI.N.EXPRESSのブラウンのパンダのセーターがありました。 クリーニングには出していたけど、3年くらい着てなかったのですがシミが浮いていて、もう処分しようと。 買ったのは31年前の冬でした。 楽しい気分で育児ができたのは、I.N.のお陰かなぁ。
・クローゼット整理をしているとレナウンがライセンス製造していたころのセリーヌの靴下やタンクトップなどが出て来ます。フリマサイトに出品したりしていますが、古き良きってノスタルジーを感じます。皆さんのご家庭にもまだまだたくさん眠っていると思います。
・そうでしたかーいよいよ名前も。
昔、東レの株を買おうかと検討した時期には 同じ繊維業としてレナウンも心には有ったのですが東レを選択。 理由は、シルック着物などから、新素材への期待が大きかったから。
保有後に半分を損切りしたものの 最終的には、東レを選んだ事に後悔はせずに売却できました。
株式投資家としてのみならず消費者としても 一つの会社が出来て、存続して行くことの難しさを改めて考えされられます。
・大手アパレルにおいてはレナウンだけだは無いのですが、ターゲットとする購買年齢層が少子化によりピーク時に半分になっており、しかも購買力も低下しているのも手伝って、ユニクロなどの低価格ブランドに流れた結果です。老舗といえども、ビジネスモデルの変革に失敗して、縮小したパイの奪い合いから締め出されれば消えるのは道理ですね。
・年配の方はレナウン娘のイメージが強いのかもしれないが 私は子どもの頃見ていたライスボウルを思い出す。
当時は社会人アメフトチームも少なく レナウンが毎年出てきていたが 学生にほとんど負けていた。
隔世の感がありますね。
・百貨店販売を中心としたアパレルがよく言えば維持できたのは企業努力があったからでしょう。 ファストファッションが当たり前になり、品質での差がつきにくくなった中にブランドやデザインで差を維持してきたということ。
・さかさまダーバン、ナブラッド!のCMも懐かしいですね。レナウンといえば日曜洋画劇場の提供企業に必ず出ていて、子どもの頃は大人への憧れのような気持ちを湧き立たせてくれるCMでした。
・40年程前に量販店のレディスバイヤーをやっておりました。 その頃はまだレナウンの天下であり、取り扱いをさせて頂くと云う関係でした。私は個人的にはインターメッツオが大好きでしたので、安月給でありましたが、かなり無理をして上から下まで揃えておりました。(高額品でした) あのレナウンがと思うと、なんか寂しいですね!
・真面目に良いもの作っていて、遊びに行く時のワードローブでお世話になったんだけど、経営の舵取りに失敗したのは残念。 ルマン24時間のチャージマツダ787B応援したのを覚えているけど、あの頃がピークだったのかな。 大陸系に関わると、ロクな事ないという事がよくわかったよ。 またいつの日か復活するといいな。
・40数年前、商社入社したての頃、レナウンを神のように崇め奉る部長や小うるさい体育会系の先輩がおりましたわ。 バブル崩壊後かどうかは忘れましたがジリ貧から抜けだすためにニチイ、ジャスコ、ダイエー、サトーココノカ堂への量販店戦略に舵を切ったのがミソのつきはじめだった覚えが。 やがて場違い的な商売、通勤快足が馬鹿あたりしたのが線香花火の最後になり、やがて中国企業に身売り。当たらずとも遠からずだと思います。
・80年代のころ、白人のモデルを使ってCMをバンバン流していたのを覚えている。カネがなかった当時は、ダーバンとかのブランド物は金持ちが買うものと思っていた。その会社がなくなってしまったとは、感慨深いものがある。
・2020年のコロナ騒動で政府から緊急事態宣言が出て外出自粛要請が出たのが惜しまれる。店舗を開けても人が来れないと上場廃止を決断。収益にも期待が出来ていた矢先、これほどの悲劇はなかった。レナウンだけではない。地域における人と人の連携が壊された。政府は盛んにインバウンド回復という金銭需要は成功したが、逆に日本人同士の連携や繋がりは失せた。 有り難いことにレナウンは今でも、R-online“The Shop”で一部のブランドを入手できる。
・レナウンと名前を聞くと思い出すのは、アパレルではなく飲食の方。 昔ね(1990年代)、『レナウンミラノ・アルフィオ』というパスタ屋さんがあったんですよ。 好みの味で、量が多くて、お安くはなかったかな。 当時つき合ってた彼女さん(現在の嫁)とよく行きました。 お店は、その後JTに買収され同じ店名では残っていませんが。
・私は良質なアパレルにはぜひ頑張って欲しいと思っている。だけど、上質な物を大切に何年も身に着ける時代ではなくなったような今では、なかなか難しいんだろうな。 後は装いはゆとりの象徴でもあるので、国民がそれだけ貧しくなったと言うことなのかも。
・昔に比べて流行り廃りが早くなって、良い物を長く使うという風潮が廃れてきている。 なので、高価な衣類じゃなくて1シーズン毎使い捨ての安価な衣類ばかりになっているのかな。
・レナウン娘のイメージが強いですが、町田市にあるクランベリーパークの全身であるクランベリーモールが閉店する際にアーノルドパーマーで購入したニットがレナウン製でした。破産のニュースは衝撃でしたが会社の名前も二度と会うことができなくなるのですね… レナウン破産はアパレル産業に激震が走りましたが、他社も他人事ではありません。
・レナウンといえばイエイエ娘! そして私にとってダーバンは成人式に着た初のスーツ。 そしてダーバンといえばアランドドロン。当時、人気絶頂でした。 当時数億円のギャラを払ったとか?
上京して何もかもが新鮮に見えた学生時代ですが、明治通りにあったレナウン本社はお洒落な雰囲気な佇まいでしたね。
・787Bにデカデカと載っていたレナウンも無くなってしまうのかぁ…。 ダーバンの工場で同じ素材を使ってフルオーダースーツを作ってもらいましたが、そこら辺のスーツとは別格の素晴らしさでした。
・CHAGE MAZDA 787B #55 1991年ルマン総合優勝車 RENOWNが何のメーカーか知らなかったので変な色と思ってました…が、ワークスの白のマシンだったらそんなに記憶には残らなかったかも。 レナウンが消滅しても、55号車が保存されている限りは見ればその存在を思い出しますよ
・レナウンといったら 日曜洋画劇場のイメージ。 確か、バブルが弾けたあたりに レナウンは、番組提供を 降りた気がする
時は流れ、いつしか 日曜洋画劇場も消滅した
日曜洋画劇場は、本編のみならず レナウン、松下電器、 ネッスル(ネスレ)、サントリー等の CMも、なかなかの見ものだった
・日本のアパレルはもう壊滅的状況ですね。実態が不明な品質がいいの一点文句だけでブランドを海外でも通用するものにしっかり育てなかったツケが回りました。 今アパレルで求められるのは3種類で、欧米の超一級ブランド・ユニクロの無難な2級商品・中国の激安3級商品です。日本のアパレル工場はどれにも太刀打ちできません。 人件費のせいでかなり高いのに、ブランド力もデザイン性もない、それが日本製アパレルの現状です。
・年寄りですが、レナウンのスーツとパンツ(昔のスラックス)は夫婦で気に入っていました。自分はスタイルは悪いのですが何故かレナウン製は見栄えがシュッとして見えます。本当に残念です。レナウンのデザインを受け継いだというメーカーが現れないでしょうか。
・レナウンが中国企業に買われた時点で、 頭がクラクラしていたのだが、 考えてみると、 既にブランド力のある多くの事業が、 買われている。
今、中国は景気が悪いので、 維持できなくなっているのかもしれない。
ダーバンの商標は、 捨てるの、もったいないので売りに出すのかね。 フランス語でエレガントだとか何とか云っていた、 アランドロンのCMが最高だった。
・成人式用にダーバンのスーツを買ったら品質の良さに感動。流石にこの値段のスーツは何着も買えないので、一応ダーバンの名前が付いているインターメッツォのスーツを愛用してました。 レナウンという名前がなくなるのはさみしいなぁ。
・40年以上も昔に、学校の企画書作成課題で 子会社のダーバンを訪ね取材しました。当時から繊維不況、 百貨店の凋落が叫ばれていましたが、まさかレナウンがなくなるとは 驚きです。ただし中国の子会社になった時点で勝負あったとは思いましたが。
・レナウンだけでなく、東京スタイルや小杉産業の様なかつての上場アパレル企業が無くなっている、時代の流れを感じる。 レナウンはレナウンミラノというイタリア料理店を、イタ飯ブーム以前から手がけていたね。その意味では昔は時代の先端を走っていた企業だった。
・長年会社していると、新しい環境ができて頭が硬いと流れについていけないんですね、これわアパレルに限ってでわ無いです、これからの経済を分析する庭大変でしょう、時代が変われ場付随するも変わってきます、ますます商売が難しくなるでしょう
・中国企業が絡むとロクなことにならない見本 グループ会社からの焦げ付きに始まり、最後はたった8700万円の手形が落とせず破綻
とは言え、1990年代末期には会社も末期だったから、この頃に整理しておけば良かったのかも 一時は世界最大級のアパレル会社だったのに残念
・1991年の「ルマン24時間耐久レース」にて総合優勝したマツダ787Bのスポンサードが記憶に残っている
マツダ787Bの55号車が存在する限り、あのド派手なチャージカラーも残り続けるだろうかと
・ウィキでしらべたら創業が1902年 レナウンを商標に登録したのが1923年 良い時代の波に乗ったとはいえ一時は大きく成長し 一企業が120年続いた事は凄い事
・レナウンは高度経済成長の波に乗ってただ商品並べてるだけで売れて成長したけどバブルがはじけてから苦労した経験のない人が経営者になって迷走し始めた。メインバンクの住友銀行から小野寺さんを副社長に迎えて立て直しを図ったけどその小野寺さんもすぐ亡くなってしまってからもう糸の切れた凧のようになってしまった。営業赤字はずいぶん前からを考えるとよくここまでもったって感じかな。
・1980年代の就職活動に"ダーバン"紺スーツを買った記憶があります。映画が好きだったので、アランドロンのCM見て買おうと思いました。当時百貨店でも7.8万してましたが、バイトの金をはたいて気合い入れて買いました。懐かしい限りです。結婚後はやはり青山、AOKIが主になりましたね。仕方ないです。笑
・ネットで買う安い服で十分着れてしまう、それなりの値段の服は…今は買わなくてもいいか、と思ったまま気がつけば何年も経ってしまう。 サブスクリプションの方向へいいタイミングで舵を切っていたらなんとかなったりしたのかな。
・80年代、小学校に入る前の頃。 レナウン娘のCMを見ながら、「意味はよくわからないけれど、大人の考えるおしゃれとはこういうものなのか」とぼんやり思ったものです。
最近、そういうCM減りましたね。寂しいような気もします。
・intermezzoが好きで、よく買ってました。
シルエットはもちろん縫製も確かで、買ってからかなり経ちましたが、今でも着れます。
ファストファッションが台頭し、最近ではシルエットも良くなりましたが、耐久性は残念なところ。
改めてレナウンさん、ありがとうございました。
・たまたま、我々のバンドが去年の忘年会で歌った1曲が「ワンサカ娘」でした。当時のことを覚えている人たちは、半分くらいでしかいなかったですけど 皆さんなつかしさで喜んでくれました。 うれしかったです。
・バブルの時のガンガン作って、倉庫も作って・・・ 売れている時代は回っているのだけど 回転が鈍くなると、経費とのバランスが総崩れしてくる ダイエーもそうだし あの時代に、バランスを失った企業は山ほどある 彼らが、私たちに沢山の喜びと楽しさを与えてくれた ルマンを、日本車が優勝するなんて・・・どれだけ歓喜したか そのスポンサーはレナウンだった (さんまさんもCMに出てた、ブランドcharge) 確かに破綻し会社は無くなる、だからと言って 私は批判する事は出来ない それより感謝だ、そしてご苦労様と言いたい
・アメリカンフットボールのチームも率いてライスボールで三が日からその名を見る機会が何年もありました。知人が小杉産業で憂い目にあった姿を知っているだけにアパレルの栄枯必衰を垣間見ました。
・以前取引がありました。 ウチは小売店だったので、よく売らせてもらいましたが、会社(越中島営業所)に行くと印象はとにかくすべてに緩い会社だなあと感じました。 後に会社が傾いていきだしたのを聞いて、やっぱりなあって思いました。
・今の若い人には馴染みがないかもしれませんが、レナウンは日本のファッション業界において先駆者的な存在でした。 経営状態が宜しくなく残念ながら破綻となりましたが、功績は素晴らしかったと思う。 残念でなりません
・バブルの頃の女子の就職の人気だと、オンワード樫山とレナウンが双璧だった。 それから、資生堂もあったな。 CAと併願でレナウンを受ける人も割といた。 アメフトのチームもあったな。 買収されたとかでなく、正真正銘の消滅だもんな。 本当に寂しい。
・中国企業の傘下となった日本企業の末路を人柱となって日本中に知らしめてくれたのは最後の功績 教訓として中国企業から類似する傘下提案を思いとどまった日本企業あると思うよ
・アランドロンさんを起用したCMが特に印象的でした。 彼の台詞は確か「セ、エレガンス!デラ、モダーン!」だったかと思います。 成熟した大人のブランド「ダーバン」は当時の憧れでした。
・アーノルドパーマーの傘のマークの黄色のポロシャツを思い出す。ワニのポロシャツは高くて買えなかった。私は今はポロが好きだ。レナウンの歌が聞こえてくる。よそにあげた猫が死んだ感じだ。
・皮肉にもユニクロは東証プライマリー上場で世界企業として活躍している。 家具屋も斜陽しきっているが、ニトリはプライマリー上場で時価総額約2兆円。 時代変われば品変わるし、時代の変遷は怖い。 時計やレコード、事務機器も同じ轍を踏んだ。 次は自動車に来ているのか。
・コロナが原因だったのか、デパート離れが原因だったのか分かりませんが、しまむら、ユニクロの価格帯と戦略も時代とともに必要だったかも。 ネットでもレナウン商品は安く売っていますから、高い商品は、そっちで購入する人も多いと思います。
・子供の頃CMで楽しませていただきました。 時にロングバージョンとかワクワクしながら見ていたのを今でも思い出します。 消滅、非常に残念です。 当事者の従業員の方々には言葉も出ませんが、 一時代を築かれた会社として有り難う御座いました。
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