( 190513 )  2024/07/13 16:57:27  
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冬の函館本線を走るキハ40形。2024年3月で同線の札幌―旭川間から引退した(写真:Jun Kaida/PIXTA) 

 

 まだ辺りは暗い早暁、真冬の札幌駅。遠くに前照灯の小さな光が現れる。やがて古い気動車がエンジンの音を震わせ、ゆっくりと入線してきた。2両編成の姿は大都市のターミナルには少々場違いだが、あまり人目につかないこの時間だからこその光景にも思える。 

 

【写真32枚】肥薩線や吉都線、日南線、指宿枕崎線九州に残るキハ40系をめぐる 

 

 早朝にもかかわらず、ホームには多数の乗客が待っている。列車が停まり、一息おいてドアが開くとともに続々と人々が車内に乗り込んでいく。朝帰りと思われる若者の男女、これから仕事にいくのだろう背広姿の男性、そしてこの列車を目当てとする鉄道ファン。 

 

 札幌5時54分発、旭川行き普通列車。電化されているこの区間に古ぼけた気動車が充当されるのはこの1本のみだった。 

 

■郷愁を誘う昭和の気動車 

 

 2024年3月のダイヤ改正に向けたJR北海道の2023年12月15日付プレスリリースには「石北線と釧網線の快速・普通列車すべてをH100形電気式気動車に置き換えます」との記載があり、その内容には函館本線の札幌―旭川間も含まれていた。 

 

 私が乗車したのは1月4日で、古い気動車が走行するのはもう残りわずかとなっていた。 

 

 この車両はキハ40系といい、国鉄時代の1977年から1982年にかけて888両が製造された当時の標準型気動車である。北海道の厳しい環境の中で40年以上を経て、改造やメンテナンスは施されているものの老朽化は隠せない。けれども、昭和の雰囲気を残した手差しの行き先表示、青いモケットのクロスシート、むき出しのネジや蛍光灯、寒冷地北海道特有の二重窓、乗降口とデッキで仕切られ包みこまれるような客室は郷愁を誘う。 

 

【写真】肥薩線や吉都線、日南線、指宿枕崎線…九州に残るキハ40系をめぐる旅、どんな行程で回った? (32枚) 

 

 定刻になり列車は静かに動き出す。大都会を進むが、ほんの10分ほど、厚別を過ぎる頃にはビル群も途切れ、周りは真っ暗となる。道路脇のオレンジ色の外灯だけが浮かび、ときおり通る車のライトがまだ夜の風情だ。 

 

 仕事に行く人だろうか、大麻、野幌と駅々で地元の客が乗ってくる。けれども車内はみな無言で、ディーゼルエンジンの音と雪でくぐもったレールの響きだけが聞こえてくる。 

 

 

 6時半を過ぎると、遠くの空がほんのり明かりを帯びてくる。地平線に近いところは赤く、上方に向かうにつれ薄い青から濃い青となる。岩見沢に到着する頃にはすっかり明るくなった。辺りは雪深く、民家の壁面に反射する朝日が眩しい。 

 

 滝川から大学生くらいの若者が多数乗ってきて、車内の空気は朝の活気へと変化していく。深川を過ぎ、断続的に続くトンネルをくぐると、やがて大きなビル群が見えてきて終着の旭川に着いた。 

 

 さらに旭川からは石北本線、新型のH100形で上川に向かい、11時8分発の遠軽行きに乗車した。この列車もキハ40系で、終点の遠軽で網走行きへと変わる。私は上川から網走まで、さらにおよそ5時間、この車両を味わったのだった。 

 

■確実にキハ40に乗れる路線は?  

 

 かつては全国で活躍したキハ40系も数を減らし、すでにJR東日本やJR東海では走っていない。JR北海道でも2025年3月で定期運行から引退する予定だ。2024年夏の時点で、確実にキハ40系に乗ることができるのは以下の路線である。 

 

■JR北海道 

・根室本線:滝川―富良野間 

・函館本線:函館―長万部間(ただし函館―森間にキハ150が1往復存在) 

(第三セクター)道南いさりび鉄道 

 

■JR西日本 

・播但線:寺前―和田山間 

・岩徳線 

・山陰本線:城崎温泉―浜坂間、長門市―下関間(ただし人丸―滝部間は災害で現在不通) 

・山口線 

 

■JR九州 

・日田彦山線:小倉―添田間 

・唐津線:西唐津―佐賀間 

・長崎本線:諫早―肥前浜間 

・吉都線 

・肥薩線 

・日南線 

・指宿枕崎線:指宿・山川―枕崎間 

 キハ40系には、車両の両側に運転台があり1両で走れるキハ40形、片側だけに運転台があるキハ47形とキハ48形(ドアの形状と位置が異なる)の大きく分けて3タイプがある。いずれにせよ、地元の方からすれば新型車両のほうがよいはずで、旅行者の勝手な郷愁でしかなく、むしろ置き換えは遅いぐらいである。静かに見送るほかはない。 

 

 

 私はサッカーJ2リーグのジェフユナイテッド市原・千葉を応援している。2024年の日程を見て驚いた。3月だけで6日(水):鹿児島(ルヴァン杯)、16日(土):鹿児島(リーグ戦)、30日(土):熊本(リーグ戦)と、九州での試合が3回もある。このような日程は意地でも行きたい。それに先に挙げたJR九州の3路線に乗ることができるではないか。 

 

 そこで、1回目:肥薩線・吉都線、2回目:日南線、3回目:指宿枕崎線と狙いを定めた。 

 

 1回目は、水曜夜の試合と金・土曜のキハ40乗車を組み合わせた旅だ。アウェイ水曜ナイターはハードルが高い印象があるが、リモートワークの普及によってむしろ出かけやすくなった。仕事を調整して休暇を1日だけ取り、水曜と金曜の午後に振り分ける。水・木曜を鹿児島で2泊、つまり水曜の午後便で出発し観戦、木曜は1日仕事に充て、金曜の午後から肥薩線・吉都線の旅に出た。 

 

 ルートは以下の通りだ。 

 

鹿児島中央→(日豊本線)→隼人→(肥薩線)→吉松→(吉都線)→都城→(日豊本線・日南線)→宮崎空港 

 

 この際は片道切符(3870円・2日間有効)を購入した。九州にはすべての鉄道の快速・普通列車が乗り放題の「旅名人の九州満喫きっぷ」(3日分1万1000円)があるが、今回は2日間にわたるので、旅名人きっぷを使うより乗車券を買ったほうが1日あたりの金額が安くなる。 

 

■南国のキハ40に乗って 

 

 3月8日金曜日、午前中の仕事を終え、肥薩線の起点である隼人に向かった。春らしく青空が広がり、車窓から錦江湾に浮かぶ桜島がよく見えた。 

 

 14時36発吉松行きは、キハ40形の出力を増強したキハ140形という単行で、銘板には「新潟鉄工所 昭和55年」とあり車体は煤だらけであちこち塗装も剥がれている。南国である九州、同じ形式とはいえ北海道のそれとは違い、ドアと客室の仕切りもなく開放的で、座席の上の網棚に古寂びた冷房装置が取り付けられている。乗客は数名、車内には柔らかい陽が射し込んでいる。 

 

 列車は明治36年開業、100年以上経ち登録有形文化財に指定されている嘉例川駅、大隅横川駅を通り、1時間で吉松駅に到着した。近くの保育園の遠足なのか、小さな子どもたちがわらわらとホームで待っていて微笑ましい。 

 

 

 ここで吉都線に乗り換え2つ目の京町温泉で降りて、川内川沿いの宿に泊まった。 

 

 翌朝は8時30分発の都城行きに乗車。これを逃すと13時29分となってしまう。客は男子高校生が2人。小林から乗客が多くなる。女子高生の2人組がブラインドを下げる。彼女らにとっていつもの景色に興味はない。その後、都城で日豊本線に乗り換え、宮崎空港から帰途に就いた。 

 

■明治の木造駅舎とキハ47 

 

 2回目の旅は日南線のキハ40系に乗る。翌週の3月16日(土)、再び鹿児島空港に降り立った。空港からほど近い肥薩線の嘉例川駅に向かう。土日祝日に駅弁が売られており、それも目当てだ。素朴だけれど地元の野菜がふんだんで食べごたえもあり、2年連続で九州駅弁グランプリを受賞している。 

 

 駅前の公園で春風に吹かれて箸を進めていると、ときおりうぐいすの声が聴こえてくる。やがてやってきた隼人行きはキハ47形の2両編成であった。 

 

 この日は鴨池に宿を取った。鴨池には白波スタジアムも大隅半島に渡るフェリー乗り場もある。試合は先日に続き敗戦。翌朝、垂水に渡る。あいにくの雨ですぐ近くの桜島も見えない。このフェリーはうどんが名物で、乗船時間は45分と短いが客はこぞってうどんを啜る。 

 

 垂水からは路線バスで日南線の起点、志布志に向かう。志布志までは1時間半ほど。乗客はほとんどいない。この路線の中心地、鹿屋を通る。かつて国鉄大隅線があったが、1987年に廃止された。車社会らしくロードサイド店舗が充実しており、鉄道の面影はない。 

 

 13時29分発、油津行きはキハ40形単行だ。雨模様、一面だけのホームにポツンと古びた気動車が停まっている姿は絵になる。志布志湾、日南海岸を眺めて終点の油津に到着。すぐに接続する南宮崎行きに乗り換えていく人が多いが、私はこの駅で降りた。 

 

■「カープの駅」で途中下車 

 

 広島カープのキャンプ地であり「日本一のカープ油津駅」との看板が出ている真っ赤な駅舎。ここには地域活性化の話題になると成功例として経産省などの資料に出てくることで知られている商店街があるので一度訪れてみたかった。 

 

 

 
 

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