( 190555 ) 2024/07/14 00:00:58 2 00 独りで戦い、生き抜いた――〝安楽死〟した日本人女性 病による耐え難い苦痛と、頼ることをできなくした家庭環境TBS NEWS DIG Powered by JNN 7/13(土) 18:02 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/a88d59ffbeaa3f735f777d37a61a777f132df3d1 |
( 190558 ) 2024/07/14 00:00:58 0 00 迎田良子さん
「安楽死することは悲しくない。やり残したことは何もないし、本当に幸せな人生だったの。私のゴールはここ。やっと夢が叶うのよ」
【映像】「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人、「生きるのを諦めた」男性の選択、「生を選ぶ社会に」難病患者の訴え
スイスのある施設で、まもなく安楽死を遂げようとしていた迎田良子さん(64)は、一点の曇りもない、晴れ渡った表情をしていた。
迎田さんと西村記者
記者として、他人の人生に、ましてや、その人の命の決定に口を挟む資格はない。そのことを重々理解しつつも、私は「あなたは死が差し迫っているわけではないし、まだ生きられると思うんです」と問いかけた。迎田さんの中に生きる選択肢がわずかにでも残されていないかを確認したかったからである。
「誰かに頼って生きるなんて嫌なのよ」。澄んだ瞳で、そう話す迎田さんに、私は返す言葉を持ち合わせていなかった。なぜなら、私はこれまでの取材を通して、彼女が生きてきた「過酷な人生」と、それでも、たった一人で自身の人生を切り拓いてきた「誇り」を、知っていたからだ。
ほどなく、医師から処方された致死薬が入った点滴のバルブを自ら開けて、迎田さんは永遠の眠りについた。(TBSテレビ 西村匡史)
迎田良子さん
2022年1月、当時ロンドン特派員として安楽死の取材を続けていた私のもとに、日本にいた迎田さんから突然、メールが届いた。
進行性の難病、パーキンソン病を患っているという迎田さんは、スイスで安楽死する決意を固めていた。日本では認められていない安楽死の法制化を望み、「お伝えしたくて声を上げました」と自身の取材を通して、そのことを考えてもらうきっかけにしてほしい、と考えていたのである。
メールには「私は、神経難病で、時には激しい身体の痛みを伴う不快な進行と薬漬けで少しの緩和でありながら、週21時間の障害者雇用を生活の為、何とか今はやりこなしています」と記されていた。
それ以降、イギリスと日本の間で、数十通にわたるメール、時にはzoomで連絡をとりあった。そして22年夏、安楽死の許可がおり、12月にスイスで安楽死する予定が調整された。
安楽死を思いとどまることはできないのだろうか。22年11月、私はロンドンから東京に向かった。
迎田良子さん
都内の自宅で初めて会った迎田さんは、屈託のない笑顔で迎え入れてくれた。安楽死という言葉からは、悲壮感に溢れたイメージを想起させるかもしれないが、むしろ、颯爽とした印象さえ与えた。
「もっと暗い人間を想像していたでしょ。でも、もう私の寿命だし、後悔がないのよ。最後の日が決まったから、かえって充実しているの」
パーキンソン病患者の迎田さんは7年間、闘病を続けてきた。パーキンソン病は手足が震え、徐々に体が動かなくなるなどの難病だが、それ自体で死に至る病ではない。
1日の生活を同行してみると、ほぼ全ての場面で病気の影響が垣間見えた。歩くと膝が曲がってしまうため、常に前かがみの状態で歩を進める。スーパーマーケットで品物を買うときは、お金の受け渡しが困難だ。手が震えてしまうため、料理の際は傷つけにくい包丁で、体重を乗せて食材を切った。
「何を食べても、どんなリハビリをやっても、体が次第に動かなくなっていく、進行性の難病の現実を思い知らされた。今ここで安楽死の決断をしないと、飛行機に乗ってスイスに行くことさえできなくなってしまう」
彼女にとって数少ない息抜きは、喫茶店でコーヒーを飲むことだった。しかし、行きつけの店で、飲み物を運ぶ際、手が震えてコーヒーが周囲に飛び散ってしまったことがあったという。
「周りにいた人たちがみんな、嫌な顔をしてそっと立ち上がって、私の席から離れていくの。ああ、もう、こんなこともできなくなった。楽しみがどんどん奪われていくんだなと思うと、悲しくなっちゃって」
迎田良子さん
迎田さんを特に苦しませたのは、病気による「痛み」や「呼吸不全」だという。それらの症状は前触れもなく突然、やってくる。就寝中でも激しい頭痛に襲われて目を覚まし、そのまま夜を明かすことも。一晩中、頭をバンドで締め付けられるような痛み、そして、息苦しさが続くと「このまま呼吸が止まって、死んでしまいたい」と何度も願ったという。
あまりの辛さに一度だけ救急車を呼ぼうと電話をしたが、指令員に「病気が原因だから手の施しようない」と断られたこともあったと話す。
また、血の気が引くようなめまい、吐き気、慢性的に続く不快感にも悩まされることに。進行性の難病であるため、薬を強くしても効き目が悪くなり、貼り薬の影響で皮膚がただれていた。
「この病気は外見からは症状や辛さをわかってもらえないから、理解されずにずいぶん傷ついた。眠ることができないほどの痛みと息苦しさ。さらには言葉では言い表せない不快感と、一生を共にする気はない」
高校時代の迎田さん
1958年に都内で生まれた迎田さんは、小学生の頃、両親は不仲で、母は家に不倫相手の男性を頻繁に連れ込み、父の不在時には泊まらせることもあったという。その男性に暴力を振るわれることもあったが、母はただ見ているだけで、かばってくれなかったと話す。
中学生の時、両親は離婚し、母親に引き取られた。かまってほしい気持ちから「生きがいが見つからない」などと相談すれば、母は「死ぬんだったら、お金がかかるから電車に飛び込むのだけはやめてくれ」と返すような人だったという。炊事や洗濯の家事は迎田さんが行っていた。
「家庭に居場所がなかった」迎田さんにとって、テレビで洋画や紀行番組を見て海外の文化に触れることが、唯一、心を明るくする時間だった。将来は海外で仕事することを夢見ており、家を出て自立したときのことを「戦場から逃れられた」と振り返る。
迎田良子さん
英語の専門学校を卒業後、翻訳など海外に関われる仕事を中心に生計を立てた。30代になって、日本人の男性と結婚。荒んだ幼少期だったからこそ、温かい家庭と子どもをもつことを強く望んだという。そして、30代後半で待望の子どもを授かった。
「なかなか子どもができなかったので、妊娠したときは本当に嬉しかった。小さな子どもが大好きだったから。私は幼少期が辛かったから、そうならないように愛情をかけて育てたいと思った」
しかし、我が子をその胸に抱く夢は叶わず、流産してしまう。
さらに、流産したときの手術の経過が悪く、医師に「子どもを産めない体になった」と告げられた。
迎田さんはその後、夫と離婚した。
迎田良子さん
念願だった子どもを諦め、離婚も経験した迎田さんだが、それでも前を向こうと懸命に努力した。海外で日本語の講師をするなど、憧れだったヨーロッパと行き来しながら、幼い頃からの夢を切り拓いていったのだ。
そして、航空会社のフライトエンジニアをしていた1人のフランス人男性と出会い、10年以上の交際期間を経て、結婚の約束も決まった。
そんな矢先に、パーキンソン病を発症してしまったのだ。婚約者は日本にまで来て一緒に暮らす道を探ってくれたが、彼自身も肺の難病を患っていて、「難病患者同士が介護することは無理だ」との結論に達し、婚約は破断になったという。
「当時の夢は新しい家庭をもつこと、自分の居場所を見つけること。難病を患ってしまい、今までの人生で築き上げてきたものが壊れたなと思った」
迎田良子さん
難病を患ってしまったが、「生きることを最優先」に、病気の進行を食い止めようと手を尽くしてきたという。
病気に効果があるとされる食事は毎日でも取り、強い副反応が起きる薬でもあきらめずに服用し続けた。西洋医学だけでなく、東洋医学まで自分で調べ、なんとか一人で生きていく道を模索したという。
しかし、病気の進行が止まらず、むしろ「痛み」や「呼吸不全」といった迎田さんにとって耐え難い苦痛が増えていく。
「ああいう家庭環境で育ってきたから、人に甘えるのが下手くそなのよね」と話す迎田さんは、周囲に支えを求めることもできず、苦しみと正面から向き合うなかで次第に追い込まれていき、ついに安楽死することを決断した。
日本では安楽死が認められていないため、海外で安楽死を認めてくれるスイスの団体「ライフサークル」(現在は新規会員の受け入れを終了)を自ら探し出して申請し、許可が下りた。
「7年間、苦しんだ末に出した結論。痛みや息苦しさを誰かが取り除いてくれるわけではない。一生懸命生きてきたけど、私はもう安楽死を選ぶしかなかった。安楽死は『最後の手段』だと思う」
迎田良子さん
2022年12月、安楽死するため、スイスのジュネーブにやってきた迎田さんは、かつて恋人と訪れたというフランス料理店に入った。レストランで食事をすることは、2年ぶりだという。震える手でもったスプーンで、前菜を口に運んだ。
「美味しい。最後に思い出のレストランで食事することができて、私、本当に幸せ」
しかし、メインの料理がテーブルに運ばれようとしていたその時、突然、迎田さんがこめかみを押さえて表情を曇らせた。顔色がみるみる真っ青に変わっていく。
「ごめんなさい、私、急に頭痛と吐き気が出てしまって。これ以上、無理だから、私の分を食べてもらっていい?この病気の特徴なの。ある時、突然、こうやって症状が出るのよ」
迎田さんは駐車場に停車してあった車の中で2時間ほど横たわり、症状の回復を待った。
彼女の病状を目の当たりにして、私はそれまで幾度となく話を聞きながらも、その深刻さを十分に理解できていなかった自分に忸怩たる思いがした。
「最後のご馳走」と言って楽しみにしていたメインの料理を、彼女が口にすることはなかった。
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( 190557 ) 2024/07/14 00:00:58 1 00 (まとめ) 多発性骨髄腫で余命3年と宣告されながらも自分の最期を自ら決めるため、スイスの安楽死施設を見学に行くと決意する人や、強い人とされる女性が安楽死を選ぶ尊厳を語る声があります。 | ( 190559 ) 2024/07/14 00:00:58 0 00 ・自分は多発性骨髄腫で余命3年と言われてます。現時点では、普通に生活が出来ていますが每日不安でたまりません。家族もありません。寝たきりになるなら、自分の最期は自分で決めたいと思い、スイスへ施設の見学に行くつもりです。せめて、日本でも死ぬ権利を認めていただけたら、もっと前向きに、気楽に生きられる人もいるのになぁと思っています。自分には間にあわないだらうけど、こういった議論が進んでくれたら嬉しいです。
・自分はいろいろあって、自宅を出ている。家族や子ども達に会いたい、でも家は自分の居場所ではないとわかっている。「逃げながら」生きている自分よりも、この女性はしっかり生きた、強い人だと思う。安楽死を選ぶ、それは弱いから、行き場所逃げ場所がなくなったから選ぶ、ではないのですね。いかに最後まで自分らしく有るか。自分自身に対しての尊厳だと思う。
・本人の意思で死ねる制度を、早く作っておかないと、困るだろう。 超少子化・超高齢化で、介護など追い付かなくなるのは明らかだ。
本人の命は本人の物だ、本人の好きなようにする権利がある。 自分はそう思う。
安易な自殺でなければ、治療見込みが無くなった時点で、本人の意思を尊重する制度の、制定に向けてそろそろ動かないと、間に合わないのでは?
・自分も耐えられない程の痛みに襲われるのか、痛みに耐えられるだろうか、不安だ。終末期が怖い、病院では今はいい薬があるからとか、昔の薬より効くだとか言われたけど未知のものだし、個人差もあるだろうからね。スイスに行かなくても、こういう制度があったらいいのに。自分でバルブを開いてっていうのは『ん~』てなるけど、頃してくれぇっていう程の痛みなら躊躇なくバルブを開くだろうからね。テレビで見たけど、全身麻酔で落ちる時と同じようにスーっと息を引き取ったから苦しみも無いのかな。
・私は、喘息患者です。 今は薬でコントロールしてます。 でも、発作が起きると呼吸ができなくて、死の不安に襲われます。 一度は、術後麻酔が覚めて、酸素吸入を外された後、呼吸ができなく看護師もいず、意識が鮮明なだけに恐怖そのものでした。 ボタンを押して直ぐ看護師が吸入をしてくれたので、間一髪で助かりました。 夜中に、発作が起きた時は本当に怖いです。 吸入しつつ、救急車を依頼しますが、生きた心地がしない、いつかは呼吸不全で死に至るのは覚悟してる。
・正解のない問題。 安楽死だけでなく、臓器移植、生殖医療など、人の命に関わる問題について、日本は自国で答えの出ていない、あるいは他国と判断の異なるようなときに、当事者の苦しみを海外に委ねてしまっているところがありますね。 日本人は生命について西欧のように合理的に考えられないところがあるし、「普通」から外れてしまう人のことを考えることが苦手な面もある。 また、お金があるかないかでも、日本でも他国でも道が分かれてしまうこともある。
医療関係の方も日夜努力されていると思いますが、今は治せぬ病が少しでもなくなることを願うばかりです。
・この方の人生に、敬意と哀悼の意を捧げます。 本当に壮絶な人生、それでも必死に生き抜き、自分の人生を、本当に良い人生だったと思って、自分で終わることを選択された。 人間生きていたら、いろんなことがあります。 周りの人には伝わってないかもしれないけど、それぞれにたくさんの辛さや苦しさがある。それでも、わたしは死ぬ時に『良い人生だった』『幸せだった』と思えたら、それは最高の人生だったと言うことではないかと思う。 この方は辛いことも多かったと思う。それでも最高の人生だったのだろう。 安楽死は、人間の尊厳として、日本でも議論が進んでほしいひとつではあります。この方が過ごされた最期の時を、この方がどんな気持ちで最後を迎えたのかをわたしも1人の人間として、考えていきたい思いました。
・自分で死に行くタイミングが選べるなんて素晴らしいことだと思います。もちろん誰もに選ばせてくれ。というわけではありません。命を粗末にしていいという話でもないです。命さえあればなんとかなるなんて所詮綺麗事。本来なら死ぬほどの病気だったのに今の医学だと無理矢理にでも助けてしまう。生きたまま生き地獄になるなら、本人の意思があるうちに、安らかに眠れる選択肢があったっていいと思います。
・日本も安楽死を可能とする法が必要だと思います。が、ただし条件も必要と思います。ただ、死にたいでは✕ですね。生活が出来ないでは✕です。病気で働けないとか仕事が辛いとかも!許可を与えてもいいと思うのはこれらの難病で仕事は出来ないのに多額の治療費も払われない方。今の日本の制度では、生活保護制度はありますがそれは最低限の額で病院に行きたくてもタクシーも使えられません。医療費の保護もありません。難病を患って生きていくのも困難な方には安楽死の許可を出してもいいのでは?このような生きていくのが困難な方に限り政府がその方の生涯を見ると言う法は何故ないのでしょうか?何のために国に税金を払っているのでしょうか?自民党与党の使いたい放題、防災に関してもまだ未着手の所も多く、そもそも福祉に関してはほぼ無視!例えば、高齢者、障害者の公共機関の使用料は無料、それに関する施設の使用料も無料!
・少し記事から逸れるかもしれない。 先月、家族の終末期処置について自分はサインをしなければならない立場になった。
酸素や栄養は既に投与してたけど、呼吸が難しくなった時に気管挿管や切開をするかと、蘇生処置をするか。
担当医の説明では挿管したら手足を拘束することになり、苦しい時間が延びるということ、蘇生の心臓マッサージなどで殆どの肋骨は折れてしまうことなどの説明があった。
本人がどう思うかを考えながら、これ以上傷めたくないと思い、その一切をしないと決めサインしたが、もし考えが変わったらいつでも変更出来るとも言われた。
苦しまず眠るように旅立ったけど、今も正解がわからない。
・過去に悪性腫瘍を患いました
4ヶ月ほどの抗がん剤治療で、点滴に繋がれて、治療をしながらも命を削らされらるような辛さは二度としたくありません。
まだ40代でずが、もし再発したら治療はしないと家族には話しています。
苦しみながらただ永らえるための延命措置なんて、本人にも家族にも負担でしかなく、自己満足や責任逃れにしか思えません。
それなりに厳しい基準を設けての安楽死制度を望みます
・今日、脳梗塞で寝たきりになり、栄養もチューブで流し込まれるだけになった母を見舞いに行ってきました。もう私が誰かもわからなくなっているようなのに、他に致命症となる疾病もなくただ生きているだけ。最近は自分はどのように逝くべきか、よく考えるようになりました。自分は大丈夫とか、他とは違うと思っているのは自分だけ。他界した父もそうでしたが、現実から目を背けていると、その時がある日突然やって来ます。自分の意思で尊厳死を選ぶことも重要な選択肢のひとつだと思います。
・この選択肢に辿りつくまでが彼女の旅と人生だったのか、なんて思うような話だった。 英語を学ばない、海外へ行かないなど、どこかで諦める選択をしていたらこの道に辿り着かなかったかもしれない。(少なくともこの情報に辿り着き、1人で交渉し、そこへ行ける日本人は今ほとんどいない気がする…)
頭が下がります。どうか安らかに。そして情報を共有してくださり、そんな人生、そんな選択肢がある事を教えてくださりありがとうございます。
・この方のドキュメンタリーも、別の方の安楽死のドキュメンタリーも拝見しました。 回復が見込めず、自分であるままに終わりを迎えたい、自分が自分でなくなる姿を家族に見せたくない、自分であるうちに家族にその記憶を残したいという気持ち、痛いほどに感じました。 法整備や意見は色々ありますが、国内で安楽死ができるなら、他国に行く時間を加味するより長く生きる時間を使えたかもしれない。 それを考えると国内でということも考えていくべきと思います。 勿論反対団体の方の意見もわかります、議論はしていくべきだと思います。
・私は自力でご飯が食べられない、寝たきり、トイレに行けない、コミュニケーションがとれないってなる状況になったら尊厳死として選択できる制度が欲しい。もちろんそれを必ず選ぶわけではない。ただ、いざ絶望の淵になったときにその選択があるだけで心が救われたり、人生もっと前向きに思い切り過ごせると思う。漠然と将来を不安視してる人って結構いるだろうからこういう制度の議論だけでも少しずつ始めてもいいと思います。
・生きることは尊い、自分の力でこの世に生まれてきたわけではないのだから自分の命を自分の意志で終わりにしてはいけない、それはわかります。正しいです。 でも、精神的ではなく、肉体的に、身体的な痛みを伴って生きるのが困難な人にそれ以上生きることを強いるのは、何のためなんでしょうか。
私は大学で救急救命を学び、今は間接的に命と関わる仕事をしていて、命がひとつなくなることの重さは理解しているつもりです。でも、日本で安楽死を認めることを本気で議論すべきだと思います。
・日本でも今後の事を考えて議論するべき内容なのかなと思う。 自分は父親を膵臓癌で無くして少なからず見た光景から感じたのはかなり複雑な心境だったなと。 痛いと言う父とそれを紛らわす為の薬の投与の繰り返し。 これって父親は最後まで幸せだったと言えるのかなと。 本人の口から出た「死ぬのは怖くないけど痛いのが本当に嫌だ」と言う言葉が忘れられないんだよな。 そこまでして生かす事が本人にとって本当に必要な事だったのか今でもよく考える。
・この方のことはテレビで見ていました。
安易に安楽死を選択してはならないと思うが、 耐えがたい苦痛や治る見込みのない難治性の病になったら、 私も安楽死…という選択肢が頭に浮かぶと思う。 「頑張って生きようよ」「命を粗末にしてはいけない」 と言われても、その壮絶な痛みや苦しみを受けるのは自分自身ですもんね。 耐え抜く気力がないと思う。 借りに耐え抜いても、死しか待っていないなら 遅かれ早かれってことですもんね。 日本でも本格的に「安楽死」を議論する時期じゃないだろうか。
・別の番組ではこの方と連絡が取れなくなって、死後に番組ディレクター(だったかな)に手紙が届いていたと記憶しています。なぜ連絡が途絶えたのか不思議に思っていましたが、TBSが密着していたんですね。生い立ちのことや呼吸が苦しくなる症状については、その番組では紹介されていなかったように記憶しています。 私は死ぬこと自体よりも死に至るまでの苦痛が怖いです。苦しくて救急車を呼んでも処置できないからと断られるなんて、絶望したと思います。スイスに行くお金がなければ、別の手段で自死を考えるほど追い込まれていたのではないでしょうか。 安楽死制度があれば他の手段で自殺するよりも本人の苦しみが少なく済みます。周りへの影響も他の手段に比べて少ないです。(電車も止まらないし、巻き添えになる人もいない。特殊清掃も不要。)日本でも早急に安楽死の議論を始めて欲しいです。
・パーキンソン病の身内がいます。 それはもう見ている方も辛くなってしまうほどです。良くなる見込みどころか少しずつ少しずつゆっくりと悪化していき、突然襲ってくる発作のような症状に日常生活もままならず、絶えず泣き悲しんでいます。安田さんと同じ様に早く終わりにしたいが口癖です。 いつまで病で苦しめばいいのか先が見えないのなら、自分で納得できるのなら、日本でも安楽死が可能になると良いと思います。 簡単にはいかないでしょうがまず議論を始めるべきです。
・観ました。この女性の凛とした姿には強さも感じ難病を患っている事など感じませんでした。 フランス人の元婚約者に最後の立ち会いを頼んだら断られて…もし、元婚約者が最後にそばにいてくれたら…決断が揺らいで生きると思っていたのではないかと思いました。そうなってしまったら、また、病気に苦しむ辛い悲しい日々になってしまう。すべてが彼女を生きる方向へはいかないようになっていると思ってしまいました。私も忘れられないです、テレビで観ただけの彼女の姿が。
・自分の人生に関して選択権、決定権があることが、人間として最大の幸せだと思います。不安な状態、弱っている状態での選択は、概ね後から後悔する。でも、やり尽くした、達観した状態での選択なら、他人にとやかく言う理由はない。 この方のインタビューでも、ご自分の人生に悔や後悔はないんだな、というのを強く感じました。この方の選択を尊重できるような世界になってほしいです。
・私の母もパーキンソン病でした。若かった事もありDBSという手術もしましたが、症状はあまり変わりませんでした。身体が動かなくなり、痴呆などが出てきた時私はその状況を受け入れられず、随分な態度を取ってしまったと今となっては後悔してます。自分が母と同じ病気だと言われたら、この方と同じ決断をすると決めています。父と兄妹はいますが、私は独り身なのでそれが1番迷惑かけない方法だと。ただその為に‥と思い働いてお金を貯めるのはしんどいから 、元気な老後を迎えるためにと思いがんばってますw 日本も自分の未来は自分で決められる様になりますように…。
・介護職をしていました。 色々な利用者様が居て、色々な最期をお見送りしてきたけれど、 やはり安楽死は必要だと思う。 一つ目は本人の意思の問題 二つ目は家族への負担 三つ目は社会への負担 どれをとっても死にたいと本人が言っているのに生き永らえさせるということには何のメリットもないのだ。 死なせたくないという家族のエゴ(金銭的問題も絡む)で本人が苦痛を長く味わうことも多い。 安楽死という選択肢を法的に整備すべき時が来ていると思う。
・身内の夫婦を若くして同時に亡くしました。 昨日まで元気にしていた人たちがある日突然この世から去り、仕事の引き継ぎもできず、残された子供たちの養育問題などが発生し、部屋の片付けなどもできず、お別れも言えず。 寂しさは当然ありますが、それ以上に手続きや考えるべきことを、本人たちに確認することができず手探り状態でやらなければならないので本当に大変でした。
それと比べることでもないのですが、この方は準備を整えてから旅立つ日を決められた。 病気のご苦労は大変だったと思いますがある意味幸せだと思います。
・この記事を読んで涙が出ました。 よく働き懸命に生きた聡明な女性なのにどうしてこんな目に遭わなければいけないのか…。 スピリチュアルみたいな話になってしまいますがもし来世というのがあるなら今回よりずっと幸せな人生を歩めますように。 …と書いていて気付いたけど、この方は自分で幸せな人生だったと言ってますね。 人生良い時悪い時ありますが、本人が良い人生だと言うんですから良いんでしょう。 とにかく、ご冥福をお祈りします。
・この方のドキュメントを拝見しました。とても聡明でお綺麗な方でした。思い通りにならない身体で誰かに頼ってまで生きたくないという強い意思を他人が止める権利があるのだろうか、、と考えさせられました。最期、何の迷いもなく死を選んだ姿を見て苦しみから解放されて良かったと思わずにいられなかった。日本で安楽死が認められる日がいつか来る事を願います。
・数年前に母を亡くしました。蘇生の処置はしないにサインをしました。けれど、余命僅かな母の体は管だらけ。飲まず食わずの体に栄養の点滴はどんどん流し込まれます。栄養の循環ができない体は、見たこともないぐらい水分でパンパンに腫れ上がりました。点滴はやめてあげてと泣いてお願いしましたが、ダメでした。まるで拷問を受けているようでした。生きる見込みのない人間に行うあの行為は、本当に医療と呼べるのでしょうか⁈今でもあの姿を思い出すと涙が出ます。点滴地獄から母を救い出せなかった自分を責めてしまいます。過度な医療行為と対極にある安楽死、時には必要なのかもと考えさせられます。
・自分も難病と重度視覚障がいをかかえているが、誰にも迷惑をかけたくないという気持ちは同じだ。 これは健康に恵まれた人には、高齢になるまで考えに至らないようなことだろう。 しかし幼少より重い病にかかっている人間は、常に背徳感がある。 こんなふうに生まれなければ、誰かを頼らなくてよかった。 親も悲しまなくて済んだ。 そういう考えたくない気持ちであふれることがある。 だから取材者の言葉の掛け方は心が痛む。 それが仕事なのだろうが、大きな苦痛を伴う病は特に生きているのが辛い。 精神的に病んだ、肉体の一部が欠損した。 そういった人たちも確かに辛いが、何もしなくても誰かに多大な迷惑をこうむってしまうように生まれた人間は、それそのものが本当にきつい。 だから想像や妄想で物語を書いてる人の文面をみても、まるで理解していない面を見ると悲しくなる。 人の死も生も決して平等なんかじゃない。
・猫に置き換えるのはどうかと思うのですが、昔実家で飼っていた猫が腎不全に なりました。ご飯を食べないので週に2~3回獣医に点滴と注射しにいってました。もともと獣医が嫌いなうちの猫にとっちゃストレスこのうえない まして痛い注射まで打たれる。でも少しでも長生きしてほしい・・と当時は思ってました。そこまでして猫に負担かけてお金の負担かけて 苦しんで半年で死んでしまうまでは・・こんな辛い思いさせて半年だけ延命させるのは人間のエゴではないか・・と思うようになりました。
・在宅の看護師をしています。 今まで、病院でも在宅でも多くの患者さんの死に立ち会ってきました。癌や難病と戦う痛みや満足に呼吸が出来ない苦しさを目の前で沢山看てきましたが、その度に、自分の最後の終わり方を考えてきました。 自分の人生の終わり方に選択肢は皆無なんですよね…苦しみって、どんなに傍にいても真から分かってあげることが出来ない。 看護師でいながら不謹慎な考えかもしれませんが、自分の人生の終わり方に選択肢があってもいいと思います。難しい問題ですけど、議論はするべき問題だと思います。
・死生観は人それぞれ。自分事ならまだしも、他人の生死の在り方について、良いも悪いも判断し難い。
日本では、いわゆる殺人はNGで争いはほぼない。そして、同意殺人や嘱託殺人については、やや肯定の意見もあるが、基本的にはNGとしている。そして、単純自殺に関してはNGだが、余命が宣告されているような場合の尊厳死や安楽死に関しては、許容する傾向が強い印象。
個人の判断を優先するべきとする一方で、宗教的な視点、倫理的な視点もあり、何が正解なのか、本当に難しいと思う。
・生きる事が誰しも当然の権利であるように、死の権利も自分で判断したいと思う。 難病、痛みや苦痛、そういった事だけでしか死を選べないのはおかしい。 もちろん、厳格な法整備が必要なのは言うまでもない。
基本的には、家族や他人に自分の死を委ねたくない。
寝たきりになってまで生かされたくないし、認知症が進行して周りに面倒がかかってしまうくらいなら、迷わず死を選ぶ。
食料の確保、治安、医療、文明そのもの、死ににくくなっている今、自分で死期をある程度コントロールできることが、現代における自然の摂理だと感じる。
・番組をリアルタイムで拝見していました。私は癌サバイバーです、初発からまもなく10年経過するっていう時に遠隔転移。それからは検査、手術、そして抗がん剤治療の日々。副作用がつらすぎて気力も萎えていきました。こんなにつらい思いをしてまで生きる意味があるのかとか…もう完治はしないのでいかに共存していくかが課題なのです。そういう時期に番組を拝見したので、本当に日本でも安楽死を選択できるならば、この先頑張って頑張って治療受けてもどうしても無理だったら最後には安楽死を選べるんだっていう切り札を得たいなぁと心からそう思いました。
・ご自身の生き方を通して「安楽死」について日本で議論ができるよう、一石を投じてくれたと思う。幼少期からの環境、様々な困難を耐え抜いて生きてこられた本当に強く美しい方だと思う。 どうか、苦しみのない安らかな世界で、幸せで穏やかに過ごしていてほしい。 超高齢化社会を迎えた日本だからこそ、スイスに倣ってどのように国内での安楽死基準を設けるか、議論すべきときだと思う。 医療はもはや、(どのような状態であっても)1秒でも長く患者を生きながらえさせる事が目的ではなく、その人が、出来るだけ穏やかに苦しむことなく、与えられた人生を全うできるようなサポートをすることが目的であると思う。
・今年、多系統萎縮症の母を亡くしました。 当初はパーキンソン病との診断でしたが、病状の進行が早く、多系統萎縮症と診断され、症状が出始めてから約5年ほどで寝たきりになり、呼吸状態の悪化から入院し、肺炎でそのまま亡くなりました。 頑張ってリハビリをしてもどんどん身体は動かなくなっていき、今まで当たり前に出来ていたことや、食べられていたものが、本人の願いも虚しく自分の意思では何一つ自由にならなくなっていく恐ろしい病気です。 まだ60代でしたが、排泄すら一人ではままならず、よく気持ちが塞いでは「死にたい」「死なせてほしい」と泣いていました。 人としての尊厳を自分で守ることができなくなってなお、自分の意思で人生を終わらせることすら選択出来ないのは、傍から見ていてもまさに「生き地獄」そのものだと思います。 安楽死、色々と課題はあるのかもしれませんが、前向きな議論が交わされることを願います。
・安楽死は賛成です。 この女性のようにとてつもない苦痛を伴う生活をしていたり、意識もなく回復の見込みがなく心臓が動いているだけだったりする方にはご本人や家族に十分なカウンセリングをして安楽死を選択できると良いと思います。 自分だったら治療やその後にも多大な苦痛を受けて回復出来ないなら、その治療に必要な医療関係者の労力は他の元気に退院できる患者さんに使ってほしいとも思う。
・たまたまこの方のドキュメンタリーの最期の部分を拝見し衝撃的ではっきり記憶しています。OKが出てからものすごい速さでバルブを開けていらっしゃって、本当にこの時を待ちわびていたんだなと感じました。 難病の方はもとい、高齢化社会になり意思表示も難しい患者さんが増える前に、日本も安楽死を認めるように検討してみて欲しいと思います。
・実父が末期の肺がんであちこちに転移して亡くなりました。骨への転移で全身の痛みが強く息を吸うのも辛い。ホスピスでの最後で緩和ケアには最前を尽くして頂きましたが最後の1ヶ月はホント心臓が止まるのを待つだけの時間。家族にとっては覚悟が決まる1ヶ月だったけど本人はもっと早く逝きたかったんじゃないかと思います。がん家系、私もいつなるかわかりません。もう治療がないとなった時実父のように痛みと戦って最後を迎えるか、もうダメだとなった時にすぐに楽にしてもらえるかでは全然違うと思う。もしも末期がんになって最後の1ヶ月を迎えたら私は安楽死を選びたいと思います。
・親族を難病で亡くしました。 身近で最期まで看ていた経験から。
不治の病、進行性、そして 耐えられない痛み・苦しみがあり、 本人・あるいは親族の希望があれば、 やはり安楽死は認められるべきです。
医療用モルヒネ等の緩和ケアも 分かりますが、しかし限界があります。
安楽死、更に言えば、 人間としての尊厳死の世界です。 彼女の判断は十分に理解できます。
この議論が日本でももっと進んで欲しい。
・生きていて欲しかった、と言う言葉は健康だから出てくる言葉ですね。 私も慢性的な痛みや突発的な発作などその他耐え難い苦痛を伴う難病になり苦しんでますが、治る見込みのない病気の辛さはなった人にしか分からないのだと病気になって思い知らされました。 悪化していく恐怖の痛みに毎日耐えながらいつ来るかわからない死を待つ日々。 耐え難い病気の苦痛が毎日起こりそれを完全に抑えてくれる特効薬のない恐怖と言ったら無い。
究極の時は安楽死を選べますよ。
と日本で言われたらむしろ安心できてこんな地獄でも少しは前向きになれるのかもしれない。
・私はこの方を含めたドキュメントを観た者です。
記事に書いてあるように女性は自らバルブを外しお空へと旅立ちました。 また別の外国人の男性も同じように旅立ちました。
空へと旅立つ前に念入りと医師の女性との話し合い、カウンセリングを行い自ら空へと旅立ちます。 中でもやはり外国人の女性が居て医師とのカウンセリングの時に死への戸惑いがあり 「あなたは死への覚悟が出来ていないから生きなさい」 と医師に告げられその場を去りました。
日本でも尊厳死を認める時期が来ているのだと観ていて思いました。 生きる権利が有るのならば、死を選択する権利もそれぞれ同様に有ると思えたからです。
・この方を報道特集で見たけど、いっさい逡巡せずバルブを開けていたところが印象深かった。 その瞬間をずっと待ち望んでいたようだった。 良家の子女のような物腰柔らかで丁寧な印象だったので、こんな凄惨な育ちとはとても見えなかった。ご自身の努力で道を切り開いてきたんだろうな… 昔のフランスの恋人に自分が安楽死するところを看取ってほしいという願いを断られ少し悲しそうだったのも印象的だった。 それでも酸いも甘いも人生の春も経験して最後は昔から好きな海外で終わりを迎えてご本人の言葉通り悔いはなかったんだろう…
・「誰かに甘えてでも、生きてもらいたかった」 残された人の勝手な想いから生まれるものだと思っています。 本人は生き地獄が辛くて辛くて仕方がない。 そんな生き地獄を最後の日まで楽しんで終わりを迎えることができる。本当に強い想いがないと決断できないことだと思います。 自分らしい最後を自分で決められること、まだまだ受け入れ難い現実かもしれませんが、尊重されてもいい事だと私は思います。
・これからの時代において、尊厳死は大変重要であり、議論も必要だと思います。自分の人生を自分で熟慮して決定することは大切な事だと思います。 医学の進歩も凄いスピードですが問題も有ります。平均寿命が伸びて、ますます高齢化社会が加速して社会の構造が変わる時代。 生きていれば本当に幸せなのか?と考えてしまいます。自分の意思がはっきりしている時に決断出来る方が、人間らしい生き方と思います。
・今の私は半身不随に加えて視力にも障害が残った上に致死性不整脈のために心臓には電気が流れる除細動器が植え込まれています。 ある程度はリハビリで動けるようになりましたが外出や外食・買い物などは無理で家の中が全ての世界となってしまいました。 家の中でも生活の多くは誰かのサポートが無いと無理なのです。一人の成人として仕事をして収入を得て好きなことをして好きなものを食べて好きなところに行って、そんな普通の生活が一瞬にして消えてしまいました。身体の痺れは酷くある程度以上は座っている事すらも辛いです。やはり生きていく事は辛いです。安楽死が法制度されていれば最後にはそれがあるんだからとそこまでは一生懸命生きることができると思うんです(もちろん自分がその対象となれるか分かりませんが)。生きる権利があるなら、安全に最期を迎える権利もください。 自死すらできない身体の持ち主として安楽死を強く望みます。
・立派な方だな。生き抜いた、という言葉がふさわしいと思いました。 困難の多かった人生、常に前を向き、自分で道を切り拓かれた。自立した方でしたね。病気になってからも、病気から逃げず、むしろ積極的に治療に向き合われた。できることは何でもやり、手は尽くされたのですね。 きっと、これ以上生きていたら、人に迷惑をかけてしまう、自分が自分らしくいられなくなってしまう、と判断されたのでしょう。そういう状態での死までの数年感は、実際の「死」よりも耐え難かったのでしょうね。だから尊厳死。自立心旺盛な彼女らしい選択だったのかもしれません。 彼女の生きざまをみて、決して安易な選択だったとは思いません。 まだまだ議論の必要な安楽死ですが、彼女に関していえば、与えられた運命と人生を生き切り、尊厳ある最期を迎えられたのだな、という感想。 壮絶な人生を生き抜かれた迎田さん。苦しみから解かれ、今は安らかであられますように。
・医療ソーシャルワーカーをしています。 生きる選択はあれど、死の選択ができない今の医療にジレンマを感じることがあります。 障害を受容して生きないといけない方達の辛さをたくさん目にしているので「生きてて良かったですね。」と簡単には言えません。 本人の意思を尊重するなら、死への自由があるのも当然なのではないかと葛藤しています。
・末期の癌の方みてますが、早く死にたいと言いながら何ヶ月も入院し、意識がなくなっても家族の希望などでギリギリまで治療を頑張って亡くなっていく方などがたくさんいます。 田舎なので病院も少なくベッドも満床、近くの療養型病院も空きがない、スタッフも足りない。 色んな視点で、選べる方には自分の最期を尊重させてあげることも大切な気がします。
・私は訪問で毎日家から出られないレベルの人たちにリハビリをしています。難病の方たちも何人もいます。その人たちは時々死にたいといいます。マニュアルではそんなこと言ったら、家族が悲しむよとかありますが、実際にそういう人たちを見ていると、どんどん体が自由にならなくなって、ときには家族と仲が悪くなって、本当に生きているのが辛いだろうなと、死んでしまうほうが楽だと思う気持ちもよくわかります。自分ももしその人たちの立場になったら、自分で命の選択をしたいと思います
・私は弟ががんに侵されて、3年で亡くなった、当初は痛みもなく退職後の畑仕事をしていて、採れた野菜や果物をよく届けてくれた、1年半頃から少しずつ痛みが現れて死ぬ半年前好きなサイクリングにも行けなくなり横たわる日々が続く様になり痛みも我慢ができないほになってきて、担当医に早く死なせてくれと懇願する日が続いた、そせてその日は急に訪れた、義妹から危篤との連絡駆け付けると既に息を引きとっていた、担当医がモルヒネを多めに投与したようだ、違反かどうかはしらないが弟にとっては神様に思えたかもしれないが、もう少し早く楽にしてやりたかったと思った。 この激しい痛みは本人でないと理解できないかもしれないが、私は安楽死の議論が日本でも早く始まることを期待したい。
・英断だったと理解します。治らない病気や高齢によりしを待つのみとなっていて家族や他人に迷惑がかかるくらいならこのような決断はしを選べるということで素晴らしいと思う。最後生きていたくないと思う人は多い。もちろん選択は恐怖でしょう。それ以上に何年も闘うことや周りへの経済的肉体的精神的普段はとてつもないものです。これからの時代は長生きしすぎてしまう人間にとって必要な選択と思います
・命というものは大事だということを大前提として書きます。 それでもやっぱり死にたい、生きてる意味がない、そう考える方は世の中に沢山いると思います。自殺をすれば周りの方に迷惑がかかるでしょう。それでも死にたい方は自死します。 そこまで追い込まれるってことなんですよね。 早く死ぬことが悪ではないと思いますね。 辛い思いをしてまで生き抜く方が正しいとも思いませんし。 自分の死期は自分で決める。 これも一つの考え方だと思います。 もちろん人の命を預かる職業の方の大変さも尊重しなければなりません。
・安楽死に関することは恐らく今後日本が避けて通ることのできない問題になってくるのではないだろうか。 この方のように酷い境遇の中懸命に前を向こうと頑張ってもその度に理不尽の牙にかかり対応を余儀なくされ、終いには難病で苦しむことになってしまうのを目の当たりにすると、私にはそれでも生きてくれという言葉は言いたくても発することはできない。それでも苦しめという言葉と同義になってしまうからだ。 その人それぞれの死生観やその人が置かれている立場で安楽死に対する考えは変わってしまうだろうしそれでいいのかもしれないが、生きる楽しみより絶望の方が上回ると人間は自殺したいと思ってしまうという考えは広まってもいいと思う。
・私は劇症1型糖尿病になりました。発症当時は命が助かって良かった、運が良かった、自分なら何とかなる、自分は例外だと思いました。しかし、その後、良くなるどころか老化も含めて身体はどんどん悪くなる。現状維持すら厳しい。難病にも認定されておらず何の支援もない。時代もコロナに戦争に物価高。ハンディのある弱者が生きるのは益々厳しく、入院して助かった事も今では後悔していて、あの時死んでいた方が楽だったとさえ思う。日本に安楽死の選択があるなら自分もそれを選択する。毎日が生き地獄かつ明るい未来がないのだから。かといって自殺とか無理。生きていても色んな人に迷惑をかける。毎日夜眠る時にそのまま朝が来なければと。しかし朝が来て生きている。1日1日が辛い。
・自分の最期は自分で決めて良いと思う。誰かのために生きるって事も大切だと思うけど…辛いのを我慢して生きる必要はないと考えている。例え最愛の息子達でも自分で自分の最期を決めたら私は認めるしかないと感じている。ただ自殺はしないで欲しい。何が違うのか?って言われたら、安楽死はその条件に当たるのかちゃんとカウンセリングがあると思う。自殺の様に突発的な行動とは違う⁈もちろん悩んで悩んで自殺を選ぶ人もいるだろうけど…変な話、死にたいってオープンに話せる様になる事は健全だと感じる。そのためのカウンセリング技術などが向上していけば世の中生きやすくなる事にもなると感じるけど…安易なのかな? 私はどうにも出来ない事で辛く悲しい気持ちで生き続けたくはない。その時に相談してもらえる環境が整って欲しいと願っている!
・生まれたくて生まれたわけではないと、本当に辛い人生を送る人もいる。それは、貧困か、体の不自由か、精神の病気かも含めて同じだと思います。 行政が助けてくれたらな、十分な保護をうけて 生活立て直しできたら、死にたいとおもわなくなることもあるのかも知れないですね 体の不自由はまた別です。 治療の限界もあるでしょうから。 それにしても、今の世の中は、真面目にコツコツやっていても暮らしにくい事実。数少ない若手子供の負担もすごい。せめて、一生懸命生きた末に、自分の最後の迎え方くらい選択肢をつくってもらえたら、かなりほっとする。 死に向かって、励んで生きることも出来るかもしれないのに。特別お金にこまってるわけでも、 辛い体の障害があるわけでもないです。でももう生きなくてもいい。 ちゃんと納税もしてて、生きるための義務は果たしています。死ぬ権利は、、、
・無痛分娩は「痛みや苦しみの恐怖からの開放」が目的の1つで、やはり痛みや苦しみは人間にとって恐怖です。それから逃げたいというのは当たり前の心理だと思います。 病気によっての痛みや苦しみから解放される選択ができる日本になって欲しい。 苦しみながら死ぬ、のがわかっている恐怖。耐えられません。 最期の苦しみからは逃れられる=安楽死を選ぶことができるというのは、最期の恐怖を考えずに生きたいだけ精一杯生きれる、に繋がる気がします。
・末期の難病やがんなどで回復の見込みが無く、生きていても苦しくそれがずっと続くしか無いのであれば安楽死という選択肢もあってほしいとは思いますね。ますば、議論しなければ法律が制定されることは無いので、日本でも多くの方々がこのことを認知をして関心を持つことが、そうした事に繋がってくると思います。迎田さんの思いが法整備へと前進することを期待致します。
・映像見ました。 自分は直ぐにこの世を去る身なのに、敢えてメディアを通して日本に安楽死の問題を投げ掛けてくれた。 彼女が遺した功績は大きい。 他の患者のケースも見たけど、最後 身体にしに至らしめる為の薬物を点滴を通して身体に入れるんだけど、最後は自分でコックを緩める。 その行動に全く迷いはないんだよね。 ただただ楽になりたい、痛みから解放されたい。 そんな毎日を生きてきた人だから。 眠気が来て、そのまま眠りにつくような最期でした。 正直そういう選択が出来た人達が羨ましくもありました。
・難しい問題ですね。少し話はそれるが、昔なら老衰や自然死していた高齢者が、胃瘻や人工呼吸器などの延命措置で延命できるようになっている事実をどのように考えるか。延命措置を拒否したり、積極的に望まないケースも増えていると聞くが、命のあり方は、人間の尊厳そのものなので、軽々には語れないが、それが故に一定のラインを超えれば本人の意思が尊重されて然るべきでしょう。
・痛みや苦しみに耐えるだけで1日がおわり、また次の日を迎えるのが恐怖でしかない・完治の余地がない場合、安楽死という逃げ道があればどんなに心の支えになるだろう。
終わりの見えない苦しみにむしばまれてる日々を繰り返している人は、本来なら周りの人への感謝の気持ちを持っているはずなのに、その余裕すら持てない本当の自分じゃない醜い自分になってしまったまま意識を失うのは 本当の医療と言えるのかな、、と思います。。
・この方は、若い頃の写真もとても美人で、穏やかでありながら強く品のある内面と相まって、とてもモテたのだろうなと思う。 育った家庭環境が劣悪でも、こんなにも品のある感性豊かな人になれるのだと知り、それは驚きでもあり、それを運ではなく自分の手と足で掴み取ったこの方の誇り高さと努力に尊敬する。
記事では「築き上げて来たものが壊れた」という表現があったが、決して壊れてなどないと思う。 例え難病になって最期を迎えたとしても、それまでのその時々の幸せな時間や笑顔は本物で、その事実が無くなることは決してないのだと思う。
記者の方も誠心誠意取材されていたのが伝わって来て、悲しみと尊さ、それ以上に希望を感じる記事だと思う。
・今年、長年難病と闘ってきた母が亡くなりました。1リットルの涙というドラマと同じ病で、運動神経を司る脳がどんどん萎縮する事で、身体が徐々に不自由になり、最終的に亡くなってしまう病です。身体は不自由になっていき、食事も自身ではとれなくなり、顔の表情もなくなり、でも、本人の意識はしっかりしている、そんな残酷な難病です。発症当時、医師から余命8年と言われていたけど、自宅介護しながらたくさんの方に支えられ14年間頑張ってくれた。本当に14年間辛かっただろうし、怖かっただろうし、私が同じ病にかかったら、間違いなく自殺してしまう。まだ家族がいたから母も頑張ってくれたのだと思うけど、、私を含め皆がそういう訳にはいない。日本でも安楽死は認めてほしいと心から願います。
・知人の旦那様が末期がんで見つかったときには手遅れだったそうです。それでも抗がん剤や治験などできることには何でもチャレンジして、あまりの壮絶さに家族が もう抗がん剤はやめよう と言ったほどだそうですが本人は諦めない、少しでも長く生きるんだ、と。それはすごい気力だと思います。それもまた本人の選択であるように、安楽死を選ぶこともまた本人の選択であり自分がいかにして死ぬかは自分で決めるられるべきだと思います。それがその人の意思であり決定である事をきちんとジャッジできる制度を早く作るべきだと思います。この方のように体が動くうちにスイスに行かねばならないと言うのと、日本で暮らしながらいつでも安楽死を選べる環境で過ごすのでは違うと思います。
・近しいひとが、医療関係にいます。 医者は命を助ける。 でも、これは死んだ方が本人も、周りも助かる… 楽になる…と、おもっても医者は命を助ける。 と、 ホントに生きていて苦痛を味わい苦しみながら戦うのは本人だし、家族もいれば崩壊してしまうときもある。 現実的にお金の問題もある。 自分も何かの原因で死んだら臓器提供のカードを持ってます。 もし、安楽死が日本で可能であれば、臓器提供できる部分は全て提供したいと思います。 病気で助かる命があれば…是非とも提供できる安楽死があれば…
・腎臓の指定難病があり、後何年かで透析になります。正直まだ若いと言われる年齢でもあり周りの理解も少なく、どう向き合ってよいか悩んでいます。孤独でしんどい。
難病の人はメンタルやられる人が多いと難病相談会で聞きました。私もパニック発作持ちです。
安楽死も含めて、難病と診断された人のケアがもっとあってもよいのではと思います。救いがなくて心も身体も苦しいのに、緩和ケアや精神腫瘍科も癌にならないと使えません。私はまだ生きるの諦めないけど、治らない病気で死ぬまで大して何もできないという絶望から、這い上がるための希望になる何かがほしいです。
・身近な親族と知人にこの方と同じ神経難病のパーキンソン病の人がいます。
パーキンソン病はALS等とは違い直接死に至る病気では基本的にはありませんが体の不自由がさらに悪化して動けなくなる前に安楽死・尊厳死を選んだのですよね。ALSになっても寿命を最後まで全うしようとする人もいれば、少しでも体が動くうちに苦しまずに早く楽になりたい人もいて個々の価値観や精神力などによって考え方は様々だと思います。 にも関わらず、自分の乗り越えられた精神的強さや体験談を元に強者の価値観を押し付け「どんなに辛くても生きていれば良いことがある」などと、延命を半ば強要する方々は、自分のエゴでしかないと強く私は批判します。
生存権も当然尊い不可侵な権利ですが、ならば自死権も同様に認められるべきです。
・母親がガンで余命宣告受けて結果的に2年後くらいに亡くなった。その間、苦しむ姿を見てきたが、家族で過ごして見送ることができた。
人間、老衰で亡くなる人なんてほとんどいないわけだし、ほとんどが病気や事故でなくなるわけだ。中には事件に巻き込まれたり犯罪被害者になったり。何年も何十年も難病で苦しむ人も多い。
親の最後みて、ある程度高齢になってガンで余命宣告受けて亡くなるって、ある意味、良い死に方なのかなと思ったりもした。
・安楽死という選択肢を尊重するひとりです。人生100年時代と言われますが… いかに長生きするかより、いかに自分らしく生き抜けるかを大事にしたい考えです。急死に一生を得た経験から、いつ最期がきてもありがとう楽しかったと思える人生にしたいと思って生きています。医学的に治療は終結と判断された人には、自分が自分でいられるうちに安楽死を選択できる制度をつくってほしいと願います。
・法関係で時間もかかるでしょうから、議論は直ぐに始めてもらいたいと思います。母国で家族に見守られながら、最期を迎えたい方もいらっしゃると思います。 以前NHKでもう少し突っ込んだドキュメンタリーをしてましたが、うちの祖父が、がんの痛みで荒れて怒鳴り散らし、のたうちまわりながら亡くなったのとは真逆でスイスでの安楽死は蝋燭の火が消えるようにスッーと亡くなられてました。それを見て私はかなりの衝撃を受けました。何が良いかは人それぞれです、でも日本でも色々な終わり方が選べるようになるといいと思いました。
・安楽死に関しては賛否両論があると思いますが、スイスのように、①耐え難い痛みがあり②お薬や治療法がなく③痛みが消えない場合④本人の覚悟が決まっていて医師が認めた場合には、こう言った選択も、逆に「生きる権利」の一つなのではないかと感じます。 耐え難い痛みは本人しかわからないですし、条件が合う人のみであれば日本にあっても良いと個人的には思います。
・瞬時にできる自死でなく、安楽死を選択し実現させることはとてつもなく苦しいものかもしれない。 どちらにしても自らの人生に幕を閉じることは私たち今生きてる人間には到底わかりえない苦しみかと思う。 他人が、思いとどまらないかと言いたくなる気持ちはわかる。 ただ、その人にしかわからない苦痛があるのは事実。 尊厳死が日本で実現するにはかなり長い時間がかかりそうだが、息をするのも死にたいほど1秒1秒が辛い人が、こんな形で我々にメッセージを残してくれた事を生かしていくべきだと感じる。
・幼少期に誰にも頼る事なく成長してしまったら、大人になっても頼る事を選択しないと思う。他人に期待しても無駄なのだと生きる過程で知ってしまうから、甘える気持ちさえも失う。無いものより持っているものを大切に、強い人だし自分自身の人生を正面から見つめて懸命に生きた人。そんな覚悟を世の人全てが持ち合わせていたら、厳しさの中に寛容がある自立した世界になるのかも、、などと個人的な感想です。自分はしっかりと生きなくては。
・この方を含めて安楽死のドキュメンタリーを何本かみました。友人の友人のスイス人が認知症になり安楽死を選択した話も聞いたことがあります。安楽死は気楽にできてはいけないと思うけど、最終手段の選択肢にあると思うと生きることが少し楽になると思っています。 自殺と安楽死は違う。 日本で正しい議論が行われて自分の生き方と死に方を選べる日本になって欲しい。
・高齢化社会、そして現場の延命医療が発達すればするほど、この問題の存在感は大きくなっていく一方でしょう。議論するには重いイシューかもだが、避けては通れない問題。
痛みや不快感に敏感な反応を示し、それらを過剰にフタをしようとする今の風潮をリアルに戻すのにも、この議論をすることはいい役割を果たすような気もする。
迎田さん、あなたの勇気ある選択と歩んできた人生に大きな拍手を送らせていただきます。 あなたの人生を垣間見て、多くの人間がそれぞれの人生を見つめる好機と、大きな助けになったと思います。 迎田さんの想いを共有していただき、ありがとうございます!有難い先達の好例として自分の胸に刻まれました。
報道会社/記者の方も、ビジネス的、心身共に負担のかかる分野に取り組んでいただき深く感謝申し上げます。
・20年ほど前に悪性リンパ腫になり抗がん剤と放射線治療をし、去年乳がんを患い切除しました。 まだ40代なのにに2回もがんになって主治医は何ともいえない顔をしますが、私は多分幸せな方だと思っています。 悪性リンパ腫の時に受けた放射線治療のせいで今回の乳がんオペ後には照射できませんでしたが…。 それでも、その時々にできる治療法が何かしらあって、まだ幸せな方だと思っています。 胆嚢も取っているし、20cm大の脂肪腫を10cmちょっと切って取ったので身体中傷だらけですが、とりあえず外見上普通に見られます。 いずれ勝ち目のない病になった時は安楽死を望むと思います。看護師をしていますが、緩和ケアが受けられず苦しんで亡くなる患者さん家族の辛さが突き刺さっているから。在宅看取りを経験していますが、完璧に苦痛を取ってくれていたのでその先生に…とも思うけど、子どもに断末魔を見せたり負担をかけたくないなと。
・この記事をきっかけに日本でも病による事情からの安楽死について、国として考えてもらえたら良いと思いました。私は家族(特に子供)には病気で死が迫った状況になれば延命処置はしてくれるなと言っています。生きたい人は生きる自由がありますが、私は生かされるために家族に掛かる苦労の時間やお金を使って欲しくないと思っています。(家族としては私を生かすために全力を尽くすでしょうが、その労力は自分たちの自由に使って欲しいと願うからです)そのためにも安楽死が認められる時代が来ることを願っています。
・いろんな障害、難病があると思いますが、見た目にわからない理解されにくい病気は本当にメンタル的にも辛いと思います。 特に痛みというのは本当に他人にはわからない。 私も持病の神経痛と頭痛でよく痛み止めを飲みますが、飲めば飲むほど効き目が悪くなり悪循環なんです。 加え痛過ぎて精神的にも参ってしまい鬱のようになります。そしてさらに薬が増えていきます。 夜も眠れない。そんな状態で会社へ行く。 常に痛みに耐えて我慢しないと生きていけない人生なんですよね。 死にたくなる気持ちよくわかります。
・生きるのは義務ではなく権利なので、自殺自体が犯罪になることはないと思う。問題は自殺幇助。集団社会において自殺が他者に不利益を起こす場合は認められないけど、そうでない場合は安楽死を認めてあげればいいと思う。ただ死にたいと思ってる人は数万人レベルでいるわけだし、どうやって安楽死できる条件を決めるか、闇で行われない対策も必要だろうし。
・生きる権利は誰にでもあるけど、死を選択する権利はこの国にはありません。死期が近づいていても生きるのが義務みたいな世の中はますます生き辛いことになっていくと想像します。これからは出生率の低下やおひとり様の増加で、最後を看とる親族がいない人だって増えていきます。難しい問題ですが、これから向かい合っていかなければならない大きな課題です。
・私の父は昨年、間質性肺炎で亡くなりました。 呼吸不全に陥り、気管挿管しないと近く死にます、ただ挿管した場合はほぼ寝たきりで意識もなくなりますと医者からハッキリ告げられました。父は無闇に寿命が延びて在宅介護が待ち受けてる未来、裕福ではない家庭でしたので医療費が母に重くのしかかるかもしれない、そして最期はみっともない姿を見せたくないと父は覚悟を決め、挿管しないことを自分で決めました。 私も遠方に住んでおりサポートすることも出来ず、母も先の見えない介護生活に何も言えず父の意思を尊重事しました。 その一週間後に父は亡くなりました。 挿管したらもしかしたらもっと生きられたかもしれません。でも日本の法律では、挿管したらはずすことはできません。 父は自分で自分の命の終わりを決めました。 状況は違えど『死に方』は誰かが決めることは決して間違いでは無いと思います。
・治すすべのない難病を患っている人にとっては 安楽死は希望の光になるのかもしれないのですね。 辛い、苦しい、この苦しみはいつまで続くの?と日々自問しながら日々絶望する… でも安楽死という選択ができたら、この方のように終わりまでを前向きに、充実してまさに 「生きられる」のかもしれないですね。 ハードルは多く高いかもしれませんが 日本でも認められることを願います。
・私は重度のうつで自殺未遂をし、結果的に精神病院に入院しました。今は精神的に安定していますが、入院当時はなぜ日本では死ぬ権利つまり安楽死が認められないのかと考えては毎日泣いていました。 現在は一人暮らしができるほどには回復してきて毎日生きるために頑張っていますが、生きること自体が辛いことには違いがありません。申し訳ありませんが未だに自殺が未遂で生きていてよかったとは思えません。 こんな精神状態を経験しているので、今でも日本でも安楽死という死ぬ権利を認めてほしいと思っています。 人には生きなければならない義務もないと思っています。
・現在骨折で入院中。2回の手術を得て回復に向かってるが最初の2日間はマジで痛みと寝たきりの苦しさで死にたいと思った。たかが骨折で。。こんな難病で家族もいない、治療の見込みもない。これはこういう結論に至っても仕方がないと思う。自殺できたろうにただ、それでも残された人には迷惑をかけてしまうわけで本当に人に迷惑をかけたくない一人で強く生きてきた女性なんだと思う。
・私の母は50代でパーキンソン病を発症しましたが徐々に進行して重度になり20年以上苦しんだ挙句に亡くなりました。 途中から手足を動かす事も言葉を発することもできず意思の疎通が出来なくなり、食事も困難で鼻腔チューブ後に胃ろう手術をして、亡くなるまでの約2年近くは完全に寝たきり、まるで「生きる屍」状態でした。
安楽死について初めて考えたのは、ちょうどその頃です。
母は回復の見込みが無く死を待つだけしかないという中で、果たしてこのままでいいの?と毎日悩み、担当医にも相談しましたが自発呼吸ができなくなったらセットした人工呼吸器を外すか否かの選択はできますが、安楽死をさせることは今の日本では出来ない。と説明されて諦めざるを得ませんでした。
難病や大怪我で回復の可能性が無い場合は、本人や家族は辛いだけの時間を過ごすケースがあるので、条件付きで構わないですから安楽死の選択を可能にしてほしいです。
・人間いつ死ぬかわからないのに、無駄に生きてる人が多いと思う。例えばこの夏海に行きたいけど、人生であと何回夏が来て海で泳げるのだろうとか考えると、季節を感じ、今を楽しむのがいかに大切が分かると思う。そして人との出会いも貴重で奇跡です。 だから変に威張り、意地悪して人を見下してる人は、死の間際何を思うのだろうか?そんな人生で満足だろうか?と感じます。 人は変えられないので、自分だけでも今をできるだけ大切にして、人の関係も大事にしていきたいと思います。
・やはり今後の社会保障のことも含め安楽死解禁の議論は避けて通れない。 特に意思疎通が難しい認知症老人などについて家族や自治体による代理の意思表示といった法整備も早急に検討していく必要があるでしょうね。
・私は30歳くらいから、ずっとなにかしら原因不明の病を持っている。 今まで、群発頭痛、非定型歯痛、そして最たる病が、線維筋痛症だった。 言葉では尽くせない痛みで動けない日々は、なんの因果でこんな目に遭うのかと涙に暮れた。大好きだった仕事も辞めざるを得なくなり、私はこのまま、痛い、痛いと言いながら、あと40年も50年も生きるのかと思うと絶望しかなかった。 主治医は、私を慰めるように、「大丈夫、この病気で死ぬことはないから」と言ったが、こんなに苦しくても死ねないのかと途方に暮れた。 今もなにかしら抱えながらも、一時よりはよくなり、なんとか日常生活を送っている。 この先、また症状が強くなる時が来るかもしれない。もしくは、癌になって、痛い、痛いと言いながら死ぬのかもしれない。 痛みは、地獄だ。 最後くらい、痛みなく、静かに穏やかに逝きたい。日本でも安楽死の本格的な議論を始めて欲しいと切に願っている。
・蝶のように舞い蜂のように刺すと言ったモハメド・アリの事を思い出した。パーキンソン症になって体が自由に動かなくなり小刻みに震えていてもとても格好が良かったのを思い出す。 まだ動ける内に、という考えはよく解る気がするが、実際には遥かに複雑な葛藤があっただろう。お顔がごく親しい人に似ていたので今更ながら辛い。 鴎外の時代から提起されているこの問題も、これから超高齢化社会の山頂へ向かって行く中で、いよいよ日本でも結論が出るのではないだろうか。もし法制化されなくても、様々な情勢を観れば、自殺者は著しく増加すると思う。
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