( 190795 ) 2024/07/14 16:46:43 2 00 「1浪で何が何でも受験終わらせると思ったのに」熊本から2浪東大「第2志望も落ち続けた」彼の絶望東洋経済オンライン 7/14(日) 8:32 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/654a87cfd366afd160ed4706381631e3afa5bd84 |
( 190798 ) 2024/07/14 16:46:43 0 00 第二志望も落ち続け、絶望的な気持ちになった小山さん。その後東大合格をつかめた理由とは。※写真はイメージ(写真:マハロ / PIXTA)
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 今回は、熊本県立第一高等学校から北九州予備校熊本校で2浪して、東京大学文科一類に合格し、現在1年生の小山(おやま)廣起さんにお話を伺いました。
【写真】北九州予備校で東大合格を祝ってもらった、小山さんの写真
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■北九州予備校で猛勉強? ではなく…
数々の浪人生を、難関大合格に導く北九州予備校。浪人生界隈ではよく知られた予備校であり、スパルタなイメージを抱く人も多いようです。
通称北予備のHPには「遅刻・欠席に対する指導を徹底」「茶髪やピアスの禁止」といった文言が並んでいます。
今回お話を伺った小山(おやま)廣起さんは、そんな北九州予備校での浪人生活を経て、東大の合格をつかみました。さぞかし猛勉強をしていたのかと思いきや、実はゆるく受験をしていたと語る小山さん。その勉強姿勢が彼の成績を大きく向上させることにつながりました。
彼が浪人時代にあえてゆるく勉強したのはなぜなのか。そして、それがなぜ彼の成績を上げることにつながったのでしょうか。
小山さんは、熊本県の宇城(うき)市・松橋(まつばせ)町に生まれました。
「両親は大学には行かずに、働いていました。姉も大学受験はしていませんし、何がなんでも勉強! といった家庭ではありませんでした」と語る小山さん。
幼少期にKUMONに通わせてもらいましたが、小学生になったら勉強をあまりしなくなったために、通うのをやめてしまいました。
「幼稚園と小学校のときはクラブチーム、中学では部活動でサッカーをしていて、勉強よりもそちらのほうに熱中していました。自分がやりたいと言ったことをやらせてもらえる環境だったので、両親には感謝しています」
とはいえ、学業成績も悪かったわけではなく、小学校時代は授業を聞いていれば、ついていけるレベルでした。
中学生になると1~2年生のときは熊本ゼミナール、3年生のときは浦田塾に通い、それなりに勉強するようになったものの、高校受験を目標にするというよりも「できるだけいい成績を取れればいい」程度のモチベーションで勉強していたそうです。
「中学校は1学年に240人くらいいたのですが、その中で上位10~20番くらいの成績だったと思います。中3くらいでみんなが『受験に向けて頑張るぞ!』という空気感になったので、そこで初めて自分自身の中でも勉強に対する意識が芽生えました。受験勉強をして、自分の学力に合っていて、かつ海外に行きたかったので短期留学プログラムが充実していた熊本県立第一高校に入りました」
■受験の反動で勉強をしなくなる
県内3~4番手の公立高校である熊本県立第一高等学校に入った小山さん。「東大に行く人は、(県内一の公立校である)熊本県立熊本高等学校に行くものだと思っていた」と語るように、この当時はまったく東大を意識していなかったそうです。
高校に入ってからの小山さんは、受験の反動からか勉強をしなくなり、1学年300人ちょっとの学校でほぼ最下位の成績をとってしまいます。しかし、この結果に危機感を抱いたことで、彼は勉強に目覚めました。
「さすがにこの成績はちょっとやばいな……と思い、少しずつ勉強するようになりました。すると高1の最後に150位くらいの順位を取れるようになりました。これがきっかけで、勉強により力を入れるようになったのです。
高2のはじめくらいにコロナが到来して、分散登校になったのですが、その時期も東進衛星予備校に入って勉強は続けていました。すると、次のテストでまた順位が上がって60位、とある外部の模試では学年1位も取れて、『あれ、もしかしたら自分はけっこうできるんじゃないか……?』と思い、もっと熱を入れて勉強するようになりました」
模試での1位という結果を受けて、「勉強時間も意識もガラッと変わった」と語る小山さん。意識が変わった理由としては、漠然と「行きたい」と考えていた東京外国語大学が狙えるレベルにまで達した、と思えたことが大きかったようです。
■東京外大から東大に志望校を変えた
高2のコロナ期間もずっと勉強を続けた小山さんは、高3の初めまで順当に成績を上げ続け、クラスのテストでも1桁台の順位が取れるようになりました。
この成績の上がり方を見て、小山さんは志望校を変更する決断をします。
「高2の最初に受けた東進の模試は、偏差値は52で東京外大はE判定でした。しかし、学年末の2月に受けた模試での偏差値は62.5になり、C判定まで上がっていたんです。
この調子でいくと、東京外大に受かるだろうと考えたときに、このままのペースで勉強し続けていいのだろうか……と思うようになりました。せっかくだからいちばん上を目指してみようと思ったのです。高3の春の三者面談では、『東京外大を目指します』と先生に伝えたのですが、やっぱり違うな……と自分の中で思い直し、面談が終わったあとすぐ親に『東大の文一を目指すわ』と伝えました」
こうして東京大学に志望校を変更した小山さん。興味関心も変化し、政治学に興味を持ち始めました。東大では文一に入り、法学部の第3類の政治コースに行きたいと考えていたようです。
ところが、東京外大こそいい判定が出るようになっていたものの、東大の判定は高3の春の時点でE判定でした。最高学年時の勉強を彼は「手探りだった」と振り返ります。
「私の高校は、この当時東大合格者がほぼいませんでしたし、東大に向けた勉強法もわからなかったので、自分で試行錯誤しながら進めていました。不安だったのですが、やっていくうちにD判定が出て、ちゃんと成績が上がっているんだと安堵しました。夏か秋に受けた駿台の東大冠模試ではB判定がでたので、もしかしたら(東大に)いけるかもしれないと思いました」
確かな感触を感じていた現役時の受験。共通テストは686/900点で粘り、東大文一に出願したものの、結果は合格最低点に17点足りず不合格。後期で受けた東京外国語大学も落ちてしまいました。
東大の得点開示を見て、「点数的にはまだまだだなと思った」と当時を振り返る小山さん。
浪人を決断した理由を聞くと、「後期で落ちたから」という現実的な答えが返ってきました。
「浪人は(行くところがないから)自動的に決まったという感じでした。もともと両親からは浪人はできないと言われていたのですが、志望校が東大だったことと、検討していた北九州予備校熊本校のリベルテコースでは、東大の受験票があれば授業料を1年間無料にしてもらえると知ったので、両親の了承をもらえました。自分的にはもう一度挑戦したかったので、浪人を許してもらえてよかったです」
■ついに模試でA判定を獲得したものの…
小山さんが通った北九州予備校は、冒頭でも触れたように非常に厳しく生徒を管理するイメージを持つ人が多いようです。一方で北九州予備校の中でも、小山さんが入ったリベルテコースは受ける講義を自分で決められる自由度の高いコースでした。
「勉強の進め方もチューターさんに口出しされるような感じではありませんでした。東大・京大を受ける人であれば、自分で勉強できるだろうからと、厳しさとは逆の方針で勉強させてもらいましたね」
こうして1浪目は、朝8時半から夜18時ごろまで予備校に通って勉強を続けた小山さん。模試の判定は夏までB判定で、秋に初めてA判定を取ることができました。
ところが直前の模試ではC判定に下がってしまいました。この年の共通テストは736/900点。前年と同じで前期試験で東大の文科一類、後期試験で東京外大を出願し、今年こそ大学に進学できるだろうと思っていたものの、またしても東大には合格最低点から11点足りずに不合格になり、東京外大も落ちてしまいました。
こうして小山さんは、2浪に突入します。
この結果を受けた小山さんは、1年間の受験生活ですでに疲弊しており、「もう1年の浪人は本当にしたくなかった」と振り返ります。
「後期の発表がある前は、後期で受かれば、絶対に東京外大に行くと決めていました。1年浪人をして本当にしんどかったので、今年で何がなんでも受験をやめてやると思っていたんです。だからこそ、東大はもちろんですが、東京外大に受からなかったことのショックが大きかったです」
この年に落ちた理由を、小山さんは「精神面・体調面を崩してしまったこと」だと考えます。
「1浪目は受験、人間関係でうまくいかず、精神面と体調面を崩してしまいました。そのため、思うように勉強ができなかったことが大きかったと思います」
そこで、2浪目に突入した小山さんは、このもう1年の浪人を、「力を緩めることにした」と語ります。
「春から夏くらいまではまじめに予備校に行っていたのですが、夏ごろになってもう精神的にこれを続けるのが無理だと思いました。そこで、チューターさんと相談して、体調面や精神面の健康を優先し、ゆるくやっていく方針に切り替えたんです。予備校に行かない日が増えたり、勉強しなかったりする日を増やしました」
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( 190797 ) 2024/07/14 16:46:43 1 00 - 90年代には高校を卒業しても浪人することが当たり前であり、大学受験において浪人経験を積むことが一般的だったという証言が多く見られる。 - 浪人することに対するネガティブな印象は、首都圏に住むアドバンテージがある場合を除いてはあまり持たれていないようで、浪人を経験することでメリットを感じる方もいる。 - 80年代や90年代に浪人を経験した人の中には、苦しい経験を通じて成長し、浪人期間が人生の中で貴重な時間であったと感じる人も多い。 - 浪人期間中は、自己管理能力や目標設定、努力の重要性などを身に付ける機会が与えられる一方、メンタル的に辛い時期を乗り越える必要があることや効率的な勉強方法が重要であるとの指摘もある。 - 現代においては、浪人する人が減少している傾向も見られる。 - 浪人して大学進学した場合、大学名だけでなくその後の行動や結果が重要であり、大学名だけにこだわらず、その後の人生にどのように生かすかが重要であるとの意見もある。 - 現代社会においては、大学進学だけでなく、就職や社会人としての実力や能力が重視される傾向にある一方で、一流大学出身者でも成功しないケースもあるため、人生設計や目標設定が重要であるとの指摘がある。 - 単に過去の学歴や経歴だけでなく、自己の成長や人生の経験、努力といった要素が今後の人生に影響を与えることが重要であるという意見がある。 | ( 190799 ) 2024/07/14 16:46:43 0 00 ・私が高校の頃というのは96年で、この頃はおそらくどの進学校でも浪人が当たり前という時代だったと思う。私の通っていたところも上位の大学を目指す人は大半が浪人していた。
私はたまたま運良く現役で大学に入ったけれど、後に縁があって有名な予備校の先生方と交流を持つ機会があった。その授業風景も拝見させてもらうこともあったけれど、あれほど素晴らしい進路指導、メンタルサポート、そしてもちろん教科指導を受けられるのなら、一浪して予備校に通う経験をしていても良かったのかもと思う。
もちろん首都圏に住んでいるアドバンテージがあるので全国的に通用する考え方ではないかもしれない。それでも浪人にそれほどネガティブな印象を持つことは無いのではないかと思う。
・私は90年代はじめ頃に大学受験をしたが、現役ではやり残した事が多いと思ったので地方国立大に行くのをやめて、大手予備校の寮に入って一浪させてもらった。私の場合は親元から通っていた現役時代より親元から離れた浪人時代の方が落ち着いて勉強できた。 気にするのは模試の結果だけ、授業は基本聞きたい人が自由に席に座って聞いてる、ある意味大学の授業的な感じで、変なしがらみは一切なし。寮に帰っても誰かに勉強しろと言われる事もなく、自分のペースで落ち着いて勉強できた。結果は想像していたより随分と難関な大学に行くことができた。 浪人時代以降、勉強って贅沢なことだと感じる様になった。親には感謝している。
・還暦を迎えた者です。80年代に2浪を経験しました。浪人が当たり前の当時でさえ、2浪は精神的に辛かったですし、周囲の感触も微妙でした。もっとも社会人となり、様々な経験をしていく中では、浪人を経験して良かったと考えられるようになりました。私の印象では、現役ですんなり合格した人より、多感な時期に世間から隔絶された環境の中で、将来に対して考える時間や機会が持てたのは良かったのではないかと思います。今、振り替えれば、2浪はいい思い出です。
・浪人するまでに全然勉強自体していなかったケースは別として、普通に勉強してきたうえで浪人したケース(背伸びした志望校など)では教材の問題(過去問とか)で二浪が限界で、それ以上しても学力の向上はさほど望めないかと思います。 多浪するとメンタル的に本当に辛いと思うので、そこで戦い続けている人は凄いと思います。
・僕は1980年代に公立進学校に行って3年間落ちこぼれたけど、当時は7割が浪人する高校で、「一浪=ひとなみ」「4年制高校」「駿台予備校の予備校」なんて言われてて1浪なら浪人することに全く悲壮感が無く、1年間ちゃんと予備校に通って落ち着いて勉強したら順調に成績が伸びて志望校に合格できたのが良かった。2浪になるとさすがに辛くて勉強の集中力が持たなそうだし、当時は2浪中の受験生が両親を金属バットで・・という事件がだいぶ騒がれて2浪するのは恐かった。公立中学校から進学校に進むと高校に入ってから勉強のレベルのギャップが大変で、一旦落ちこぼれたらその遅れを取り戻すだけで苦労して準備不足のままで大学受験を迎えてしまうから、公立組だと1浪は仕方ないと思ったけど、今は浪人する人がだいぶ減ってるなんて、今の子はしっかりしてるんだなと感心する。
・自分も親の年齢になって、経済的に余裕があるのであれば、そういうふうに育ててきた、育ってきた色々な結果でもあるし、自分の経験からも一浪くらいならガチでできるし良いかな、とは思いますけどね。 本来は現役でキチンと勉強してスコン!と合格するのがベストだと浪人してからも思ってますけどね(笑)。自身の浪人中は、当時は都心の大手予備校で2クラスある内の下の方にクラス分けで入ったものだから(そういうテスト苦手なんで)、チューターも扱いが下扱いでしたね(今はキチンとしてるかもしれませんけど)。だから、参考にせず自分でペース作ってぽん!とやった、って感じでしたね(笑)。「あんたたち、東大受かってないでしょ?」と思ってたから(笑)。こっちはなんのプレッシャー、ストレスもなくやってたんです。1年遊んでた自分がわりーんだ、って。
・管理する塾・予備校が増えているが、この人が通ったのは真逆のコースではないかと思う。2浪はしてしまっているが、自己を客観視して自分に何が必要かを分析して計画を立て実行する自己管理能力もあったのだろう。『勉強ができる子は何が違うのか』という本を最近読んだが、この本の内容の実例と言えると思う。
・難関大学に合格したのが「目標」ではなく,「結果」だったという例だろう。たぶん,入学後もまだ「のびしろ」があるのではないか。
私も九州育ちだが,(昔は)大都会ほど刺激や進学熱がないので,そういう例はあると思う。とくに本記事のような家庭環境では。
まあ,ふつうなら熊本大学を志望し現役合格するだろう。それでもじゅうぶんにいい大学だ。さらにがんばれば九州大学。九州では,おおくはそこで「打ち止め」。東京まで行くのは,いささか変人の部類に属する。
私はもう定年退職し「人生の決算」がいちおうでたが,この記事の主人公は,どういう人生を歩むのだろう? そこが肝心だ。私の親父はいくつか名言を残したが,「人の評価なんて,棺桶の蓋を釘付けするときにしかわからん」。しかし,よく考えると,本人にはわからないわけだ(笑)。
・芯が強くブレ無い強靱な精神力ですね。精神的に病気になっても不思議ではない。最後まで自分を信じた姿がいいですね。前期東大、後期東京外大のパターンを崩さなかった事も気迫がこもっていますね。
・毎年、京大模試でランキング上位に掲載されているのに京大に落ち続けて9浪中の人のブログを読んだあと、この記事を見て感じたこと。
記事中に登場する彼は、 ◯東大にこだわりつつも、浪人を続けることに対する危機感も人一倍持っている。 ◯自己分析をしっかりできている。
共通点(本質的な才能、継続的な勉強、ある特定の大学へのこだわり)はありますが、受験結果の差は勉強以外のところにあるように思いました。
・問題は大学に行って何をするか、将来どんな人生を歩みたいかである。大学は入学して終わりではなく、そこが出発点だと言う事を忘れてはならない。「5回も10回も受験しました。努力のすえ合格しました」ドラマならそこで終われば良いが、更なる険しい学問の道がそこから始まる。
・浪人する子が減った理由 大学が入りやすくなってるのがまず一つ 自分らの頃は倍率が10倍20倍は普通だったけど 今は少子化なのに自分らの頃よりもはるかに大学が増えた なので贅沢言わなきゃ現役合格しやすい もう一つは親の稼ぎが少なくて 子供に浪人させる経済力が親にない 自分なんかは大学とは親の金で遊びに行くという感覚で 自分で金を工面しなきゃいけないなら行ってなかったと思う なので奨学金のような莫大な借金を背負ってまで大学に行こうという人が今のように多くなかったのでは 家に金が無いなら就職 それでよかった時代 今はみんな行くから? 自身や家庭の経済状況などお構いなしに 借金を背負ってでも大学に行きたい? で、産まれた年や卒業が1年ズレたら 就職状況も大違いなのが現在の日本の学生 今の子は貧乏だろうが絶対に大学に行かなきゃいけないという強迫観念で大変やろ
・一流大学を出て、一流企業に入って数十年経った私の経験から言うと、卒業大学は入社する際は関係あるが、入社した後は全く関係なく、どれたけ仕事ができるか?という実力主義になる。だから、二流大学を出ても事業部長クラスになっている人もいれば、一流大学を出てもずっと平社員の人もいる。言いたいのは、卒業大学は単なる通過点で、その後に会社で又は独立して何をやるか、の方が重要だから行きたい大学に入る為に何年も費やすのは無駄でしかないしマイナスなる。
・サンプル数はそんなに多くないけど、2浪以上して大学入学する人は「まじめ」だけど「様々な場面で非効率なことをする人」が多い印象
受験勉強で言えば、英単語を暗記するために20回ずつ書く!と決めてひたすら書いているとか、授業のノートを色ペンで綺麗に書くことに集中しているとかね 仕事で言えば、書類の郵送は事務スタッフに依頼すればやってくれるのに、自分でやってたり、資料のデザインや言い回しに拘りすぎて3時間で終わるものを2日かけていたり・・・
効率やスピード感も何も考えずに受験もやってきたんだろうな~と容易に想像できる
・タイトルが
>熊本から2浪東大「第2志望も落ち続けた」彼の絶望
とあるが、熊本第一高校なんだよね。この時点で・・・。
しかも
>中学生になると1~2年生のときは熊本ゼミナール、3年生のときは浦田塾に通い、それなりに勉強するようになったものの
さらに高校時代も学費が高いことで有名な東進衛星予備校、浪人してからは北九予備校に2年間・・・。
結構、いや、かなりメチャクチャめぐまれた方であって、大学に落ちたくらいで「絶望」してもらっちゃ困るという気がしました。
・一次の得点率から察すると不得意科目があったと思う。情報弱者と言ってしまえばそれまでだが、東大を目指す条件として不得意を克服することを意識していれば一年早く入れたかもしれない。
彼の場合は現役で九大を目指す方が良かったのかもしれないが、長い人生、何が幸いするかわからないので、2浪が無駄だとは言わないでおく。
・色々言ってるけど非進学校ゆえの情報不足と、単に学力不足だった(共テ700点台の学力で二次突破は難しい)と思います 外大受験には普通の国公立受験とはまた別の情熱みたいなのも必要だしね、東大目指すならそんな併願しないですし 語学好きならTLPの対象になれていれば良いですね
・後期の発表がある前は、後期で受かれば、絶対に東京外大に行くと決めていました。1年浪人をして本当にしんどかったので、今年で何がなんでも受験をやめてやると思っていたんです。だからこそ、東大はもちろんですが、東京外大に受からなかったことのショックが大きかったです」
→なんで身の丈にあった熊本大学を受験しないのだろうか。おやに迷惑をかけすぎだよ。。 東京に憧れがあるのかもしれないけどさ。 本質的に仕事のできない人になるよ。 自分への期待値が高すぎる。
自分のころ(1992)も早稲田全学部受験とか 6つも7つも受けていたのがたくさんいたが、 一番マシなのが法政や日大あたりで、 大東亜に浪人しておちついていたひとも 10人以上いました。もっとひどいと全滅で 専門学校も。
・今回のはまいさんの寄稿は、普段の「浪人は悪くない」というはまいさんのスタンス礼賛で共感するのではなく、浪人しての受験勉強に内在するリスクを読み解くことが大切だと感じました。 浪人しての受験勉強が順調に進むとは限りませんし、浪人しての受験勉強が学力を伸ばす保証もないです。 現役生のうちに受験前から、浪人も覚悟のうえの受験なのか、現役進学を優先するのか、十分に考えて決めておく必要性を感じます。 今回の寄稿に登場した方は、徹底した夢追い人ではなく、浪人しての受験勉強のリスクに紙一重で勝った方ではないかと思います。
・今年次男坊が現役で早稲田1文に通っている 塾行かず高校の授業単位も卒業ギリだった受験勉強は11月あたりから始めたようだが 約40年前自分も同大卒業したが難しくない 単位ギリなのは理解していることを長い授業で時間潰されるのを避けたのであろう マイペースで会得するのが肝心 自分もそうであった 血は争えない 筆者が9浪したと記されてあるが ご苦労様 ですね 大学合格を意識して勉強していた記憶はなく 不合格浪人なら諦めて高卒であったであろう どちらでも今の全てにかわりはないと思っている
・まぁそれでも、非進学校から2浪とはいえ東大に入れたのは、大きな実績だと思う。むしろこの当時の悔しさをバネにして、今後の人生に大いに活かして欲しい。
・「努力は実る」というスローガンは監獄もどきの塾・予備校で通用することでしょう。むしろ「今、この世界のどこかで苦しんでいる人のために自分の命を捧げたい」と思うような人は、点数競争でのし上る環境に長く身を置かないほうがいいと思います。
・同級生が多い世代は浪人が比較的多く どちらかと言うと現役は焦る雰囲気 だったと思う。 そんな反省をふまえ国は学校法人の 大学設立の緩和をし雨後のタケノコの ように増やし補助金をばら撒いている。 価値のある学校ならまだしも、 聞いた事がないような学校が存在 するが、少子化で統合するのか廃校に するのかいずれしか道は無いはず。 定員割れを繰り返す学校は無くなって 欲しい。
・二浪早慶進学を避けるべく、一浪東大落ちで早慶で妥協する人が多い中、よく頑張ったと思う。経済的な問題はあるかもだけど早慶併願か、後期はもう少し落としても良かったとは思う。ただ、東京外大は本人の元第一志望校だったから妥協出来なかったのかな。
・東大目指して浪人しまくって浮いてしまいそうな人は、国立医学部のほうが良いのでは?現役合格の方が少ないし、5浪くらいまでは当たり前のようにいます。私の解剖実習の相方はラサール出身で普通に4浪でした。元官僚とか、元教師とかで30代40代の学生もいましたし。
・北予備おかげで地元外の宮廷合格できた。高校時代の自力学習の【弱点穴埋め】と午後から自習でさらに【応用力】をつけれた 社会にでても自力であがきの時に踏ん張れている、ありがとう北予備!努力は実る
・自分の高校時代は共通一次試験だったが、当時の東大のイメージと言えば1000点満点で850点は当たり前で理三となると最低920くらいの感覚だった。
それが今は686/900点程度の生徒たちが狙おうとする大学まで落ちてしまったのか?少子化でレベルが下がっているのだろう。
・非進学校からの東大文は地歴1科目の独学が必要になるというハンディがあるからな。 こういう場合は、日本史世界史でなく、日本史地理あるいは世界史地理の選択で地理を独学にするケースが多い。日本史世界史の独学はキツイから。
・イマドキ浪人なんてする必要ないのでは。少子化だし高卒大人気だし。大学なんて研究者や技術者が行くもの。社会で必要なスキルは18歳で身につくもの。コミュ力や知識、マナー、礼儀作法等は家庭環境や友人関係の良し悪しで決まる。東大や京大卒はプライドがあり社会性に欠け、二流以下なら仕事も中途半端な人材が多い。社会に必要なのは的確かつ迅速な事務処理能力と顧客や職場での社交性とメンタルあれば充分です。
・浪人するくらいなら、滑り止めに入った方がいいと思うけど 学部のこだわりならわかるけど 社会人になると大学名なんて関係ないと思う 東大出てもダメな人は沢山いるし 高卒や中卒でも仕事成功してる人は沢山いる
・何十年も前ですが、自分は地方旧帝→東大院。その頃は早稲田から東大院へのロンダが多かったですよ。院だから学部より入りやすいけど、それでいいんじゃないでしょうか。受かるかどうかわからないのに、二浪して東大の学部を目指す気にはなれません。
・この記者はよっぽど学歴コンプレックスが強いのだろう。学校差別するつもりはないが、最初の大学がコンプレックスで再入学した早稲田がよっぽど嬉しかったのだろう。社会に出るとわかるが、大学は会社の昇進にはほとんど関係ない。実力の世界です。大学のことヲ会社に入っても言ってるのは、出世していないひどが多いように感じた。この人はこれしかないのかといつも思う。もう少し社会を見て欲しい。子供みたいなこといつまで言うのか。
・東大に入ることを目的にしてしまう人生って虚しいね。 「一流企業に入社する」っていうのと同じ。 人は何かを行おうとする時に、それを行うのはその先にある目標の足掛かりと考えなくてはいけないと思います。 「会社に入って出世したい」「一杯お金を儲けたい」これらは目的ではなく手段のはずです。
・多分井の中の蛙なんやろね。高2で偏差値60ってそりゃ駄目だろ。高2の偏差値なんか当てにならんよ。中学受験組が入るからね。高3の夏に6年進学校一軍が河合か駿台でやっと出てくるよ。高2で受けてる6年進学校は大抵中3か高1の生徒だからね。熊高は優秀なんだから他の道進めばいいと思う。
・幼少期に公文をやり、それから塾に通い、予備校に通い。教育熱心な家庭だな。 少子化対策としては、地元九州の大学に行った方が、2浪もせずに済んだだろうし、地元に近い方が、生活もしやすい。 不必要に教育にカネを使って東京に出して、育児はカネが掛かる、少子化止まらないと言っている家庭が多そうだな。 この家庭の場合は分からないけど。
・単純にすごい、2年なんて社会にでてしまえば自分の努力でいくらでも取り返せる。本当にきつかった思うけど、とてもすごい経験だと思います。
・俺も勉強に身が入らず、3浪までして地方のFラン行った。 この時の就活はまあまあ突っ込まれたな。 結局、ロンダリングで国立の大学院行って就活したけど、この時は浪人も突っ込まれなかったし、上場企業も内定貰えた。 学閥さえ気をつけて、会社に入ってしまえば後は関係ない。
・6時間「しか」寝てなかったのを9時間寝るようにした、というくらいですから、この人は元々頭のよい人なのでしょうね。自分が受験生の頃は実際にやってるかどうかは別としても4当5落、下手すると3当4落なんて言われてましたから。
・そもそも受験に対する姿勢というか目的が間違っている。まず模試でいくらA判定取ったからと言っても、合格を保証するものでも何でもらなく、ただ今の立ち位置がわかるだけです。それで東大に志望を変えたなんて笑えます。一番失敗するパターンですよ。
・記事の主題ではなく、文1A判定で外語大落ちるとか、共テ86%で上智が補欠合格というのが衝撃を受けた。外語大は本人も青天の霹靂だったのだろうが、上智に関してはそんなに難化しているのかと驚いた。共テ86%って理系なら医学部レベルなんじゃないでしょうか。
・周りの動きに関係なく、自分の行きたい大学に行く為に浪人するのは自由だと思います。主体的に生きるのが大事ですよ。
・単純に凄いと思います。自分が受験生の時なんて東大受験なんて考えたことも無かったし、別世界の話だと思い込んでいました。 実際出願した所で何浪しても受からなかっただろうし笑
・熊本で、熊本高校以外から東大に進学するのは並大抵のことではない。本人の強い意志や努力無しでは相当に難しい。
・結局のところ、何をしたいのか、そのためにはその大学でしか無理なのか?てことを考えると受験自体が目標から目的に変わってしまっているってことですね。
・小さいころから塾に通ってました・・・・親の努力です 中高とそれなりの成績でした・・・・半分は親からの遺伝子のおかげです 浪人中はゆるゆるでも東大合格・・・100%親の遺伝子と教育費のおかげです
あなたの努力は、2浪して東大を目指すとの意思決定をしたとこだけ
・ポテンシャルは高いけどやらなかった、みたいな人はかなり多いと思う。やっぱ受験は全力でやってた方が良いかもしれない。たとえ体制迎合と言われようと、、。
・家計的に許されるなら、現役で行けるところで妥協せず、浪人して行きたいところを目指した方が良い。人生は長い。
・【熊本市内公立高校ランク】 熊本高校 済々黌高校 −−−とてつもない大きな壁−−− 第二高校 熊本北高校 第一高校
みたいなイメージ。 第一高校は東大受験をイメージ出来るレベルの高校じゃない。 だから行き当たりばったりなんだよ。 東洋経済オンラインの記事はいっつも低レベルだな。
・リベルテに入れてる時点で賢いんだと思うけど、今考えたら高校を通信にして1年から北予備に通っておけば良かった。
・公立高校から現役で東大入学は凄く頭が良いねと思うが、浪人して東大入学は凄いとは思えず、頑張ったんだねとしか思わない。
・浪人したことなんてもうかんけいないわ。仕事も順調。3人子育て終わって孫もいる。家も新築した。財産も築いた。月に1回サイクリング旅行。幸せいっぱいだ。
・正直2浪で東大じゃなくて現役で九大の方が良かったのでは? 東大に入った人って入っただけの人も多い。東大生は現役で入ったスーパー知識人がホンノ少しいるけど、あとは普通の人達。特別じゃ無いよ。
・がんばりました、本人もご両親、関係のみなさんも。ホントに。つらさ、痛みがわかる人になりますよ。
・国連に期待し過ぎでは? 世界平和の前に日本の危機をどうにかしないと夢どころの話ではなくなるかも…
・何故、東大を目指すのかよくわかりません。旧帝があるじゃありませんか! 地方は金も人材もなにもかも東京にもっていくのでしょうか!
・勝てば官軍。 なんとでも言える。 結局、成績自慢。大事なのは もっと深部なんだけど。 昭和では2,3浪は当たり前だったけどね。
・地方から東大に行くだけで、充分教育熱心なご家庭だと周囲から思われていると思う。
・悪いけど2年の遅れほんときついですよ 大手の人事やってますけど二浪なんてまず取らないし 生涯年収でも数千万違ってくるわけで 浪人とか絶対にやっちゃだめ
・いくら浪人が少ない世の中といっても、東大なら2年浪人しても十分価値がある。
・東大で2 留もザラ。仮面も多いし、休学して海外留学も普通。2年なんて人生あんまり関係なくなる。
・さらっと8~18時まで勉強って書いてますけど、そんなの3日で根を上げる!
脱帽です。
・二浪で東大入れたら十分だろ
・2浪して24歳の新卒を大企業が採用するとは思えないけど。
・落陽の北予備。風前の灯の明るい話題。
・東大ってそんなに価値あるのかなあ、九大くらいが丁度いいような気がするんだけど
・人生長い!これからこれから!
・二浪だと成人式と試験日重なるから行けない可能性大!
・金持ちの家庭じゃないと無理なサンプル。
・東京外大ってやっぱり難しいの?
・北予備って九州の人はみんな知ってるけど、あそこは理由を付けられないと自分じゃ机に向かえない生徒が通う予備校だからね。 「本気なら北予備」なんて謳ってるけど当然集まる生徒の質は低い。 受験するなら予備校選びは肝心。
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