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「怒るよりスルーするのが無難」 なぜ先生は学生を「怒れなく」なっているのか

東洋経済オンライン 7/16(火) 14:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/5eef7d4b4ce607e43740d5087017238d556aca15

 

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教員は若者とのコミュニケーションが難しく、舟津昌平氏は若者の問題を若者単体の問題ではなく、学校や大学の在り方、就活やビジネスの在り方、社会の在り方が影響していると主張している。

大学生の匿名性が高まり、個々の攻撃性が増す一方、大人の動物性が抑制される状況を指摘している。

現代の若者は「唯言」に過剰に反応する傾向があり、大人との関係性や摩擦を通して差別を学ぶ機会が減少している。

(要約)

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いま教員が非常に難しい立場に立たされることがあるのは確かだ(写真:mits/PIXTA) 

 

若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。 

企業組織を研究する経営学者の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――例えば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。 

 

Z世代を通して社会構造を読み解く舟津昌平氏 

 

本記事では、著者の舟津昌平氏と教育者である鳥羽和久氏が、Z世代を通して見えてくる社会の構造について論じ合う。 

 

■大学生と高校生までとの決定的違い 

 

鳥羽:私は学習塾や単位制高校を運営していて、小6から高3までの生徒たちの授業を担当しています。子どもとかかわるうえでは、非常にありきたりな言い方ですが、最後の一人まで諦めずに向き合いたいという信条で仕事をしています。ただ、舟津さんの『Z世代化する社会』を読んで、そこで描かれる若者像は大学生が中心ですから、これはどうも小中高の生徒とはかなり勝手が違うらしいと感じました。 

 

 その一つが大学における匿名性の高さです。大学では高校までと比べて学生たちが「先生に見られている」という意識をあまり持たずに過ごすことができます。その結果、高校までの管理の反動と言えるのかもしれませんが、匿名性を悪用する学生が出てくる。舟津さんの本でも、授業中の私語を注意された学生が、授業後のリアクションペーパーで教員に粘着する例なんかがでてきますが。 

 

 私も元教え子の大学生たちと話す機会はありますが、彼らが大学の先生とどんなやりとりをしているかを聞く機会はほぼありません。まずそんな話題にはならない。だから舟津さんの本の内容はすごく興味深かったですし、大学という現場ならではの苦労を読み取れた感じがしました。 

 

 舟津:ありがとうございます。まさに、匿名性は明確な違いですね。高校まではクラスがあって、ある程度一人ひとりに目が行き届きます。何か悪いことをすれば、「あっ、誰々だな」というのがおおよそわかる。ただ、大学はたくさんの学生がいることで集団に紛れやすく、その結果、個々の攻撃性も高まるということが起きやすいように思います。 

 

 鳥羽:知人の大学教員はゼミ生との関係性に悩んでいました。例えば男子学生たちが複数で男性教員に対して反発し、なにかとマウントを取ろうとするようなことがたびたび起こるようなのですが、極めて動物的な反応だなと思うんです。 

 

 

 舟津:自由な環境であるからこそ、そうした動物性が表面化してしまうのかもしれません。ただ私は、拙著のスタンスとしても一貫している通り、それは今の若者に限った話ではないと思うんです。我々が大学生のときにも近いことは行われていた。かつての学生運動だって、ある種の動物性の解放だと考えることもできます。 

 

 鳥羽:そうだと思います。 

 

■変わったのは学生ではなく大人 

 

 舟津:ただ、我々の学生時代と変わったのは、周囲の受け取り方だと思います。乱暴な時代だと、怒鳴るとか殴るとか、動物性には動物性ではっきり「ダメだ」と対処するという手段が残されていた。それも一種のコミュニケーションだったわけです。 

 

 昨今の変化として、怒鳴るとか殴るはやめよう、まではよいと思います。ところが現代では、教員が動物性を出すことが人としておかしい、絶対に許されない、というプレッシャーがより強くなっている。対して子どもや若者には、清く育てば動物性を持たないんだ、みたいな妄想が強まっている気がしていて。結果的に、大人の動物性は徹底的に抑制され、若者の動物性は看過される。 

 

 鳥羽:とんでもない妄想です。ご著書では大学生が「PTAに言いつけてやる」と言ってきたとかいう呆れた話も紹介されていましたが、学生側は動物性を発揮し続けているのに、先生側はそれを封じ込められてしまうという不均衡が、教育現場としての学校を弱体化させている側面があります。 

 

 舟津:まさに。特異な例外ではあるものの、動物的に教員を罵倒する学生に対して、教員が応酬する動画がSNSで拡散されるといったことが実際に起きています。「さすがに学生がおかしいでしょ」という意見もありますけど、やっぱり教員や大学を責めたり揶揄する意見も多くて、それで責任を取らされるとなると、正直やってられない。 

 

 鳥羽:いろんな状況がありえますから一概には言えませんが、いま教員が非常に難しい立場に立たされることがあるのは確かだと思います。 

 

 

 舟津:それに関連して伺いたかったことがあって。鳥羽さんの著書や発信を拝見すると、基本的には子どもや若者にかなり肩入れしているように感じます。先ほどおっしゃったように、一人ひとりに向き合うことを惜しんではいけないというお考えに基づくのかなと。 

 

 ただ、味方であると同時にちゃんと叱るし、言うことは言うんだな、とも感じられたんです。でも、今はそうした「味方だからこそ、はっきり言う」ということが、両立できると考えられていない気がしていて。 

 

■怒られ慣れていない若者たちの実態 

 

 鳥羽:その点については、私は生徒との関係性の構築のために長い時間をかけているからできるところがあります。いま教えている高3の生徒たちの半分が小6の頃からの教え子ですからね。まだ関係性が構築されていないタイミングで厳しいことを言うとやっぱりびっくりされる。例えば、ある子の発言に対して「それは差別だよ」と言うと、反省するというよりただ唖然としていたんです。本にも書かれていましたが、子どもたちが大人から怒られ慣れていないことを、私も彼らの反応から感じることがありました。 

 

 一方で、生徒たちは反発している子も含めて、本音としてはむしろ大人に導かれたいって気持ちが同時にあって。私はそれを見逃したらダメだと思っているのですが、舟津さんはそのことも本の中で触れられていて、まさに現場で教えられている方だなと感じました。ただ、いまはこっちだよ、と導いてほしい若者もいるなかで、手を緩めることしかできない指導者が増えている現実があります。手を緩めるほうが、ちゃんと向き合うより無難なんですよね。 

 

 舟津:たしかにそうですね。鳥羽さんの塾のように、小学校から高校まで時間をかけて見るという教育スタイルはよくできていると思います。 

 

 ただ、はっきり言うタイミングが早いとびっくりされる、というのがやはりイマドキだと感じます。子どもたちは「差別はいけない」ってことを、お題目としては早期から教え込まれています。同時に、とても大切なことですが、実際には誰しも無意識に差別をしてしまうものです。差別の対象も幅広いから、外国人には偏見はないけど障害者の方には偏見をもっているとか、当然ありうる。 

 

 

 差別心というのは必然的にこぼれるものです。そして自分から思わずこぼれたものを「あ、今のはダメだな」と反省しながら学んでいく。その過程で「それは差別だよ」と教えるのは必要な教育なんですけど、「差別はいけない」というフレーズだけを叩きこまれているがゆえに、差別をしてしまったというギャップに耐えられないのが今の子どもたちなのではないかと。 

 

 鳥羽:ああ、なるほど。今の話は、「唯言【ゆいげん】(中身のない唯【ただ】の言葉)」という言葉をご著書で使われた際の問題意識を考えるとわかりやすいですね。お題目としてわかってはいるつもりだけど、実体験として理解はしてないから、「それは悪いことだよ」「差別だよ」って言われたらすごくびっくりしてしまう。そこに抵触したってことにおののいてしまったがゆえの、子どもたちの反応なのですね。 

 

■中身のない言葉だけが独り歩きしている 

 

 舟津:拙著にうまくつなげていただいて、ありがとうございます(笑)。実は今、自分でも無自覚に喋っていたのですが、まさに「唯言」なんですよね。「差別」ないし「差別はいけない」という言葉だけが独り歩きして威力を増している。キャンセルカルチャーが力を持っている現代では、「差別をした人間は世の中から消そう」ってなっているから、「差別するってとんでもないことなんだ」と小学生ですら刷り込まれている。 

 

 だけど、人間ってもともと差別心の塊のはずなんですよ。未熟な子どもたちは、自分たちと違うものをすごくナチュラルに、安易に攻撃してしまう。だからこそ、大人が「それはダメだよ」と言って修正していくべきなのに、そのプロセスが成立しなくなっている。 

 

 鳥羽:そうですね。さらに言えば、人は息をするように差別するけれども、他者との摩擦を通して「差別はいけない」ということを体感として知ることもあると思うのです。いまは、唯言的に記憶された言葉だけにはやたら反応してしまう感じもあって、反射的に「キャンセルすればいい」となっている。それが他者と出会う機会を遠ざけています。 

 

 

( 191647 )  2024/07/17 02:14:04  
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教師が生徒を叱ることが難しくなっている理由として、社会全体が過保護で過干渉な親から育てられた子供たちによって教師が訴えられたり引責される可能性が高いという現状があります。

昭和平成時代までは教師が熱を込めて注意していた姿が見られましたが、今では揚げ足を取られたりパワハラだと名指されることで職を失うリスクや、家族まで傷つける可能性が高まっています。

一方で、子供たちは自分が叱られることに耐えられず、教師に反抗する姿勢を見せたり、親や保護者が教師側に謝罪を求めてくる場面も増えているようです。

このような風潮が教師の叱咤指導が難しくなっている背景にあると言えるでしょう。

 

 

(まとめ)

( 191649 )  2024/07/17 02:14:04  
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・そもそも叱らなくても先生の生活や人生にはなんの影響もない。しかし、児童生徒の将来を悲観するならば、熱を込めて注意していた先生も昭和平成半ばまではいた事でしょう。 

しかし、今では揚げ足をとられ、パワハラだと言われれば職まで奪われかねない。もっと言えば、自分の家族や人生まで他人に壊されかねない。それもかなりの高い確率で。世の風潮は子を守り教師を責め立てる構図が出来上がっている。 

 

タイトルにもどれば、怒れなくなったのではなく、今の過保護で過干渉の親に育てられた子を怒る価値がないのです。曲がった気持ちを正してくれてありがとうございました。なんて気持ちは起こさず、十中八九牙を剥いて向かってくるのですから。そりゃ怒るような事があってもことなかれです。先生は責められません。 

 

 

・中学1年生の生徒が体育の授業中にクラスメイトに石を投げた。それを知った教科担任が叱ったところ、翌日から不登校。 

親子共に「先生に怒られたショックのせいで学校へ行けない」と。 

中学2年生の生徒が授業中に何度注意されても私語を続け「俺はうるさくない」と反論した。教科担任が「だったら授業を録音して聞いてみよう」と言ったところ、保護者が「子供がプレッシャーに感じる指導だ」と怒鳴り込んでくる。 

実際に勤務校であったことです。 

教員が生徒のしでかしたことを叱り、それにより子供が「学校に行かない」とか「先生が怖い」とか言うと、結局教員側が謝らされるんですよね。 

子供は自分を辱めた教員を屈服させられてしたり顔。 

確かに、叱り方や指導の仕方にはある程度の配慮は必要でしょうけど、悪事を働いた子供を叱るという、正当な行為さえもやりにくい。 

 

 

・義務教育で言うことを聞かないものは怒るのではなくて退学させればいい。教師はクールに児童や生徒に対応をすればいい。今は何かをすれば教師は叩かれる。ちゃんとしたルールを作ればいい。作らないからいろんな問題が起こるわけだ。段階的に退学させればいい。学校は家庭ではないし、教師は親ではない。子供は教師に愛情を求めるのもおかしい。親に求めるべきだ。学校は子供が好き勝手にするところではない。ちゃんとした厳しいルールを作らない限り教師は痛い目に合う。 

 

 

・「動物性」に共感覚えます。 

私は昔から子供は動物と同じで、人類は群れを成すので上下関係を本能的に求めると思ってます。 

男は俺より強いか弱いか、女は私より人気あるかないか、など。 

人類は知能高いので、頭では解っている・・・ 

けど、人生経験少ない子供は、本当の意味は解っていません。 

本当の意味が解るまでは、厳しい指導が本能的には効果あると考えます。 

そうして厳しさを知って、経験積んで、大人になるのではないでしょうか。 

 

 

・生徒は教師が怒ることは否定しない。自分以外の生徒を怒ってほしいという気持ちはもっている。ところが自分が怒られて傷ついたという気持ちになるともっと怒り方があるだろうと被害者目線に立つ。学校言説では常に学校悪生徒善という公式があるからその主張を当然のことと考えている。傷ついたかどうかはその生徒の主観であるため教師にはコントロールできない。なので怒るよりスルーしておく方が利口ということになる。 

 

 

・前提をいくつも教えていくしかないのでしょうか。前提の前提の前提から伝えておいて、それをわかってる学生のみ受け入れて、 

 

何かあったら「それは規約破りだよ」と指摘して、それでも致命的な理解力のなさを認めず対抗するようなら、民法や刑法を駆使して全面的に責任を負ってもらうしかないですよね。 

 

教わる側が教わる立場だとわかっていたから多少の反抗も気をつけなさいで済んでいましたが、今後は大人が学生を本気で潰しにいかないと大人が潰されかねない社会になってしまうかもしれませんね。 

 

 

・熱意をもって叱ると不利益をこうむることが増えてしまったからだと思います。そして、教員には生徒を退席させたり、出停させる強力な権限がありません。教員は信頼関係を作り、理詰めで粘り強く関わるしかないかなと思います。本当に大変です。 

 

 

・お客様は神様だという考えが教育委員会から学校に指導が来た。教員は委縮した。怒る指導は悪、ほめて育てよと教育委員会は学校を指導した。 

教員が怒ると、保護者が学校や教育委員会に言うと、校長は慌てて教員を呼び、注意する。教員は面倒くさいのと、自分の身がかわいいので、見て見ぬふりをする。関わり合いになるのを避ける。先生は生徒を怒れないでなく、怒れなくなるのだ。さらに、怒らなくなるのだ。 

 

 

・常に1対多の関係ができ、それがSNS等のバーチャル上でも展開されるからでしょう。1対1ではまずマウント取れないでしょうからね…。こういうときはまず確実に複数です。 

 

 そういった意味では、1匹狼が多かった昔のヤンキーなんかは潔さがあったのかもしれない。今、一人でマウントとれる若者はどれだけいるのでしょうか…。仮にリアルでは1対1であったとしても、バーチャル上で確実に徒党を組みますからな。…で、精神的に追い詰めると。 

 

 平成初期くらいまでは1人(単身)でもある程度統制が取れた(強制力があった)から先生にも「権力」があったかもしれませんね。SNSが普及した今はどうでしょうね…。 

 

 

・社会人教育しか経験ありませんが、スタンスが違う事も関係しませんか?自ら成長する為に費用と時間を費やし学ぶスタイルに近いのが大学。スキルを欲する人を満たす為には、ダメな人は放置。勿論、到達しようと努力している方にはフォローするが、着いて来れない差分は自己で補って貰うしか無い。 

怒れないとは違い、怒る必要が無いのでは? 

大学の講義で煩い方は、本気メンバーに迷惑がられ自ずと退室したり来なくなるケースも私の時代でも良く遭遇しました。 

 

 

 

・今の世の中下手すりゃ叱った大人の方が処分されたり謝罪させられる。そしてそのことを残念学生はよくわかっている。 

これではスルーがいちばん安全でしょ。 

ただ、残念学生たちは自分たちが大切な気付きの機会をどんどん失っているところまでは洞察できないんだよね。 

いい年こいてから大恥をかいたり周囲に相手にされなくなったりするのは多々あること。 

そう考えると、大人の方が老獪かつ残酷とも言える。 

 

 

・人も生まれたての頃は野性的である。 

教育されていくことで、社会性を身に着け社会的な生き物になっていく。 

 

教育に携わる者が、問題行動に対して「スルーするのが無難」と考えるようになったとすれば、それは教育放棄の状態である。 

野性的な者を、社会的に育てる過程において、ぶつかり合いは避けて通れない。そこを避ける教育者がいるとすれば、その人はリタイアしなくてはならないだろう(ぶつかり合いと言うのは暴力的に・・ということではない)。 

教育者が折れてはいけない線を持つべきなのだろう。 

 

保護者もまた、教育者の一人でもある。 

 

 

・怒鳴ったり脅したりの叱り方は今の時代と子どもたちには受け入れられなくなったので、淡々と穏やかに諭すだけで良いと思いますがね。 

それで伝わらない子はもう仕方ない。 

学校が躾までやらなくていいですし。 

保護者としては、いじめだけは何が何でも止めてくれるだけでありがたい。 

教員の指導でいじめをやめない子は、被害児童の親が警察に被害届の流れで。 

 

 

・怒るとか、はじめから論外。しっかりと一律なルールを作って、守らない場合は罰を与えればいい。社会に出る前に、社会を学ぶ学校に法律や刑法のようなものが無いこと自体矛盾している。社会に出てから、はじめてその厳しさを知るのでは、遅すぎる。取り返しがつかない場合もある。しっかりとルールを守ることを教え、守らないと罰があり、自分にデメリットがあることを教える。かと言って、今まであった校則のような偏ったものではなく、一律で一般的なルールを作り、それに沿って罰則も明確にすることができれば、体罰とか、学級崩壊とか、なくなるとは言いませんが、減ると思います。もし、実行できても、実際に運用するのは学校なので、半分ぐらいの効果しか生み出さないと思いますが、今よりはマシだと思います。 

 

 

・教師は強く言えないし多少強硬な指導しようものなら即クレーム案件なのに、当の生徒は問題起しても「未熟な子供のしたことだから」でスルーされてしまう。 

多少強く怒っただけですぐ不登校になったりして、「行き過ぎた指導」なんて名目で問題視されることも。 

そりゃこんなのだと一生懸命指導しようとは思わないし、思えないでしょ。 

本人のためを思って一生懸命してもほんの些細な部分で上げ足取られて逆にあれこれ文句言われるんだから、むしろ波風立てたくないと思うのが普通の反応。 

教師の業務は昔と変わらないのに責任だけが昔に比べて異常に重くなってる昨今の風潮が問題なんじゃないかな。 

 

 

・まず確認しておきたいのは、この記事で取り上げられている「学生」とは大学生のことですよね? 

中高生は「生徒」、小学生は「児童」ですよね? 

 

そもそも「大学」は「学校」ではないからです。 

「大学」は教育機関というよりも、どちらかというと研究機関だからです。 

防衛大学校をはじめとする「大学」でもあり「学校」でもある「大学校」は、研究機関としての学問の研究に加えて、教育機関でもあるので、小学校・中学校・高等学校と同様に服装や態度などの生活に対する指導も行われています。 

「大学」は「学校」ではないので、極端に言うと、学生がどんな服装をしていようと、研究ができればいいのです。その点、「大学」は自由度が高いと言えます。 

もちろん、研究にそぐわない服装や、目に余る態度に対しては指導が入ります。 

 

 

・良かれと思って叱っても当事者や傍観者らが、問題として取り上げたり、親がでてきたり、SNSに挙げたりと叱った方が悪者になり、下手をすると処罰される。親にも親族にも、地域にも叱られたり怒られたりしたことのない子供や若者、教師に叱られたら親に言いつけ、それを鵜呑みにしてクレームをつける保護者もいる。さらに教師を師ではなく、サービス業とみなす社会。こんな状況で叱ったら教師が損をするだけ。放置する方も出てくるでしょうね…。 

 

 

・そりゃあね、幼保の頃から大声で怒ると体罰、別室指導は体罰、教師が手を出せば辞職ものだが、子供の方は罵詈雑言吐こうが差別やイジメをしようが殴るケルの暴行しようが、基本的に教師の指導力不足であって子供が悪いわけじゃないからね。そりゃあね、出来るだけスルーした方が自分を守れる。マトモに向き合って自分が壊れたら自己責任だし、子供が変わっても変わった子供が偉いのだから。 

日本のメディアってさ、自分の都合の良いように=自分の理想に合わせて、学校や教師の責任範囲を広げたり狭めたりするからね。 

例えば、子供だけでお泊りとか夜間外出を制限するのは学校の管理外だからブラック校則と批判するが、SNSイジメの時は学校の管理外で学校じゃない所で書き込んだメッセージまで指導しろという。 

 

 

・今時の共感文化は嫌いなのでこういう事はあまり書きたくないんだが、ものすごく「わかる」内容だった。 

現代の歪みを的確に捉えている。 

 

大人の動物性の排除、浅慮な大人の言葉を真に受ける若者、意味のない言葉の氾濫、強い言葉でしか判断できない、キャンセルカルチャー、どれもまさにその通りで分析力に脱帽した。 

 

「近頃の若者は〜」なんていうお決まりのフレーズでは片付けられないくらいに今の若者は異常なほどに異文化になっている。 

若者は未熟なものだがそれにしたって考えが足りなすぎるし自己が肥大化しすぎている。 

そしてその背景には見本となる一部の言葉だけは強いおかしな大人がいる。 

 

思い当たらないでもないが、どうしてこんな事になってしまったのか。 

 

 

・小中高生、大学生関係なく… 

自分にとって都合が悪いことは悪、変わるべきは相手…というスタンスが本当に増えました。 

権利を主張したり、多様性やら逃げ口上ばかり一人歩きして、ただ怒られた不快にされただけを受け取り反省しなくなった。 

 

教育者として「〜してはいけない」「〜するべき」と正そうとする言葉は非常に届きにくい。 

将来的に反省してこなかった人生で困るのは本人なのでスルーが無難、安定だと思います。 

 

 

 

・感情とか関係なくても、本当に生徒のためを思えば叱ってあげるのがいいんだろうけど、俺が若い時を考えても先生の言うことなんて1mmも響かなかったから言うだけ無駄なのかもしれないな。人生はその人のものだから、周りが何を言っても仕方ないし、学校の校則を著しく破らない限りはほっといてやればいいんじゃないかな。 

 

 

・江戸時代までの寺子屋では躾の出来ていない者は学ぶ資格は無いと一蹴されていた。残念ながら現代社会では教員にすら人権も蔑ろにされ強い指導をするやいなや忽ちクレーマー保護者の餌食となる。一度しかない貴重な人生。働き方改革が目に見える形で推進されない限り、教員志望はやめた方が賢明だと思います。 

 

 

・大人もみんなで意識改革だなあ。 

 

怒れ!ではなくて、叱れ! 

 

怒るはさ、怒りに身を任せるから、殴るとか発狂するとかに究極は発展するんだよ。 

怒りと叱りは全くの別物。 

 

叱るは、言葉鋭く相手に強く言い聞かせる超難易度のコミュニケーション。 

これを大人が出来なくなってるから、物言えない大人になっているって事だよ。 

 

スキルの一つだと思って『叱る』を習得するのも有りかなと。若老害と言われてしまうかもしれないけどね。笑 

 

 

・中1の頃からか、「立場上見過ごす事もできないし、やらざるを得ない追加業務として叱ってる」という所を理解しだしてから、先生にもやたらと反発しなくなったし叱られる事も減った気がする。 

相手の立場を考えられない子が増えたのかな。 

 

 

・すぐに体罰だの暴言だのと言われるからです。何もしてないのに怒られたなどという子どもの虚言を、親が信じて疑わないからです。おかしい子どもの親は、ほとんどの場合例外なくおかしいです。本当に躾をしたいなら、日本にも兵役が必要かもしれません。 

 

 

・叱られること=怒られることと受け取る子供、保護者の多さ。感情的に怒鳴られることと、指導されることは全く異なっているのに、同じものとみなしてしまうのが今の傾向ではないだろうか。まるで自分を全て否定されているかのように受け取ってしまう。 

学校で指導を受け、へこんだとしても家庭でフォローすればよいはずなのに、高圧的に子供を責める親、また我が子可愛さに学校を攻撃する親…。家庭が果たすべき責任を背追い込まされている学校。そりゃ先生も大変だ。 

 

 

・結局は、大学そのものが何を目指し、どういうスタンスでいるのか?って事だと思っている。 

教育を主眼に置くのか、収益を主眼に起き、人気商売として考えているのか。 

そこに、生徒の将来はあんまり関係ないのが、哀しいけれど。 

 

今の子は、キツい事言われると、スンとシャッターを下ろしてしまうイメージがある。 

もちろん、個々での違いはあるけど。 

卒業して、大卒のハクを付けたいだけ。そういう子には、そういう対応をするだけ。それは、教授だろうと、サラリーマンだろうと大して違いはない。 

結局、未来を切り拓くのは、その子自身の前に進もうと望む気持ち。その学びが学問なのか、遊びなのか、人間関係なのか。 

存分に悩んで、自身が何をなそうとするのか、考えて欲しい。そんな時間があること、そのものがとても贅沢な時間なのだから。 

見守っているよ! 

 

 

・偏差値の低い側を主人公にするとこういう記事になるけど、きちんとした子も一定数いるよ。昔から、その割合は大して変わってないんじゃないかな。だから貴重な教育リソーセスはこれらきちんとした子にだけつぎ込めばいい。その他は、社会に出てから自分で苦労して更生するか、自滅していくだけだから 

 

 

・生物なんだから身の危険を回避するのは当たり前。危なくなったら謝っちゃおう。そうじゃなきゃ、スルーでいいよ。そのかわり、その相手がどうなろうと、世の中がどうなろうと知ったこっちゃない。自分を犠牲にして人さまの子供を守るなんて到底あってはならない。 

 

 

・単に怒りをぶつけるだけだったら簡単だが、怒って指導するためには入念な準備が必要です。しかもそのような怒り方をするのは、心身ともに疲れるので、スルーできるのであればスルーしたいというのが本音です。 

 

 

 

・怪物親はいるし、SNSで怒っているところを流されたら大変だしね。しょせん他人の子どもだから卒業するまで波風を立てないのが一番だ。定年退職まで適当に流しておくのがいいよ。 

 

 

・将来のことなんて、いつ何が起こるか分からない。 

もし、近隣諸国が日本を攻め込んできて、日本に戒厳令が発令され、徴兵制が敷かれたら、こんな○○ハラスメントなんて議論するどころではなかろう。 

こんな平和な時代がいつまで続くか、その保証などない。 

人類の歴史が全てを物語っている。 

 

 

・なぜという話をするまでもなく頑張る価値が無いからでしょう。 

教師という仕事は親のように感情で怒ると叩かれるもの。 

かといって生徒の成長を願っていようと怒れば叩かれるのが今の時代です。 

怒るのもパワーが必要ですから、今の教師という仕事にその価値がないだけです。 

 

 

・元高校教員です。 

事なかれ主義とかサラリーマン教師などと 

揶揄されますが、正そう、改善しようと思って 

教育的指導をしても文句を言われて 

ストレス貯めるなら、放置が楽です。 

 

ぶっちゃけ他人の子供だし、本人がこの先 

どれだけ苦労したり嫌われたりしても 

どうでもいいので。 

 

とはいえ自分は、そんなふうに割り切れず、 

教師を人間扱いしない国にも失望して 

転職しましたが。 

 

 

・>大学の先生が「べき」って言っただけで嫌な顔をする人が、大学の先生はこうあるべき、と平気で押し付けてくる。 

 

ダブルスタンダードってやつかしら? 

 

こ難しい事言っても真理は変わらない。 

 

コミュ力、頭の良さ、容姿、運動神経(身体の強さ)、メンタルの安定感、経験値。 

 

この6つが将来の自身の価値に繫るのよ。 

 

人にべき論かざす前に自身を鍛えるのが先決だな。 

 

 

・もう自分の人生や生活を賭けて 

生徒を叱るなんて、よっぽどの勘違い野郎しか 

こんなことやらないかな。 

先生なんてまともな仕事としてやるもんじゃない 

定年退職して年金で暮らしている方に 

ボランティアでお願いするぐらいがちょうど良いと思う 

 

 

・Z世代が騒いで作り出したハラスメントによって後輩が出来てもコミュニケーションが取りにくくなったなんて話も出てましたね。 

そりゃ、誰だって皆自分の都合良くしたいだろうけど、立場が変われば困るのは自分達なんだけど 

生徒は大人になって教師になったら分かるかもね。 

 

 

・なぜ叱れなく(怒るはニュアンスが)なったか。 

 

アホな親と、アホな管理職や教委と、面白おかしくミスリードするマスコミと、狂ったネット世界があるからです。 

 

的確に状況とタイミングを捉えれば、今でもキビシク叱ることは可能です。 

 

変な意味でなく、涙ぐませたり、うまく行けば嗚咽するくらい叱ることもできます。 

 

大きな声は要りません。しっかり、内側に入り込み、心をつかめば、伝わります。 

 

もちろん、遺恨は残りません。 

 

仕事なので、テクニックです。 

 

 

・権限が付与されない中では叱れないですよ。義務教育期間だと問題ある生徒を停学にすら出来ない。少なくとも全校長に出校停止の権限を立法すべきだと考える。 

あっ、「べき」使っちゃいけないんでしたね。 

物言えない世の中ですわ。 

 

 

・下手に叱ったりすると自分の教育の至らなさを棚に上げて学校まできてわめき散らかすモンスターが星の数ほどいますからね。ただでさえ激務な教員は余計ないさかいは避けたくなるのは当然かと。 

 

 

 

・それは差別だよ、って教えてらっしゃるんですか。それってパターナリズムじゃないでしょうか。あなたが正義を体現しており、学生生徒は教え導かれるべき存在意義というお考えですよね。 

あなたが、人権問題に関して全ての正解を握っておられるのですか?あなたが基準なら、もう彼らは何も考える余地はありません。それでいいんですか? 

「それは人権を侵害してはいないかと思うんだけど、あなたはどう思う?」と彼らの思惟を促してこそ、師たる者と言えるのではありませんか。 

誰かを怒るというのは暴言を吐くことにつながりやすく、まして体罰は触法行為、いや犯罪です。 

とんでもなくマッチョな対談で、頭が痛くなりました。 

 

 

・マスコミが洗脳報道しているからでしょう 

 

学生が管理されている教師に信頼がなく 

問題を起こすから校則で規制されているのに 

自分達は改善せず教師側ばかり責め立てている 

『ブラック校則』と大人まで言っている始末 

 

部下側の取り組み姿勢や発言や態度の落ち度は見ず 

叱責したりした結果のみ見て加害者を責める 

部下側に切っ掛けがあったのなら改善するべき 

それらを全部無視して加害者を絶対悪に報道 

『パワハラ』といって国民を感情で煽る 

とても法治国家とは思えない 

 

そんなマスコミが、パワハラだの体罰だので 

生活態度も取り組み姿勢も見ないでいて 

人間の感情のある教師がキレた時に 

『体罰』だと決めつけた報道をする 

 

どんな理由があろうと体罰は肯定されないが 

第三者が感情で私刑にするような報道をして 

『何故教師は怒れないのか?』とか 

 

意味分からんですわ 

 

 

・諭すのは、大切なのだが 

言い方と配慮はある程度必要なのだ 

人格否定や、自分の言い分をきいてもらえない、 

てのがないなら、しかられてもうちは逆恨みしたことはない。厳しい先生でも筋通ってれば 

逆恨みはされない 

 

 

・大学は躾の場では無い。社会人になってから入り直す人もいるし、企業から研究室にきてる人もいるし、大人の場ですよ。 

>応酬する動画がSNSで拡散される 

会社の中でこんなことやったら解雇でしょう。大学でも同様かと。 

 

 

・怒るのってめんどくさいからね。怒ったところで仕事は減らないし余計な仕事が増えるかもしれない。それならそんなところにリソースも割かなくなるよね。俺も基本的に他人に怒らないタイプだからよく分かる。言っても無駄だもん。「怒られるうちが華」とはよく言ったものだよ。 

 

 

・子供に殴られる真似されても何も言えないし、何も対策されない。 

なのに、クラスが崩れてきてそれではだめだと注意すると、先生のやり方が言い方がきついと。 

もう無理では? 

 

 

・大学においても、学生はハラスメントと言えば、教員は下手をすると失職するから、無難な対応をするしかなくなっているのが現状です。 辞めた先生はたくさんいます。有能な方も含めて。 

 

 

・悪いことをしても叱られない。だから悪いことをしていると認識できない。そして悪いことを繰り返して大人になり,より悪いことをする。そんな人間だらけになる。それでいいのか?よく考えてみて欲しい。 

 

 

・「やりましょう」と言って  

 やらなければ生徒が悪い。 

 将来困っても自己責任という話。 

 話せばわかるって理屈で。さんざん言ったでしょう?という。 

  

 

「やりましょう」といって 

 やらなければ、叱ってでも怒鳴ってでもやらせる。 

 やったことは、マイナスにはならない。 

 それはできることにつながり、出来なくても血となり肉となる。 

 でも、パワハラと言われる。 

 

 

私は絶対に後者。訴えられても後者。 

前者は、教育者としては責任逃れの構図。 

まだそれがわからない子供たちをどう導くのか? 

言われたからって、できる人はあまり多くない。 

 

 

・「先生」とは先に生きる者。 

「学生」とは生きるを学ぶ者。 

 

それらを指導するのに、何の遠慮や躊躇が必要だろうか。 

 

教師が我が子を叱責するなんてアリエナーイ。 

と考える、モンペの皆様方。 

 

昭和の時代に比べて、いじめの件数が爆上がりな事もご承知置き戴きたい。 

 

 

 

・こういうネットニュースも原因 対人関係は文字では伝わらないニュアンスやトーンで気持ちを感じることも多い それなのに都合よく切り取って文字にされニュースになるなら、教師は下手なことは言えないし、そんな計算した言葉には気持ちがこもらないから生徒の心に響かない 悪循環だから学校教育は新しい局面が開けるまで堕ちていくだけ 堕落論みたいなもの 

 

 

・ほとんどの大学は若年失業者の収容所であって、大卒の資格を取ればいい場所、卒業に必要な単位を取得、卒論を書けばいいのであって、教師側は、点数やレポートなど条件を満たせば、単位をあげるし、満たしていなければ落とすだけ。自己責任。 

 

 

・そう。誰も守ってくれない。 

管理職も教育委員会も文科省も。 

みんな敵。 

 

教員になる人なんか増えるわけがない。 

辞める人が減るわけがない。 

 

学校は崩壊する。 

家庭で教育することが子供の明暗を分ける。 

 

 

・大人というより責任者が責任から逃げてるのが悪い 

上に立つ者が抵抗せずに相手に同調して下の人間を責めてる 

何もできないなら人の上に立つべきではない 

 

 

・マス授業、三無主義全盛期に大学生を過ごしたからか、教授と個別に話をすること自体考えたこともなかった。ゼミも取らなかったし(試験を1科目多くとればよかったので) 

 

 

・昭和世代の自分は体罰されても親はおまえが悪いからだろと言われ家庭訪問でもビシビシやってくださいという感じだったから時代が変わっているのかな 

 

 

・昔先生言ってたよ。 

どんなけ嫌な子でも3年我慢したら関わりなくなるから、それは良い事だって。 

確かに社会人で3年で人間関係縁の切れる職業の方が少ないもんな。 

 

 

・叱らないでうまくいくなら、それでいい。 

 

そんなことは1回も無かったけれど。 

 

特に、他人をいじめたり傷つけたりするような生徒には厳しく対応してきた。 

 

今はもう教員は疲れたので、辞めたけどね。 

古い人間は去るのみ。 

 

 

・指導すると虐められたと親に告げ口、学校謝罪。 

喜ぶ児童。 

踊らされている保護者。 

それが現実。 

社会に出て警察の指導が適切な学び。 

 

 

・"叱る"ことは、伝えたい大事なメッセージを"指摘"や"注意"だけでは足りないと判断したときに、立場の上下関係を利用し、メッセージを強調する(大声、表情、ジェスチャー、周囲の人の反応)ためにする行為ではないでしょうか。 

 だから、"叱って"もそのメッセージが伝わらなかったり、逆恨みされそうな人間関係では無意味ですね。 

ちなみに、"怒る"はその怒っている人が感情的になるほどの事柄であるというメッセージだと思うので、"叱る"と似た使い方されますが、しょっちゅう怒っている人は"怒る"が常なので、印象が強調されませんし、生徒に伝わるのはウザい感情でしょうね。 

"叱る"にしても"怒る"にしても、家庭でコミニュケーションとして経験してないと受け止められないですね。 

 

 

 

・ほどほどの落とし所を見つけるのが上手くないからでは? 

昔は体罰の規制がほとんどなかったらしいですけど何もなく禁止するなんてありますかね。 

 

 

・世界的に怒らない風潮なのか日本だけなのか? 

怒らないと判らない人が一部にはいるのは事実。 

 

 

・中学卒業までは退学や停学はさせられませんからね 

生徒に非があっても親が文句言えば先生が悪くなるから 

怒れなくしているのは教育委員会や管理職やマスコミだよ 

 

 

・無関心でスルーするのが1番賢く生きる方法、という価値観になってしまったね。 

99の肯定があっても1の否定があれば賛否両論と言われる。そりゃ能動的に動けないよ。 

 

 

・スルーしていいのなら先生は「ハイ!」と叱らなくなるよ、事実そうしている人は多い 

その方が先生にとって安全だし、無事にやり過ごす事ができるからね 

その結果、より多くの欠陥生徒を生んでいるのにこの記事は狂っている 

 

 

・叱られた生徒が親を伴って反撃するか暴力で返すかのどちらか、怪我をしたくないから叱りたくても叱れない。 

 

 

・そりゃそうだ 

俺が教師だったとしたら、赤の他人の子どもの将来がどうなろうが知ったことじゃないもん 

 

頼むから面倒かけてくれるな、としか思わんよ 

 

 

・今や、中学生でもスマホを持つ時代 

 

いつでも動画撮影されていると自覚しておいた方がいい 

 

悪知恵が働くと、切り取り行為で悪者にされる 

 

 

・注意すると、後で親がうるさい。だから、私は放っておくこともある。仕方ないよ、だって働ける時間には限りあるし、やることもいっばいだし。 

 

 

・先生という職業、学生で一番最初に見るというか、身近に見ちゃうと絶対なりたくないと一番最初に消した職業だったな。 

 

 

 

・怒ればとばっちりがこっちに来る。 

怒るだけ損。 

知らんぷりか、笑って誤魔化す。 

そういう教え方をされた人間が大人になった社会って、幸せか? 

 

 

・そして怒られた事も無い人が社会人になって、会社やお客様に迷惑をかけても、自分は悪くないという、、 

大迷惑です。 

 

 

・放っておけばいい。 

下手に関わると、逆恨みされかねない。 

今はもうそういう時代なのだと思う。 

 

 

・現職です 

怒ってもいい効果は得られないから怒りません 

ただし、命に関わることだけは、叱ります 

 

 

・関わりたくないのでしょう。教師としては失格です。 

何もしない、関われない教員の評価は最低点になる。 

他の仕事を見つけた方がいい。 

 

 

・教員に限らず上の側が「スルー」するので、下の側の疑心暗鬼がインフレーションする。 

 

 

・所詮他人の子。 

知ったこっちゃない。 

 

勝手に変な大人になるが良い。 

 

 

・そのうち卒業して行くから、気にかけてるフリだけしておいて、ほっといたらええねん。 

 

 

・えっ?ハラスメントやん?令和はそういう時代やろ? 

メンタル豆腐量産体制やろ? 

 

 

・怒る必要はなく、必要な情報や問題点を教えれば良いです。怒る人は肝心の中身が薄く精神論ばかりで嫌いな人です。 

 

 

 

・もし日本が有事になったら、確実に日本は負ける。 

 

 

・綺麗事で躾や人間教育はできない。 

世の中汚いことばかり。 

 

 

・保護者からのクレーム 

管理職からの『注意』 

マスコミのハラスメント 

 

 

・こんな世の中に誰がした。 

 

 

・怒ると叱るは違うんだよ。 

 

 

・先生が怒ってるのはほぼ私情… 

 

 

・30年ぐらい前に言われた先生の言葉は今も覚えてる。 

人は成長する動物。 

知能が発達していく動物。 

だから言語を身に着けて成長した動物。 

言葉で伝えたのに理解出来ず成長しないのはただの動物。 

動物なら教育はいらないが、躾と調教が必用。 

 

今の世の中、躾と調教が必要な人が多すぎる 

 

 

・怒って自殺でもされたらたまらないし、親も怒鳴り込んでくるし、そんなんだったら放置でしょう。所詮他人の子供ですから。親もそう望んでいるんだから余計なお世話、将来その子がどうなろうが知ったこっちゃないと思うのは正しいでしょう。 

 

 

・今の学生が突然変異したわけではない。今の老人世代辺りから世代越えて受け継がれてきてると思うけど。公共より個人の権利重視、公共ルールより自分さえ良ければ、恥知らずでやったもの勝ち。そら老害と言われるよな。公園の子供の声がうるさい!幼稚園の子供がうるさい! 電車の子連れが邪魔だ! 救急車がコンビニで買い物してる! タクシー使うと金要るから救急車で送れ! あちこちモンスターだよな老人は。 その老人達の子供が親になってモンペだらけ、それ見て今の子供が受け継いでいく。先生大変だよ。 

 

 

・子供より保護者がうるさいからな 

 

いやま 保護者>子供>先生やでね 

 

怒ればパワハラ 怒らないと先生としてどうなんだ? やる気を見せれば生徒からはうざがられる。。 先生も残業したくない 

土日は休みたい️ 

 

もやは 学校は学校じゃないからね。。 

 

温室育ちの先生が 生徒を指導できるはずもないし。。 

 

いくら給料上げてもそりゃ先生の成り手なんか減るわね。。 

 

無難にすごすのがトラブルないし。。 

保護者と生徒のレベルが低いから仕方ないよ️ 

 

 

 

 
 

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