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「就活の茶番につき合えない」 真面目な人ほど就活で「損」してしまう演技社会の現実

東洋経済オンライン 7/17(水) 9:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/eaa244c19841f52f395b71484ceb49a4a9dfca73

 

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現代の就活では、若者が無茶な演技を要求されることが増えており、これは若者が悪いわけではなく、社会全体の在り方が影響していると言われている。

舟津昌平氏や鳥羽和久氏は、若者は基本的に演技をしており、演技が上手で慣れていると指摘している。

演技の要求が増えている現代社会では、演技に適合できないとストレスを感じる若者も増えている。

また、演技ができない人は子ども扱いされる可能性もある(要約)。

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現代の就活は、無茶な演技の要求に拍車がかかっていると感じます(写真:8x10/PIXTA) 

 

若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。 

企業組織を研究する経営学者の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――例えば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。 

 

Z世代を通して社会構造を読み解く舟津昌平氏 

 

本記事では、前回に続いて、著者の舟津昌平氏と教育者である鳥羽和久氏が、Z世代を通して見えてくる社会の構造について論じ合う。 

 

■若者は基本的に演技している 

 

 鳥羽:舟津さんがおっしゃる、権力がある人を「偉そうだからダメだ」と批判して脱権力させるのが現代社会の1つの特徴だ、という指摘は興味深いですね。おそらく、「偉そう」という点がすごく重要なポイントだと思います。偉そうだからダメっていうのは、つまり演技が下手だってことなんですよ。どういうことかというと、今の社会では「偉いのがダメ」ということが半ば常識となっているのに、偉そうに振る舞うこと自体が、もうそれだけで演技ができてない、下手だから不快だということになるんです。 

 

 つまり、リアルっぽさという、「ぽさ」が大事なんですよね。舟津さんも本で書かれていた旧ZenlyやBeReal.が若者たちに支持されているのは、リアルそのものではなく、あくまでリアルっぽさを提供してくれるから。 

 

 生の現実が見たいわけではなく、リアルっぽい振る舞いと演技のうまさを互いに楽しんでいるんです。だから、実際にはリアルじゃないってことも何となくわかっているけど、その「ぽさ」を楽しんでいるんだと思います。 

 

 舟津:「ぽさ」や「演技」は、今の若者を読み解くキーワードですね。本に入れようか迷って結局書かなかったのが、若者は基本的に演技をしている、という話です。若者は演技が上手で、演技することに慣れている。就活なんかまさに完全な演技の世界ですから。演じきらないと乗りこなせない状況です。 

 

 舟津:以前、金間大介先生が「今一番学生にウケる面接」という話を記事に書かれていました。例えばオンライン面接で、偉い部長がふざけたり、おやつを食べ出したりするんです。そこで、部下や後輩社員が突っ込むんですね。「そんなことしちゃダメでしょ」とか「何しているんですか、大人のくせに」ってたしなめる。そうすると就活生は安心するんですよ。「あ、偉い人が偉くないっぽさをちゃんと出している」と。 

 

 

 鳥羽:面白いですね。権力がある人が「権力なんて私、ないんですよ」っぽさをいかに演じるかが問われているんですね。 

 

 舟津:私の経験でもよくあるのは、学生や後輩がけっこういじろうとしてくるんですよね。勇気があるなと思う反面、自分がいじられるのはすごく嫌がる。たぶん脱権力されていないと不安だから、私にその「ぽさ」を求めているんだと思います。 

 

 「先生って言っても偉くないんでしょ」っていじってきて、それを受け入れるのを見せてほしいっていう、「ぽさ」の要求ですね。「脱権力されていないと不安」って、こっちがかえって不安になるような脆弱な感性ですけど、確実に浸透している感触はあります。 

 

■自分に合った演技でなければ苦しくなる 

 

 舟津:今の話をもう少し膨らますと、我々は基本的に演技する存在だと思うんです。社会学者のゴフマンも「ドラマトゥルギー」という概念を用いて、役割を演じるという観点から社会を説明しています。その見立ては妥当だとしても、演技する役が自分に合っていないとストレスになりますし、無理なことを演技しろと言われてもできませんよね。 

 

 例えば現代の就活は、無茶な演技の要求に拍車がかかっていると感じます。拙著を読んでくれた先生から「しっかりした学生の一部に就活を嫌がる傾向がある」と聞きました。「ちゃんと」就活して会社に入ってもらわないと困るから頑張らせるけど、自分の頭で思考できていて芯のある学生ほど、演技の茶番に付き合えないというわけです。 

 

 鳥羽:そうですよね。演技性に開き直れない人たちは大変な思いをしているのをすごく感じます。ただ、会社側としては演技してくれたらいい、というのが本音かもしれませんし、むしろ演技ができる人間のほうが使いやすいという本音があるのでしょうね。 

 

 舟津:会社側は「こういう演技を求めているんだから、素直に演技してください」って思っていて、まさにその演技性に開き直れない若者が苦しむと。 

 

 鳥羽:「ノリが悪いな」って思われてしまう。友達同士だけじゃなくて社会全体からノリが悪いって言われる感じになっていますよね。 

 

 

 舟津:たしかに、ノリなんですよね。ノリに付き合わないとノリが悪い。どんどん集団主義が強まって、一様になることを求められている気がします。これだけ多様性、多様性、と叫ばれていますが、それも多様性を尊重する演技をしてくれよ、という意味にすぎない。 

 

 鳥羽:そうなんですよ。「多様性というノリにのってくれ」ですよね。そういうことを言うと嫌な顔されるけど(笑)。「せっかく演技しているのに」って。それでうまくいってるっ「ぽい」じゃんと。 

 

■「演技ができない=子ども」とされてしまう 

 

 舟津:高校くらいまでだと、運動ができない、勉強ができない、恋愛ができないといったことにコンプレックスを持つのは、ある程度伝統的な悩みですよね。そして現代では、演技ができないってコンプレックスが新たに加わっている。 

 

 演技は社会の潤滑油でもあって、必要な機能です。ただ集団のノリで演技を強要して、演技ができないから集団からこぼれるっていうのは何かがおかしい。でも現実的に今、大学の中の友達付き合いでも就活でも、ノリを演技することが求められるんですよね。 

 

 鳥羽:そうなんですよね。「サイコパス」という言葉が出てきた背景にも、それがあると思います。ノリが悪い人をおかしな人扱いするための便利な言葉として使われてしまっている。 

 

 舟津:中身のない言葉、唯言としても「サイコパス」や「何とか障害」が多用されていますね。ノレない人は「何かの病気だから」と。 

 

 鳥羽:大学のサークルとかは特にそこがはっきり出るところですよね。ノリがいい=社会化、大人化とされる。サイコパス的に自分の欲望にこだわるのは「中2だ」とバカにされる。 

 

 教室で子どもたちを見ていると、頑張ってノッていこうという動きが高校生になると段々先鋭化してくる。中学校まではまあ好きにやっている子が多いのですが、高校入学あたりから社会化の方向に一気に舵を切る子は多いです。小6から高3までという長い時間軸で子どもたちの変化を見ているので、どうしてもそういうダイナミズムがくっきりと見えるときがあります。 

 

 舟津:似たような例として、「先生の授業は面白いから出たいんだけど、友達グループが出たがらないから来づらい」とコメントペーパーに書いている学生がいました。 

 

 

 鳥羽:来ればいいのに、と思いますね(笑)。 

 

 舟津:まさに自分の欲望の問題ですよね。自分が来たいと思ったら来ればいいのに、「ノリが悪い」と言われるから来れない。「友達みんなで楽しくサボってるのに、ひとりだけ授業に出るやつって、ちょっとヤバいんじゃない?」って、なるんですよね、たぶん。 

 

 鳥羽:そうなのでしょうが、しょうもないですね。 

 

■先入観ありきの友達作り 

 

 舟津:私の理解では、高校まではクラスで固まる凝集性が高く、対して大学は自由に独りになれる、孤独を許容する場所だと思っています。でも、むしろ今の大学って独りにさせないようにできているんですよね。例えば特に文系学部では、大学の偏差値によらず、ベーシックセミナー(入門演習、ファーストイヤーゼミ)と銘打って新入生用のクラスを作ることが多いです。ドロップアウトする子を生まないように、大学側が友達作りの場を授業として用意している。 

 

 鳥羽:そういうお膳立ては、かえって偶然的な出会いの可能性を奪っている感じがします。 

 

 うちの教室では、高校生の哲学対話授業がありますが、最初は自己紹介らしきものはあまりしない、名前だけを言うという方針にしています。高校とか部活動などの所属なんかを言うと、それだけで色付けされちゃうから、あえて名前だけにして、1年かけて会話の中で相手のことを知っていくんです。最初に色付けしないほうが面白い。 

 

 でも今は、例えば小学生たちも発達障害という言葉を知っていますから、クラスに発達障害の子がいるとわかると、「いい子」ほどその子に配慮しなきゃと思うようになります。何かいたずらをしたりふざけたりしても、「あの子は発達障害だからしょうがないんだ」と理解を示すわけですが、それってほんとうに理解と言えるのか。むしろ最初からその子を理解しなくていいっていう共通了解をつくっただけなんであって、欲しかったのは理解したっぽい雰囲気にすぎないわけで、そうすると発達障害と名指された子どもたちはますます孤立して寂しくなっていくんです。 

 

 

( 191847 )  2024/07/17 17:22:28  
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- 就職活動や社会における「本音と建前」の問題に関するコメントが多く見られ、演技や茶番を避けられない状況に対する不満や疑問が表明されている。

 

- 社会人としての適応力が求められる一方で、本音と建前のバランスを保つことの難しさや、自己を見失うリスクについての声が見られる。

 

- 就活や社会人生活において、演技や建前によるストレスや不満を持つ人がいる一方で、適応能力やコミュニケーションの重要性を強調する声も挙がっている。

 

- 一部のコメントでは、就活や社会における演技や茶番を避けるために、自分らしさを保つことの重要性や、個性を発揮することの喜びを強調する意見もある。

 

- 現代社会においては、演技や建前が必要な状況や場面が多いことに対する不満や疑問、個々の生き方や幸せの追求への思いが反映されたコメントが多く見られる。

 

- 総じて、就活や社会生活において演技や建前が避けられない状況に対する複雑な思いや対応策、またはそれに対する懐疑的な立場が示されている。

(まとめ)

( 191849 )  2024/07/17 17:22:28  
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・演技する側面があるのは承知、そしてそれを行ってきた結果、自分がよくわからなくなってしまって、それが親密な人間関係を築くことへの障害になったり自己信頼がなくなるようなことになりました。 

可能なら自分自身でいながら生きていきたいのが本音。その方が苦しくない。苦しくなく生きた方がいいじゃん?と「私は」思います。もちろん、違う意見があってもいい。 

 

 

・就職活動とは本音と建前が渦巻く場所である。 

むしろ本音と建前しか無いかもしれない。 

企業は企業で自分達の良いところばかりを見せて決して悪いところは見せない。 

学生は学生で採用されたい一心で「採用される人間」を一生懸命に演じる。 

だから入社してから「こんなはずではない」があちらこちらで起こる。 

そりゃそうだろと。 

お互い演じに演じていて、「本当の我が社」「本当の私」ではないのだから。 

正直あれは本当に無意味だ。 

そう思い続けて数十年だが、それは今も全然変わっていない様で。 

そして今日も日本のあちらこちらでミスマッチは起こり続ける・・・ 

 

 

・就活に限らず社会もそうでしょ。大きい会社ほどビッグスピーカーが強くなる。限られた時間の中で選ばれるには致し方ないことかなと。 私自身は演技や嘘が苦手なので、コツコツ人が避ける難易度の高い資格の取得や仕事の積み重ねで、属人的な仕事を増やすのが生存戦略になっていますが 

 

 

・演技というのは大げさだけど、結局のところ「本音と建前」ですよね 

ただ、就活に関して本音を隠しすぎるとスキルミスマッチが起こる可能性が高くなるのであまりお勧めはできないですね 

面接のときに本音を隠してるのは会話をしていくうちになんとなくわかりますが、本音で話をしてくれたほうが入社してから「こんなはずじゃなかった」と思われる確率が減るのでそちらのほうがありがたいです 

 

 

・本当は「決して本音を言ってはいけない」のに、大学ではベーシックセミナー等の新入生用のクラスを作ったり、企業では1on1の面談を行ったりと、システムだけは「お互いに本音を言いあって真の理解を促進しましょう」の綺麗事の方向に進んでるのが、閉塞感を強めてる。 

 

でもシステムを作る権限を持ってるのは当然、学生や新入社員ではなく、大学の教員や企業の経営陣=権力を持ってる側。だから仕方が無いのも確か。 

権力の側がシステムを設定する目的は、下位者の幸福を図ることではなく、統治する側にとって都合の良い組織内秩序を、下位者の心に根付かせることだから。 

そう考えると、「実際には真の理解の促進にはつながらないシステムだけど、上がやれと言ってるんだから仕方ない。上からの指示には従わないと俺が損するだけだから」の心的態度を養うツールとしてはよくできてる。 

誰がこんな、建前だけの無価値な綺麗事を推進してるんだろうね。 

 

 

・根本的に忘れてはならないのが、企業は「一緒に働きたい人」を選びます。 

もちろん優秀な人が欲しいが、頭がいい人だけとは限らない。 

やっぱり元気が良くて最低限の挨拶、礼儀が出来ている人には目が向く。 

ただ新卒の場合、細かく見抜くのは難しいし、採用担当も採用者数のノルマを上から課されているのでざっくり採っているだけ。 

 

そういう面でも一番有利なのは新卒採用です。 

中途の場合は能力、実績、人格、即戦力&将来性などキッチリ見られます。 

 

ただやっぱり誠実さだけは嘘を付けません。 

採用側(役員、人事部長クラスは日頃から多くの人を見て来ているので、ちゃんとその人の本質は見抜きます) 

 

うちの理事長は履歴書の字&写真だけでその人の人物像を見抜きます。 

ノッテいる人は瞳の輝きが違うし、ここだけはどんな人でも自分で操作できない。 

 

 

・演技みたいな事も時に必要だし、本音と建前も必要。 

 

それくらいは社会人として最低限という人もいるけど、最低限ではなくこの国この社会はそれらが度を越えてると個人的には感じます。 

閉塞感が生まれない理由がない。 

 

結果ものの見事に疲れ果て虚無を感じて人との関わりそのものを避けるようになる。 

全部なるべくしてなってる。 

本当に「そこで生きていきたい社会」を目指してるのか甚だ疑問です。 

 

最初はたとえ建前だろうが演技だろうがそれがウソにならない様に自分を持っていくのが「大人」だと思うし、その為にも相手の要求にとりあえず合わせるだけの上っ面過ぎる振る舞いは最初から避ける、求めない事が必要だと思います。 

全てグラデーションでありバランスの話 

 

建前の裏にその面影もない本音が渦巻いてるなんてものすごく幼稚だしカッコ悪い生き方だと思ってます。 

とどのつまり幸せになれない。 

 

それが目指す社会?? 

 

 

・求められる社員像を持ってることをアピールする場なんだから、それを「茶番」と思う人はそれでいいし「ゲームのルール」だと理解出来てる人が選ばれるというそれだけの事。 

素の自分のままで社長の前に出られる人もいれば 素の自分では印象が悪い人もいる。それは個性ではあるけど使い分けが出来ることが求められてるよっていうことが理解出来てないなら落ちるでしょうね。 

 

 

・演技は否定できませんね。ただ、演技する=ノリが同じにするは違うと思う。 

集団に属し、その集団になじむためには自分の立ち位置を明らかにすることが必要。だから、その集団の中で自分の特性に合わせた立ち位置を持てば、自分を損なうことなく、その集団でのポジションも持つことができる。必要なのはそのポジションに立つための自我を抑制する演技。別にノリが同じである必要はない。 

 

 

・毎年多数の学生がエントリーする人気企業だったら、一部の技術職を除いて、 

学歴と容姿とコネで半分以上はぶった切って、残りをエントリーシートや面接でふるいにかける。そんな感じじゃないですかね。 

 

こういう仕組みに納得できなければ、公務員を志望するか自分で起業するしかない。ただ最近は公務員でも面接試験≒容姿チェックのウエイトは上がっているので、単に試験馬鹿では採用されにくくなっている。 

 

そして職歴が無い状態での起業はさらに成功率が低い。 

社会経験が無いので悪い大人に騙されてしまうこともありますね。 

 

要するにどの道を進んでも多かれ少なかれ「茶番」は避けられないということです。 

 

 

 

・当たり前でしょ。「素の自分」が1つしかないと思い込む時点で間違ってる。親といる時の自分と、恋人といる時の自分って違うでしょ。でも、どちらも素の自分。 

色んな自分がいるのは当たり前で、無意識に演じられるようになれば「素の自分」と認識するようになる。 

つまり、無意識に演じられるほどの経験が足りていないだけ。 

言い訳はたくさん思いつくし逃げるのは簡単で楽なんだけど、経験積まないと一生幅の狭い素の自分しか出せずにストレス増えるだけだよ。 

 

 

・社会に出て必要と感じるのは、要領の良さと適応力の高さ。 

演技をして人に気に入られる社交性の高さも対人関係が求められる組織や取引では、大きなスキルとなります。 

そして、それができる人たちは自分の我を通すのではなく、周囲が求めているものを効率的に生産する真面目さと柔軟さがあります。 

 

文中には、モテる男性は本性を隠してわざわざ演技をしていると小馬鹿にするような記述がありますが、女性にモテるための効率的な演技や身だしなみすらできない非モテ男性が僻んでいるようにしか思えません。 

 

面接は商談と同じで準備と想定が9割です。 

演技は必要最低限のスキルに過ぎませんし、そんな努力すら拒む真面目で頑固な人は組織ではなく、個人で生きる道を模索した方がいいと思います。 

 

 

・文系だと多くの場合、面接で茶番しか言いようがなくなってしまう。トップ大学の修士で、統計学をマスターして実金融データを分析してレポートをつくってきました、なんて言える人は別として、私大文系でぬるい授業しか受けてこなかったら、何もないので茶番に付き合うしかない。それが嫌なまじめな学生は、理系に近い形で死に物狂いで勉強して、実のあることを言える力をつけるしかない。 

 

 

・私は演技や決まった受け答えができなくて就活に苦労しました。 

何百人も集まってる説明会で手を挙げて質問する度に、「本日は貴重なお話をありがとうございます。〇〇大学から参りました〇〇です」とか…ばかじゃないの…と斜に構えてましたね。 

新卒で入る会社なんて、ブラックでなければなんでもいいよ。嫌ならやめたらいいし、転職の方がよっっぽど楽に好きな会社を選べます。※都内の話 

 

 

・真面目を免罪符のように使うけど、この場合真面目ってよりは融通利かない頑固者でしかないよね。 

 

真面目に越した事ないけど、真面目=人柄もよく優れた人みたいに使ったり、型にハマった無能者の誤魔化しみたいに使うのは違うと思う。 

 

他に褒める事がないから、「良い人そう」とかって言ってるのと変わらないよ。それこそ茶番。 

 

 

・毎回、違うネタを仕込んで…遊んでました。 

どうやって理不尽な態度に切り返すか? 

もっていきたい方向を決めといて… 

徹底的に言葉遊びで同じ話しかしてないけど、 

ちょっとずつずらしてみたり。笑笑。 

たいがいバレない。 

まさか、マトモに返す予定もないとは 

微塵も感じないか。 

出てくるワードだけはカッコいいから。 

印象に残しやすい。 

逆に、集団面接なら、前の人の回答を潰すんです。 

めちゃ嫌な顔するけど…ネタがないので… 

顔に出した瞬間、面接官に見られますからね。 

 

 

・そもそもですが、面接程度で人となりなど分かるわけないと企業側も分かっているので、8割方学歴で選んでいます。 

あとは際立った社会性の欠如がないかなどを見てるにすぎません。 

これぐらいの話に合わせることが出来ない人は扱いにくいのでいらないでしょう。 

 

 

・う~ん別に演技しなくてもよいんじゃ 

社会に参加しないで生きるスキルを磨けば生きていけるわけで 

狩猟、採集で食物を得て、獣皮や植物から取り出した繊維で織った布で服を作ってさ 

それらも社会に参加するための演技もできませんってのなら根本的に生きるスキルがないというわけで 

 

 

・1on1について、「上司は上司で、部下は部下で、当たり障りないけど盛り上がる程度の悩みとか問題意識をうまいこと共有して、揉めない程度に満足度の高い時間にすることが、両者に求められてしまっている。」の解像度が高すぎる。 

私はそれでも本音とか不満とか言ってしまうタイプだけれど、後からそういう場じゃなかったよな、上司困らせちゃったなって思って、結果何も言えなくなった。 

 

 

・代表が親しみやすさ『ぽさ』を出しても、ちゃんと礼節をわきまえる学生でなければいけないよね。調子乗っちゃダメよね。上手な返しが出来る…それも難題。やっぱり学力だけじゃなく、コミュ力も賢くないといけないって事かな。 

 

 

 

・30数年前、1次だか2次だかの集団面接で周りがサークルやゼミの幹事長だらけだったのは笑った 

昔も今も過剰アピールは変わらないが、今は就活まで塾に頼る時代だし、より一層過激化しているのかも 

それが効くとは決して思えないのだが・・・ 

 

 

・そういうところでうまく立ち回れる人を世渡り上手と言うんですよ。真面目なのはいいことだけど、クソ真面目だと短所ですからね。状況と周りの空気を読んで時には本音で、時には嘘を上手く使って立ち回れないと。重要な場面で建前の一つも言えない人はやっていけませんよ。 

 

 

・会社という複数の人間が属する組織に入る、社外の人間とも接しなければならない。 

人間関係を円滑にする努力をしなければならないのは常識では? 

こんなの社会人じゃなくても日常的にみんなやってるでしょ。 

 

 

・まあ別に利があるならその時期の社交辞令くらい付き合うべきだとは思うけど、単純にあれで本当に「選考」出来てるの?って疑問は湧いてくる人事選考は多かったね。 

 

 

・自分も就活でかなり苦労したクチだが、たしかに「演技」は苦手だな。なんか嘘吐いてるように感じるし、「できます、得意です、問題ありません」みたいにアピールした結果受かっても、いざ働きだしてから上手くいかなくて詐欺師扱いされるのが嫌で。ありのままの自分を語れば絶対受からないし。団体のノリもたしかに合わないわ。 

 

 

・「演技が上手い」を「空気を読める」に置き換えるとしっくりはくる。 

会社員として出世したければ「最低限」の能力でしょう。このの力が欠如していて、その他の能力に秀でているのなら、起業をオススメします。 

 

 

・学生は学生のコミュニティーが主だし就活は茶番と思えるだろうが社会人になってみればその茶番こそが主のコミュニティーになるのですぐに慣れます。 

 

 

・なんか面倒くさい。 

人と関わらず生きたい。 

仕事なんて社会の穴埋めるだけでしょ。 

なんでただその穴埋める仕事の面接で建前の 

演技なんてしないとならんのか。 

たかだか仕事ごときにそこまで気を遣ってられない。 

 

 

・学生なんて努力ややって来たことなんて大したことないのがほとんどなのに、会社も野暮なこと聞きすぎ。だから答える側も嘘をまとって演技しないといけなくなる 

 

 

・売り込む側は買い手のニーズに合わせるもの。 

 寄ってたかって今の形を作ったんでしょう。 

 そうそう、就職情報会社ってのもあるしね。 

とは言え、人物を見極めるというのは非常に難しいこと。できないことを工夫した結果、どんどんややこしくなる。 

 個人情報SDGsってのもあるしW. 

 

 

 

・演技というと聞こえは悪いが、役割を全うするのがプロ。求められる役割に応じて使い分けも必要。 

 

 

・自分も大学時代まったく就職活動しなかった 

面接とかで演技するのも馬鹿らしいしそんなことで採用決めるような会社も大した会社じゃないだろうから 

茶番はやめたらいいのに 

 

 

・社会にでると、いろんなキャラを演じられる役者になると楽だな。あいつは怒らせるとヤバいとか、器が大きいとか評判が重要だったりする。 

 

 

・許容できる演技とどうしても許容できない演技の2つを自分の中で別けられていれば、いいと思います。 

 

 

・昔よくあった「圧迫面接」は演技ではない。 

就活者に「圧迫」する面接官は、 

ふだん部下に接するときも「圧迫」している。 

まさにリアルだ 

 

 

・真面目に準備をした人が通る採用試験もあるから、損得を一概には言えないのではないか? 

 

 

・面接では会社は、決まりきったことを聞き、就活生は、お手本のような答えをする。もはや伝統芸能、歌舞伎や能の世界。 

 

 

・就職活動をする上で嘘を付いて相手をだますのは難しい。だから、正直になることが採用の早道。 

 

 

・入社試験に、入社後に必要なスキルを直接問う選考がないことに疑問を感じる 

 

 

・「俺は何でもわかってるんだ」といった風に上から目線であれこれ語っているこの人たちこそ「偉そう」「偉ぶって」と思いました 

 

 

 

・高等教育を修了してからの、日本の就活ほど間抜けなイベントはないと思う。 

 

 

・これは就職した後も同じ。耐えられないなら、他の人生を選んだほうがいい。 

 

 

・嫌なら起業すればいい。 

城をもてば自分の理想の人間だけ周りで固めりゃいいんだから。 

 

 

・「先生だってそんなに偉くないんでしょ」 

「そうだね、私には君に単位をあげない程度の権力しかないよ」 

 

 

・新卒の採用基準なんて、突き詰めれば面接官の気分しかないよ。 

 

 

・中身のない ぽい話しに合槌打ち続けてるもう一人の映像しか思い浮かばない。 

 

 

・国会議員が選挙の時だけ街頭演説と選挙カーで演技しまくっているからね 

 

 

・だからこそ、日本が衰退している原因になったんだけどね。 

 

 

・リアルとヤフコメ比較してみな、リアルの演技の多さがわかるよね。 

 

 

・しかしながら 

採用してガッカリするのは 

企業だから。 

 

 

 

・だってそうしないと内定もらえないから 

 

 

・確かに 就活は茶番 エンタメ 劇場です 

 

 

・クソゲーとの相性が良い人はその程度の人間にも思えるよね 

 

 

・>例えばオンライン面接で、偉い部長がふざけたり、おやつを食べ出したりするんです。そこで、部下や後輩社員が突っ込むんですね。「そんなことしちゃダメでしょ」とか「何しているんですか、大人のくせに」ってたしなめる。そうすると就活生は安心するんですよ。 

 

こんなミエミエの作り話を真に受けてる人がいるんだ 

本当に昭和世代ってチョロいな 

 

 

・日本社会は妄言、忖度、無責任の単純労働である文系中心なので、『馬鹿社会に合わせる』という事ができないのであれば、爪弾きに遭う。 

 

 

・長いから飛ばし読みだけど、文系総合職なら演技力は必須ですよ。 

思ったことをそのまま口にしてたらナンタラ障害とか言われるよ~ 

 

 

・面接など意味あるの?と常々感じる 

使えない人がよく入ってくるから 

 

演技が見破れない試験官は有害でしかない 

 

 

・演技させようとするから、仕事ミスしたときに報連相しなくなる若者を生産する。詐欺師の育成講座じゃない 

 

 

・就活は大嘘つき大会だと思っている笑 

まぁ生きていくには嘘はつきものですね。 

 

 

・人生茶番だらけ 

 

 

 

 
 

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