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「生まれてくるべきじゃなかった」64年ぶりに外の世界に出た無期懲役囚、不意に流した涙

弁護士ドットコムニュース 7/18(木) 11:01 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/ced72533f909695049cf7d9c1f9786c9d81c3bff

 

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64年ぶりに刑務所から出所した無期懲役囚の男性が、感情の波に包まれた様子がインタビューで話題になっている。

獄中で経験した感情や現代の若者に向けたメッセージなどを語っている。

彼は犯罪の過去を振り返り、改心の過程や社会復帰に向けた思いを語っている。

(要約)

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64年ぶりに刑務所の外に出て暮らす無期懲役囚の男性。インタビューの途中、急に目に涙を浮かべて声を詰まらせた(一宮俊介撮影) 

 

2年前、ある刑務所の門から一人の無期懲役囚が姿を現した。服役期間は国内最長級の64年。「人の情けに生かされてきました」。塀の外で平穏な生活を送る今、獄中では決して抱くことがなかった感情に向き合っている。そして、現代を生きる若者への思いを口にした。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介) 

 

【動画】64年ぶりの“シャバ”を語る無期懲役囚 

 

無期懲役判決を2度受けて仮釈放された男性が収容されていた熊本刑務所(2024年6月29日、熊本市中央区で) 

 

「やっぱり子どもの可愛らしさ、犬の可愛らしさ、女性の華やかさ。しばらく見てないとね、あぁこんな感じかぁって」 

 

稲村季夫(いなむら・すえお)さん、91歳。 

 

2022年6月、熊本刑務所から仮釈放され、約64年ぶりに外の世界に戻ってきた。 

 

現在は入所する施設での掃除や植物への水やりが日課で、穏やかな日々を送る。 

 

64年ぶりの外の生活で、子どもや犬を見た時の感動を語る稲村さん 

 

「外ですれ違う子どもが『おはようございます』って言ってくれると、自分の存在が認められたようでうれしい」。 

 

何も知らずに話を聞くと好々爺のように見えるが、彼は2人の命を奪った無期懲役囚だ。 

 

法務省が2023年12月に公表した資料によると、2022年に仮釈放を許可された無期懲役囚6人のうち、判断時の在所期間が63年を超えていたのが3人いる。稲村さんはそのうちの一人とみられ、過去のデータを見るとこの3人を上回る長さは見当たらない。 

 

1958~59年に稲村さんが起こした2件の殺人事件について伝える当時の新聞記事 

 

一体、過去に何があったのか。 

 

さかのぼること66年前。1958(昭和33)年5月19日午前8時過ぎ、稲村さんは知り合いに誘われて働き始めた与野町(現・さいたま市)の工場で、上司の長田進さん(当時46歳)を刃渡り26センチの刺身包丁で突き刺すなどして殺害した。 

 

さいたま地検に閲覧請求した当時の刑事記録によると、「3カ月くらい経てば本採用にする」という約束が守られなかったことに不満を募らせ復讐を決意したという。 

 

1958年は東京タワーが完成した年だ。プロ野球巨人の長嶋茂雄がデビューし新人王を獲得した。 

 

日本が高度経済成長に突入していたそんな時、稲村さんは浦和地裁(現・さいたま地裁)から無期懲役を言い渡された。25歳の時だった。 

 

しかし、凶行はこれで終わらなかった。 

 

 

事件を起こした1958年当時の自身に関する新聞記事を読む稲村さん 

 

半年後の1959(昭和34)年7月8日には、収監された千葉刑務所で知り合った受刑者の鈴木和男さん(当時28歳)を別の受刑者(当時25歳)と共謀して革切り包丁で刺し殺した。 

 

バカにされたり非難されたりしたことに我慢できなかったという。 

 

この時は検察が死刑を求刑。弁護士は「稲村は極度に興奮しやすい精神的欠陥者で、犯行当時は心神耗弱の状態にあった」と主張した。 

 

千葉地裁は1959年10月24日、「あらかじめ事前に詳細かつ具体的に打ち合わせをしており、稲村の行動になんら精神病的異常は認められない」として2度目となる無期懲役の判決を下した。 

 

当時の新聞には、被害者の言動が誘発した面があったとして「この事件としては情状判決となった」などと書かれている。 

 

母(右)と写真に映る子どもの時の稲村さん。母親は10年ほどで稲村さんが出所してくると思っていたという 

 

こうした凶暴性はどうやって生まれたのか。稲村さんは古い記憶をたどって語り始めた。 

 

1933(昭和8)年5月、朝鮮の京城(現ソウル)で日本人の両親のもとに生まれる。 

 

小学生の時、満州で終戦を迎え、1946年10月に両親とともに日本へ。知り合いを頼って東京や埼玉を転々とし、家庭は困窮した。 

 

「当時の日本は引揚げ者に冷たかった」。稲村少年の目にはそう映った。 

 

稲村さんは近所に住む子どもたちと豆腐を売って回ったという。自然と素行の悪い友達とつるむようになり、1950年に仲間が持ち逃げした知り合いの金を使ったことで多摩少年院に入った。 

 

その後も窃盗や詐欺、覚醒剤使用を繰り返し、20歳で初めて刑務所に送られた。 

 

稲村さんが刑事施設に入所した日と出所した日が書かれた書類。その期間は約64年に上る 

 

「無期なのでどうせ出られないと思っていました」 

 

収監されると開き直った。仲の良い受刑者がトラブルを起こして懲罰を受けると、代わりに刑務官や他の受刑者を襲撃し、服役中にも別の実刑判決を受けている。 

 

処遇困難者として北海道の網走刑務所、大阪刑務所、広島刑務所に次々と移送され、最後に送られたのが熊本刑務所だった。 

 

特に厳しい処遇を受けたのが1960~70年代に収容されていたという広島刑務所。 

 

保護房と呼ばれる布団だけしかない一人部屋に入れられ、両腕を背中で固定されたりお腹の前と背中の後ろで片腕ずつを固定されたりした状態で半年間を過ごした。 

 

獄死を覚悟していたが、「惨めな人生で終わりたくない」と腕立てや腹筋などの筋力トレーニングはかかさなかったという。 

 

タバコやアルコール、暴飲暴食や夜更かしなどとは無縁のムショ生活を長年送ったこともあり、皮肉的だが今も足取りや話し方は若々しい。 

 

 

刑務所での生活を振り返る稲村さん。当初は「どうせ一生出られない」と思っていたという 

 

シャバに戻ることを諦めていた人間を変えたのは、ある刑務官の一言だった。 

 

「熊本刑務所の病舎にいた時、責任者にホリさんという方がいて、私が運動している姿を見て『この男は使えるな』と思ったんでしょうね。『俺が今度担当することになった工場に降りてこい。悪いようにせんから』と言われたんです」 

 

「降りてこい」とは、その刑務官が担当する工場で刑務作業をしてほしいという意味だ。 

 

「その時、ホリさんに報いないといかんなと思いました。そこまで言われたからにはこのオヤジにかけてみようと。それが出所につながるからと考えたわけじゃなくて、どうせ刑務所にいるならオヤジのためにやってやるってね」。 

 

以来、反抗的な態度を改めた。 

 

工場に移ってからはホリさんの指示に忠実に従った。15分の入浴時間で身体に障がいのある受刑者の入浴を手伝った後に自分の体を洗い、最後に全ての洗面器やシャワーの位置を整えて浴室を出ることを6年ほど続けたという。 

 

「私を試すためだったと思うが、途端にそういう重労働を押し付けられたんで最初はちょっと不満だったけど、やっているうちに偉い人から『ご苦労さん』『稲村、頑張ってるな』と声をかけられるようになりました。そうした発端をホリさんが作ってくれた」 

 

なぜ仮釈放が許されたのかは稲村さん自身にも知らされていないが、ホリさんとの出会いが大きなきっかけになったと振り返る。 

 

横断歩道を渡る稲村さん。外出先ですれ違う子どもからあいさつされると「自分の存在が認められたようでうれしい」という 

 

稲村さんが話をしている最中、不意に言葉をつまらせ目に涙を浮かべる瞬間があった。 

 

「今は自分が好きな甘いものを自由に買って食べられる。『あぁおいしいな』と思った時、私のせいで思いを断たれた被害者のことが頭によぎって、『罪深いことをしたな』という気持ちをだんだんと持つようになりました。中にいた時は考えたことなかった」 

 

塀の中で64年もの年月を過ごし、社会に戻ってきて初めて感じる心の痛みがあったという。 

 

「人の気持ちというもの、人間が生きる辛さ、弱さを全然考えていなかった。今になってそれが出てきている」 

 

自分に言い聞かせるように時折うなずきながらこう続けた。 

 

「どうしたら償えるか。償いとは言えるが、できない。まず被害者のことを考えなきゃいかん。どれだけの人を泣かしてきたかを」 

 

 

少年院の時から数えると、実に70年近くを矯正施設で過ごしてきたことになる。今、何を思うのか。 

 

「人間でなかったと言えばそれまでだが、昔の自分は考え方が大雑把だった。私は生まれてくるべきじゃなかったと思う。でもその反面、人の情けに生かされてきました」 

 

今よりも殺人事件が数倍多く発生していた時代を知る稲村さん。現代の日本で「刑務所に入るため」に事件を起こす若者がいる状況を憂慮している。 

 

「今、刑務所に入りたいとか人を殺したいとか言う人がいますが、私のような結果になるんだよと伝えたい。まぁ私が何を言っても愚痴にしかなりませんがね」 

 

※この記事は弁護士ドットコムニュースとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 

 

 

( 192042 )  2024/07/18 14:35:03  
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(まとめ) 

記事に対するコメントからは、犯罪者に対する厳しい視点や疑問が多く見られます。

犯罪者への懲罰と更生のバランスや、被害者や遺族の感情への配慮、社会への復帰に対する疑義などが指摘されています。

一部では、犯罪者に対する同情や美談化に反対する声や、再犯防止や被害者救済の観点からの意見が強く出ているようです。

人々が社会的正義や公平性を求めつつも犯罪と向き合う難しさや葛藤を感じている様子が伺えます。

( 192044 )  2024/07/18 14:35:03  
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・64年たって更生してよかったね…と思う一方で、 

受刑者一人にかかる費用:月額20万円として 

20×12×64=1億5360万円。 

2人の人間を殺した人物に、税金で1.5億円を出捐する是非も考えたい。 

 

 

・罪を犯す前にホリさん的な人と出会ってればよかったと思う。 

日本人的発想として被害者への同情、配慮が大きいのでこの人への配慮はほぼ無いがヒントとして大きな過ちを起こす前に社会の受け皿(処罰は勿論重くていいが)が必要なんだと思う。 

犯罪予防をどうするかというヒントになるかもしれない。 

この人の様な明らかな社会不適合な精神状況をどう矯正化するかも大事じゃないかと。 

 

 

・この人TikTokでも流れてきてた。  

何か、感動物語り的というか64年もの塀の中での暮らし頑張ったねみたいな感じに違和感。 外でも中でも人殺してんじゃん。死刑求刑を逃れた意味がわからないです。  

「今は自分が好きな甘いものを自由に買って食べられる。『あぁおいしいな』と思った時、私のせいで思いを断たれた被害者のことが頭によぎって、『罪深いことをしたな』という気持ちをだんだんと持つようになりました。  

無性に腹が立った。 中では考えなかったというその間、遺族は塀の中で悔いていると信じていたかもしれないのに。 

周りに優しくされて悪を思い知るってか。それなら目には目をの方が適してるのでは。 

もし自分が遺族なら、「笑うな」と言いにいきたくなるだろうなと感じました。 

 

 

・数十年も刑務所にいた以上、社会に出て涙が出ること自体は生理的に自然だと思いますし、その感情自体を否定するつもりはありません。しかしながら、もう社会どころか感情すらも持てなくなってしまった被害者の方々がいるわけですし、その刑罰が下されてしまうのは無理はないことと思います。 

被害者はこれからの長い未来や人生を閉ざされたわけですし、完全に被害者の人権に取り返しのつかない傷をつけてしまった以上、自分の人権が制限されるのも司法上無理はないことであると思います。 

 

 

・91歳なら終戦時は12歳くらいだね。不遇な子供時代を過ごした人も多かった時代で、まともな教育どころか食料難で育ち、大人になり道を外した人も多かったでしょう。今の感覚では批判的にもなるだろうけど、昭和まではそういった時代背景もあり、総じて刑罰は今より軽かった。ご遺族も他界してるだろうし、晩節は人間として娑婆に出られたことに感謝し、被害者の冥福を祈ってほしいね。 

 

 

・刑期を終えた 

更生の機会 

など、理屈も頭ではわかるけど 

 

カッとなったら人を殺す 

刑期中にも人を殺す 

 

「殺人が選択肢にある人」である事には違いない 

 

正直な気持ちを言うと、出てきて欲しくないし自分の近くには居てほしくない 

 

我が子にはご近所の人に挨拶する子に育ってほしいけど、この人には積極的に挨拶してほしくない 

この人に我が子を認識してほしくない 

 

と、そんな気持ちもあります 

 

そういう気持ちの人が存在している社会こそがシャバだと理解しててほしい 

 

単純に頑張って出てきてよかったね、では済まないで欲しい 

 

 

・自分の感情をコントロールできず罪のない人を殺した償いは絶対であり、刑務所から出られなくてもおかしくないはず。亡くなった方々は、何の訴えも声ももうできない。無念だったと。被害者の家族も辛く悲しい思いをして生きているでしょう。加害者の更生も大切だが、税金が投入されている分を被害者へも充ててほしい。それ以上の金額になってもおかしくない。 

 

 

・見た感じ70代くらいに見えます。 

質素で健康的な食事をして、朝しっかり起きて、夜にしっかり寝る生活をすると、この様に若々しくいられるのかな? 

高度成長期に働きざかりの年齢ですから、普通に外で生きてたら仕事で体を酷使して、既に亡くなっているのでは?なんて。 

 

 

・人を2人も殺害したこんな重罪人を社会に放つなんて理解に苦しむ。こんな無期懲役囚が苦労人のような美化する記事を書くなよ。 

 

無期懲役なんか余程の重罪じゃないと課されないのだから、仮釈放なんか認めずに一生獄中で悔いながら人生送るのが相当だと思う。 

 

 

・人を2人も殺害した無期懲役囚が、仮釈放で出所する事に納得できない人は多いと思う。 

更生したのか本人以外に知る事もできない。 

 

採用の問題で殺された上司には家族もいたと思うが、遺族は事件をを忘れる事はないだろうし 

服役中の行動をいくら美談化したり、インタビューに笑顔で答えていても、被害者遺族の気持ちを逆撫でするようにしか思えない。 

 

犯罪を積み重ね刑務所でも殺害している事を 

考えると自由を与えるべきではないと思うし 

その資格はないと思います。 

 

 

 

・亡くなった方は涙ぐむどころか悔やむこともできずに楽しい未来の全ても奪われたわけだからね。 

ご遺族は当時を考えると刑務所かなり苦労したと思います。 

甘いもの食べてどうだとか若く見えてどうだとか何に感謝してると笑顔なのは違うのではないかと思う。 

法律で判断した罪は償ったとしてもこの世にもあの世にも人生を変えられた人はいて恨みもあると思う。。。 

 

 

・当時の世の中があれていたとはいえ殺人してはいけないし殺された人はそれで人生終わり。更生したというより高齢になったから気力体力が失せていることのほうが大きいと思う。罪を犯さずに生活している人のほうが全うなのだから感動話にしてはけないと思う。 

 

 

・無期懲役で刑務所入って、なかでまた殺人を犯して無期懲役ってのがよく分からない。 

そもそも償う場所で罪を再度犯したら、しかも殺人なんて、死刑じゃないことが不思議。 

しかし、健康的な生活ってやっぱりいい歳の取り方するんだな。見た目はホントにお若い。 

 

 

・多くの方が述べられておりますが、社会的には罪を償ったとしても人を殺めたという事実は消えません。 

被害者遺族にはどんな形でも罪を償った事にはならないと思います。 

 

人を殺めた加害者が刑務所内で3食が保障され、お風呂にも入れて、布団で寝れる。 

被害者が受けた傷は一生消えない、ずっと背負って行く。 

金銭的な損失も計り知れないが、その辺の補償は正直「?」ですよね。 

 

外国で生まれ、戦後の貧困の日本で、色んな差別や嫌な事をされて育った境遇は辛かったと思います。大変だったと思いますし、想像を絶します。 

だからといっても、人を殺めたのは絶対に許せない事だと思います。 

 

 

・大多数の方と同意見でなんか複雑、、、 

 

この方の同世代だと日本の高度成長期を支え、体に鞭打って働き、体を壊したりした人も多いはず(それが良いこととは思っていません) 

 

> タバコやアルコール、暴飲暴食や夜更かしなどとは無縁のムショ生活を長年送ったこともあり、皮肉的だが今も足取りや話し方は若々しい。 

 

結果的に塀の中で3食と寝る場所が確保されて得た今の健康だよね、と思うと複雑としか言いようがありません。 

ホリさんとの出会いのくだりを見ていると、正しく導いてくれる方にもっと早く出会えていたら違う人生が待っていたのかも、と思うけど一度ならず二度までも「人を殺める」という超えてはいけないラインを超えているし、これが美談になるのはいいところ「窃盗」ギリギリ「傷害」までだと思うんですよね。 

 

 

・子どもの可愛らしさ、犬の可愛らしさ、女性の華やかさ。 

子どもや犬を見た時の感動を覚えたり、またすれ違う子どもが 

『おはようございます』って言ってくれると、自分の存在が 

認められたようでうれしい・・・ 

 

これに感動できるなら、人を殺める前に早く気付くべきだったね。 

また、感動する前に残りの人生は亡くなった方の冥福を祈る事です。 

 

 

・戦前絶対悪の価値観が幅を利かす時代に、その被害者的な側面を持つ罪人への叙情酌量の感情があったのでしょう。今の時代ならば、極刑を免れるのは困難に思える。ただ、いつも疑問に思うのは、罪人の更生を世に知らしめる意味ですね。「罪を冒してもやり直せるのだよ」と言う更生の可能性の示唆は、罪を犯す事を助長こそすれ、抑止にはならないと思える。 

 

 

・刑務所内での働きがまじめだった、辛い仕事にも打ち込んだというのは評価されるべきことなんでしょうが、出所して甘いもの食べたり喜びを感じるまで被害者の無念を考えたこともなかったというのはちょっとゾッとした。 

そもそも自分の罪と向き合って被害者への謝罪の気持ちや深い後悔の念があってこその刑の短縮だと思っていた。 

そういうのは綺麗事で現実の審査や評価は違うってことなのでしょうか。 

これでは再犯率が高くてもしょうがないかと感じました。 

 

 

・もしも自分の子供がこの人に無邪気に挨拶してるのを目撃したらどういう行動を取るだろうか?私はニコニコ笑って見過ごすなんてことは出来ないね。 

法的に許されても人を2人殺めたという過去は消えない。 

 

もう随分と前の話だが、私の近所にヤクザから足を洗った人がやってるお店があって小学生の私はそこにときどき買い物に行ってた。何度も刑務所を行き来してた人だったそう。それを両親が知ると2度と行っちゃダメと言われた。当時の私は悪い人じゃないと言って反抗したが、今になって親の気持ちがしみじみと分かる。 

 

犯罪者の社会復帰が重要と取り沙汰されるが、真っ当に生きてきた人間に受け入れろというのも相当酷な話であると思う 

 

 

・無期懲役を2回くらって保釈ってのが凄いな。たまたま90近くまで生きながらえて釈放されたけど、それで被害者遺族の傷は癒えたのだろうか、、、 

この歳で更生したと言うのも難しい。ただ歳とって丸くなっただけな気もする。 

 

 

 

・こう言う人にスポットを当てる記事に違和感がある。いくら更生したとは言え人の命を殺めた人物が釈放されても社会の中で馴染めることはなく又自暴自棄になって同じ過ちを繰り返すのではないかと疑心暗鬼になる。又更生したからと無期懲役の罪人を世に送り出す司法制度にも問題がある。64年も塀の中にいたのなら逆に看とられるまでそこにいた方が良かったのかも知れない。 

 

 

・日本の歪んだ司法を象徴するような記事ですね。 

 

被害者や被害者家族の視点が全くもって欠落している。 

 

その点を踏まえると何か美談化している事に相当の違和感を覚えるしどんな意図か或いは深い意図がないにしろこんな記事を普通に配信しているあたりほんとに日本の司法を抜本的に見直して普通に生活している善良な人々をこそ護れるようにしてほしい。 

 

 

・誰しもイライラしたり、理不尽な事で憎しみを感じたことはあるはず。でもそれで相手を殺さない。2人の命を奪い、無期懲役をくらっているのにいまや社会にでてニコニコ話してる。子供を見て幸せ?だったら殺人犯でした、と周りからわかるようにしてほしい。 

何か気に入らないことがあって、その子にまた手をかけたら? 

更生したらすごい、美談みたいになるけど、罪を犯さず納税して真っ当に生活してる人の方がどれだけ偉いか。 

 

 

・「今は自分が好きな甘いものを自由に買って食べられる。『あぁおいしいな』と思った時、私のせいで思いを断たれた被害者のことが頭によぎって、『罪深いことをしたな』という気持ちをだんだんと持つようになりました。中にいた時は考えたことなかった」 

 

刑務所では反省していないのと同じ。刑務所のあり方を変えるべきだと思う。 

無期刑以上の凶悪犯は刑務所内でつるむのを防止するため独房に入れる。大変な労働を課し、よくできたら褒める。報償として、年に1度甘いものを与える、など生きてるありがたみを実感させ、自ずと被害者への思いが及ぶようにすべき。 

 

 

・大切にされてこなかった人は他人を大切に思えない 

これは間違いない 

この稲村さんについては犯した罪に対し国が定める刑を受けてきたのでそれ以上どうすべきというものはありませんが罪を犯した記録や記憶は消えないし被害を受けた人の人生も戻ってきません 

今91歳となり仮釈放されて初めて人から大切にされるという感覚を味わいそれにより自分が被害者の人生に何をしてしまったのか本当の意味で気付かされたと思います 

願わくばこういう記事に触れた人が一人でも多く周りの大切にされていないように思われる方に少しでも優しい気遣いをかけてあげることでこういった悲しい出来事が減っていけば良いなと感じます 

 

 

・まぁ、刑務所に居れば布団の上で最後を迎えられますが、長年社会から隔離された末に老いさらばえて放逐された方が、或いはより過酷な罰になるのかもしれません。せっかく高い金かけて長年養ってやったんですから、終身刑の是非の判断材料としても仮釈放後の生活についてしっかり記録に残しておいて欲しいものです。 

 

 

・無期懲役は現状仮釈放出来た場合の平均年数が38年とまだまだ短いと思う。せめて服役から50年しないと遺族や被害者が納得出来ないと思う。もちろん50年以上服役している者も多いが、将来的には50年を目安に仮釈放を考えた方がいい。また無期懲役には2つパターンがあり、マル特無期と普通の無期がある。普通の無期は仮釈放の審査が通れば平均38年であるが、マル特無期は50年以上たたないと仮釈放の対象にならない。これは検察の求刑が死刑、また一審死刑の控訴審で無期懲役を勝ち取った所謂死刑を免れた無期懲役囚だ。今回の91歳の人もマル特無期だが普通の無期懲役も一律50年服役にするべきだと思う。 

 

 

・私の母も満州からの引揚者です。母の母は露兵と日本の顔役に自分を提供することで母を守りました。母が男だったら、おそらくどちらも生きていなかっただろうと言ってました。 

 

引揚者の子は不良だとよく言われたそうです。 

母はしかし道を外さず、勉強して奨学金を取り女子大学に行き秘書検定を受け外資に勤めました。優しい人でした。 

 

個人のパーソナリティに育成環境が与える影響は少なくないのだと思います。 

しかし、みんな戦争が悪いんやという大きな文脈に回収してしまう危険性があることは、記者さんは留意すべきです。 

あくまでも殺人は個人の犯罪です。その原因は個人に回収されるべきです。 

 

文中に引揚者の生い立ちをわざわざ挿入していたので、あえて書きました。 

記事の服役囚に思うところはありません。 

一般的に償いとは被害者が赦してこそと思うので、赦す人を殺す殺人は償いの手段を加害者自らが放棄した犯罪だと私は思います。 

 

 

・この長期受刑殺人服役者の声に法曹関係者は関心を持ってほしいです。 

64年服役させても(やさしい)刑罰による反省からの再犯しなくなるような更生は空論だと明らかになりました。罰は被害者と社会の処罰感情と再犯防止の観点でもう刑務所入りはごめんだとなるように実施すべきで,重大犯罪者は過去にとらわれず死刑を適用すべきです。 

なにより,加害者の更生より被害者の救済を優先すべきだと思います。 

 

「今は~私のせいで思いを断たれた被害者のことが頭によぎって、『罪深いことをしたな』という気持ちをだんだんと持つようになりました。中にいた時は考えたことなかった」 

殺人してから半世紀以上刑に服しても,被害者のことを考えたことが無いんですよ。 

 

 

・死刑を推進する訳ではないが、人を違う状況で二人も殺すような人を、多額の国民的の税金で養うのって、昔から違和感しかありません。 

 

倫理的なものや人権その他あるにしても、この人に殺された遺族や友人たちは当たり前ですが長年税金を納めている訳ですよね。 

 

そのような遺族の人たちが納めた税金が原子となり、加害者となるこの人を生き延びさせてると考えると、私が遺族の立場ならやり切れない気持ちが芽生えると思います。 

 

反省は当たり前ですが、反省しても済まない事って世の中にはたくさんあるし、これ以上の事ってないのではないでしょうか。 

 

一生かけて罪を償うってよく聞くが、それは被害者が生きていればの話で、亡くなっている人に対しては、償いようなんて無いと思いますが。 

 

 

 

・死刑を推進する訳ではないが、人を違う状況で二人も殺すような人を、多額の国民的の税金で養うのって、昔から違和感しかありません。 

 

倫理的なものや人権その他あるにしても、この人に殺された遺族や友人たちは当たり前ですが長年税金を納めている訳ですよね。 

 

そのような遺族の人たちが納めた税金が原子となり、加害者となるこの人を生き延びさせてると考えると、私が遺族の立場ならやり切れない気持ちが芽生えると思います。 

 

反省は当たり前ですが、反省しても済まない事って世の中にはたくさんあるし、これ以上の事ってないのではないでしょうか。 

 

一生かけて罪を償うってよく聞くが、それは被害者が生きていればの話で、亡くなっている人に対しては、償いようなんて無いと思いますが。 

 

 

・美談の様に受け止めてはいけない。更正したと言うよりも、年を取ったに過ぎない。と、被害者側は肯定的には受け入れられないと思います。世の中には、何の罪も犯して居ないのに塀の中の人達よりも悲惨な生活をされてる方も沢山居ます。 

健康管理、栄養管理、生活管理、寧ろ長生きが出来る環境なんだとつくづく思いました。 

人の命を奪って長生きが出来る。やはり、褒められた物ではありません。 

かと言え、この方を今更責めるつもりも有りませんが、流した涙を記事にする必要性は感じられません。被害者家族は死ぬまで涙するのですから… 

 

 

・警察、検察、裁判所を含む今の司法制度が真に正しいものかどうかはよく判らない。そして死刑や無期懲役などの処置に対しても賛否両論が有るのだろう。 

しかし、これらすべての根底に有るのは、過去に起こった悪しきことが二度と起こらないようにするためのシステムだと思っている。 

どうあがいても時は巻き戻せない。人に出来ることは、過去の事象を参考にして、未来のために、今どのように行動するかだろう。 

犯罪を犯した者を捕らえ裁判にかける目的は只一つ。おぞましい事件の裏に秘められた背景、要因を突き詰めることじゃないか。 

冤罪はともかくとして、その過程で生かされた者にも出来ることが有る。被害者に対する償いと共に、同じような犯罪の再発防止への情報提供だ。 

私は死刑が極刑だとは思っていない。最近は死刑になるために無差別に人を殺めるなんて事件が起きていて、死刑は歯止めになっていない。 

 

 

・初犯の時に 殺された被害者の家族遺族、とりわけ父親を奪われた子供たちはこの”感動物語もどき”を読んでどう思うだろうか。 

更生可能性などという実態の根拠が希薄なものを大義名分に掲げる犯罪者処遇には被害者感情を確認するプロセスを組み込むなどしてその適応には慎重であるべきだろう。 

 

 

・やるせなさだけが残る。 

 

人を刺し殺す残忍さを持っている犯人が生き残り許され社会を堪能する。 

奪われた人は2度と手にする事が無い平穏の日々を送り幸せを感じる。 

 

この世はつくづく不公平に出来ているのだと実感します。 

 

 

・戦争と差別のトラウマの後遺症、今でいうPTSDに該当するのかも。 

怒りや憎悪は連鎖する。 

話はそれるけど、これ以上犯罪(貧困での犯罪も含む)や自殺を増やさないために、トラウマの後遺症の概念と治療はもっと広まるべきだと思う。 

 

 

・罪人に対する厳しいコメントが多い印象。世の中そんなものだと思う。罪を犯して反省しても世間も被害者もゆるしはしない。普段は人柄がよさそうだけど状況が悪くなるとカッとなって人に危害を加えてしまう人って山ほどいる。「人間」ってまだまだ未熟だから教育が秩序を守るルールが行き届かないと、治安も悪くなるし、暴力や戦争もはびこる。暴力的でない生き物になるには後1億年ほど時間がいるのかもね(地球誕生から46億年で人間史はたった30万年ほど) 

 

 

・無期懲役は、自由刑とも言われて無期にわたって社会的自由をはく奪される刑罰。服役態度や仮出所後の監視体制などの厳しい条件をクリアした人が仮釈放として出所を許可されることがあるけど、対象になるのは収監されてから30年以上経過。仮出所しても自由というわけではなく制限があるし、犯罪行為をすれば、仮出所だからすぐに刑務所に戻る。ここまでの刑罰になるのは「あなたを社会的に自由にしたらとんでもない」という判決だから。 

 

無期懲役に服している人から手紙をもらうことがある。あの人に罪の償いは無理だと思った。正直。自分が加害したことを棚において自分が救われることだけを考えているように思うし、刑罰の意味を理解していないから、物の差し入れをねだる。書いている字や文法もおかしいくて、反省以前の人だと思ってる。それに比べてこの人は、反省の思いがあるからマシだと思ってしまった。無期刑になる人はそれなりの理由がある。 

 

 

・なんだかいい話のようなまとめ方になっているけどそうではない。動機が呆れるほど短絡的だと感じた。長い年月服役しながらも被害者への罪の意識や反省の気持ち、感情が湧いてきたのが塀の外へ出てきてからのようで。 

今になって自分を顧みることができたのはよかったけれど被害者や家族の気持ちを考えると生きている限り犯した罪を忘れずに誰かのために生きてほしい。 

91歳とは信じられないほどの肌艶の良さと生き生きとした表情をみると塀の中に60年以上もいた人には見えない。 

 

 

・終戦の頃の満州はロシア兵による侵攻もあり、とてもじゃないけど安全なところではなかったと曾祖母が言っていた。日本に家族で命からがらに逃げてきたのだろうけど、その当時は今よりも色んな差別とハラスメントが横行していて、生きやすさなんて求められなかったんだと思う。それが免罪符になるかと言えばもちろんそうじゃないんだけど、戦争のすぐ後に殺人の罪の重さは今とは違ったんじゃないのかな。今のものさしで見ると当然ながらピントは合わないと思う。 

この人が更生してることには大きな意味があると思った。 

 

 

 

・被害者の思いとかこの人に費やした税金とか、批判されるべきことは色々あると思うけど、それを決めたの国だし、仮釈放を決めたのも国。そうなってしまった以上はこの人には、のうのうと暮らすのではなく、犯罪者や刑務所の惨めさを伝えて、これ以上自分と同じ人を増やさない活動をするなど少しでも世の中に貢献して一生を終えて欲しい。 

 

 

・生かされたまま社会に戻れた意味を忘れてはいけない。 

今後は何があっても感情に流されることなく人のために生きること。 

誰かに感謝される生き方を続けて欲しい。 

殺人犯なのに顔出しし、知らない人から暴言をたくさん浴びることになるだろう。 

でも、やっぱりまた事件起こしたねと言われないよう自分をしっかり律して生きて欲しい。 

 

 

・「人間でなかったと言えばそれまでだが、昔の自分は考え方が大雑把だった。私は生まれてくるべきじゃなかったと思う。でもその反面、人の情けに生かされてきました」 

 

もしかしたら記事の書き方もあるかもしれないが、最期の元服役囚のこの言葉はもっともだと思う。本当にその通りだと。 

私個人もどちらかと言えば誉められた人間では無いが、この人がやってきたことは本当に人間じゃない。そして刑期を終えた者それ自体を責める気はないが、『現代の日本で「刑務所に入るため」に事件を起こす若者がいる状況を憂慮している』などと言える立場じゃないと思う。 

 

そしていくら途中で服役の態度が変わったと言っても、あまりにも単純で、逆にまた何かあれば粗暴にもなり得そうで、正直信用できない。やはり被害者感情を考えると釈放なしのままにして欲しかったぐらいだ。 

日常のありがたさに気付けた点は良いが、記事の意図をどう汲み取ってよいか解らない。 

 

 

・無期懲役を2度言い渡されたら事実上終身刑と言われている。しかし、生きて出所したからは、これからはちゃんとしてもらいたいね。最高裁の判例によれば、死刑制度があるのは社会防衛のために更生できない人間を排除するのはやむを得ないという考えである。 

 

それにしても思うのが人を殺したら罪を償うのは当たり前、などという人間は少なくない。 

 

とは言っても交通事故の場合は刑務所に入らないことはあるし、戦争などで絶対に死ぬしかないような戦場に兵士を派遣した上官は罪も受けずに生き残ったのも多い。本当に難しいとこである。 

 

 

・満州で13歳で終戦を迎えたということは、子供の頃に人が殺し殺されるのを見てきたのではないか。 

満足に食べるものもない、今とはあまりに違う過酷な時代。 

朝ドラなどでは決して描かれない面があっただろう。 

もちろん、その中でも犯罪を犯さずに生きてきた人たちが圧倒的に多いわけだけど、今の恵まれた時代に大きな不自由もなく生きている自分からは、この人の人生について想像すらできない。 

 

91歳には見えない健やかそうな姿。 

この人を生かそうと周りに思わせるものが、あったのかもしれない。 

 

 

・戦後、昭和30年代までの殺人事件には加害者と被害者の間に何らかの因縁があり、多少なりとも殺す理由がありそうな事件が多く、単純に残酷な殺人犯とはいいきれないケースが多々あった。 

だから戦災孤児たちの生きるための犯罪にも少年法で保護してやろうとなった。 

今の少年犯罪や殺人事件、犯人とはかなり違う背景があったからね。 

 

 

・司法で更生の余地というものの、刑務所にそれを具現化できるシステムはない。 

刑期の過ごし方で一つ一つ、実績、評価を積み重ねた結果が社会適合性を高め刑期短縮となることが「更生の余地」といえる。 

それをなくして無責任に更生の余地の判断は間違っているということ。 

 

犯罪白書においても再犯者率は5割前後となることもこれが要因、原因である。 

 

 

・加害者は数十年刑務所で暮らし、刑務官など多くの人の信頼を得て出てきた。刑務所での暮らしがどのようなものであったのかは分からないが楽なものでないのは確かだ。神ならぬ身が人を罰すると言う行為に矛盾を感じないものたちが、被害者の代理人を標榜するかのように加害者を懐疑的に見る。そしてそれに賛同するものが数多いる事に私は戦慄を覚える。優生思想は滅びたのではなかったか?いや、誰の心にも潜む差別は決して死ぬ事は無いのだろう。そして復讐は復讐を生むと言う呪いから人は脱せないのだろう。涅槃は遠い。輪廻の渦に溺れるばかりだ。 

 

 

・「生まれてくるべきじゃなかった」という発言に憤りを感じます。 

誰もがいずれは犯罪者になることを前提でこの世に生をうけるわけではありません。 

2度も殺人を犯しながら、罪を理由に生まれてきたことを否定するのは後悔というより甘えだと思います。 

感傷に浸って涙を流したところで遺族や世間は同情しません。 

人間が生まれることに理由はなく、自ら親や生活環境も選ぶことはできません。 

富裕層の家庭に生まれる人、生活困窮の家庭に生まれる人など様々ですがこればかりは「運」です。 

環境は異なりますが、禍福は糾える縄の如しで幸せや悲しみの繰り返しで一生懸命生きています。 

高齢者になり大病を患ったとしても犯罪者に変わりはありません。 

泣き言を言わず自らの罪を背負い、苦しみながら生きてゆくしかないと思う。 

 

 

・人間が当たり前に持つべき感情を教科書通りに語ってますね。どれだけ後悔しても反省しても更生しても過去の過ちは消えない。というより消してはいけない。人の命を奪っておきながら税金で恵まれた環境の中、生きてこれたことが良いことなのかどうか判断することはできない。犯罪者ではないのに家族、仲間、社会から弾かれた人は刑務所よりも辛い生活を送ってます。差別とは違って区別や警戒することが誤っていると言う人がいる社会も将来が不安です。生きる権利と人々(男女)の平等、何事もそうですが見る角度を変えることで正当化されたり、掲げられることでどんどん足元が崩れてると思ってます。最もらしい言葉を掲げるのではなく、方向性と足並みを揃えることが大事だと思います。 

決して良い例として捉えてはいけない。犯罪者が更生する条件で税金を使い生かされてる。当たり前のこと。だからといって許されるのはおかしい。 

 

 

 

・仮釈放になり写真を見たり、最初の文面をみると長い間刑務所で苦労してきた・・・なんて見えますが、根本はこの人が人を2人殺してしまったという事実。 

これはいくら刑期を積もうが消すことができない事実です。 

当時殺されてしまった方の中で殺されてしまった同じ服役囚はそんなことをした結果なので自業自得な感じはしますが・・・ 

ただこれから先も罪は背負って人生を生きていかないといけない。 

ただ殺されてしまった方は何も言えない。 

 

 

・更生できた事は素晴らしいことだが、1人でも殺せば死刑が妥当と思う。 

生きる権利を力で奪ったのだから、死刑が妥当だったのではと思ってしまう。 

 

長期受刑を頑張ったとも言えるのだろうが、殺された本人も周りの家族も人生を壊されている。 

人を殺したのだから、この人は今まで生かされるべきではなかったし、出所もやったことに対して温情があり過ぎる。 

 

 

・殺した理由が記事に書かれているけど、一定程度の同情の余地はある。 

 

当然罪と罰は妥当な内容なのは大前提だが、これは殺された人にも多少の落ち度はある事件だと思った。 

 

口約束で舐めてはいけない相手を舐めたから殺されたという話。 

 

死刑でも何でも加害者は罰を受けることと引き換えに加害行為を実行することは出来るので、法律をどれだけ厳しくしても絶対的な抑止力にはならない。 

 

収監されたら本人も諦めて投げやりに過ごしていた時期があったみたいだけど、人との出会いで人生が変わるタイプの典型的な人だとは思った。 

 

とはいえ無罪ではないので妥当な刑期を過ごした1人の人物という話として受けとめた。 

 

 

・戦後の混乱の中、満州から引き揚げ。 

おそらく、幼い頃から殺人をそれなりに見てきたんだろうな・・・。人殺しは身近にあったのだろう。だから善悪の判断がつかなかった。長きに渡る塀の中での生活で罪の意識すら生まれなかったのは、こういうことなんだろうかね。罪の意識を持たすことが出来たといつ意味で、仮釈放は妥当な判断だったと感じる。罪の意識がある人生のほうが何倍も辛いはずだから。 

 

平和な時代に生まれた私たちには完全には理解できない話だと思う。勿論、犯罪は犯罪、人殺しは人殺しだ。 

しかし、今の時代の感覚でこの人のことを断じて物を言うことは、私は違うと思う。少なくとも私にはできない。 

 

 

・私はこの人の人間性より昔と今の裁判官が下す求刑の違いに驚きました。 

今は理由はどうであり人1人殺して無期懲役の判決は聞かない。 

大概は10年から20年で出てこれる。 

昔は厳しい判決が多かったし殺人も今ほどない。 

今はまたか、と思うほど殺人が多くなった。 

人を殺しその被害者の人生をなくしたわけだし、殺されるにも何故殺されたかの理由は有ると思うけど今の時代もっと判決を厳しくするべきだと思う。 

 

 

・無期懲役になっても出て来れるって被害者家族からしたら裏切られた気持ちになる気がする。 

しかもこの方は無期懲役になってから塀の中でも人を殺しているのに、なぜ死刑にならなかったのか。被害者は突然命を奪われているのにあまりに理不尽。 

人を殺しても簡単に出て来れる。もっと罪を重くしてほしい。 

 

 

・何ら生産性のない話だ 

殺められた人は戻らず 遺族は悔しさと怒りを抱き残りの人生において幸福とは無縁で生涯を終えただろう。 

 

多くの人の手と税金を投与し更生させたとして…もはや労働すら出来ず納税や国の発展には貢献しない人間を更生させ世に出したとして いったい誰が報われているのだろうか? 

 

人道的という行為は多くのことで 人の心に寄り添えてないと感じる。 

 

殺害された人もその遺族も このような人道的な法は本人達には最も人道から掛け離れたものだと思う。 

 

人道的とか人権への配慮というのは今の時代では悪に寄り添い許すもので 善人には惨い仕打ちにしか思えない。 

 

 

・表面上は綺麗なお話で終わっているけど、「刑務所を出るまで被害に遭われた方への気持ちは一切なかった」というのが……。そういう所やぞ、という気持ちが生まれる。 

あと刑務所生活64年で長い方、というのが驚き。殺人は日本でどれだけ軽い罪なんだ。 

今はどんなにこの方の心が穏やかでも、認知機能が低下した時にどうなるのかは予想つかないですね。 

やはり、やったことはやったこと。それを我慢出来なかった事実がある以上どうしても疑ってしまう。 

 

 

・感情論で物を言ってる人が多いですね。 

更生したからといってこの人の罪や被害者及びその遺族の悲しみが消えたわけじゃないことは当然理解します。でも更生し反省の念を背負った上で今生かされてることの有難みをちゃんと感じているのはせめてもの救いだと思います。この気持ちを生涯忘れずに余生を過ごして欲しいと思うばかりです。 

 

 

・今この年齢だから、何も活動的にできないから思える感情だと思う。今が30代くらいならまた何かしら犯罪してると思いますよ。この人の人生からもわかる通り更生なんて中々できない。それも人による。元々こういう気のある人と、本当に溜まって溜まって悩んで悩んで被害者を〇してしまったのとは違う。それが見極められないから正しい判決が出せない。そううのがはっきり見極められるようにならないかなぁ。 

 

 

 

・更生してるしてないは置いといて、戦後すぐの荒れた時代に2人殺めたことで無期懲役とはなかなか重い判決だったんだなっていう印象。ガキの頃から悪事に手を染めていたみたいな書き方だけど、戦後すぐの日本でヒキアゲモノとして生きるのは、そうでもしなければ生きられなかったのかもとも思う。 

やっちゃいけないという道徳的なことは今も昔も同じだという前提はあれど、時代背景が違いすぎるので、今のそれと同じではないのかも。戦時中や戦後すぐの頃と今とでは命に対する価値観もきっと違ったんだろうな。 

被害者遺族のことを考えれば当然擁護はできないけれど、この方にはこの方の苦労があって、それは我々には想像もつかないレベルだったのかもしれない。罪を償うということはとても難しいことで、結局は本質的に償うということは出来ないこともたくさんあるだろう。 

 

 

・この男の言うこともわかるし、一方で遺族の気持ちを考えると、というのも分かる。命は皆等しく生きる権利があるならば、命を奪った時点で奪った人の命は奪われた人の命より軽くなるということが、あるのかないのか。 

 

宗教とかにはあまり興味はないし、あくまで個人的な気持ちだけど、自分の中では「許す」ということが人生の大きなテーマになっていて、いろいろと考えさせられる記事だった。 

 

 

・これは賛否両論あるだろうね。 

本当に更生できているのか否かなんて、誰にもわからない。言動全ては本人次第。 

生い立ちうんぬんも考慮されるのかもしれないが、正当防衛でやむなく人命を奪うのとは違うわけだし、この記事の人に命を奪われた人とその家族や身内の人たちの事を考えると、複雑な気持ちになる。 

冤罪の可能性もないようだし、その人が91歳になった今あれこれ語られても…と思う。 

 

 

・悔い改めたかのような印象を記事から感じるが、結局短絡的なカッとなる性格はそうは変わらないと思うので場合によってはまた凶行を犯す可能性は充分あると思う。 

今まで犯してきたことを読むと全く情状酌量の余地がないし、刑務所内でも反抗的な態度もとっている。 

近所の人はそんな危険人物がいるとは知らないだろうし、自分の子供が万が一、挨拶して気に入られでもしたら恐ろしい。 

 

 

・誰より長く塀の中にいたという経験は唯一無二ですし、だからこそ語れる思いもあるはずです。 

ただ獄中で死ぬのではなく、一人でも二人でも同じ轍を踏む人を減らせるよう、発信を続けてほしいです。 

殺人は死んでも償えませんが、誰かを救うことは償いになると思います。 

 

 

・この記事は何を伝えたいか、全くわからない。若い方への反面的にはならない。殺された方達には人生を振り返る時間も彼に奪われたのだから、後悔することすら出来ない。このような記事を書くなら、殺された方達の遺族を探してどのような苦しみに耐え忍んできたかも書かなければ公正公平さに欠けると思う。 

 

 

・感情をコントロール出来なかったのはダメで周りからすれば危険人物ではあるし、許される罪などないのだけど、この方は殺害の理由(対象)が明確であり、この刑全うした。 

一方で、無差別や精神疾患があるからと同じ人殺しでも刑を免れる者もいる。 

決して前者が許されるわけでもないし、擁護も出来ませんが、後者の方が怖いと思う昨今です。 

 

 

・批判されるかも知れませんが、敢えて書きます。 

 

美談にしてはいけない。 

更生は可能なのだと、成功例を過大広告してはいけない。 

再犯をする人は、少なく無い。特に性犯罪や暴力、詐欺など。 

 

この記事の方は、酌量の余地がある可能性もある。 

しかし一部の人で、更生・改心が実現したからといって、他の犯罪者も更生できるはずだと錯覚してはいけない。 

 

厳罰を下さなかった結果、再犯の犠牲者が生まれてるケースは多い。その責任は、第一に法整備、第二に裁判官、第三に加害者支援の人たち、にあると思う。 

 

加害者の人権が軽いとは言わないが、被害者の生きる権利の方が断じて重い。 

 

 

・これが本当に必要なのかと深く考えさせられる。 

本人も言ってますが生きていれば亡くなった方も楽しい人生があったかもしれない。 

それを奪われた訳で失われた命を取り戻す事は出来ない。 

そして何より不快だったのが殺害した理由があまりにも身勝手ので、尚且つ生まれて来なければ良かったという言葉、これ非常に身勝手な発想で、生きる事に未だに向き合えてないと取れる発言です。 

この方が二度と人を殺める事が無い事を切に願います。 

 

 

・我々国民は生まれた時に全員国の保険に入らされていると考えても良いです。 

誰も自分が犯罪者や障害者になりたいわけではありません。 

脳や体の機能が生まれた時から良くない方もいます。 

健康な方が国に保険料として税金を納める。 

車の保険と同じで保すね。 

保険料がもったいないと考えないように全員が入る社会の方が私は良いと思う。 

 

 

 

・これが本当に必要なのかと深く考えさせられる。 

本人も言ってますが生きていれば亡くなった方も楽しい人生があったかもしれない。 

それを奪われた訳で失われた命を取り戻す事は出来ない。 

そして何より不快だったのが殺害した理由があまりにも身勝手ので、尚且つ生まれて来なければ良かったという言葉、これ非常に身勝手な発想で、生きる事に未だに向き合えてないと取れる発言です。 

この方が二度と人を殺める事が無い事を切に願います。 

 

 

・我々国民は生まれた時に全員国の保険に入らされていると考えても良いです。 

誰も自分が犯罪者や障害者になりたいわけではありません。 

脳や体の機能が生まれた時から良くない方もいます。 

健康な方が国に保険料として税金を納める。 

車の保険と同じで保すね。 

保険料がもったいないと考えないように全員が入る社会の方が私は良いと思う。 

 

 

・私はこの方のように明確に犯人とわかっているのならば、無期懲役が求刑されている以上、例えお金がかかったとしても、一生を刑務所で終えるべきだと思います。しかも、よりによって刑務所の中でも刺殺しているのならば、死刑になってもおかしくない人だと思います。 

そして勘違いしてほしくないのは、刑務所から出てきた事で、刑務お疲れ様でしたとか労いの言葉なんかは全く必要ないということ。けして立派な事ではないということです。 

普通に生活をして仕事をして納税をして、嫌な事があっても人を傷つけず、殺さず、それに耐えて生きている人の方がよほど立派です。 

 

 

・本人が自分はまだ人間じゃなかったとか生まれるべきじゃなかったとかいっている時点で、こういう罪を犯してしまう人は人じゃないんだよ 

コメントでもある通り極刑にならないのが不思議だし1億近く維持費かかってるのも違和感 

どっかの国みたいに判決が出たら当日執行みたいなことすればいいのに 

そうしたら刑務所行きたいから犯罪するみたいな人、減ると思うよ 

みんな刑務所を介護施設だと思いすぎてる 

 

 

・罪深いことをしたという自覚を持てたようではあるが、また何かで短気をおこして再犯する危険と背中合わせの人だと思う。凶悪犯罪で出所してきた人や、精神病を理由に情状酌量や無罪となる人の存在が、普通に暮らしている側の安全を脅かさないでほしい。 

 

 

・20代から64年間の服役は、人生のほぼ全てを拘束で失ったわけで、 

殺害の償いとしては相当だと感じる 

いま91歳であり、寿命のある人間であるし、 

事実上、罪の償いはやり終えたのではないだろうか 

 

自分の身で考えてみるに1か月の拘束ですらゾッとする 

さらにそれが監視と命令下にあるのだから、1年ですら気が狂いそうだ 

 

願わくば、後は慎ましく穏やかに暮らして欲しい 

老いた身で街を歩いていても、それだけならば誰も責めないだろう 

 

 

・人を一人でも故意に殺してしまったのなら、 

生まれて来るべきではなかったのでしょう。 

生まれてきさえしなければ、その方は殺されることはなかったはずですから。 

そして、この男がいくら悔い改めたところで、 

殺されてしまった人たちが生き返ることはありません。 

悔い改めたつもりになって、一人悦に入っているだけでしょう。 

人を、それもそれぞれ違うタイミングで2人も殺せるやつは、 

何十年経ったって、その根本にある性質は変わらないでしょう。 

法律的に出所できたかもしれないが、 

自分が殺した人間のことを想えば、今後死ぬまで一時たりとも 

幸せを感じたりしてはいけないよ、と伝えてあげたいですね。 

 

 

・今自分が甘いものを食べている時に被害者に対して申し訳ないと思う、中にいた時は考えなかったとか、写真の笑顔とか、正直複雑な気持ちになる。 

何十年も刑務所にいる間は、自分が奪った命について申し訳ないとか反省とか感じなかったってこと? 

ご遺族にしてみればこの方の笑顔は見たくないだろうし、犯罪の経緯も非常に短絡的。今は施設で何不自由なく暮らしているからいいけど、何かスイッチが入る出来事があったらどうなるのか?と申し訳ないけど怖いなと思う。 

 

 

・こういう人たちを更生させるために一体いくらかかってるんだろうな。人件費とかまで含めればとんでもない額になるだろう。 

 

人間の本質なんて絶対に変わらないから更生なんてものは存在しないよ。「もう刑務所には入りたくない」と思って大人しくなったのが更生したように見えるだけだ。 

 

そんなことのために税金を大量に投入するとか本当に意味が分からんわ。そもそも他人の人権を踏みにじった人間の人権なんて保護に値しない。 

 

法律ができた時に比べれば高度に教育も発達したし、情報化も飛躍的に進んでいる。他人を傷つけたことによりどんな影響が生じるかを知らない人はいない。 

 

それでも法を侵す人間を手厚く保護する理由は一体何なんだよ。いい加減、古くさい法律は見直すべきだ。 

 

 

・子供が挨拶してくれるのは、この方の罪を知らないからです。 

錯覚ですよ。 

 

知ってる親なら、自分の子供に二度と近づくなと言うでしょう。 

 

また、このようにネットで顔もさらし、罪の内容も語りで、この方の私生活は大丈夫なのだろうか。本当に近所の子供、挨拶してくれなくなりますよ。 

 

高齢でもあるし、静かに自分の罪と、今、暮らしている社会を見つめて過ごしたいでしょう。 

 

いろんな意味で、ネット記事にすべきではない。 

 

 

 

・64年間刑務所暮らしで、仮出所すれば生活保護ですか、英雄でも無ければ記事として取り上げる必要もあるのかと思う人物ですね。 

そのうち、回顧録でも出版するのでしょうか? 

昨今は、こういう働きたくない、老後は生活保護でお願いします。なんて輩が増えました。 

二人も殺した殺人犯を無期懲役で生かしておくのと、死刑にするのとどちらが、費用対効果で国民負担が軽くなるのか? 

ここまでくると、人権など考慮する必要があるのかとと思います。 

殺された人の人権は、どれほど重いか考えたら反論どする余地は無いと思いますが? 

 

 

・2人の人を気に食わないというような動機で殺して64年かけて更生…自分は殺人に関して死刑で然るべきと考える人間なのであえてその点に触れず市井で生活を送る者として更生/出所後について思うところを述べますが、人を殺めるという選択肢を持っている誰かが彷徨いているという事が恐怖です。更生したというのは殺人犯が出所後に誰一人傷付けず殺めず寿命を全うさせた時にしか言えない事でしょう。自分も気性がかなり荒い方ですが人を傷付けようという選択肢が有りません。親兄弟ペットを殺されたりでもしたら実行してしまうかも知れませんが、それぐらいの惨事に対する復讐でも人を殺したり傷付ける方が怖いです。周りにそうじゃない人が居るのは恐ろしい。更生したかも知れない可能性を、してない可能性による被害や平穏な暮らしを望んでいる一般大衆より優先しないで欲しいです。この方が更生して命ついえるまで何人たりとも傷付けない事を祈っています。 

 

 

・どのような幼少期だったのかが気になります。育った環境になんらかの原因があるのかないのか。 

 

知らない子供に挨拶されただけで、自分が認められた気持ちになるのはわかるなー。 

今の時代は知らない人とは話すな、と教えられてる子供が多いので、道を歩いてると自分が存在していないような気になる時がある。 

 

 

・無期懲役刑に反対(私見)です。 

公平公正であるべき人の道として 

司法制度としても無期懲役刑は不当刑罰と思います。 

被害者に非があったとしても正当な理由なく殺された被害者や 

被害者親族への貢献度は皆無です。 

釈放後の懲役囚に社会貢献する能力があるとは想えません。 

私見ですが懲役囚の収監費用を 

被害者親族も負担しているのではと危惧します。 

 

 

・正直言って、今更娑婆に戻ったとして、ちゃんと生きて行けるかの方が問題。 

犯罪者じゃなくても一定以上の高齢者にはほとんど就ける仕事なんてないし、何かしらの資格や技能でも持ち合わせていない限り、低賃金重労働のガードマンや清掃業者が見つかれば御の字。ましてや前科者の服役者ともなればお察し。 

そして生活苦の挙句、また犯罪に手を染めて戻ってくる人が一定数いる。 

一部の高齢者の中には、オアシスと呼ぶ人もいるとか。 

誰でも入りやすく衣食住が保証された空間は、とても住みやすいそうな。 

 

倉廩満ちて国富み、衣食足りて栄辱を知る 

国が貧しく生活が貧しいほど犯罪が増えると、2千年近く前の人も言っています。 

犯罪云々言う前に、国がおかしくなってないかを見直すべきじゃないでしょうか。 

 

 

・人の情で立ち直れる事ができるのなら、当時は周りに誰もそんな人が居なかったんだろうか。 

やはり環境って大事だ。 

我が家の家計は裕福ではないけど、子どもには愛情をかけて幸せにしてあげたい。 

 

 

・64年ぶりに涙ってさ、被害者家族は64年前に泣き崩れて、その後苦労したんだろうけど、それを考えると、何が穏やかな生活だよ。 

そもそも、人の感情の起伏ってそんなに治る訳ないから、今の施設でも馬鹿にされたりしたらまたやるだろ、それに道ゆく子供が挨拶じゃなくて悪口を言ってたら、同じくやってただろうな。 

 

 

・そもそも生きていたかっただろうに被害者はこの世には戻りたくても戻れない。 

生きいてほしかったと悲しみに打ちひしがれる遺族は2度と被害者に会うことは叶わない。 

なのになぜ、人を無惨にも殺めた殺人者がお天道様の下にのうのうと出てこられるのか。 

しかも殺人に至った動機があまりに短絡的過ぎる。 

このような者は一生牢の中で自らが犯した過ちと向き合いながら、悔い、苦しみ生きていくか、死刑をもって償うかの二者択一ではなかったのか? 

無念の死を遂げた被害者の思いと遺族の心中を察すれば尚更だ。 

日本はあまりに緩すぎる刑罰を見直し、あらゆる犯罪を厳罰化していかなければ、第二、第三の被害者をこれからも生んでいくことは必定。 

次は我が身となる前に国が情けない日本の法律を変えていかなければならない。 

 

 

・一度無期懲役の判決を受けて、服役中に再度殺人を犯し、また無期懲役の判決というのは、正直意味が分からない。当時の裁判官はなぜこのような判決を下したのか。死刑になっていてもおかしくはないと思うのだが。 

 

日本の刑法は、つくづく犯罪を犯した人間に対して甘いのだなと感じる。命を奪われた人の、家族の命を奪われた遺族の無念が晴れる事はあるのだろうか。 

 

 

・64年前に収監されなかったら、もっと多くの犯罪に手を染め被害者も多発したであろうし 

殺された人は生き返れないんだから、無期だろうが死刑だろうが責任を取った事にはならない 

 

 

 

 
 

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