( 192408 )  2024/07/19 15:06:03  
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石丸伸二氏 

 

 東京都知事選で、蓮舫氏(56)の128万3,262票を大きく上回る165万8,363票を獲得し、一躍脚光を浴びた石丸伸二氏(41)。勝因は周知のように、YouTubeやSNSなどインターネットを駆使して急速に知名度を上げたことだった。 

 

【写真を見る】「石丸人気ってこんなにすごいの?」 銀座の路上を聴衆で埋め尽くした石丸伸二氏 ほか 

 

 とりわけ効果があったのは、「ネットとリアルの融合」という戦略だった。石丸氏は街頭演説のたびに、冒頭で「今日、はじめて石丸伸二を生で見た人! YouTubeで見たことある人!」と呼びかけ、集まった人の多くはこれに手を挙げていた。つまり、YouTubeでは石丸氏を見ていたが、生でははじめて見る人が多かったということである。 

 

 そして、石丸氏は街頭演説の聴衆に、目標を同じくする「仲間」という言葉で呼びかけるが、その場では「仲間」に政策をあまり説明しない。「東京を、日本を動かすのはいましかない」とか「かっこいい大人の姿を見せつけよう」などと抽象的なことを呼びかけたら、政策については「詳細はYouTubeへ」と、ネットに誘導するのだ。 

 

 また、こうしたネット戦略は、演説の現場にYouTubeの配信者が多く集まることにもつながった。なかには本格的な機材を使って撮影している人もいて、YouTubeだけでも、石丸氏が配信するもののほかに、石丸氏関連の複数のチャンネルができることになった。 

 

 すると、どうなるか。石丸氏のYouTubeばかりを見ていた若者たちは、一種の「石丸漬け」になったものと思われる。というのは、YouTubeで動画を視聴していると、その動画が終了したときにおすすめの動画が表示される。 

 

 YouTubeにこうした機能が搭載されたのは2008年で、当時はコンテンツ全体の人気にもとづいて、おすすめ動画が選ばれていた。それが次第に進化し、2021年には800億件を超えるという情報のなかから、AI(人工知能)が一人ひとりの視聴の傾向を判断し、そのユーザーの好みに適ったおすすめ動画が提示されるようになった。したがって、石丸氏が登場するYouTubeを頻繁に視聴している人のもとには、あたらしい石丸情報がどんどん届けられ、「石丸漬け」になるというわけである。 

 

 

 これはいわゆる「レコメンド機能」の一種である。レコメンド機能とは、とくにECサイト(電子商取引を行うウェブサイトの総称)でおなじみの機能で、ユーザーの閲覧商品やお気に入りの商品などをAIが認識し、そのユーザーの嗜好に合ったおすすめ商品を表示するものだ。 

 

 そうした機能は現在、Googleアプリにも搭載されている。「Google Discover」といわれるもので、ユーザーの検索履歴や行動履歴をAIが分析し、一人ひとりに最適化されたコンテンツ、すなわち興味がありそうな記事が、自動的にどんどん表示される。これは非常に便利な機能で、私のパソコンでGoogleアプリを起動させると、オーケストラ、オペラ、大河ドラマ、城、為替、戦国武将、連続ドラマ、高齢化集落、圏央道、NHK、能登地震……など、このところ関心が高かった内容の記事が見事に表示される。そして、ここ数日は石丸氏について検索する機会が多かったことから、石丸氏の記事もしっかりと表示されるようになっていた。 

 

 要するに、ネットを通じて石丸氏に関心をもった人は、GoogleでもYouTubeでも、石丸氏に関連する記事を読み、動画を視聴し続けるかぎり、どんどん「石丸漬け」になることが避けがたいのが、現在のネット環境なのである。 

 

 たしかに、こうした機能は便利である。今日、莫大な情報に囲まれて暮らしている私たちにとって、情報に振り回されないためにも、その取捨選択は避けて通れない。だが、膨大な情報のなかから自分に必要なものをピックアップするには、膨大な時間を要する以上、ある程度、こうした機能に頼らざるをえない。私自身、その恩恵に浴している。 

 

 だが、一方で、ある人が接する情報が、AIによってパーソナライズされた情報に限定されてしまった場合、その人は情報への接し方という点で、著しくバランスを欠く結果になってしまう。AIが選択した自分好みの情報だけに接して、それを必ずしも好まない情報と比較し検討する機会が失われてしまえば、ものごとを客観的に判断する能力が失われてしまいかねない。 

 

 東京都知事選に即していえば、いったん「石丸漬け」になった人は、その度合いがますます加速し、石丸氏をほかの候補者と比較する機会も失われる。ほかの候補者がネット戦略をあまり重視していなかったという事情を考えると、なおさらである。 

 

 

 日本新聞協会の発表では、2023年10月時点で新聞の発行部数は2859万486部で、前年から200万部以上も減少している。2000年には5370万8831部だったが、2010年に5000万部を切ってからは加速度的に減少し、23年で47%も減ってしまった。また、1世帯あたりの発行部数が2023年に0.49部になり、はじめて0.5部を下回ったという指標もある。 

 

 だが、正直にいえば、まだこんなに多くの部数が発行されているのか、という感想も同時に抱いた。なぜかといえば、20代や30代、そこに40代前半を含めてもいいかもしれないが、若い層に聞くと、圧倒的多数は新聞を購読しておらず、彼らの周囲の同世代のあいだにも、購読者はほとんど見つからない、という話になるからである。つまり、昔から新聞を読んでいる世代は購読し続けているが、若い世代には購読の習慣がない、ということだろう。 

 

 新聞はそれぞれにカラーがある。具体的には、朝日新聞や東京新聞と、読売新聞や産経新聞では、選ばれている記事も、その大きさも、論調も、大きく違っている。だから、かつてはある1紙しか読んでいないと、偏った考え方に陥りかねないという警鐘も鳴らされたものだ。しかし、いまでは若者の大半は1紙も読んでいない。そういう彼らがネットを通じて、彼らの嗜好に合わせてAIがピックアップした情報ばかりに接していたら、どうなるだろうか。仮に、そのことが、石丸氏が善戦した理由だとしたら恐ろしい。 

 

 リベラルな新聞でも、右派的な新聞でも、なんでもいいから1紙でも読んでいれば、種々の情報を比較対照させ、さまざまな考え方があることを知って、ネットですすめられた情報を客観的に眺めることもできるだろう。しかし、そういう機会がないまま、AIにすすめられた情報にばかり接していると、狭い部屋に閉じこめられて、新興宗教の教祖の説教を聞かされているのに近い状況に陥りかねない。若者の新聞離れとネット依存には、そういう危険性が潜む。 

 

 あるいは、テレビのニュースを見るだけでもいい。自分が好む情報だけに接することを避ける、ということを、若者はもとよりだれもが意識しないと、恐るべき衆愚に導かれることになりかねない。そのことに、背筋が寒くなるような怖さを感じるのである。 

 

香原斗志(かはら・とし) 

音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。 

 

デイリー新潮編集部 

 

新潮社 

 

 

 
 

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