( 192418 )  2024/07/19 15:18:26  
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斎藤元彦兵庫県知事(写真:アフロスポーツ) 

 

■ 土俵際の斎藤知事 

 

 兵庫県庁が大揺れだ。 

 

 斎藤元彦知事(46)の「パワハラ疑惑」を告発していた県の元西播磨県民局長(60)が7月7日に自死したことを受け、県職員労働組合が10日、片山安孝副知事へ斎藤知事の辞職を求める申し入れを行った。 

 

【写真】維新との連携のアピールに積極的にだった斎藤元彦知事。阪神-オリックス戦の始球式に、大阪府の吉村洋文知事と並んで登場した 

 

 同日の定例記者会見で斎藤知事は「私自身が生まれ変わってよりよい県政を進めていくために職員のみなさんとの信頼関係を再構築していくことをやるべき。それが私の大きな責任」と述べて辞職を否定したが、日に日に知事に対する県民の批判の声は高まっている。 

 

 土俵際に追い詰められた知事サイドに、この状況を打開する術もない。 

 

 「このような事態になったのは知事の責任が大きい。官僚出身で、知事になったことで殿様にでもなった気持ちになり、誰もが自分の言うことを聞くと思ってしまったのか、職員に対するパワハラ行為や、直ぐに怒鳴る、気が短いという気質がこの泥沼を生みました。 

 

 百条委員会も設置されましたから、今後、知事のパワハラなどの実態がさらに明らかになる可能性が高い。それだけに斎藤知事にはいったん辞職して再選を目指すか、議会を解散するしか方法が残されていないように見えますが、議会を解散しても、今の状況では知事に味方する議員が増えるとは到底思えませんので、腹を括ることはできないでしょう。ここは自分が蒔いたタネだと深く反省して潔く辞職をするほうがいいと思うんですが」(大手紙・県政担当デスク) 

 

 ただ、斎藤知事にも、そして彼を支援する人々にも、簡単に知事の椅子を放り出せない事情がある。まずは斎藤知事誕生の経緯から振り返ってみよう。 

 

■ 知事選で自民党会派が分裂 

 

 神戸市出身の斎藤知事は中学・高校は愛媛県の私立の中高一貫校に進学、卒業後に東大経済学部に進学、そして2002年4月に総務省に入省した。 

 

 本省でキャリアとしての経験を積むのと交互するように、日本各地の県や市町村に出向、18年4月からは大阪府の財政部財政課長を務めていた。当時の大阪府知事は松井一郎氏、そして19年4月からは現在の吉村洋文氏が務めている。つまり斎藤知事は大阪府の財政課長時代、二代続けて大阪維新の会の知事に仕えていた。 

 

 片や、隣の兵庫県は旧自治省(現総務省)の官僚出身の井戸敏三氏が5期連続で知事を務めていた。井戸知事は大阪維新の会による大阪都構想やカジノ構想にことごとく反対し、松井氏や吉村氏が知事を務める大阪府と対立する場面が多かった。そこに新型コロナウイルス感染症が襲ってきた。コロナ対策に関し、さまざまな発信をし手を打とうとする大阪の吉村知事に対し、兵庫の井戸知事の動きはそれほど目立つものではなかった。 

 

 そこに重なるように、井戸知事の任期切れが迫っていた。5期20年と在任期間が長期にわたっていたため、2021年7月の次回知事選には出馬しない方針を決めていた。後任知事の本命は、副知事の金沢和夫氏だった。というのも、兵庫県では長らく、副知事として知事を支えた中央官庁出身者が次の知事になるという構図が60年ちかくも続いていた。自民党もそれを支える側だった。当時の金沢副知事も旧自治省出身で、井戸知事の後継者の最有力と見られていた。 

 

 だがそこに別の動きが起こる。 

 

 大阪で党勢を拡大する維新による“兵庫侵食”を懸念する自民党県議の一部から、金沢氏以外の候補を探る動きが出始める。維新執行部も兵庫県知事選に独自候補を擁立すると公言していた。 

 

 そんなときに、自民党県議の一部が目をつけたのが、総務省から大阪府に出向中の斎藤氏だった。松井・吉村両氏に仕えた斎藤氏を擁立すれば、維新が乗ってくる可能性は十分あった。といっても自民党会派はすでに副知事の金沢和夫氏を推薦する予定を固めている。このままでは会派が分裂する。 

 

 結局、斎藤氏を推す自民党の県議は、自民党会派を離脱し、「自民党兵庫」として斎藤氏を担ぐことを決めた。するとすかさず維新が斎藤氏への推薦を決定。この速い動きに逆に慌てたのが自民党だった。斎藤氏を維新に取り込まれてしまったら厄介なことになるからだ。紛糾したが、党本部も斎藤氏を推薦することを決定。ただ足元の兵庫県連は事実上、斎藤派と金沢派に分裂したまま選挙戦に突入するという異常事態になった。斎藤氏の応援には、地元選出の自民党国会議員・西村康稔経済再生担当相らのほか、維新からも松井氏や吉村氏が駆け付けた。 

 

 その結果、85万票を獲得した斎藤氏が当選を果たしたのだった。 

 

 

 知事となった斎藤氏はすぐさま県政の“改革”に乗り出す。まずはボトムアップ型の県政を目指し「新県政推進室」を設置するとしたが、実際にはそれまで幹部30人が県政の方向性を決めていたのに対し11人で行うように変更させた。つまりこの11人でなければ県政の舵取りが任せられないという構成になったのだ。 

 

 21年12月には古くなった県庁舎の建て替え問題に対し、720億円とも試算されている建て替え計画を凍結させて耐震強化不足だけの工事ができるのかを目指すように指示を出している。また、各市町へ毎年配分していた約10億円の「ひょうご地域創成交付金」の廃止も決めており、バス対策費補助の減額も決めた。 

 

 その政治スタイルは、既存の路線や決定に大胆に大ナタを振るい、「改革」をアピールしていく維新のスタイルに重なる部分が多かった。 

 

■ 内部告発の内容を調査もせずに全面否定 

 

 こうした中、今年3月12日付で、県議、報道機関、県警などにある文書が送られた。そこには斎藤知事によるパワーハラスメントの内容などのほか、「複数企業への贈答品のおねだり」「23年7月斎藤知事の政治資金パーティーにおける県信用保証協会理事長に対するパーティー券購入依頼」「セ・パ優勝パレードにおけるキック・バック強要」など7項目が記されていた。 

 

 文書を送ったのは、県の西播磨県民局長を務めるA氏だった。3月末に定年退職を控えた幹部職員だった。 

 

 兵庫県ももちろん公益通報窓口を設けている。だが通報を受け付ける県の公益通報員会のメンバー5人の中には、知事最側近の片山安孝副知事もいる。そのためA氏は当初、公益通報窓口ではなく、メディアや県議に文書を送ったと見られている(4月になるとA氏は改めて公益通報窓口に同じ内容を通報)。 

 

 だがA氏は県に追い詰められていく。3月25日には、片山副知事と人事課長がA氏が勤務する西播磨県民局にアポなしで訪れ、A氏が業務で使用しているパソコンを押収。 

 

 またA氏の告発に対し知事は、一切の調査をしないうちから「事実無根」「正しくない情報が多々含まれている」などと反論。さらに同月27日には、A氏を西播磨兼任局長の職から解任して総務部付とし、4日後に控えていた退職も保留すると発表した。 

 

 斎藤氏は会見で「職員らの信用失墜、名誉毀損(きそん)など法的な課題がある。被害届や告訴も含めて法的手続きを進めている」とし、「業務時間中に噓八百含めて文書を作って流す行為は公務員として失格」と非難、被害届や告訴の準備を進めると発表した。A氏にとって、これは大きなプレッシャーだったことは想像に難くない。 

 

 

■ 「事実無根」ではなかった 

 

 だが4月になると、斎藤知事側の対応に大きな疑義が生じることとなる。 

 

 まず県の産業労働部の部長が、告発文書に記されていた贈答品の授受を認める。知事本人の疑惑ではないが、文書の内容が「事実無根」とは言い切れなくなってきた。 

 

 さらに大きな事件があった。4月20日、告発文書の中で触れられていた阪神・オリックス優勝パレードの担当者だった県総務課長が自死したのだった。この事実は、当初公にはされていなかったが、県庁内では「総務課長が自殺したらしい」と噂になっていた。内部告発に書かれていた事案との関連についてまだハッキリとしたことは分かっていないが、優勝パレード担当の職務と課長の死との間に何らかの関係があったのではなかったのかとの見方も県庁内では根強い。 

 

 それでも県はA氏への“攻撃”を続けた。内部で関係者にヒアリングした結果、A氏の内部告発の全てにおいて核心的な部分が事実でなく、誹謗中傷に当たるとして、5月7日、A氏に対し停職3カ月の懲戒処分を下す。そのうえで一部県議などから要望があった第三者委員会の設置も不必要と断じたのだ。 

 

 ところが、である。丸尾牧県議が独自に県職員に実施したアンケートにより、知事のパワハラや県幹部の贈答品収受の実態が浮き彫りになった。「知事本人ではないが側近が視察した会社から贈答品などを貰っていた」「本人もカニなどを貰っている」などという回答のほかに、知事から強烈に怒鳴られたという職員らからの“証言”が出てきたのである。 

 

 この時期の知事の対応次第では、状況がここまで悪化することはなかったかもしれない。前出のデスクが言う。 

 

 「素直に自分の非を認めて『申し訳ありませんでした。今後は問題に丁寧に向き合い改善していきたいと思います』などと釈明をすれば沈静化する可能性もありましたが、知事にはそのつもりはさらさらなく、A氏に処分を下すことで乗り切ろうとしていました」 

 

 

■ 51年振りの百条委員会 

 

 だが、A氏の告発内容が「事実無根」ではなかったことが明らかになるにつれ、斎藤知事の旗色はどんどん悪くなっていった。県庁内部のヒアリング調査に関わった弁護士が、告発文書の中で知事との関係を指摘されていた県信用保証協会の顧問弁護士であることが報道で判明すると、調査の信ぴょう性自体にも疑いの目が向けられ始める。 

 

 県議会の全会派から第三者機関設置を求める声が上がり、斎藤知事も第三者機関を設置して再調査することを正式表明した。ただ県議の中からは、証言の拒否やウソの証言、資料提出の拒否などをした場合に罰則が科せられる百条委員会の設置を求める声も高まっていた。 

 

 すると知事側近の片山副知事が動く。6月7日、県議会の合間に自民党の大物県議に対して「突然ですが辞職しようと思います。だから、百条委だけは…」と懇願したのだ。片山は自身のクビと引き換えに百条委員会設置の議案を提出しないよう頼み込んだが、自民党の県議に拒否された。 

 

 そして自民・ひょうご県民連合が共同提案した百条委員会の設置は6月13日に議会で可決された。採決では維新と公明が反対に回った。 

 

 6月27日に開かれた百条委員会の2回目の会合では、内部通報をしたA氏の証人尋問は7月19日に行われることも決定されていた。 

 

 また県職員労働組合は知事の退職を求める決議をして申し入れをすることが決まっていたが、そこに起きたのがA氏の自死である。 

 

 「都知事選があった7日夜になってA氏の姿が見られないと家族から捜索願が出されましたが、その後、姫路市内の実家で自死しているA氏が発見されました。勇気をもって内部通報をしてくれたのに自死を選んだということは無念でしかないと思います。家族や職場の方々がどのような対応をしていたのかはまだ分かりませんが、県の対応の拙さが起こした事件だと言い切ることはできると思います」(大手紙・社会部デスク) 

 

 10日、県職員組合は知事に辞職を求める申入書を提出したが、同日の会見で斎藤知事は「生まれ変わって信頼関係を再構築したい」と辞職する意思はないと述べた。 

 

 それでも「辞職」を求める声は止まない。7月12日には副知事の片山氏が7月末で辞任する意向を表明。会見では、斎藤知事に一緒に退職する考えはないかと伝えたが「県民の負託を受けており、任期を全うして頑張りたい」と言われたことも明かした。 

 

 2日後の14日には、自民党兵庫県連の末松信介参議院議員が、「知事には大きな、正しい決断をしていただきたい」と辞任を求める発言を行った。 

 

 

 
 

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