( 192513 )  2024/07/19 17:10:50  
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ホーチミンメトロ1号線の車両基地に留置されている日立製車両(筆者撮影) 

 

 日本が官民を挙げ、ハード・ソフト両面から支援し、オールジャパンによる初の鉄道輸出プロジェクトとして2018年に開業するはずであった、ベトナムのホーチミンメトロ1号線。しかし、着工から10年を経過した今も開業に至っていない。 

 

【写真40枚を見る】ほぼ完成した状態で未開業のホーチミンメトロ1号線やハノイ3号線、6年遅れで運行開始したハノイ2A号線など、ベトナム都市鉄道の今 

 

 当初は業界内でも優良案件として捉えられており、同時期に着工したインドネシア・ジャカルタMRTプロジェクトとしばしば比較されてきた。ジャカルタ案件こそが「ババ」という見方も強かったが、現実にはジャカルタMRTは予定通りに2019年の開業を果たしたのみならず、順調にオペレーションを続けており、成功事例として評価されるほど立場は逆転した。 

 

■いつでも開業できそうに見えるが… 

 

 そんな中、開業の遅れから、ホーチミンメトロ1号線の車両をはじめとした鉄道システム一式を受注している日立製作所が同プロジェクトの施主であるホーチミン市人民委員会鉄道局(MAUR)に対し、約4兆ドン(約246億160万円)の賠償請求を行っていることが明らかになった。 

 

 日立は2013年に約370億円でCP3と呼ばれる車両、軌道、信号、通信、電力、架線、ホームドア、券売機・改札機、車庫設備を含む設備一式のパッケージを納期5年の契約で受注しているほか、開業後5年間の車両メンテナンスも別に受注している。一メーカーがこれらすべてをターンキー方式で受注するというのは非常に稀な例であるが、裏目に出てしまった格好だ。 

 

 インフラ部分の工事進捗率自体は9割を超え、いつでも開業できるかのように見えるホーチミンメトロ1号線だが、一体何が起きているのか。 

 

【写真】ほぼ完成した状態で未開業のホーチミンメトロ1号線やハノイ3号線、6年遅れで運行開始したハノイ2A号線など、ベトナム都市鉄道の今(40枚) 

 

 ホーチミンメトロ1号線は、ベトナム最大の経済都市であるホーチミン市の中心部ベンタインから北東部のスオイティエンバスターミナルを結ぶ約19.7kmの路線である。市内中心部のベンタイン―オペラハウス―バソン間の3駅のみが地下区間(約2.5km)で、それ以外は主に国道に沿った高架区間(約17.2km)となる。都心の要所を結ぶというよりも、都心と郊外を結ぶ性格が強い路線だ。 

 

 

 始発駅のベンタイン駅は、庶民の台所とも言えるベンタイン市場が目の前に立地するのみならず、高級ブランド店から日系デパートやホテルなどが連なる商業の中心エリアである。より人口密度の高い北西部へ延びる2号線(ドイツが中心となり事業実施中、2032年開業予定、当初は2016年開業予定)のほか、将来的には3A号線、4号線も乗り入れる一大ジャンクションとなる予定で、地上にも十分な用地が確保されている。 

 

 都心区間を抜けると高架になり、サイゴン川を越えるとホーチミン市直轄のトーゥドゥック市に入る。新興開発地区で、沿線には真新しい高層アパートが立ち並ぶ。しかし、それもすぐにまばらになり、荒涼とした工業エリアへと風景は一変する。終点のスオイティエンバスターミナルはその名の通りバスターミナルが隣接しているほか、人家もまばらな駅の先に車両基地が置かれている。 

 

 1号線は需要よりも土地収用の容易さから優先的に整備されたと見え、人口2000万人を超えるホーチミン都市圏にあって車両が短い3両編成であることも納得できる。高架区間のほとんどは国道の緩衝地帯に建設されている。民有地にかかる一部駅の出入り口のみが未着工だったり、工事が続いたりしているが、これはジャカルタのMRTでも見られた光景である。 

 

■車両はすべて搬入済み 

 

 事業総額は約43兆7000億ドン(約2727億円)で、そのうち約8割がJICAによる円借款供与で賄われる。2007年に「ホーチミン市都市鉄道建設事業(1号線)(I)」として208億8700万円、2012年に同(II)として443億200万円、2016年に同(III)として901億7500万円が供与され、2014年に着工している。 

 

 土木工事はパッケージごとに三井住友建設と現地建設企業、清水建設と前田建設、住友商事と現地建設企業のコンソーシアムが受注している。 

 

 車両は基地の工事進捗を待つ形で、2020年10月に1編成目がようやく到着、2022年5月までに全17本が搬入された。 

 

2022年12月に最初の試運転が実施されたと一般的には報じられているが、これは厳密にはメーカーによる入線試験であり、営業運転を想定した「試運転」ではなく、とりあえず走行可能な最低限の設備で走ったに過ぎない。車両基地内に建設され、鉄道運行の要となる運行管理センター(OCC)は今年の3月に住友商事と現地建設企業のコンソーシアムから引き渡されたばかりである。 

 

 

 2023年12月には同プロジェクトに対し、4回目として412億2370万円の円借款供与が実施された。資料には「今次借款は輪切り4期目として、事業完了までの資金需要に対応するもの」とある。円借款はプロジェクト進捗に応じて複数回に分けて供与されるのが一般的であり、要するにこれだけの額面部分が完成していなかったことを意味する。開業予定時期から5年も遅れて新たな追加借款があることに驚かされる。 

 

 MAURは2023年8月に車両の地下区間への入線も果たされたことを受け、2024年7月開業と公表していたが、最後の借款供与から半年後に開業するなど、常識的に考えてあり得ないことである。 

 

■他都市でも開業遅れるベトナムの事情 

 

 本来なら開業予定時期の半年前ともなれば、目に見えるところでは乗務員のハンドル訓練が連日行われ、次いで実際のダイヤに則した試運転も開始されて然るべきであるが、今年5月下旬時点に至ってもこれらが実施された形跡はない。沿線住民や在留邦人による目撃談によれば、メーカーによる走行試験のみ行われているようだが、それも1日1~2往復あるかどうかといった具合である。筆者が現地に滞在していた間も、早朝に1往復が走っただけだった。 

 

 一方、地下駅を中心に「HITACHI」の文字が入るジャケットを羽織った作業員が出入りしており、システム関係の調整をしている様子だった。見た目ではインフラはほぼ完成しており、公称進捗率9割というのはあながち間違いではないようにも見えるが、システムインテグレートの部分が未完であることがうかがえる。 

 

 日立としてはシステム調整まで終え、一刻も早くMAURに引き渡したいはずだが、ベトナム側の事情でそれができていない。当初計画の納期から最大6年遅れとなっている中、この間の人件費、維持・管理費に加え、インフレによるコスト増分も日立側が負担している状況であり、今回の賠償請求に至ったという格好だ。設備・システム一式がベトナム側に引き渡されない限り、運営会社であるホーチミンメトロ1号線会社(HURC1)による「試運転」は開始できず、訴訟の行方次第では開業はさらに遅れることになるだろう。 

 

 

 ベトナムには2011年に着工し、2015年に開業するはずが6年遅れとなったハノイメトロ2A号線という先例がある。同線は中国のODAで建設され、2018年にはほぼインフラ部分は完成していたものの、ベトナム側の行政手続きや許認可の遅れで、2021年にようやく開業した。 

 

 日本の関係者内では、ハノイとホーチミンの力関係から、ハノイメトロ2A号線が開業すれば、ホーチミンメトロ1号線の事態も好転するのではないかとも囁かれていたが、打開には至らなかった。それどころか、今置かれている状況は、かつてのハノイメトロ2A号線とほぼ同じと言っても過言ではない。その状況とは、簡単にまとめれば以下の通りだ。 

 

1:土地収用や立ち退き補償の遅れ、土地価格の高騰 

2:手続きの遅れによるプロジェクトの停滞や未払いの発生 

3:プロジェクトの遅れによる運営会社の資金枯渇 

4:第三者機関によるシステム・安全性評価認証の問題 

 まず1点目は、避けて通れない土地収用の問題である。ベトナムは社会主義国であるため、国や行政が強権的に用地を取得できるように思えるが、現在、ベトナム政府は強制収用を行っていないという。ホーチミンメトロ1号線は、極力民有地を避けて建設されているが、バソン駅前後の区間など、地下区間での土地収用に最後まで時間を要したと言われている。また、計画段階の2006年頃に比べて土地価格が急騰しており、当初計画よりも30兆ドン(約1872億円)以上のコストアップとなった。 

 

 ただ、この問題はベトナムに限らず、各地の鉄道プロジェクトに言えることだ。これに時間を要したとしても、なんとか帳尻を合わせて計画通りに開業する例は多い。 

 

■役人の責任逃れが影響?  

 

 要因は2点目以降の問題にあり、最大の問題は2点目だ。というのも、国家プロジェクトでありながら、所管省庁や行政の担当役人が、手続きや各種許認可に関する書面にサインを入れないというのだ。この手の話はベトナムで活動する多くのビジネスマンからも漏れ伝わってくるが、とくに新しいプロジェクトに対して、後々の責任追及を恐れてサインを入れたがらない傾向があるという。 

 

 

 
 

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