( 192888 )  2024/07/20 16:20:52  
00

Photo:AFLO 

 

● 蓮舫批判は「理不尽ないじめ」なのか? 

 

 蓮舫氏が「いじめ被害」を訴えて話題となっている。 

 

 都知事選落選後の7月13日、自身のインスタグラムにライブ配信を行った蓮舫氏。一般人になった今も週刊誌に追いかけられたり、ネットやSNSで誹謗中傷を受けていることについて、息子さんと2人 

 

 「蓮舫なら叩いていいって空気は辛かった」「いじめの構図だなって思う」と語り合った後、こんなことをおっしゃった。 

 

 「女、政治家、負けた。何言ってもいい的な構図で、すごいよね」 

 

 つまり、蓮舫氏としては今自分に寄せられている批判的な言論というのは、女性蔑視などが背景にある「理不尽ないじめ」だと主張されているのだ。 

 

 これが事実であれば、許される話ではないので、「女性だから」「二重国籍だったから」という理由で蓮舫氏を誹謗中傷しているような人たちは一刻も早く止めていただきたい……と思う一方で、この「被害告発」に対して、何やらモヤモヤしたものを抱える国民も多いのではないか。 

 

 ご存じのように、蓮舫氏には「他人の粗探しをして厳しい言葉で追及をする人」という社会的なイメージが定着している。そのため「因果応報」というか、「自分がよくやっている批判が、ブーメランになって叩かれているだけでしょ?」と冷ややかに受け取っている人もSNSなどでかなりいらっしゃる。 

 

 「そんな勝手なイメージを蓮舫さんに抱いていることこそが“いじめ”になっていることに気づかないのか!」という怒声が飛んできそうだが、そういうイメージを政治家としてのブランディングに活用してきたのは他でもない蓮舫氏ご自身という動かし難い事実がある。 

 

 その最もわかりやすい例が「VR蓮舫」だ。 

 

 覚えている方も多いだろうが、これは2017年に蓮舫氏が旧・民進党の代表だったときに開発されたVRコンテンツだ。VRゴーグルをかけると、議員に360度取り囲まれた中で、目の前にいる蓮舫氏から「率直に答えてください!」「もしかして血税じゃないでしょうね!?」などと迫られるというもので、「蓮舫さんの恐怖の追及が疑似体験できる」と大きな話題になった。 

 

 実際、これが出展された「ニコニコ超会議2017」のブースは「300分待ち」の大盛況で、主催者からは「ディズニーランド並」と評され、当時党幹事長を務めていた野田佳彦元首相も「VR蓮舫」を体験して、こんな感想を漏らしている。 

 

 「周りのヤジがある中で蓮舫さんに追及されれば、ふつうは精神的な圧迫感を感じると思う」 

 

 そんな風に同僚たちからイジられるほど、蓮舫氏の「他人の粗探しをして厳しい言葉で追及をする人」というキャラクターは日本社会に定着していた。それは7年を経た今も変わらない。 

 

 そういう極めて攻撃的なイメージのある人が、国会議員を辞めて都知事選にチャレンジした。当初は「小池氏と一騎打ち」なんて言われていたのにフタを開けたら、2016年の都知事選で「野党統一候補」だった鳥越俊太郎氏よりも票が取れなかった。 

 

 蓮舫氏の厳しい追及を、憎々しげに眺めていた自民党支持者が、ここぞとばかりに叩くというのは容易に想像できよう。それだけではない。批判は反自民や「身内」である立憲民主党支持者からも寄せられるはずだ。「なぜ共産党と組んだのか?」「なぜ石丸氏のように若者の支持が得られなかったか」「あの内輪受けするようなフェス的なノリは誰が決めたんだ?」などなど、かつて蓮舫氏が国会で鬼ヅメしたように、ネチネチと問い詰めたいという「身内」も山ほどいるはずだ。 

 

 このように蓮舫氏が「いじめ」だと被害を訴えているものの中には、実はかなりの割合で、蓮舫氏の政治的主張や選挙戦略の「穴」を追及している人もいらっしゃる。つまり、「あなたもいろいろ他人に厳しいことを言ってきたわけだから、この際こっちも言わせてもらうけどさ」という感じで、ごくシンプルに蓮舫氏にこれまでの政治家人生に対する「有権者からの厳しい意見」ではないか。 

 

● 蓮舫氏が背負った“鬼ヅメ”の代償 

 

 という話をすると、決まってでくるのが「野党は批判するのが役目なのだから、それをやっていただけの蓮舫さんを“他人に厳しい”などと批判するのは間違っている」というような反論だ。 

 

 

 筆者も20年ほど前、某大新聞に中途入社したとき、これと同じようなことを言う人がたくさんいてドン引きしたのだが、一般庶民の感覚ではこれはかなり自己中心的というか、特権階級的な考え方ではないか。 

 

 権力への批判精神が大事だということに異論はない。ただ、だからと言って「権力を批判する側」を特別扱いすれば、なんのことはない「反権力を掲げたプチ権力」がのさばるだけだ。 

 

 誰かを厳しく批判するのなら当然、自分たちも同じような批判を受けることもあるし、それに対して真摯に向き合わなくてはいけない、というのが庶民の生きる一般社会のルールではないか。 

 

 しかし、野党やマスコミは自分たちの批判には、ああでもないこうでもない、と屁理屈を並べ非を認めない。しまいには「これは言論弾圧だ」「民主主義の危機だ」と被害者ヅラをして煙に巻く。当然、国民はシラける。「エラそうなこと言って結局、他人に厳しくて、自分には大甘じゃんか」と失望をする。「マスゴミ」という批判や、野党の支持率が上がらないのはこれが理由だ。 

 

 そして、実はそういうネガティブなイメージを社会に広めてしまったのも、他でもない蓮舫氏ご自身なのだ。「VR蓮舫」はエンタメとしては大ウケだったが、実際にこの厳しい追及を現実社会、つまりは国会でやり続けても民進党の支持は広がらなかった。さらに、立憲民主党になってからは蓮舫氏の伝家の宝刀である「精神的に圧迫感のある追及」によって、自民党支持率が上がったのではないか、という「珍事」まで起きた。この背景を政治評論家の伊藤達美氏は当時こう分析していた。 

 

 「ニュースやワイドショーで同じ追及シーンが何度も流れたが、蓮舫氏の口調もあって、不慣れな閣僚への『パワハラ』『いじめ』という印象を受けた。国会の場なので、礼を尽くして論戦をすべきだ。品格のない追及の様子が、男女問わず、野党に悪い印象を与えているのではないか」(2018年11月14日 zakzak) 

 

 このように長年積み上がってきた悪い印象が、都知事選に落選した蓮舫氏にブーメランとして炸裂(さくれつ)してしまった可能性は高い。つまり、ご本人からすれば不本意だろうが、「品格のない追及をしてきた政治家」というネガなイメージが社会に定着してしまったことで、他の落選した人たちよりも叩かれ、「品格のない追及」を呼び込んでしまったのである。 

 

● 蓮舫氏が気づいていない“政治の本質” 

 

 ただ、これは悪いことばかりではない。今回寄せられている批判との向き合い方によって、蓮舫氏は政治家として大化けをする可能性もあるからだ。 

 

 世界的ベストセラー『サピエンス全史』を著して「知の巨人」とも評価されている歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は「人間社会の争い」について、このような趣旨のことを述べている。 

 

 《「絶対的な正義」を探し求める人は被害者か加害者の二択で考えがちだが歴史においてそんなことはほとんどない。被害者と加害者が同じであることがほとんどだ》 

 

 これは今起きているイスラエルとパレスチナの問題などにも当てはまるが、自分たちが「被害者」だと思っている人は、加害者を憎み、「これまでの恨みを思いしれ」と厳しく攻撃をする。しかし、「加害者」と目されている人たちはそんな自覚がないので、自分たちをいきなり理不尽な攻撃を受けた「被害者」だと思う。 

 

 

 この世界はポジションによって正義か悪か、加害者か被害者というのはまったく逆になる。つまり、「絶対的な正義」など存在しないのだ。そんな混沌とした世界で、異なる考えの者たちが殺し合いを避けて、共存共栄していくために発明したのが「政治」である。 

 

 だから「政治家」というのは本来、「我々は被害者だ」「あいつは加害者だ」と叫んで大衆の憎悪を煽ってはいけない。「我々は被害者だと思っていたが、実は加害者の側面もあった」と対話を促し、現実的な平和の道を模索していく。 

 

 今回、蓮舫氏はご自分のことを「理不尽ないじめを受けた被害者」だと思っている。そこから一歩進んで、ハラリ氏の言う「被害者と加害者は同じ」という政治の本質に気づくかどうかで、これからの蓮舫氏の政治家人生は変わってくる。 

 

 例えば今回、SNSで定期的にダジャレギャグを投稿しているTVプロデューサーのデーブ・スペクター氏が、「蓮舫がTV司会者に転身→ヒステリーチャンネル」と投稿をしたところ蓮舫氏はこんな反論をした。 

 

 「私の闘いや私の姿勢を個人で笑うのはどうぞご自由に。(中略)私を支え、私に投票してくださった方を否定しないでいただけると嬉しいわ」 

 

 政治家なので政治活動や政策についていろいろ言われても、人格まで攻撃するのは、信任してくれた有権者への侮辱なので許されないというわけだ。ただ、そこでデーブ氏に謝罪を求めるのなら、蓮舫氏もかつて侮辱をした政治家の墓前で謝らないといけない。安倍元首相だ。 

 

 例えば、2017年に民進党代表だったとき、党本部で開催された国男女共同参画担当者会議の場で、蓮舫氏はこんなことをおっしゃった。 

 

 「いよいよ安倍さんの独裁、明らかになってきた。もういい加減同じ空気を吸うのがつらいと思えるぐらい」 

 

 野党やマスコミは、首相なんだからこれくらいのことは言われて当然だという思いがある。だから日常的に安倍元首相を「独裁者」と批判して、「最近ヒトラーと顔が似てきた」なんてことを公の場でいう野党議員もいた。 

 

 

 しかし、そういう人権感覚の方がバグっていて、世界的に見れば、これは先ほどの「ヒステリーチャンネル」どころではない人格攻撃だ。国によってはいくら相手が大統領や首相であっても、「政策論争と関係のない侮辱」として批判されるだろう。 

 

 ちょっと前、ウクライナ政府が公式SNSにアップした動画でヒトラー、ムソリーニと共に昭和天皇を並べて「ファシズムとナチズムは1945年に敗北した」とテロップを流したところ、日本政府が抗議をして写真を削除させたように、国際社会ではヒトラーと同一視されるのは受け入れ難い侮辱だ。 

 

 しかも、見方によっては、何の根拠もない「誹謗中傷」だ。本物の独裁者がいるロシア、中国、北朝鮮、アフリカの軍事国家などで、「あの独裁者と同じ空気を吸いたくない」なんて言ったらタダでは済まない。しかし、日本では、野党やマスコミはもちろん、一般のSNSユーザーも安倍さんをボロカスに叩いた。誰か強制収容所に送られた人がいるのか。 

 

 こんな「誹謗中傷」を受け続けて、安倍元首相の親族はもちろん、支持者、安倍政権を支えてきた人たちは深く傷ついた。だから、安倍さんの支持者たちは、野党やマスコミを「加害者」として憎んでいる。しかし、野党やマスコミはそんな自覚はゼロだ。むしろ、自分たちの方が「ヒトラー安倍の悪政に苦しむ被害者」だと思っている。安倍元首相が凶弾に倒れた後の報道が、今回のトランプ氏の暗殺未遂の報道に比べて、異常なほど「テロ犯擁護」に傾いていたことが、その動かぬ証拠だ。 

 

 こういう「被害者と加害者は同じ」という争いの本質に、果たして蓮舫氏は今回の「理不尽ないじめ」を受けて気付いただろうか。 

 

 「ああ、今私がやられているような理不尽ないじめを、実は安倍さんもずっと受けていたのか」と我が身を振り返るようなことがあれば、蓮舫氏はこれまでの「厳しい追及をする野党政治家」から大きく変貌するだろう。 

 

 もちろん、逆もある。「なぜ正しいことをしている私がこんな理不尽ないじめに遭うのだ」という感じで被害者意識だけが肥大すれば、自民党支持者やメディアなど、自分を批判する全てのものが「敵」になるので、国政に復帰してもこれまで以上に相手を厳しく追及する「スーパー蓮舫」になる恐れもある。 

 

 ……といろいろ言わせていただいたが、他人を攻撃してきた政治家が「理不尽ないじめ」を経てどういうなっていくのか、というのはかなり興味深い。「黙らない」ということも表明されているので、「政治家・蓮舫」の今後ますますのご活躍をお祈りしたい。 

 

窪田順生 

 

 

 
 

IMAGE