( 192898 )  2024/07/20 16:33:51  
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2018年12月、海上自衛隊のP1哨戒機が韓国海軍の艦艇から射撃用の火器管制レーダーを照射された。艦艇は韓国海軍の駆逐艦「広開土大王」(写真・防衛省公開の動画からのキャプチャ) 

 

 日本政府が2024年7月12日に閣議了承した2024年版の『防衛白書』は、韓国のことを「国際社会におけるさまざまな課題への対応にパートナーとして協力していくべき重要な隣国」と書いた。 

 

 日韓間で長く引っかかっていた「レーダー照射」問題の手打ちが図られたことで、やっと防衛協力を前面に押し出せるようになったのだ。 

 

 懸案はなぜこんなに長期化したのか。表向き、交わらぬ主張を繰り広げてきた日韓両政府だが、実は発生当初から双方の政府当局者の間では「棚上げするしかない」とささやかれてきた。 

 

 6年ぶりの手打ちは、両国関係をいたずらに悪化させた安倍晋三、文在寅両政権の外交失策が、また1つ修復されたことを意味する。 

 

■平行線たどり続けた日韓の主張 

 

 「事件」が起きたのは2018年12月20日のことだった。 

 

 防衛省によると、石川県の能登半島沖で午後3時ごろ、海上自衛隊のP1哨戒機が韓国海軍艦艇から射撃用の火器管制レーダーを照射されたという。 

 

 砲弾やミサイルを発射する前に狙いをつけるレーダーで、これが動いているのを目視で確認し、韓国の艦艇が見えない距離まで遠ざかった後に今度は照射を機器で感知した。 

 

 哨戒機は退避行動を取ったうえで、無線で艦艇側に意図を問い合わせたが、応答はなかった。また日本政府関係者は、照射は約5分続いたが、砲身は向けられていなかったことを明らかにした。 

 

 翌12月21日、当時の岩屋毅防衛相自らがこれらの事実を発表し、韓国政府に「不測の事態を招きかねない危険な行為」だとして抗議したことを明らかにした。 

 

 これに対し、韓国国防省は同21日の夜、「作戦活動の中でレーダーを運用したが、日本の哨戒機を追跡する目的で運用した事実はない。誤解がないように十分に説明する予定だ」と否定した。 

 

 同24日に韓国海軍は記者会見を開き、韓国の艦艇は当時、一帯で北朝鮮漁船の救助活動をしていたことや、自衛隊の哨戒機が艦艇の真上を通過する「特異な行動」をとったため、「光学カメラ」を向けたことを明らかにした。 

 

 光学カメラは火器管制レーダーのすぐ横に備えつけられ、作動させるとレーダーのアンテナも同時に動くが、カメラを使うこと自体は危険を与えないと主張。「光学カメラだけを作動させ、レーダー照射はしていない」とした。 

 

 

韓国側の対応にしびれをきらした防衛省は同28日、哨戒機が撮影した当時の映像を公開する。約13分間の映像は、音声の一部が処理されているものの、当時の緊迫した生々しいやりとりが残っていた。 

 

 これに韓国政府は反発し、約4分半の独自の映像を公開した。だがここには、韓国海軍が訴える自衛隊の哨戒機が低空飛行で韓国軍の艦艇に迫ってきた場面などは含まれていなかった。 

 

 日韓間の協議はその後も続いたが、主張は平行線をたどるだけだった。 

 

■権力中枢ばかり向いたパフォーマンス 

 

 事実関係をめぐる双方の主張が大きく食い違う状況は、にわかに市民感情にも悪影響を与えた。日本では、自衛隊員の安全に関わる問題だけに看過できないとして、日本に厳しい姿勢であたる文在寅政権への評価はいっそう下がっていった。 

 

 韓国でも、北朝鮮漁船を懸命に救助している最中に自衛隊哨戒機がからかうような挑発を加えたことが問題であり、レーダー照射の有無は本質ではないといった議論が出るに至った。 

 

 だが先鋭化する対立とは裏腹に、日韓両政府内では、あまり自国の正当性ばかりを強調するのは得策でないという指摘が出始めていた。 

 

 日本政府内では、当事者である防衛省が「被害」を強調したが、他の関係省庁が同じ見方をしたとはいえなかった。 

 

 音声処理がされていない、撮影されたそのままの当時の映像を見た日本政府関係者は当時、「あれ(無加工の映像)がもし公開されると日本側にまったく非がないとは言えなくなるのではないか」と心配そうに語ったことがある。 

 

 やはり映像を見た別の日本政府関係者も「防衛省がしゃかりきになって韓国側を批判しているのが不自然。映像があまりに素早く用意され、すぐ官邸に上がったことに驚いた」と話した。 

 

 韓国側でも権力中枢の意向に沿うような行動を嘆く声が出ていた。外交安保部門の韓国政府関係者は問題発生からさほど時間が経っていない段階で、こう語った。 

 

 「国防省は火器管制レーダーを照射していないと言っている。ただ、海軍が自分たちも南北融和に努めていることを大統領府などにアピールしたいがあまり、それを邪魔するような哨戒機の行動に強い不快感を抱いたことは否定できない」 

 

 

■安倍・文政権間の正反対の北朝鮮観 

 

 両政府の関係者ともに、政治への「忖度」が問題をややこしくしたとの認識を持っていることは間違いないようだった。 

 

 それは、当時から外交懸案となっていた慰安婦や徴用工といった過去の植民地支配に起因する問題とともに、それらと並行して進んでいた北朝鮮をめぐる対応で、日韓両首脳の考え方がまったく異なっていたからにほかならない。 

 

 レーダー照射問題は、その時期の南北や米朝対話の動きを時系列に重ねると、日韓の深い確執が浮かび上がる。 

 

 文在寅政権の高官を務めた1人は「日韓首脳の亀裂が決定的になったのは(2018年の)平昌冬季五輪の時だ」と振り返る。 

 

 2018年2月9日。平昌五輪の開会に合わせ、北朝鮮の最高指導者である金正恩総書記は妹の金与正氏らを韓国に送った。アメリカからはペンス副大統領(当時)が参加。安倍首相も駆けつけた。 

 

 文政権は開会式直前の歓迎レセプションなどで、なんとかアメリカと北朝鮮が接触し、対話を前に転がしていくことを期待していた。だがレセプション前に会談していた安倍、ペンス両氏は遅れて到着。金与正氏は欠席し、のっけからつまずく格好となった。 

 

 これに文氏らは、米朝対話の進展を望まぬ安倍氏が韓国側の意図を知っていながらわざと妨害したと認識し、激しく憤慨した。 

 

 しかしその後、結果として米朝対話は進み2018年6月、ついに史上初の米朝首脳会談がシンガポールで実現。さらに翌2019年2月、今度はベトナム・ハノイで2度目の首脳会談を開催することになる。 

 

 ただ、これら一連の流れに向ける日本政府の視線は冷たかった。文氏が2024年5月に出した回顧録で、安倍氏について「対話を通じて問題を解決しようとするわれわれの努力を支持する考えがまったくなかった」と指摘したように、根本的な考え方自体が大きく異なった。 

 

■日韓歴史問題も悪化 

 

 歴史問題も悪化の一途をたどった。 

 

 日本政府は早い時期から韓国側に対し、日本企業を被告とした徴用工訴訟の大法院(最高裁)の判決次第では、たいへんな外交問題に発展すると警告していた。だが危機感の薄い文政権は具体的な対応をとらず、とうとう2018年10月、日本企業に賠償を命じる判決が大法院で確定してしまう。 

 

 さらに追い打ちをかけたのは慰安婦問題だ。前任の朴槿恵政権下の2015年12月、元慰安婦らへのケアにあたる「和解・癒やし財団」に日本政府が10億円を出すことなどで、日韓両政府は政治合意した。だが文政権はこれを事実上、形骸化し2018年11月、財団の解散を正式に発表した。 

 

 

 下降の一途をたどる日韓関係とは対照的に、南北関係は改善が進んでいた。財団の解散発表の20日前には、南北は軍事境界線近くでの敵対行為をぴたりと全面停止した。 

 

 こうした状況下で起きたのが、日本海でのレーダー照射事件だった。 

 

 2023年3月に徴用工問題の解決策を韓国の尹錫悦政権が発表して以降、日韓の外交防衛関係は飛躍的に改善している。ハイレベルの会談など、ほとんどが「5年以上ぶり」の再開を知らせる報道が目立つ。5年というのはつまり、安倍・文政権の期間である。 

 

 そのような流れを受け2023年6月、日韓の防衛相会談が約3年半ぶりに開かれ、レーダー照射問題で再発防止策に向けた協議を加速させることで一致した。 

 

 そして1年後の2024年6月。日韓の防衛相はついに再発防止策で合意した。長年、足かせとなっていた懸案が、真相解明ではなく再発防止で落ち着いた背景に、高まる北朝鮮の脅威や日韓双方の同盟国であるアメリカの強い意向が働いたことがあるのは当然だ。 

 

■不毛な対立で6年を浪費 

 

 それに加え、日韓双方で不毛な対立を助長した安倍、文両氏の存在感が確実に薄れてきたことも強く影響している。 

 

 「棚上げ」で解決が図られたことに、自民党内では「韓国の政権が代わったら(合意を)ひっくり返される隙を与えた」との反発の声が出たという。だがいつも同じようなことを言う議員がいつも通りにそのようなことを言ったという域を出ず、決して大きな流れになっていない。 

 

 韓国は与野党の政権交代により、早々と文政権の対日姿勢は塗り替えられている。 

 

 冒頭に紹介した『防衛白書』は、こうも記している。 

 

 「防衛省・自衛隊としては、長年の懸案であった火器管制レーダー照射事案の再発防止および部隊の安全確保が図られたと判断しており、自由で開かれたインド太平洋の実現のため、さまざまな分野において協力・交流を推進しつつ、引き続き、日韓・日韓米安全保障協力を強化していく」 

 

 レーダー照射問題が起きた時、ある日本政府の高位当局者は「どれだけ時間をかけてもすっきりした解決は望めそうにない。であれば、日韓の政権が代わった頃合いをみて、棚上げするしかない。不毛な対立をこのまま続けても互いに何の得にもならない」と指摘していた。 

 

 忖度で問題を拡大し、大局をみない内向き思考で解決を遠のかせる。不毛極まりない対立を落ち着かせるまでに、6年近い歳月を費した日韓だった。 

 

箱田 哲也 :朝日新聞記者 

 

 

 
 

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