( 193255 )  2024/07/21 16:50:02  
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東京都から岡山県へ大異動!? 今も痕跡が残る鉄道車両の「全国転勤」

鉄道コム 7/21(日) 11:35 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/64012b16bdd7b6e3821676dcc708e28f37994835

 

( 193256 )  2024/07/21 16:50:02  
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JR西日本の115系D-27編成は、国鉄時代に三鷹電車区から岡山電車区に転属した編成である。

古い車両は新しい車両に置き換えられる際、余剰となることがあり、その際に他の路線に転属させる措置が取られる。

国鉄時代には全国転勤と呼ばれる車両の転配があり、現代でもJRグループの車両間での転配や譲渡の例がある。

国鉄時代に転配を経験した車両は岡山地区のJR西日本の115系が例であり、地域ごとに組織されたJRグループでは全国的な転配はできなくなったが、金銭のやりとりによる譲渡は続いている。

最近ではJR間の車両譲渡の例は見られなくなりつつあるが、地方私鉄や大手私鉄間での車両譲受動きがあるため、車両の取り巻く状況は変化している。

(要約)

( 193258 )  2024/07/21 16:50:02  
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岡山エリアで活躍している、JR西日本の115系D-27編成。国鉄時代に三鷹電車区から岡山電車区への転属を経験した編成です 

 

 ある路線に新しい車両を投入した際、それまで使用していた古い車両は余剰となります。規模が大きな会社では、置き換えられた車両の寿命に余裕がある場合は、これを他の路線に転属させ、さらに古い車両を置き換えるといった措置を取ることがあります。 

 

【画像】観光列車に改造された「全国転勤」の経験車 

 

 このような車両の転配は、「玉突き転属」などといいます。現代においては、たとえば名古屋地区の中央本線で活躍していた車両が静岡地区へ転属したり、あるいは山手線で活躍していた205系が宮城県の仙石線に転属した、といった例が見られます。 

 

 しかし、JRグループが発足する前、国鉄時代の転属は、現代よりもはるかに大規模でした。たとえば、京浜東北線を走っていた103系が大阪環状線に転属したり、向日町(京都)に配置されていた山陽本線特急用の181系が長野・新潟に転属したり、といった具合。いうなれば、車両の全国転勤です。 

 

 2024年現在、JR各社ではまだまだ現役の国鉄型車両が存在しますが、国鉄時代に全国転配を経験した車両の数は少なくなってきています。その数少ない例が、岡山地区で活躍しているJR西日本の115系。一部の編成には、国鉄末期に東京都の三鷹電車区から岡山に転属してきた車両が残存しています。三鷹時代は中央本線で活躍しており、東京都から長野県まで走っていました。 

 

 国鉄分割民営化によりJRグループが発足した後は、会社組織が地域別にわかれたため、かつてのように全国的に車両を(同じ会社内で)転配することはできなくなりました。しかし、金銭のやりとりが発生する「譲渡」という形であれば、その後も同様の動きが見られました。 

 

 たとえば、JR四国からJR九州に譲渡されたキハ185系、JR北海道からJR東日本に「SL銀河」用に譲渡されたキハ141系、JR東日本からJR九州に譲渡された415系などが挙げられます。また、面白い例が、JR九州のD&S列車「或る列車」。キハ40系を改造したこの車両は、2両ともJR四国からJR九州へ譲渡されたものですが、さらに1両は、国鉄時代に新潟から四国に転配された経歴も持っています。 

 

 ここ数年は、JR→地方私鉄の例こそありますが、JR間での車両譲渡の動きは見られなくなってしまいました。しかし、私鉄の話ではありますが、西武鉄道から小田急・東急の中古車両を「サステナ車両」として譲受するという、大手私鉄どうしの車両譲受という動きがあるように、古い車両を取り巻く状況は以前より少し変化しています。もしかしたら、日本列島を渡り歩く転配車両が、JRでもふたたび見られる……かもしれません。 

 

西中悠基 

 

 

( 193257 )  2024/07/21 16:50:02  
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・多くの投稿から、国鉄時代は転勤や車両の融通が盛んに行われていたことがわかります。

車両の色やデザイン、運行エリアが異なる車両同士が混結されることも珍しくなく、全国規模での転配が行われていた様子がうかがえます。

(まとめ)

( 193259 )  2024/07/21 16:50:02  
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・2015年まで広島地区を走っていた103系のうちの1編成(3両)、元々首都圏の京浜東北線を皮切りに関西地区を経て1990年代に広島に転属した車両で、運用期間中に2つのプロ野球新球場(横浜スタジアム•マツダスタジアム)の建設を横目に見た車両でもあります。 

そして2018年まで同じ広島地区で活躍した115系の先頭車「クハ115-608」、こちらは記事にある岡山の115系と同じ元々は三鷹電車区に所属して中央東線で走っていました。当初は中間車だったものを先頭車改造をして広島に転属しました。 

 

 

・先日JR東とJR西が、在来線車両の共通化をめざし検討を開始したと発表しています。 

まずはモーターや行先表示器といった装置や部品などからスタートするようですが、今後他社や車両メーカーなども加えて、対象範囲を拡大していくようです。 

 

共通仕様の車両が、本格的に導入された場合、国鉄時代のように広域での車両の融通が行われるかもしれません。 

 

 

・国鉄時代は規格が統一されてたから全国規模での転属が盛んでしたね。ダイヤ改正が近づくと転属予定車は行先方向幕に(首都圏民には)見慣れない駅名がコマに入ってたりしてました。自分が見たので印象的だったのは三鷹駅で目撃した中央・総武緩行線の103系で「放出(はなてん)」のコマが入ってた奴ですかね。 

他にもクハ481が中間に複数繋がった状態で東北から九州に転属する485系や、品川から熊本に転属する24系25形など、面白い回送がいっぱいありました。 

 

 

・赤穂線の線路近くに家があるので、緑にオレンジのラインが入った車両には子供の頃から馴染みがあります。 

ずいぶん後になって、赤穂線専用のデザインじゃ無いことを知りました。 

こちらは車が必須の田舎なので、見はしても乗る機会のほうはあまりないんですが、何とはなし愛着はありますね。 

 

 

・旧国鉄最後のダイヤ改正で北海道から「北斗」などで活躍したキハ80系の運用が消滅した際に一部が名古屋に移り「ひだ」「南紀」として運用されたり、中央東線の165系急行運用が消滅した際にもこれまで165系と無縁だった紀勢線(和歌山~新宮)のローカル運用に入ったりしました。 

電車や電気機関車の場合は電気方式(直流、交流(50Hz,60Hz))で”転勤”には制約があるが気動車やディーゼル機関車の場合はレールさえあればどこでも”転勤”可能でした。 

キハ58の碓氷峠アプト式対策版のキハ57も、碓氷峠のアプト式廃止に伴い中央東線や飯田線などで運用され、関連線区電化によって名古屋に転勤、そこで高山線「のりくら」紀勢線「紀州」などに運用され、最後は四国の高松に転勤で「うわじま」「あしずり」など四国島内の急行に用いられました。 

ATSなどの保安装置が全国共通だったからできたかと思います。 

 

 

・三鷹から転属した山スカ115系は未だ現役で湘南色に着替えた編成はイベントにも引っ張りだこ。しかし…ある時期クモハ84なる電車が岡山に配置され宇野線で使用されていた。元はこの電車もクモニ83として三鷹にいて、共に中央本線で手を組んでいた。 

阪和線の4両編成を作り出すのにモハユニットとクモハ+モハのトレードがあったり、415系500番台が常磐線から鹿児島本線用に移動、新快速としての役目を終えた状態の良い153系とクハ165の一部はブルーライナーカラーで大垣や神領(クハ165)へ、越後線電化ではそれこそ115系捻出に苦労して身延線のクハ115の2000番台を捻出し耐寒耐雪構造を施し必要両数を揃えた。 

 

 

・721系や311系、221系や811系、四国6000系などなど、国鉄の分割民営化で地域に根ざした車両もオリジナリティーに溢れていて魅力的な反面、今から思うと、私鉄に比べて保守的で低性能と言われようと、全国転配を考慮されていた国鉄車両の汎用性も凄いと思う。 

赤スカートの「ひたち」とか103系1000番代の顔をした105系とか、懐かしさいっぱい。 

 

 

・北陸在住ですが加古川に住んでいた事があり加古川線で乗った番号のキハ40が高岡に来た時と、九州旅行に行った時に北陸のEF81型機関車が元気に貨物列車を牽引しており嬉しく感じました。 

 

 

・国鉄時代は南福岡 (福岡県) の583系と向日町 (京都府) の485系の総取っ替えみたいなダイナミックな転配がありましたね。運用範囲も長崎県の早岐所属車両が青森まで顔を出していたりしました。今はコンテナ貨車を除けば最長距離運用は東海道・山陽新幹線のN700/N700S系でしょう。 

 

 

・最末期には益田・小倉間を山陰線経由で結んだ特急いそかぜに使われた車両は、もともと上野と秋田を結んだつばさに使われたと聞いたことがある。 

この車両がどこをどう辿って尾久から下関に流れ着いたのかが少し気になってしまった。 

 

 

 

・岡山駅にやって来るマリンライナーのグリーン車は、JR東日本の湘南新宿ラインなどのグリーン車に似ています。 

 

もちろんJRになってから作られた車両であり、東京都から岡山県へ移動してきたわけでもありません。  

 

JRになってから、会社が違っても似た車両を作っている数少ないケースだと思います。 

 

 

・JRになってからも武蔵野線で走っていた103系がJR西日本に譲渡された事があったね。大阪環状線で京葉車両センターのテプラが貼ってあった消火器見て武蔵野線から大阪環状線に来たんだなと感慨深かった。 

 

 

・国鉄時代、関東から地方に行った115系 

東京近郊区間の路線図や 

新宿~高尾間禁煙の 

ステッカーを剥がした跡が残ってたり、 

逆に関東に来た103系、 

戸袋ガラスに禁煙ステッカーがそのまま 

だったり(JR化後も車両更新工事前まで 

残ってた) 

天王寺局の「ゆびづめに注意」ドアステッカーを剥がした跡が残ってた。 

 

 

・夏休みに大雨で王寺駅の電留線が冠水して 

留置されていた車両が多数再起不能になり 

首都圏で廃車予定やった101系を大量に 

転属させて新学期に間に合わせた事があったな 

 

113系なんか高槻や網干と大船辺りと 

車両入れ替えが時々あって京阪神快速の113系に 

スカ色のユニットが混ざったり 

池袋辺りに新車の103系が入って玉突き転配で 

ウグイスやカナリアのクルマがスカイブルーの 

京阪神緩行線の103系が混じってたり 

 

 

・国鉄は全国一体経営だからやれたんだよね。 

国鉄末期には廃線が続き職場を失った北海道の職員を大量に首都圏へ異動させる荒技もやれたからな。 

当時の好景気により首都圏では先の見えない国鉄を去る職員も多く、新規採用もストップしていたから首都圏には欠員の職場が多数あった。 

人余りで発足予定のJR北海道には入れない職員を、人員不足で困っていた首都圏の国鉄職場で受け入れ、そのままJR東日本社員とした。 

 

 

・大異動ではないが、りんかい線70-000系の10両編成化で余剰になった6両がJRに譲渡されて209系に編入された3100番代。JR以外の他社からJRへの譲受けは珍しかった。 

 

2編成組むにあたって不足する電動車2両(3101のユニット)は2005年に新造。貴重な新造GTO-VVVF車目当てにわざわざ乗りに行った記憶。 

 

 

・関西線の車両基地が豪雨で浸水して大量の車両がオシャカになった時、関東地区で余剰になってた101系だか103系が大量に関西線に移ってきたことがあったね。 

関西線のラインカラーはウグイス色だったが色の変更が間に合わないため、オレンジやスカイブルーの車両が混結になって走ってる姿がしばらく見られた。 

 

 

・その実を言うと「岡山地区近代化輸送改善」との名目で国鉄は予算を取るのに、実際には高崎線とかに115系の新車を投入し、首都圏の経年115系を岡山に送り込むというものでした。 

 

ほんとうにムチャクチャでした。 

 

 

・いま東海の211系が大量に廃車されており一部が三岐鉄道へ譲渡された以外は解体されていますが、これが国鉄時代ならまだ115系が残っている岡山や下関へ間違いなく転配されているだろうと思います。 

 

東から九州へ譲渡された415系の旧K525編成ことFo1501編成はつい最近検査も通ってまだまた現役で活躍中ですが、九州へ移籍してきた当初は車端の外幌には青20号が残っており所属表記にはうっすらと"水カツ"が確認出来て、車内を見れば消火器に"勝田車両センター"と記載されておりこの車両が本当に常磐線から転属してきたんだと分かる出で立ちでした。 

 

 

・昨冬、福塩線で記事の元「山スカ」に乗りました…流石に黄色の下に横須賀色の塗装線は見えず湘南色跡のスジがうっすら残る程度でしたが、母方の祖父母や親戚が中信地域で幼少時からよく乗った電車だけに、そりゃ懐かしかったですねぇ… 

よく考えりゃ平成初期に岡山走ってた改造電車の種車は、3両中2両はこの元山スカと連結して走っていた荷物電車だったんだよねぇ…岡山来てからはお互い連結することもなかったろうけどさ 

 

 

 

・昭和57年の水害で王子電車区が被災した際、遠路はるばる東京からカナリイエロー101系が転属して来ましたね。 

片町線沿線住みのワタクシにはカナリアイエローの101系が珍しくて、わざわざ関西本線まで乗りに行きました。 

 

 

・国鉄時代の方が合理的でスケールメリットがあった。だから分割の弊害だ。全JR車両共通化した方が災害時にも融通できる。 

例えばJR九州がわざわざ小世帯の直流電車303、305系を配置しているのは合理的ではない。 

東日本と共通化してK235系にすべきでないか 

 

 

・廃車の費用削減 

カスタマー向けなら、来る車両よりも古い車両が入れ替わって、サービス向上になる可能性がある。 

鉄ヲタ目線なら、古い車両が現役で走ってくれる喜び。 

 

結構Win-Winだと思う。 

 

 

・485系はモハユニットが青森運転所から鹿児島運転所へ転属があって、200番台に関しては一時的に南福岡から秋田へ転属があり、また青森から南福岡への転属もあったらしい。 

 

 

・そう言えば2004年~2005年ごろ、武蔵野線を走ってた103系が1編成JR西日本に譲渡されたような。 

分割民営化されても、会社の垣根を越えた譲渡はまれにだけどある。 

 

 

・JRになってからは、各社の方針や使用する路線に最適化された車両が製造されるようになったので、そういう車両はJR間での移動はまず発生しないでしょうね。 

 

 

・車両企画がほぼ統一されていたかつ国鉄が全国組織だったのでやれた車両異動でしたね。 

SLや旧型客車特にSLは大異動が多かった機関車もありましたので。 

 

 

・常磐緩行線の103系1000番台は 

105系の制御車に改造されて松戸から 

関西方面へ転出して結果として 

同時期にいた常磐線の仲間より長生きした。 

 

 

・JR九州で現役の415系1500番台のトップナンバー車を含むFo1501編成は、 

かつて常磐線上野口で活躍してた車両。 

 

今や常磐線時代を知る唯一の現役415系となってしまいました。 

 

 

・尼崎事故で武蔵野線の103系E38編成が関西に来たのが旧国鉄車両の東西移動の最後かと。 

高運転台の瀬戸内色とかすごいのがいた。 

 

 

 

・国鉄時代はひとまず転属させて塗り替えは次の検査で…というパターンだったから、いろんな色の車両が繋がった電車もよく見かけました。 

 

 

・JRになって100系新幹線を東海から西日本に何編成か移籍したのは記憶しています。ただその逆は無かったと思います。 

 

 

・阪和線の103系(スカイブルー)が岡山に移ってきたのを見た時は、どう言葉に表したらいいのかわからないけど、とりあえず興奮した。 

 

 

・国鉄型じゃないJR間だとEF510があるじゃないか。 

今でも東日本エリアも走っているとはいえ、かつての本拠地からは離れているし。 

 

 

・40年ぐらい前 東急目蒲線を走ってた電車が名鉄に譲渡された 大手私鉄間では珍しかったんじゃないかな 

 

 

・1985年3月改正の際の全国的大異動はすごかった。 

 

特急型急行型から近郊型通勤型まで大陸大異動的な規模だったよね。 

 

 

・南海から銚子電鉄へ。 

JR東日本からひたちなかへ。 

今後も譲渡はありそうです。 

 

 

・動く鉄道博物館とも言われることでんも約60年ぶりに新車導入予定 

京急、京王、名古屋市営地下鉄の中古は経年50年以上ばかり 

 

 

・昔、JR九州の日南線だったとお思いますが、キハ58で四国座席モケット車両が走っていましたね。 

 

 

・ということは新製配置時はスカ色だったわけでいよいよ引退となったらリバイバルとしてスカ色にしてくれないかな。西日本地区としても珍しいし。 

 

 

 

・もう無いよ。 

国鉄分割民営化から35年以上経っている現状では、国鉄型車両の廃止で何も無い。 

 

 

・昔、仕事で倉敷市の水島と言う所に電車で行ったんだが、 

 

スゲェのが走ってたな。中井貴一のレイルウェイズみたいなの。 

 

 

・常磐線の415系が九州に転勤したのが記憶に残っています。1500番台はまだ残っているのかな。 

 

 

・碓氷峠を越える時のスイッチが付いてた車両があったな。大昔の事だけど。 

 

 

・DD51の781が岡山→釧路→東新潟→佐倉→東新潟→鷲別と転属しまくってたな。 

 

 

・確か国鉄末期に静岡運転所の111系が大量に四国に移動したな。 

 

 

・近年でも、JR東日本の113系がJR四国にトラバーユしている。 

 

 

・JR西日本は未だに福知山→下関なんてこともやってますね。 

 

 

・尺束は転属に消極的になってつまんない 

 

 

・全国転勤? 

海外転勤したやついるぞ。24系、キハ183とか。 

 

 

 

・このカラーリングが、現役なのね( ゚д゚ ) 

 

 

 

 
 

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