( 193795 ) 2024/07/23 01:56:49 2 00 きっかけは”エアコンのつけ忘れ”「暑い。なんでつけてくれんかったと?死ね」 発言した男子児童に担任が「一緒に死のうか」 廊下に連れ出し窓際でRKB毎日放送 7/22(月) 17:51 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/ca25a9da6d4902fbbcbe73333318794338b0d676 |
( 193798 ) 2024/07/23 01:56:49 0 00 RKB毎日放送
6月中旬、福岡県粕屋町の小学校で、命を軽視する発言をした6年の男子児童に対し男性教諭が「一緒に死のうか」と言った問題。
【写真で見る】6年の男子児童が発言 「暑い、 なんでつけてくれんやったと、 死ね」
担任がエアコンをつけ忘れたことが、ことの発端だったことが分かりました。
目撃した複数の児童が「先生、やめてください」と制止しており、学校側は体罰があったことを認め「許されないこと」と謝罪しました。
■「先生やめて」目撃した児童が制止
問題が起きたのは、6月11日。4時間目の授業が始まる前の休み時間のことでした。
福岡県粕屋町の小学校で、担任の男性教諭が命を軽視する発言をした6年の男子児童を廊下に連れ出し、肩に腕を回して「一緒に死のうか」と言ったものです。
教諭はなぜ「一緒に死のうか」と言ったのか。何が起きたのか。学校と教育委員会が、7月19日に開いた保護者への説明会で、当時の状況が明らかにされました。
学校の説明によると6年生の男子児童が、担任の男性教諭が教室のエアコンのスイッチを入れ忘れていたことに不満を持ち「暑い、なんでつけてくれんやったと、死ね」と発言をしました。
この発言について別の児童から聞いた男性教諭が、「どうして死なないかんと?」となどと男子児童に問いただしました。
しかし返事がなかったことから男性教諭は、男子児童を教室の外の廊下に連れだし肩に腕を回して、窓際で「一緒に死のう、一緒に飛び降りるか」と言ったということです。
■怖くてしゃがみこんだ児童に、『立て』
学校側の説明「男性教諭が当該児童の首に手をあてて『首を絞めて殺すか』と聞きました。怖くてしゃがみこんだ児童に、『立て』といって腕をつかんで持ち上げ、立たせようとしました」
その後、男性教諭と児童は一度、教室に戻り話しをしますが、児童の謝罪がなかったとして、教諭は、「やっぱり死のう」と言って泣いている児童の手をひっぱりながら引きずり、階段まで移動したということです。
教室で目撃した4人の児童から、「先生、それはさすがにやりすぎです、やめてください」と制止する声が上がり、そのうちのひとりは男子児童に『大丈夫?』と声をかけました。
■教諭が防火扉を蹴る・叩く「怒りの大きさを伝えた」
学校側の説明「男性教諭は、防火扉のところまで行き、防火扉を2回蹴る、1回たたくなど、大きな音をたてることで、自分の怒りの大きさを男子児童に伝えています」
保護者説明会で学校側は、男性教諭の指導のうち「泣いている男子児童を引きずって階段まで連れて行った行為」を体罰と認め、謝罪しました。
学校側の謝罪「決して許されることではなかった。もう一度、学校づくりを進めていきたいと思います本当に申し訳ありませんでした」
一方、保護者からは、その後の学校の対応にも批判の声があがっています。
■児童への聞き取りは1か月後 学校の対応に保護者から批判
男性教諭は、その日の夜に男子児童の保護者に説明し謝罪したということですが、学校が把握したのは2日後でした。
13日、学校は、保護者からの電話で今回の事案を把握したものの、聞き取りを行ったのは男性教諭のみ。
児童らへの聞き取りやアンケート調査を行ったのは、約1か月が経った7月8日でした。
説明会では、保護者から「対応が不適切で、事実確認が不十分だ」と批判する声も上がりました。
保護者「ことなかれ主義、話を大きくしたくないそういう風にみえてしまう。適切に対応していたら1週間で終わっていた、学校が信頼を失うこともなかった、信用をしろというほうが難しい」
粕屋町教育委員会によりますと、男性教諭は、「いきすぎた指導があった」と話し、反省しているということです。
粕屋町教育委員会は、今後、男性教諭の処分を検討するともに、「信頼回復に向けて、子どものケアを最優先に学校を指導してきたい」とコメントしています。
RKB毎日放送
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( 193799 ) 2024/07/23 01:56:49 0 00 ・これは、児童の言い方が悪い。つけ忘れで「死ね」までいうのは言い過ぎ。先生も確かにいきすぎたかもしれないけど、さすがに児童の言い方が悪い。 この児童の親に対して、こんな言葉を吐いたら、怒るでしょう。さすがに自分に子供に言われたら、私だったら怒る。つけ忘れただけで、そこまでいう? 親なら言わないけど、先生になら言ってもいいいという訳でもないでしょう。 簡単に「死ね」と相手にぶつけるのは、いいのか。その子は簡単に他の子にも言っていないのか。簡単に言っているのなら、いじめをしている可能性もないか。それより、親が子供に向かって吐いていないよね。これは、先生だけを責められるもんだいじゃない。
・担任はこの児童への対応を自分なりに考え、その場で適切に指導しただけです。こういう場面場面に於いて臨機応変の指導が出来る担任は今の教育現場に他に居るのでしょうか?この児童の指導をせずに何も対応しなかった場合、他の児童に鉾先が向けられる事が容易に想像出来ます。子供にはその場で対処する事が最善なので、間違っているとは思えません。他に最善の何かがあれば知りたい。担任としてずっと見てきて子供がかわいくない訳がないからこそ懸命に伝えたかった何かがあるはずです。
・死ねと言われて腹の立たない人間はいないのではないでしょうか。
子どもたちに安易に死ねと言わないように伝えることが親の役目だと思うし、子どもたちを守ることに繋がると思います。
先生や学校に、責任を問うことも大切ですが、親にもできることもあるのではないでしょうか。
今回これ以上の大きな事件にならなかったのは不幸中の幸いでした。いいニュースでないですが、人を傷つけることにどんな危険性があるのか知るきっかけをになることを願ってます
・うーん… でも先生に死ねという言葉をつかえる児童がいるっていうのもピックアップして欲しい問題かなぁ。 先生ばかり責められるのもどうかと思うけど。先生だって人間だもの
・うちの子供がこの当事者だったら、力一杯ビンタして思い知らせてくれと先生にお願いをしに行くと思います。そして死ねという言葉の恐ろしさを教えてくれた事に感謝します。
ちなみに息子の所属する部活顧問の先生には、筋の通らないワガママや参加しておいて無気力、の様に社会性に乏しい行動が有ったら思い切り怒鳴りつけてくれて構わないとお願いしてあります。 万が一の時に叱られる事に耐えられる様に家庭では、厳しくも温かく愛情一杯であろうと、またそれが本人に伝わる様に夫婦で心掛けています。
・保育や、教育の現場にはやはり何かあったときの前後の流れを含めて映像記録できるようなカメラが必要だと思う。そして、ガイドライン的なものを設けて状況によっては、ある程度手が出ても許されるような許容があってもよいのでは。
先生や、保育士だって人間だからカチンと来て思わず、手が出てしまったり、勢いで発してしまう言葉だってあるだろうし、この記事のようなことを未熟な子どもとはいえ、言われたら自分は冷静に対処できるかどうかわからない。
最近ホントに言葉づかいの悪い子ども(園児も含め)が増えてる気がする。
・礼儀を教わらずに育てられた子は社会の恐怖や寂しさから学ぶされる辛い人生が待っています。誰かの愛情の下に居る内に目一杯学ばせてあげる事が大切です。たとえ社会との摩擦で矯正できたとしても元から教わって学んだ者とは異なる美しくないものです。任侠的な所作や礼儀と言えば分かるでしょうか。 先生に死ねという小学生は学ばずして社会に出された例の一つです。教師の対応は些か過激ですが、異質な感覚を持った児童の早期の修正に資する適切な行為だと思います。
・やり過ぎ、かなぁ? 本来は『教師ではなく親が教えるべき事柄』だとは思うが、軽々しく「死ね」と言う子供に「死」とはどう言う事か、を教えるのは大切な事。
『生死』に関わることについては、トラウマになっても良いからしっかりと教育すべきだと思うのだが、現代では教師に『教育』は無理だね。
『教える』事は出来ても、『育てる』をすると批判される。
・私が小学生の時、普段はとても優しくて穏やかな先生が休んだ。 次の日「昨日は突然休んでしまって申し訳なかった。うちの子が高熱出してしまって」と言ったらクラスのある男の子が「いつ死ぬー?」と言いました。 その後先生は数秒沈黙した後でその子の所まで行き思いっきり座っている椅子を蹴り飛ばした。教室が静まり返る。先生は止まらず吹っ飛んだその子の胸ぐらをつかんでビンタした。 教師の暴力が普通にあった時代ですがこの出来事は今でも鮮明に覚えています。 絶対に言ってはいけないことをクラスみんなに教えてくれた先生でした。
・エアコンつけ忘れた先生に向かって「死ね」と言える児童の育った環境もすごいよ。 教員は担任を外されて保護者はバンザイバンザイだろうけど男子児童は他人に向かって「死ね」と言ってはいけないと学習したような。
・確かに先生の怒りや行動は行き過ぎだと思いますが、もっと保護者や周囲の大人も子供達にモラルの指導をしてください。 このように教員だけ吊し上げると、図に乗る子が少なからず出ます。何を言っても自分達は守られる存在だと間違った認識に繋がります。
過ちを犯した先生には罰則を与える必要がありますが、学校は必要以上に保護者にぺこぺこ謝る必要無いと思います。毅然とした態度で、家庭でのモラル教育徹底を保護者に訴えるべき。
・人には軽々しく死ねというくせに自分が死ぬのは嫌。それはなんでなのか実感するのは、死ぬということがどういう事か自分の身をもって理解することだから先生は正しいよ。犬は他の犬に噛まれて痛みを知ることで人を噛むことがなくなる。 ネット社会になり相手の立場に立って物を考える事ができない人間が増えてるからこの教育は素晴らしいとまで思う。
・いいですか、その児童の数年間を確認してご覧なさい、多分、いや絶対担任の先生への心無い暴言が必ずあったはずです。 その担任も、今日までは我慢して来たはずです。 それが、その瞬間「パチン」と切れてしまっただけです。それだけ大変な仕事、ほんとに頭が下がります。この生徒の更生と親への厳罰を願うばかりです
・今回の記事では他の体罰事案に比べてきっかけや経緯などが詳細に報じられていると感じました。 体罰や暴言がダメなことは大前提として… いつも体罰や暴言の内容だけが報じられていて、何故教師がその行動に至ったかの経緯が報じられていないと感じることが多かったです。 今回も、「泣いてる児童に一緒に死のうかと言った、首に手をかけた」などの部分だけの記事だったらさらにバッシングがひどかったでしょう。 これからも体罰の内容だけでなく、経緯も併せて報じてもらいたいです。
・男子児童、死の恐怖を身をもって経験出来て良かった。 もしこの発言がクラスの虐められてる子に対してだったらどうだったか、追い詰められてる同級生に対しての発言だったらどうだったか。 安直な発言が元でいじめ殺人の加害者になってしまう可能性だってある。 何故「死ね」と言ったらいけないのかを優しく説明するだけでは分からない、想像力が十分ではない子には経験で覚えさせるのが一番早い、と思う。
・教員です。私も「死ね」という言葉を、生徒から言われたことがあります。当時私は28歳、生徒は中1男子。彼には気持ちの波があり、沸点も低く、突発的な行動や暴言があることはよく分かっていました。落ち着いている時に話すと、可愛い生徒でした。ただ、それでもやはり私は「死ね」と言われたことはショックでした。10年経った今でも、どこでどんな風に言われたかを覚えています。
今回の教師の児童への接し方は確かに問題がありますが、子どもならばなんでも許されるというのはまた違うと思います。教師・児童生徒ともに、言葉の重みというものを、折に触れてお互いに確認し合う必要があると思います。
・この先生の行動は、若干行きすぎかもしれないが、親なら子供の暴言に対して、躾のために、やってもそこまで常識を逸脱したとまでいいきれない教育だと思う。親の代わりに、熱血の教師が教育してくれてるので、うちの親なら、よくやってくれました。と感謝するが、今の毒親は、甘やかすことしか出来ないから、すぐに問題を大きくする。先生が可哀想。
・第一報が報じられたときより詳細な情報が明らかとなりましたね。 第一報では、児童が「命を軽んじる発言」をしたとしか報じられておらず、発言内容自体は分かりませんでした。 また教師が廊下に連れていって「一緒に死のうか」と発言したことは報じられていましたが、その後再び教室から児童を連れ出し、他の児童からやりすぎだと指摘されたことは今回初めて明らかとなりました。
第一報のときの印象としては、発言こそ問題だったかもしれないが、教員の指導は間違っていなかったという印象でした。
今回色々と明らかとなり感じたこととしては、児童は命を軽んじるどころか教員への明らかな暴言を吐いており、許されることではないと感じました。 教員に関しては、他の児童から指摘されるまで指導するのはやりすぎだと思いますが、暴言を吐かれたということで、やりすぎてしまうのも理解はできます。
教員もやりづらい世の中になったなと感じます。
・これがこの時代の子どもよ。保護者よ。我が子がこんな言葉遣いしてたら、叱りまくるけどな。教師を責めようなんて気持ちなんか一切うまれないけどな。 日頃からの言葉遣いが悪く、態度も悪かった児童なのかなと想像してしまう。教師もそのような指導の方法しかなかったのかもしれない。体罰はいかんかもしれんけど、命を軽視する発言に対して泣くくらい厳しい指導はあっても当然だと思う。
でもそれが認められない今の日本。相手のことを考えず、思ったことをすぐに口にする、我慢できない、そんな大人がこれから増えていくよ。日本も数年後にはどこかの国と同じレベルの国になっちゃうんだろうな。
教師ももうこんな言葉遣いは指導しなくていいよ。どうせ叩かれるんだから。自分が責められるんだから。なんとなく子守りだけして給料もらって安全に暮らしていこう。じゃないともたないよ。教師になる人が減ってるのも納得。国よ、この事態をどう観てる?
・死ね、という暴言だったのですね。以前の記事では「一緒に死のうか」の切り取りでした。賛否ありますが、私は、担当教員への口頭注意ぐらいが相当で、子どもにはしっかり説諭が必要かと感じました。
・教師をなめているということだ。多分親も子供も教師をなめているのではないか?昔の親は教師の言うことを聞きなさいと言っていたのではないか?今は教師に対する尊敬もない。権威がなくなったということだ。それなら義務教育で退学制度を導入するしかない。調子に乗っていると退学になるとわかると親も子供も考え方が変わる。教師を馬鹿にしていると学校から追放される。緊張感を子供も親も持つだろう。日本の学校は児童や生徒が好き放題している。中国は日本の様に子供はできないだろうなあ。中国は厳しいだろう。
・この先生、少し精神に疲れを感じていたり、うつ病を発症したりしていなかったでしょうか? 子どもから「死ね」と言われ、過度な教育と言われていますが、私自身、保育士をしていて5歳児の子ども(家庭環境があまり良くない子)に何度も「死ね」「ボケ」等暴言を吐かれ続け適応障害になりました。最初は「あなたのことは大事なんだよ」等優しくなだめていましたが、1日に何度も続くと、私も死ぬってこういうことと、病気になっていた時行きすぎた教育をしていたように思いました。 どうか先生の心が健康でありますように。たとえ子どもでも暴言を何度も言うのは許されません。
・児童、生徒にもスリーストライク制を導入して、3ヶ月内に3回問題行動で指摘を受けたら1カ月懲罰合宿送りとかやった方がいいと思うなぁ。ある程度障害云々ってまぁ理解はするけど、社会を舐めてる奴なんて積極的にぐ犯で鑑別所送って強制的に教育するべきだと思うけど。少年事件自体は数減ってるらしいけど、必要性は今も変わらないと思うよ。
・その場でしっかりと指摘し、生命や言葉に関して全身全霊で怒りの教育を試みた。まるで昭和のテレビドラマのように。その児童は、軽く言う言葉の意図した結果の重さに恐怖のあまり落涙し、二度と「死ね」など言わないと誓ったことだろう。 しかし、教諭が処分されたことにより、その指導すべてが「悪事」だったと大っぴらに認められたかのような逆転勝利感、僕は被害者、先生はキレる大人で児童虐待の犯罪者、校長先生からは「ごめんなさい」、学校からは再発しないようにするので登校してください。となると、あの日の誓いなどもはや昔話だろう。 金八先生やスクールウォーズの時代には熱い熱いイレギュラー教育もアリだったけど。今やもう、鉄拳封印だけではなく、イレギュラー手段すべてだめだと。他の児童も怒鳴られたことすらない子も多く、一瞬で動画撮影起動、一瞬で音声録音起動。現代の学校は、もうとっくに教師が教育活動する聖域ではなくなってる。
・確かに、先生はやりすぎだったかもしれませんが、『死ね』という言葉を軽率に使ってしまったことへの反省や謝罪などはあったのか、保護者側から学校の対応の悪さを指摘する内容のみの記事になってますが、先生にやりすぎだと伝えると同時に子供には『使っていい言葉ではなかった』ということは理解させなければいけないし、それに関しては先生にきちんと謝罪すべき。その上で、先生や学校の対処が悪かったこともしっかり指摘して 、前に進むしかない。こう暑くては、先生も 生徒もまともな思考ではいられなくなりそう、皆大変だと思います。頑張るしかない
・まぁ…。
すごいですね。6年生か…。そういう言葉を軽々しく先生に向かって言えるとは。僕なら絶対に言えないし言えなかった。今の時代は、教師をそういうふうに扱ってもよいと思われているのかな。
きっかけの児童ももちろん悪いし、教師もヒートアップするし。どちらもなんらかの処分が必要でしょう。放置したらどちらのためにもならない。
そして他の善良な児童たちはよく教師を諌めてくれました。今の子も捨てたものではないですな。どちらかというと教師の大人気なさが目立ちますが。
もうちょっと規律を締めてもらわないと学校が学業をする場ではなくなる。遊び場です。
・「死ね」なんて、言ってる児童はたくさんいます。また状況によっては、易々と許すことのできないこともたくさんあります。保護者に伝えても、「そうですか」という具合です。それを問題だと分かる親が育てていたなら、そんなことを先生に向かって言う子には育っていませんから。勤務する学校に、その言葉を連呼する子もいます。目がキツくなって担任や関わる教師に毎日言います。落書きのように書きます。それでも、その保護者が望まない限りは、通常の学校でみなければならないのが現在の制度です。私がひっかかれて血が出ても、誰も謝らない、何のフォローも保証もなしです。子どもは守られるけど、教師は守られません。 この教師がした指導は行き過ぎなところはあったのかもしれませんが、このことが起こる前にも許されないやりとりがあったことが想像されます。
・先生の言動の裏にある想いが「命の大切さをわかって欲しい」気持ちと「ただ腹が立ってキレた」のどちらが大きかったか。 ゲームのように「死ね」と吐き捨てる子どもの背景には少なからず育った環境も起因すると思いますが、学級担任はそういった事も踏まえて教え接する機会もあるでしょう。 やり方が少し無謀ではありますが、大人として教師としてご自身の信念があるなら、怖がらせてしまった子ども達に謝罪して新しい関係を作っていけばよいのではないかと思います。 あとは学校と家庭との問題でしょうし、デリケートな事案である分、クラスメイトの子達のケアも気になります。 重大に受け止めるべきはご家庭で、どうぞお子様がふと口に出した暴言を聞き逃さず、真剣に向き合って叱咤してあげて欲しいなと思います。
・うちの息子もゲームしながら「○ね!」て叫んでます。いっしょにいるときなら叱りますが、いないときも発してしたらと思うと…どうしたらわかってくれるのか試行錯誤です。言葉の重みに早く気づいてほしいと思いながら。この先生もわかって欲しかったんだと思いますが、恐怖を与えるだけになってしまいましたね…。でもホントに難しい。せめて教室にもう1人大人がいたら冷静になれたかもしれません。子ども3人と私1人のときは発狂してしまうこと多々あるけども、夫が帰ってきたらホットしますもん。それなのに担任1人に生徒30~40人は…想像を絶しますね。
・命の大切さを教えてくれる、いい先生だと思うんですけどね。 ネットが気軽に使える時代だからこそ、他人を簡単に傷付ける言葉や乱用が増加していると思います。 そのせいで、虐めの自覚がなくとも気軽に用いた言葉で相手を傷つけ、その子供達が不登校になったり人間不信になるわけで。 『やりすぎ』だと止める生徒も、良い生徒というよりも、『死ね』はみんなが気軽に使えてそこまで怒る言葉じゃないという認識なのかな?とも思います。 そこは『早く謝れ』じゃないかと。
先生の問題というよりも、『死ね』を先生相手にでも気軽に使えてしまう、子供の方にこそ危機感がありますね。 ただでさえ、暴力や触れることすらアウトになってる時代なのに、言葉による暴力は酷くなってるような。
・この子供の保護者は先生に連絡を頂いてなんて言ったのだろう。後日学校に電話したとあったが何を学校に言ったのだろう。
人にそんな事を言ったら本当に死んでしまうこともある。それをきちんと考えさせたのだろうか。子供の前で誠心誠意、先生に謝ったのだろうか。自分のしでかした事でお父さんお母さんが腰を折り頭を下げ謝罪する姿を見て、6年生にもなった子供が何も思わないとしたら。
学校も大事にしてもいいと思うよ。その事についてみんなで話し合った方がいいと思う。保護者にも見に来て貰えばいいと思う。
・死ねと言われる教師の身にもなれと言いたい。私は、2人子供を育てたが、身内に対しても死ねなど言う事は許されない。小学6年生ならわかるはず。教師だって人です。人間です。私は今回は 児童が悪いと思います。そして、その親御さんはその言葉の意味を傷付けた意味を教えないといけないと思う。エアコンの付け忘れなんて…それで 死ねなんてたまったものじゃないです。私も昔死ねと言われた事がありますが、未だトラウマですよ。もっと子供も大人も優しい心を持ちながら生きていきたいですよね。いきすぎた行為はいけなかったかもしれないです。こんな事ばかりでは教師になる方も減ってしまうのではないかと不安です。案外先生って本当に支えてくれる中には素晴らしい先生もいらっしゃいます。先生に味方するのではありません。気軽に死ねと言う言葉を言ってはいけないんです。
・先生から生徒への体罰で処罰があるのはもちろんですが、生徒から先生への暴言、暴力にも処罰があっていいと思う。 出席停止や両親への罰金までしないと、今の子供たちは自分のほうが立場が上と思ってるやつもいる。 先生は手出しできないだろなんて思ってる子供には罰則が必要。 教室にもボイスレコーダーとか必要な時代がきそうだ。
・この記事の本筋とは反れるけど、当該児童が担任に「死ね」と言い放ったことも問題では? 教師に対してだからとかではなく誰が誰に対しても「死ね」は言ってはいけないということを教えなければ。 子供同士でも「死ね」「消えろ」など軽々しく口にしてはならない、命の重さを正しく伝えることが大切だと思う。
・先生からしたら、死への恐怖を分からせてやろうといった思いが強かったのだと思います。行き過ぎた指導方法だと言うのは簡単ですが、以前からこのような暴言がなかったのかなど、「大人だからあなたが悪い」といった一方的な処罰が果たして子供の為になるのかは疑問があります。
内容的に「ごめんなさい」と、素直に謝っていないことから、このまま成長すれば、「子供」を武器に何をやっても大人が処罰されると勘違いして成長する可能性があります。
どちらにもそれぞれ問題があるとして、子供にもしっかりとお説教をし、何故駄目なのかを理解させる必要があるのではないでしょうか。
・僕も若かりし頃、先生に対して幾度となく暴言を吐き捨て困らせて泣かせるような事をしてきました。一番素行が悪かったのが中学3年で女性の当時28歳の担任でした。 事あるごとに担任が寄り添ってくれたのにも関わらずお前は仕事だからやってんだろ?とサボってりゃいいから帰ろよ!って何度も言ってました。 自分が社会に出て仕事の大変さを知り、成人式の時に担任の先生に会い、心の底から涙して謝りました。 先生も僕の口からそんな言葉が出てくると思わず唖然としたような感じでしたが、先生が初めてあなたで嬉し涙が出たと。許してくださいました。 教員に対しての子供の暴言なども、自分も同じ子供のような事をしてきたといえ、もっと教員の働きやすい環境を作った方がいいですよね。
・小学生の子を持つ親です。 子どもは未熟ですから、悪い言葉も使うことがあるとは思いますが、やっぱり、教師も人間なので、傷ついたり、腹が立ってしまうことがあると思います。 学校の教員同士で協力して、悪ガキに対応できる支援体制があると良いと思います。 子どもが大人に「カスハラ」しても良いみたいな風潮は社会で変えていきたいですね。
・先生が生きていて良かったね。 「死ね」と言ったあと先生が本当に「じゃあ死にます」って一人で飛び降りてたらどうなっていたでしょう。 この児童は脅迫・殺人に問われていたかもしれません。 記事のとおりなら、先生の行動に対して死ぬのが怖くて泣いていたのでしょう? 命を失うことがどれほど恐ろしく、取り返しのつかない事だと理解できていたはずですよね。 そこまでしなければ理解できないくらいのバックグラウンドを持つ児童だったのかな? 先生も相当に追い詰められていたら、本当に道連れに死んでいた可能性は十分にあると思います。運が良かったですね。 先生は反省しているとのことですが、この子は反省しているのかな?
・児童の発した言葉から察すれば、普段から人を小馬鹿にしている様子はあるのではないだろうか。この性分については親の育て方も関わってくると思います。Youtubeに他の大人に対して悪態をつく子どもに対して父親が叱責しているものがありましたね。それとは別に、先生の行為は体罰ではなく虐待にあたるのではないかと思います。他の児童に対しても威圧を感じさせ恐怖を与えているんじゃないかと思われます。教師として感情の制御ができなくなっている状態ではないでしょうか。このような感情を与えられて信頼回復というのはさすがに難しいと思います。
・教師も人間です。児童の暴言にスイッチが入ってしまったのでしょう。ずっと我慢するような伏線があったのかも。この児童は人に対する「死ね」などという暴言がいかに重たいことか身をもって感じたことでしょう。 学校の対応を非難する前にまず我が子を指導できる親でありたい。
・死ねなどと軽々しく言う子供に言葉の重みを教えるには、このくらいのことは必要だと思うね。 昔はこんなことは普通にあったよ。教師に関わらず親や大人が真剣に教えようとすれば、このくらいの修羅場にはなるよ。 子供であることを免罪符にするべきではない。 保護者は責める対象を学校にして済ませてそれでいいのか? どこがいけなかったのか話し合う機会として、言葉の暴力についてそれぞれ向き合う必要がある。教師だけが責められるべきではないと思う。
・児童の問題点について無視することは出来ないと思います。 命の軽視、謝罪がないこと、教員の怒りの大きさ。当該教員の方が伝えたかった内容は決して誤りではないと思います。 ポイントとなるのは、怒りの大きさというのは人であることの感情の表れであり、これも共存社会や多様性尊重社会で生きていく上での生命の営みだと思う。 色々と行き過ぎた面があったことに対しては学校全体が集団で同じ問題に向き合うディスカッションが行えるチャンスだったと思いますが、指導要領にもないことであり、そのようなことはまあ当然ながら起きなかった。 それでまた別の問題が表面化し、こじれた。 悪かったたことを認め、改めることの大切さを周囲が認め合い、助け合える社会にしていきたいものです。
・教師の行き過ぎもあるが該当生徒には何も無しか?児童であってもその点は同等に扱うべき。 軽はずみで言う子どもが増えているが、その点は節度ある対応も絶対に必要。隔離部屋において反省文を1日書き続けるなど。 まあ、教師の行き過ぎも傷害おわせてないので問題はそこまでない。子どもを躾けられてない親と子どもにも同等の罰が欲しいね。
・児童の言い方が事実だとしたら問題だ。 家庭で日常的にそんな事言ってる気がする。 今は子供でも簡単に死ねとか辛辣な発言が目立つ。ネットの影響もあると思う。 教師の対応も酷いと思うけど気持ちはわからんでもない。もっと大人の対応は出来たと思うけどね。 保護者、学校はよく話し合う事が必要だ。
・子どもの言葉遣いが悪いのは当たり前のことで、それを指導するのが親や教師の役割。教師はカッとなってしまったようで教師の対応は間違っているところもあるけど、かといって親が子どもの発言を顧みることなく一方的に教師を責め立てるような話でもない。事故が起きたわけでもないし、ここは大人同士が大人の会話をして、子どもには冷静に指導をするべき。保護者説明会を保護者側が求めたのか分からないけど、必要以上にことを荒立てる必要は全くなく、ここは冷静に対処すべきだと思う。
・先生なら「死ね」と言われても冷静でいなければいけないのか。
担任の先生は子どもたちのお世話係ではないし、忘れる事だってある。 先生だから、大人だから、何を言われても大丈夫なわけではない、ひどいことを言われれば傷ついたり怒りもする。
児童のこのような発言が、今までにも注意していたにも関わらず同じようなことが続いていたのだったら、ここまで怒る先生の気持ちもわからなくはない。
この児童は「一緒に死のう」と言われて、初めて「死」というものをこの子なりに意識したのかもしれない。 泣くほど先生や死を意識したことが怖かったのなら、もう二度と人に対して「死ね」とは言わないだろう。
誰かを自殺させる前にそのことに気づけたのなら、この児童にとってよかったのかもしれない。
もし我が子が学校で先生に対して「死ね」などと言っていたなら、先生が同じような対応したとしても、こちらが申し訳ないとしか思えない。
・児童が死ねと先生に言ったことがそもそもの原因。人に向かって使ってはいけない言葉だと教えるべき。 指導の仕方ばかりが取り沙汰されていますが、 児童の発言に問題ありということを忘れないでほしい。 先生の指導が悪かった=児童は何も悪くなかったとはなりません。 子どもだから善悪の判別がつかないなんてことはない。 自身も含め、ずいぶん小さい頃からわかってました。 甘やかすと愛情をもって優しくすることを同じにしないでほしい。 子どものころから、ダメなものはダメ、悪いことは悪いと伝えなければいけないと思います。
・うちの子も同じような年頃です。我が子が先生にエアコンつけ忘れたぐらいでそんな言葉を使ったとしたら、申し訳なさと、この難しいご時世に厳しい指導をありがとうの気持ちでいっぱいになると思います。 その言葉の意味の分かる年齢になってきているのに、平気で使える我が子に落胆しますし、そのような子どもには泣いてしゃがんで、立てなくなるぐらいの指導は必要かと。 それぐらいしてもらった方が、その時は傷つき落ち込んでも、何か残るものがあるかと思います。 そこを支え、再度話し合って教育するのが親の役目であって学校や教師を責めて問題にすることばかりが、親の勤めではない。 まず、悪いのは我が子でしょう。 そこが本当に分かっていれば、こんな大ごとにすることもないかと。 分かっていないから結局学校の対応、教師が悪いという話にベクトルが変わっていくのではないでしょうか。
・この教師の指導に問題があり、絶対許されない事であることを前提として、こういうことの防止策として考えねばならないことは、子供に対して罰を与えられないことであると思う。 教師が絶大な権威があった昭和では、体罰も容認される雰囲気があり、教師に暴言を吐く子などいなかったと思う。勿論体罰は許されるものではないが、罰の存在が秩序を生んでいたことは確かである。 しかし現在の教育的懲戒は、子供の問題行動の抑止につながっていない。やはり罰は必要であると考える。諸外国では留年や謹慎など、子供にも罰を与えるのは当然と考えている。「それを諭し導くのが教師の仕事だろう」と考える方もいらっしゃると思うが、それは教育現場を知らな過ぎである。単純に教師に楽をさせろと言っているつもりは毛頭ない。当然子供の人権は最優先である。 日本を良くするためには、こういう議論を深めることが必要な時期に来ていると思える。
・子供達を守るための活動が世の中に浸透していく、最悪の子供達の時代から替わろうとしている過渡期だと思うのだが・・・ ちょっと行き過ぎだと感じる 今の子供達、無菌状態で裸の大様状態に 子供が警察に電話し親が捕まり、教師は子供達を恐れて指導もできない 家事の手伝いも虐待 誰も子供達が怖くて何も言えない 昔の五人組のような時代になった 最近親になった年代の親の責任をもてないような虐待が目立つが 人の痛みを知らない子供達が、親になってどんな世の中にあるのだろうか? 将来、あの頃のと、反省して、真に子供の教育が根付く時になってほしい
・教師は悪くない。こんな子どもに育てた親の代わりに教育をしてくれただけ。怖くて立つこともできない恐怖を幼い時に経験できてよかったのでは?言ってはいけないことを学べたんだから。教師も人間です。死ねなんて言われたら相手を殴りたくなってもおかしくない。でも子どもを殴りはしなかった。立派ではないですか。体罰が無くなって注意や指導もしにくい昨今、どんな子どもが育つのか恐ろしい。厳しい先生は絶対に必要です。この先生を守れる教育現場であってほしい。
・体罰がいけないことだというのは私も納得します。 しかし、なぜ体罰が行われてしまったのかという点についてはあまり触れられることが少ないと感じています。 日頃から侮辱されているのかもしれないですし、労働時間の長さからのストレスなのかもわからないです。 もっとその点について調査し、原因を調べるべきだと考えます。 そして、暴言を吐かれることも暴力を振るわれることもなくなることを願います。
・体罰や物に当たるような態度はいけないことだけれども最初に死ねとか言う児童も大問題だと思う。想像だけれども普段からその児童以外も先生に対して暴言吐いてたのでは? だから我慢の限界でそんなことになったのかなとか。事件の起きた事柄だけではその背景は見えない。しっかり背景も問題と捉えて児童にもきっちり指導が必要だと思います。
・児童の「死ね」という発言に対して、教員が体罰的な指導を行った事案ですが、現場を校長が通りかかったのに何も対応をしなかったこと、組織として事実関係を確認せず、やりすごそうとしたことが深刻な問題だと思います。事実関係を明らかにしたいPTAとそれに否定的な学校の協議が長引きマスコミに情報が流れ無関係な人たちの話題の的となってしまいました。責任者が責任から逃れてしまい、より複雑な事態に至りました。責任者が責任を果たして、平穏な教育環境を構築してほしいです。
・これ先生以外には死ねと言ってないのかな? この先生の行動は、今の時代では完全にアウト。それは仕方ない。 でも、この先生の行動で死ねと言った子供が死ねということを言うと駄目と言うことを学び、他の人に対して死ねと言わなくなれば、それで救われる人も居ると思ってしまいます。 親として自分の子供には、先生にこのような行動をとらなくて済むようにしっかりと伝えていくことは大切ですね。勿論、手をあげずにね。
・この事実を知った男子児童の親はどう思ったんでしょうね。 我が子がもし学校の先生に、勿論先生だけじゃなく他の誰に対してもですが、こんな言葉を言っていたら逆に謝罪する気がします。 確かにやり過ぎだとは思うけど、簡単に発していい言葉じゃないって事は伝わったはず。 先生だって人間です。子供だから何を言っても許されて教師だけが罰せられるのはどうかと思います。 この先生のやり方は間違っていたとは思うけど、教師だから何を言われても耐えなければいけないなんて、そりゃ教師になる人も減るなと思います。 我が子にそんな言葉言われたら私もブチ切れると思うのに、先生からしたら生徒とはいえ、他人から言われるんだからそりゃ腹立つでしょうね。
・先生の対応は確かにやり過ぎだったかもしれませんが、そもそも教師に対して平気で「死ね」と発言する子どもにもかなり問題があると思います。
人様に「死ね」など、我が子だったら完全に説教ものです。エアコンのつけ忘れくらいで「死ね」と言うような態度の子どもであれば、先生も人間ですし、積もり積もっての発言だった可能性もあると思います。
先生の対応の問題点については改めるにしても、きちんと保護者が子どもに対して指導をすべきだと思います。「自分が嫌なことを言われる立場だったら。」「相手の立場になって考える。」は人間関係を築く上でとても大切なことだと思います。
・先生もやり過ぎてしまったとは思うけど、ここに来るまで色々なことがあったのではないでしょうか?上司である校長、教頭はどんなフォローや、気づきをしてくれたのでしょうか? 先生や学校を攻め立てるのではなく、 保護者も被害者意識を捨て、ここから何かを学ぶ、子供達と一緒に、死ねと簡単に言ってしまった軽率さなど考えるという過程を踏んで欲しいです
・先生ばかりが悪者のように書かれていますが、男子生徒の方にも問題があるでしょう。 この生徒はこれが初めての暴言ではないのでは?普段からこういう発言があり、先生は我慢の限界がきたのでは? 子供達にはもっと先生や大人に対して礼儀正しく接する事を親が教えないといけないと思います。学校は学業と集団生活を教える場であり、道徳的な事は親がしっかり教育するべきだと思います。 今回こういう事件になってしまった原因は生徒にもあると思います。 先生も少し未熟だったのかもしれませんが、人間ですから我慢の限界があります。
・賛否あるかもしれないけど、基本的にダメなことはダメだと子どもに教えないと行けないと思う。 きっかけは児童が作ってるのだし、普段どう言う子なのかわからないけど、もし咄嗟に出た言葉ならすぐ謝るなどすべきだったのでは。先生や大人に対して言うなら普段友達にも言っているかもしれない。憶測ですが。 全く同じような状況が自分たちが子どもの時にもあったなー、、同じクラスの男子の発言でキレた先生が襟ぐり掴んで廊下に引き連れて行ってました。たしかその男子の親も先生でした。
・人に向かって「死ね」と言うことがどんなに重いことか、言葉の暴力とはなんなのか、これらを確認する良い機会になったと思いますが。保護者も先生と一緒になって自分の子供に「人に向かって言葉の暴力をすることはいけないことだ」と諭し教育すべきでは?
この事案で「先生が悪かった」なんてなったら子供たちが誤解して周りを傷つけたり苛めたりする芽が出てしまうかもしれない。
今回は『男性教諭の指導のうち「泣いている男子児童を引きずって階段まで連れて行った行為」を体罰と認め、謝罪』とあるので学校側の対応は適切だと思います。
『保護者から「対応が不適切で、事実確認が不十分だ」と批判する声』は不適切な批判です。
・防火扉をたたいたり蹴ったりという行動は、怒りにまかせた行為で指導・教育ではないとは思います。
でも「死ぬ」ということがどういうことなのか、それを命令形で「死ね」と人に言うことがどういうことかをこの子どもに教えることは大切な教育だと思います。
教諭は手段を間違ったかもしれませんが、子どもの考え方や言動を早急に正す必要があるのは明白なことです。
学校側がまずやるべきことは教諭の処分ではなく、どういうことが起こったのかを正確かつ詳細に周知し(プライバシーには当然配慮しながらですが)人に向かって死ねといった言動がいかに人として間違っているかを児童皆に教えることです。
その一方で教諭の処分については、子どもが(自分は悪くなかった)とか(先生に勝った)等の勘違いをしないよう慎重に対応すべきではないかと思います。
大切なのは世間体や事件をもみ消すことではなく、子どもを教育することだと思います。
・私は元教師で辞めてからもう何年も経っていますが、いまだに児童から言われたショッキングな言葉を忘れられません
相談した当時の管理職からは、児童の言動は全て教諭の働きかけによるものだから暴言は私の責任であり当該児童には何ら落ち度はないと言われ、確かにその一面もあるでしょうが私も人間であるのでモヤモヤしたままその日を終えました 何でもかんでも教諭のせい、それは違うと思います
この先生はやり過ぎですが、子ども側の暴言にもかなり問題があった時感じます 結果として教諭の対応のまずさだけが注目されるような状態は、いかがなものかと感じます
・子供であれ大人であれ、人に対して「死ね」と言うのはいけないことだという原点がないがしろにされているからだと思います。
私もかつて職場で上司が同僚に「死ね」と冗談半分に言っているのを見たことがあったが、その時の自分は怒りと恐怖で血の気が引くのを感じました。 自分自身が素直過ぎるのかもしれないけれども、死というものを軽視する怖さを恐怖に感じます。
ここでは問題発言をした児童に対して担任が体罰をしたとあるが、この児童には体罰、いや処刑してもいい位の侮辱を担任にしていた事実を忘れてはいけない。 子供をまつりあげているからそういう輩が自分勝手な社会人(大人)になって上司が指導に困っているケースが数多あることも忘れてはならない。
・先生はやり過ぎたかもしれないけど先生だって人間だしエアコンつけ忘れただけで死ねって言われたら傷付くし怒る。
エアコンつけ忘れたぐらいで軽々しく死ねという言葉を平気で使う児童もかなり問題あると思うし、怖い目にあっても頑なに謝罪が無いのはちょっとどうかと思う。
先生だけが悪いという事は無いし児童の問題ある振る舞いも伝えるべきだが、今の保護者は何があっても先生のせいにして子供は絶対悪くないと思う所があるから理解してくれなさそう。
まぁ一番すごいのは適切なタイミングで「先生、それはやり過ぎです」と言った複数の生徒。
その歳で客観的な目線で物事を見れてやり過ぎかどうかの線引きができてそれを先生に言い伝えたのは偉い。
・児童がそういう発言をすることに対して問題視はされてないんだろうか? 昨今はカスハラが取り沙汰されることも増えたし、生徒から教諭へのこうした発言もハラスメントだと思うんだけど…… 注意、警告、停学など生徒側も処分されるべきじゃない? 先生がやりすぎたのは確かだけど、学校側も毅然とした態度で臨むべきこともあると思う。
・児童の死ねと言う言葉はどんな事があっても軽々しく言うことではないし、先生をなめてるとしか思えない。こう言う子は友達にも平気で言ってるんでしょうね。例え、悪気がなかったとしても、悪気がないなら何を言ってもいいのかって話です。悪気がなかったとしても6年生なら自分の言ってしまった言葉に対してまずは謝罪するべきだと思う。謝れない子は大人になっても謝れない人になりそう。 今の時代、モンスターな親も多いから先生たちもやりずらいと思う。 でもちゃんといけないことはいけないと言うべき。
・大体の人が自分は軽い気持ちで言ったことがどれだけ相手の心をえぐりとるのかをどこかのタイミングで経験すると思います。 その時、その相手によっては暴力で報復を受けることだってあります。この生徒は、相手が先生でまだ良かったと思うんだけどなぁ。 先生がやりすぎって言われてるけど、そこまでしないとこの生徒は理解しないと思ったんじゃないかな。 ただ、感情的にキレての行動ならば冷静にならないとこうなっちゃいますね
・うちの小学生の甥も言葉使いが乱暴で、死ねと簡単に言います。 自分も反抗期の時に酷い言葉を気軽に使っていたけど、どこかでしっかり怒られた経験があったと思います。 言われたほうは自分が思っている何倍も傷つくし忘れられないという事、自分が教わってきたように、まわりの大人が冷静にしっかり伝えていかないといけないですね。
・この先生の指導は間違っていない。 この児童はこれから先、このような行き過ぎた言葉を発する事は2度と無いだろう。 小学生のうちに矯正できて良かった。 いじめの中で、相手の子に軽い気持ちで死ねと言って本当に死んでしまう事があるんだよ。 軽い気持ちでも言ってはいけない言葉がある。 こういった教育は本当に大事だと思う。
・熱血指導はその後の責任も取ってこそ、だよ。 そうじゃないと感情丸出し、怒りと憎しみのままに子供を指導しても無罪放免となってしまう。それは教室に暴君を生み出すだろう。 教育のためとはいえ、考えも無く「死」という言葉を使った子供に無理心中を持ちかけたこの教師は、懲戒で良いんじゃないかな。
何十年かあとに、この子供から復讐されないと良いね。今の子供はまともに育つとは限らないし、少年時代のつまずきをいつまでも覚えているかもしれないよ。
・人に対してその言葉が言えるのは、相当悪い家庭環境で育ったか発達障害のどちらかでしょう。発達支援施設で働いていたころ、やはりそういう発言をする子が何人もいました。で、それを聞いたベテランの超怖い男の先生が毎回首根っこ捕まえて本気で怒鳴りつけていました。何回も叱られて、やっと少しずつその子達は理解できるようになっていきました。親ができないならなおさら、誰かが本気で叱ることは時に必要なこと。そのまま大人になったらもっと大変なことになるよ。
・最近は若者を中心に、物事の是非善悪や吉凶禍福に対する知識が浅く、自分本位(自分勝手、自己中心的)に生きることが「格好いい」なんて勘違いしている者が多いから、言葉の重みも、必然的に無くなるのは当たり前だと思う。 電子機器の発達や普及により、日常茶飯事に言葉を送りやすくなったけれども、その一方で、相手に対する思いやりや、使用する語彙(ごい)等の著しい欠如が目立つのが気になって仕方がない。 言葉は時として、刃物よりも鋭くなることを認識してもらいたい。 今回の一件で、ふと、鳥取県の小学校教諭が「関西なめるな」と言って停職処分を受けたのを思い出した(その後、当該教諭は復職した)。 メディア(マスメディアや動画配信サービス〈例えばユーチューブ等〉等)やお笑い、漫画等の悪い影響が、まるで麻薬や覚醒剤等のように蔓延(まんえん)したのだろうか。 言葉の崩壊が、心の崩壊にも繋がっているように思えてならない。
・正直なところこれくらいの事をしないとこの発言の行為の重大性が理解できないような気がしますけどね。そういう言葉を簡単に使うしかも高学年にもなってその言葉の重大性に気が付けないのであればそれくらいのことまでしないと理解できないのではないかなと思う。それにそんな言葉を平気で使うような子供に育つ家庭環境も見直したほうがいいような気がしますね。
・この先生の対応はもはや最悪だけど、この児童もこれから大変だと思う。暑さの苛立ちからつい出てしまった言葉なのか、普段から思った事を躊躇なく言ってしまう特性なのか。どちらにしても「死ね」を目上の人間に言えてしまうのはもうかなり重篤な状態でしょうね。早めに対応してあげた方がこれからまたお子さんがこういったトラブルを起こさずに済むかも。
・昭和で教育受けたから思うけど、「死ね」なんて目上の人間に対して(ましてや先生)使う言葉じゃないんだからそんな強い言葉を使う児童に対してはこれくらいやらなきゃ分からないだろ、と思うから、やっていいと思うよ、そこに「怒り」の感情だけでなく教育という「愛情」の精神があってこそだけど。
・先生の対応に鬼気迫るものがあったのかな。こうして文章で見せられると思うところは出てくるけど、これを一方的に責めるのも違うのではないかな。この暴言を吐いた児童への指導については書かれていないが、自分の発言の重さが先生の対応を 引き出したことも知らなければならないだろう。 一様に学校を責める親が複数いるのも事の深刻さを現しているし、言葉での指導、体験を通しての指導は想像力が追いつかないようだから、子供の習性、本能を知り尽くしたドッグトレーナーばりのヒューマントレーナーでも教師のサブとして採用するべきではないかな。
・「暑い。なんでつけてくれんかったと?」までだったらここまでなってなかったと思うけど、さすがに「死ね」まで言われたらほとんどの先生はイラッとくると思う。まず、小6で先生に対して敬語が使えないって親の躾がなっていない。小学生だから「死ね」の重みを知らず、友達に言う感じで発言したんだったのだろうけど、、なんでも体罰、パワハラにされたら教えるのも大変になってくる。これで本当に窓から児童を落としたらダメだけど、これは体罰じゃなくて指導だと思います。
・体罰はいけないしメンタルを傷つけることもだめ、 でも生徒が先生に言うのは良いのか?ということ… 行き過ぎがある部分もあるけど、我が子がもし人様にこの様な発言をしたら、 一緒に泣いて悩んで、同じ過ちが起きないように沢山考えるし、 周りも考えるきっかけになれば良いと思う。 美化はしないけど、人ごとじゃないし、 共に考えるきっかけになるニュースだなと思いました。
・先生と学校側の対応はあえて置いておくとして、自分の不満が「死ね」という言葉に直結する児童に恐ろしさを感じます。おそらく、本人は人の命に直結するような重い言葉だと意識せずに使っているのでしょうが、そのような子供が育つ環境はいったいどのようなものかと考えずにいられません。
我が子と同級生だった女の子のママさんから聞いた話ですが、クラスの男の子に「死ね」と言われ、それが繰り返されたため学校にその旨を伝えたそうです。なんと、その男の子の親は「そんな言葉、日常で普通に使う。その程度のことで苦情を言うなんて、子供を甘やかしている」と開き直ったとのこと。話を聞いたとき、この親にしてこの子ありなのか…と思いましたね…。
・報道によるテキストだけではその現場のことが十分に判りませんが、私はこの教師は立派だと思います。 生徒の問題有る発言に対し、大人として教育者として正面からしっかり向き合い指導した結果に思えます。 小学6年生で担任教師の小さなミスを捕らえて「死ね」とまで言う児童の心の闇はかなり深いし、そのまま放置すればまず本人も周囲の人間も不幸になると思います。 「一緒に死のうか」これは他人ではなかなか言えませんが、私がこの児童の親だったら同じ事をしたし言ったと思います。 軽々しく人に死を要求する、その意味を直接本人に問うことは立派な教育だと私は思う。
・学校や通学路など、公の場には監視カメラを設置した方がいいのではないだろうか。親のしつけができていないこの児童のような暴言は、公然と履歴に残せるし、教師の対応がどこからが行き過ぎで、どこをセーブすべきだったかなど、後で検証ができる。「エアコンをつけ忘れたのは先生の過ちなので謝るが、それで死ねというのは、おかしい。そこについては、君は先生に謝りなさい。」また、最近の24時間型のスポーツジムなどがそうなのだが、監視カメラが監視しているということにより、もめ事を抑制してくれる効果があり、みなが安心して時間をすごすことができる。
・教室で目撃した4人の児童から、「先生、それはさすがにやりすぎです、やめてください」と制止する声が上がり、そのうちのひとりは男子児童に『大丈夫?』と声をかけました。
死ねって言ったのは確かに悪いんだけどね。 たぶん、この子たちが最も冷静で状況を理解出来てるんじゃないかと思った。
・それが児童のための教育的な行動だったのか、怒りにまかせた報復行動だったのかが問題。記事を読んだかぎりでは後者と思われる。感情的に児童を脅して追い詰めるなど教師としてはもちろん、大人として人としてやってはいけないことだと思うのだが、コメント欄には教員擁護派が多くて驚いた。
もちろん児童が悪い。でもそんな言葉を使うのは良い育てられ方をしていないからだろう。それを脅して黙らせて良い子供になるだろうか。例えば「君が死ねと言ったことがきっかけで僕が自殺するかもしれない。そうしたら君はどう思う?」などと伝えて、問題の本質を理解させるのが教育だと思う。
・怒ることはいいと思います。 気に入らないことでそのような言葉を使うということは、日頃から使うのでしょう。 先生が親に怒れないから、そんなことになっていると思います。先生ばっかり負担になってストレス溜まりますよね。 自分以外の人と接する集団生活の中で、常識を指導しないと学校の意味がなくなるのでは‥ そうやって周りが苦労する社会になっていってます。
・悪いことをしたら叱る、と言う常識が今や家庭でも教育現場でも疎かになっている、叱る事に怯えているとはっきりと証明したような問題です。この先生は「死」と言う言葉をあまりにも簡単に使う児童に身を持って簡単に使うなと教えたかったのでしょう。引きずりは行き過ぎかもしれませんが、心情は分かります。 児童、生徒はお客様ではない。本気で家庭、教育現場、社会が真剣に子どもに善悪を教えて行かなければならないのが大人の責任です。
・個人的にはやり過ぎでは無いと思うけど、今の時代的には間違えてるのかな?SNSでも匿名で簡単に死ねとか書き込めるし、言葉としても簡単に発しちゃう人もいる。言葉の重さ、責任を思うと、この先生の行為は子どもにトラウマを与えたとしても、簡単に発すべき言葉ではないって焼き付いたんじゃないかな?まあ単純にいらっとしてやり過ぎたのかもだけど、教師も生徒と同じ心を持つ人間だからね。
・今回の先生の行動に問題があったことは事実として、普段はどんな先生だったのかな? いつもこんな怖いことする先生ならこんなに軽率に「死ね」なんて言う児童いないんじゃないのかなと思ったけど……積もり積もった物があったのかも。 いつもは怒らない先生が激しく反応したからびっくりして何も言えなくなったんじゃないのかなとか色々考えた。保護者も学校もそのあたりのことも考えてほしいな。
・担任の行為は現代では行き過ぎた面もあるかもしれないが、これで何らかの処分をされたり親が捻じ込んでくるのであれば、日本は終わってるとしか言いようがない。自分もその昔は反抗的な生徒だったが、先生に対し死ねという文言は絶対的に存在しなかった。加えて当該生徒は、軽々しくこのような言葉をあろうことか目上の者にあろうことか先生に発するからには、そもそも家庭環境に深刻な問題を孕んでいるはずで、この学校は先生の処分云々などより先に、当該生徒の家庭環境と当該生徒のメンタルなど調査するべき。当該生徒はこの先必ずまた何かやらかすタイプだ。
・児童の先生に対しての言葉使いも悪いと思います。色々な環境が有るのですから、昔の様にエアコンが設置されていない場合も有るのですからね。ですから人間関係の付き合いを学んで行くことだと思います。
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