( 193960 ) 2024/07/23 16:56:16 2 00 「大学の友だちは一生の友だちになりうるか?」と学生が考えてしまう理由東洋経済オンライン 7/23(火) 11:32 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/ee1b367c858616757429e9265a7504297110e31f |
( 193961 ) 2024/07/23 16:56:16 1 00 Z世代を含めた若者たちの友だち作りにおける変化を考察する記事では、社会の在り方やビジネスの在り方が影響していると指摘されています。 | ( 193963 ) 2024/07/23 16:56:16 0 00 Z世代を通して見えてくる「友だち作り」の変化とは(写真:mits/PIXTA)
若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。 企業組織を研究する経営学者の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――例えば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。
Z世代を通して社会構造を読み解く舟津昌平氏
本記事では、著者の舟津昌平氏と文芸評論家の三宅香帆氏が、Z世代を通して見えてくる社会の構造について論じ合う。
■大学の友だちは一生の友だちになりうるか
三宅:『Z世代化する社会』で描かれている若者たちは、舟津さんが大学の先生ということもあって、大学生が中心ですよね。私も大学で非常勤講師をやっているので、とても共感しながら拝読しました。
舟津:ありがとうございます。
三宅:個人的には、モバイルプランナー(携帯のプラン変更や乗り換えを営業する仕事)に学生時代を捧げた大学生のお話が特に面白かったです。というのは、ここ10年くらいの若者論では、『友だち地獄』という本に描かれているような、友だち関係に縛られる若者の話が主流でした。ただこの本では、友だち関係とビジネスの論理が絡み合ったZ世代的友だち関係が書かれていますよね。
それこそモバイルプランナーであったり、友だちからの「株価」を気にしたり、ソーシャルメディアで友だちを管理したり。友だち関係の基盤に、ビジネスの論理が根を張っている。ただ、もし今私が大学生だったら、ここから抜け出すのは難しいとも思うし、もし学生たちがこれに悩んでいたら、どう声をかければいいか、「う~ん」と考えながら読んでいました。
舟津:三宅さんがおっしゃったような話を「同業者」ともよく話すんですが、この前ショッキングな話を聞きました。学生たちが「大学のときの友だちは一生の友だちになりうるか」っていう話をしていたらしいんですよね。普通なら「なるだろう」と思うじゃないですか(笑)。
三宅:私たちの世代感覚かもしれませんが、大学でならなきゃどこでなるんだ、と思ってしまいます。
舟津:その先生も、なぜまずそうした問いを立てるのか、と最初は思ったみたいです。でも、学生側の話をよくよく聞いてみると、学生たちに「大学の友だちは単位を取るための友だち」という感覚があるのだと。つまり「単位を取るためにつながっておかないと困る」という理屈が前提の関係だから、「一生の友だちになれるのかな」と言い出すんです。
なぜそうなるか、いろんな要因があると思いますが、例えば都市型の大学だとキャンパスがビルのみということも多くて、学生たちも通学が会社に出勤しているような感覚になるのではないかと。まさに「ビジネスライク」なんですよね。
「ある目的のために効率化された手段のみを取るべきである」というビジネス的な考え方が、友だち関係でも当たり前になりつつあって、それが今の大学のリアルなんだろうと思います。
■大人だって友だちを作るのは難しい
三宅:たしかに。最近読んだ石田光規さんの『「友だち」から自由になる』(光文社)で、学生が悩みごとを相談する相手として、友だちの割合が減って、お母さんの割合が増えているという調査結果が紹介されていました。友だちに悩みごとを相談するのがリスクになっている、という話が書かれていたんです。
その原因分析がどこまで正しいかは置いておいても「悩みごとを相談できる相手として友だちを見ていない」という感覚は、おっしゃったような目的ありきの友だちみたいな話と合致するなと思いました。私としては、悩みごとを友だちに相談できなかったら、どうするんだろうという気持ちになりますが。
舟津:本当にそうですよね。そもそも友だちって何なんだよって話になってくる。自分を出すことはリスクであって、面倒くさいことを言って嫌われたりハブられたりしたらどうしよう、という不安を抱える。信頼できる交友の範囲がすごく狭まっている状況です。
三宅:だから、自分を育ててくれた相手ぐらいにしか弱みをさらせない、となっているのかなと思ったりもします。
ただ、舟津さんが本の中で強調されていたように、あくまで若者は社会の写し鏡であって、友だちの作りづらさって大人の悩みとしてもかなり言われていますよね。私も最近、40代男性の知り合い数人から、「自分に友だちがいないことに気づいた」みたいな話を聞いて。若い人たちも友だち作りに悩んでいるとは思いますが、30代、40代の大人になってもやっぱりわからないんじゃないかと思います。
舟津:たしかに。毎日通う大学の友だちが単位情報を与え合う利害関係でつながっているというのは、それは大学を会社に置き換えてもまったく成立する構造なんですよね。会社であれば、同僚とビジネスライクな話しかしないのは当たり前ですし。大学が会社化しているという、だけといえばだけ。
上司にしても、その上司が人事評価をするわけだから、部下は話したことをマイナスに取られたらどうしようと考えてしまう。実は30代も40代も、その意味で若者と同じなんだというご指摘は本当にそのとおりで、それが会社に限らず大学でも学校でも、あらゆるところに浸透しているのが現代なのかなと思いました。
■なんでもかんでも「ビジネス化」の危うさ
三宅:今って、私生活ですらビジネスの論理になりやすい時代というか。労働時間は10年前に比べたら減っている企業も多いのに、その時間が結局SNSや副業といった、ビジネスの論理で動いているものに置き換わっているにすぎない気がして。仕事以外の人間関係をどうやって作るのか、リスクをさらせる場所をどうやって作るのか、若い人だけでなく年齢を重ねても悩んでいることだと思います。
舟津:三宅さんが書かれた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』もそういうテーマですよね。ここ10年は残業の時間が減っていて、それこそ余暇が生まれてもよさそうなのに、24時間働かされているような感覚を抜け出せない。もし定時で仕事を終えたとしても副業やリスキリングのことも考えましょうねとか、家庭でも家事や育児が仕事のように感じると。そう思ってしまうと、目的のない読書はできなくなっちゃいますよね。読書をするにしても副業とかリスキリングの本を読まざるをえなくなるというか。
三宅:そうなんですよね。ビジネスの論理で考えると家事や育児も効率的にできるという考え方もありますが、言っていることはすごく正しいし、うまくいくならいいとは思いつつも、すべてをビジネスの論理で考えると、どこかにリスクというか弱さをさらせる場所がなくなっちゃうようにも思うんですよね。
舟津:ビジネスの論理は、より楽に、よりコストを減らすという意味で、間違いなく人間の生活を豊かにしてくれるものです。その一方で三宅さんの本が指摘していたのは、ビジネスの論理は「効率化によって空いた時間の使い方までは教えてくれない」ということですよね。効率化の先には、さらなる効率化しかない。その結果、全部仕事になってしまう。ビジネスの論理だけでは余裕はなくなるばかりです。
■ビジネスに不要なノイズを楽しめるか
三宅:ただ難しいのは、ビジネスの論理は基本的には合理的なので、本書に書かれている学生さんたちの言っていることが間違っているとは思わないんです。もし、自分がこの時代に学生だったら、同じように考えるだろうなという事例がたくさん出てきます。もちろん、モバイルプランナーだけに学生生活を捧げるのは違和感を覚えてしまいますし、合理的な選択だけが正しいのかと疑問に感じる部分もあります。でも、そのことを若い世代にどう伝えたほうがいいのか。考え込んでしまいますね。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』では「ノイズが必要」とは書いていて、それは実体験としてもそうだと確信しているんですけど、若い世代にそれが伝わるのかな、と不安に感じるのも事実です。それこそ「なぜ、人生に友だちは必要なのか」みたいな話と同じかもしれません。自分の場合は、身のまわりにいる人が全員仕事のつながりによる人間関係であったら、心許なさを覚えてしまう。仕事のノイズとなるような人が身のまわりにいてくれるほうが、自分の豊かさが増すと思うんです。
舟津:「ノイズ」という表現、すごく面白いし的確ですね。かつ、ノイズを楽しむのは熟達した人の楽しみ方でもあるので、若者には難しいというのもわかります。
おっしゃるとおり、学生一人ひとりの話を聞くと筋が通っているんですよね。だから、決してつじつまが合わないことをやっているわけではない。一方で、引っかかるところがあるのはたしかで、多くの人が「うまく言語化できないけど、なんか違う気がするな」と感じているはずなんです。
舟津:その違和感の一つが、ビジネスの論理以外はないのか、というところで。まさに「ノイズ」がない。「大学のときの友だちは一生の友だちになりうるか」という問いも、大学の中に友だちとだべるようなノイズがない都市型キャンパスだからこそ出てくるという事情もあって、その余白をもつことが許されなくなっている。
三宅:それはすごく思います。例えば都市型キャンパスの多い東京には、京都の鴨川的な空間が全然ないんですよね。同じような自然豊かな公園である新宿御苑も、素敵ではありますが有料ですし、コロナ禍のときは予約が必要でびっくりしましたよ。
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( 193962 ) 2024/07/23 16:56:16 1 00 ・大学時代の友人関係には、共通の興味や価値観、学科やサークルなどが関係しており、それが友人関係の維持や発展に影響している様子がうかがえる。 ・地元出身者と東京など都市部へ進学した者とでは、友人関係や周囲の人間関係に影響が出ている。 ・大学時代の友人関係が長続きしている者は、お互いが尊重し合い、助け合う関係を築いており、一生の友人として大切にしている様子が伺える。 ・友人関係は、価値観や環境、年代によって様々な背景があり、結婚や仕事、住む地域といった要素が友人関係の形成や維持に影響していることがうかがえる。 ・友人関係には、運や縁も大きな要素であり、些細なきっかけや縁を大切にしてお互いの心を許し合い、思いやりを持つことが友人関係の維持につながるようだ。 ・友人関係は人それぞれであり、一生続く友人、一時的な友人との付き合い、実は友人ではない人など、さまざまな形態があり、それぞれのタイプや関係性が存在しているようだ。 ・40代以上の方は、大学時代の友人や縁で長年続く友人関係を重視し、お互い尊重しあいつつ、結婚や育児、仕事を通じても続けている様子がうかがえる。 ・友人関係が続くかどうかは運やタイミングも大きな要素であり、それぞれの状況や関係性が友人関係に影響を与えているようだ。 ・友人関係の維持や発展には、共通点や理解、尊重、縁に加えて、自然な流れや気遣い、親しみやすさも大切であり、友人関係を育むためにはさまざまな要素が必要とされるようだ。 ・友人との関係は、一生続く友人や思わぬ人からの縁、価値観や生活環境によって様々な形を取ることが伺える。 (まとめ) | ( 193964 ) 2024/07/23 16:56:16 0 00 ・これは大学時代にどんな人たちが周りにいたか、によるんじゃないかな? 私のクラス(語学で組分けされ、複数の学科で構成されていた)は、私と同じ学科のクラスメートがとても仲がよくて、勉強で協力し合うだけでなく、飲み会(徹夜含む)、麻雀(同)、スキー、旅行などを楽しんだ。 今でも年に2回は集まっている(勤務地の関係で参加できない者もいるけど)。 幹事をしてくれる人がその中にいるのも重要だと思う。 仕事を離れて、心置きなく話せる友達ってのは良いもんだよ。それぞれに専門も持っているから深い話も聞けるから勉強にもなる。
・私は地方出身で都内の私立大学に入学しました。 友達もできて、とても楽しい毎日を過ごせましたが、今から30年前でネットもない時代でしたので、やはり都会育ちの子達とは違いカルチャーショックが大きかったですし、無意識に田舎者って馬鹿にされないように内心精一杯頑張っていたんでしょうね、だんだんと疎遠になりました。 未だに一緒にいて1番楽のは、高校時代の友達かと思います。 まず知的レベルが同じくらいだし、育った環境も似ているし、純粋で大人になって色々と取り繕う前の自分を知っているから本音で話できます。 一緒にいて疲れない友達って大切です。
・うちの子は今大学2年だけど、学部ではなかなか友達と言い切れる人は出来にくいらしい。テスト前になると連絡が活発になるらしいけど笑 ただ、部活やサークルなどに入れば運良ければ一生続くような気の合う友達と出会えるかもしれないね。学校でも会社でもママ友でも、一生続く、心を許せる友人との出会いなんて運だからね。 大学の友人とも合宿だったり、遠方へのドライブだったり、長距離徒歩チャレンジとかいろいろやってるみたいだから、続く友達が出来ればラッキーくらいに思ってれば良いのかも。 無理して頑張って良い友人が出来るわけでもないし、長い時間を共有したからって心まで許せるかはわからない。逆にほんの挨拶がその出会いになるかもしれないし、些細なことで終わるかもしれない。思いやり大事。 縁とタイミング含めた運かもしれないね。
・大学の友人とも付き合いあるが、集まる周期は年単位。そのせいか、LINEでのやり取りも期間集中型。高校の友人との方が日常的に頻繁にやり取りしている。理由の1つとして、高校友人は正月、盆とかで実家に帰省したときに集まれることが多いのに対し、大学友人は出身地が散らばっているので共通の集まる場所が無いというのがあるかと思う。 まぁ、お互いの親が亡くなって帰る実家も無くなれば直接会うことは減るだろうけど。
・大学時代は、大学時代の友人は一生の友人とおもっていたけど、その後結婚して、価値観が異なってくるともう付き合いは無くなったなぁ。結局、大学時代の先輩一人と今も付き合っているけど、結局その人も同じような業界で仕事をしているから、というのもある。実は勤務関係で知り合った人とは今も付き合っており、何もなければこの先一生付き合うのではと思う。 小中高の人達とは、自分が地元を出てしまったこともあるし、生活環境も異なるから、もう会うことはない。進学校卒の僕の兄弟は、今も生活レベルも一緒だからか、地元に帰る度に飲み会があって、うらやましくなることもあるね。
・今年還暦でマーチクラスの大学を出ましたが、 友人は大学時代の友人が多いですね。 同じサークルの人たちです。 同じ大学に入るくらいだから頭の中身も同じくらいで 考え方が似ていると話が合うというような記事を以前 読んだことがあります。 彼らとは依存しあったりせずにお互いを尊重して 困ったときは相談し合って、付き合っています。 連絡はメールが中心です。 年一回年末に合宿という名の温泉旅行に行っています。 会うのはそのときくらいですが、メールでやり取りし ているのでもっと会っているような気がします。 彼らとはこれからも良い友人関係を続けていきたいですね。
・友達が多い方ではない。中高大職場ママ友で、それぞれ一人二人ずっと続いてる友達はいる。よく社会人になると友達できないとも言うけど、結局たった一人でも気の合う人と出会えるかどうか。運だけだと思う。 ただ、中学高校の友達は、一度疎遠になってもまた繋がろうと追いかけてきてくれる。子どもが大きくなって暇ができた頃にね。共通の友人知人を通じて、なんなら実家に、「会おうよ」のメッセージが。たまに変な勧誘と思われてしまうらしいけど。共通項が多く、昔を知ってるのは気安いね。
・これはそれぞれでしょう。 自分は地方から東京の偏差値で言うと60くらいの普通の大学に行きました。 卒業後はそのまま東京で就職しましたが、配属が地元になり結局Uターン状態w そこから大学院に進み、地元で転職したので・・・1000キロほど物理的な距離もあるしwもう仕事でも東京に行くこともないので大学時代の友達はほぼ疎遠ですね。
結婚し子供ができても、地元の自分が幼稚園や中学校の時の4-5人のグループと遊ぶことが多く(毎月くらいの頻度) その次は仕事の関係上で、大学院の時の友達が機会は多い(年に数回)
でも東京で転勤や配属で地方でなく、そのまま働いてたら大学の時の友達も多かったと思うし。 地元で地元の国立なんかに行ってたら、大学の時の友達も未だに多くいたのかなと思う。 高校の時の自分にアドバイスできるなら、東京じゃなく地元か、地元から近い大阪や神戸くらいの大学受験しろって言いたい!
・ごく普通の公立小中学校、都立高校、大学は早稲田大学に進みましたが、どの時代の友人とも40代半ばになった今も付き合いがあって、年に数回は飲んだりする。小中学校時代の友人は、高卒とか高校中退の人もいたりするけど、そういう友人と交流すると普段の仕事では見えてこない視野も広がる。 社会人になってからも同じ会社の友人もいますが、損得勘定とか抜きに自然体に付き合えば友人なんて簡単にできる気がしますけどね。 今はそういう時代でもないのかな。
・都内の下町生まれ。中学までは地元の区立。高校は学校群制度の時代だったので台東区の都立高校。大学は四谷に在る私立大学。小中高では、在学時には、それぞれ友人がいたが学校が変わると付き合い無し。結局、大学時代の麻雀仲間が現在迄続いている。年一度の旅行、時々落ち合っての食事、2回/月のWeb麻雀を継続しています。長く付き合って入れば、其々の家庭の事情もうっすらお互いに見えてきますが、お互いに踏み込まない様にしている仲間です。
・都内の下町生まれ。中学までは地元の区立。高校は学校群制度の時代だったので台東区の都立高校。大学は四谷に在る私立大学。小中高では、在学時には、それぞれ友人がいたが学校が変わると付き合い無し。結局、大学時代の麻雀仲間が現在迄続いている。年一度の旅行、時々落ち合っての食事、2回/月のWeb麻雀を継続しています。長く付き合って入れば、其々の家庭の事情もうっすらお互いに見えてきますが、お互いに踏み込まない様にしている仲間です。
・地元か県外で違うかもですね 自分は30年前に地元大学に通いましたが今でも付き合いあるの大学時代の友人は出身中学か出身高校が一緒だった友人
大学で知り合って30年後の現在でも付き合いあるのってお世話になった先輩と可愛がってた後輩たちですね
・私は私立中学に進学したので、そこで高校まで一緒に過ごした友人達が一生の友達だと思っています。似たような生活レベル、価値観を持っているので40過ぎた今でもとても話が合いますね。 大学で一生の友達はできなかったなぁ。 大学はただの通過点だった感覚。
・自分は最終的に社会人になってから出来た友人が1番公私共に仲良くしてもらってる。 もちろん大学時代の友人も仕事の上では助けてもらってるけど、仕事となるとあまり見たく無い側面を見てしまうこともあって、昔通りの付き合いとはなりにくいです。 下手に「学生時代に出来た友達が〜」って刷り込む必要無いと思う。人には人のペースがある。
・人によるんじゃないのかね?地元をはなれず仲のいい友達とつるんでいれば、腐れ縁になり一生の友たちになるかもしれんし。ならんかもしれん。大学の友達が県外の人なら就職で離れるよね。遠距離恋愛が続かないのと同じで、離れるんじゃない?どうやって友達続ける?努力して続けるもんでもないと思う。私は地元から車で1時間の所に嫁いだが、保育園からの友達と中学の部活の仲間と友達が続いてる。会わない時期も何年もあったし、今や年に1、2回しか会わない。この関係がこれから続くか分からん。葬式に行ければ、来てもらえたら一生もんの友達なんやろね。今50だから、あと20年30年続くかなぁ?ちょっと楽しみよ。
・Z世代って今時の呼び名で言うと新鮮だけど、もともとの言い方で呼ぶと若造や青二才。青二才が取るに足らないことで悩んだり、若造が不透明な将来に怯えるのはいつの時代も同じこと。
・「大学の友だちは一生の友だちになりうるか?」 なんて、社会人になったらどうでも良いことを真面目に考えるのが若者の良さ。 コスパ、タイパと言いますが、 お金や時間は測れてもパフォーマンスを測るのは難しいでしょう。 時間軸と価値観が影響しますから。
・やはり大学の友達がいいな。ゼミ友、忙しい時は会えない時期あるけどずっと付き合ってくれてます。境遇や苦労も似ているし話が合う。 会社の同僚や仕事の関係の人は一生の友達にはならない。
・>大学の友だちは一生の友だちになりうるか?
研究室やサークルのつながりで付き合いの長い友人がいるという人は多いと思う。 逆に大規模大の文系でサークルもやっていなかったとなると、友人はできにくいんじゃないかな。
俺の母校は地方の国立大で、学生の9割以上が大学周辺で一人暮らししているような特殊な環境だったから、一生付き合えるような友人が何人もできたけどね。 まあ、田舎だったから人付き合い以外に大した娯楽もなかったしね。
・40代女性既婚子ありですが、大学時代の友達としか続いてないなぁ汗 少数派なのかな。 弟は地元友達ばかりだと言うし、こればかりはだたただ出会いなんだと思う。
・友達の基準をどこに持っていくかだ。 竹馬の友なのか飲み友達なのか。前者であれば何のバイアスも掛かっていない時代つまり幼児期の友。後者なら社会人になってからの友。 大学時代の友人は中途半端でその何れにもなり得ない。
・境遇、属性が似た者同士であったから四年間という瞬間だけ成立してただけの関係か、生き方、ライフスタイル、経済的な状況、家庭の有無、価値観等がバラバラになった後も続く関係かは、それぞれ
・>大学の友だちは一生の友だちになりうるか
ほぼならない。 自分は地方大卒→上京したので大学時代の友人とは卒業後全くあってない人が殆ど。 あるとしたら同じ会社に入社した同期。
自分の場合、大学時代の友人がたまたま営業マンとしてうちの会社に挨拶に来ていた。 ただ自分は2年後、転勤したのでそれ以降は知らない。
・こういう関係は 「友人」ではなくて ほんとうは「知人」なんでしょうね ただ「友人少ない」とか「友人いない」 って言うと なんかマイナスイメージに取られるのではないかと恐れて 「友人」カウントしているのではないですかね
・友人なんて生活レベルで変わり マウントの取り合いになるだけ 利用価値の有る無しで判断するもの 小中学校の子供時代で友情は終わり 高校大学就職結婚家庭子育て老後終活 みんな敵、友情の入り込む隙はない 自分が思う程相手は自分の事を思っていない
・出会う人はみんな旅人。中には親しくなる旅人もいれば、そうでない旅人もいる。ただそれだけのことです。考えても仕方ありません。
・女です。 大学だろうと小中高だろうと職場だろうとママ友だろうと、、、、 所詮女友達は薄情です。 いつまでも仲良くしていると思っていても、悲しいことに妬みやマウントが混在しています。見せないだけで。 寂しいですけど、本音は言わないし所詮他人。
・「単位友達」すらできなかったですね。専攻選ぶときに親しかった人は全て別コースだったので全員寝返った武将と同じでした。(笑)
※友達になってくれた祝いにスーパードライ1ケース持っていった人なんて何も言わずに1ヶ月で退学したし散々目にしかあっていません。w
・>大学の友だちは単位を取るための友だち 大学の友達=サークルの友達だから何でこんな問いが出てくるのか全くピンと来なかったがなるほどそういうことか。 確かに学業関係は「知り合い」止まりだわ。
・友だちはどこででもできるともいえるし、 どこででもできないともいえる。 人との出会いって、不思議。
・50歳代前半だけど、今でも付き合いがある友達は中高時代の友人と子供達のパパ友だけだな。
・人生で大事なものはコスパ計算の効率の中にはあまり無い。 大いなる無駄の中にある。
・友達とか考える必要がない。勝手に結果は出る。考えてコントロールして付き合う人の事を友達と呼べる?
・小中高と友人ゼロ、大学はキャンパスから1分の所に下宿しましたが、当然全く溜まり場にはなりませんでした(笑)
・なる場合もあれば、ならない場合もある。当たり前の話だ。
・友だち、って、何? 小学生?
・そもそも地獄になるような人は友達じゃない。 友達なんか大学以外でもいくらでも見つかるよ。バイトしてみたら? っても、筆者みたいな仕事は縁切られがちだけど、、 多分根本的に友達を理解してないんじゃないかな?
> それこそモバイルプランナーであったり、
貴方が地獄からの使いでは?
>友だちからの「株価」を気にしたり、ソーシャルメディアで友だちを管理したり。
気持ち悪い。何でそんなに他人がきになるの?
>友だち関係の基盤に、ビジネスの論理が根を張っている。
昔から保険屋、クレジットカード屋は一緒。友達、親戚回って営業。某宗教団体の選挙活動かよ? そんな人がいるから殺伐とすんだよ。
> 京都の鴨川的な空間が全然ないんですよね。
あんなに人がうじゃうじゃ座ってる川っペリが好きなら花見シーズンの中目黒行ってみたら良い。
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