( 194190 ) 2024/07/24 14:52:17 2 00 「全裸ぐるぐる巻き」「ウンコ食わせた」記事で炎上した小山田圭吾が語る、そのとき本当は何が起きたのか文春オンライン 7/24(水) 6:22 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/4ada4bd14fff84579a129443cc9227e4b7aa8268 |
( 194193 ) 2024/07/24 14:52:17 0 00 小山田圭吾氏 ©文藝春秋
2021年7月、ミュージシャン・小山田圭吾氏は表舞台から姿を消した。過去に雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』に掲載された自身の“いじめ告白”記事がSNS上で炎上し、就任したばかりだった東京オリンピック開会式音楽担当の辞任を余儀なくされたのだ。
【画像】小山田圭吾“いじめ告白”の記事が掲載された『クイック・ジャパン』(1995年8月号)の画像を見る
小山田氏は炎上の直後に発表した声明文で、問題とされる雑誌の記事について「事実と異なる内容も多く記載されております」と主張している。では、何が事実で何が事実ではないのか――。
ノンフィクション作家の中原一歩氏による小山田氏インタビューの一部を『 小山田圭吾 炎上の「嘘」 』(文藝春秋)より抜粋して紹介する。(全4回の1回目/ 続きを読む )
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『ロッキング・オン・ジャパン』も『クイック・ジャパン』も、いじめの内容はもちろん、話をしている文脈も違う。ただ、これらの記事の内容が事実だったとすれば、とても“学生時代の冗談”ではすまされないような悪行と言えるだろう。
これを踏まえたうえで、私がインタビューで小山田に尋ねたい点は、大きく分けて2つあった。
ひとつ目は、小山田が声明文で「事実と異なる内容も多く記載されております」と表明しているが、「どの部分が事実で、どの部分が事実でない」のかをはっきりさせること。
ふたつ目は「なぜ事実でない話が記載されるようなことが起きたのか」だ。小山田がインタビューで嘘をついたのか、雑誌側が盛ってしまったのか。また記事の中で仮に事実と異なる部分があれば、その後、訂正をしていればすんでいたかもしれない。それを小山田はしたのか否か、だ。
最初に聞いたのは、『ロッキング・オン・ジャパン』の見出しになった部分である。
――単刀直入に聞きます。同級生を「全裸でグルグル巻にしてウンコ食わせてバックドロップ」したのは事実なのでしょうか?
小山田は「たぶんその話が一番、拡散されてしまっているんですよね」と小声で呟きながら、それでも、はっきりと「それは事実ではないんです」と断言した。
「中学生の頃に修学旅行があって、その宿泊先での出来事だったんです」
小山田の説明によると、修学旅行で次のようなことがあったという。
自由時間に小山田は、宿泊先の自分たちの部屋で同級生5、6人とプロレスごっこをして遊んでいた。当時、プロレスが流行しており、その影響だった。最初はじゃれ合って、仲間同士で互いに「ブレーンバスター!」などと言って、技をかけ合ったりしていた。とても盛り上がり、この時点では、特定の人物を「いじめる」ような意図はなかったという。
その時、留年して同じクラスになっていた元上級生が入ってきた。このひとつ年上の彼も同室で、自然に「オレも仲間に入れろよ」となり、ここから空気が一変する。同級生とはいえ、元上級生である。他のメンバーたちは何もモノが言えない雰囲気になった。この元上級生が、ひとりの同級生を裸にしたり、紐で縛って「オナニーしろ」と言ったりしていた。
小山田も同じ部屋の友人たちも、怖くなって、傍観するしかなかった。行きすぎた酷い状況に引いてしまって、誰も止めることができなかったということらしい。
つまり、「グルグル巻」にしていたのは小山田本人ではなく、同級生でひとつ年上のこの先輩だというのだ。
じつは『クイック・ジャパン』には、この一連の話が詳細に描かれている。
〈(筆者注・プロレス技をかけている時に)なんか先輩が現われちゃって。(中略)洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。素っ裸にしてさ。そいでなんか『オナニーしろ』とか言っちゃって〉
では、実際に「ウンコを食わせた」という事実はあったのかを聞くと、
「排泄物については別の話が混ざっています。もちろん食べさせたこともありません。中学生ではなく、小学生の時なのですが、落ちている物を、なんでも口に入れたがる同級生がいたんです。彼が枯葉や蟻んこを食べて追いかけてくるから、皆でからかっていた時期がありました。その彼が下校をしている時に、道に落ちていた犬の糞を口に入れて、ぺっと吐き出したことがあった。それを見て皆で笑ったという話をしたんです」
――では、自分で手を下したわけではないということでしょうか?
「僕が強要したり、行わせたわけではありません」
つまり、『ロッキング・オン・ジャパン』の見出しは「小学生」と「中学生」という時代の違う出来事、しかも本人がやったわけでもない話を、編集部がひとつの見出しの中に入れてしまっているという。
にわかには信じがたい話だった。
小山田は声明文の中で〈記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり〉と記している。たしかに『ロッキング・オン・ジャパン』は、インタビューの内容を、アーティストにチェックさせない媒体として、当時から有名だった。しかもインタビュー内容ならチェックさせる媒体もあるが、見出しについては見せないことも多い。あとは編集部の判断と責任に委ねられている。
ただ、内容に問題があるのであれば、出版社にその旨を伝えなかったのだろうか。
――発売後に雑誌を目にした時、もし、事実と違うことが書かれていたのであれば、驚いたことでしょう。そのうえ、内容が内容だけに、抗議し、訂正を申し入れることをしなかったのでしょうか?
「『ロッキング・オン・ジャパン』では原稿の内容を事前にチェックできませんでした。そういう約束で引き受けた僕も悪いのですが、事実と違うことを見出しにされ、まるで全部自分がやったことのように書かれていて、当時、すごく違和感を覚えました。ショックを受けました。後日、ライターの方(山崎洋一郎)に会った時、その違和感は伝えたと思うのですが、実際に訂正を要求することはしなかったです」
取材の後で、小山田は記事を書いた山崎とトークイベントに出演している。その時のやり取りが、ミニコミ誌『SPYS vol.2』(94年 SPRING)に残っている。小山田は「あの日の僕は、どうかしてた」「読んでもいいけど、あんまり信じないように(笑)」と語っている。
では、違和感があったのならば、なぜその翌年、『クイック・ジャパン』の取材を受けたのか。疑問が残る。それについて小山田はこう答えた。
「ライターの方(村上清)に当初、『イジメた相手との対談を』という依頼をされたのですが、最初は受けるべきではないと判断して断ったんです。でも何回か『協力してくれないか』とお願いされて、引き受けてしまったんです。間違って広まってしまった記事を修正したいという気持ちもあったと思います」
「友人と思っている」段ボールに閉じ込めて、黒板消しの粉を振りかけて…小山田圭吾が語る“後悔” へ続く
中原 一歩/ノンフィクション出版
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( 194194 ) 2024/07/24 14:52:17 0 00 ・言い訳にしか聞こえないし、聞き苦しいなあと思いました。 その場にいて明らかに悪質な行動を止めずに傍観していただけでも、間接的に協力していたようなもの。 他者を引き合いに出すのもとても言い訳がましく感じます。 悪いことをした・申し訳無い、とストレートに反省の言葉を言わないところに、人は不快さを感じているのではないでしょうか。
・「音楽を聴くのが好きなんですよ」とどこで語っていたが、小山田氏の作品は初期の頃から多彩で、ロックでありながら、映画音楽やラテンの影響などがあった。 当時は生意気キャラで、黒いスーツに髪を立てたヤンキーロックをバカにしたり、例のイジメ武勇伝話もしていた。 だが音楽を語る小山田氏は真面目で、トラットリアレーベルを立ち上げ、日本のみならず海外の同世代ミュージシャンを紹介したのは大きい。 ルイ フィリップのベスト盤なんて小山田氏じゃなきゃ出来なかっただろう。 コーネリアスの「point」は大傑作で2000年代のベストロックアルバムだと思う。 最近は上海でコンサートをしたようだが、いいかげんイジメ小山田でなく、ミュージシャン小山田圭吾の話を聞きたいものである。
・何か小山田氏が実質被害者であるかのような論調ですけど、現場にいて笑いながら観ていて、部分的には参加している時点でいじめられた側にはとても容認できる事ではないですね。 誇大に拡散・報道されて関係者や家族に精神的な危害が加えられた、という趣旨で書かれていますけど、それでは逃げ出す場所もなく、複数の嘲笑に晒されながら苦痛を受け続けた被害者はどうなるんでしょう。やった側が「小突いただけ。殴ってなんかいない。何を大げさな。」と笑いながら言っても後頭部に来る連続の痛みは踏みこたえられるものではないです、経験者として。そして泣きながらこらえれば「笑いながら」「更に加撃が来る」..... これと実質同じ状況でそばで笑っていた男が「ここまでやるのは酷すぎる」「『何の罪もない』知り合いや関係者・家人にまで危害が来た」と主張するのなら、苦しんでいた「回避する手段も無かった」相手に貴方は何をしたのか、と問いたい。
・若かりし頃の武勇伝として、軽い気持ちでしゃべったことを多少誇張して書かれてしまった、といったところでしょうか。 このインタビュー記事を見ても、全くの嘘を書かれた訳ではないので、強く否定出来なかったようにも聞こえます…。 昔の感覚と、今の時代の受け取り方のギャップを認識出来ていなかったように思えます。
・昔の雑誌は取材相手に原稿チェックなどさせなかった。新聞は今でもそうですね。音楽雑誌は90年代の半ばくらいからインタビュー記事の形をとった記事広告が増えて、事務所やレコード会社が原稿チェックをするようになりましたが、その結果、アーティスト側が都合よく原稿を改変するようになり、攻めた記事が載らなくなることで音楽雑誌はつまらなくなって行きました。
当該記事はそうなる前のものです。原稿チェックなどないのが当たり前だったし、事務所側の力も今ほど大きくなかったから、雑誌とは協力関係にあった。それを利用したり、逆に苦々しく思っていたアーティストもいたでしょう。ロキノンは「妄想インタビュー」のような創作記事を載せてしまう媒体であり、編集者の裁量で記事の方向性は大きく変わった。それが面白さでもあり、取材を受ける側もそれはわかっていたはず。そういう時代だったということです。現在と同じ感覚で見てはいけない。
・イジメじゃないけど私が高校生の頃、警察官の父親自慢ばかりでハッタリばかりかましてた同級生をバカにして弄っていたら、いつの間にか警察署長になっていた。 痩せててヒョロヒョロだったけど、今では立派な風格を漂わせている。 私は相変わらず乃木坂ファンで全財産をつぎ込んで特典付きCDを買いあさっています。
・編集者ですが、有名人のインタビュー原稿は、本人かマネージャーなど事務所のスタッフによるチェックがマストになっているはずです。もしロッキングオンが「先方確認なし」を提示したのであれば、結構な問題だと思う。それに今回の件についても「嘘の情報を流した」として小山田氏から訴訟を起こされても仕方ないのではと思うのですが、そういった動きはないようで。まあそういう内容をそのままで発売しちゃうロッキングオンもダメだと思う。元々扱うアーティストの選び方もセンス悪いし、ベンジーから怒られても仕方ない会社だと思うがどうだろう。とにかく小山田は真っ黒だと思う。もう二度とコイツが絡んだ楽曲は聴かない。もちろんロッキングオンもつまらないから読まない。
・90年代って、弱いやつをイジったり、馬鹿にしたり、いじめたりするのが面白い、かっこいいみたいな風潮あったよな。お笑いもパワハラ芸みたいの多かったし。
どちらかと言うと、やられる側だった私には、暗い青春時代だったよ。自分よりもっとひどい目にあった人もいたんだろうな。
やられた人は長いこと苦しむから、やった人は反省して、残りの人生は善行を積んでほしい。子どもがいるなら、子どもはそういう人間にならないよう、きちんと教育してほしい。
・話を大きくされたり面白おかしくアレンジされる事はよく有る事だと思います。ただもし事実と違う事が掲載され、その為に誹謗中傷等の被害を被ったとなれば、本人の名誉の為にも、いじめられたと書かれた人の為にも、出版社サイドを訴えるとか抗議するとか何らかの行動に出ないといけないと思います。
・まずは当該雑誌に対して再度、事実を客観的に話し、掲載するよう申し入れること。 当該雑誌を発行した出版社は、己の利益のみに拘泥せず、記事を掲載されたことにより名誉を傷つけられた人を回復させるとともに、読者に対して、改めてアーティストに対する正当な評価ができるように努力すべき。
何よりも、当事者たちが今一度「正しいこと」とは何かを模索し、誠実に行うことが重要であること。
・このいじめが、公立ではなく、障がいのある子とともに成長する「共同教育」を提唱している和光学園での出来事だということは、深刻だと思います。 そしてこの学園は障がい者を受け入れるにあたり、国から助成金をもらっています。 先生方は障害者教育のスペシャリストではない、にも関わらずです。 子どもがこちらの幼稚園を卒園しましたが、 状況は決して改善しているとは思えません。
・無難でもそういった話はしないという発想はなかったんだろうか。 時代が違うからモラルの問題が発生しかねないという意識が無いのかもしれんがそれでも第三者の視点で異常な光景を他者に話すというのは理解できない感覚。 当時は知らんが低俗さや悪いこと自慢をアピールしてた時代があったし芸能界やゴシップのモラルがその程度だったんだろうな。 イニシャルトーク系と似てて内輪しか盛り上がらんと思うが不思議な時代だ。
・例え上級生がやったとか、それが事実だとしても、今更過ぎて「じゃあ、しょうがないね」とはならないでしょうね
むしろ、今頃になって言い訳をするあたり、発言の内容を重大さを理解していなかったかなーと思ってしまう。もちろん過剰にバッシングする人も問題なんでしょうけど、結局をそれから身を守りたい、我が身可愛さの言い訳に思えて余計に見苦しく感じてしまう。
自分の発言で、気分が悪くなった人が大勢いたのだから、まずはそれを素直に認めて「不快な思いをさせて申し訳ありませんでした」と言った方が、まだ信用できると思います。
・他の方もコメントされてた様に反省の言葉を言わない事に私も違和感を感じているのかな。 本当にこの人の関わる音楽はほぼ好きだったし、ロッキングオンもたまに読んでいたけど、もうどちらにも完全に興味を失いました。 もう真実もどうでもいいのでこの記事も全部読む必要を感じない。有名人とか関係なくやり直しが効かない選択ってあるなとつくづく思います。
・山崎洋一郎がインタビュアーだったのか さもありなん 昔から障害に語弊を招くライナーノーツ(モリッシーを自閉症と称する等)書いてたな 彼がロッキング・オン本誌の編集長になってからか知らんが優秀なライターが次々に退職して内容も悪くなり読むのも止めた 落ち目の雑誌社をイベント会社として成功させ今は社長になってるくらいだから会社員としては優秀なんだろう
・胡散臭い気もするけど、この記事が事実なら、今からでも雑誌社を訴えたら? いろいろあった東京オリンピックだけど、そのなかで音楽担当とはそれなりの名誉でしょう。 かなりの被害を被ったわけだし、野放しにしておくと、他のミュージシャンにも誇張記事を書かれることがあるかもよ?
・小山田さんの行動を肯定する訳でも擁護する訳でもありませんが、確かに数十年前の学校ではそこかしこで苛烈な虐め行為がありました。生徒どころか先生も完全に黙殺、卒業文集に被害者がイジメについて文章を書いてそのまま掲載されるある意味異常な空間でした。虐めを見ても何もしなかった、出来なかった私を含めた学校全体が加害者なんだろうなと今は思います。
・数年前に、某雑誌の取材を受けたことがあります。 取材側はキャラ付けをしたいのか、本来話したことと言葉はかすっていても、意図とは全く違う言っていないこと、そうは考えていないことを書かれました。 原稿のチェックを条件にしていたので、助かりました。 原稿の半分くらいを赤ペンで直して(原稿を渡されたその日の内に訂正あれば申請をとのことでした。)、何とか訂正したものを出版となりましたが、メディアって油断出来ないなと思う一件でした。
・自分がやってないこともやったように話した。武勇伝的に、そういう事をやった側として脚色していたという事かな。
どうであれ、やった側でいることを良いこと、格好良いとか強いとか、そういう風に考え自分を演出したそのマインドは批判の対象になるでしょうね。 今はまだ批判されるスパイラルにいるので、何を言っても逆効果だと思うけど、違うなら違うとだけは言っておくのはアリだと思う。
・「上級生がやったこと」と言うけれど、それをただ傍観していただけで何もしなかったのなら加害者と同じだと思います。たとえ過去のでき事だったとしてもやったことは消えないんです。当時の未熟な自分を振り返り、今猛烈に反省することはできると思うけど、それとこれとはまた別の話なので…。やったことは消えません。今回の人生ではその事を一生忘れず、十字架を背負って生きて行く事になるのではないでしょうか。炎上したことで家族にまで影響が及んでしまったことは気の毒だと思うけど、「身から出た錆」とした言いようがないですよね。いじめられた被害者だって当時はご家族に相談していたかもしれない。我が子がいじめに遭ってるなんて知ったご家族の心情を思うと、少なくとも五輪の仕事が流れたことや自宅に帰れない日々が続いたり殺害予告を受けたそのスケールレベルでお相手を苦しめていたということだと思います。
・新刊本の販促記事だが、4本に分けられていて、小山田氏のインタビュー部分しか紹介されていない。同級生、大会関係者などの話は本を買って読め、ということらしい。 90年代のイジメを武勇伝的に報じる風潮に巻き込まれた面はあるだろうが、中身は改めてえぐい内容だ。小山田氏が行ったのは何でも食べる小学生時代の知人と、知的障害があったらしい友人へのイジメのようだ。しかし記事で一番以外だったのはマネジャーが東京五輪前の炎上まで、そうした経験がなかったということ。記事についてはずっと前からネットの一部では問題視されていたのに本人も事務所も気づいていなかったらしい。世間がイジメが武勇伝でなくなった後も、放置していたことが問題だったのでは。
・インタビューの掲載された雑誌は、音楽関連のメジャー誌であり相当な影響力があり、1995年当時の号(紙面)がずっと残ることも確実視されたと思います。SNS時代のデジタルタトゥーとも決定的に異なり、「活字文化」の証拠物件になるわけですから。
掲載された内容と事実関係が異なるのであれば、1995-2020年の長い時間の中で、自分自身の強い意志で、事実を社会にむけて発信する必要があったと思う。もしその行動が誠実で真摯なものであれば、世論は変わっていたでしょう。また、そうするうことがプロのミュージシャンとしての社会的責任の一部ではないかと思います。
職をおろされた「被害者」となって語る、というのは本来期待される行動のあり方とは異なるのではないでしょうか。
・記者が書いたのか実際そうだったのか分からないが、学生時代の「思い出」を語る「」の中で、明らかに他人を不快にさせる行為の後にある「(笑)」。 これだけで「いじめる側」は「そのつもりがなく」、「いじめと認識しておらず」、「時が経っても反省することはない」という「ネットで語られるいじめっ子」像は間違ってないんだな、と思わせる。
確かにこの人には才能がある。いじめっ子とはこうだ、と万人が理解できることって、なかなかない。でもこの人を見てるといじめっ子も「俺はいじめっ子なのかも」と気づけそうだから。 いじめられた事を言う有名人や著名人はいるが、いじめたことを言う有名人や著名人はいない。これからも「いじめてました」と言葉にしないで周りに伝え続けてほしいと思うくらい。
・たとえ友人でもいいから、現場にいた第三者の話を添えないとな~ 当時の価値観からこれくらい言った方が面白くて話題になるって話はありえるが、本人がいくら事実は違うと話してもだめだろう。時間もあっただろうに。
とにかく信頼関係が構築されていないメディアと接する時は、意図しない公開のされ方をされないステップを契約時に入れるしかないと最近は思ってる。
・フリッパーズ解散以降は小山田はマニアックな音楽好きに認知されるメジャーからは距離を置いた存在だったので大丈夫だったが、この問題はずっと燻り続けていた でも、藪を突いて蛇が出るのを恐れたのか、自ら積極的なリアクションを起こさないままでいた 2ちゃんねるでは定期的に彼の話題が出ると書かれていたし、ググった時もサジェストで出て来るほどだった 五輪前に改めて謝罪をしたとしても同様に炎上はしていた可能性も高いので難しいところだが、やはりやっておいた方が良かったかもしれない もしくは五輪のような大きな仕事を受けるべきではなかった 自業自得な面があるとは言え、こうならないように出来るチャンスはあったと思う 今は反省の日々だろうけど、METAFIVEのアルバム発売やLIVEが中止になり、高橋幸宏の最晩年にキズをつけてしまったことは特に後悔しているかもね
・今からすると異常な時代だった。イジメは日常で武勇伝。虐められる方も悪いという論調も当たり前にあった。記事は虚実混ぜながら軽く語った内容で、しかも音楽誌という一般の人はあまり目にしない雑誌で校正や訂正も求めなかったんだろう。 そしてヤンキーの時代も終わっていて、金持ち知的いじめっ子の方が幅を効かせるようになっていた。ジャイアンよりもスネ夫が勝ち組。 小山田は親が芸能人で相方だったオザケンも東大卒の超エリート一家。才能豊かで知識も口も達者。いけすかない代表のような人物だった。でもあくまで音楽やサブカルの人という枠組みのなかで活躍する人で、人となりまでは一般の人の耳にまでは届かなかった。 そんな中でオリンピックに関わることとなり、ただでさえ批判の多いビッグイベントでいろんな人の過去が掘り起こされてヘイトの標的となった。 やったことは悪い。ただあまりに遠回りな終着。
・加害者側の本人が言ってる事。事実かどうかはわからない。いずれにせよその場にいて面白おかしくやってたわけですよね。行為だけを取り上げてその行為は自分がやったやらないとか関係ないのでは?イジメに加担してた事は確かな事ですよね。 「イジメ」は暴行罪、侮辱罪他、色々な罪を含む確実に「犯罪行為」。世の中はもっとイジメという物には厳しくて良いと思う。本当はしっかりと裁かれて然るべき物だと思う。
・外タレがホテルの窓からブラウン管テレビを放り投げたとか、どんちゃん騒ぎを行ったとか、有名アーティストの奇行が話題になるし、日本のアーティストだってこのくらいのヤンチャエピソードがあると書きたかったのだろうと思う。本人に確認してひどいイジメはあったのかを聞く前に被害者や目撃者の証言を取ってからインタビューするくらいの手間をかけて欲しい。
・実際にした行為以上のことをしたように書かれたなら気の毒ではある。しかし、いじめに加担したことは間違いないのだろうからイメージの悪化とそれによる仕事への影響は受け入れるしかないだろう。 後はいじめ被害者と小山田氏の問題。
世間の人間は「イメージが悪いから顔も見たくないし音楽も聞きたくない」と言う自由はあるが、被害者でもないのに子供の頃の行為で責め立てるのは良くないと思う。いじめ加害者ならいじめても良いわけではない。
・当事者同士が和解したり、理解しあったり、赦しを共有したり受け入れ合えない状態で第三者にアレコレ語っても無意味な気がするし、当事者の相手側としては正当に受け入れられない状況は続くと思う。
仮に悔いていたり、反省していたりするならば当人同士で和解するチャンスは作れるのこも?とは思います。 被害者側の気持ち次第だとはおもうけれども… 伝聞で入る情報は当事者を不快にさせる事が多い。なので、当事者こそが大切な気がします。
・この記事自体はインタビューの一部とあり、記事の主旨は事実を小山田さんの視点で語ることに終始している内容。
この記事だけで被害者への謝罪の言葉や気持ちが語られていないという指摘は、インタビュー全体を捉えられない私たちには、軽率なコメントなのではなかろうか。また、このような記事だけで小山田さんの全体を評価するべきではないと私は考える。
反省し被害者への謝罪の気持ちを持ち、同じことを当然繰り返さず、これからを歩んでいただくことしかできないと思う。
それでも被害者の方々の傷は消えないし、癒されない。それは残念だし、悲しいこと。今を生きる私たち大人はやはりこのようなことを自身が繰り返さない、繰り返されることのな世界をどう作るか、考え行動し続けるだけなのではないか。
そんなコメント欄になればよいなとは思う。
・傍観者も加害者と同じ、と書いてる方が多いけどさすがに同じではないと思う。被害者の方が思っていただろう殴られたくないといった気持ちや怖いという気持ちを傍観者だってきっと持ってる。悪くない、と言ってるのではなく比べたら加害者が一番悪い。 時代の空気が明らかに違ったので…たとえばかつての万引き自慢が時を経て掘り起こされ大問題に発展して、反省しつつも内心「他の奴だってやってたのに」とどこかでは思ってる、そんな感じなんじゃないかなと思う。似たようなことをした人のほとんどは小山田は運が悪いと見るだろうけど、本当は罰されずに済んだ人が運が良かっただけ。 いじめはやられた人は大人になってもずっと苦しむから軽い気持ちだったはやっぱり通らないと思う。世の中には色んな現実があって、ただとはいえそれをどうにかいじめに繋がらないようにする工夫が必要だと思うが、正直全く機能してない。
・本人の説明は必要だとは思うが、否定をするのであれば、今となっては本人説明だけでは不足なのでは。 多くの人に信じて貰うには、第三者や行為の対象者に擁護をして貰うしかないように感じる。
この件において怖いのは、誹謗中傷や殺害予告などはいついかなる時であっても誰が相手でも行ってはならないのは明らかなのだが、広まってしまった「記事に記載されていたいじめの内容」があまりにも酷すぎた為、「いじめられていた人間は責める権利がある」などという風潮になっている。
当然だが、そんな権利は法的にも社会的にも認められてはいない。 それらは、訴えられるというリスクがある行為だという事を理解しておいた方がいい。
・結局被害者とされる側があれは事実ではない、小山田は悪いやつではないと証言に出てこないかぎりはあまり火消しの効果はないんだろうなと思う。 メディアは褒める時にも拡声器として、単に歌がうまいだけスポーツが出来るだけでも、まるで聖人であるかのように信者を作るが、反対に悪い面を伝える際にも拡声器の役割を果たして、何かを批判したい人々を一気におびき寄せて批判が集中する。どちらの面において流石にそこまでは行き過ぎだろうという状態まで行く。
・ずっと気になっているのはこの記事含めて被害者や同級生へ取材をした記事が無いことだ。いじめがあった時に教育委員会が学校に聞き取り調査しても正しい情報が得られないように、加害者側は刑事事件にされたくないからできるだけやったことを過小に話す可能性は高い。 にも関わらず裏取りもせず小山田氏の発言を鵜呑みにするような記事を出すことに意味はあるのだろうか? まず必要なのは当時の同級生の声ではないのか?文春もマスコミを名乗るならまず足で稼いで取材することが先だと思う。これでは小山田氏に便宜を図ってイメージ回復の片棒担いでるのと変わらない。
・いじめ記事の内容はあまりに酷く、しかもドヤっていて人間性を疑った。昔のことだからという感覚で話すのも相手の心情を全く無視してるよね。イキって多少は誇張したかもしれないし、記事も大袈裟に書かれたかもしれない。でもしたことには変わりはなく、そういう人物がオリパラに関わるのは相応しくないって判断は正常だと思う。 そこから一斉に世間から叩かれ炎上したのは現代の怖さだけど、自分のしたことが招いたこと。周囲に迷惑をかけて申し訳ないと詫びるしかないんじゃないかな。もし自分が被害者だと思うなら、かつてのいじめ被害者の心情を想像して欲しい。進んで人に地獄に合わせておいて何が言えるのかなと思う。 デザインあ、すごく好きだったので本当にがっかりした。
・いじめを目撃した第三者が通報できる環境が整っているかどうかが、いじめの早期発見早期対処をするうえで重要なポイントの1つだと思う。
今の学校ではいじめの通報環境の整備や生徒への指導などはしているのだろうか?
・実際に酷いイジメをやってたかどうかも大事なポイントではあるけど、その事実があったにせよなかったにせよいい大人になってその事を公の媒体で自慢気に語るという人間性に多くの人は拒否反応を示したんだと思うよ。 オリンピックの担当を降ろされたのは当然だと思う。 こういう人に日本の代表としての仕事は任せたくない。 ただ個人として活動する分には自由にすれば良いとは思うけどね。
・いじめをした事は勿論、人を助けなかった、問題を放置したなども、とても語るべきものではないですよね。 いじめが発生すると強制的に当事者になって、いじめの首謀者じゃなくても傍観者も同罪とか言われて、報告するとチクり、止めると生意気とか言われて次のターゲットにされたり大変ですから、何事も関係ないから黙ってろとは言えないかもしれません。 軽々しく語るだけでもモラルの無い認識のおかしい人なのにそれを武勇伝のように語るならおかしすぎですよね。 冤罪ならいじめを放置しないのと同じように、問題を放置しない方が周りを安心させ被害にあってる人に間違った事に負けるなとメッセージになって良さそう。
・私は凄く分かる。 こういうことを言いがちな自分がある。
露悪的であること。 照れ隠しや、他と違うこと、 アーティスト気質。みたいなフィルターを 常に纏っていたい時期がある。
小山田さんを責めたい人って いるのも理解できる。 いじめは絶対あってはならないし、 有って良いという意味合いの発信も 許されないのもその通りだ。
時代が変わった。だとしたら これからこの様な事案をどう扱うか? の議論をして欲しい。
・今現在『若い人』に願う。 人生は 思うより長いです。悲喜交々色んな事があります。 新宿や渋谷のハロウィンや 車の免許を取ったばかりの飲酒・暴走運転で自身だけでなく同乗者の怪我・死亡事故…これから来る長〜い一生をその後悔と取り返せない事実を背負って生きるんです 刑務所に入ろうが入るまいが。 ある一瞬…「やっぱやめとこう」と判断出来ればいいんです。仲間に煽られても「ぃや 自分はやめとくわ」って言える勇気を出して。 最悪な事態が起きたら 自分だけでなく友達や家族まで巻き込まれるんです。 善悪はある程度判っている筈なので どうか一瞬の判断を誤らないで欲しい。それでも煽ってくるのは仲間ではないです。あなただけに責任を負わせようとしてるだけです。 どうか穏便な一生を送れます様に……。
・当時20歳でした、ロキノンのこの記事を読んだ記憶がありますが、身内のノリの武勇伝という感じでした、時代もそのようなノリを許容していたのも事実でした、風向きが変わってきたのは2000年以降の某掲示板でした、「小山田の悪行を許さない」と言ったスレが定期的に立ち、その内容とアスキーアートで定期的に燃え上がるのを繰り返していましたね、そもそもの記事を知っている私も「あ、あれかー」位には思い起こしながら見てました、私はオザケンや小山田圭吾は好きではありませんでしたが、時代的にはそういうノリは許されていた事が、彼はギリギリ「デジタルタトゥー」の残されたと感じましたね、恐らく時代の先端を行っていた彼に対して、どちらかというと「取り残された僕ら」の掲示板を使った「絶許(絶対に許さない)」リベンジだったと思います、勿論やったことは「サイテーやな小山田」ですけどね
・この時代のこの世代の人ってこういう話を競って「うわ、悪趣味〜、それもはや犯罪じゃん〜」みたいなトークで笑う雰囲気あるけど、今は全くそんな風潮はなくて「何それ普通に犯罪じゃん、全然笑えないんだけど。」となる。こういういじめ、この世代の人は大なり小なり目撃したり体験したりしてると思うけど、発言が魚拓になって残っているだけに小山田氏にとっては激しい逆風になったという感じですね。今の世の中だったら絶対あんなこと言わないのにと悔やんでも悔やみきれないでしょうけどもうどうしようもない。
・違うならば、早々に訂正しないといけないような内容だよね。 記事が出た当時、そういうイキった内容がウケる時代だったのかもしれないが、人間としてはどの時代だろうとどうかしてるよという印象の内容。 自分の名誉に関わるのだし実際仕事も多く失っただろうし子ども向けやオリンピックという世界に注目される依頼もあったのに。子ども向けのものはとても惜しまれてましたね。 今の時代は特に、どんなに作品が優れていてもやはりある程度の人柄は求められるだろう。清廉潔白品行方正とまでいかずとも、限度はあるだろう。 今更「炎上被害者」と、何もしてないのに被害に遭ったみたいな顔されても、炎上の内容を考えたらそりゃ反感も炎上もするでしょう、としか思わない。
・少年期に目撃したり黙認したり、まして加担したりしたいじめに関しては、大人になると飲み会の席でも語らなくなる。それは反省や後ろめたさがそうさせるのだけど、この場合は書店に並ぶ雑誌の取材で面白おかしく語った結果。
言い訳するには遅すぎる。記事の訂正じゃなくて人間性の回復を訴えるべき。
・いじめた側が何を語ったとしても加害者の立場でしかないので、被害者がどう思っているかとかは無関係で、今の思いを知らせることは自己満足とか欺瞞と思われても仕方がない 加害者は何も語らずに、被害者から申し出があった時に謙虚に受け止めたり謝罪をするしかないと思う
子供って無邪気であるだけでなく残酷で惨くて加減を知らない 自分が立場が上で強いと思うと立場の下だと思う人間に対して容赦のなく人格否定をする 自分がやった人格否定の重みがわからないうちは、何も語るべきではないし反省も謝罪も何の説得力も持たない 加害者が記憶している事実と被害者が記憶している事実って一致するわけではないので、加害者が本当のことを言っているつもりが記憶の改竄があったりする 弁明をすることは自己保身と思われても仕方がないので、これ以上自分から発信しない方が賢明だと思う
・あの頃フリッパーを聞いていた世代の感覚でいえば、言い訳じみたことは言わない方が身のためだと思う。 当時、彼らは新進気鋭のグループとして登場し、特にオザケンとのデュオになってからはちょっと滑降はお上品だけどどこか暴力的な匂いのする若者としてプロモートされていた。そんな中で調子に乗って嘘をついちゃいました、あるいはライターに脚色されてしまいましたといったところじゃないかね。 当時の粗っぽさが許容された時代と、今の多様性尊重コンプラ優先の時代とでは人々の受け止めが根本的に違う。 そこを飛び越えて過去の行いあるいは誇張記事が問題にされるという現在特有の遡り批評。これに対して「実はやってない」と言い訳するより、当時はそういう時代で調子の乗って嘘ついちゃいました。ごめんなさいと言ってしまった方が潔さを感じるけどな。
・事実と異なる部分があったり誇張された部分があるにしても、昔のやんちゃ話を武勇伝のように語ったのではないでしょうか?もしそうならその時点でアウトだと思います。些細なイジメでもやられた方は忘れませんがイジメた方は忘れてしまうので加害者と被害者の溝がなかなか埋まらないことが多いです。
・私が彼なら、この話にはもう触れない。 被害者はこの話が出るたびに嫌な過去を思い出すことになる。
小山田氏は好きな時に好きなメディアで好きなことを言える立場にあるが、 被害者はそれを見て発信することはできない。 話が本当でも嘘でも、ただ小山田氏の話を聞かされることになる。 発信すれば取材が押し寄せ世間からバッシングを受ける。 大人になってまで過去のいじめ被害をほじくり返されるなんて屈辱を味わいたくは無かろう。実質的にいじめが再燃している。
・小山田圭吾も山崎洋一郎も、こうした反社会的かつ非人道的記事を出版したという事実をもって、罪深いことをしたと言わざるを得ない。
もし、事実と異なるのであれば、直ちに訂正記事を出さなければいけないし、訂正記事を出さないことがどういう事態を惹起するのか、頭の中で想像しなければならなかった。
結局、訂正記事を出さなかった事が全てを物語っている。
小山田圭吾も山崎洋一郎も、こういう反社会的なことや非人道的な事に関わっていても気にも止めない人物であったという事に過ぎない。
音楽的な才能がある、ないに関わらず、鼻持ちならない人間であるということを示しているに過ぎない。社会的評価が下がるのは当然である。
・人は変わるのは難しいですね
主犯かそうじゃないか、被害者の意識はそんなに変わりない。
明らか単独犯と周りで一緒に行動しているかでは天と地と差があります。
理解できない人たちは被害経験者じゃないか、思いやる気持ちより自分本位だからでしょう。
・この時代の中学高校では当たり前の光景だった。 現在の様に発達障害の子が別クラスになっているわけでもなかったので同じクラスに1人2人は変わり者扱いな人がいた。 人によってはそれをイジめ、人によってはそれを見て見ぬふり、人によってはそれを笑って見ている。 怖い話だけどそんな時代だった。 ここで小山田氏を断罪する方々はきっとそんなイジメがあったら立ち上がりイジメを止め、間違っても自分が加害者になることも無ければ見て見ぬふりなんかしない素晴らしい人格者なのでしょう。
・どんな言い訳が待ってるのだろうと記事を読んだけど意外とかわいそうに見える。勤務先の社長がよく新聞、雑誌のインタビューに答えるけど言ってないことを書かれて修正が入ることが多々あるらしい。 修正しなくても会社には影響なく出版社側も面白おかしくしたり誇張したりする意図はなく記事として書き起こす作業自体が結構難しいらしい。
・いじめられた経験があります。やはり当時受けたいじめは今でもトラウマとして残っています。前回の騒動でいじめられた被害者はトラウマを呼び起こされたでしょうし今回もまた呼び起こされたでしょう。…要するに言い訳するためにいちいち出てこなくていい。
・小山田氏が墓穴を掘ったことで、実際にいじめられた人は、ほんの少しだけ溜飲が下がったのでは? もし彼が何も言わなければ、こういう下劣な人が何食わぬ顔で生きていくことになる。その意味で、いじめられた経験のある人が少しでも救われたらいいし、いじめの抑止力になればいい。 もう小山田氏が何を言い訳しても、いじめた事実は変わらない。音楽への支持者はいるだろうが、人間として尊敬されることはないだろう。
・和光出身です。 この学校には特別学級がありません。 障がい者も隣の席になります。 そんな中イジメはありました。 子供は残酷なので身体的優劣により自分より劣ったと思う人をイジメてしまう事はあります。 しかし先生達が目を光らせ、イジメを見つけたら何時間でも話し合います。 何度か同じような事があっても次第にイジメる事が悪い事だとほとんどの子は悟ります。 それでもイジメを辞めない子供は私立なので退学処分となります。 自分が居た頃も先輩や後輩が退学になりました。 そして先生との話し合いを乗り越えた子は障がい者の子といつの間にか仲良くなっていました。 公立校の特別学級のように臭い物に蓋をする教育より、実生活の中で障がい者とどう向き合うのかを身につけられる教育だったと小山田さんの件で改めて思いました。
・まずは、イジメが許されるものではないのを大前提として。 クイックジャパン、ロッキンオンジャパンなどのメディアに編集に問題はなかったのだろうか?当時の時代背景とともに検証して行くしかないと思う。ヤフコメは小山田氏言い訳じみてる、許すべからずの批判が多いが、メディアは衝撃的なトピックがほしいため、内容を煽る傾向があるのも事実。今、凡庸なネット記事など見ててもわかる。特にネット前夜の90年代、いわゆるサブカル周辺での醜悪記事は多かった。事実関係とインタビューなどを照らし合わせた真実を知りたい。メディアが仕掛けた炎上にただ正義感で石を投げる前に一度立ち止まって考えるべき。それこそ無意識な弱者イジメだ。
・過去の発言は取り消せませんが、それについてすぐに説明したり否定、または謝罪する事はいくらでも出来ます。けれどそれをしなかった、ということが致命的だったと思います。当時のインタビューからかなり長い時間が経っているのに、です。
きっと、若気の至りで必要以上に盛ってしまうこと自体は良くあることなのだと思います。 ましてやこの方は逮捕されたり訴えられたりしたわけでもなく、全て自身の言葉のみ。いくらでも訂正はできたはずです。教育テレビやオリンピックの仕事が決まったのなら尚更です。だからこそずっとその事を後悔していた人の行動にはどうしても見えません。 おそらく自分でも過去に発言をしたことを忘れていたのだと思います。きっとこれ程の騒動になる内容だとも思ってはいなかったからです。 事実であろうと無かろうと、これ程ひどい内容を話してしまったことを忘れられる神経も炎上に繋がった原因のひとつだと思います。
・すごく気分の悪い内容の記事。 事実であれ嘘であれこういった話のネタが出てくる人である時点で関わるべき人ではない。 この人がどれだけ悔いようが反省しようがそらはそれ。 学生時代のその被害にあった当事者は「この人が言う事実や嘘は関係なく被害者の事実」を今も一生抱えていっていることが紛れもない真実。 学生の頃は親にも家族にも言えず、もしかしたら自分が新しい家庭を築いていて妻や子どもたちに隠して生きているかもしれない。 名の知れた有名人なら良いも悪いもこうして発信できる。 しかし多くの一般人側は身バレしないか、隠して生きてきたことが表沙汰にならないか怯えていませんか?そっとしといてくれって思っていないだろか。 この人がどれだけ釈明と言い訳を発信したとしても何も変わらない。 本当に嘘を書かれたのであれば書いた側と戦ってみたらどうだろう。 そこで初めて事実が嘘かがはっきりするだろう。
・会社の上司が世間話の中で全く聞いてもいないのに過去のイジメを武勇伝のように語ってバカかコイツと思ってたらイジメられていた人が偶然たまたま入社してきて驚きと共に笑えました。 いい歳こいてイジメることはもちろん邪険にも扱えず対応に苦慮していたようでしたが結局上手くいかずイジメられていた人は辞めていきましたが上司の部下たちによる社内評価は下がりました。 因果応報だと強く感じた出来事でした。
・その年上の同級生がやばいのはわかりますが なぜ、複数人いて止める事が出来なかったのか? 自分が次の標的になるから嫌だったのか? など思うし、自分がその時無力で傍観するしかなかったので あれば、何で雑誌のインタビューでそんな話を 武勇伝の様に言ったのか(武勇伝にないにしろ) 読み手はその虐めの主犯格としか思わないでしょうし よくわかりませんね。 ただ、当時の小山田さんなら、私でもワンパンで倒せそうな 感じがします。小山田さんが発案してその子分(金でも渡したか?)がぐるぐる巻きにしたりしたのじゃないかと思っちゃいますし、兎に角ドン引きですね。(事実かはわかりませんが) 真相はわかりませんが、一度悪いイメージがついてしまったらもうどうにもならないと思います。
・かつて、フリッパーズギターのファンだったものとしては心が痛むけど、ほぼ黒なんだろうなと思います。 百歩譲れば、まだ学生時代で世の中のことや物事の分別がついておらず、悪ノリでやった事なのかもしれないけど、それを武勇伝のように語るのはおかしいし、きちんと非を認めないことにこの人の人間性が垣間見えてしまいます。どんなに才能があっても、最終的には人間力がないと淘汰されて行きますね。
・コーネリアスの音楽は最高にかっこよくてセンス溢れるものばかりですので、東京オリンピックでどんな披露をしてくれるのかと楽しみにしていたのですが、炎上騒動で無くなって本当に残念でした。
まあふたを開けてみたら、スクエニの音楽メドレーも最高でしたが(笑) (ニーアレプリカントの音楽をコロナ禍で流してくれたのは最高に響きました)
・誤報だろうがなんだろうが、少なくともパラリンピックの音楽担当の話が出ていた時は「過去に酷いいじめを行っていた」と再報道されていたから、クレームがついて音楽担当を降ろされたというのまでは理解できるけど、 同時期に小山田氏が音楽担当をやっていた番組に対しても急に文句をつけ始めて、番組を終わりに追い込んだ(小山田氏の仕事を奪った)人達は何だったんだろう? 多勢に無勢で小山田氏を攻撃して、それこそ度を超えたイジメだったように思う
・イジメの傍観者になったことがありますが、何もできなかった苦い思い出ですので、親しい友人にすらペラペラ話すようなことはしません。 私のような感覚を持っている人が多いから、この件が炎上したのではないでしょうか???
小山田さんが雑誌でこういった内容をペラペラ話せること自体に違和感を感じている人が多いのだと思います。 小山田さん自身がいじめの首謀者だったかどうかは関係ない話です。
・元先輩の話が本当だとしても、 その場で先生等に伝えるなどしていないのであれば加担していたと言われても仕方がない状況。 ただ、人は少なからず強い力に負けて何もできないということはあるかもしれない。でもその場で何もできなかったのなら、 墓場まで持っていくか、後に明かすのならハッキリと説明の上で謝罪するかのどちらかではないか? 小学生の時の話も含めて、なぜ英雄譚の一つのような形で話したのだろう?
・騒動を初めて知ったけど 被害者以外のいじめの体験談だけで少なくとも火が付く案件 そして本当に記事の内容が誤りで迷惑を被っているなら法的に訴えるべき そして不快感を与えてしまったのだからしっかりと謝罪の言葉を伝えるべき
火の付く案件受けて炎上して消化活動しないなら自業自得で燃え続けてるとしか言えないかな
・違和感しかないインタビューです。 言い訳にしか感じない。
もし、自身が関わっていなかったにしても、それを自身の武勇伝のように話す時点で人間性を疑います。 「ロッキンオン」の記事中のイジメの内容については、これからのエンタメのあり方の例えとして、嬉々として話されている様子でしたよね。 それを、当時の取材で無理やり言わされたかのような…
確かに、人はみんな墓場まで持っていかなくてはならない様な悪事や記憶を一つは犯してしまいます。 しかし、そういうものは自分の中に収めて、戒めなどにすべき事です。
・フリッパーズギターのころから好きでみてきた自分としては、 小中学生の時は昭和で、暴走族全盛期で、悪いことがカッコいいと もてはやされた時代でした。不良がモテた時代というのかな。 芸能人とかも彼と仲が良かったミュージシャンも 本当か嘘か分からない悪の伝説を持ってて、 憧れていたのでは?当時はどんな真面目な人も、俺って若い時悪だったんだよ 自慢が盛んな時代でしたし。 本人も話していたけど、性格的に教室の隅で、悪いメンバーの 行為を冷ややかに見てる雰囲気だったし。付き合う友達も、 小沢健二くんとね、優等生だし。あまり笑わない、ニヒル、回答が適当。 不良とは、タイプは違いましたよね。 付き合ってる友達とか知ると、よく分かるはずですが。 適当な感じの受け答えが、こうなってしまったのでは?と思ってます。
・本当にどこまで加担していたのかって点に記事の内容と相違があったとしても 「いじめ」と客観的にも本人の認識の上でも判断されるような行為に関わっていたこと、また、それが報道されたときの初期の対応を見ても「いじめ」というものに対して軽く考えてる、さらにいえば、行う側がちょっとカッコいいとでも思っているのかという価値観が垣間見える。
すぐに謝罪しなかったし、このインタビューでも謝罪よりも言い訳が目立つ点から、あまり擁護できないなという感想です。
・少なくともそう言う話を笑い話としてしちゃってるからねぇ。
事実なんて当事者以外何も分からないから、曖昧なこと言っちゃうと、後から訂正しようが何しようが言い訳がましく聞こえてしまうのは確か。
日常的に虐めていたのであれば覚えてない可能性もあるところを、これだけ覚えているのは日常的ではなかった可能性もあると思うけど、面白い事は割と覚えていたりするから面白がっていたのだろうなとは思うよね。
とりあえず、そう言う話を面白がって話してしまう辺りに人間性が出てるのかなと感じてしまう。
・学校、学生時代って特に難しいよね。 小山田さんを庇うつもりは無いけど、人間関係一番ストレスあったかもしれない 私は実際やる方もやられる方も経験している やられる方に関してはおじさんになった今でも結構鮮明に記憶に残っている 俯瞰してみたら些細な出来事よ でも当時の自分にしてみたらかなり嫌だったんだろうね。それだけ心の奥底に記憶として刻まれている。
その一方で いつも隣にいる〇〇君に
・この記事と当時の記事、印象が違いすぎて、コメントのしようがない、というのが正直な感想。 今回の記事が事実と近いのであれば、責めるべきは起用したクライアント側で、個人やその家族をバッシングするべき事案ではなかったということになるし、周囲に炎上事案に詳しいスタッフ関係者がいなかった悲劇、ということになると思う。 昔の学校のいじめの横行も、オリンピック時のバッシングもどちらも異様な空気だったと思う。
・どの学校、時代でも似た類の光景はと思う。「からかい」と言う名のいじめを見た事も参加してしまった事もある。 自分は一般人なので誰に謝罪も必要ない。小山田氏は有名人だから標的になったが、思い当たる節がある人は沢山いると思う。1人の人間と考えたら謝罪して反省してそれを発信しているのだからそれ以上の事は出来ないと思う。その事に事誹謗中傷する人はではどうしたら良いのかが無い。 人は過ちを犯してしまうもの。それを認め反省し生きて行くのは誰も否定は出来ないと思う。
・若い人は想像もつかないでしょうけど、 いじめ全盛時代でしたから、武勇伝として話を盛るのは普通にありましたね まして、誤った内容が掲載されてても、メディアはなかなか訂正してくれないし、 訂正も次の号に小さく表示されるだけだから、 あまり意味ないですし。
自分も広報発表の内容と全然違う新聞記事になったことがあり、 記事の修正をお願いしたことがありますが、 とにかく一度出ちゃうとどうしようもないです。
当時のライターの方、山崎さんでしたか、 確か面白おかしく編集する人で有名でしたし、 これについては同情します
ただ、今回の騒動で仕事やご家族、友人の方への迷惑はもちろん、 当時通われていた和光学園さんへの影響も大きかったので、 それはつぐなってもらわないといけないですね
・小山田さんの20年以上前の記事が当初拡散されたのは2chが流行ってた頃で多分10年以上も前 当時は知っている人だけが知っている人でありその話題であり大きな社会問題ともなりませんでした それがオリンピックの開会式絡みで一気にSNS拡散され小山田さんを誰だかも分からない人が20年以上も前の記事で憎しみの炎を燃やすわけなので改めてSNS社会の火力の凄さを思い知らされました その要因の1つとして当初の記事がサブカルの負の側面ともいうべき不良自慢的な文化を背景としたものであり当時の空気感を知らない、ある種その時代と共犯関係のないピュアな報われない人達の心に火をつけた点が挙げられ、特に当事者間でその後トラブルが起きていなかったにもかかわらず憤怒ポルノとして消費されてしまったように思います なので小山田さんとしては許す気のない人達に今更何を言っても仕方なく無意味なインタビューなのかなと思います
・後出しジャンケンだなぁ。 それに火のないとこに煙は立たないよ。 無理やり焚き火する輩もいるけど、本当に根も葉もなかったらその後の対応でだいたいわかるんだよね。 この人の対応は仮にその一件に多少脚色があったとしても、強く否定できないだけの後ろめたいことがあったんだろうって感じてました。 言い訳の内容ついても無関係っぽい言い草ですけど、いくら留年生でも全くつるんでもいない人のところには来ないし、唐突にその時だけ適当に選んだ人をイジメ始めるとは思えない。 慢性的にいじめの空気があるグループに所属してたんだろうって思いましたね。
・どれだけ取り繕ってみたとしても、一度やってしまった事実は消えはしません。 人はやらかします。必ず誰しもが何らかのやらかしを行います。 だからこそ、そのやらかしへの向き合い方が大切なのだと思います。 悔いて反省するのであれば、その弁だけで十分であり余りあーでも無いこーでも無いと雄弁になる必要はないのだと思います。
・もし、同級生が犬のフンを手に取ってしまうようなことがあったなら止めてあげるべきだし、できなかったなら、いい大人となった時に面白可笑しく盛った話をするべきでもなかった。 私がその現場を見て本人にも誰にも言えなかったなら、大人になっても言えないし心にずっと後悔として残ると思います。 子供の時、雑誌のインタビューで話した時、全く謝罪もなく私は辛かったんですと言うのは残念です。
・障害がある同級生からもらった年賀状を、この人がその同級生をバカにした内容のコメントとともに勝手に雑誌に掲載したって件もあったと思うんだけど。 本当なら、この人わざわざ家から年賀状探して雑誌のインタビューとかに持ち込んで、掲載して『汚い字』とかお母さんに手伝って書いたであろうことをバカにしてたよね。 陰湿だなぁと思ったんだけど。本当に学生時代、元先輩同級生が怖くて何も言えないいじめの傍観者だったのかどうか、この年賀状の件でわかると思う。
・話を大きくされたり面白おかしくアレンジされる事はよく有る事だと思います。ただもし事実と違う事が掲載され、その為に誹謗中傷等の被害を被ったとなれば、本人の名誉の為にも、いじめられたと書かれた人の為にも、出版社サイドを訴えるとか抗議するとか何らかの行動に出ないといけないと思
・いじめって直接もあるし、間接的(傍観)なものもある。大人になって思うのは、自分もイジメの対象になりたくなくて関わったもの、あるいは傍観したものが罪悪感となって心に沈澱している。話題にしたいものでもない。小山田さんはやったことはもちろんなのですが、大人になって子供の頃の話題として半ば武勇伝的に語っていたその姿勢が非難されたのではないかと思う。なので、この記事での主張はちょっとずれているかなと思う。
・リアルタイムで読んでたけど、ロッキンオンジャパンのインタビューも引いたけど、その後の音楽と人かなんかで、ちらっとその話に触れててそのいじめられてた同級生が今パチンコ屋で働いてるの聞いて「会っても何話すのかな、「玉拾ってんの」とか会話するのかな」って言ってた時の口調が何気なく下に見てた感じがキツかったな
ただずっと有名な話だったので(検索してもサジェストにいじめって出てくる)、NHKとかオリンピックとかは知ってて依頼したんじゃないの?というのはある 当時はそこまで荒れずに今になってしっぺ返しが来たのは怖いね、雑誌側も同じくらい悪いだろうに
・子供は残酷。いじめられる相手の痛みがわからないからだろう。成長すると少しずつ分かっていって大人になれば誰でも概ね皆理解するようになる。小山田氏はその精神的成長が遅くて、いい歳してからも理解していなくてそれを武勇伝の様に語ってしまい今回の事態に至ったのだろう。 但し影響力のある著名人であった為に大きな話題となり、社会的制裁という形でその罪に向かい合わなければならなくなった。 多分同じ罪を犯しながら、反省する事無く(いじめた側はその事実認識すら無く)生きている人は世の中に沢山いるのだろう。この事件をきっかけに、過去の自分の犯した罪に気づいた人もいるんじゃないか。 いじめは、格好悪いし罪が重い事なんだとの認識が広まると良いですね。
・千代大海然り、学生の頃、ヤンチャでしたって笑ってネタにする人が多いし、一昔前のメディアはそんなネタを面白おかしく扱っていた狂った時代でした。 当時、いじめられた人の傷は一生癒えません。どう償ってくれますか? そんな人の気持ちも分からないからネタにできるんでしょうね。そんな人には天罰が下ることを切に願うばかりです。
・イジメの件で誇張や虚偽があったとしても、やられる側にはいなかったことは本人の告白からもわかる。 やられることを恐れて加担したということでもないようだ。告白内容からは過去においてカーストに甘んじ他者を弄んでいたような歪んだ価値観が見てとれる。 犯罪になるような脅迫や電話などは論外としても、イジメで苦しい思いをした人達にしてみれば、公の場で見たくはないだろう。 イジメで人格を傷つけるのは性犯罪などと同じ。被害者にとっては一生のキズになるし、時には自死の原因にもなってしまう。 辞退(実質更迭)の社会罰は甘んじて受け入れ、自分の未熟な考えを改める必要はあったと思うから、顛末に関しては自業自得としかいえない。 ただ、本人、家族への脅迫などの犯罪行為、迷惑行為は論外。
・文春サイトで全文を読んだ。問題が発生時点で小山田圭吾もインタビュー記事を書いたロッキンオンの山崎洋一郎も謝罪した。誰でも間違いはあるし、謝罪をして和解すれば、人生をやり直すことができると思っていたが、この事件の反応を見ると、被疑者はどうすれば謝罪を受け入れてもらえて、問題を終結させられるのかと考えてしまった。
コメント欄を見る限り、謝罪声明を発表しても、いまも受け入れられない人が多いようだ。殺害脅迫やバッシングを続ける人たちを訴え、裁判で決着をつけるしかないのだろうか。文春のウェブ記事には被害者に謝罪したかまでは書かれていなかったが、むしろ、被害者との和解が成立しているのかを記事で明確にすれば、読者の溜飲が少しは下がるのではないかと思う。
・被害者からしたら大差ないですよ? だれか一人でも助けを呼んでくれたり、味方になってくれるだけでも全然違う話なんだから。
直接的な加害者もそうですが、何もしないクラスメイトや教師連中もずっと忘れず一生恨まれているってのを覚えておいた方がいいと思います。 表面の傷と違い、精神的に受け続けた傷ってのは一生消えませんから。 なお実体験も込みで言っています。
私は変なあだ名で呼んだだけ、私は陰口を言っただけ、私を〇ねって言っただけ、どれも同罪です。苦しんでいるのを知りながらも何もしなかった『共犯者』ですから。 加害者じゃなく、被害者を隔離する学校もいまだ少なくないことに呆れるね。
・五輪タイミングでまたYahooトップになり、東京大会と同じ論調で叩いて、飽きませんねみなさん。 先日の東京ガーデンシアター満席になったコーネリアス30周年、ほんとうに素晴らしかったです。音楽を続けてくれてありがとう
・1人ではなく、何人も同じような事した人はいたのでしょうが、有名だったばっかりに彼だけが槍玉にあがってしまったのでしょうけど。 やった側とやられた側の主張は平行線のままでしょうね。 よくあるふざけてプロレス技をかけた、は必死に嫌がってる相手をよく見かけたし。 本人はいじめたつもりはないようですが、今回の記事はちょっと言い訳的に感じました。
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