( 194968 ) 2024/07/26 16:40:12 0 00 ・読書好きな人と話していると面白い。全く本を読まない人との会話はやはり底が浅い。自分も昔から読書好きなほうだとは思うが遅読なので量的にはさほど多く読んでいない。本屋に行くたびに読みたい本、読んでおかなくてはならない本の多さに焦る。読書量や読む速さを誇る人がいるが、必ずしもその人が人間的に優れているとは感じない。遅読でいいと今は思う。老眼が進んで読書欲がなくなることだけが怖い。
・人間、知識を得ると友人に自分の考え意見を伝えて感銘を受けた部分を紹介するようになります 相手に伝えるためにはより深く理解し言葉を選ぶ技術も必要です 例えとして、良い映画を観た後に友人を呼び出して作品の感想や映像の素晴らしさ使われた音楽の良さ、演出についてストーリーに触れずに相手が同じ映画を観るように奨めるものです 本を読み、楽しめる部分をピックアップして友人に奨めてみたり、読み終えた相手から自分の気付かなかった考えを聞くことは喜びです 本を読まない相手に『もっと本を読め』とは目標や目的もなく学校に通っている生徒に『勉強しなさい』と言うようなもので言葉は相手の心に残りません 本を読む人が楽しみを周りに伝えていかなければ相手も様々な楽しみの中から読書を選ぶこともないでしょう 本を読むことは自己の成長もあり、他人の心を知る事でもあります
・親から、勉強しろとも本を読めとも言われたことがなかったせいか、勉強も読書も自分のもので楽しいもののような気がする。 昔から小説や雑誌は遊びで読むものだったと思う。
今、楽しみとして読まれている漫画にもアニメにも良いものがたくさんある。 大ヒットしている漫画やアニメを見る時に、 明治時代は夏目漱石も娯楽だったんじゃない? 誰もが知っているこの漫画は、明治時代なら夏目漱石の小説かも、などと思って読んでいる。
自分だけのイメージ映像を作ることができる本のほうが面白いけれど。
固定観念を持たないようにすることと、 覚えるように心がけること、 たしかに大事かもしれない。
・読書は心を豊かにする。本を読んだ後の充実感は他に変えられない。子供と一緒に10年ぐらい読んでる小説がありますが、もうそろそろ最終回を迎えそうで寂しい気持ちになります。子供と同じ気持ちになってハラハラしたりドキドキした体験は、旅行では味わえない読書ならではのもの。寝る前の読書タイムが幸せな時です。
・学生時代は、受験勉強の反動で毎週数札文庫本を買って読んでいたいた。授業のレポートであの岩波文庫も(仕方なく)読んでいた。
不思議なもので、卒業するとさらに知識欲が増して、ユングやホーキングや東洋宗教の分厚い単行本を読み漁るようになったが、仕事の方が忙しくなって 「歳を取ったらまたゆっくり読もう」と読書の趣味はちょっと脇に置いた。
で、いざ歳を取ってみたら老眼が入ってしまい、どうにも本を開くのがおっくう。
活字を目で追うのは大好きなので、タブレットとKindleで時々読んではいるが、本格的に読書を再開するのは老眼鏡というものを入手してからかなあ…
・「若い人は本を読まないと批判する60代」の方は学校の先生とか知識を必要とした職業につかれていた人だと思う。何がブーメランかわからなかった。私は62歳です。小学校の頃から図書館に自転車で通うくらい読書好きです。漫画もゲームも大好きな乱読ですが。本は文章で頭の中で自分なりの映像の世界を想像しながら読むのが楽しい。でも、若い人が本を読まないことに興味はありません。60をすぎて、「まったきひと」を目指したいと思うのはやはり、元々勉強をして努力して結果を社会にだしてきた方だと思う。
・昔はテレビもアニメもなかったから、条件が異なることはたしかだ。もう、それらが導入されて60年以上経ったから、すでに活字離れの世代が還暦を迎えている。でもね、これは当事者と言うより親の責任も大きいだろう。子どもが小さいうちに親が童話の本を多く買って読ませた子とそうでない子の違いは大きい。音楽にしてもそう。童謡やクラシックを多く子供に聞かせた場合と、アニメソングやおとなの流行歌しか聞かせられなかった子供とは大きく違う。親が関心ないからいっしょに本を読まなかった、童謡を聴かせなかったというのはやはり不幸であると言ったら言い過ぎか。
・50年程前は岩波新書と喫茶店のコーヒー代がほぼ同じ時が有りました。友人との待ち合わせは○○書店の×階で、と言うのが多かった時代です。新書好きはズーッとで今も続き、色々と面白い出会いがあります。知り合いの生化学の大学教授から、こんなのがあるけど、と紹介された本は随分前に読んでいた本でした。その旨伝えましたら、驚いてましたね。まぁ~普通のおばさんだからかも知れないですが。今でも新書は月2冊ほど興味の赴くままにネット注文で読んでいますが、本当は書店で見て買いたいな、と思っています。コロナは本との出会いも無くしました。
・「勉強しなさい」と強要されたり「読書しなさい」と強要されて育つと 拒否反応を示してしまう気持ちは分かる。 本を読むって根気がいるからね。 イラストや絵もないただの文章だけで様々な社会構造や概念や知識、 あるいは物語の登場人物を空想するのって、すごく頭を使うんだよね。 逆にそういう目に見えないものを文章から頭に描く能力がつくから 創造性とか知識じゃなく知恵とかは格段に磨かれる。 ただそこまでにたどりつく労力がとにかく大変。 今は時短とかコスパ優先って言われてるし「検索」という「知識だけ」を 得さえすればいいって考えの人が多いから。
・今の60代でも村上春樹や村上龍それに吉本ばなななどのブームの頃は、普通に 本を読んでいたというのは経験として知っている。それ以前でも田中康夫とか 角川書店の映画とのメディアミックスで読んでるし本を読まない訳でない。
ただ威厳がないのは「スター誕生」などでアイドルを目指していた世代であり 「若さこそが価値」みたいな価値観がこの年代から強いのも大きいと思う。 (例えばカズが今も現役にこだわるとかこういうのと無縁ではないのでは?)
それより今の若い世代の方が本を読まないというよりゲームやアニメにしても 大体ブームが三日坊主で終わってコンテンツ自体を粗末に扱ってる気がする。 おふざけのネットミームの方がしつこいほど残るのは異常としか思えない。
・文法とかを意識して、小説などを読んだりするのを繰り返し やってると 自分が言葉を使って喋る時の引き出しが増えるし 不特定多数に伝わる言葉を考え選んで喋るのが スムーズになるとは思う。 筋トレ みたいに明確に表立って体に現れるようなものではないかもしれないけど、 知識を集めて それを応用するっていう いい練習になるから 悪いことじゃない。
・本は読んだ方がいいですよ。 別に骨太な本や立派な学術書でなくてもいいと思います。小説でもハウツー本でもなんでもいいので数を読むことです。
読んでるうちに文字以外の背景や作者の言いたいことなど想像力がどんどん身につきます。 これはマンガやドラマなど情報が多いメディアよりも少ないものの方がより得られると思います。
・1960年代の後半には、この頃の若い人は電車の中で漫画雑誌ばかり読んでいるのは嘆かわしい、と言われていた。それ以降は、そういうことがあまり言われなくなって、今は、電車の中でスマホをいじっている若者が多くても当然のこととして受け取られている。 ただ、現在の問題は、本や雑誌や新聞の売り上げが大幅に少なくなったことでそういう業界が担っていた人材育成機能が大幅に縮小してしまったことである。日本では、大学は入試をやるだけで教育機関ではない、20代の正社員経験が高等教育、ということが常識なので、そういう分野の教育水準が低下しているのではないかと危惧される。
・本を読んでも変わらないなら読んでいないのと同じ。何事にも言えることですが、本気になっていないと変わるものは変わりません。私の周りにもいます。歎異抄を読んだ、昔は本ばかり渉猟した文学少年だったと。だけど、その人の人格に影響をもたらしたものが一つも感じられない。その場合、実は本気ではなく、周りに自慢するために読んだだけの可能性があります。本気になると 世界が変わってくる 自分が変わってくる 変わってこなかったら まだ本気になっていない証拠だ と坂村真民が詠います。自分が本を選んでいるという認識の段階ではまだまだ本気ではない。本気になれば、本の側から我々を選ぶような感覚になってくるものです。我々の魂が先賢の魂に共鳴し、彼らの魂に呼ばれるような認識になるからです。読書とは本来、魂と魂の共鳴であり、質の高いものなら必ず感化をもたらします。
・40代からの習慣と書いているが正味子供の頃からの習慣である程度人生は決まるように感じる。 20代早々にいろんな大人を見てそう結論付いてからは修正するなら早ければ早い方が良いと思っていろいろ改善したが周囲の同年代を見てるとこの人たちは何をしてるのだろうと思うことも増えてきた。
・今の時代、本を読まなくなったのは事実だと思うし、それが80年代からというのも事実でしょう。 しかし、昔の人はよく本を読んでたかといえばそれは一部の人たちの事です。 今よりは貴重で勉強する人たちには唯一の手段ですから、それに頼るしかなかった。本を買えない人、読まない人は昔の方が多かったかも知れません。 テレビやラジオで学べるようになり、今はスマホでほとんどの情報が手に入ります。書斎にある本数百冊よりも情報量は多い。 みんながスマホで勉強してる訳ではないけど、分からないことがあればググる人は多い。 ペンを持たなくなったように、本を読なくて済む時代になっただけです。
・本を読んだくらいで人生さほど変わる事は無いが、本を読むとゆー事さえもしなけりゃ人生好転する可能性は著しく減少するわな。漢字、文法、想像、感銘、情景、知識、マインド、頭の体操、インプット、アウトプット、自分なりの座右の銘等々本とゆー過去に生きた先人達の遺してくれた素晴らしい人間の文化に触れることで自分の人生の羅針盤を見付ける機会を失うことは余りにも勿体ない事です。
・今は、電子版への移行期ですから、電子版で読んでいる若者は多いかもね? こればかりは、今、若い人が60になったときにしか結果が分からない。 出版界も今までは、数打てばどれかが当たるのではなく、確実に数字を稼げる本の出版を考えることですね。
・活字媒体より電子媒体の方が全てにおいてスピーディーかつ正確な場合が多いからねえ。かつては国会図書館にでも出向かないと入手できない情報の類が,スマホで検索すれば何とかなることもしばしばある。読書習慣とはともすると苦労を美徳とする価値観に由来するのだろうか? …とこれは理性で理詰で検討した場合のこと。感性で感覚で繙けば読書は楽しい。タッチセンサーと押しボタンの違い、とでも言おうか。 因みに私は完全に高齢者世代に属する年齢だが。
・「良書」も鉄板があってカントとカール・ポパーは必須、あとはお好みで経済学の本とかでいいのだが今の60代以上でどれだけの人がカントやカール・ポパーを読んでいるか…
以前タイのビーチで欧州系らしいビジネスマンがダニエル・カーネマンの「Thinking, Fast and Slow」を読んでて、日本に帰ってある企業の役員さんと話してたら愛読書は時代小説だと言ってて、ああそりゃ経済競争に負けて円安にもなるわ、と思ったよね
・良書と言われると、そればっかりじゃないなw 高校時代から、通勤通学に最低一日2時間ぐらいはかけていたもんだから いろいろな本をよく読んだ。
高校の時の数学の先生が、授業の時ちらっと話した岩波新書の「数学入門」 かと思えば、赤川次郎みたいなドラマティックな小説。 女子があんまり読まない大藪春彦のガンアンドカー小説を兄の本棚から 失敬して読んだり。 その時はやってた映画の原作本を読んだり。 漫画とかも読んだけど、こっちも姉と回し読み。
・昭和の時代も、そう言われていました
でも今の時代はパソコンと言う活字の媒体と言う物も有ります 知らず知らずのうちに学んでいるのですよ!
心配いりません! 若者は、それなりに学んでいます 昭和の本を読まない若者が立派に老人になっているじゃありませんか!
人類はもはや本と言う媒体だけでなく色々なものを活用しています
そう言う時代なんですね
・おじさんたちは活字になって本のかたちになっているものをなんでもかんでも盲目的に礼賛する傾向がありますがw
マンガから得られる知識、生き方や人生勉強もあるし、映画でもドラマでもSNSでも、”情報”を得る手段はたくさんあるので、別になんでもかんでも本じゃなくてもいいと思います。
・学校を卒業してからも読書や勉強の習慣を有している成人の数は、全体の4%という調査があるようです。4%では少なすぎる気がしますが、20%には達しないでしょうね。 自分は子供の頃から読書の習慣がアラフィフですが、ちょっとはマシな人間になれているのだろうかと考える今日のこの頃です。
・昔は本の虫だったが社会人なってからは読まんなぁ 時間がない...と言うより暇な時間をスマホや動画で浪費してしまってるのは自覚しててもやめられないんだこれが。 週1冊は読んでたのに、今は年に数冊になっちゃったなぁ。文字を読む機会は増えたけど。読みたい本があんまりない… でも電子媒体は消えちゃうからな。買うなら紙の本が良いかな。
SNSが本の代わりになるって意見は一面的すぎる。情報を手に入れるだけが目的なら代替出来るかも知れないけど思考は育たない対話はその点を補えそうだけど相手は本を読んでいる人のほうが良い。結果、読書習慣はあるに越したことはない。自分は本を読まない時期が続くと後ろめたさを感じる。己の中に本から栄養を得ている自分がいてそいつからいつ食わせてくれるんだって責められてる感覚がある。
・江戸時代から明治にかけて、教育の面で少々断絶はあったものの、その一部は引き継がれた。しかし昭和の戦前と戦後では、全く断絶され、今では明治期の文献さえ読むのに苦労する。もう事をなすような歳でもないので、全き人を目指して老後を過ごそうと思います。
・何がブーメランだって(笑)…如何にも今風のワードを使えばこんな記事もアリなのか…と。 生前、本好きだった母親が全く本を読まなくなって、何故かと思ったら「目が悪くなってから読むのが疲れる」という理由でした。 と言われてもまだ全くピンとも来なかった30代の私が同じ歳になって、同じキモチになって、漸く理解出来る様になった今です。 本を読む事がどんなに好きで、どんなに興味があったとしても、読んでいて疲れてしまう…という一因は視力の低下と背中合わせで。 もう一つ「本離れ」という理由があるとすれば、価格の高騰と小遣いの関係はリアルな問題です。 そういった歳相応の視点を取り上げない「ブーメラン」という話は結局的外れでしか無くて、今時の人達が本を読まないソレとゴッチャにした説明なんて成り立つ訳も無い。 所詮その程度の人が書いたその程度の内容でしか無いこれでしょうね。
・見当違いなコタツ記事。
何十年か前から「マンガも読書」に入ってしまった。 そんなんだったら膨大に読んでるし、 ドラゴンボールもスラムダンクもジョジョもキャプテン翼も そのマンガが連載中に感想の手紙を送って作家とともに育てた世代です。
なんでできたかというと作家や編集者並みに色々と読んでたからです。
三国志のゲームにしても、 元が吉川英治だったとしても、あれだけ膨大な登場人物を分析して ゼロから作れる人がいたわけです。
ゲームする方も知ってる。
ググって調べものなんてできない時代ですよ。
・自分も中高年の部類だが、若い人のほうが好きな本とか読むと 集中して読めて吸収力が早いと思う。
50代以降、興味ある本を読んでも 集中力が続かないことが多いし 使い古したスポンジのように吸収力がなくて それほど記憶に残らないこと多いです…
・本とか書籍になって書かれている事って、興味やその時だけの豆知識や人生訓だけじゃないんで。 様々な分野の学問の中間地点と言った処(物)かと。分野は違うんだけど繋がりを持っている部分も有って。 だから、専門書籍や学問書だけでは無く、普通の生活や普通の人にも通じる部分が有って、いろいろな書籍となって出てくるんだと思います。 例えば雑誌にも自然科学や経済、人生観等の記事ものりますね。 ネットでは出来ないんで、取り寄せると膨大な資料が。結果本とかと変わらないすよ。 ブーメランは投げ合えば良いと思いますよ。
・明治大学の教育学者なんだ。
似たような年代だけど一概に本を 読まないから知識が浅いと明治時代の 人の外観を根拠に言うのは違うと思う。 それらの方に会った事もなく、 写真館で撮られた一張羅がその人の 全てであると推測するのもどうなのか? 歴史に残る人さえ その醜態は知られているところは もはや情報として共有されている。 自分の年代はアナログからデジタルに 移行が有った経緯があり、どちらかと 言うと最新技術を順次学ぶ必要が有った。 それは取説はじめいわゆる紙印刷された ものだけでなく「感覚的に」覚える 必要も有ったはずだ。 書籍と言うのは誰かの意見。 それを何冊も読むのは誰かの意見の集大成。 つまりそれを組み合わせただけで 自身の意見ではない。 その背景において本を読まないからダメだ、 と言うのは立場からとしか考えられない。
自分の場合は体験を重ね感性を磨き 新たなものを創造する方向だ。
・要領を得ない文章ですね。 今の60代だけでなくそれ以上の年齢層も本はほとんど読んでいませんでしたよ。 代わりに読んでいたのが、実用書と言われるダイジェスト本。論語や戦国策などの中国古典や、日本史世界史、現代社会の問題点などを平易な文章で軽くまとめたものです。 基本となる古典や記録などを読んでいるわけではないので、Wikipedia並に浅い。 若い方々がコスパダイパと言っていますが、当時の人々も同じような事をしていました。 会社の朝礼や式典で、古典の名文について話す経営者や管理者がいますが、用法や解釈が違うよなぁ、と思う事も度々ありましたね。
・私など若い人と女性のやることは全て激賞絶賛することにしてますよ。当人たちは気分よくやってることに殊更耳の痛いことを言っても馬に念仏にしかなりません。 人って人生が変わるほどの出来事に出くわさないとそうそう変わるものではないと思うから。 それに私もこの時代、自分も世の中の動きに合わせるのに精一杯、人のことに口出しするほどの余裕もないです・・・。
・「敦盛」の「五十年」とは、あくまで下天の最下の「四大王衆天」における一昼夜が人間の世における50年と同じという意味であって、戦国時代の人の一生とは何の関係もありません。専門外のことを書く場合には、よく根拠を調べた方がよいと思います。
・図書館で本を借りても、目が疲れて読みにくい。字が小さいのだ。だからスマホみたいに文字拡大するやつにするも、今度は手がつかれて肩が凝る。老眼はじまるといろんな障害が立ちはだかる
・今の人は明治の人と比べて軽く見える? それはそうだ。明治の時代に写真を残すような人は偉人ばかり。経済人、政治家、文豪、医師などの偉い人ばかりで、一生に何度かしか写真など撮らないから一張羅を着て威厳のありそうな顔で写っている。 我々庶民と比較するなら当時の庶民と比較しなければ意味はない。市井の人々を写した写真を見れば、モンペ姿で薄汚い格好の農民がいる。そんな人たちは本を読むどころか日々の生活で手一杯。偉人は偉人同士で比較すればよい。
・グーテンベルクを出すこともないが、本が庶民に行き渡るまで、本を読まない、読めない人が大多数だった。 戦前の高校進学率は、数パーセント。彼らが読書人だったとしたら、今とあまり変わらんのでは。
・昔おばあちゃんから本を読む子は賢くなるから 色んな本をいっぱい読みなさいって言われた その時は読まなかったけど最近はちょっとずつ読もうと思い読んでます 子供達には毎日寝る前に絵本の読み聞かせはやってたなぁそれが良かったのかどうかわかりませんが 良く本読んでます 習慣なのか? 賢いかどうかわかりませんが私より頭は良い!笑
・図書館に行っても書店に行っても、山のように本があります。実用書なら、目的に応じて選べばいいですが、良書というと難しい。 抽象的なねんごうは結構ですから、筆者が良いと思った本を一つでもいいから紹介して頂きたい。
・大学生の時にある教授が「耳学問」の重要性を説いていました。千冊の本を読むよりも、聡明な人の話しを聞けと。ある本を読んで感銘を受けて、実際にその著者に会うと印象が全く違ったりもする。百聞は一見にしかず。ですね。
・「むずかしい本を好んで読む若者」は,北杜夫『どくとるマンボウ青春期』(単行本1968年)に典型例がでてくる。当時はエリートだった旧制高校生の日常を描いた自伝的作品だ。西田幾多郎『善の研究』などの定番があったらしい。
アジア太平洋戦争後に教育制度が新制になり,大学生がうんと増えて大衆化していく。いわく,「いまの大学生は電車の中でマンガを読んでいる」。私もそういう「新制のアホ学生」に含まれることを自覚している(笑)。
いっぽうで,出版点数も激増していると思う。硬軟ふくめて。本記事は読書をすすめているが,私はジャンルはなんでもいいと思う。
むかし,大学院時代に時間がかかる実験をしていたが,ほとんどは見守りでよかった。その時間に新着論文を読めばりっぱだが,私は古本屋からSF文庫本を買ってきて読んだ。段ボール箱に2箱も読めば,評論を「ひとこと」言えるようになる。目標は,段ボール箱(笑)。
・無駄な読書が好きです。昔から好きです。wwそうして、66歳になって読書量は流石に落ちた。昔、母から、あんた、いっぱい本を読んでるけど、何かの糧になってるの?何にも変わってないんじゃ無い?と言われて憮然とした記憶があります。ww 結構驚いたので今でも覚えてます。向上心や何かに役立つために読書、してないし、ビジネス書や啓蒙物なんか読みたくも無い。くそ、だ。失礼。古典は日本のものも欧米のものも良く読むけど、ラノベと全く同一レベル。源氏やプルーストやガルシア・マルケスの面白さとラノベの面白さに差はつけない。その作品が自分にとって面白いか否かだけが判断基準。役に立つ?はあ スマホもよく使うけど、紙派なんで、買ったり図書館へ行ったり。こう言う、教育者の人の考えには辟易するね。
・現役世代の中流以下が中の上以上の老人を見て高齢者優遇と叩く構図の逆。 本を読まない!と感じる人が本を読む人なだけ。 昔なら大学に行っていなかった人たちと、今なら難関大学でしかも上位層であるはずだったり昔でも行っていた人たち、で重なるところなんてない。
・>人の記憶の低下は必ずしも加齢と比例するものではなく、物忘れと年齢の間には相関がないという専門家もいます
還暦記念に全世界の国名と首都、アメリカ50州と州都を覚えた。全部で500の固有名詞を覚えることになる。(といってもすでに知っている地名もかなりあるが) 若い人の何倍も時間がかかったと思うがすべて暗記した。数年経った今も忘れないように毎月そらんじている。
・個人的に何か本読んでるの?と、 たまに訊かれて来たけど、 一切読まないです。 何故かと言えば面倒くさいから と、 読まなくても もう代わりの物で 現代は溢れてる。 かと言って、 読書や本自体を否定はしないです。
・本を買いに行ったり、図書館に行ったりする時間もネットで勉強出来るけどなぁ…。 まあ私も読まなくなりましたけど、時間があれば読みたいです。 最近読んだのは決算書の解説書。今までで唯一途中で読むのを止めたのは池上彰さんの本。タイトルは忘れた!
・そら~紙の本は読まんようになったけど、文章と接する機会は激増やから、寧ろ歳行ってる人の方が活字離れしてるって。 こんな簡単に文章アホ程読めるわ、書き込めるわ、毎日日記を書くようになったわ、で文章力アップ出来てる人は増えてる。
・本読まなくなった。特に内容があるわけではないこの斎藤さんの文章のようなダラダラ文が全く頭に入らなくなった。読んでいた時は試験だったら、誰かに話をしたりインプットとアウトプットがあったからだと思う。インプットばかりで出す機会が無いから読まないのかもしれない。ダラダラ長文申し訳ありません。
・>じつは今の60代の人が20代だった1980年代頃から、「若者の活字離れ」は既に社会問題として指摘されていました。<
E・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年刊)で、「日本人は電車の中でも読書にはげんでいる」と讃嘆したのは、1970年代の日本のこと。 若者=学生なら「平均的な学生」の読書離れの問題、さらには「エリート学生の読書離れ」の問題は深刻度が深い。読書=教養と置き換えると「エリート学生の教養水準の低下」という事態が招来する。教養水準の低い連中が国家・社会の指導的地位につくという危うい事態が生まれて来る。 「子供の商品価値を高める」などという表現に「違和感がない」のは「教養の欠如」そのもの。教育基本法の「人格の完成」を単なるタテマエ論として読むか、「人類の叡智の成果」として読むか、ここで教養の有無が問われる。 斎藤孝先生には大いに期待している。
・人生百年時代とか未だに信じとるヤツ居るのか。心身使い物にならなくなっても死なせて貰えない期間が延ばされてるだけと思っといたほうがね。 アラカンですが本読む時間激増しましたよ。読める内にと言うことで。テレビやネットは動けなくなってからでいいやと。
・人生百年時代とか未だに信じとるヤツ居るのか。心身使い物にならなくなっても死なせて貰えない期間が延ばされてるだけと思っといたほうがね。 アラカンですが本読む時間激増しましたよ。読める内にと言うことで。テレビやネットは動けなくなってからでいいやと。
・「最近の若い人は本を読まない!」と言っている60代は齋藤学さんと同じように読書してきた人です。したがって、そういった人が完全にブーメランということになると、齋藤学さんも完全にブーメランになるということです。
・令和の中高年世代が、ともすると明治の人より軽く見えてしまうのは、見た目が若いだけでなく、知識と教養が必ずしも明治人に追いついていないからと指摘する声← 誰が言っているの? 読書の結果は内にあらわれるものでは。外見に影響があるとしてもめぐりめぐって当分先のこと
・60代では無いが昔より本を読まなくなったと言うより読みたいと思う本に出会わなくなった。と言うのは言い訳で結局自身が興味を持てなくときめかなくなってるのを感じて老いを感じ始めてます。いかんな。
・60代の人たちが読んでた本って司馬遼太郎や村上春樹とかでしょ。それならSNSを読む方が有意義だと思う 知識のアップデートとか言う人に限って、業務でパソコンは全く操作できない人が多い。Excelの簡単な関数も使えないのに偉そうな事を言っても部下なんて付いてこないよ
・前職の会社の社長が読書数を自慢する人で、自分や同僚らに「本を読め」と偉そうなことをよく言っていたよ 「そんだけ読書してて経営や子育て(跡取りがバカボン)に何も活かせてないくせに」というのは同僚だとの共通認識だった 皆さんも読書マウントには十分気を付けて
・学校の「読書感想文」が大嫌いでした。 クラス代表に選ばれ、体育館で読む事になり、当日は休みました。 感想と言う私的な感情を他人の前で発表するなんて、こんな恥ずかしい事はありません。
・(何々賞受賞とかの娯楽本は別にして)本を読むのはそこから何かを得ようとするからで、若いうちに読むものだと思ってる 60ともなればそこから得たものの実践あるのみで、読んでる暇はなく終末は近づいてるし、そこから読み始めるってのは既に手遅れ
・本読まない。よい60歳を迎えるには、豊富な知識が必要ってこと?良い60歳になりたいので今日から、とりあえず本を読んでみます。習慣化できるか?心配ですが。。
・いい事が書いてあると思いますが、だからこそ、このタイトルに違和感があります。 ただの高齢者批判みたいだし、ブーメランなんて言葉を選ぶのも安直すぎます。 記事の内容と比べても、タイトルが雑すぎます。
・渋沢栄一が常識人を語るのってすごく違和感があるなぁ(笑) 少なくとも本人は常識を遥かに飛び越えた人物だったと思うんだが。
・60代といえばもうネット世代ですよ。 最近の若い人は本を読まないと批判するのは80代以上じゃないのかな。
・織田信長じゃなくて市井の熊さん八つぁんに11桁の電話番号と各種パスワードを与えたらどうなってるかね
・読む人は読むが読まない人は読まない。 そんなもん昔から変わりゃしない。 ほんと大ブーメランだよ、そういう人って本に頭を毒された思い込みの激しい人だろな。
とか思う。
・60代の人間は若者を批判しているというの自体ステレオタイプの老人感 団塊とバブルに挟まれた現在60代のしらけ世代は若者に熱く説教とかしない世代だろ 悪く言えば無気力無関心世代 この記事からは若いころ今の60代に教育を受けた バブルから団塊ジュニアの2chどっぷり世代臭がぷんぷんする
・>>現在60歳前後の方で、「自分は骨太な良書をたくさん読んできた」と言い切れる人がどのくらいいるでしょう。
ーーNHK「100分de名著」が取り上げた骨太な良書ーー
**「新約聖書」 **「旧訳聖書」 **ダーウィン「種の起源」 **「歎異抄」 **レヴィ=ストロース「野生の思考」 **ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」 **吉本隆明「共同幻想論」 **マルクス「資本論」 **ハイデガー「存在と時間」 **ヘーゲル「精神現象学」
・媒体の差があれ読むはともかく 書くことが激減した。 漢字が書けない、字がきれいでないで悪循環
・この手の記事は高齢者が若い人に対してマウントとるための持論を主張してだけなんだよな。 真面目に相手にしてはダメです。
・子どもの頃から、読書習慣が無い人が40代になったからといって、読書を始めるはずがない。
・ブーメランは別に返ってきて自分に突き刺さる武器ではないので、教養があるのなら、まずこの変な若者言葉を正してはどうでしょうか。
・本を読まない? 活字離れ? スマホやパソコンだって本は読めるぜ。 ネット経由だと活字とは言わないのか? 紙の本や新聞読まないと偉くないのか? 屁理屈こねんなや。
・世代は関係ない。プラトンも論語も源氏物語もマルクスもドストエフスキーも読まないで、一体何がわかるって話だ。
・高齢者の見た目を言うなら夏目漱石まで遡らなくても、波平さんは54歳。 あんな54歳も今はいない。
・本を読まないのもそうだけど漢字を書けない読めない若者が多くなったね
・「因果応報」の意味を『ブーメラン』としたかったのかな?
本を読んでいない自分の勉強不足です。
・昔は、本ばかり読んでないで少しは勉強しなさい!って怒られたものです。
・電子書籍になって積む作業がすごい楽になった
・電車の中でも本を読んでる人はスマホ触ってる人より知的に見える
・中身ない記事。記者はどんな本読んで感銘受けた、とか何にも書いてない。
・スマホで電子書籍読んでるのはダメなんですかね?
・老人も本読まないしスマホも使えない人多いけどな。
・そもそも昔はデジタル機器などなかったからな。
・時代物や推理小説は全否定するという事ですね?
・前置きが長過ぎる。
・何が言いたいのか、訳が分かりません。
・本の宣伝ね。 出版社大変だもの。
・年賀状と一緒かな
・何度目だブーメラン記事
・50代だって本は読んでなかったぞ
・ゼロか百か? 程度問題で、読んでたかもよ?
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