( 195059 )  2024/07/27 00:33:06  
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【独自】刑務所の「集団行進」を廃止へ 法務省が方針固める 早ければ今年度中にも

TBS NEWS DIG Powered by JNN 7/26(金) 12:06 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/f1471b6eb4b2b8cbc06c5e3bd02a88ffbf153d93

 

( 195060 )  2024/07/27 00:33:06  
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法務省が全国の刑務所で行われている受刑者の「集団行進」を廃止する方針を固めた。

これは受刑者同士のトラブル防止や人数管理を目的として行われていたが、名古屋刑務所での暴行事件を受けて見直しを進めていたから。

試験的に廃止したところトラブルがなかったという報告もあり、今後は他の規程の見直しも検討されている。

(要約)

( 195062 )  2024/07/27 00:33:06  
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TBS NEWS DIG Powered by JNN 

 

全国の刑務所で行われている受刑者の「集団行進」について、法務省が今年度中にも廃止する方針を固めたことが分かりました。 

 

【写真で見る】刑務所の「集団行進」を廃止へ 法務省が方針固める 早ければ今年度中にも 

 

「集団行進」は、受刑者同士のトラブル防止や人数を把握しやすくするために全国のほとんどの刑務所で行われています。 

 

名古屋刑務所でおととし発覚した、刑務官による受刑者への暴行事件を受けて、法務省では受刑者の処遇や規程の見直しを進めていて、その一環として「集団行進」を今年度中にも廃止する方針を固めたことが、関係者への取材で分かりました。 

 

関係者によりますと、すでに複数の刑務所で試験的に廃止したところ、トラブルはなかったということです。 

 

法務省は、ほかにも刑務所で定めている規程の見直しを検討しています。 

 

TBSテレビ 

 

 

( 195061 )  2024/07/27 00:33:06  
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集団行進の廃止には賛否両論があり、一部では規律の維持や受刑者の更生に必要だという意見もあります。

「集団行進」や厳格な規定は、受刑者に制裁や規律を教える重要な要素であるとの意見も見られます。

一方で、規律が緩くなれば再犯率を増加させる可能性や、刑務所内でのトラブルが発生する懸念もあるとの指摘もあります。

 

 

刑務所は本来、受刑者が犯した罪を償う場所であり、再犯を防ぐために厳しい規律が必要と考える声も多く見られました。

一方で、規律を維持しつつも、受刑者の更生や社会復帰のための教育的な観点から、教育プログラムや適切な支援の提供が必要だとの意見もありました。

 

 

刑務所の規則や制度の改正には、適切な判断と周到な検討が必要であり、受刑者や社会全体の利益を考えた運用が求められているという声も多く寄せられました。

 

 

(まとめ)

( 195063 )  2024/07/27 00:33:06  
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・一度横浜刑務所で行進をやめて各自歩行に変更したがいつの間にか集団行進に変更になった。体力のない者は遅れると言う意見もあるが工場分類で分けているからそんなに差のある受刑者はいないと思われる。何故各自行進をやめたかと言うと私語が増え規律が緩みトラブルが増えた事とトラブルの際工場なら担当は非常ベルが付近にあるが通路だと離れた場所にあり通報が遅れると言う事故も増えたからと聞いている。移動は整列行進で良いかと思う。 

 

 

・集団行進したら良いのに。きちんときちんと皆と足並み揃えて歩く事で気付く事や考える事ってありますよ。 

人の道をそれた人達なのだから、行進したら良いのにと思います。 

特に少年院の行進は廃止しない方が良い。 

きちんと時間通りにきちんと起きる、歩く、行動する、就寝につく。 

この毎日同じに同じことをする事って大切です。 

 

 

・なれるものなら刑務官になりたいです。私は元格闘家で極真空手有段者、プロボクサーでした。特に性犯罪者(強制わいせつ)に対しては許せないからです。内密で被害者家族と連絡を取り希望を聞き、寄り添いたいからです。正義は被害者本人とその家族に限りあるのです。凶悪犯罪者に優しい日本の司法は既に終わっているので被害者とその家族の希望を叶える事が正義です。 

 

 

・今のところトラブルがないだけで、受刑者同士でいずれは問題が起きると思う。 

受刑者同士のトラブル防止や人数を把握しやすくする為の集団行進を中止する事で、刑務官の負担が増えるのであれば廃止の必要は全くないと思う。 

受刑者をさん付けで呼ぶなど、色々と変化が起きていますが、服役囚が罪を犯した事で刑務所にいるという事の意識が薄らぐのではないかと思う。 

 

 

・自由刑でしたっけ?服役というのは罪人の自由を奪う/制限することで制裁を科すという考え方から来ている刑罰なわけで、基本的人権まで侵害するのは問題としても、必要以上に日常生活上の制約を取り払うというのはちょっと違うと思いますね。集団行進の廃止はそっちの領域に入ってくると思うし、そこは刑務所のルールとして存続すべき事なんじゃないかと思いますね。 

 

 

・昔、京セラの毎日の朝礼は、こんな感じでしたね。 

ナチスの行進が、右手を挙げ、ヒットラーを賞賛する姿と同じでした。 

刑務所も同様なのですね。 

そもそも、刑務所とは何なのかが分からい。これが矯正なのか。再犯防止に資するのか。社会復帰へ結び付くのか。 

懲役と強制労働の違いも分からない。 

徹底機的にひどい目に遭わせるのか、犯罪を犯さないよ教育プログラムを実施するのか、そうして再犯を防ぐのか、どちらにするのかハッキリさせたほうが良いと思う。 

 

 

・犯罪を犯して刑務所に入っているのだから厳しくするのは当たり前では?行進もせずだらだら歩きながら工場に向かったりする緩んだ姿勢が彼らを怠惰にさせる。刑務所は辛くて苦しいところ。そんな印象がないと犯罪者は喜んで刑務所に入るのでは?それぞれの受刑者の影には被害に遭った人達がいることを忘れてはいけないし、最低限の人権だけ残してその他は極力厳しくしなければ、犯罪者は減らないと思う。 

 

 

・「集団行進」はどうかよくわからないですが、刑務所は刑に服して罪を償う場所だから、あんまり快適すぎてもよくないし、かと言ってあまりに厳しすぎるというのもどうかと思う。兼ね合いが難しいところだと思います。 

自由な行動は、晴れて自由の身になったらいくらでも出来るわけだし、少なくとも刑務所にいる間は、一定の制限はあって然るべきように感じます。 

 

 

・前提として不要なものは廃止すべきであるが、集団行進は必ずしも不要でないと言い切れないと思う。 

受刑者の生い立ちによるが集団行動・規律に対する意識が皆無な受刑者は一定数いると思う。幼少期から社会に溶け込む術を身につけられなかった受刑者には必要だ。刑期を迎え社会に復帰した際に集団行進を求められることは決してないが、形からでも周りと合わせることの重要性を学ばせる機会になると思う。 

もちろん大多数の受刑者には必要ない話ではあるが、一定数必要な人がいるなら続けていくべきだと思う。 

 

 

・実際に出所してきた人たちと関わったことがかなりの数ありますが、再犯が多いし、はっきり言って世の中ナメてるとしか思えない自分勝手な人が多かったです。 

特性の問題もあるとは思いますが。 

集団行進はいらないかもしれません。しかし、生ぬるいから再び刑務所もやむ無しで犯罪している人たちは少なからずいます。 

二度と入りたくないと心底思わせないと矯正施設の意味がない。罰を受けるところなのだから、生存さえできれば良く、苛烈な苦痛を受けてもらいたいと思う。罰を受ける施設で権利権利と甘やかさないでもらいたい。 

刑務官による暴力暴言、いいんじゃない?と思ってしまいます。外で散々、一般人を苦しめてきているのだから。 

 

 

 

・刑務官による受刑者への暴行事件とこの件は関係ないでしょう。 

試験的な廃止でトラブルがなかったからと言って、今後起きないとは言い切れないですよ。 

対象者が犯罪者なんだから、もっと厳しくしていいくらいでしょう。 

暴行事件はよくないですよ。 

だからと言って、受刑者擁護はもっとよくないでしょう。 

いずれ海外で起きたような刑務所を受刑者が襲撃したり大人数での脱走が起きたりしたら、どう責任を取るのか。 

なんでもかんでも緩めればいいわけではないです。 

 

 

・刑務官の暴行事件がきっかけとありますけどそれが受刑者への処遇や規定の見直しに繋がる意味が分からないですね。 

本来あるべきなのは刑務官への教育と指導なのでは? 

刑務所は贖罪を行わせて更生させることを目的とする場所なのにその贖罪に足る行動を廃止させるメリットはあまりないと感じます。 

 

 

・番号呼びをやめたり食事が豪華だったりとか、どんどん刑務所が甘くなってるように感じます。 

刑務所は本来厳しい場所のはずで、2度と入りたくない!と思わせるような場所でないと再犯率も下がらないような気がします。 

再び社会に戻る際に規律を守れるように更生するため厳しい場所であるべきだと思います。 

 

 

・そもそも他人に迷惑をかけないとか、自制心があるとかなどが無く自分勝手な考えで罪を犯した方々が多いと思いますのて、規律などを覚えてもらうためにも厳格なルールを設けて厳しくする事は仕方ないと思います。 

刑務所に入るようなことをしたのだから、最低限の人権は仕方ないとしても、何でも自由になるのはいかがなものでしょう。 

 

 

・窃盗等の初犯者ならまだしも、殺人などの凶悪犯も集団行進をさせないとなると、刑務所の意味が無くなる。自由がないと言うことはそれなりに悪いことをしたからで、さん付けも集団行進も罪の意識を左右する重罪者には大切なことだと思う。閉ざされた中にいて、人を殺めたのに自由もあってさん付けまでされる。 

 

 

・社会に出た際に集団行動は必ずカリキュラムに入れたほうがいいが、行進は正直どうでもいいです。 

全員が、とはさすがに思いませんが刑期を迎え罪を償ったのてあれば、現代社会に適合していただけることで再犯の防止になるものと思います。 

それが未来の犯罪加害者、被害者を生まないことに繋がるのではないでしょうか。 

 

 

・20年程前に初犯で北陸のB級刑務所に入りましたが、厳しい部分もありましたが、全然緩かったです。初犯刑務所の方が厳しいと聞きましたが、呼び捨てや行進などは、全く気にもなりませんでした。緩くするところが違うように思えます。あくまでも、罪を犯した犯罪者が、償いの為に拘束されて作業に従事しているのだから。 

 

 

・刑務所の規律が緩くなって喜んでいるのは暴力団関係受刑者です。彼等には仮釈放は適用されません、仮釈の対象にならなければ、真面目に務める気もありません、次々と規律が緩くなり、所内では力のある暴力団が職員に圧力をかけ更には一般受刑者にも圧力をかけるでしょう、厳格な規律がいかに収容者の安全を守って来たか分かる時が来るでしょう。 

 

 

・形だけ従わせても無意味。むしろ刑務官の上から目線と暴力を助長する隊列指揮は時代錯誤に他ならない。 

刑務官の中でも人格レベルが最低ラインの者に合わせた運用を施す必要があるのは当然のこと。 

近年数々の事案から、我が国の行政運用担当者(刑務官・入管職員・生活保護手続き担当職員など)に徳育研鑽が必須であることの証左と捉えざるを得ない。 

自身で学ぶ資質に欠ける者達が着任している以上、日常的反復研修を施す必然性を強烈に感じる。 

 

 

・被収容者をさん付けで呼ぶことになり、職員は部屋の扉をノックするなどして相手に認知させ、なるべく名前を呼ばないよう工夫をしているとのこと。人権や個人情報への配慮は以前に比べて格段に向上していると思います。しかし、「受刑者」を統制するには、集団行動を強いることは必須では?統制する側が勘違いするから問題が起こるわけです。若年で体力もある人と高齢者を同じ土俵に立たせて訓練させていることはないと思います。未決の人たちは推定無罪ですが、受刑者は刑に服す義務がある以上、出所後に社会生活を営む上で、「受刑生活」は辛い、二度と戻りたくないと思ってもらうために厳しい処遇を求めます。受刑生活が楽だ、マンガだとなれば、日本の治安は悪化の一途です。 

 

 

 

・集団行進に限らないけど、刑務所内の決まり事の目的は、所内の規律を守るため。限られた数の刑務官で多数の受刑者を管理するためには必要なこともある。 

ただし、今回の集団行進の件みたいに、手段が目的化してしまって、かえって問題になるような場合は、廃止して別のやり方を考えた方が良いのではないか。 

けど、なんというか、「柵を壊して脱走するなら、柵を作らなければいいじゃん」的な発想じゃダメだと思うんだよな。この件で刑務官の負担が増さないといいけど。 

 

 

・集団行進と受刑者への暴力の因果関係は明確なのでしょうか? 

トラブル防止や人数確認に使っていたなら必要なのでは? 

刑務所なんだから、なくても問題はなかったじゃなくて、なくても問題がなくてもさせる意義もあると思う。もうこんな目に遭いたくないから罪は犯さないと思わせるのも大切なのでは? 

 

 

・法務省と言う省庁は、犯罪者の人権を大切にし、被害者の人権を軽視するそんな考え方なのでしょう。 

集団行進の是非はどちらでも良いと思いますが、服役している人がなぜそこに入っているのか考えたとき、二度と刑務所に入りたくないと思えるような厳しさは必要だと思います。 

 

 

・今のところトラブルがないだけで、受刑者同士でいずれは問題が起きると思う。 受刑者同士のトラブル防止や人数を把握しやすくする為の集団行進を中止する事で、刑務官の負担が増えるのであれば廃止の必要は全くないと思う。 受刑者をさん付けで呼ぶなど、色々と変化が起きていますが、服役囚が罪を犯した事で刑務所にいるという事の意識が薄らぐのではないかと思う。 

 

 

・建前論では「刑務官による受刑者への暴行は、由々しき事態」と、言わざるを得ない。 

 しかし、塀の外で、決まり事を守らずに行った悪行の償いで、塀の中に入れられた者が、その塀の中の決まり事も守らない場合は、どうすれば良いのだろうか。 

 法学者は、刑罰について、報復刑だとか、矯正刑だとか、小難しい事を口にする。門外漢としては、何方でも良いが、塀の中の決まり事を守らない者を、どうするのかと論じているのを、寡聞にして知らない。 

 二言目に「人権」と声高に言う輩がいるが、塀の中に収監された者に、「人権」を侵害された者の被害回復はどうするのか、是非とも拝聴してみたい。 

 塀の中で、鞭や、棒で打ち据えながら、看守しろとまでは言わないが、それなりの厳しさは、必須のはずだ。それと、塀の中の決まり事に従わない者に対する、罰則も必須だ。 

 そうでなければ、刑務官がたまったものではないし、被害者も納得できない。 

 

 

・加害者もいつかは社会に戻ってきますから、改善更生させるにはどうしたらよいのか、という観点から考えるのが重要です。 

彼らにも平等に人権はあります。また、国にとって社会にとって、彼らが早く更生して働くことにより、税収増につながるというメリットもあります 

 

被害者の人権は国が今いっそう厚く守るべき。もちろん多大な金銭的補償を含めてね 

 

 

・集団行進をするしないで受刑者に負担が大きく違ってくることはないと思います。それより集団行進をやめることで刑務所内の規律が乱れることが心配。刑務所カーストみたいなの。一般の窃盗犯と暴力団組員が一緒にいたらどうしても後者の方がカーストの上位に君臨しそう。 

 

 

・集団行進を廃止した目的や廃止後のトラブルが無かったことについての詳細が書いてないので分からないところはありますが、集団行進すらできない受刑者が社会復帰するのはハードルが高いと思うよ 

刑期を終えるのが目的でなく、刑務所から出て社会で暮らしていけるまでになるのが更生であり目的だと思う 

 

 

・最近は、法務省も、既決囚の人権をよく考えている印象。「〇〇さん」と呼ぶなどの方針も固められたばかり。 

確かに、既決囚だからといって人権が尊重されないのはおかしいが、逆にお客様対応になるのではないか?という心配もしてしまう。少なくとも、世間に対しては、刑務所は過酷で厳しいところ、という印象がなければ、抑止力の低下を招くし、何より犯罪被害者・被害者遺族は釈然としない思いを抱いてしまうのではないか。 

 

 

・刑務所内の豊かさは年々上がっているように思える。確かに、刑務官による人権を無視した行為は良くないし、受刑者同士のトラブルも避けなくてはならない。 

刑務所に入る目的の一番は、やはり再犯をしないこと。しかしながら、最新の調査では再犯率は約50%で年々高くなっているとのこと。 

覚醒剤使用者の再犯率が最も高いらしいが、なかなか覚醒剤をやめられないのも分かるが、やはり二度と刑務所には戻りたくないという気持ちが弱い。 

二度と刑務所に入りたくないと思わせる規則や内容を今一度見直して欲しい。法を犯した人間なのだから制限は当たり前。 

私たちの血税で刑務所が運営されているならなおさら、犯罪を抑止する術をもっと刑務所にも当てはめて欲しい。 

 

 

 

・海外の刑務所では、受刑者の更生の為の色々な工夫や寄り添いが有る様に聞くが、名古屋刑務所で起きた“刑務官による暴行事件”を一とする規則の改変とが、集団行進と何の因果関係があるのだろうか? 

 日本社会の中で、刑務所の様な「規律ある生活の中での更生」を旨としてきた刑務所内の生活の中で“集団行進の廃止”で何が変えられるのだろうか? 

 素人目には表面的な改変に映るし、逆に刑務官の『仕事量の増大』や管理のし辛さに繋がるのではないか? 

 

 

・この判断をした人は大きな間違いを犯したように思います。規律は乱れ、これから刑務官の負担は倍増するでしょう。タダでさえ人手不足なのに、どのように対処していくのでしょうか。得意の現場任せで凌げるとでも思っているのでしょうか。これから益々凶悪犯が増えるような気がしますし、刑務所でも犯罪が起きるのではないでしょうか。 

 

 

・集団行進は別にやらなくていいと思うが、規律を守ることは徹底してほしい。 

基本的に犯罪者は出たらほぼ同じこと繰り返すからあんまり意味無いとは思うけど。 

希望としては、刑務所は嫌な所であってほしい。 

別に入っても何とも思わない所ではダメ。 

行きたくない場所でなくてはいけない。 

更生させる場所ではなく、痛めつける場所でもいいと思う。そういうことを自分がしたんだから。 

一度入ったら人生終わるくらいの場所でなくてはならない。それくらいの覚悟を持って犯罪しろよ。 

そうじゃないと絶対減らない。 

 

 

・罪人を閉じ込めるってのはもうすでに 古いよね。それが一番手っ取り早いんだけど。 

そして、紙袋の取っ手をつけるとかそんな仕事じゃなくて、一般社会で 過酷さゆえに毛嫌いされる仕事ってあると思うんですよね。 

それに従事させて、役に立ってもらうべき。労働賃金 は一般労働賃金と同じにし、食費 生活費を入れさせ 残りは貯金させて、出所時に数百万 残高があるようにし、出所後の 生活安定も考えて。 

 

 

・罪を償い自らを更正する場所であり、一定程度以上の規律が求められて当然な場所だと思います。加害者より被害者の方が経済的、精神的に苦しい生活をしている場合も多いのではないでしょうか。今以上の恵まれた環境に近づけるようなことを許すなどもってのほかです。再考を望みます。 

 

 

・これも、受刑者に対する刑務官の理不尽な暴行が後を絶たない(例外的ではない)ための措置だと考えれば致し方ない部分もありますね。 

 

私は、この店の対処策としては監視カメラの設置が理想的だと思います。録画映像は、悪意のある刑務官から受刑者を守るすべとなる一方、刑務官の行為が正当なものであることの証明になり得るものなので。 

 

ただ、予算の兼ね合いや管理の問題があるかもしれませんので、こちらができないのであれば、今回のように待遇を変えることで、間接的に抑止を図るしかないと思います。 

 

 

・集団行進がなくなると、時間短縮になり声を出す必要もなく、また出来てるか監視する必要もなくなる為、楽にスムーズになると思いますよ刑務官が。 

集団行進の有無で受刑者の反省度も変わりませんしね。慣れなので。 

なので、なくなる理由は官の効率化が9割だと思います。 

 

 

・社会のルールが守れない、自制心が効かない事から罪を犯し服役しているのだから、刑務所内での規律を守る行動は絶対必要です。刑務官が受刑者に無意味に暴力をふるうのは絶対にいけませんが、受刑中にルールを逸脱すれば、懲罰を受けるのは当たり前ですし、服役中は厳しい規律で縛り付けるのは当たり前のことでしょ。 

 

 

・私自身、不本意ではあるが、刑務所にいたことがあり、集団行進などの規律正しい行動が義務となっていた。しかしながら、集団行進を廃止にして、逆に何らかのトラブルや身勝手な行動が相次ぐことになりはしまいか?それなりの厳しさは必要不可欠だし、安易に集団行進を廃止する必要性はあるのだろうか? 

 

 

・もっと厳しくても良いのではないかと思います。 

ルールを守って真面目に仕事をする、生活を営む心に改心させる目的があるのであれば、規律正しく刑期を全うし、反省する心、相手を敬う心を養い、改心して出所していただきたい。 

集団行進ごときで他人と合わせられないようでは、また同じことを繰り返すのではないかと思います。 

 

 

 

・「行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば生き方が変わる」ジェイムスとかいう人の名言。社会のルールを無視し、野放図に行動してきた受刑者は多いだろう。先ずはその人の心と価値観に変化をもたらさなくてはならない。こういったきっかけを、強制的でもあたえてあげるのも、更生への一助ではなかろうか。 

 

 

・今の行政の悪いところです。刑務所は単なる犯罪者を収容する場所ではなくまた一般社会に戻るための更生の場でもあるはずです。幼少期から小中高と集団行動をすることで協調性や思いやることから学べるのが良いいところではないでしょうか。もしかしたら受刑者の中にはそういった集団行動を避けていた人やなじめなく疎外感があった方もいると思います。そのような機会を持ってもらうことも更生のひとつになると思います。ただ残念なことに政府自民党や省庁ではそういう思いが欠落しているのでしょうね。米国の刑務所と同じにしようと考えているのでしょうか。今の政府自民党を含め野党の議員では益々日本をだめな方向に向かわせていくでしょうね。 

 

 

・受刑者と言っても罪名は千差万別があるし 

仮に被害者やご遺族が居る場合ならその怒りや言葉にならないような思いは察して尚余りある 

ただ、法治国家である以上は受刑者だからと言って何をされても良い訳ではないし何をしても良い訳ではない。 

その上で根本的な話として集団行進によってどういう問題が具体的に生じていたのか説明する必要がある 

名古屋刑務所の件で問題になった行為はいくら相手が受刑者と言えども憲法でいう公共の福祉からは逸脱していると思われる行為があります 

しかし、集団行進を含めて規律面は組織運営上の理由は勿論、刑務所の性質上受刑者本人の為でもあるのです 

この点を踏まえると集団行進が公共の福祉という観点から見て限度を超えているとは思えないのですが 

 

 

・過去記事によると、「刑務官らは、暴行などをした理由について「受刑者が指示に従わなかったり、要求を繰り返したりして腹が立った」と話したという。」ということらしい。 

だから、「集団行動」させようと思っても、しないやつがおる。→指示するとトラブルになる。→だから、規則をゆるめる。ということかな。 

 

刑務官おらんようになるか、ゆるゆる刑務官になるか、どっちにしても、ご苦労な仕事であることは間違いない。 

 

 

・最近いろいろ刑務所や受刑者関係で緩め推進策や受刑者人権第一政策をとっていますが、刑務所は本来受刑者が自身が起こした犯罪を償う場所ですよ。 

今犯罪の凶悪化や緻密化が進んでいますので、逆に厳しいものや一度服役したらもう二度と行きたくない容赦ない厳しいものにして下さい。 

 

 

・ちょっと前に受刑者を番号で呼ぶのを廃止したとかニュースがあったけど、なんだか刑務所がどんどん緩い場所になってないですかね。 

このままでは生活が苦しい人が悪事に手を染めても、捕まらなかったら幸いだし、捕まったら刑務所でのんびり出来るから良い、なんてなりかねないと思うけど。 

 

 

・規則改正もいいが何のための規則だったのか原点を理解したうえで改正しているのかが大事。 

察するに、集団行進も「社会性に欠けた犯罪者に社会性を植え付けるための教育的な規則」だったとしたら、「試験的に自由歩行に変えても不具合ありませんでした」で済む話ではないが、どうなんだろう? 

 

 

・内部のことは毎日現場で接してる人ほど分からないから、何とも。 

それなりの立場の人が廃止に合理性があると判断したのを、信じたい。 

 

信じたいけれども、 

 

罪をあがなうため刑に服す受刑者を「さん」付けせねばならぬ、などという、 

奇妙奇天烈、不合理きわまりない決定を下す人々の判断力だからなあ。 

大丈夫なんだろうかと、心配にはなる。 

 

 

・行進を廃止する必要はないと感じますよ、私的には。 

 

そもそも規律というモノも学んでいくうちに、考え方や心にも変化が出てくるものでもあると思います。 

喋りながらガニ股でダラダラダラダラ歩くか、きっちり歩くかで規律守れるか、子供の運動会でも違いますよね。 

 

そして、あ〜人の道に外れてはいけないんだなとか、二度と戻りたくない場所だな…と、気づける心があればればですけどね! 

 

行進がつらいならもっと分かればいいんですよ。 

健康組・腰痛膝痛組・高齢組 

 

 

・何か刑務所の待遇改善とか色々やっているようですが、必要はありません。 

受刑者はそれぞれ理由があって収監されているのであり、人権や自由が制限されて当たり前です。それだけのことをやったんですから仕方ありません。 

 

下手に待遇改善とかすると居心地がよくなって再入場する者が増えることに繋がりかねません。 

 

 

 

・そもそも、名古屋の刑務所の問題は刑務官の対応であって“集団行進”とは全く関係ない。 

刑務官が服務規程に準じていれば良いだけの事。 

公務員得意の論点ずらしをしているとしか思えない。 

受刑者に対して人権は尊重しなくてはいけないが厳しい対応は必ず必要。 

“番号”呼びを辞めるとか緩くしてどうなるのか理解に苦しむ… 

犯罪を犯した以上厳しく接されるのは当然のこと。 

嫌であれば真っ当に生きればいいだけ。 

“暴力”と“矯正”は全く別の話です。 

 

 

・集団行進廃止…この言葉以前にも聞いた事がありますが確か監獄法から刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律に変更されたときです 

受刑者は居室から工場に移動する際と工場から運動場に移動する際と工場から居室に移動する際は行進と歩調を廃止すると… 

しかし法務省が定めた法律なのにいつのまにかしれっと元に戻ったのです 

各刑務所によってタイムラグはあったと思いますが… 

その説明に関して今回法務省はしているのでしょうか?以前に取り止めた事を初めて廃止にするような感じに違和感を覚えますがこれじゃ相殺なんです 

そもそもこのルール本当に必要ならば廃止する必要は無い訳です 

法律には抜け穴があるというのは刑務所にも言えます 

刑事施設の長が定めた事には絶対という決まりがありますこれにより法務省が定めた法律も変わる恐れがあります 

法を遵守する立場がいかさままがいをするのはいかがなものか… 

 

 

・一癖も二癖もある法治国家のルールを破った集団を管理する刑務官の方の心労は大変なものがあると思う。集団行進廃止したら雑房から就業場所に移動する際に雑談が可能になり別房同士の情報交換が毎日のように出来てしまうが、そのあたりは大丈夫なんでしょうか。 

 

 

・部屋から作業場、食堂、風呂などへの移動時にこれをしてるようですが、これが嫌がられるのは、おそらく、よそ見をする、指を伸ばしてない、足踏みが周りと合わせられないなど、細かいことで刑務官に五月蠅く注意され、それに対して変な態度を返すとそれだけで指導部屋行きになってしまうからではないのかな。指導部屋に行かされると仮釈放にマイナスの影響があるらしい。 

 

 

・最近は呼称の変更など日本の刑務所も段々と「緩く」なっているような気がします。 

そのうちアメリカの刑務所のようにするのが目標なのか? 

 

「受刑者にも人権が」と云うのはそうなのですが、人権を制限されるのが収監されると云うことだと思うのですが。 

それとも刑務官の方の問題なのだろうか。 

 

武道をやっている関係で刑務官の知り合いが結構いますが、必要以上に横柄な人が多いのは確かです。 

本人にそのつもりは無くても染み付いてしまっているのだと思います。 

常に「上から」で無駄にエラソーです。 

ただ「そうでなくては犯罪者を相手にすることなど出来ないのだろう」と理解はしています。 

 

刑務所の中にまで通常の感覚を適用させる必要は無いと思うのですけどね。 

「もう二度と入りたくない」と云う辛く苦しい場所だからこそ再犯を防げる部分も有るでしょう。 

 

 

・受刑者が規律を乱せば当然厳しい態度で処置をやる必要がある。特に舐めた態度の受刑者に対しては力で分からせる必要があるし、規律を保つのが優先だ。 

歪んだ性根を叩き直すには力で分からせるのがいちばんだ。それが矯正施設の役割であり 

ただ刑期を過ごす場所ではない。 

 

 

・受刑者を「さん」付けで呼ぶようにするとか、何だか間違った方向に改革がされている気がする 

罪を償う場所だから規律を厳しく雁字搦めにしろとは思わないけど、最低限の集団行動やある程度の厳しさは必要だと思うんだけど 

 

 

・犯罪の態度によりますが、社会の大多数が許さない犯罪者において、その処遇を改善する必要は皆無ですよね。 

特に被害者があるものに関しては、一層慎重に見る必要があると思います。 

 

 

・受刑者に迎合して規律を緩める必要無し。刑務所は刑罰として入る所である。快適であっては逆効果にもなりかねない。いわゆる志願兵が増えるだけだ。厳正な規律の元に二度と入りたく無いと思われて当然だ。刑務官の暴力についても同じ事。厳正に処分すれば良い。それだけ。 

 

 

・受刑者同士のトラブル防止や人数を把握しやすくするためとあるが、女子刑務所では行われてない。集団後進の有無に関係なくトラブルは男女問わずある、人数把握に関しては狭い通路を進む中及び入室の際に数人の刑務官が見てるから全く問題にならない。その他の事も変えるようだが当然だと思う、何事も旧態依然としていてはダメ。それにしても名古屋刑務所の刑務官は過去を学ばないな〜、受刑者を殺しておいて今度は暴力とは、、、受刑者より刑務官に厳しくしたほうがいいんじゃない?ストレスは受刑者だってあるし、だいたい作業中に手元だけ見てなきゃいけない顔を少しでも上げようものならよそ見で調査され1週間の懲罰って人間扱いじゃないよ?懲罰は苦痛を与えるものではないなんて書いてあるけど苦痛以外の何者でも無い、3畳程の独居に朝から夕方までずっと座ってなくてはならない、本も禁止ラジオも禁止新聞も禁止テレビも無い、食って座って寝るそれだけ 

 

 

 

・この集団行進廃止は、刑務所や少年院を所管する法務省矯正局が決定したものです。矯正局には国家公務員総合職試験合格者、いわゆるキャリアが多数占めますが、このキャリア、刑務所などの現場には数年しか経験していないため、結果的に現場にそぐわない、いわば「絵に描いた餅」的な政策ばかり提言しています。 

受刑者への「さん」付けの転換、今回の集団行進の廃止…、今後の刑務所はどうなっていくのでしょうか。 

 

 

・懲役刑と禁錮刑を統合した「拘禁刑」を定めた改正刑法が、令和7年6月1日に施行されます。 

受刑者の刑務作業が義務ではなくなり、刑の執行の目的が「懲戒としての刑罰」から「改善更生」となります。 

 

 

・まあ掛け声をかけての行進は女子刑務所ではやっていないので、男子刑務所も辞めていいと思う。けど集団で移動させるのは秩序維持から必要ではないかな。個々に行動させるとトラブルが発生していて刑務官の負担増加になりかねない。 

 

 

・昔、府中刑務所の近くに住んでました。 

朝8時半くらいになると、行進が始まり 

1、2、と大声が聞こえて、毎日がうるさい 

運動会のような感じがしました。 

地域住民にとってみれば、あの騒音が聞こえなくなるのは、住みやすくなると思います。 

 

 

・周りで服役してた人間が、刑務所は過ごしやすいて言ってた(笑) 

衣食住恵まれてて快適だと 

自分で働いたり、アパートを維持してくほうが辛いと言ってたので、犯罪者にとって刑務所は刑罰を受ける場所ではなくて、ただ単に集団生活するだけの場になってしまっていると思う 

 

 

・こんな甘くする一方だから、再犯が約半数という事態になる。 

8時間労働、土日祝休み、睡眠時間ばかり長い。 

被害者の人権を踏みにじり、真面目に働き納税する経営者や労働者を愚弄するかのような身勝手なモノなどに、人権も何もないのではなかろうか。 

刑務所の半分以下しか寝ないで、半分以下の食費でやりくりし、倍以上も働いている人間はいくらでもいるだろう。 

犯罪者の更生よりも、被害者や実社会に弁償させることに専念させるべきではないのだろうか。 

 

 

・刑務所は同じ人間が同じ部屋にずっといるから人間関係が大変なのではないか?生理的に合わないものもいるだろうなあ。わからないようにいじめたりしているのではないか?人が集まればいじめは必ず起こる。 

 

 

・法律(ルール)を守れなかったから罰を受け、刑務所に入ってるわけであり、規範を守らせる意識改革はとても重要なこと。 

そして規律の重要さを理解・認識させるには軍隊式が最も効率が良いと考える。軍隊では規律守らないのは即ち戦場での死に直結するからね。 

何でもかんでも人権、人権と声高に叫ぶのはいかがなものかと。 

そもそも大抵の受刑者は他人の人権を無視・否定したような輩なのだし、それでいて自分の人権保護の主張をするのははっきり言ってズルいだろうと。 

私見では受刑者の人権が一般社会の民と同程度に保護されるのは、刑期を終えて一般社会に復帰した後で良いと考えている。 

 

 

・廃止の必要はないと思うけど。 

出来て当たり前で面倒な事だけど、こういう事が出来なかった人たちでしょ? 

刑務所が楽な所、快適な所って思われない方がいいのでは? 

出所して、あの行進はもうしたくない、もう戻りたくないって思わせないと。 

個人的には脚が上がらなくなるまで行進続けさせる日とかあってもいいと思う。 

涙流すくらい辛い事させてもいいと思う。 

被害者の辛さはこんなもんじゃないぞ!って叩き込んでほしい。 

 

 

・ほぼ反対のコメントばかりですが、みなさん行進が受刑者の改心に繋がっているとの結論を出して廃止に反対しているのでしょうか。もしくは「受刑者には厳しくせよ!」の感情論か。行進を止めた場合と継続した場合の比較データはないでしょうが、個人的には行進してもしなくても再犯率にはあまり変化ないんじゃないかと。行進したくないから再犯しないなんて流れはあるのか。 

甲子園なども入場行進止めればいいと思います。世間には戦争反対の声が多いのに、あれはまるで軍隊を見てるよう。画一的すぎて。オリンピックみたいに爽やかに各選手の人と成りが分かるような入場を見たいです。 

 

 

 

・刑務官による暴行と集団行進の因果関係は??? 

 

これで中長期的に問題があるのか、ないのか、誰がどう判断するの? 

 

もちろん犯罪者だとは言え暴行してよいわけではないけれど、刑務所に入るほどの犯罪者ってのは社会のルールや社会的秩序が分からない、もしくは無視する輩なわけで、行進っていうのは一定程度価値があるような気がするんだけどなぁ~ 

罰としての側面も服役にはあるのだし、緩めたらつけあがるだけでは? 

 

 

・刑務所には罪を犯している人間の収容されている場所であれば、厳しい規律を設けるべき。 

刑務官の暴力は問題だが、強い規律がなければ罪を償うことにはならないと思う。 

 

 

・刑を務める所と書いて刑務所と読みます。そしてその場所が存続できるのは、法治国家で社会を回している者が税金を納めているからです。刑務所の中も小さな社会と同じです。ルールや規律があり、それを守ることも刑を務めることなのだと思います。こうやって考えてみると、集団行進が人権を欠くものとは思えません。 

 

 

・集団行進は規律を守る意味もある。ただ、このご時世の個人主義国民には合わないからなんだろう。刑務所に入る犯罪者には、集団生活を課してルールを守る意識を植え付ける必要性があると思うのは、昭和の時代なのだろうか? 

 

 

・刑務官から受刑者への暴行はあってはならないが、かと言って受刑者の待遇改善をする意図が分からない。 

暴行をした刑務官への処罰をどうするかが問題であって、受刑者に刑務所で楽をさせ快適に過ごさせるのとは意味が違う。 

これは個人的な意見だが刑務所は罪を償う場であり、出所後に二度と戻りたくないと思わせるような場でなくてはならないと思う。 

ましてや被害者や遺族感情からしても加害者である受刑者が「刑務所に入っても快適だから楽勝だわ」では困るんだよ。 

 

 

・多数の問題のある人を少人数の刑務官でコントロールする難しさを分かろうともしない政治家や中央の官僚やや学者の考えることかな。 

基本的人権に配慮した対応をする必要はあるだろうけど刑務所によって受刑者のレベルはまちまちだし『全国一律』にというのは違うかな。 

 

 

・受刑者なんだと、繰り返し再認識させる精神的効果はあると思う。 

受刑者は受刑がおつとめだから、塀の外の社会とは違う論理で生活するのは何もおかしい事ではないと思う。 

 

 

・集団行進が、名古屋刑務官によるいじめにつながったの? 

因果関係がよくわからないが、管理がしにくくなればなるほど刑務官の不祥事は増える可能性大だと思う。 

刑務所を居心地よくすれば、再犯して入りたがる人が増える。管理しやすく居心地わるくすれば、みんなのため。 

 

 

・刑務官の仕事が増えるだけで受刑者の待遇は特に変わらないんじゃないの? 

そもそも特別公務員暴行陵虐罪に該当する行為が露見・発覚しやすいようにすればいいだけで、受刑者の待遇を改善する必要はないでしょ。 

 

 

・「受刑者」に規律や統制は必要。 

 

最近の日本は何だか変になって来ている。 

彼らは罪を犯して刑罰として懲役に服しているのだから、上からの命令で統制されるのは至極当たり前だと思うのですが。 

 

やたら人権やら何やら言い出すと、そのうち何も規制出来ない世界になりそうだ。 

 

 

 

・「集団行進」は身体的行為に見えて、じつは「精神的」側面が期待できる所作。お茶お花や剣道柔道に通じるものがある。そういう「日本独特のメンタル・マテリアルの関係性」を解さない、わかっていない誰かさんのご意見がとおった、ってことかな?日本もどんどん犯罪増えますよ。何らかの理由で大小「矯正」の必要なかたがたばかりなんだから。廃止反対!!地下鉄内の高校生でも座り方でだいたい成績はわかるってもの。お箸の持ち方でも。紙の折り方ひとつでも。 

 

 

・規則を緩くすることばかり検討しているようだが、被害者への弁済がある者については差し入れの禁止あるいは売却により弁済に回すなどの規則が検討されてもいいかと思う。 

 

 

・幸い入ったことがないので刑務所のことは全然わからないが、集団行進に意味があってやってたならやるべきだし意味がないならやめていい。 

制約は加えるべきだとか厳しくすべきだとかいう意見はわかるが、それが集団行進なのかと言われるとよくわからないし、よく知ってる人からそうじゃないんじゃないのという意見があるからそうなったんだろう。 

 

 

・マトモじゃない連中を少人数で管理し問題なく遂行しようとするには集団行進は無駄ではないと思う。だいたい刑務官による受刑者への暴行問題は刑務官の人としての資質の問題であるはず。(刑務官の脳ミソは筋肉でできているから短絡的で軽率、衝動的な思考しかできない!って言われてますので) 

横浜刑務所では施設の周りが住宅地であるため、集団行進と同時に発せられる掛け声が住民への不快感になるからと見直されたはず。 

横刑は外国人受刑者も多く統制をとり管理するのが困難だから、また集団行進を再開したようですね。 

 

 

・個人的にに記事の廃止は賛成派。 

 

でも非常に稀に発生したトラブル対応をどう考えてるのかね。 

 

そこは現代技術を生かして施錠タイプの 

GPS搭載Gショック型ソーラー発電式 

首輪や腕時計なら良いと思うがね。 

 

そうすれば 

受刑者の脱走時は緊急地震速報並みに爆音で鳴り響き、且つ、脱走者だと大音量で流れる。 

 

そこでGPSで自動捜索で直ぐ見つかれば警察犬の出番も減り雨天でも見つけやすい。 

 

更に喧嘩発生時は監視員が手動、もしくはパンチ並みの強い力を自動検知したら瞬間的に電気ショックに動けないよう対応して監視員に直ちに通知されたら良いと思う。 

 

今後の少子高齢化の加速に外国人の受刑者の可能性も踏まえたら海外並みに最先端技術で対しないと記事の点から脱走は時間の問題だと思う。 

 

 

・「人権擁護や人権保護を」騒がれてる時代です。時代に、削ぐ和ぬ事は止めるべきでしょう。日本の刑務所は、看守と囚人との間に「主従関係が」発生してる。刑務官の事を、先生と呼称したり!何事に対しても、囚人番号で呼称をしてる。集団行進等は、愚の骨頂!酷い刑務所では、集団行進の後から「車椅子に座った」高齢者囚人が、行進するそうです。この様な縛り植えつけて居るから、若い刑務官等は勘違いします。「先生と囚人」今後は番号呼称も無くなります。次いで集団行進も無くなる。良い事だと思います。それに調子をこく様な囚人には、懲罰が控えて居ます。 

 

 

・どういう理屈でやめたのだろうか?処遇改善?意味不明だな・・ 

刑務所に入るような輩には規律意識を植え付ける必要はあるのではないですかね?集団できちんと並んで点呼して行進するのは健全な行動を学ばせるのにもよいのではないかと個人的には思います。とかくアウトローというかはみ出しがちな人生を送ってきた人たちでしょうし、やはり前の人と揃ってなにかをする、とか言うとおりにする、っていう事をしっかり覚えてもらう為にも刑務所なんだしキチンとさせましょうよ。 

また、刑務官がむやみやたらと暴力をふるというのならそれはアメリカドラマみたいでよくないと思いますが、言うことを聞かない受刑者は「拳で黙らせる」でいいと思っています。 

 

 

・集団行進とトラブルとの因果関係が分からない記事 

。 

刑務所であって、被害者からみて快適になる方向にだけはなって欲しくない。 

トラブルは無いと言いつつも集団行進が起因かどうかもわからない部分だと思う。 

規律や集団行動を元に協調性を身につける訓練でもあり刑務所に入っている自覚が薄れるような一般社会と同じになってはいけないと思う。 

 

 

・いいのか悪いのかは判断に迷うけど時代にあった形にしないと国際スタンダードから遅れてしまい中国と同じになってしまう。 

刑務作業も更生に見合う事なのか考えてもいい時期かも。 

これだけ人手不足で海外から労働者を入れるくらいなら人がやりたがらない仕事をやってくれる労働力にもなると思う。 

もちろん凶悪犯を街に放つわけにはいかないだろうけど。 

 

 

・法務省は、刑務所を住み易い場所にしては、絶対に成らない。今でさえ、外国人犯罪者からは、日本の刑務所は、母国なら、別荘以上だと、もて囃される始末だ。その上、刑務所へ戻るために、再犯を犯す者達が多く、後を絶たない。兎に角、刑務所は、住み辛い位が、丁度良い。法務省は、収容者へのさん付けと言い、再犯や犯罪抑止に成らない事ばかり、勝手に決めるな。 

 

 

 

 
 

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