( 195117 )  2024/07/27 01:31:03  
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現代社会は、SNSの普及によって「正義中毒」にかかりやすくなっているという(写真:mits/PIXTA) 

 

社会生活を送る中で、他人に対して怒りや不満を感じてしまうことは、誰にでもあるもの。しかし、「間違ったことが許せない」「私は正しく、相手が間違っているのだから、どんなひどい言葉をぶつけても構わない」というような思考パターンが止められなくなってしまうのは、「許せない」が暴走してしまっている「正義中毒」の状態です。 

なぜ私たちは、他人に強い怒りや憎しみを感じてしまうのか。その理由を、脳科学者・中野信子氏の著書『新版 人は、なぜ他人を許せないのか?』より、人類の脳と正義中毒の関係を紐解きながら解説します。 

 

■自分と異なるものをバカにし合う不毛な社会 

 

 SNSで飛び交っている、正義中毒者がなぜか頻繁に使用する単語は「バカ」です。 

 

 自分が絶対的に正しいという過剰な思い込みから、異なる考えを持つ他人をバカと決めつけ、攻撃(バッシング)を加えます。 

 

 災害時などに見られる過剰な不謹慎叩きや、芸能人の不倫叩きも、こうした見方から再考すれば、「あいつはバカだ」「あんなバカなことをするやつは許せない」「叩かれて当然だ」という、正義中毒者の暴走と見ることができるのです。ネットの登場とSNSの普及によって、私たちはより正義中毒にかかりやすくなりました。 

 

 また、中毒症状が全世界に公開される場が出現してしまったことで、誰がバカなのか、誰が自分よりも劣っているのかを常に気にし続けなければならない状況が派生的に誕生しました。 

 

 自分がバカだと思われることを恐れ、自分がターゲットにならないために、パッシブ(受動的)に他人を叩く行為に加担する(あるいはスルーして助けない)という現象が見られるようになったのです。 

 

 これは、自分がいじめのターゲットにならないように、いじめに加担する構造とよく似ています。 

 

 1984年、ニュージーランド・オタゴ大学のジェームズ・フリンが提唱したところでは、人類は20世紀以降、IQ(知能指数)を年々向上させていると言われます。1932年と1978年のIQを比較すると13.8ポイント高くなっており、1年に0.3ポイントずつ上昇していくというのです。これは「フリン効果」と呼ばれています(The mean IQ of Americans:Massive gains 1932 to 1978. (Flynn, J.R.(1984).)Psychological Bulletin,95(1), 29-51.)。 

 

 

 栄養状態の改善や、情報、知識を得るためのツールの充実によって人は着実に知能が上がっているはずなのに、互いをけなし合い、不毛に消耗し合う正義中毒がどんどん重篤になっているというのは、なんとも皮肉な話です。 

 

 元々は人間も動物と同じ、ただ生まれて、食べて育ち、起きて寝て、子を産み育てて死んでいくだけの存在だったのに、なまじ脳を発達させてしまったために苦しむようになってしまった。互いにバカと罵り合いながら、解決しようのない、そもそも解決する気もない争いを続けているのが人間という種の特徴なのだとしたら、最も悲しい生き物だと言えるかもしれません。 

 

■炎上ビジネスに踊らされる「正義中毒者」たち 

 

 一方、他人の粗探しに奔走する正義中毒の人たちを一歩引いたところから冷ややかに俯瞰している人もいます。そのなかには、大勢の正義中毒者をコントロールすることで、うまくビジネスにしてしまう例もあります。いわゆる「炎上ビジネス」と呼ばれるものです。 

 

 正義中毒者は常に、自らを絶対的な正義と確信できる不正義を、飢えた動物のように求めています。ですから、これをエンターテインメントビジネスとして考えれば、わざとわかりやすい失態を演じて、彼らに餌を供給し、その代価として報酬を集める仕組みが成立するわけです。 

 

 わかりやすい不正義の発生で世論が沸騰しているタイミングで、意図的に不正義とされている側をかばったり、正義のポジションで非難している人を厳しく批判する、というのも有効なタクティクス(戦術)です。 

 

 正義中毒者たちは燃料を与えられてますます勢いよく燃え上がり、同時にそれが新たな話題となります。ここで炎上ビジネスを仕掛けた側に注目が集まるわけです。最近の芸能界、芸能事務所を巡るさまざまな議論でも見られたように、SNSの出現でいわゆる外野が参画しやすい仕組みが作られたわけです。 

 

 一方で、そうした行為を炎上ビジネスと批判することそのものが間違っているのではないか、言論封じではないか、などといった新たなテーマも浮上してきます。 

 

 大事件になればなるほど、炎上のチャンスも増えていくことになるわけです。ここでは、話題としていかに素早く、気持ちよく、力強く沸騰するかがポイントなので、フラットな情報、ニュートラルな見方を保つための努力はあまり必要ありません。 

 

 正義中毒者が喜んで消費してくれるような不正義なネタを、スピード感を伴って供給できれば、話題の拡散による知名度や認知度の向上、ひいてはビジネスのスケールアップにまでつながるという仕掛けです。 

 

 

■多様性を狭めた集団は滅亡に向かう 

 

 正義中毒にかかった人たちは、一見するとそれぞれ独自の理論、独自の正義を持っているように見えます。しかし実際は、自分がターゲットにされることを恐れる気持ちから、多数派に流れている人が多いと言えるでしょう。 

 

 例えばAを「不謹慎だ!」と叩く論調が主流になってしまうと、異なる意見を持っていたとしても、言い出しにくくなります。これは、同調圧力の問題とも絡んでくる事象です。 

 

 社会全体でこういう方向に踏み出すことは、長期的に見ると非常に危険です。多様性を狭めた集団は、短期的には生産性を向上させ、出生率も上昇して成功を収めるのですが、進化の歴史の上では滅亡に向かいます。言い換えれば、種としての健全な繁栄のためには、多少コストと感じたとしても、ある程度の多様性を担保しておかなければならないということです。 

 

 これは「そうあるべき」という社会運動家的な文脈で語りたいわけではありません。あくまで可能性の問題としてですが、現在の環境や条件が急速に変化して、それまで「正しい」とされていたことの中央値が大きくずれてしまった場合、今まで適応していた人が生きづらくなる代わりに、それまで外れ値とされてきた「変わり者」や「圏外にいる人」が、むしろ適応できるようになることが起こり得るからです。 

 

 だからこそ、種を継続させていくためには、ある程度の多様性を確保しておいた方が、健全で安心だと言えるのです。 

 

 これは、企業に例えると非常にわかりやすい話です。強引かつ話術の巧みな営業担当者が好成績を上げている企業は、そうした人材ばかりを集めるようになるでしょう。しかし、ある日、急に規制が強化され、従来の営業方法が禁止されてしまったら、ほとんどの営業担当者が使い物にならなくなります。 

 

 そのとき、たとえ少数でも温厚かつロジカルで、顧客本位な営業担当者をたまたま雇っていれば、なんとか営業活動を継続できますが、全員同じタイプの強引な営業担当者しかいないという場合では、非常に厳しい状況を迎えるでしょう。 

 

 

■正義中毒は人間の「宿命」 

 

 自分と異なるものをなかなか理解できず、互いを「許せない」と感じてしまう正義中毒は、実は人間である以上、どうしようもないことです。 

 

 ただ、たとえ他人の言動に強い拒否感を抱いてしまったとしても、人間の脳の仕組みを知っていれば、無意味な争いに参加して消耗することもなく、仕返しに誰かを傷つけることもなく、楽な気持ちで見守れるようになるのではないかと思います。 

 

 比較例としてウサギを考えてみましょう。ウサギの大脳は、正義中毒を起こすには小さ過ぎ、人間のように正邪を基準とした行動は取りません。なぜ生まれたのか、などという問題で悩むこともないし、死ぬということもおそらく意識はしていないでしょう。ひたすら草を食み、子どもを作って、育てて一生を終える。このループを、文字通り無心に行っているわけです。 

 

 人間は大脳を発達させてしまったばかりに、ウサギと同じ行動をする脳の周りに、大脳新皮質と呼ばれる、思考を司る部分が増設されていきました。大脳新皮質が人間の繁栄と生存をもたらしたことは間違いありません。人間は、生き延びて種として繁栄していくことと引き換えに、生きている意味をわざわざ考えなければいけない、というやっかいな宿命も背負ってしまったわけです。 

 

 知性があるからこそ愚かさがあり、愚かさのない知性は存在し得ないという裏表の関係があると言ってもよいでしょう。インターネットとSNSの登場は、人間の知性と愚かさとの新しい捉え方を呈示したのではないでしょうか。 

 

中野 信子 :脳科学者 

 

 

 
 

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