( 195269 ) 2024/07/27 15:55:16 2 00 「陰部の露出は100%アートです」…公然わいせつ罪で《懲役》を下した最高裁「ポルノ裁判」に元千葉大教授が異論現代ビジネス 7/27(土) 7:04 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/0c485e27cca4f4e06e4e101d288241ce921be88c |
( 195272 ) 2024/07/27 15:55:16 0 00 Photo by gettyimages
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。
【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」
「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。
『踊る菩薩』連載第65回
『市民感覚が反映されない...あまりに不公平な裁判、昭和のストリッパー達が直面した理不尽すぎる日本の社会』より続く
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判例によると、「わいせつ」とは、「いたずらに性欲を興奮、刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」である。
この公判を通し、日本の司法は一条の「特出し」行為を、「わいせつ」と判断した。高裁の判決はこう認定している。
〈被告人(一条)が舞台上で多数の観客を前にして短い腰巻き、あるいはベビードール一枚のみの姿となり、中腰またはしゃがむなどの姿態で股を開き、指で陰部を広げるなどしてことさらに陰部を露出する所為は、わいせつの行為に当たることは明らか〉
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ストリップは「善良な性的道義」に反するのだろうか。私はストリップに詳しい者に、この点をどう考えるべきか意見を聞こうと、橋本裕之を訪ねた。
ストリップの世界を内と外から観察した演劇学者はこう語った。
「風俗と芸能で分けると、ストリップは芸です。100パーセント、アートです」
橋本は早稲田大学大学院で芸術学(演劇)を研究し、国立歴史民俗博物館で助手をしたあと千葉、盛岡両大学などで教授を務めた。今は大阪で神主をしている。
演劇を研究していた橋本がストリップに興味を持ったのは90年、29歳のときである。
山形県で舞楽を見物し、天童温泉に宿を取った。その温泉街にミカド劇場があった。歴史民俗博物館に勤めていたため、「国家公務員がこんなところに入っていいのかな」と思いながら、友人と2人で劇場に入った。ストリップを見るのは初めてである。
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先客は酔っ払いの男性1人だった。しばらくすると音楽が鳴り、ソバージュの女性が登場する。若くはないがスタイルはよかった。彼女はけだるそうに身体をよじらせて踊る。
「すごいと思ったんです。身体の動きがなまめかしい。その曲線がきれいに見えたんです」
客は自分を含め3人しかいない。そのうち舞台の女性が橋本に話し掛けた。
「初めてなの?」
橋本は踊り子と話し込み、ストリップを民俗芸能だと考えるようになる。これをきっかけに各地の劇場を訪ね、楽屋に入り込み、踊り子の友人を作った。踊り子たちと一緒に海外旅行に行くほどの仲になり、彼女たちの私生活も知る。
小倉 孝保(ノンフィクション作家)
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( 195273 ) 2024/07/27 15:55:16 0 00 ・私も初めは単に女性の裸体を見に行くものだと思っていました。 何度か行くうちに、客観的に見ると中々興味深く、違う面白さがありました。 ストリップは美しいですよ。 練習しないと出来ない技も有ります。 感心する場面も有り、女性客のファンも沢山居ます。 一つの私は芸だと思いますし、文化だと思います。
・2年前に友人9人でコロナ禍で延期になった還暦旅行でとある場所へ…そこで珍しくストリップ劇場があると知り、全員で行きました 週末なのに客は私達9人の他にはたった1人の10人… でも踊り子さんには最後まで楽しそうに踊って頂きました 全ての演目が終わった後、ステージ上から声が掛かりおしゃべりタイムへと… 色々なお話お聞きしましたが、ストリップ劇場は日本に12箇所残ってるだけとの話を聞いてはビックリ! 自分が18歳から働き始めた会社の慰安旅行で初めて行ったストリップ劇場は超満員でお客さんの若い女の子達も大盛り上がりだった事を思い出し、時代の流れを感じた瞬間でした
・その昔、アンダーヘアもダメだった。それが解禁になったのはたしか篠山紀信氏が撮った宮沢りえさんの写真集くらいからだったと記憶している。 こう言う問題は法律は常に実情の後追いになるのは仕方がないが、あれからずいぶん経っている、見る意思のない人まで見られる環境には問題ありだが、見たい人が然るべきアクセスをして観る分には問題ないと思うが、ネットなんかかなり前からそういう状況だし、それもダメと言うならちゃんとそれも取り締まるとか。
・浅草の老舗に午前中に行くと、年金から捻出したお金でやって来たおじいちゃんが、かぶり付きでウンウンと頷きながら夢中で見ている。とっくに枯れているのだろうがその目は少年の眼差しである。するとやおら舞台に突進し踊り子さんにチップを渡し、にっこりと握手をしてもらいじいちゃんの満足げな顔、こういう文化を無粋な法で取り締るのはいかがなものか?
・女性の裸体はとても神秘的。 アートだと言われても違和感はない。 話逸れるが、女性の体を知識として知らない事は罪だと思う。 海外ポルノは無修正当たり前。 男女平等、ジェンダーフリーだなんだと 日本の伝統と言うと語弊があるけど欧米基準に無理矢理変えようとしてめちゃくちゃにするのに、そういうのは頑なに隠そうと、変えないようにしようとするよね。
・ストリップといえば、かの天照大御神が天の岩戸に隠れた際、天宇受賣命(アメノウズメ)は女陰をあらわにして踊り、周囲の笑いを誘ったと言います。 それで、興味を持った天照大御神が岩戸を少しだけ開けたので、世に光りが戻りました。 神話の世界でもこうした踊りなどは、芸として扱われていたということでしょう。 淫らであることを制限するために、美しいものまで制限してしまうことは、多様性を標榜する今の社会の流れにも反しているかと。 もっとも現実は多様性の名の下にむしろ多くの表現が規制されているので、期待はできないですね。
・ストリップはエロ目的で行ってみて、その美しさに目を奪われ、女性でもハマってしまうって聞く。 オーケンの本にも書いてあった。
同じ裸でも芸術的な見せ方とエロ的な見せ方とあるのだろう。
裸っていつも、芸術と猥褻の議論をされる。 私は両方だと思う。
キリスト教がヌードを規制し、「じゃあ神様だったらいいでしょ。人間じゃないし、神様は服なんて着ないよ」って、神話モチーフにヌードを描いたのは、人間の欲と業を感じて好き。
・服というものが無くなりすっぽんぽんになって街も歩いていたら羞恥心もなくなるが隠さなきゃいけないという考えもなくなり見たい触りたい等の感情もなくなり性犯罪もなくなるとか…そんな事にはならないだろうが猥褻との境は難しくなってきてると思う。
・公序良俗、というのはわかるようなわからないような、妙な概念だ。 ただ、我々の社会はある程度の共通認識を持たないと成り立たない。社会が成り立たないと国家は崩壊するから、なんらかの共通認識は必要であり、性的秩序についてもなんとなく、今の社会における共通認識のラインを引いて、規制したりする。
逆に言えば、共通認識で裸を見せることが当たり前で特別でないとすれば、ストリップの問題など生じさせるべきでないし、規制すべきでもない。
問題は、共通認識の現在地を測る術が確立していないことかな。 社会は高齢者から赤ちゃんまでいて構成されているし、常に面子が変わるわけだから、もはや空気感で測るほかない。 それすら、外に露出するものでもないけど、そう遠くない将来(あるいはすでに?)、個人の思考、思想がスマホ等を通じて丸裸になると、まさに裸に対する共通認識は計測可能になるのかもしれないけれど。
・芸術や精神は次の観点で二つに分類が可能だと思う。 その観点とは、人類の進化の歴史や個体の成育歴に照らしてそれを遡る即ち原点回帰か、逆に未来に向かう即ち原点から遠ざかるものに分けられるということである。 〈原点回帰の芸術・精神〉 海洋表現、アフリカ芸術、ジャズ音楽ほか多くの民族音楽、母体賛美あるいは裸体表現、消費行動に幸福を感じる精神など 〈未来に向かう芸術・精神〉 山岳崇拝、キリスト教的表現あるいは禁欲主義、西洋音楽における古典派、生産活動に幸福を感じる精神など
動物園の猿の生態をみて嫌悪感を持つ人は〈未来に向かう〉を志向すると思う。嫌悪感を持たず好意的に見れる人は〈原点回帰〉を志向すると思う。
・見方によってはアートかもしれないけれど、では例えば覗き部屋とかでただ見せるだけは猥褻に認定してもよいのか?それに、そもそもストリップの客はアートを見に行っているのか、という話になる。なんか根底にアートは偉くて猥褻は悪みたいな価値観がないだろうか。ストリッパー本人に罪を負わせるのは間違っているけれど、アートだから無罪という論法にも違和感を覚える。
・私も橋本裕之氏がおっしゃるとおり、ストリップは民俗芸能だとおもう。裸体を美しく見せるということはもとより、花電車などの特殊な芸も将に民俗芸能といってよいと考える。
しかし、一時期の、関西ストリップ系の過激な舞台、なおかつ観客を巻き込んでの趣向などを、果たして民俗芸能の枠で考えてよいものかどうか、ここに疑問がある。
・誰もが研究者レベルの見識を持っているわけではないので、いくら研究者の審美的判断が適切かつ妥当であろうと、それをそのまま(一応の)「正しさ」として社会通念とするわけにはいかんのですよ。
全く異なる見地からの研究者レベルの価値判断による「正しさ」というのもあることだし。
定量化できないものに対し、「正しさ」もさまざま、通念とする落とし所もさまざま、というなかで「今のところはこういうこととします」と判断する際、「アートか否か」という美的判断は一判断材料にしかならない。
「こういうこととする」基準や判断はある種の「政治」であって、それが真理からして正しくあるかあるべきかは別の話。
・ストリップ劇場ってお金を払って見に行くんだよね、それって同意したのと同じことなんだよ。公然わいせつは、見たくない人に見せたときに成立するので劇場内の行為は全然該当してないと思う。
・古事記には天岩戸に引き籠ってしまった天照大神が、天安河原で天宇受賣命の踊りに気を取られて岩戸を開けたところを天手力男命によって導き出されたという場面があるが、これの意味するところは古事記が編纂された奈良時代にはストリップが存在していたということだ。 平城京では東西に市があったが、市とは今でいう繁華街で、その一部に歓楽街があってもおかしくない。 その一画に仕切られた空間と舞台があり、そこでストリップショーが行われていたと推察できる。 そういう現実がなかったら、古事記の天岩戸の場面は無かったに違いない。
・線引きは難しいけど、現実的にはアカデミズムが入って来て、論評でそのもの以上の価値が出て(出たように見えて)珍重する人が増えないとアートにはならない。バンクシーとただの落書きの違いはそこ。ストリップはまだまだ猥褻の域を出ません。海外のストリップも芸能とは認知されてないし。どんな無価値なものにも価値を見出すことに長けたフランスは違うかもだけど。
・1回だけ大阪のストリップへ行ったことがあるよ。客の中には若い女性もいて「なんなのこれ?」状態。踊り子の女性は絶対鍛えてる人でスタイル抜群、全身脱毛済みで全裸なのにエロからは遠い世界になっていた。おそらく昭和のストリップとは全く違う出し物なんだろうね。1回見れば十分。
・下世話な表現だけど裁判官がエロいと思うかどうか でしかないよね 判例だと芸術家であっても猥褻表現になる可能性があるって事は芸術家は本質的には猥褻表現にならないとも読み取れると思う けど、そもそも芸術家って知名度や収入でしか判断ができない気がする 発表方法が望んで見る人だけが想定されてるか 偶発的に見てしまう可能性があるか などの状況での判断しか定義化できないような気がする
・どうしても「アートかエロスか」と二元論で語られがちだけど、アートでありエロスであるものもある また、それを認める人の中にと「アート性がエロス性を上回ればエロス性が緩和されるのでセーフ」と、比較衡量で判断する人もいる でも、現実には「優秀なアートであり、なのにエロス性も失っていない」ものもあるのではないか
・ストリップがあーだこーだと言う前に、こうした性的描写は国民の総意が必要だと言うこと。いわゆる、多くの国民がノーだと言うものは社会的には違反とするのが道理だと言うこと。だから、ルールがある。 人は衣食住がないと生きていけないのでストリッパーの職業もありだと思うしそれを求めている大人も多いのは事実。しかし、人間は昔から社会を構築する上で暗黙的な約束事を決めているしそれに従って社会が存在しているのでは
・人間の体を見て、ここはいいとか、仕方ないとか、卑猥だとか、猥褻だとか…。 秘密にしたい部分、大事にしたいところに人の偏見が積み重なったものかもしれないが、所詮考え方しだいだと思う。 性被害とかとは違う見方かな〜。 日本の風土かな〜? ヨーロッパの国々やアメリカだったら、また違うんだろうな〜?
・なぜ裸が悪いものとされたのか。それは私が読んだ本によると、明治維新の時に江戸とは違うものにしようと外国の文化を取り入れ、その際に外国の「裸=卑猥」という考えも日本に取り入れられました。 それまでは風呂も混浴、庭先で女性が裸で行水とかあったとのことです。 大昔は欧州でも足を曝け出すのはとても卑猥なこととされてましたが、ミニスカートだったりヘソ出しルック、果ては無修正の動画、それらは海外からの物です。 だからもうね、日本も海外も文化は違うんだから、日本は日本独自にストリップ認めてもいいと思うのよ。
・と言うか、エンターテイナー。 身体能力の高さを思わせる踊りと妖しい瞳で男を引き付ける。 音楽の選曲に合わせた物語性がずっと印象に残る。
・アートやモニュメント又は絵画等は美術の作品はポルノとは全然違う!そういったものは裸像でも裸体でもモザイクやぼかしなどしたら作品の偽造であり美術品とはならずポルノになる!この世の人間は指紋と同じようにコピー以外同じものは無い貴重な技術作品なのだ
・それこそ不自由な作品で、愛知トリエンナーレでは、いわゆる猥褻な作品は展示されたのだろうか? 慰安婦彫刻や天皇批判的作品は展示され、問題提起して、様々なメディアで取り上げられていたが、猥褻作品はどうだったのだろう? 不自由な作品展示にも選ばす、主催者は目をつぶったのではないだろうか? 所詮予定調和なのだ。 江戸の春画展は英国で開かれた。 日本の作品でありながら日本では出来なかったのだ。 ロバート メイプルソープの作品は耽美なエロスが特徴だが、過激なエロス作品もあり、それなしではメイプルソープの作家性を掴めない。 だが日本の展示会ではそれらは展示されなかった。 一度、不自由な作品展で取り上げてほしいものである、
・ストリップ劇場で見る内容もカタチが違うものもあって、男優が出てきて混合アクロバットをするものもある。たしかにそれも芸と言えば芸なのだろうしポルノとは違う目線で見てしまうけども。
・今はネットで全てが見られる時代になってしまったんだから規制など意味をなさない。寧ろ成人を対象に解禁した方が裏社会の資金源にならず健全だと思う。売春買春も法整備した方が良いと思うだって世界で最初の職業とも言われているんだから。
・天の岩戸の神話では天宇受売命が裸で踊られた事で天照大神が岩戸を開けられたとあるから 猥褻と断罪するのもどうなのかなと思う
・友人が温泉地のストリップに行き劇場前で掃除をしていたオバサンがいらっしゃいと声をかけ中に入ったら真っ暗で誰も居なかったがしばらくするとさっきの掃除のオバサンが舞台にあがりカセットテープて音楽をかけて踊ったらしい。そしてそのオバサン一人て終わったらしい…
・古事記にアメノウズメが裸踊りして国が開けたとあるのが日本。明治期には公衆浴場が混浴だったのを聖書のイチジクの葉を持ち出して批判したのが、白人キリスト教宣教師たち。
それが、戦後になってキリスト圏の自国の女たちが、「女が肌を出す自由」を言って、キリスト教に反発した。
日本は明治期にキリスト一神教を真似た国家神道になって、その形が今でも残ってるから、それが今でも影響している。
・アメリカやドイツの「表現」に嫌悪感を持つのは、文化の差なのか?!
言葉の意味は異なりますが、「秘すれば花」、日本的情緒のある表現を好ましく感じるのも、文化でしょうか?!
・冒頭の判例に「普通人の正常な羞恥心に反し」と有りましたが「普通人」の定義って何だろうね?普通の人が街中にパンツ1丁で歩いてたら、間違いなく警察官がすっ飛んで来ると思うけど、パンツ1丁のお笑い芸人だと笑って見過ごすのだろうね。
・判例によると、「わいせつ」とは、「いたずらに性欲を興奮、刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」である。 ↑ 昨今日本ではこれ(いたずらに……に反するもの)に該当するようなファッションで街中を闊歩する女性(男性も?)が多数いる、特に夏場ともなれば。で日本の警察はこういう人たちを公然わいせつ罪で逮捕しますか? 法律とは? 裁判とは?
・逆に局部を知らないまま性行為に及ぶ方が女性がダメージを受ける場合もあるので、 いつまでも警察の利権のために修正なんてしてる場合じゃない。
・見たくない人の目に触れさせるようなことは、公然わいせつと言われても仕方ないとは思いますよ。
見たい人だけのクローズドな場でなら何ら問題無いと思いますけどね。 アートであろうとなかろうと。
・このインバウンドの時代に外国人にストリップ紹介したら恐らくだけど、連日満員になると思うんだよね。もしそうなったら、絶対に取り締まりとかやらないだろうな~て思いました。
・どこが芸術じゃ 洋服を脱いでるだけでしょう アートといえば何でも許されるのか? 強盗や窃盗はアートだ 殺人はアートだ 詐欺はアートだ って言葉ではいくらでも言えるけれど、それじゃあ本物の芸術に失礼じゃないか?
・アートとは何か、で裁判が起きた事例は他にもあるので、今後もアートの範疇は変わるのではないかと。全裸がアートならそこに含まれてるとも言える。
・卑猥ね、裸で生まれて来て、服を着て過ごす文化が浸透している昨今。服を着る文化がなければ卑猥って言葉がなかったと思うと不思議。 国が違えば文化も違う世の中不思議だらけだ。
・単に演者と受け取り側の気持ちの問題じゃないかな?たとえストリッパーが美的感覚でのみ演じていても観客がHな気持ちになるならダメじゃん。それに昔はホンバンだなんだとイケナイ事もやってたりしたから世間一般的なイメージも悪いし?
・そういえば 昭和30年代までは、混浴温泉が全国に当たり前のようにあった。 物資不足だからしょうがない どうやら東京五輪開催を期に廃絶が進んだようだ。 五輪も罪な事をしてくれる
・時代ですね、今だとスマホでいつでも観れる ある意味規制した方が良いと思うくらいだ アートは言い過ぎだとは思うが 小さな場所で裸になって誰に迷惑を掛けるのか もっと迷惑をかける奴は移民含めてゴマンといる
・アートかどうか解らないが、見たい人がワザワザお金を払って、それで稼ぐ人がいる訳で双方喜んで誰にも迷惑掛からないのに害を与えるとはいかなる事かと思います。
・「ストリップは芸です。100パーセント、アートです」の発言で人間的に受け付けません。 「100パーセント」って簡単は使う言葉ではありません。 これは「俺が100パーセントって言ってるんや!」と相手を脅迫しています。 内容以前に人間性の問題です。
・ストリップ劇場は慣れると楽しい。平和な雰囲気がある。全国に復活させるべきだ。以前はもっと無かったっけ。
・犯罪の抑止の為と言うなら理解するが、映像作品のモザイクなんて全く無意味で、タダの利権だと思う。生産性を低下させて、美味しい思いをしてる者がいるだけ。
・早稲田大学院芸術学?国立歴史民俗博物館勤務とよく分からないが。 大学で雇えるから凄い金持ちだよな、お習字も学問になるんじゃないのか
・今は いたずらに刺激 が多すぎるようで、性犯罪が多い。情報の実態と実情を一刻も早く割り出した方がいい。
・愛知県の鶴舞ストリップ、岡崎市、浜松の舘山寺にあった。 いま近場で残ってるのは熱海かな、少なくなった。
・いわゆる中開いて見せるのには制限かけないといけないけど外○○までアートに規制かけなくてもいいんじゃないかな? あくまでも見たい人に限定して まちのなかでみせるのはいただけないけど 例えば知事選公示のポスター
・映像などで局部にわざわざ修正を加えることの方がよっぽど卑猥で猥褻だと思う。
・アートかどうかって誰が決めるのかね。 俺からしたら現代アートなんて呼ばれて高値で取引されてる物の半数以上はアートとは思えないけど。
・そもそもアートだったものも規制されつつあるんだから。大々的に人集めて金取ったりせずに、趣味の範囲内ならいいんじゃないの?
・性交場面はともかく、赤ちゃんが産まれてくる命の出口を猥褻と言うこと自体、生命に対する冒涜でしょう。誰でも一度は通る門。
・いろいろ理屈捏ねてる人結構多いですが、要するに見たいだけですよね。インテリぶらずに素直にそう言えば良いのに。
・隠さず普通に見れるとワイセツでもヒワイでもなく当たり前になると思う 中途半端に隠したりするからダメ
・見出しめちゃくちゃすぎ 内容見たら「ストリップは100%アート」って言ってる ステージでやるストリップとただの露出がイコールのわけないだろう
・今の時代は男性のストリップも普通に行われてるわけだからね 女性へのサービスの場合やたら名称を変えて誤魔化してるけど
・高校の頃、同じクラスにいたエロ博士が「モザイクやボカシの先に夢がある」と言っていた。 何言ってんだコイツと思ってたけど、今にして思えば真理を突いてたな。
・自身は絶対やらないけど個人的には露出はアートかどうかは知らんけど、自由の一環であると思ってる。
・アキラ100%(大橋彰)もネタを劇場などで行う時は、公然わいせつでの逮捕逃れのために特殊な下着を穿いていたそうで・・・。
・一条さゆりさんは80年代だったかに マスコミに取り上げられて一大センセーショナルに成った事も有りました!それを未だに取り扱うこの三流雑誌の編集長!他に書くもの無いのか?無ければ辞めろ!
・街中で露出してるわけでもない。見たい人が観に行って脱いでるだけの何がいけないのかわからない
・お互い合意の上ならば、全然見せても問題無しでしょう。今だに日本はモザイクとやらのアホくさいものまであるし、時代遅れも甚だしい。グローバルから馬鹿にされるよ。
・わいせつは主観的な問題。医学的に粘膜ぱーツを露出するのは衛生科学的に安全かどうかの問題。
・モザイクとか誰得やねん、な話。 性を悪事のように扱うのがそもそも間違ってる。
・そもそも人の体の1部をわいせつなんて定義する方がおかしい そしてそれをアートだとか言うのもおかしい
・アートっていうと只の物が急に高額商品になったり、急に自由でなんでもありになる世の中の謎。
・プロも居ればアマも居る 努力してる人は芸術ですよ。 踊り子なのですから。
・ストリップは文化、昔からおっ広げだけど暗くしてるから良いんじゃない?
・秘密の花園は秘密だから魅力があるんだよ。 それがわからない人達に美を語ってほしくないな。
・学校での性教育もわいせつ行為っぽいよな 受けたい人だけ受けるならまだしも全員強制でしょ??
・猥褻にしろ、ギャンブルにしろ、お上の財布に手を突っ込む事には厳しいんだよ。
・一般人に芸術かって聞いて、そうだと答える人どれだけいるんだろう
・ずいぶんとこういうテーマにお目にかかりませんでした。 ほっとしました。
・アートとは言い過ぎかもしれないがいやらしさではなく男のロマンのように思う。
・猥褻と芸術は背反しないので、どちらだ、という問いは無意味だ。
・わいせつ罪は問答無用で逮捕です。皆さん注意してくださいね。
・視点の相違で結論づけるのは難しいのでは。
・げいじつかどうかは知らんが、バッポンで見た吹き矢姉さんはおもろかった。
・何処に響いたかで意味合い変わるからなぁ(笑) 観た人の主観でしか無い物よね
・アートとまでは言わないが文化であることは間違いない。
・別に最高裁が判断したならそれ以上はない。学者が何を言おうが知らない。
・裸体に大きな差はないわけだから何を持って駄目なのか分らん。
・肉体はどこも美しい
・刑法175条は撤廃すべき。
・芸術だと思います 一緒人なので
・本の購入誘導でした。
・まさに見解の相違。
・う〜ん…いまじゃネットフリックスでも見放題!
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