( 195554 ) 2024/07/28 14:34:44 0 00 飲酒・喫煙問題でパリ五輪への出場を辞退した宮田笙子選手 Photo:Aflo
● 宮田選手を許せない 「日本社会の掟」
パリ五輪の体操女子日本代表主将の宮田笙子(19)が喫煙と飲酒による代表行動規範違反があったとして代表を辞退した一件について、未だに日本中で議論が盛り上がっている。そんな中で注目されているのが、「有名人」と「一般人」のギャップだ。
【画像】宮田笙子選手も映るはずだった……パリ五輪、体操女子日本代表
7月24日、デイリー新潮が配信した《そうそうたる有名人が「宮田笙子は五輪に出場すべき」とXに投稿してもネット世論は完全無視 謎を解くカギはビートきよしの投稿にあった》によれば、名だたる有名人たちが「若者の未来を潰すのか」「罰が重すぎる」と擁護にまわっているのに対して、ネット世論はそこに同調する動きが少ないということを紹介。なぜこのような「温度差」が生じるのかについて、記事中でITジャーナリストの井上トシユキ氏はこんな分析をされている。
「ネットユーザーは“ルールの遵守”を求める傾向が強い」(デイリー新潮 7月24日)
政治家は裏金をつくってもトカゲの尻尾切りでウヤムヤにして、パワハラが告発された県知事もなんやかんやと言い訳を並べて居座っている。そんな感じで権力者たちが次々とルール破っても「罰」を受けていない現実の中で、代表行動規範違反をした宮田選手が報いを受けたことを、「正義が実現した」と好意的に捉えているほか、ある種の“憂さ晴らし”になっている、というのだ。
確かにそういう側面もあるとは思うが、「ネット世論」がどうこうという以前に、我々が幼い頃から教育によって刷り込まれている「日本社会の掟」が大きいのではないかと思っている。それは一言で言い表すとこうなる。
「どんなに優秀で、どんなに才能のある人でも、組織のみんなに迷惑をかけるような勝手なことをした場合、重い代償を払わなくては組織の秩序は守られない」
この「掟」にいかに我々が縛られているのかということを示す調査がある。転職・求人情報サイトを運営するヒューマングローバルタレントと、海外ITエンジニア派遣を展開するヒューマンリソシアが、エイムソウルと共同で48カ国、1407名を対象に行った「職場における仕事観・倫理観に関する国際比較調査」というものがある。
これによれば、アメリカ、フィリピン、インドネシア、ミャンマー、韓国、中国と比べて、日本は最も「規範」が強いことがわかった。「ルールの不遵守」「誤字脱字の数」「早期離職」などの項目に関して、他の6カ国と比べて最も許容範囲が狭いという結果になった。この強い規範意識が、そのまま「組織の秩序を乱す者」への憎悪につながることは言うまでもない。
では、なぜ我々日本人はここまで過剰に「規範」を求めるのか。「日本のように自然災害などが多い国で集団が生き残るには、厳格なルールのもとで団結しなくてはいけなかった」という文化社会学的なことをおっしゃる人も多いが、実はシンプルに「子どものときからそう叩き込まれたきた」ということが大きい。学校教育法の「義務教育」の中にはちゃんとこう明記されている。
「学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」(第21条)
だいぶ昔のことだろうが、自分が子どものときのことを思い出してほしい。ホームルーム、部活動、合唱コンクール、大縄跳び競争、運動会での人間ピラミッドなど、形は違うが日本の学校教育の根底には「みんなに迷惑をかけないためにルールを守りなさい」ということがある。これができない子は「問題児」とされて、いじめの対象となったり、クラスの迷惑者扱いされたはずだ。そうやって「ルールを守ることは素晴らしい」を教え込まれた子どもが会社に入ると「社畜」になるというワケだ。
つまり、世間一般の人々が宮田選手を擁護しないのは「正義感」や「憂さ晴らし」からではなく、単に「みんなに迷惑をかけた者は排除される」という日本人の極めてベーシックな「規範意識」に基づいたものなのだ。
これをさらに後押ししているのが、世間一般の多くが会社員など何かしらの組織に属していることだろう。
皆さんも自分の職場を思い出してほしい。「アホらしい」「なんでこんな理不尽な決まりを守らないといけねんだよ」という謎ルールもあるが、不平不満をグッと抑え込んで従っているのは「みんなに迷惑をかけてはいけない」という思うがあるからだ。
自分がルールを破ってしまったら、同僚や取引先に迷惑がかかる場合もあるし、部下や後輩などにも示しがつかない。いわゆる、「ガバナンス」がボロボロに崩壊してしまうので、組織の属している以上はルールに従わなければいけないという考えがあるはずだ。
こういう「組織人」からすれば、宮田選手の飲酒・喫煙が決して「小さな問題」ではないことは明らかだ。
● 内部通報が物語る 処分の妥当性
報道によれば、宮田選手の飲酒と喫煙の情報が強化本部に寄せらたのは「事前合宿地のモナコで内部からの通報」だったという。これはつまり、宮田選手と一緒に合宿をする「仲間」が彼女の行動を問題視して情報提供をしたということに他ならない。つまり、「組織の秩序を乱す者」として刺されたのだ。それを示唆するような情報もある。
《関係者によると、宮田に対して以前から素行の悪さを問題視する声があり、喫煙について「過去に厳重注意を受けていた」との証言もある》(スポーツニッポン 7月20日)
しかも、組織の中でも、特にアスリートに「迷惑」をかけていた恐れもある。記者会見で飲酒は、東京・北区のナショナルトレーニングセンターのアスリートビレッジ(宿泊施設)で行っていたという。これはつまり、この施設にいた代表強化選手たちの中には、宮田選手の飲酒シーンを目撃した者もいるかもしれないということだ。
五輪という世界の檜舞台を前にギリギリの精神状態で調整をしているアスリートからすれば、これは「大迷惑」と言っていい。
これは学生時代、先輩や同級生が体育館裏でタバコを吸っているのを目撃してしまったときの気まずさを思い出してもらえばよくわかる。ホームルームで担任から「最近、校内でタバコを吸っている者がいる。誰か知らないか?」と言われて、自分が吸っているわけではないのにやましい気持ちになる。そして、「バレたら自分がチクったと勘違いされるのでは?」なんて余計な心配事を背負い込むこともある。
宮田選手の「酒・タバコ」を目撃していたアスリートがいたとしたら、これと同じようなストレスを味わっていたかもしれないのだ。しかも、もしそれが宮田選手よりも年下だった場合、「先輩のために黙っていなきゃ」と板挟みでかなり精神的に苦しむこともある。練習に集中しなければいけないこの大切な時期に、まったく「迷惑」な話である。
このような数々の状況を考慮すれば、世間一般の人々が宮田選手をそれほど擁護せず、「今回は残念だけれど、心を入れ替えて次回頑張って」となるのも当然なのではないか。
● 思い出してほしい… 東京五輪の"あの騒動"を
さて、そこでみなさんが疑問に思うのは、「だったらなぜ有名人は宮田選手をやたらかばうのか?」ということだろうが、これはシンプルで、「組織人」が少ないからだ。
「宮田選手を五輪に出すべきだ」と主張されている方たちの顔ぶれを見ると、芸能人、ジャーナリスト、経営者、政治家などいわゆる「一本独鈷」でやっている人が多い。つまり、組織に属して「みんなに迷惑をかけてはいけない」と組織のルールに従うという日々を生きている人たちではないので、一般の日本人よりも「組織の秩序を乱す者」に対して寛容になっているのだ。
もちろん、有名人の皆さんがルールを軽視しているなどと言っているわけではない。もとは組織人だった人もいらっしゃるのだから「ガバナンス」の重要さをよく理解されている人もいるだろう。ただ、発言を見ていると、やはり自分自身が「個」の力でいろいろなことを成し遂げた人が多いせいか、どうしても宮田選手という「個」の力のある人に感情移入をしているように感じてしまう。
一般人のSNSを見ていると、やはり「組織」の問題を指摘している人も多い。チームやアスリートなど「宮田選手の行動に迷惑をかけられた側」の視点に基づいて、「処分もやむなし」となっている。
実はこういう有名人と一般人のアスリートをめぐる考え方のギャップは、東京2020でもあった。
新型コロナウィルスの感染防止策として、子どもたちの運動会、修学旅行などの学校行事はすべて中止となり、なんの思い出もつくれなかった。飲食店やイベント事業者は「命を守れ」の大号令の中で、営業自粛や時短営業を余儀なくされた。
そんな中で、東京2020も中止すべきではないかと議論になったとき、有名人の多くはSNS等で「4年間ここに向けて頑張ってきたアスリートの思いを考えろ」「世界に誇る国際スポーツイベントを子どもの運動会と一緒にするな」と説いた。
しかし、一般庶民の多くはモヤモヤしたものだ。なぜ「五輪」というだけでそこまで特別扱いされるのだ、と。今回、有名人の宮田選手擁護にネット世論がなびかなかったのも、実はあのときのモヤモヤを多くの人がまだ覚えているということもあるのかもしれない。
(ノンフィクションライター 窪田順生)
窪田順生
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