( 195581 ) 2024/07/28 15:12:02 2 00 「テレビ離れ」が進むのは必然…選挙で「大誤報をやらかすテレビ」よりYouTubeが信頼される納得の理由プレジデントオンライン 7/28(日) 8:17 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/c91746b72784f190b8524ebf668f5427b42fef46 |
( 195584 ) 2024/07/28 15:12:02 0 00 ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/EKIN KIZILKAYA
東京都知事選では、小池百合子氏、蓮舫氏、石丸伸二氏の3候補に報道が集中した。メディアコンサルタントの境治さんは「テレビの選挙報道は有力候補を決めたら他の候補は扱わず、投票用紙の書き方さえ間違って伝える。そもそもテレビを見ない若者にとって、選挙で『信頼できるメディア』はYouTubeになっている」という――。
【図表】都知事選を巡る報道時間の推移(2012年~2024年)
■投票日当日に「誤情報」を放送
7月7日投開票の東京都知事選は、個々の候補者がさまざまな話題を振りまいたが、メディアの捉え方を一変させるイベントでもあったと思う。
とくにテレビの選挙報道について疑問を強く抱いた。選挙について、国民のためになる報道ができていたか。
もっとも衝撃を受けたのは、投票日当日のTBS「アッコにおまかせ!」での投票の注意だった。宇内梨沙アナウンサーが「正しく立候補した名前で書いてください。ひらがなで立候補している人はひらがなで、漢字で立候補している人は漢字で書くようにしてください」と言ったのだ。たまたま番組をぼーっと見ていた私は、麦茶を吹き出しそうになるほど驚いた。
候補者の名前はひらがなで書いてもいいし、字を間違えても無効にはならない。どの候補への投票かがわかればいいのであって、「正しく立候補した名前」である必要はない。「蓮舫」と書けないといけないなら、彼女の得票数は激減しただろう。
■テレビの「劣化」を象徴するミス
そんな、選挙の「常識中の常識」を、質問した勝俣州和にTBSの宇内アナが完全に誤って教えたのだ。和田アキコを中心に巷の話題を楽しくおしゃべりする番組だが、このコーナーは選挙当日に視聴者にあらためて注意喚起することを意図されたものだろう。つまり、視聴者にレクチャーする真面目な時間だった。そこで大間違い、しかも誰でも知っていることを誤って教えるとは。
さすがに番組内で宇内アナが訂正し、謝罪した。だがこの誤りは大きいと思う。投票日にわざわざ、視聴者に正しい投票を呼びかけるコーナーだった。TBSのディレクターやプロデューサーがチェックしたはずで、宇内アナに謝らせるのは筋違いだ。番組として、局としての大失態ではないか。テレビというメディアの「劣化」を象徴するミスだと言っていいと思う。
今回の選挙では、選挙期間中のテレビ報道が物足りなかったことも取り沙汰された。それを象徴するのが、まったく無名ながら約15万5000票を獲得し、5位に食い込んだ安野貴博氏についてテレビが伝えなかったことだ。なぜか選挙後に安野氏はあちこちの番組に呼ばれ、本人が自虐的に「報道0秒」と言っていた。
私も今回の選挙報道は圧倒的な物足りなさを感じた。少し前まで、東京都知事選挙といえば半ばお祭りのようにテレビが報道していた印象がある。
■「うちの党の放送時間が短い」とクレーム
この10年ほどの間に、政党からの選挙報道へのクレームが強くなったとの噂がある。元々選挙報道で各政党をどれだけ伝えたか、秒単位で測って自党が少ないと政党がクレームをつけることはあった。そのためNHKでは秒を超えてフレーム単位で計測して揃えていたとの話も聞く。
そして、2014年に自民党が各テレビ局に選挙期間中の報道の公正中立を求める文書を出したことが明るみになった。それ以降、テレビ局は萎縮し選挙報道を控えるようになったと言う人もいる。
エム・データという、放送された番組をテキストデータ化し提供している会社がある。同社に、この10年ほどの東京都知事選について、テレビ局が報道した時間をデータ化してもらった。選挙期間中、つまり選挙の公示日から投票日までの15日間、NHKと民放が合計何時間、都知事選を報道したかを選挙ごとに集計したものだ。
自民党から文書が各局に届いたという2014年以降、テレビ報道は徐々に萎縮していったと想像していた私は、データを見て愕然とした。2016年だけが突出して多いし、今回の選挙は前回よりむしろ多くの時間を使って報道されていた。自民党の文書はあまり関係ないのだろうか。
■2016年の選挙報道が圧倒的に多い理由
2016年の都知事選が多く報道されたのは、要するに盛り上がったからだ。2014年に都知事に選ばれた舛添要一氏が数々のスキャンダルを暴かれて辞任し、小池百合子氏が自民党を離れて立候補。小池氏を推薦しない自民党都議会のドン、内田茂氏は元総務相増田寛也氏を候補にする。
一方、野党側からは当初宇都宮健児氏が立ったが、野党4党統一候補としてジャーナリスト鳥越俊太郎氏が擁立される。野党系をまとめるために宇都宮氏が身を引いた。選挙戦は自民と対立する小池氏、自民が推す増田氏、野党系が立てた鳥越氏の3者が「有力候補」として扱われた。
鳥越氏はなぜか安倍政権批判や脱原発など国政レベルの争点を持ち出して上滑りし、内田氏をうまく悪者にしてSNSを上手に駆使した小池氏が圧勝した。街頭演説をSNSで配信し、女性たちが「変えられる」と緑を手にして集まった光景をまざまざと思い出す。
■「主要4候補」に集中し、52人は無視
2016年の都知事選はそんなドラマ性あふれる選挙だったことを思い出すと、テレビ報道時間が多かったのは当然のデータだ。だが、それにしても多すぎではないか。
嫌味な見方をすると、盛り上がる話題があるからたくさんの時間をかけるのなら、ネットの問題と言われるアテンションエコノミーにテレビが陥ったとも言える。話題の3候補に集中し、18人もいた他の候補はほとんど扱わなかった。
今回も、小池・蓮舫・石丸・田母神を主要4候補として他の52人の候補は取り上げなかった。選挙が終わってから安野氏を紹介するなら、テレビの選挙報道は適切と言えるのだろうか?
そんな都知事選から1週間ほど経った7月16日、「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」という総務省の有識者会議の「とりまとめ(案)」が出た。この会議の長すぎる名前には、ネットでフェイクニュースや詐欺広告が蔓延する深刻な現象への危機感が込められている。
著名人の名前を騙る詐欺広告は、一時期毎日のように話題になったわかりやすい問題だが、日々私たちが接するニュースや情報を安易に信じられないというのもヘビーな問題だ。
この会議は23年11月にスタートしたが短期間で25回にも及んで開催され、あらゆる分野の関係者、企業、業界団体からヒアリングを受けた。
■テレビ・新聞は本当にこのままでいいのか
「とりまとめ(案)」では各ステークホルダーの役割・責務として、「情報伝送プラットフォーム事業者」に対して「情報流通の適正化」など多数の項目が書き込まれていた。詐欺広告の舞台となったFacebookやGoogleなどに役割と責務を自覚してほしいとの強い意志を感じる。
一方、「情報発信側」として「伝統メディア(放送・新聞など)」に対しては「信頼できるコンテンツの発信」が求められると、簡単にまとめられている。この会議を何度か傍聴しながら、この「伝統メディア」は「これまでもちゃんとしてましたがこれからも信頼できる情報を伝えてくださいね」と、あまり問題視しない姿勢を感じていた。
それでいいのかなあと私は懸念を持っていた。ひとつには、マスメディアの「劣化」だ。投票用紙の書き方さえ間違うし、選挙報道では有力候補を決めたら他の候補は扱わず、話題の多い盛り上がる選挙では時間を多く割く。「信頼できるコンテンツの発信」ができているのだろうか。
「信頼」とは、確かな情報を届けることもあるが、頼りにされるか、当てにしてくれるか、もあると思う。正しければ信頼されるかといえばそうでもない。
2024年の都知事選挙は、テレビよりYouTubeを信頼する層が、選挙結果に大きな影響を及ぼした最初の選挙だったのだと私は思う。
■YouTubeが選挙の「主戦場」になる未来
実際、都知事選後に行われたFNN世論調査では、インターネットを通じた候補者の選挙運動を「大いに参考にする」が13.9%、「ある程度参考にする」が46.4%と、約6割に上った。一方、「あまり参考にしない」は20.7%、「全く参考にしない」18.1%だったという。
今回「台風の目」となった石丸伸二氏は、公式YouTubeで公約の説明や街頭演説の様子を積極的にアップし、再生回数では知名度の高い小池氏や蓮舫氏を大きく上回った。165万票を獲得し、2位に食い込めたのはこうしたネット選挙の成功が大きいだろう。
テレビの選挙報道がこのまま委縮し、特定の候補者に集中していくのであれば、候補者たちが自ら発信できるYouTubeやSNSを活用しようと思うのは当然だ。今後の選挙では、ネットが「主戦場」になっていく可能性がある。
■テレビかネットか、境目は団塊ジュニア世代
ここで、人口問題研究所が作成した人口ピラミッドを見てもらいたい。まずは2015年の人口ピラミッドだ。同研究所は5年ごとのピラミッドを提供している。2016年の都知事選に近い年として選んだ。
赤い線は私が引いたもので、団塊ジュニア(1971~74年生まれ)の最年少の人々がだいたい40歳になるので、上下を分ける意味だ。
団塊ジュニアを上下を分ける境目にしたのは、その上はマスメディア世代、下はネット世代と私が捉えているからだ。厳密な境目とは言えないが、10年前に30代までの人がネット世代だったと言うのは間違いではないだろう。
次に2025年のピラミッドだ。
今度は線を50歳に引いた。団塊ジュニアも50代になったのだ。そして10年前のネット世代の上の方はもう40代だ。これは私の体感に近く、50代の人とは昔のテレビの話題を共有できるが、40代の人だとさっぱりわからない顔をされる。50歳を境に、文化が違うように思える。
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( 195583 ) 2024/07/28 15:12:02 1 00 (まとめ) テレビよりもネット、特にYouTubeが支持される理由は、知りたい情報にアクセスしやすいからとの意見が多く見られました。 | ( 195585 ) 2024/07/28 15:12:02 0 00 ・テレビよりネット、YouTubeが支持されるのは、知りたい情報にアクセスしやすいからだと思います。 テレビは視聴者の考えに関わらず、情報が提供されますが、ネットや特にYouTubeでは、見たいと思ってアクセスした情報が入ってくるので支持されるのは当然かと思います。 ただ、それは間違っている、もしくは偏っている情報を修正されることが難しいです。 自らアクセスしてきてもらうということは、より人の目を引く内容やサムネイルが必要になってしまい、より意見が偏るもしくはごく一部の少数の意見が総意であるように配信されていたりという危険性が付き纏います。
しかし、そもそもテレビで誤報は論外と思います。それはネットでも同じですけどね。
・是非はともかくネット世論が選挙に及ぼす影響が大きくなってきたのは事実。前回の衆院選でネットの評価が低かった立民が惨敗し、自民党でもネットで厳しい評価を受けていた大物議員である甘利幹事長や石原元幹事長が小選挙で敗戦した時にまざまざと感じた。今回蓮舫氏が出ず小池氏と石丸氏の一騎打ちになっていたらもっと接戦したかもしれない。
・テレビや新聞が主流だった時代は、メディアが伝えてる事は真実なんだってほとんどの人が疑わずに洗脳みたいに信じてたと思うけど、誰でも発信できるyoutube等のSNS時代になった今は同じ話題でも意見の違う動画等もあるし、これからは自分自身で本当の事を調べるいい機会になりつつあるんじゃないかと思う。
・YouTubeで見るのは、商品レビューとか、ハウツー動画みたいなのだけだね。あとは、かなりコアなコンテンツ。 ただ、網羅的に情報を見ようと思うと、テレビの方が有利。あと、YouTubeはあくまで動画が発端で、目に入る情報の方がメインだから、聞き流しに向かない。 それぞれ使い分けると便利。
・若者ではないが以前と比べるとテレビを見る時間が激減した。以前、夕食時は必ずテレビを見ていたが今ではYouTubeやストリーミング放送。一応テレビはつけてみて各チャンネルを少しづつ見るがすぐに見るのをやめてしまう。選挙報道も偏向報道して印象操作しまくりかもしれないが、それ以上にテレビ番組がつまらなくなった。吉本のお笑い芸人が内輪で盛り上がっていたり何か食べに行く番組とか商品紹介みたいなものが多い。テレビのスポンサー料も激減していてネットが3倍以上とからしい。将来、地上波のテレビ放送は採算が合わなくなって17時~22時とか時間制になるかもしれない。凋落産業の代表格みたいになている。
・最近のテレビ離れは、たぶん電気代の高騰も影響していると思いますよ。 うちのテレビは、電気使用量が大きいので、 あまり見ない様にしています。観るのは野球中継くらいでしょうか。 ドラマやバラエティなども、PCやタブレットで十分楽しんでいます。
・そもそも客観的、中立なんて存在しない。必ず誰かの視点から報道されるのだから。むしろ、報道側が立場を明らかにした上で、伝えた方が視聴者の判断材料になります。曖昧な客観的報道で勝手に自粛するテレビ、新聞より、オンラインの方がわかりやすいこともあります。あとは、視聴者の情報リテラシーと批判的思考力を高めることですが、今は報道側がにも求められるように思います。
・テレビの情報からだけでは、必ずしも情報リテラシーを身に着けようとする力が備わってきません。一方で、ネットでは、その情報が正しいものばかりではなく、嘘や間違い等も多いため、情報の真偽を自ら判断する能力が求められます。
結果として、多くの情報を収集して比較することや、Googleで真意を確認するといった対応を通して、事象を正しく理解し、それを適切に判断できる能力が向上してくるというものです。そういう感性を持った人がテレビ情報の真偽を推し量ると、切り取られている情報では真意が判らないことに気づくのでしょう。
・選挙報道、とまとめると、主要候補の報道が多かった、と言う論点になるのかもしれませんが、そもそも公示日〜投票当日までの報道自体が少なすぎたと思います。 それを検証して欲しいです。 いつもの事かもしれないけど、選挙に関心のない人の目にも止まるようにせめてテレビだけでも事前番組や公開討論会をもっとやるべきだったと思います。
あと、テレビもネットも情報の取捨選択が必要なのは同じですね。 ネットの方が、自分に近しい意見が集まりやすいのは注意すべき点だと思いますが。
・テレビもYouTubeも基本的には特定の見方や信仰を洗脳させる媒体ですから、どちらも信頼できるものではない。毒も使いようによっては薬になるが如く、そのことを念頭に置いていれば、有効活用はできます。洗脳番組以外の番組を選べばいいだけですから。故に、第一の判定基準としては、「これは洗脳番組だな」と気づくかどうかにかかっています。その基準を持っているだけでも、世の中の見え方がかなり変わってきます。
・若い世代は、新聞、テレビもネットの情報もどちらも信用出来ない部分があると知った上で付き合うことをはじめている。
これは、従来の世代にもマスコミに対して距離をおいていた人はいたが、若い世代は圧倒的に増えていると思う。世論をコントロールしたいマスコミにとっては脅威だろう。
ネットの情報だけを見て選挙の判断は危険だ、テレビや新聞の情報を擁護するような論調が最近目にするが、地方のテレビ局は非常少ないし、地方紙は大いに偏った論調が目立つ。
ようやく、一般市民に情報が行き渡りはじめた時代が来たのかもしれない。
・テレビが正しい情報を出しているというのは間違い。 スポンサーや組織的な問題が裏に隠れているため、かなり偏った情報や意図的な情報を上手く隠しながら放送している。 一方のネットはというと、切り抜きされ編集されとんでもない嘘情報ばかりが乱立している。 しかしながら、ネットには真実を語っているものがいくつかあるのでそれらを見分ける力さえあればネット情報はかなり有用なものになる。
そうなるためには成功と失敗を繰り返し経験を積むしかないので、高齢者にはなかなか難しいだろうし、若い世代も最初は変な情報に踊らされ間違ってしまうこともあるだろう。 40代以下の世代のは比較的ネット情報に触れる機会が多かった世代なので、この世代以下であればある程度ネットの情報を上手く使いこなせるのではないだろうか。
・テレビニュース、報道の衰退はメリットデメリットを伝えない、濃淡・深みのない放送を繰り返すためだと思います。視聴者にとって、時間的制約は言い訳にしかならない時代になったとも思います。 一方、YouTubeは時間を費やして徹底的に情報を流します。内容が濃くなります。
テレビをはじめとしたマスメディアは警笛を鳴らしますが、ニュース・報道において、商業メディアの忖度が垣間見えるマスメディアを、信頼しろと言われても手遅れだと思います。YouTubeは危険でもあるもののアンチ、反対意見が一方であり、逆にYouTubeの方が健全と思える場合が多く見受けられます。
スポーツ・音楽・アニメ・お笑い等の商業メディアで良いものと、ニュース・報道とはテレビの中でも考え方を変えた方が良いと思います。
・テレビは不特定多数を相手に放送してるから当たり障りの無い表現をしなくてはならず、どの局も同じような内容になってしまう。 YouTubeは「見たいと思った人が見てくれればいい」と配信者が割り切っているので攻撃的な口調にしたり、特定の人を深堀りした内容にする事が出来る。
配信は「聞きやすい口調だったり、知りたいと思った事を教えてくれるチャンネル」を自分の価値観で選択して興味を持って見るから内容も頭に入りやすい。
学校は教師を選べないが塾なら講師を選んで通えばいい。家庭教師ならさらに選ぶ事が出来る。 こんな感じ。
・毎度思うんだけど、どうしてこういう人たちってネットかテレビか、みたいな二元論になるんだろ。
ネットは有力な情報源だけど、そのぶんフェイクにあふれていて、その取捨選択にはそうとうのスキルが要る。石丸氏にしても、選挙後の既存メディアの報道で「そんなこと知らなかった」という人も多数いると思うんだよね。
既存メディアの一番の利点は、責任者がはっきりしていること。それでも誤報や偏向はあるけど、それでも「最低ライン」は見える。それをネットの情報等と照らし合わせて、はじめて本当のことが見えてくる。
新聞、週刊誌、月刊誌、テレビ、ラジオ、ようつべ、SNSといろんなメディアがあるところ、それぞれ得失があるわけで、これらが相互に補完しあうのがあるべき姿。こうやって一方を貶めて他方を持ち上げる「報道」に、哀れなほど容易に釣られる人たちこそ、既存メディアのほうがあってると思うけどね。
・ネットが普及したので、民放はもう要らない時代になったと思います。 ただ民放を中心に既得特権となっている。企業が民放にスポンサー料広告料、協賛費を払うのを辞めたら良い。宣伝広告費はかなり怪しい費用もあるので、悪用される事も多い。選挙の際には通常の定価、人気のない時間帯などはダンピングして安価。視聴率もかなりいい加減。ネットの広告料とテレビの広告料を比べると費用対効果はテレビがいかにぼったくりか分かる。ネットが普及する前は圧倒的な宣伝効果があり特別であったが、いまはテレビ離れが激しい。芸能界だけがテレビの恩恵を受けて癒着も激しい事がジャニーズ問題で暴露され余計にアホらしくなり敬遠されている。テレビも地上波のチューナーがないネットに繋がるテレビが売れている
・今のご時世テレビ以外でも情報は簡単に入手出来ますからね。 テレビしか無かった頃は家にいる間ずっと見てました。そしてそれが全て真実なのだと思っていました。が、歳を重ね、現代のテレビでの情報が偏った放送であること。情報操作であることがよく分かるようになりました。確かにわたしが見ているYouTubeも本当の事を言っているのか疑問もありますが、参考にはなります。 テレビでは伝えられない、国民にとって知られたくない情報もあるでしょうから。それらを知れる機会になっています。 全て信じてはいませんが。
・ネットは知りたいと思う情報を能動的に調べることが出来るが、テレビはそれが出来ない。テレビはスポンサーや権力者に統制された情報を垂れ流すという受け身な媒体なので、情報が偏りがち。また、テレビはマスメディア、つまりは大衆向けの媒体であるため、前述のような統制をすることで洗脳に使いやすい。一方でネットは多くの情報が存在する分、情報を整理して自分で何が本当なのかを判断する能力が必要になる。テレビしか見ていない人と、ネットも活用している人では明らかに物事に対する評価が違う。高齢者に情弱が多いのも恐らくテレビしか見ていない層が多いためだろう。テレビやネットというのはあくまでも媒体の違いにすぎない。「ネットの情報は嘘ばかり」と言うが、それは嘘つきがネットに情報を載せているからその情報が嘘になるというだけ。自分で考えることが出来ない人が嘘を見抜けず情報を鵜呑みにして、媒体せいにした単なる言い訳。
・新メディアとテレビでは、そもそもまったく別種の存在ということを理解すべきだ。 情報伝達手段として見た場合、チャンネルが多ければ、取り上げられる対象も広がる。だから、チャンネルと時間が限られるテレビは、取り上げる対象に一定の選択が必要になるが、選挙のみを目的にした行政やNPO等のチャンネルは、全候補を取り上げられる。 使われ方で見た場合、マスメディアは公平を原則とする「報道」なのに対して、SNSは「広告」でしかない。公共目的のチャンネル以外は、特定の候補の利益を目的にした広告でしかなく、情報の正確性の保証もない。今回で言えば、石丸氏が、その問題の象徴と言えるだろう。 だから、テレビは、間違いがあれば、基本的に訂正されるが、SNSなどは訂正されることなど無に等しい。 そういった事実を理解せずに、SNSなどを信頼するのが当たり前等と言っているようでは、我が国の行く末は、ろくなものにはなり得ない。
・世相のテレビ離れの要因は知らないが自分は地上波はほとんど観ない、どのチャンネルもお笑い芸人ばかりでドラマはコマーシャルの合間にドラマが流れると言う状況でイライラするのでケーブルテレビを観ているニュースはネットで収集しているがテレビや新聞とは違う角度で見れるのが重宝している。
・自分もニュース報道は見なくなった。 理由は、勘違いによるミスは人間がやる事だから仕方がない、きちんと訂正すれば良いと思っていた。 しかし、ネットが普及して違う見方の記事を見る様になり、オールドメディアの悪意ある偏向報道に嫌気がさしてきた。
もちろん、ネットの記事を全て信用している訳ではなく、気になる記事が有ったら他のサイトも調べて確認をする事は怠ってはいけませんけどね。
・テレビの情報は一方的だし、局の意向、スポンサーの意向が大いに影響する 逆にYouTubeは視聴回数と高評価が売上に直結する、つまりユーザーの見たいものが優先される ユーザー目線はどちらかと言えば誰がどう見ても考えてもYouTube
もちろんテレビにも視聴率はあるが、その視聴率でスポンサーが決まるし、そもそもテレビのニュース業界はユーザー目線なんてものは言葉だけのもので、結局誰かの権力や政治的な何かが影響されるんじゃないかな
・個人的には民主党の政権交代の時からテレビは信用できなくなった…。
麻生総理の漢字の読み間違いとかどうでもいいことばかり報じて反対派の意見しか流さず、バラエティ番組も民主党を持ち上げるような内容にして誘導してたし異状だと感じてた。 テレビや新聞に世論を誘導されてる違和感しかなかった。
その時に比べればネット発達して様々な情報得られて多様な意見を読むことが出来るので良くなったと思ってる…。 都知事選の4候補しか取り上げないのを見て改めて見る価値がないと実感した。
・テレビ離れも2面性はあると思うんだけどね
今までの「慣習」のまま生きてる人はテレビだけでも十分て部分があるし、 でも若い人には「慣習」もくそもないし
またあれやるんだ、なら見よう がどうしても高齢者にはあるけど
またやるの?違うの見たい が若い人の求める刺激でもある
多分、一局で両立することがほぼ不可能なんだよね
とはいえ、地上波デジタル放送にはまだ、マルチチャンネル?サブチャンネルが活かせてない課題があるから、そこどうにかして欲しいよな
・テレビの「劣化」については否定しないが、一方でYouTubeやSNSなどの「ネット」の情報は、テレビなどの「既存の大手メディア」とは比べ物にならないほどにピンキリなのが現状。 それぞれのメディアリテラシーの問題であつて自己責任…という考え方にも一理あるとは思うが、誤った情報によってもたらされた選挙結果は、広く一般国民にも影響を与えることも理解すべきだと考える。 特にインターネットでは「一部の」「悪意を持った」情報にのみアクセスしてしまう人が、これからますます増えるだろう。
・差別化が進む社会の中で、新聞やテレビだけは差別化が出来ていないで今日に至る。しかもメディアのあるべき姿よりも業績を優先して、ほぼすべての社には政権や政府におもねる体質があり、同質化に拍車をかけている。 ネット以前は彼らがメディアやお茶の間の娯楽を独占してきたけれど、現在そして将来を考えると、彼らの固定費を賄うのは厳しそうだ。
・いや単純にアンテナもなくネット環境だけでテレビと同じように情報を得れる媒体が増えたからテレビ離れが進んでいるだけだと思うよ。 テレビよりYouTubeの方が情報の信頼性が高いなんて誰が思っているのか。 全部二次的情報。 どちらの情報も集めてはじめて判断する時代でしょう。 テレビであろうがネットであろうが他人の情報を鵜呑みにするなんて今の時代にはそぐわない。
このニュースと一緒。 テレビ離れの理由がYouTubeの信頼度なんてのは到底理解できない分析。 利用者が便利な方へ流れているだけの状況。 ここから取捨選択が始まっていく。
・テレビ新聞が情報の100%だったものが、YouTubeやニコニコ動画、さまざまなSNS等の一部になったことは良いことだ。
ただ、その分正しい情報の取捨選択が難しくなってきている。
フラットアース理論が復活したり、過度な陰謀論に心酔するなど、こちら側の知性が試される。
石丸旋風なども大金でSNSを駆使した物量政策で人工的に生み出されたものだし、小池蓮舫2極対決は大金が動きテレビが煽って作られた。
結局金で情報もなんとでもなってしまうのが現実なのでみなさん気をつけましょう。
・支持される一番の理由は手軽さ。 観たい時に好きなだけ観れる。 それに加えて選択肢が多いし、内容も自由度が高い。
テレビが唯一YouTubeに対抗出来るとすれば、オリンピックやサッカーW杯、野球WBC等を独占中継する事位じゃないかな。
・テレビはスポンサーがいなくては成り立たないので情報が偏りやすいと考えるようになってからは情報やデーターを鵜呑みに信じなくなりました。 ネットも簡単にフェイクニュースが作れてしまうので気をつけてみるように なりました。情報を受け取る方が賢くなければ「テレビが言っている」という だけで自分の行動が制限されてしまいます。 最近感じているのはYouTubeでは言論統制がされていて、言葉を言い換えないと隠語を使わないとアカウントがバンされてしまうという、いつの時代?という現象が起きています。 心あるジャーナリストや弁護士の方が訴訟を起こしていますので、注視して いきたいと思っています。
・若い世代への波及効果はYouTubeよりもTikTokやインスタのリールを始めとするショート動画の方が強い。 石丸陣営が上手いのは、自らの動画の切り抜きもOKしているところ。要するにお前らで拡散してくれよって形。 でもこれって結局テレビとやっていることは同じで、意図して情報を抜いているんだよね。しかもその意図が石丸氏の意図とまるっきり同じとは限らなくて。 しかも石丸氏の動画に対して解説をしている動画も人気で。それはもう第三者の思惑が入っちゃっているのと同義。 かと言ってテレビなどオールドメディアも決して公正公平ではなく。 結局選挙戦は今も昔もいかに大多数を騙せるかってところが大事。
・少しづつyoutubeで主体的に情報を得る層も増加はしているが、未だに地上波は「常に公平で正しい情報が流れている」と錯覚している層が存命している限り、権力者たちは電通を使った今のやり方で安泰でしょう。 地上波は強制的にチャンネル登録された巨大なインフルエンサーということが分かれば、一気に世の中の見方が変わります。 いかに、現職政治家や利権組織の都合のいいような情報を流しているかが分かります。
・この記事の大筋は納得のいく内容なのですが、一つどうしても気になる点があります。それは、テレビとYouTubeを比較対象としている点です。テレビと新聞、テレビと雑誌というような比較論ならともかく、YouTubeは固有名詞です。あくまでgoogleが運営する動画投稿サイトに過ぎません。それをあたかもパブリックなメディアのように論じるのはYouTubeを過大視していると感じます。あえて比較するなら、日本テレビとYouTube、TBSとYouTube等とすべきでしょう。
Googleという巨大プラットフォーマーの絶大な影響力の下、YouTubeがもはや一つのパブリックな言論空間になりつつあるのは確かです。そこにおいては、既存メディアでは報じられない言説が流布できるようになっています。しかし、その姿は本当に正しいのでしょうか。Googleとは何なのか、一度改めて考え直すべきではないでしょうか。
・どっちがいいとかこういう話ではないような。 テレビだとたまに誤報やらかすけどそれはXなんかで指摘が入る可能性が大きいけど、 肝心なことをカットして放送しないという手も使える。 YouTubeだと誤報と言うか制作者の思想とおりの動画になるけどもコメント開放していれば視聴者からもツッコミが入る。 そもそもインプレッション数が全然違うし。 SNS(ヤフーニュースコメント含む)も信者コメントが多数見えるので、それほど信頼出来ない。 全ての情報を網羅するのは難しいけど、結局いろいろ見比べて総合的に判断するしかないんじゃ。
・メディアの一番の目的が視聴率なので、作られる番組の多くがそれを透けて見える。だから選挙報道も偏るし、開票後のインタビューもあんな事になる。テレビもYouTubeも両方観ている人も多くいると思うが、比率が圧倒的にYouTubeだと言う人の方が多いだろう。BPOなどと言うものがないから面白い。
・1日24時間1年365日は制約条件で、その時間の配分において選択肢が増え、その中でもネットに触れる時間は圧倒的に増えた。通信環境、デバイス、コンテンツ、どれを取っても他のメディアよりも優れている要素が多く、それはネットの将来性にかけ、旧来のメディアを大幅に上回る人的、経済的投資によるもので、当たり前と言えば当たり前の結果。規制が追いつかなかったことも追い風になったこともあるが、ここまで一般化すれば何らかの規制が必要になってきたとも言える。コンテンツや広告が、あたかも無法地帯のようになっていて、それによって被害者が出たり、被害者が気付かないで加害者になったりもしている。自由と責任は表裏一体であるべきだが、責任を問われる機会が少ないことが自由という名の暴走を招いてきている。既に人々の限られた自由な時間の奪い合いは、ネットの中での戦いに転じていて、そこでは信頼がキーワードになっている。
・日曜日の朝ですが、各局は情報番組を流しています。程度の濃淡はあれど、どの局も中立を装い恣意的に誘導しているかのような報道を散見します。 オリンピックの水泳の報道では決勝に進出した選手よりも病を克服して戦ったけど敗退した選手のニュースばかり。 まだ旗幟鮮明にしているネットのほうが潔いですよ
・私の場合は新聞のラジオ・テレビ欄を見なく成ったら、テレビ自体も見る機会が減りました。新聞購読を辞めたら完全に見なくなりました。 紙の新聞とテレビと言う旧世代の情報媒体は、セットで消えて行くのかも知れません。 生活上なんら不便さを感じません。意外でした。
・ネットが信頼できる媒体かと言えば全くそんなことは無い。にも関わらず、テレビをはじめとした旧媒体の信頼が地の底に堕ちたため「ネットは正しい」と錯覚する人が増えて来たのは危険すぎる。
石丸氏の躍進で真に注目すべきことは本人の資質や人間性や受け答えなどのワイドショー的側面では無く、ネットを体制側に利用されれば簡単にプロパガンダにひっかかる土壌が形成されつつあるということが浮き彫りになったことだ。
・普通に考えれば、「得体の知れない個人が主観まみれの情報を発信するネット」よりも、「事実を追求し裏付けもある正しい情報を発信する公共放送」のほうが信頼できるに決まってる。 でもその公共放送が「誤報」「偏向」をやってるんじゃ、信頼度はどっちも変わらない。 だったら、お手軽でコンテンツ量も多いネットに流れるのは当たり前。
・テレビや新聞を過度に擁護するわけじゃないが、 それでも「我々が報じている」という身元を明かしている点では どこの誰とも知れず、不都合になればアカウントを消して姿をくらます そういうネット情報に比べたら幾分マシかなと。
「訂正報道」についても、否定的評価を恐れる公表手法のネットでは 火消ししてること自体目立ちたくないのに対して 身元のしっかりしてるところは小さいとはいえまず確実に行うし 「報道に誤りがあった」という尾鰭の方が大きく扱われるから気づきやすいし。
自分の足で目で耳で裏取りをしていない以上、どこかの誰かを 信じるしかないという点では変わりないが、それでも 「どこの誰の言葉によるものか」がはっきりしてることは大事。 そして、その得た情報を「それはおかしい」と否定する情報を 自分から積極的に探すのがもっと大事。 大体誰でも「自分の持つ情報の範囲では自分が正しい」と思ってるんだから。
・テレビだと「見たい」と思って見始めても「見たくない」部分(嫌いなタレントや不要な情報、地方なのに東京の店のネタ等)も見させられる。 選択肢も、自分のエリアの放送局の数だけ。
YouTubeだと、見たいと思うものだけ見て、選択肢も無限に有るので見始めたけどつまらなければすぐに次に行ける。
・もちろんメディアにもユーチューブでも心ある人ない人いるのでしょうが、ユーチューブは圧倒的な番組数である程度たりないものを補完することができますが既存メディアはガチガチの既得権で護送船団だったのでもう修正ができないのだと思います。どのチャンネルみてもほぼ同じ。誰かが情報の民主化と言ってましたがまさにその通りで、既存メディアの罪も数多く知ることができ、メディアの情報が自社都合でしか流してないこと、世の中が変わる事を拒否していることがよくわかりました。ジャニーズ対応、選挙報道、作家の自殺等象徴的です。公共の電波を担っているとは思えません。個人的には国鉄や道路公団のようなNHKも含めたメディアの業界再編と電波オークションは必須だと思ってます。テレビで電波オークションの議論はできないという都市伝説がある段階で特にテレビメディアは終っていると思います。
・旧J社の事件でのテレビ屋各局のピンチに似た状況は、今ではすっかり熱りが冷めてしまった。この業界の者らからしたら少しは安心したのだろうが根本は何も変わっていない。 某局の漫画家さんの痛ましい問題でも同じ。 状況が変わってきたのは先の衆院補選あたりからだろうか?多くの国民の議論を巻き込む形で報道がされていた。そして都知事選。 石丸氏の躍進でテレビ屋さんたちは相当驚いたのかもしれない。選挙後の紙媒体を含めた業界の「全力」状態には強烈な滑稽さを感じた。各社各媒体論調がきれいに全て同じだったから笑 あのように持っていく手段は石丸氏の前市長時代の対応を見れば簡単だった。「本人を煽ればいい」と。 世代別の支持層内訳も出していたが、滑稽さを感じた業界のやり方が今まで通り今後も続くとは思えない。あまりにギャップが大き過ぎる。 立民辻元氏の「もう通用せえへんのかな」という何気ない言葉は、実は真実を突いている。
・そもそもSNSやYouTubeなんてテレビ以上に嘘だらけ。若者はそこに信頼性なんて求めてないと思う。 ただネット慣れしている世代にとって、見たい情報が今すぐ見られるネットはモヤモヤをすぐに解消出来るわけだから、テレビで見たい番組が流れるまで待つなんて今の若い子には無理だと思う。 知りたい情報だけを取捨選択できる状況は、ちょっと怖いと思うけどね。
・一昔はテレビから流れてくるニュースが世の中の正しい情報だとおもっていたが、 今はテレビメディアは政府からの圧力か分からないけど、都合の悪いことを報道しないスタンスであるとバレバレ! ネットのほうが正しいと思ってしまう。 「ネットの切り抜き」と言う人もいるがテレビニュースも1次情報を加工して2次情報として放送している立派な切り抜き情報 ネットのほうが時間に制約がない分、しっかりと情報を伝えられる。 以前はテレビメディアはある意味、権力を持っていたが、今はジャーナリストとして襟を正だし、正確な情報を発信しないと見捨てられつつある状況。
・テレビもネットも大して選挙には関係ない 結局選挙で良いこと言っても当選後にそれを実現できなければ失望に変わる 安芸高田市の市長も後任は石丸氏を批判していた候補者が当選している 現職や与党が敗退するのはテレビやネットの影響ではなく在任中の仕事ぶりが一番影響が大きい 記事にはネットを「ある程度参考にする」が46.4%と最多だが筆者はそれをよく考えていない あくまでも「ある程度」 現職の実績に勝るものはないのです
・この約一年でも 集めた募金は横領しその募金を行う番組を止めはしない、 ドラマに使わせてもらった作品の原作者は自殺に追い込む、 スター選手の自宅を報じ危険に晒す、 選挙の前には偏った報道や誤報をする。
そしてこれらについて他局が咎めるような報道を行うこともない。
個人的にもはやテレビに求めているのはモニターとしての役割で民放をはじめとしたマスメディアには用事はないです。
・TV離れも理由は色々あるだろうけど、マスメディアの信用がないこと、NHK受信料というランニングコストが大きい原因じゃないかな? TVは偏向報道の傾向が強く、世論を誘導する傾向が強い。 YouTube等でもチャンネルによって偏った情報はあれど、多角的に物事を見れる。
・団塊ジュニアまでは、テレビ主体でネットが体感できない世代で、それ以降の世代は生まれた時からネットをごく自然に受けてれている世代だと思います。テレビに影響されるのは団塊ジュニアまでで、それ以降の世代はテレビに無関心な気がします。おそらく、10、20年後、テレビの社会的な位置付けはラジオと同じ程度になるのではないでしょうか。
・ユーチューブを信用してる人なんか世の中知らない若い人たちだけ。それ以外の人は単にテレビより暇つぶししやすいからユーチューブを見てるだけ。私もそう。
そういう意味ではテレビもオンデマンドにして好きなときに好きな情報を何度でも見られるようにすれば良いと思う。
だって素人が作った質の低い動画よりプロが作ったきれいな動画のほうが見てて気持ちいいし。
テレビがデジタルに融合してもっと変わるべきなのだと思いますね。
・テレビとか新聞の視聴者・購読者が減るのは、提供するサービスの品質が悪い事がネットの発展に伴って分かる様になったから。提供する製品とかサービスの品質が悪い会社・事業者が淘汰されるのは当たり前の事。
偏向報道とか誤報、報道をしない権利。そりゃ結構。サービス利用者側の選択肢は年々増える一方。マスコミは品質不良のサービスを垂れ流す事により自らを斜陽産業に導いた。
・YouTubeやネットニュースは、その人の関心や興味がある`番組`をピックアップしてくれるので、タイパが良いというメリットがある。ただしこれは、逆に観ると「関心や興味が無い番組=情報」からは遮断されるという事だ。対してTVニュースの流し見や、新聞購読はタイパが悪いかもしれないが`関心も興味もない事柄`が`ついで`に頭に入ってくるメリットがある。TVとネット、どっちに偏り過ぎるのも正直どうかと思う。
・一番は大手既存メディアの責任感の無さだろう 例として都知事選が挙げられているが、それ以外の調査も取材も中途半端な内容。しかも誤解を招く表現やもはや丸っきり違う内容になる場合が多すぎる。しかも訂正やお詫びの放送はない。新聞にしても自分のミスは小さく、他の業界に対しては断罪晒上げレベルの袋叩きを行う。他社には社長を引きずり出させるが、テレビ会社の社長を画面で見た覚えはない 個々人でできない取材や綿密な調査ができ、責任を持つメディアは逆に今の時代より一層必要とされている。なのに時代錯誤どころか劣化し続けていることに危機感がないのもさらにダメ。 youtubeあくまでフォーマットであって責任はない。正直、外資企業のさらにアルゴリズムで偏った動画が集まる作りになっているyoutubeに信頼を任せるのは危険なはずなのだが…。
・今の報道は中立ではない。 その感覚で言うと、youtubeはかなり偏っている。 しかし、一方に偏っているテレビ・新聞メディアよりも良いと思う。 見る側、聞く側の判断で良いと思う。報道を信じる信じないは受け取り側の自由だ。 youtubeができてからテレビは信用できなくなった。 何故ならば、自由にものを言っていないから。 何故、反対意見も賛成意見も自由に言わないのか? 個人が支持政党を自由に言える報道でなければ信用できない。 テレビ局が支持政党を持つことには問題が生じるが、出演している個人が自由に支持政党を言えるようでなければ本当の報道ではない。
・まぁ結局注目した主要4候補が1~4位になったのですから、テレビの見込みが誤っていたわけではないのです。なんせ30人以上もいれば、ある程度の絞り込みは必要で、たまたまそれが4位と5位との間にラインを引いたまででしょう。3位と4位で、得票差に圧倒的な開きがありましたから、そこで引いても大勢に影響はなかったんじゃないかと。上位3名で85%以上を占めましたからね。オールドメディアが問題なのはそこじゃないかと。報道しない自由や、意図的に情報を取捨選択、フィルターつけて報道する、そういうところでしょう。
・「2024年の都知事選挙は、テレビよりYouTubeを信頼する層が、選挙結果に大きな影響を及ぼした最初の選挙だった」
これについての異論はまず無いだろう。だが、テレビも信用など現状できるものではないが、YouTubeはさらに信用出来ない。個人から少人数で行い、その内容の精査も出来ないようなもの達が公正な配信など出来るはずもないからだ。
事実、YouTubeの多くで憎しみを助長する動画が多かった。これは広報の枠を超えた「洗脳教育」と変わらない。この基本的なやり方はあらゆる事に応用できるわけだ。
そういう意味でテレビだろうがYouTubeだろうが「作っている人」の信用度が重要となる。
・団塊ジュニアの、上の方の年齢の者です。
「ネットの情報は信頼できない」
というスタンスでしたが、 信頼できる発信者もネットへ移行したため、そこそこ信頼できる媒体となりました。
一方でテレビはNHKが受信料受信料とうるさいのでテレビを捨てて民放をTVerというネット配信で観る状態に。
これからは、テレビは論外なのはもちろんだが、ネットでも賛否が上がるから難しくなると思います。
・テレビって固っ苦しい部分が結構あるからでしょう。例えば選挙前に立候補者達の討論会を、ある局で行えば他の局でもやらねばバランスが取れなくなるからで毎回出る度に同じ事を言わなきゃいけない訳だよ。見る側も新鮮さが失われて行くし出演者達に苦労が絶えないなって同情したくなる部分もある。選挙って各党が一番力を入れたくなるイベントなのに時代の経過によってマスコミがショービジネス化し過ぎて本来伝えなければならない部分を省略したり悪意のある編集をしてプロパガンダのように仕立て上げたりしている部分はあるとは思いませんか。誰の差金かは知らないが報道とは正しく視聴者に伝えるのが当然で誤って伝えて印象がガラッと変わるケースも多々あるのだから真剣に考えるべきでしょうね。東京都知事選挙でも特定の人しか報道せず末端の人達の姿勢方針が全く聞かされなかったのも報道の責任でもあると思いますよ
・民放もNHKもそうだが、画面に出演者やアナウンサーのワイプが出るようになって、テレビは見なくなった。画面に集中したいのに、あの小窓はウザイ以外の何者でもない。 ワイプ画面カット付きのテレビを販売して欲しい。
・テレビからYouTubeに移行していくのは 時間の問題。 テレビの情報の信頼性はかなり高いよ。 大誤報とはなにを指しているなかね? テレビは誤報が少ないから 誤報があったらすぐニュースになり目立つ。 YouTubeで誤報なんて日常茶飯事なんじゃないの? みんな憶測で持論を唱えるのみ。裏取りなどしてるのかね? していても専門のスタッフがいないとカバーしきれない。 それにYouTube誤報しても多くは騒がれない。 なぜか? そもそも発信力が弱い。問題に気づかれても どうせ YouTubeだからと子供扱いされる。 信頼されてないわけだ。 これがテレビとYouTubeの圧倒的な違い。 あと人間はなぜか 確かなものより不確か、怪しげなものの方を信用してしまうんだよね。 だから詐欺や怪しい宗教はなくならない。
・テレビ離れの原因は1番は、似たような番組が多い事なんじゃないかなぁ? 後はそれと似た理由で、出演者の顔も変わり映えしない事。 後は、薄っぺらいコメントしか言えないアイドルや芸人が多く出演している事で、番組の質が低くなっている事。 結論を言うと、結局目先の視聴率しか観てないテレビ局が、自らテレビ離れを引き起こしているという事かなぁと思う。
・数人の知人が今ではTV放送を見ることは無いと言っていましたが、 そういう時代なのでしょうか。
私はTVの見たい番組を録画してCMを飛ばして視聴ししていますが、 知人はYouTubeをCMを含めて甘んじて(気にならないらしい)、 視聴しているようです。
数年前までのCMの無い当時はYouTubeも視聴してはいましたが 対価を払ってまでYouTubeのCMフリーにての視聴はしません。
・もちろんYouTubeの情報も玉石混交で特定のバイアスがかかったものも多いが、それはテレビも新聞も同じ事。 もう「テレビが伝えてるから」「新聞に書いてるから」という理由では信用されない。 むしろ特定のテレビ局や新聞は偏向報道で有名になってる始末なので、それなら玉石混交を全体的に比較して情報を取捨選択できるYouTubeの方がずっとマシ。 ネットの比重が重くなってるのは支持団体も分かってるようで、Yahoo!ニュースでRに勝ち目はないというコメントを書いたら一斉にを付けられたりもした(笑)が、その程度で票が動くわけがない。 Rステッカーを街中に貼れば表が伸びる的な思考だし、取捨選択とは何かを理解してないと思う。
・テレビが問題多すぎるにしてもYouTubeを信頼するって、それはまた問題。 YouTubeはテレビと比較して選択肢が多く自分で選べるという利点があるだけ。別に信頼できるわけではない。自分の好む偏った情報ばかり取って行くという大きな危険がある。
・テレビ、新聞を盲目的に信じる高齢者はどうしようもない。 若者がyoutubeを見て流されるのにも失望。
結局一個人が真面目に候補者を吟味しても大衆の大きな流れには敵わない。 テレビ、新聞、ラジオに情報が限られた大昔ならまだしも、これだけ情報化社会が進んでも結局それは変わらなかった。
・五輪で沸いてる時、何で今、選挙なのかは納得しづらいけれど、「テレビ離れ」が進んでいるのは紛れもない事実。 しかし、大誤報やYouTubeが信頼されてるからだけが理由とも言えないと私は思う。 離れるのは、単に「テレビが面白くない」からに尽きる。 人間だから、間違いは付き物だけど、面白ければ見たいもの。 ひとがテレビを避けると、苦情も少なくなるのは世の常。
だけど、テレビはほぼ永遠に消える事はありません。 テレビ局に取っては(志の高い人を除き)楽で楽でしょうがないのが現在のテレビで、好きな事をキー局、ローカル局ともにやり放題。YouTube感覚でね。 そこに、どんどんテレビ見なくなるから、局はレベルの低い番組を量産するし、それが出来る。スポンサーもテレビに対しては立場が弱いのです。
よって、負の連鎖がおのずとつづく… 私の恩人が、昔から懸念していた事が、今、現実になっている。
・親元から自立した時からテレビは持ってないです。 必要や理由がない上に、不要な理由がでかい。
YouTuberを信用してるというわけじゃないけれど、楽しむだけならPCで事足りる。 ニュースに用事ならネットから各社のニュースが見れるから細かな情報を求めないなら充分。 ただ、ネットのニュースって良くも悪くもAIが興味ありそうなニュース推してくるから偏りやすい。 偏ってきたなと思ったら新聞に目を通してちょっと調節する。
…やはりテレビが欲しい理由がないですね…。
・「テレビ離れが進んでいる」 この前提は間違いないだろう。 でも、その理由として「テレビは大誤報をやらかす」からというのは…… YouTubeに限らずネットにはテレビとは比較にならないぐらい誤報やデマあふれてるがな。 誤報が多いからテレビ離れが進んでいるなら、YouTubeからも離れていかないとおかしい。
・YouTubeは、情報発信が自由なので、受け手にも責任がある媒体です。 マスメディアは、形骸化しているかも知れませんが、番組審議会などで内容をチェックする機能が存在するのと、報道する責任者が明確化されているところが異なります(新聞報道なども同様です)。 問題なのは、そのマスメディアの情報の「質」でしょう。彼らが復権するなら、報道の「立ち位置」を明確化し、捏造などを一切しないことです(「慰安婦」と「徴用工」で、大手マスメディアの信用は完全に失墜しました)。 例えば「特定政党の機関紙」のようなものであっても、その視点で報道することを明確化し、責任を明確にすれば、「公的責任をもつYouTube以上の存在」になるポテンシャルはあるかも知れません。
・テレビはスポンサーの益を追求する。当然ながら、スポンサーのために番組制作されるので情報に誇張や加飾が多い。極端な話、嘘であっても指摘がなければスルーしていく。一方、you tuberのスポンサーは視聴者である。チャンネル登録=視聴者の益を追求する。視聴者の情報ニーズに合わせて、その方面の専門家が対応するので見る側に有益な情報が多い。そもそも益にならないチャンネルはすぐに淘汰される世界だ。真実性と有益性の高さがテレビより上。これがテレビ離れする理由のひとつかなと思います。
・家のテレビはチューナー付きの4Kテレビだけど、テレビ見るよりYouTube、アマプラ、TVerを見ている方が圧倒的に多い チューナーレステレビに買い替えてNHKを解約して受信料をネット配信に使うのが有意義だと思う
・TVの劣化が明らかだとしてもYouTubeの方が信頼できるなんて発想は危険でしかない。 YouTubeをはじめとするネット動画は誹謗中傷や詐欺などの被害者が訴えない限り実質無法地帯だ。しかも何度もしつこく訴えなければ門前払いなのは有名人が次々と被害にあった投資詐欺動画の騒動を見ればわかる。 それに比べTV、新聞、などのいわゆる既存メディアは誤報なら謝罪訂正、場合によっては訴訟を起こされるリスクを抱えている分悪意に基づく嘘はほとんどない。 また好き嫌いで結論を導こうとするネット動画だけになればそこにはメディアで禁止されてる誹謗中傷も入り、世論を冷静さを欠いた対立と憎しみで煽る事にしかならない。 やはり社会には誤報に一定の責任を負い公平な視点で報道する立場のメディアの存在が必要だと言え、同時に視聴者側もこれからは情報源を一つのツールだけに頼らず複数から得る努力を怠らない事が求められるかと。
・職場で共に働く仲間に70を超える男性がいる。ここ数年Youtubeをよく観るらしく、事ある毎に「君もYoutube観てよく勉強した方が良いよ」と言う。最近は「実はあの事件、ウラがあってだね…」と言い出すようになった。「はぁ、そうですか」と。
Youtubeに限らず、ネットって玉石混交。むしろ信用ならない「石ころ」の方が多かったりする。大事なのは取捨選択に費やす能力、リテラシーってやつだ。 地上波だって100%嘘じゃない。どうやって真実を見つけるか? 要はそこじゃないかね。
・ニュースはともかく、バラエティの無知なタレントらの政治話に比べたらYouTubeがマシか。大体、娯楽バラエティで政治を扱う必要があるかも疑問、ちゃんとした政治評論家以外は使わないとか、別に政治討論番組をやる方が良い
・偏向報道のテレビも信頼できないけどYouTubeはもっと信頼できないと思うよ それに自分にとって都合のいい情報を見て見たくないものをシャットアウトできるネットは特に視野を狭めてしまう 大事なのは自分自身があらゆるメディアから情報を集めて流されずしっかり考える事じゃないかな
・団塊ジュニア(1971~74年生まれ)で線引きされてもなぁ(笑)私は67だけどTVはまず見ない、くだらんCMにつきあうこともない。周囲を見てもシニア層でもTV見ないでネットで情報取っている人がほとんど。それとITエンジニアを職としていた人たちもTVは相手にしていない。私は音楽系はTV画面でYouTube見るけど、出先で困るのはスマホだと画面が小さいから「一覧」という視認性に欠けるくらいかな。見たい時に見れて欲しい情報だけ取捨選択する、だから線引きについては単に年齢だけではなくもう少し深い洞察をお願いする。
・エンタメは割とどうでもいいけど選挙に関してはネットメディア(特に個人発信)に対する規制は必要でしょう 本人のみにすればいいのでは? あと個人的に違和感があるのはTV離れ tverや独自の配信サービス、YouTubeチャンネルに置き換わるだけでコンテンツそのものが廃れていくわけではないと思う
・テレビ離れは、どこの局も同じようなつまらないバラエティ番組が多くなったから見る気がしなくなる。
Youtubeは自分の好きなもの、都合のいいものだけ選択して視聴できるから視聴者が増える。 但し発信者の思想的背景や思惑を見抜けない人が見ると妄信的になり先鋭化する危険性があるため、理性や見識が乏しい人が見ると洗脳される危険性があり、発信者の思う壺になる。
・大手メディアの問題もたしかなんだがYouTube(YouTubeショート)やTik Tok等で都合の良い情報しか見ない、アルゴリズムやエコーチャンバー現象は非常に危ういと見ています。石丸現象はまさにそれ、ノンポリやいわゆるB層の言う「この人なら」の中身が全く感じられないし理解し難い?
・字を間違えても特定できる場合なら無効にはならず、意図した候補者の得票になるけど、特定できない場合は按分に回されたりもする。 無効にならないことと、意図した候補者の得票になることは別。
・人間が一定の時間で認識、把握できる情報量には個人差、限界がある テレビはそれを従来通り手広く拾おうとしすぎて無理が生じて商売が成立しなくなった 情報を外部のソースに頼ったり、底辺相手の広く浅くのマーケティングで失敗してる 頭がいい人は多種多様に、悪い人は偏っても好きな情報だけと選べるネットに勝てない
・既存マスコミは、このままでは確実に存在感が無くなっていって視聴者から見放される…というか、選択肢にすら入れて貰えなくなるでしょう。となると、自分達の存在感を強めようと思ったらネットメディアや検索媒体すら買収して、全て東京主導の情報管理をするしか無いでしょう。
そうすれば、テレビも新聞もネットも全部在京マスコミの管理の元で統制出来ますし、不都合な情報は完全に消し去れます。現状でも、従軍慰安婦問題の時の様にメタタグを使う事で当該記事の検索を阻止する手段が取れますが、それでも個人レベルでの発信までは阻止出来ません。
書いていて馬鹿げている内容だとは承知していますが、各種タブーで情報を制限して知る権利を阻害し続けて、それに反発する気概のある記者を切り捨てる様な真似をしている状況を見ると、この位の極端な事をしないと生き残れない様に思えてなりません。
・なんでユーチューブを信頼するの、それっておかしすぎない。迷惑系ユーチューバーの言うことを信頼するの。根拠不明だったり、平気で権利侵害するようなコンテンツを信頼するの。あまりにユーチューブは玉石混交で、それを的確に判断できる力量がある人どれだけいるでしょうか。視聴数を信頼度にしたら間違った方向に行く可能性がありますよ。娯楽なら構いませんが。
・テレビは印象操作がどうしても。 全然中立ではないのでね。 YouTubeやニコ動は自分のタイミングで情報を得られるしまどろっこしさがないのが便利かとは思います。 ただYouTubeだけがとなるとちょっと違う気がします。
・麦茶を吹き出しそうになるほど驚いた >>> 公共放送はデマを流せないから ファクトチェックを念入りに行っている と信じていたのにTBSに限っては 眉に唾つけて見ないとダメだっったのか TBSのニュースはもう見られないよ
そりゃ、麦茶くらい吹く衝撃だよ 信頼するTVが日曜の真っ昼間 東京都知事の選挙投票日にデマを流したのだから
翌週デマに関して間違ったゴメン てな訂正があったけど 誰が間違って何故ファクトチェックが スルーされたのかも分らない 意味不明な形だけの謝罪だった そんなことならこれからも デマ流すよおまかせ!! くらい言った方が覚悟して見られるよ
・日本のテレビ局は政権やスポンサーに媚びへつらう忖度体質が目につき、依頼されれば隠ぺいねつ造を平気でやってしまうのだ。 非ネット世代の後期高齢者はテレビだけの情報で行動しているが、それ以下の年代(約7割強)の人たちはテレビを信頼していない。 よって既存のテレビ局は現在の態度を改めない限り、視聴者は減少を続けスポンサーも撤退する結果になることは間違いないだろう。 安倍政権時の電波停止発言以来テレビ局の忖度傾向が顕著になったようだが、利権政治の自公維新政権の長期化に強力なサポートをしていることを反省しなければ彼らに明日は無いだろう。
・自分も高齢者の部類だけど、最近テレビみてないな!と感じます ニュースなどでもテロップの字の間違いが多く、しょっちゅう放送中に文字に誤りがありました!等と言う事が多く、制作側の程度が低いのか、注意力がないのか!呆れます 自分たちだけで喜んでいるお笑い等々、も嫌になりました YouTubeで音楽や映像を見てる方が楽しいですね
・>「主要4候補」に集中し、52人は無視
この話は散々聞いたので、そろそろ「今後候補者たちをどう報道するかをしっかり考える場をまずどう設けるか」の議論に移ってもらいたい。
あと、メディア全般に言えることだけど、メディアに期待するのは、情報の発信と権力監視。これが一般人にはできないから、やってくれと本来は期待したいところだが、権力監視や権力絡みの情報発信をやってくれる気がしないから期待すら持てない状態になる。あと悪い所を切り取って国民を誘導するのも期待を持てないところ。
中田敦彦のYouTube大学が、政治資金規正法についての解説をした。それを見るとあまりに緩い法で心が折れそうになった。政府に電波の権限を握られてるのは分かるが、そういう事情があったとしても最低限の仕事(この場合なら、政治資金規正法がどれだけ緩いかを国民に分かるように周知すること)をしないとやはり信頼は得られないと思う。
・選挙の立候補者は、56人のはずなのに小池さん蓮舫さんの対決みたいに報じていたのや、 ネットニュースになっていた刑事告発とかって、都合の悪いことはテレビは一切報じない…
明らかに有権者に正確な情報を伝えるってことはせずに視聴率をとるためだけに番組を作っていたのがテレビはまるわかりだった。
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