( 195614 )  2024/07/28 15:46:24  
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1995年4月、大阪府知事選に出馬し、当選確実となり破顔一笑する横山ノック。二期目の選挙でも再選を果たすが、その後、選挙期間中に運動員だった女子大生への強制わいせつをしていたことが明らかとなり、辞任した(写真:共同通信社) 

 

 (舛添 要一:国際政治学者) 

 

 アメリカで選挙集会での演説中にトランプ前大統領が銃撃された。銃弾は右耳を貫通したが、トランプは元気に選挙戦を続けている。 

 

【写真】芸人として活躍中ながら参議院議員に立候補した当時の横山ノックとコメディ俳優時代のゼレンスキー 

 

 一方、健康不安が問題になっていたバイデン大統領は、7月21日に撤退を表明し、カマラ・ハリスを後継者に推薦した。 

 

 バイデンも言ったように、「銃弾(bullet)ではなく投票(ballot)で」問題を解決するのが民主主義である。しかし、その選挙が生み出す指導者は、理想的な指導者ばかりではない。 

 

■ お笑い芸人 横山ノック 

 

 銃弾ではなく投票で物事を決するほうが良いというのは納得できる。しかし、投票が最善の人を選ぶことができるのかという問いへの答えは、否であろう。それでも、独裁よりもまだ民主主義のほうがましだという消極的理由で、民主主義を選択するのである。そして、政治は結果責任なので、期待した結果がでなければ、次の選挙で自分たちの代表を取り替えるということになる。 

 

 この問題を考える例として、大阪府の横山ノック知事、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の選出がある。 

 

 漫才師の横山ノック(1932年1月30日~2007年5月3日、本名・山田勇)は、1968年に参議院全国区に出馬し、当選した。1974年には落選したが、1977年の全国区で再選している。1983年、1989年には参議院大阪選挙区で当選した。 

 

 お笑いタレントとしてのテレビ出演による抜群の知名度、とりわけ大阪での人気が当選を可能にしたのである。 

 

 参議院では、第二院クラブ、民社党・国民連合に属したが、タレント活動も継続した。しかし、4期24年にわたる国会議員時代に、政治家として大きな功績を挙げることはなかった。 

 

 横山ノックは、参議院議員の任期満了直前に大阪府知事選挙に立候補し、1995年4月に当選した。大阪の人はなんという選択をしたのかと、東京では呆れたものである。東京では、横山ノックのようなお笑い芸人が都知事に選ばれるという事態は想像できなかった。 

 

 

 横山が参議院議員時代には、私はテレビのバラエティ番組に一緒に出演したこともあったが、国会議員という肩書きよりは、お笑いタレントいう色彩が濃かった。 

 

 横山が府知事に就任したとき、私には「大丈夫かな」という危惧の念が持ち上がった。府議会での知事の答弁書には、府の職員がほぼ全ての漢字にルビをふった。最終学歴が高等小学校の横山には、読めない漢字が多々あったからである。答弁は、その役人のメモを読むだけであった。そして、政策も役人が準備したものを忠実に実行するのみであった。 

 

 それだけに、大きな失敗はなく、役人も、大阪府民に人気のある府知事を思い通りに利用することができたのである。その結果、1999年の府知事選では、横山は容易に再選を果たした。 

 

 しかしながら、横山は、後に橋下徹知事が行ったような大きな改革、つまり官僚機構と対決して既得権益にメスを入れることはなかった。今振り返っても、横山ノック知事時代に、大阪が大きく変わったという評価を下すことはできないであろう。 

 

■ コメディ俳優 ゼレンスキー 

 

 横山ノックの場合、お笑い芸人でありながら、4期24年間という参議院議員の経歴があった上での大阪府知事選挙立候補である。しかし、立法府の一議員と東京に次ぐ日本第二の都市、大阪の行政のトップとでは重みが違う。実際に、参議院議員のときにはタレント活動も継続し、国民には国会議員というよりはお笑い芸人というイメージのほうが強かった。しかし、それでも四半世紀は、国権の最高機関に身を置いていたのである。 

 

 これに対して、コメディ俳優から一気に大統領になったのが、ウクライナのゼレンスキー(1978年1月25日~)である。 

 

 ゼレンスキーは、キーウ国立経済大学で法学を修めた後、俳優となり、オリガルヒ(大富豪)のイーホル・コロモイスキーが所有するテレビ局で、コメディを中心に多くの番組を製作、自らも出演したりしてした。 

 

 コロモイスキーは、合金鉄、石油製品、金融、マスメディアなどの分野で広範な事業を手がけるプリヴァト・グループの創立者である。彼は、親米派で、ゼレンスキーの盟友であった。 

 

 2014年3月には、反露派のコロモイスキーはドニプロペトロウシク州の知事に任命されたが、プーチンは「稀代の詐欺師」と呼んで彼を軽蔑している。 

 

 

■ 高校教師が大統領になるドラマで大人気に 

 

 2015年には、汚職と戦うために高校教師が大統領に登りつめる成功物語のドラマ「国民の僕」がテレビ放映され、人気を博したが、その主人公を演じたがゼレンスキーである。2016年には、映画版「国民の僕 第2部」が、2017年には「国民の僕」第2シーズン全24話が、2019年には「国民の僕」の第3シーズンが放映された。 

 

 この映画の人気を背景に、ゼレンスキーは、2018年3月、政党「国民の僕」を立ち上げ、12月31日には、翌年の大統領選への出馬を表明した。コロモイスキーの支援を受けてのことである。 

 

 2019年3月31日の第一回投票では、ゼレンスキーが30.4%、現職大統領のペトロ・ポロシェンコが17.8%、ユーリヤ・ティモシェンコ元首相が14.2%という結果となった。4月21日の決選投票では、73.22%対24.45%でゼレンスキーが圧勝し、5月20日に大統領に就任した。 

 

 その直後の7月21日に実施された最高議会(国会)選挙では、ゼレンスキーの政党「国民の僕」が単独過半数を制した。 

 

 ゼレンスキーが大統領に当選し、その与党が大勝したのは、ウクライナの政治が腐敗し、閉塞状態にあることに国民が不満を感じたからである。 

 

■ ウクライナ情勢 

 

 その当時のウクライナ情勢について一瞥しておこう。 

 

 ウクライナの東南部はロシア人も多く住んでおり、ロシアとの関係が深く、ロシアは強力に梃子入れしてきた。一方、西部や中部は親西欧派が多く、EUへの加盟を求めた。宗教的な対立もある。こうして、ウクライナの東西で、国が二分される状況となっていた。 

 

 2004年の11月の大統領選決選投票で、親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチと親西欧派のヴィクトル・ユシチェンコの一騎打ちとなった。選管はヤヌコーヴィチの当選としたが、ユシチェンコ陣営は選挙に不正があったとして、首都キーウを中心に大規模なゼネスト、デモなどの抗議活動を行った。 

 

 EUなどの仲介で12月に再投票が行われ、ユシチェンコが勝利し、大統領となった。これを「オレンジ革命」という。 

 

 しかし、ユシチェンコ与党の「われらのウクライナ」は、2006年6月の最高議会の選挙で惨敗した。その後、政権内部の抗争で、2010年の大統領選挙では、ティモシェンコと対決したヤヌコーヴィチが当選するという結果になった。 

 

 2013年、ヤヌコーヴィチ政権はEUとの政治・貿易協定の調印を見送り、ロシアやその経済圏との協力を強化しようとした。そのため、親欧米派が抗議活動を展開し、2014年2月にヤヌコーヴィチは国外に逃亡した。最高議会はヤヌコーヴィチの大統領解任と大統領選の繰り上げ実施を決議した。これが「マイダン革命」である。 

 

 親露派政権の崩壊という事態に、プーチンはロシア系住民を保護するという名目でクリミアへの軍事介入を決め、3月には併合したのである。 

 

 

■ 政治は結果責任 

 

 東部のドンバス地域でも、親露派の分離独立勢力とウクライナ政府の対立が続き、内戦状態となったが、ロシアは、2022年2月21日にドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の独立を承認し、24日にウクライナに侵攻した。 

 

 ゼレンスキーが過度にロシアを刺激せず、もっと賢い対応をとっていたならば、ロシアの侵略を阻止できたかもしれない。しかし、政治の素人であるゼレンスキーは、クリミア半島の奪還を掲げ、NATO加盟を模索し、ロシアとの間で緊張を高めてしまった。 

 

 NATO加盟こそ、プーチンにとっては「超えてはならない一線」であり、国境地帯に部隊を展開させて牽制したのである。ロシアの要求は、「これ以上NATO加盟国を増やさないこと」であり、それさえ文書で保証してくれれば、国境地帯の軍を撤退させる意向を示していた。また、ロシアは、自国の近隣諸国へアメリカやNTOの兵器、とくに核兵器やミサイルを配備しないことを求めた。これらの要求に応じることは不可能ではなかったはずである。 

 

 まさに、コメディアン政治家の限界である。今回のアメリカ大統領選挙でトランプが当選すれば、ウウライナ戦争停戦が日程に上ってくる。 

 

 また、ウクライナの世論も変化している。キーウ国際社会学研究所は、7月23日、「和平を実現し独立を守るには、一部領土を割譲するしかない」という答えが32%、「戦争が長引いても領土割譲は認められない」という回答が55%だという世論調査結果を発表した。前者の回答は、10%(2022年5月)、14%(2023年10月)、19%(2023年12月)、26%(2024年2月)と次第に増えている。 

 

 政治は結果責任である。領土割譲で停戦ということになれば、ゼレンスキーの責任は大きい。 

 

 【舛添要一】国際政治学者。株式会社舛添政治経済研究所所長。参議院議員、厚生労働大臣、東京都知事などを歴任。『母に襁褓をあてるときーー介護 闘いの日々』(中公文庫)、『憲法改正のオモテとウラ』(講談社現代新書)、『舛添メモ 厚労官僚との闘い752日』(小学館)、『都知事失格』(小学館)、『ヒトラーの正体』、『ムッソリーニの正体』、『スターリンの正体』(ともに小学館新書)、『プーチンの復讐と第三次世界大戦序曲』(インターナショナル新書)、『スマホ時代の6か国語学習法!』(たちばな出版)など著書多数。YouTubeチャンネル『舛添要一、世界と日本を語る』でも最新の時事問題について鋭く解説している。 

 

舛添 要一 

 

 

 
 

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