( 196399 )  2024/07/30 16:40:09  
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最低賃金は「経営者vs.労働者」の議論ではなく、データに基づいた分析によって決めるべきだといいます(撮影:尾形文繁) 

 

オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。 

退職後も日本経済の研究を続け、日本を救う数々の提言を行ってきた彼の著書『給料の上げ方――日本人みんなで豊かになる』では、日本人の給料を上げるための方法が詳しく解説されている。 

 

【グラフ】「中小企業は支払い能力に乏しい」という主張に根拠はあるのでしょうか? 

 

「いまの日本の給料は、日本人のまじめさや能力にふさわしい水準ではありません。そんな低水準の給料でもガマンして働いている、その『ガマン』によって、いまの日本経済のシステムは成り立っています。でも、そんなのは絶対におかしい」 

 

そう語るアトキンソン氏に、これからの日本に必要なことを解説してもらう。 

 

■「50円引き上げ」の結論自体は評価できる 

 

 中央最低賃金審議会は、2024年の引き上げの目安を50円と決定しました。 

 

 2024年の最低賃金の引き上げにより、全都道府県で2025年に最低賃金が1000円を超える可能性が高まっています。現時点で1000円を超える都道府県は8つですが、2024年には少なくとも16都道府県に増える見通しです。 

 

 日本の最低賃金は都道府県ごとに設定され、経済状況に応じてA、B、Cの3つのランクに分類されています。各ランクの最低賃金引き上げの目安額は中央最低賃金審議会によって示されます。 

 

 2024年の目安額は全ランク共通で50円の引き上げとなり、地域間の賃金格差の是正を図る大きな一歩となりました。 

 

 過去には、最高の最低賃金と最低の最低賃金の格差が広がっていました。1997年には100円だった差が、2018年には223円まで拡大しました。今回の統一された引き上げ幅は、東京都にとって4.5%、最下位の岩手県にとっては5.6%の引き上げとなり、地域間格差の縮小となります。 

 

 実際の引き上げ幅は、各都道府県での議論を経て決定されますが、全国加重平均が1054円を超えることが予想されます。これは過去の事例から、引き上げ幅が目安より大きくなることが多いためです。 

 

■「データに基づいた議論」ができていない 

 

 問題は、中央最低賃金審議会では経営者代表の意見がしばしば具体的なデータに欠けるため、議論が抽象論に終始することです。 

 

 たとえば「価格転嫁ができていない企業が相当数いる」との主張がありますが、具体的な企業数や業種ごとの詳細なデータが示されていません。このような主張には、統計的なデータが不可欠です。 

 

 

 「価格転嫁ができていない企業が相当数いる」との発言には、2つの問題があります。 

 

 まず、「相当数いる」とは具体的に何社なのかが示されていません。356万社ある中小企業の中で、どの程度が価格転嫁できていないのか具体的なデータがなければ、無責任な発言となります。 

 

 次に「価格転嫁ができていない」と言われても、どの業種で何%できていないのかを具体的に示す必要があります。ここではエピソードではなく、統計的なデータが不可欠です。 

 

 さらに経営者代表は、物価上昇の影響を理由に賃金は上げられないと主張していますが、それは労働者に物価上昇の負担を押し付ける結果となります。 

 

 今回の審議会では、経営者側は「中小企業に支払い能力を超えた過度な引き上げによる負担を負わせない配慮を」と主張しました。しかし、経営者側が主張する「中小企業の支払い能力」の具体的なデータを示していません。 

 

 中小企業も全体で見れば、大企業と同じように利益が最高水準を更新し続け、内部留保も増加しています。その中で、経営者側が「支払い能力」を持ち出すのであれば、その詳細を示すべきです。 

 

 中小企業は356万社もあり、最低賃金が1500円になっても対応できる企業もあるはずです。最低賃金がいくらになれば、どの業種のどの企業がどのような影響を受けるかを具体的に示すことが求められます。 

 

 最低賃金の引き上げは、経済全体に対しても重要な影響を及ぼします。 

 

 最低賃金が上がることで、低賃金労働者の生活水準が向上し、消費活動が活発化することが期待されます。一方で、企業側には賃金コストの増加が負担となることもありますが、これは価格転嫁することで解決できます。 

 

 一部の人は生産性を上げてから賃金を上げるべきと主張しますが、日本企業の生産性は、それほどではないものの上昇しています。それにもかかわらず労働分配率が下がっているため、経営者は賃金を上げていません。よって、経営者側の「生産性を上げてから賃金を上げる」という抽象的な意見は、そもそも経営者側が守っていないのですから、退けるべきです。 

 

 逆に、賃金を上げることで生産性を上げざるを得ないという現実もあります。外国の分析では、賃金を上げると経営者が生産性向上に必死になることが確認されています。 

 

 

■当初案「たった20円」経営者側は労働者を舐めている 

 

 経営者も労働者同様に利害関係者です。経営者に決定権を渡して、最低賃金の議論をさせるべきではありません。特に、経営者の団体は最低賃金の設定に必要な分析能力が十分ではないことは以上のことからもわかります。 

 

 実は今回の議論で、経営者側は当初案として20円の引き上げを示したそうです。とんでもない数字です。交渉とはいえ、公的な場でたった2%程度の引き上げを示す経営者側には、審議会に出席する資格はないとすら思います。 

 

 ビッグデータの時代では、最低賃金の設定には、もっと科学的なやり方が必要です。イギリスのLow Pay Commissionのように、学者や統計専門家がビッグデータを駆使して経済全体に与える影響を分析し、そのうえで労働者側と経営者側の意見をヒアリングする方法が求められます。 

 

 EUのように、最低賃金を平均所得の50%、中央値の60%に収斂させることも1つの方向性です。 

 

 人口減少が進む中、最低賃金は経済政策の中で中心的な役割を果たすべきです。たくさんの人の生活にかかることですから、労働者と経営者が根拠もなく議論を続けるのではなく、エビデンスに基づいた科学的なアプローチが求められます。 

 

 最低賃金の引き上げは、経済全体に対する影響を考慮し、ビッグデータと統計的な分析を用いて慎重に決定されるべきです。 

 

デービッド・アトキンソン :小西美術工藝社社長 

 

 

 
 

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