( 196641 )  2024/07/31 14:35:00  
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小学生の「夏休みの宿題」が減った理由 宿題もテストも通知表も“全廃”した学校に起きた「変化」

AERA dot. 7/31(水) 7:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/a465a3fe5c149d0075694a73ff39ffb7fc8b86c9

 

( 196642 )  2024/07/31 14:35:00  
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夏休みの宿題に対する様々な改革が進んでいることが報じられている。

宿題を廃止する学校や、自主的な学びを重視する学校などが登場しており、子供たちや保護者からは賛否両論の意見がある。

教育の方針や宿題のあり方について、様々な考え方が示されている状況だ。

(要約)

( 196644 )  2024/07/31 14:35:00  
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夏休みの宿題を“改革”する学校が出てきている。画像はイメージ(GettyImages) 

 

 小学生にとって待ちに待った夏休みが始まったが、ついてまわるのが学校から課される「宿題」の数々。子どもたちはもちろん、「早くやりなさい」とはっぱをかけたり、見かねて手伝ったりする親にとっても、憂鬱な存在となりがちだ。だが昨今、この夏休みの宿題に“異変”が起きている。漢字・計算ドリルや読書感想文などを一律で課す宿題からの脱却をはかろうと、改革を進める学校が出はじめ、なかには宿題自体を廃止した学校もある。変わりつつある「夏休みの宿題」の最前線を取材した。 

 

【写真】宿題もテストも通知表も“全廃”した校長はこちら 

 

*  *  * 

 

 7月上旬、現役小学校教員によるものとみられるXのポストが3500回以上リツイートされた。その内容は、 

 

「私の勤務校、今年から、働き方改革のため夏休みの宿題なしになりました! 夏休み帳も感想文も作品募集もなし! その他細々したものもなし! 自学したい人はしてきてください、という感じ」 

 

 というもの。 

 

 この投稿へのコメントには、「宿題がないとゲーム漬けになりそう」「勉強する子としない子の学力に差が出るのでは?」といった不安の声が上がった一方で、「やらされてやる勉強は身に付かない」「どうせ親が手伝っているのだから意味がない」などと宿題廃止を好意的に受け止める声も数多く見られた。 

 

 近年、教育界では「子どもの自主的な学び」を重視しようとする風潮があるが、東京23区で小学校高学年の娘を持つ40代の保護者もこう実感している。 

 

「娘の小学校では、実質、夏休みの宿題は『自由研究』だけ。読書感想文やドリル系の宿題は一切なく、自主学習したものがあればそれをノートに貼って提出してください、と言われただけでした。先生も『塾の宿題などで忙しいでしょうから、学校からはあまり課題は出しません』とおっしゃっていて、時代の流れなのかなと感じました」 

 

■「子どもの忠誠心をはかるため」の宿題 

 

 実際、今年から「夏休みの宿題」の抜本的改革を始めた学校もある。 

 

 名古屋市立如意小学校(愛知県)では、1学期の学習内容を網羅的に復習できる、名古屋ではおなじみの教材冊子「夏の生活」を採用しないことに決めた。代わりに教職員が用意したのが、子どもが自分で勉強の計画を立てるためのプリント「夏休みの学習」だ。 

 

 夏休み前、子どもたちは担任のアドバイスを受けながら、「音読」「鍵盤ハーモニカの練習」「朝顔の観察」といった具合に、思い思いの学習予定を書き込んだ。休み中は、進捗状況を保護者がチェックしたり、タブレット端末を通じて担任が確認したりと、周囲の大人が見守る態勢を整えた。 

 

 今回の試みの背景について、大西健一校長はこう語る。 

 

「全員一律で課される宿題に取り組むことも、ある程度学力が伸びたり、決めたことを最後まで取り組む力が身についたりと、一定の効果はあるでしょう。ただ、名古屋市も『自律して学び続ける子ども』という教育方針を示しているとおり、小学校、中学校、高校……と長いスパンで学習意欲を育てることを目指しているので、小学校の段階で学力面の成果にこだわる必要はないと思っています。また、社会の常識や情勢が1分単位で変わる今、小さいころから状況に応じた調整力や決断力を養う必要があるという実感もあります」 

 

 冒頭のXのポストのように、夏休みの宿題そのものを廃止した小学校もある。 

 

 新宿区立西新宿小学校(東京都)は昨年度から、夏休みは自分の関心のあることに取り組むよう指導しており、取り組みの成果物についても提出は任意としている。思い切った決断の裏には、長井満敏校長が昔から抱いていた「疑問」があったという。 

 

「既に知っている漢字を10回20回と繰り返し書かせるような宿題に、果たしてどれだけの意味があるのか。辛辣(しんらつ)な言い方をすると、学校が子どもの忠誠心をはかるためという側面もあるように感じていました」 

 

 

■いい子と悪い子に選別しないで 

 

 宿題廃止の方針に対し、現場の教員たちは「1学期に教えたことを忘れてしまうのでは?」と難色を示したという。だが長井校長は、「先生だって中学高校で習った数学や物理の難しい話は覚えていないでしょう?」「子どもは必要なことであれば覚えているもの」などと説得した。結果、夏休み明けの2学期からの授業の理解度に関して、教員から苦情が届くことはなかった。 

 

 そこで長井校長は、さらに大胆な改革に踏み切る。「学期中の宿題」「単元ごとのテスト」「通知表」をすべて廃止すると決めたのだ。 

 

 これには、さすがに保護者からも「勉強は親が見るようにということですか?」「塾に行かせなければいけないんですか?」といった不安の声が寄せられた。区の教育長に呼び出され、説明を求められたこともあった。長井校長はその都度、教育者としての自身の思いを伝えたという。 

 

「子どもたちは、常に周りとの比較や競争にさらされ、自分のいたらなさを示される中で、自己肯定感が下がっている。成績で序列をつけて、いい子と悪い子に選別するのではなく、一人ひとりの良さをみる評価にしたいんです。子どもの自由な発想に対し、大人が『そんなくだらないことはやめて勉強しなさい』と言うことは、もしかしたら大発見の芽を摘む行為かもしれない。それは人類にとっての損失です」 

 

 こうして西新宿小は昨年、宿題、テスト、通知表という「ある意味、子どもたちを掌握するためのツール」(長井校長)を廃止した。大人たちの不安をよそに、何かを強制されなくても自主的に勉強する子はちゃんといた。授業についていけない子には担任が補修をするなど適宜サポートした結果、昨年度に実施した学力テストの平均点は、前の年度と比べて数点下がった程度だったという。 

 

 通知表をなくした代わりに、保護者との個人面談を年1回から2回に増やし、日ごろの授業や生活の様子を丁寧に伝えるようにした。そのかいあってか、改革当初に保護者から寄せられたような問い合わせや苦情はその後一切届かず、教育委員会もいったんは状況を静観しているそうだ。 

 

 

■業務負担は減るも、戸惑う教員たち 

 

 肝心の「改革の成果」について尋ねると、長井校長は「まだ劇的な変化はないのですが……」と前置きしつつ、こう続けた。 

 

「先生の言うことを聞かずに暴れだす子が多少減ってきました。あとは最近、七夕の短冊を眺めていた時に気づいたのですが、『計算ができますように』『漢字が書けますように』といった願い事ではなく、「家族が健康でいられますように」といった内容が目に付くようになったなと。目先の評価よりも、自分が本当に大事にしたいものに目を向ける子どもが増えてきたのかもしれません」 

 

 それにしても、ここまで大掛かりな学校改革を推し進めるモチベーションとは、一体何なのか。長井校長の穏やかな声色に、力強さがにじむ。 

 

「今、全国の小中学校に不登校の子は30万人いて、教員の採用倍率も右肩下がり。学校に生徒も先生もいなくなるというのは、やはり学校のあり方の根本に問題があるからだと思っています。そういう目で現場を見ていると、変えなきゃいけないところがいっぱい、本当にいっぱい見えてくるんです」 

 

 改革の結果、テストの採点や通知表作成などの業務がなくなり、教員の負担も劇的に減った。だが、今まで実践してきた教育のあり方から180度転換するような方針に対して、先生たちからはいまだに戸惑いが寄せられ、一様の歓迎ムードではないという。長井校長は、「孤軍奮闘しております」と苦笑いしていた。 

 

 夏休みの宿題に代表される「学校教育の当たり前」を疑ってみる。大胆な教育改革は、そうした小さな一歩から始まるのかもしれない。 

 

(AERA dot.編集部・大谷百合絵) 

 

大谷百合絵 

 

 

( 196643 )  2024/07/31 14:35:00  
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(まとめ) 

複数の意見や懸念がありますが、宿題や夏休みの課題については、子供の個性や家庭環境によって様々な影響があることが示唆されています。

一部では宿題が学力や学習意欲を高める重要な役割を果たしているとの意見もありますが、その一方で、無理やり課すことが意味がないと指摘する声もあります。

教員の負担軽減や子供たちの社会性・学習方法の育成など、より総合的な視点での教育課題も示唆されています。

それぞれの子供や環境に合った柔軟なアプローチが必要とされているようです。

( 196645 )  2024/07/31 14:35:00  
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・東大等の有名校合格者数上位の高校は、校則がゆるく自由な高校が多くあります。これらの学校の生徒は本質的に賢く、自分でしっかりと判断ができるから校則でしばる必要がないからでしょう。でも、ほとんどの子はそうではありません。ゲーム等の誘惑に負けて、勉強をおろそかにする子の方が多いと思います。宿題やテストをなくして、その子の将来のために本当にいいのか、疑問に思っています。 

 

 

・夏休みの期間は地域によって長さが違うようだけど私の子供の学校は夏休みが短い方だと思う。 

一学期の授業の復習ドリルと漢字練習はあったほうがいいが読書感想文、自由研究、絵日記、絵画コンクールその他諸々はその中で好きなものを1〜2点選んでの提出でも良いと思うけどな。あまり宿題の数が多いと子供はやっつけ仕事になるし、採点やチェックする先生もしんどいだろうし。ゆっくり丁寧に取り組ませるのも良いと思う。 

 

 

・詰め込み教育は良くない!ということで導入した「ゆとり教育」 

完全に失敗であったことは誰もが認めること。 

また同じ議論をしているように感じる。 

たしかに、自由研究で『自立して学び続ける子ども』を目指すというと、聞こえはいいが現実的にそうはならない。返って、できる子とできない子の格差を広げることになる。 

 

知識の詰め込みではなく応用的な考え方を伸ばすことが大事、と言われるが、幅広い発想をするには”知識”が必要だ。小学生の段階は、その”知識”を身に着ける時期だ。 

 

 

・宿題ってそれなりに意味はあると思うんですけどね。塾に通わない分、宿題でわからないところを確認して親に教えてもらって理解を深める、毎日10分程度の宿題ですが我が家では良い習慣になっています。大人になってもちょっとした学習の習慣って大切ですし。いやいや塾に通うよりよっぽど意味があります。先生方の負担が増えるような読書感想文や自主学習などの宿題は減らしても良いけどドリルなんかは継続しても良いかなと思います。 

 

 

・教員の働き方改革のために宿題を無くすのではなく、子どもにとってメリットがないから宿題を無くす。子どもにとって何が効果的かを改めて考えた結果、無駄が省かれ働き方改革にも繋がる。 

運動会で未就学児やPTA参加種目が廃止され、子どもの学習発表の場としての意味合いがより強くなり、結果午前開催になったことも例の一つ。 

これまでそうやっていたから、ではなく、目的と手段を今一度考えて見直すことも働き方改革に繋がるのではと思う。 

とにかく現場では無駄が多すぎる。 

 

 

・夏休みの概念とは避暑する目的で 

敢えて設けた仕組みてあると聞いたことがある。 

学校以外で学習なり自由研究することで新たな発見 

であるとかスキルアップを図ることも 

目的としていた。記事のとおり宿題や課題を与えることが当たり前になっていた昨今新たな仕組みが生まれ変わる機会かもしれない。宿題なければどうするか考えるきっかけにも繋がる。 

 

 

・高校生くらいであれば、勉強しないと2学期以降の授業に取り残されることを自分で理解しているから宿題は不要かもしれないけど、小学生でそこまで理解できる賢い子ってそんなにいます?テキストの横にswitchがあれば?小さいうちはある程度強制されてでも宿題させるべきだと思います。「やらされる」ことに慣れておかないと、大人になって誰にも必要にされない人間になってしまう。あくまで個人的な感想ですけどね。 

 

 

・夏休みだけではなく、毎日の宿題で出されるドリルの採点も親がしないといけませんし、働き方改革で先生の仕事量は減ったかもしれませんが、 その分親に負担が大きくのしかかってきてます。親も専業主婦なら良いですけど、フルタイムで働いてる人は本当に負担が大きいですね。 

ただ、夏休みみたいな何十日も休みが続くような長期休みであれば、タブレットであれば採点機能もついているでしょうし、タブレットで夏休みの宿題を出して良いとお思います。 

うちの子供〔小2ですが〕タブレットで夏休みの宿題の国語と算数が出ており、他は細々した宿題と読書感想文があり、他に勉強したい子は自学を...って感じです。 

うちの子は夏休み3日でタブレットの算数と国語の宿題を終わらせ 現在は2年生の国語と算数のドリルを3/4ほど終わらせており、残りはドリルが1/4と読書感想文だけなので、ドリルが終わり次第、ローマ字を覚えたいた言ってますね 

 

 

・海外の学校に行ってましたが夏期も冬期も宿題はありませんでした。休みには思いっきり遊んでましたよ。学期がはじまったら遊びすぎたと思って不安になり、自ら勉強しましたが。その後日本に戻ってきて、それが理由で困ったことはありません。一律の宿題がなくても希望者への休み中の補習やら学期中に取り組むなどでやりようはあるように思いますが。 

 

 

・夏休みの宿題って、学力をつける意味もあるけど、 

「気の進まないこと、けどやらなくてはならないことを如何にこなすか?」という社会勉強でもあるとおもう。 

 

毎日コツコツと進める子 

夏休みの前半でがんばってやっつけて 

後半はラクする子 

最後の最後にならないとやらない子… 

いろんな子がいて、去年は最後にタイヘンだったから今年は早めにスタートしようとか 

そういう経験の場でもあるとおもうんだけどな。 

長い期間を如何につかうか? 

そういう勉強の場でもあるとおもうんだけど… 

どうなんだらう? 

 

 

 

・できる子供ならこういう指導方針でも効果あるのかも知れないけど、できない子供にこういう教育して本当に機能するのでしょうか。 

 

まず、この学校の生徒が自学自習できるレベルにあることを示さないとリスキーな気がしますね。また、テストや成績表も廃止してどのように学習の定着度合いを定量的に測るのでしょうか。 

 

そもそも、子供を放置しておけば勝手に自学自習ができるようになるというのは理想論でしかなく、そのような学習ができるように育てる指導を別途行う必要があると思いますが、ちゃんと計画的に実行されるのでしょうか。こちらの方が指導する側の負担は大きいと思いますが。 

 

単に教育の放棄にならないと良いですが大丈夫ですかね。 

 

 

・成績表をなくすって逆に凄く高度な教育が求められると思います。 

ただ単になんの評価もしないのであればそれは教育者の職務放棄、そうでないなら生徒児童ひとりひとりの目標を定めそれに向かってどう実現していくかを個別に見なければいけません。 

目指すものが近すぎても遠すぎてもいけないし、本人がゴールを変えたいと言い出した時にそれは本人のためになるのかもきちんと向き合って話さなければいけない。そして子ども一人一人を平等に扱うことも難しい。 

学習指導要領に従って成績をつけるのってすごく公平でわかりやすくて効率的なんですよね。 

それを捨てて現場の働き方改革に繋がるのかは個人的には疑問です。 

 

 

・小学生の親です。 

本当に宿題少ないです。なので塾に行っている子や親が家にいて勉強を見ている子と、ずっと留守番でゲームして遊んでいる子と差が激しい印象。 

 

小学生ではまだ自分で自主勉強を進めることは難しいです。 

宿題として提出しなくてもいいから、休み明けのテスト対策プリントとか、毎日やれる課題は用意してもらえると嬉しい。 

 

公立で同じ地域ならだいたい同じ教科書だろうから、各学校で宿題作らなくても、市内で誰か1人がプリントのデータ作って共有するとかで先生の負担減らす方法はないのかな。いっそ外注するとか。子供のタブレットにデータ送れば印刷して配布する手間ないし、答えだけノートに書いて丸付けは自分でやればいいし。 

 

 

・中学から大学まで超名門の一貫校だった先輩が、就職して1年で退職しました。聞くと「10年間楽していたからか、厳しい環境に耐えられなかった」とのことでした。 

最終的には皆が社会人になるわけですが、どこに行ってもお金を稼ぐには苦労や熾烈な競争はあり、学生時代は「社会で勝負できる得意分野を見つける」ことが大事と思います。 

夏休みは子供の「得意で好きなもの」に集中する時間にあてると良いと思います。パソコン、英語、スポーツなんでもいいと思います。 

 

 

・近隣2.3の小学校から同級生が地元の公立中学に進学するとして、小学校Aでは宿題テスト通知表なし、残りの小学校BCは宿題通知表ありと仮定し、進学した中学校ではもちろん宿題もテストもあると思います。 

その時に小学校A出身の子たちの成績はどうなのか、どんな良い影響悪い影響が出ているのか…まで知りたいです。 

 

私自身中学生の母親ですが、放っておけはゲーム三昧。 

好きな事を好きなだけ…というのは、子ども自身に相当なコントロール力がなければ難しい気がします。 

 

 

・三人の子を持つ父親です。小学校はまだ夏休みの宿題が出るが、中学校では夏休みどころか普段の宿題すら出なくなりました。最初は猛抗議しましたが、校長の一存で決まってしまいました。自主性に委ねると言えば聞こえはいいですが、これによりやらない子は勉強を全くやらなくなります。嫌でもやらなくてはいけなかった機会すら無くなります。当然そのような子達は喜ぶでしょう。うちの中学でも学力の格差は顕著になりました。要は親がどれだけ力を入れるかで差が出ます。出来る子は宿題があろうとなかろうとそんなに変わりません。出来ない子はとことん出来なくなります。うちは普段から学習ができる環境を整え、宿題に変わるものを用意しました。ちょっと前のゆとりに近い危険な考え方だと思っています。大人になってから勉強すれば良かったと後悔しても取り戻すのは至難の業です。家ではなぜ学が必要なのか、よく子ども達に言って聞かせています。 

 

 

・良い傾向だと思います。ただし、これは欧米と同じように確実に格差社会を生みます。学力だけが全てではないという親がいる一方で、学力は最低限の人生基礎と考える親もいます。「子どもの自主的な学び」を重視する傾向は、自主的な学びとは何かを理解できない親にとっては、第三者への依存度が減り不安だけが募るんでしょうね。。。 

人口が減少していくことが確実でなわけだから、社会システムもあたり前に変化していく必要があることも含めて親が理解し、子育てや教育に向き合わないとつけが回ってくると思う。「子育てや教育に向き合う時間がない」とかいう親御さんは残念ですが、子供にとっては難しい環境となるでしょう。問題は時間ではないんでしょうから、、、 

 

 

・うちの子どもが通ってる小学校に、1年間宿題なしとしている先生がいます。 

その先生に当たると次の学年に上がったときにほとんどの子が勉強についていけない状態になっていて問題になっています。 

なぜ宿題なしなのか、自分で勉強するとはどういうことか、勉強しないとどうなるか、等々生徒側全員がその意味を理解できているならいいですが、完全投げっぱなしです。 

 

入試を意識するような年齢ならまだしも、それ以前の基礎学力を身につける段階では大人の監視は必要だと思います。 

 

 

・たとえ公立の小学校・中学校のカリキュラムから「夏休みの課題」が消えても、塾通いの小学生からすれば塾の勉強が捗るだけ。 

では塾に行かない小学生は果たして課題解決能力を養う機会をどこで得るのか。 

 

大人になると夏休みは長くて数日間にまで減るのだ。 

大学生は学校休み=アルバイト。 

本当の意味での長期休みは高校生まで。 

自分の体験では小学生の頃1ヶ月休みの間で何かしら研究、宿題する課題は必要だった気がする。 

 

中学校の時は課題内容から2学期最初の1ヶ月の授業について10月半ばに中間試験があったなあ。 

期末試験は2学期末、12月中旬に試験があった。 

やるなと言われなくても勉強していく学生以外にはやはり強制課題とそれにまつわる試験設定は必要だと思う。 

 

 

・自律自律っていいますけど、まず自分がすべきことをきっちりこなしてみて初めて、次はすべきことの中で優先順位をつけようとか考え、自分のペース、裁量でできるようになるわけで、いきなり自由に泳がせたって身につかないものだと思います。 

小学生のうちはむしろ自分のすべきことを体で覚える時期なんじゃないでしょうかね。そうして身に着けた知識を使っての自律は、初等中等と段階を上げてやっていくべきことで、小学校のうちだけでどうにかする問題ではないんじゃないかと。 

 

 

 

・『昨年度に実施した学力テストの平均点は、前の年度と比べて数点下がった程度だったという』 

 

平均点が数点下がるというのは結構大きなことなんだけどねー。ただ最近の若い人を見ていて、キレやすい、世代を超えてのコミュニケーションが苦手、基本的なマナーができていないなど、社会生活を上手に行なっていくスキル不足が散見される。共働きで親がうまくしつけができていないように見える現代では、個々の科目の点数を上げる教育よりは、周りとのコミュニケーションがうまくできる、社会生活に上手に適応できるような教育に移行すべきだと感じることも多い。 

 

 

・自分も小学生の頃、宿題が面倒だなと思ってあまり真面目にやっていませんでしたが、宿題がないとなると本当に遊んで終わるだけです。確かに自分から勉強する子供もいますが、やらない子供もいる。嫌々勉強しても身につかないという考えもありますが、机に向かう習慣がないと受験勉強で集中力が持たないということに繋がります。そういう意味では勉強嫌いでも、少しでも机で勉強する習慣を身につけさせたいという思いもあります。 

 

 

・一定の枠組みがないと取りかかれない子どももいるだろう。だから宿題はあってもいいと思う。特に計算などの毎日の反復練習が必要なものはある段階まではやった方がいい。しかし、自由に任せると、やれる子はできるだろうが、何をやったらいいのかわからない子は結局何もやらないままで夏休みが終わるだろう。だから夏休み前の指導をしっかりしておくことが大切だと思う。 

 

 

・自学できる子、できない子の差が開いてきているように思います。 

テストの点数の分布を見ても二極化しています。 

昔は、平均点と言えば、大体の人が平均点付近にいるという見方もできましたが、今は少し様子が違います。 

私は、言われないとできないタイプだったから、子どもってそんなもんだと思うんですが。 

 

また、塾に通わせないと成り立たないような学校ってなんなんですかね。塾ありきで授業するってよくわからない。 

 

自学の基礎となる学びを義務教育で身につけるんではないのですか? 

 

 

・学校というのは、色んな子供がいるのである一定のレベルまであげるための義務教育であって、個性を出させるものだとは思っていませんでした。 

そういう意味では宿題も最低限これくらいはやってねというものであって良いものだと思いますが、そもそもの学校のあり方、目的が違うのであれば無しでも良いのかなとも思います。 

あまりにも勉強の機会を無くしすぎると、学力の上下に差が出るような気もしますが。勉強の必要性を感じてやれる子供がどれくらいいるか、ですね。 

 

 

・聞こえはいいですが、こうすることで考え得る課題を無視している気がします。 

家庭環境や児童の資質による差が出ることなどに思いが至りませんか? 

 

教員の過度な負担を減らすことに異論はありません。 

でも負担が減った分、教員及び学校は児童一人一人に適したより細やかな指導をしているかと言えばあまりそうではないですよね。 

 

児童たちもいずれ社会に出ます。 

嫌なことや不得手なことをやらなければいけない場面、競争に身を置かなくてはならない時などがきっとあるでしょう。 

そうなったときの耐性を育てていく意味が夏休みの宿題や課題には多少なりとも含まれていると思うのですが。 

 

 

・宿題を課すのは、夏休み中において、通学をする日々と変わらない規則正しい生活を維持と、学力の低下を防ぐという目的もあるので、ある程度必要ではないかとは思います。 

 

ですが、昨今は、現場の仕事量が私が小学生時代の先生方とは違い、いろんな意味で負担増となり、児童の提出した宿題に隅から隅まで目を通すのが困難になっているのだと思います。 

 

提出したかどうかだけしかチェックできないのであれば、宿題を課す意味はないと思いますし、全廃や縮小はやむを得ないと思いますが、今まで以上に子供たちの学力格差が広がる懸念が出てくると思います。 

 

学校教育は国の礎に関わる政策ですから、そういった意味でこの国の将来を案じておられる方は少なくはないと思います。 

 

 

・夏休みの宿題で学力向上できるモチベーションの持ち主なら、決められた宿題に頼らなくても大した影響ないのかも‥ 

反面、宿題を家族や友達が手伝うパターンの子ならば、宿題は身に付いてなさそう‥ 

成長過程における夏休みの目的を考えたとき、暑すぎる季節のリフレッシュ、日頃の学校では体験できない経験や探究心を養う事ではないでしょうか。既存の宿題にとらわれず、子供が様々な経験に触れられる場があることが大切と感じました。家庭の事情や健康上の問題で様々な環境に触れられない子供達にも、そのような機会が与えられるとなお良いですが。かといって、それを教員だけが担うものでもない、ボランティアでは事故が問題になる‥何かにつけてお金のかかることですね‥ 

 

 

・一番良いのは子供の学力や興味に応じた宿題もしくは自習課題を出すことだけど、それを全員にやろうとすると教員の負担は半端ないよね。 

「保護者と話し合って学習計画を立てて提出してください」が落とし所かなと思うけど、親によってはそれも面倒だから嫌だとなりそうな気もする。 

ちなみに低学年だけ親がある程度研究の仕方やまとめ方を教えてあげれば、あとは学校でもまとめ方やパソコンの使い方は学ぶので、高学年くらいになると自由研究に関してはパワポ的なソフトで自分でまとめてくれるようになる。 

賞を取ろうとすると大変だけれど、とりあえず興味のある事を研究して自分なりにまとめるので良しとするのであれば、それで充分だと思う。 

 

 

・自分も夏休みの宿題に苦しみ、我が子たちも苦しんできました。 

自由と言いながら自由ではない自由研究。意味のない読書感想文。普段よりも多い量、そこに部活が入ったら休みない夏休みになってしまう。 

ちょっとした復習になる薄いドリルくらいならあってもいいかなと思っていました。 

昨今は温暖化で酷暑が続く真夏はまずは身体を守ることが大事なことではないかと思っています。 

 

 

 

・自分も夏休みの宿題に苦しみ、我が子たちも苦しんできました。 

自由と言いながら自由ではない自由研究。意味のない読書感想文。普段よりも多い量、そこに部活が入ったら休みない夏休みになってしまう。 

ちょっとした復習になる薄いドリルくらいならあってもいいかなと思っていました。 

昨今は温暖化で酷暑が続く真夏はまずは身体を守ることが大事なことではないかと思っています。 

 

 

・学習習慣をつけるために、宿題はあった方がいいと思うけどね。 

自分の子供の性格から想像すると、学校に課される宿題が無かったら、親が何を準備しようと何もしないで一か月半過ごしちゃうと思う。 

学力が高く自主的になんでもこなしていける子たちが集まるような進学校では、宿題が少ないのは合理的だと思うが、正規分布の真ん中の山とそれより下の子たちには、宿題は必要だと思うな。 

なお、学力が高い子に公文経験者が多いのは納得できる。 

 

 

・教職員の負担軽減はとても大切なことだと思います。 

しかし、子どもとの時間を減らすのはどうかと? 

宿題を通してわかることや、向き合えることがあります。文字から、絵から気付かされることがあります。 

通知表を書きながら、その児童生徒のことを思う時間ができます。 

 

今の教職員は、大人や書類に付き合わされる時間か余計なのです。それを、子どもとの時間を削って、負担軽減としているように感じます。文句を言わない子どもを犠牲にする道を進むべきではないと思います。 

 

 

・学校の宿題、ありがたいです。 

だらけがちの夏休み、生活リズム作りに役立っているし、うちは夏休みの宿題は簡単すぎる内容だけど、どんな小さなものでも、丁寧に作り上げて期限までに終わらせて提出するという練習と位置付けています。 

ゼロから勉強を組み立てたり、自らを律するって結構大変なんで、少しでも与えてもらえる方がうちはやりやすいですね。 

 

 

・義務教育、という観点から「これこれについては確実に身についている」状態でその学年をおわらせる必要があると思っています。 

別の言い方をすれば、「教える」のではなくて「学ばせる」という事です。 

指導要領もあるでしょうけど、「別の先生」が教えれば理解できる場合もあります。それは先生の能力だけでなく、教える方法、学ぶ方法は一つではない、ということです。そういう観点で「読み、書き、そろばん」の最低レベルをきちんと身に着けて世に送り出して欲しいです 

 

 

・やらされている宿題は無意味、むしろ意欲を削ぎます。しかし私も過去に無理矢理、植物採取に行かされ嫌々集めた植物。嫌々でも意外と色んな植物があると気が付き、いろんな鳥や虫がいる、急な岩の斜面もあり危険。家に帰り植物の枯れて行く様。数えきれない学びがあったことを覚えています。めちゃくちゃ行きたくなかったけど、行って良かった。学びとはこういうことかもしれません。 

 

 

・このような学校運営で、児童を「見る」機会は確保されているのかという疑問です。 

 

ある教員曰く「教室や学校の行事だけでは子どもの問題は見えない」 

例えば校則を破った児童生徒に応対することは単に指導することが目的ではなく、その子とコミュニケーションを取ること、ひとりの人間性に触れ、そこから個人の内面や生活、家庭等の問題を知る大切な機会になるそうです。 

夏休みの宿題が同様の役割を果たせるとまでは思いませんが、様々な課題に取り組ませ、評価を受けることは、学力だけでない個々人の状態や環境を知る手立てになります。 

 

もちろん現代では教員が児童生徒に対応すべき範囲は変わっていますし、ブラックな環境で教員にそこまで求めるのは過大だと考えてもおかしくありません。 

ただ、平凡な教員が児童生徒とコミュニケーションしひとりひとりを正対して見る機会が重要であるならば、昔ながらのやり方でも良いと思うのですが。 

 

 

・大賛成です。自身が東南アジアで大卒まで来日35年そして二人を日本育てた経験で、いくら幼少期から先取りにしても、その人の性格、地頭及び成長スピードが一番影響が大きい。無駄な競争とつまらない宿題は前世紀の教育法と思います。今は疑問が浮かんだ途端に答えを見つけるのは一番記憶に残る。そしてその答えを疑る習慣を身につけるのは今世紀の教育に大事です。 

同じ塾に小中高通った二人子供の就職先を見ると結局は本人の得意分野にたどり着いたと思います。 

親として、願いは一つだけです。夏、冬休み期間宿題なしで、学期内はゲームなしのこと。これで現代忙しい共働きには子育て効率的になると思います。 

 

 

・現状の大学入試だと、総合型入試とか、一般でも教科数の少ない入試で入学してくる割合が相当高いため、小学校内容が身についてない部分があって、小学内容の補習を用意してるケースも少なからずあります。 

 

結局無理やりやらせて、一時的に点が上がっても、大学入学時に忘れてるのでは意味がないと思うので、現行の大学入試制度を基にするなら、この方針でもいいと思います。 

 

逆に日本人の実力自体を本当に上げたいのであれば、欧米のように、大学以前でもできない生徒は留年させるようなシステムが必要だと思います。 

 

 

・いっそ学校の宿題を希望制にされたらどうでしょうか。 

うちはなくしてほしい派です。 

2学年以上先学習をしているため、学校の授業も宿題もわかりきったことをやらされている感が子どもからひしひしと感じます。 

本人も時間が勿体無い、それなら塾で自習したいと。 

 

だけど特に通塾させておらず、学校の宿題がないとやることがなくだらけてしまう家庭のお子さんもおられると思います。 

またご家族のご事情なども色々あります。 

苦手な科目のドリルを徹底的にやりたい子もいるでしょう。 

 

読書感想文もやりたい子がやればいいし、絵日記や絵画コンクールも同様。 

ドリルは薄いですし、3時間くらい集中したら1日で終わるくらいの量なので、先生がやりたいならやればいいのではと思いますね。 

 

 

 

・夏休みの宿題の有無がクローズアップされがちですが 

 

本質は違うかと思っております 

約40日間の休みの間、学習をしておかないと、9月学校生活に戻って学業に復帰できる体勢になれないからどと、担任教諭は仰っておりました。 

伺って 「ああ」という感想でした 

 

私の子供の学校はあえて、宿題を出します。 

まだ2年生ので、「一緒にやろうと」親も勉強や読書を可能な範囲入ります、援助します。 

 

中学生や高校生ではないので、自立して学習できるわけではないので、サポートがいります。 

 

1年生の時は、夏休みに宿題以上先取り学習の結果(触れさせて、考える力、怒る力、泣 

く力)1年間授業がとても楽だったようです。 

 

塾も良いですが、低学年は家庭学習が大切だと思います。 

 

 

・小学2年生の娘がいます。ドリルはまだしも、自由研究…題材は決めたものの今のところいくら声をかけてもやる気配がない。休みの終わり間近に助けてと言われても困るからちょこちょこと手助け…これ親の自由研究か?と言いたくなる。自由研究に学童の弁当作り、せっかくの休みの思い出作り(といいつつ絵日記のネタ作り)と親の負担はなかなかです。せめて自由研究、工作は強制じゃなくしてほしい。 

 

 

・コロナ禍の頃、小5だった子供は学校が休校になってしまい、うちの学校は特にタブレット学習といったもの実施されなかったため、ただただ家でゲーム三昧の日々を送っていました。もともとやる気の溢れる子ではなかったため、親が用意したドリルも何もやりませんでした。 

そこでだらける姿勢が身についてしまったのか、結果不登校になって今に至ります。 

課題を課さないのもホントにどうかと思います。 

 

 

・頭が1ヶ月以上空いてしまうので、ある程度の宿題はあったほうが良いと思います。 

私は7月中にドリルは片付けてしまうタイプでしたが、自由研究や読書感想文などのネタなどに困りました。 

 

今はあるか分かりませんが、8月の登校日など、先に一部宿題問題を提出する仕組みを設ければ、8/31に持ち越さない人が増えて良いといつも思いました。 

 

 

・夏休みの宿題で何かが身についたような記憶は無いですが、 

夏休み中は朝食前に玄関掃除と父親の靴磨きが小学生高学年から当たり前でした。 

母は専業主婦でしたが一家の大黒柱の父が働きに出るのに、休みだからと子供を土日のように普通の休みの扱いをしない人でした。 

中学生からは洗濯もしてました。 

勉強だけしてれば良いなんて言う人では無かった。家の事、何でも手伝わされたおかげで生活の術を教えてもらったのだと、今は感謝しています。 

 

 

・宿題はあってもゲームはするし、夏休みの終わりまでやらないのは今も昔も変わらないと思います。読者感想文だってネットの転用やAIに書かせてたら意味が無い。PCの学びとしていかに高レベルな引用をするかが前提ならわかりますけど……。 

 

今はタブレット導入の学校もありますね。 

夏休みの宿題も、この子はこの分野が苦手だからここの学習、小テスト、みたいなオーダーメイド学習出来るといいですね。宿題は学習習慣の無い子、苦手な子の補助をするものだと思うので、塾通いで勉強完璧な子にまで横並びの宿題は無駄だし、やはり生活スタイルの変化に合わせる事も必要だと感じます。 

 

 

・宿題なくすよりも前に科目毎の能力別授業を導入した方が良いと考えます。 

その方が子どもたちの学力を伸ばしやすいです。 

難度が上のクラスだから偉いとかにならないよう、学力も個性として尊重できる社会、自分ができるところでがんばっていることが評価される社会にすることも必要です。 

 

 

・小学生でもちゃんと理解出来てるかの確認は必要だろうし…塾に通ってる子ばかりじゃ無いから家庭でのドリルやプリント学習で補うことは必要だと思う。 

ネットで探せば教材的なサイトは幾らでも有るし、自宅で自分で印刷したとしても…さほど掛からない。自主的に勉強するかしないかで差がつくのは当たり前…頑張れば頑張った分は身につくと思う。 

 

 

・子どもの自主性を重んじるという意味で、いいことのように見える。 

 

でも、小学校と中学校は、その後自主的にやりたいことができたときにその道へ進めるための、基礎を作る段階なはず。そしてだからこそ、そこまでは義務教育なのではないだろうか。 

 

基礎ができていないと、将来やりたいことができても、それをどうやってやればいいのか分からないかもしれない。結果的に、子どもの可能性を潰すことにならないだろうか。 

 

やりたいことをやる、というのはすごくいいことだけど、やりたいことだけをやるためには準備が必要です。 

 

一気に夏休みの宿題を無くすという極端に振れるよりも、大学の単位制のようなイメージで、いくつかの宿題の中から決められた数を子どもが選ぶ方式とかを考えても良かったのでは。 

 

 

・夏休みの宿題の中でも、家庭学習では難しい絵日記や読書感想文は本人のやる気が出ないので夏休みという機会を利用するのは大歓迎なのですが、ドリルは無駄に思います 

家庭学習で忙しいので、それと合わせると毎日膨大な量でやりきれないし親が焦る 

ドリルについては宿題は出すけど、家庭学習をしている人はその記録を提出でOKだと助かるな。 

低学年ですが、チャレンジタッチ(4レッスン)、苦手な分野の問題(2枚ページ)、ドリルの宿題(5ページ)毎日だとけっこうきつい 

 

 

 

・これは結構まずいことだと思う。 

金銭面や家族に学習をみる余裕がある家庭の子は学力が伸び、それ以外はほったらかしで学習の機会がなくなってしまう。 

みんなが同じことをする必要はないが、差別ではなく、本人に合った宿題をするような指示くらいは学校からあってもよいのでは? 

書字が苦手なら大きなマスに書いてもよいし、計算が苦手なら、計算機を使ってでもやり方は学べる。 

根本的に座学が苦手なら、課題にそった内容でなくても、作品や練習したものを発表してもよいのでは? 

学習や体験・挑戦する機会を奪わないで欲しい。 

 

 

・学力格差と言われてますが、学力格差ができるのは問題ないというか、これからの日本を考えると仕方ないのかなと思います。こんだけ子供が減ってきてしまっているのだから、シンガポールのようなエリート教育に舵を切るのもひとつの選択肢なのかな?と思ってます。 

そして、宿題ですが、現役の学生として思うことは、宿題を出すこと自体はいいと思うのですが、みんなが同じ教材を指定されて、自分の苦手の克服、得意なところを伸ばす、というところが後回しになってしまうのが問題だと思います。どんな教材でもいいからこの単元の範囲を勉強してきて!みたいな宿題ならいいと思うのですが、そうすると先生たちが大変になってしまうのかな?と、。そうすると、宿題は無くしていくのが最善なのかなとは思います。もっと、教員が働きやすい環境が整えられて、教員が増えることで1人あたりの負担が減ればまた別ですがね。 

 

 

・基礎的な学力って、筋トレ的なところがあって、繰り返し反復練習して身体で覚え込むことが大事なんだよなぁ。 

自分のような凡人は、いやいやながらもたくさんのプリントやドリルを次々やらされて身体で覚え込まされた。だから問題も(当時は)反射的に解けた。 

もともと優秀な子はいいけど、普通の子はどうなんだろう。 

この学校卒業者のその後を知りたい。 

 

 

・宿題が少ない事は感じています。 

ペラペラなドリルに、 

この中から2つは出してねという形で 

ポスターや習字、作文、自由研究や自由工作があります。 

 

ただ、我が家が母子家庭な事もあり、毎日学童へ行かせている為、子供にとったら 

夏休みじゃないし、帰宅後は時間との戦いなので、帰ってから宿題をみてあげる時間もほとんどないです。1人ではまだ工作や習字など 

終わらせられないので、一緒にやらないといけないですが、 

土曜日も仕事なので、出校日までの2回の日曜日ではとてもとても終わらせる事ができません。 

 

共働きが増えてる事も宿題が減ってる理由なのかなと思います。 

 

 

・>昨年度に実施した学力テストの平均点は、前の年度と比べて数点下がった程度だったという。 

 

高得点の子と低得点の子との差がどれくらいなのか気になります。 

 

「平均点」が「数点下がった程度」と言うことですが、それが今後どうなっていくのか…もしも高得点の子がいる一方で低得点の子が増えていくのなら、方針や方法を見直す必要が出てくると思います。 

先生方の指導力も重要になってくるかと思います。 

 

基礎学力を身につけるのが小中学校が義務教育である理由だと思います。 

そこが身についていないと、将来困るのは子どもたちです。 

 

これまでの慣習に囚われず、子どもたちの将来のことを考えて試行錯誤することはいいことだと思います。 

ただ…「ゆとり教育」のようなことにならないか、と言うことだけ心配しています。 

 

 

・学校からの宿題量が劇的に減ったとして、その時間をどう消費するか? 

という視点に欠けている記事内容だと思った。それならと公文式や学習塾が「上を目指す子」を中心に(非義務教育)補足授業攻勢をかけてくると思う。 

 

それを受けたい子は有難く受けた方がいいし、勉強だけが人生でない=別な芸術・科学分野=を極めるのもありだろう。親の協力でせっせとレッスンに通うのもよし、自然の中に飛び出て、家族でフィールドワークでもいい。 

時間の使い方に「自由度」が出てきて、小学生から「自ら時間管理」を体感・実践するチャンスとも言える。 

 

確かに「学校の先生方の負担を減らす=直ぐに出る結果を求めない」ことが 

(将来の方向性決定への畑作り)へと繋がれば狙い通りでしょうけれど・・。 

 

 

・かつて息子が通っていた中学では1年生の夏休みの宿題として担当教員が指定した5冊の本を読んで、1冊につき400字詰め原稿用紙5枚以上の提出というのがあり親としても驚いた事ありました。 

息子はやらなったみたいですが、他の教科野夏休みの宿題が少なかったのは上記の件があったからではないのかな?と勘ぐってしまいました。 

大人でも400字詰め原稿用紙5枚と言うのは厳しいのに‪✕5‬はいかがかな?と思いましたから、小学校とはいえ校長先生の取り組みは評価したいです。 

 

 

・卒業した高校は、長期休暇に宿題というか課題自体は受け取りましたが提出の義務がありませんでした。代わりに、その範囲で休み明けにテストを行い判定するというものでした。 

 

小学校の場合は、そもそもテストが向かない課題もありこの手が使えそうにない気がしますが、学習計画を自分で立てて進めるのを学校側が手助けするという方式とかどうだろうかと思いました。その中のメニューとしてドリルがあったり朝顔日記があったりで。ただ先生方の負担は大きそうですけどね・・・ 

先生方の負担を減らす政策が進めば考えられるかも、くらいですかね。 

 

少なくとも、全員一律で宿題を課す必要はないだろうと思っています。 

 

 

・うちの子も自主学習したものをノートに貼って提出です。 

夏休みの宿題が激減したと騒いでましたね。 

ネット上にあるフリーの問題集とかあるのでそれ印刷したり書き写したらいいよとの事でした。 

 

うちの子はよくできた子なので、真面目に自主学習してます。買ってきたドリルとかもしてますね。 

塾の宿題があるのも事実、夏期講習とか行く子もいるし。義務的に勉強しなくてもいいと思います。 

 

 

・長期休暇の宿題って、『計画的にタスクを消化する』スキルの為のツールとしてはアリだと思います。 

自分が2学期(今は後期か)前3日くらいで慌ててやった苦い経験と、前期終業式の夜~3日で完遂した両方の経験から、やはり嫌な事は先にやる事のストレスフリーぶりを体感したので、ここは今の仕事に通じてるものがあります。 

早めに終わらせれば、校正の機会もあり、完成度理解度は高まりますね。 

 

 

 

・自主的時間割を作って学習を進める組と先生が時間割にそって教えてくれる組と分けて、どのスタイルで勉強するか、子供に選ばせたらよいのではないだろうか。 

それで勉強に遅れがあるならそれぞれに合った組に促し、学力が低下しても今のままで良いと言われるなら家庭教育で補助してくださいと言うか。 

 

まぁ、そんなにうまくいかないことが多く教員の手間は増えると思うが、主体性を軸とするなら、選べる教育があっても面白いかもしれない。 

 

 

・小中学生の子供がいます。 

小中学生共に自分でやる参考書やワーク勉強を宿題と並行で進めるのが難しいので、宿題を終わらせてから自学(復習・予習)となります。 

ですので宿題がなくても良いです。 

 

特に小学生はパソコンで進める一問一答みたいな宿題・普通の宿題のプリント数枚だけ・貯金箱や習字ポスターを選択2つとか…そのよつな感じの宿題なので、家でやる勉強の方が身になりそうです。 

貯金箱は設計図、作製、色塗り仕上げの長くて3日くらいは使いますよね。 

それが2点以上だと1週間はかかってしまいますから。 

先生の働き方改革も支持していますので、夏休みの宿題は無くす方向で考えてもらいたいです。 

 

 

・良いと思う 

でも見守りは大事だし、子供が知りたいとか出来るようになりたいと思ったときには対応できる受け皿があったらいいと思う。 

それで先生が待機したんじゃ働き方改革にはならないから、NPOとか、地域ボランティアとか 

そういった人たちの手を借りてみるのもいいかと 

あと、ただ宿題無くすだけじゃ自主性がある子と無い子の差が大きくなると思うので、普段から勉強を怠った先の将来の姿、頑張った先の姿  

自分がなりたい未来について想像を膨らませる時間を学校で(もちろん家庭でも)作って欲しいなと思う。 

なりたい未来の自分に近づくために今やれることは何か?を考えたら、自発的に勉強したくなる子も出てくると思うし、まだわからなくても考えることが大事だから 

将来なりたい自分と実現する為に今出来る事は何かを考えて文章にするのだけは宿題にしてもいいかも 

 

 

・宿題を反対する声は中学受験する親に多いように感じた。勉強を塾ベースで考えているからです。しかし、義務教育の基本は学校であり、基礎学力は宝になります。勉強は習慣化する事が非常に大事なので、子供自身のペースで学ぶなんて、よほど好きな事が明確な子だったり、親が教師となって導くことができなければ、学力差が広がるだけになると思う。 

 

 

・昔は親が手伝わなければ終わらないほど宿題が多すぎた、あれは異常。 でも小学生に全く宿題無いのは疑問。  

教育熱心な親、きちんとプロセスを踏ませ指導出来る親、塾や家庭教師など子供の教育にお金を掛けられる親を持つ子供には、宿題なんて無くていいだろうけど、両親共働きで毎日が精一杯の親、シングルの親、経済的困窮の親を持つ子供には厳しい世界。 

 

小学生なんて自分を律して行動するのは難しくて、自分を律する事を学ぶ時期でしょう。教育は本当に大切だと思います。この時期に少しだけ出来る範囲の宿題という負荷を与え、それを自分の手でやった、という事実が自己評価向上にも繋がるのでは? 通知表が無いと競争にはならず、その時は平和。でも小学校の先生は関係ないかもしれないけど、ほとんどは何処に行っても国が違っても、競争力と稼ぐ力は求められます。慣れない競争力を求められた時、病まずに頑張れますかね?未来を考えてますかね? 

 

 

・「勉強しなさい」ということで子供の自由な発想を阻害し大人が見つけられなかったような発見の芽を摘んでいるのかもしれないというのは、常々感じています。 

Xのポストを見ていると、夏休みの課題はないほうが、先生方にとっても負担を減らすことになって良いんじゃないかとも感じます。 

ただ、今既に子供の学力は全体的に下がっていると言われているので、課題を減らしたりなくしたりすると、この傾向は更に進むと思います。 

1人ひとりが基礎学力を身に付けて大人になるという時代から、子供のうちから自分が好き・興味が持てる専門的な分野を学ぶという方向にシフトチェンジしていくのもアリかと思います。 

 

 

・やる子はやるしやらない子はやらないよね。 

であるとしたら、最低限の宿題を出してあげないと差はつく一方。 

野放しでOKとした場合、中高大では方針が違うかもしれないし、社会人になれば必ず期限のある仕事を任せられるわけで。 

それであれば、期限までにどうするといった考え持てる子を育てることは大事だと思う。 

 

 

・すごくいい取り組みだと思う。 

でも自由過ぎないか?とも思う。 

自分は奨学生で新聞配達しながら専門学校に行ってた。国家資格の当時、情報処理検定を取るために。でも学校の授業方法がほぼプリントだけだったので学校やめて自分で勉強した方がいいと思って自学をしてました。 

でも実際自分で資格を取るための勉強をするってなかなか難しいものでいろいろな誘惑があるんですよね。 

小学校の子供ならなおさらだと思うんです。 

そりゃちゃんとできる子供もいると思いますが、しない子が大半じゃないかな思いますよ。自分も子供が5人いますがこの取り組みになると・・・多分親の負担が増えるんじゃないかな? 

夏休みの宿題があった方がいいと思う親もいると思う。 

みんなやる。か、みんなやらない。とかより、 

親に選択させるってのはどうかな? 

うちの子は宿題あった方がちゃんとする。とか、うちの子は計画からさせたいとか。 

 

 

・賛否両論あるだろうが、宿題廃止は良いことだと思っています。 

どうせ訓練するなら、課題は自分(親子)で作って、その課題に向き合う時間でもよいと思っています。 

 

息子の学校も宿題はありません。 

自由研究は、やりたい人はやる、やらなくてもよいスタイルの小学校です。 

 

上述したことは、我が家でおこなっています。 

課題1 サッカーのリフティングを休み期間中に100回連続で出来るようになる。 

課題2 100マス計算を1分以内にこなす 

課題3 毎日音読する 

課題4 リコーダーの練習を毎日する 

です。 

親子一緒でといいつつ、息子が自分で目標を決めました。 

ご褒美はお盆中親子でマイクラの建築とフォートナイトです笑 

 

 

・この手段が取れるのはお受験をしたような、親の意識が高いか、子供がそもそも優秀なパターンだけ。本当に公立は上と下に天と地のさがある。やらされ感あっても机に向かうことで、夏休み明けの五月病みたいな症状が緩和するかもしれない。下に照準を合わせるのも良くないが、上に合わせるのも危ないと思う。ただ、先生を楽にする目的なら全然いい気がするな。 

 

 

 

・子供の学力も自己責任って世界になりつつあるんですね、その分は親の担う役割が大きくなるわけですが…果たして今の共働き社会でどこまで機能するでしょうか?。親の学歴が子に大きく影響するという記事を読んだことがありますが、我が子の教育方針についてしっかり確立できている家庭がどのくらいあることやら。子供というよりは親がついていけない学校の変化、といった感想を持ちました。 

 

 

・これは賛否あると思う。 

私も小学生の親です。親の意見としては、宿題はあった方が良い。 

自主的に勉強する小学3年生はいないとはいわないがごく僅か。どこぞの 

付属小学の生徒ならまだしも。 

勉強させるのが大変なのに。宿題なかったら、今以上に勉強しなくなるし 

、1カ月休みモードに入り、2学期がヤバい事になりそう。 

それこそ親呼び出しと。あり得ん。 

働き方改革というなら、タブレットから学校にアクセスし問題をやる。 

問題はアプリ会社が作成したものを使用で、先生に負担はない。 

わざわざ、この時代に紙で宿題を渡す、提出させるから負担が多い。 

 

 

・普段の宿題だってやる子やらない子いますからね。夏休みだってやらない子はやらないと思います。 

いろんな子がいる中で、面倒だけどやらないとって思う子が多いんじゃないかな? 

好きなことを自由にできる夏休みに家庭で我慢や忍耐力、継続力を繋ぐ。 

いつか、社会に出たら好きなことだけやっていては暮らせないし、我慢とか続けるって必要な力だと思います。 

勉強の内容も大事ですが、小学生くらいまではそういう力を培う時期でもあるかなと思うので宿題全くなしってのはないかなぁ‥ 

 

 

・そもそもテストも宿題も通知表も、何のためにあるのかが問われるべきだと思う。 

 

テストはつい点取りに興味が行きがちだが、例えば製品を作る工場におけるテスト・試験の類は製品の質を向上させることが目的。 

学校のテストは点数が付いたらそれでおしまいで、成績評価もテストによる学力のものさしとしている部分が少なくない。 

 

工場ならば、試験の結果を受けてそこからが改善のスタート。 

学校もそういうふうにテストを活用すれば意味のある使い方になるはず。 

 

逆に言うと、そういう改善のためのテストでなく、点取りと成績付けのためのテストなら廃止で良いという考えが出てきても不思議ではないと思う。 

 

宿題も過度な負担を強いるものは良くないし、かといってなんでも各自の工夫とするには、まだ小学生はそこまで自立していない気がする。けれど、夏休みの計算ドリル・漢字ドリル・読書感想文・自由研究の強要は見直した方が良いと思う。 

 

 

・宿題や成績表をなくす事がいいかどうかはわからない。 

 

でも、 

「学校のあり方の根本に問題があるからだと思って」取り組んだ取り組みの一つというのは、すごく良いと思います。 

 

結果を見て、その先また変わる可能性がある。 

良くしていこうという動きをトップがやってくれるのは、良いと思う。 

 

 

・問題集以外の夏休みの宿題は不要だと思っていたが、それはただ単に親の負担になるだけだから。 

大抵の子供は、進め方がわからず親が手取り足取りとなる。共働きであれば、土日以外では作業困難…… 

 

一方で、代表的な宿題である自由研究や読書感想文は、子供主導で完成させる分にはとても良い経験になるはずなので、学校は家庭に投げっぱなしではなく研究やレポートの進め方、文章の構成の仕方等を教育した上で、その延長線としての宿題として欲しい。 

 

子供一人では難易度が高くてこなせない事が問題であり、宿題自体は決して意味の無いものではないはず。 

 

 

・理想論だけど、やっぱ「自発的な行動」が大事よね。 

他人からやらされる物は、時間をかけて頑張っても効果がちょっと減る。 

自分でやろうと決めた物は、やり方が下手でも効果が高い。 

そして、身の回りのいろんな事に興味を持ち面白がる子ってのが受験後も燃え尽きずに伸びる。たぶん本人は意識してなくても自発的に知ろう学ぼうと思ってるから。 

 

 

・テストや通知表は必要かもしれないけど夏休みの宿題は必要無いと思います。 

勉強しているというより消化している感じでした。 

夏休みが始まったと同時に片付ける人、8月末になって慌てる人は頭に入って無いと思います。 

自分も夏休みの宿題で何やったか覚えてません。 

受験生は夏季講習等で忙しいかと思います。 

宿題よりも受験勉強ではないでしょうか。 

夏休みは思い出作りや冒険をした方が有意義だと思います。 

 

 

・小学生のうちは勉強の仕方がわからない、という子もたくさんいると思う。授業があって小テストなどをすれば身についていくかもしれないけど夏休みの間宿題ゼロ、はやはりできる子とそうでない子の差が出てくると思う。上は伸ばす、下は引き上げるという宿題のさせ方を指南するのもいいのではないか。通知表もできる子にとっては自己肯定感を図るツールでもある。それはあってもいいのではないか。自治体のコンクールものの宿題や日記などが非常に苦痛であったなあと思い出します。やらされ感すごかった。 

 

 

・私が小学校の時の先生は宿題が普段からこなせる子は宿題自由(1時間くらいで出来るもの)でした。私は毎日科学雑誌を見て新聞作成してました。書いた新聞は先生が教室に貼ってくれて嬉しかった。私は漢字ドリルするのが嫌いで、新聞作成は楽しかったのを覚えている。今思えば漢字ドリルの方がはるかに書く量も少ないしただ書き写すだけで楽なのに、毎日、内容や構成を考えながら新聞が書けたのは不思議。新聞作成は勉強とは思ってなかったように思うし、楽しかった。勉強って楽しくあってもよいはずで、別に宿題を無しにしなくても、宿題を自由にするのもありだと思う。勉強って何でも勉強になるし、自分がしてきたことを先生に見せて、認めてもらう経験や、もっと深められるように指導するのもよいのではないか。子供たちがどんな宿題を提出してくれるのか、そこから何が学べそうか先生がアドバイスしてくれたら、絶対教える側も教えられる側も面白いと思う。 

 

 

 

・私が小学校の時の先生は宿題が普段からこなせる子は宿題自由(1時間くらいで出来るもの)でした。私は毎日科学雑誌を見て新聞作成してました。書いた新聞は先生が教室に貼ってくれて嬉しかった。私は漢字ドリルするのが嫌いで、新聞作成は楽しかったのを覚えている。今思えば漢字ドリルの方がはるかに書く量も少ないしただ書き写すだけで楽なのに、毎日、内容や構成を考えながら新聞が書けたのは不思議。新聞作成は勉強とは思ってなかったように思うし、楽しかった。勉強って楽しくあってもよいはずで、別に宿題を無しにしなくても、宿題を自由にするのもありだと思う。勉強って何でも勉強になるし、自分がしてきたことを先生に見せて、認めてもらう経験や、もっと深められるように指導するのもよいのではないか。子供たちがどんな宿題を提出してくれるのか、そこから何が学べそうか先生がアドバイスしてくれたら、絶対教える側も教えられる側も面白いと思う。 

 

 

・この取り組みは、子供の可能性を伸ばすことができる。自由な時間が増えたことで、より多くの発見や機会に出会うチャンスが広がる。その中から興味あることが見つかれば、将来の可能性も飛躍すると思う。 

ひと時代前の夏休み、朝やラジオ体操と宿題が懐かしい。 

 

 

・いくら理想を言ってみたところで、基礎になる部分の知識が確立していなければ応用は利かない。まずは学ぶことの意味や意義をしっかり教え込んだうえで基礎学力はつけさせたうえでないと、これらの施策をいきなり実行しても「できる子・やれる子」と「できない子・やれない子」のニ極分化が進むだけのような気がする。もっとも学ぶことの意味や意義を教え込むことが一番難しいのかもしれないが。 

それゆえ初等教育に携わる教師の質は非常に大事。 

 

 

・いい取り組みだと思いました。 

勉強とは他者と比較し成長をはかるものではなく自己成長のためにあると思います。 

子供の頃から自分で何を学ぶかを選択する練習が出来るのは将来的にも役立つ経験だと思います。 

記事の中に書かれていたうまく出来ていない生徒へのフォローも良いものだと思いました。 

 

 

・夏休みはメリハリつけて勉強も遊びも一緒にやりたいのですが、共働きだと現実的にとても大変 

自分とこは宿題は親が採点することになっているから、休みの日にまとめてそれを面倒見らのは結構な負担。自分とかは上は手がかからないのですけど、下が出来がいまいちだから放置するわけにもいかず教えないといけないし、とても手がかかる。 

これが2人3人だったら耐えられないです 

さらに1番大変なのは読書感想文や絵描きや理科研究や家庭科の調理に習字などなど、 

もうお盆前に朝から晩まで総力戦です。 

シングルファザーやマザーの方ならもう大変すぎて放置してもおかしくないレベルだと思います。 

個人的には絵や読書感想文などは任意にして欲しいとおもいます。普段本を読まない子に読ませてかかせるのは本当に時間かかるししんどいです。 

または漢字書き取りとか管理しやすい方に変えてもらうとかしてほしい 

 

 

・思い切った事をしているとおもいます。当たり前のことをなくすことをいうのは簡単ですが、実行するとなると大変かと思います。現場の無駄をなくす。いかにお子様に目を向けられるか?今の先生は、保護者、他環境に気を配らなくてはならず、お子様が二の次になってないか?と思ってました。お子様に向き合う時間をつくるためならどんどん改革は必要と感じます。 

 

 

・この記事の内容については、少し前に、ある雑誌で読みました。 

小学校はこれで良いかもしれませんが、中学校、高校ではできません。高校入試、大学入試等の際に成績を出さないといけないからです。 

本来であれば、各高校や大学が入学して欲しいと思う生徒は各高校や大学の基準に沿って入試を行い合否を決定すればよく、学校によって違う基準でつけられた評定(5段階)など必要ないはずですが、それを出すように求められます。しかも、最近では、5段階の評定だけでなく、観点別に「知識・技能」、「思考・判断・表現」、「主体的に学習に取り組む態度」をA,B,Cの3段階で評価することまで要求されています。 

これによって、明らかに提出すべき課題が多くなり生徒たちも苦しんでいます。全く記事とは逆行する状況が起きているのが他の多くの学校の現状です。 

教員の働き方が問題になっている中、新たな仕事を増やしたことは許し難いことだと思います。 

 

 

・無理強いは本当に良くない、私みたいに心底嫌いになる。 

 

自分の子供へは、本人のペースに任せてる。 

何もせず困るのは本人だから、本人の自覚のもと勉強するようになってほしいなと。 

 

すると不思議なもんで自分から興味を持ったり、他の子が出来ることを自分も出来るようになりたいと思うようで、自発的に勉強してる。 

 

しかも私にとって地獄のように憂鬱だった夏休み宿題を、 

子供はゲームをクリアする感覚なのか分からないけど楽しそうにやって速攻で終わらせてしまった。 

 

回りの大人の都合で勉強をさせるのではなく、本人の気づきに合わせてサポートするのが大事だなと感じました。 

 

 

・自分は宿題は要らない派ですね。夏休みかどうかに依らず。 

正直今まで生きてきて宿題で身についたものは嫌な気持ちを我慢することくらいで、学力が伸びたり新たな発見があったりしたことはありません。 

そんなことより旅行とか集まりへの参加などのほうがよほど学びも気づきもありました。 

 

嫌な気持ちを我慢することが大事だと言われる方もいると思いますが、我慢せず素直に気持ちを出して課題を明らかにしてそれを解決する…という形にしたほうが本人のためにもなるんじゃないでしょうか。 

 

 

・宿題を課すより自主性を引き出すやり方の方が良いと思います。 

個々によってやりたいことが違います。 

勉強したい子、たくさん本を読みたい子、思いっきり遊びたい子、おばあちゃんちに行って田舎でのんびりしたい子、など。 

どんなに有意義な夏休みだったか、先生やクラスのみんなにも教えてほしい、といった、競うのではなく共有からみんなで学ぶことも大切です。 

宿題はノルマになってただこなすだけのものです。 

宿題にも自由度を高くしてあげればいいと思います。 

 

 

 

 
 

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